田川紀久雄日記
日本政府は外交問題になるといつも曖昧な態度を取る。文化交流を深めていくしかない。お互いを理解し合える社会を作ることだ。私達は政治家ではない。相手を尊重しあうことから始めるしかないのだろう。
『嶺』の仕事が入った。もう20周年だ。早いものだ。私はこの仕事で随分助かった。末期ガンになってから出版の仕事が急減してしまった。ほとんど無収入状態に落ち込んでしまった。身体が思うようにならないことはやはり辛いことである。なんとか生きる術を見つけ出したいものだ。川崎詩人会の丸山さんのことを思うと心配だ。お互い年金がない。地方に越して印刷の仕事があるのだろうか。川崎詩人会の「新しい風」の制作をしていただいている。本当に生き抜く事は大変だと痛感する。
詩を書くことは自分の苦しみを越えた地点で作品と向き合っていきたいものだ。苦しいから苦しいと書いても何もならない。作品化するということは才能も必要だが、それ以上に自己と向き合う姿勢が求められるのではなかろうか。この苦しみをプラス思考することで生き抜く歓びを見つけ出したいものだ。
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