田川紀久雄日記
今日また病院だ。
放射能の除染がどこまで進んでいるのだろう。眼にみえない放射のだけに心配だ。保坂さんが新潟に行った時、彼の家の周辺でも放射能の影響があったという。熱さも喉元を過ぎれば忘れる、という諺のように、福島から離れて住んでいる私達は遠い昔話のようになっている。あの昨日の銀座のパレードをテレビのニュースで観ると馬鹿げた風景に感じられた。そのエネルギーがあれば、もっと原発にたいしても関心を持ってもらいたいものだ。なにしろいのちに関わる問題なのだか。
思潮社の現代詩文庫を読んでいると、詩らしい詩を書いているのだなと痛感するが、いまこの時代のうねりの中で果たしてどれだけ価値があるのかと問えば、はななだ疑問を感じてしまう。詩らしい詩を書いていることによって、その時代から背を向けていたのではないのかと、感じるところもある。文藝はその時代に寄り添って行かねばならない。そしてつねに人間と何か、生きるとは何かを追求していかねばならない。そしてそれを越えて人間存在の美しさを求めていかねばならない。本当に大変なことだ。
« 田川紀久雄日記 | トップページ | 田川紀久雄日記 »
コメント