田川紀久雄日記
70になると人生の修正は効かない。やり直すという思考は不可能だ。人に受け入れられなくても遣りとうすしかない。自分の人生が誤りだったと嘆くこともない。あとは最後まで自分流を貫くしかない。人生はしみじみと孤独なものだと痛感する。
人間は性悪説と性善説がある。この性格は幼少時代に性格が決まるといわれている。唯物論者は性悪説だが、シュタイナーは性善説の立場だ。確かに幼少時代にその人の人格は形成されてしまうのかもしれない。世の中がこうもぎこちなくなると親と子との関係も歪んでしまう。人と簡単に殺してしまう記事をみていると無性に悲しくなってくる。水俣病患者の問題もあまりにも辛い話だ。また原発事故の賠償問題でも一方的に話が決められてゆく。政治には心がないとしか思えなくなってくる。民主党は国民の生活が第一と言っていたにも関わらず、すべてが裏切られていく。選挙は国民との契約の場であるはずなのに、なに一つ約束が守れないと国民の生活に活気が失われてゆく。学校もあいかわらずいじめ問題が多いという。人間はいつまでも愚かな生き物なのだろうか。せめて詩の世界だけでも人に豊かな世界を送りとどけたいものだ。
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