田川紀久雄日記
猫の餌を買いに行く。その隣が近代書房という名の古本屋である。この本屋は昔から存在していた。むかし、ここで村山槐多の詩集をかった覚えがある。そして度は、浜田知章詩集『梁楷』を百円で買った。この詩集は凄い迫力のある詩集である。原体験の重さを痛感する。一気に読ませる詩集であった。浜田氏の名前は知っていても、詩集を手にしたことが今までなかった。詩というものは気迫で書くものなのかもしれない。
相棒に、語りの仕事が入った。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の依頼である。フルート奏者の今泉さんからだ。食道ガンを再発したそうで、ぜひ最後にやってみたいとのことだ。この話は山本萠さんからである。今泉さんは市川で行なった時に聴きに来てくれた人である。
ラジカセでDVDを聴けるものがある。いまこれで自分の聲を聴いている。いろいろと反省するところがあるものだ。詩人達の朗読は全般的に聴いていて何を語っているのか解らないものが多い。そして終ってみれば心の片隅に何も残らない。それは相手に聴いて貰おうという気迫が存在しないからだ。テキストを読むことで精一杯なのだ。要は読み込みが足りないせいである。詩を書くことと、読むことはまったく別な世界である。詩集でもそうであるが、相手に読んでもらえることは大変なものだ。詩集を謹呈しても、本当のところ読んでもらえるかすら解らない。詩人と言っても、本当に詩を愛している人は少ないものだ。
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