田川紀久雄日記
今日は終戦記念日だ。戦争をして得をする国などない。戦争はいのちの否定以外の何ものでもない。領土問題では日本政府の対応に問題がある。いま日本の政府は国民を守ることができない。それは外交だけの問題ではなく。原発問題にしても同じだ。東電の150時間の映像を国民に公開すべきだ。いかに安全対策がなされていなかったかが問われていくべきだ。大飯原発の再稼動だって、本当に安全対策がなされているかといわれれば、福島のときとおなじような状態になるだろう。核は人間の力を超えている。そこにはいくら安全だといわれても、もう誰もが信用しない。つまり原発はもういらないということだ。今年の夏の電量消費量は再稼動しなくてもよかったのではないだろうか。それなのに経団連は原発の再開を望んでいる。
国会が解散しても、もうどこの党にもいれたくない。だからと言って放棄もできない。まず国会議員を半分にしてもらいたい。選挙の時はまずその人間を見極めることしかできない。現実にはそのことも難しい状況だ。
詩を何度も読み込んでいる人は少ないだろう。でも朗読をするためには何回も繰り返して稽古をしなければならない。宮澤賢治や中原中也などは百回以上読み込んでいる。読むたびに何かを発見する。詩という物はやはり繰り返して読むことで、面白みを発見するものだ。黙読では味わえない醍醐味がある。
詩誌受贈『砧・46号』
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