田川紀久雄日記
福島原発の廃炉が四〇年後というけれど、何処に放射能に汚染された建造物を処理するのか、いまのところ何の見通しもたっていない。現段階の汚染物すら処分に困っているというのに……。
いま福島の米はほとんど売れないという。野田総理は私は福島の米をたべていますと言うが、このような答弁で誤魔化してしまうのは許せない。また被災地の港の復興についても、勝手な順番で行なうという。まったくの計画性のない復興案だ。
高畑さんから温かいハガキが送られてきた。『鎮魂歌』を詩人達に送ってもお礼状は十五通程度しかない。この度はとても悲しかった。それはいたしかたがない。私だって詩集をいただいて礼状をほとんど出さないのだから。でも心に響いた詩集には簡単な言葉を添えて出している。
いま高畑さんの詩の語りを稽古していて、語れば語るほどいのちのあり方を考えてしまう。かれの最初の詩集は被害地のひとたちに聴いてもらいたい気持ちがする。死と生を見つめる厳しい視線こそ身内のひとが亡くなった方に送り届けたいと思う。詩の語りの極意は、心で語ることである。聲で語るのではない。初めには確かに聲で語りだすが、語っているあいだは心だけで語れるようになればよいのだが、まだまだ私はその境地にまで到達していない。最近ときどきそのような境地になることもあるが、出来不出来が多すぎる。
活字では視えてこないものが語ることによって視えてくる。このことが語り手にとっての歓びである。誰にもまけないぐらい精進することによって到達する世界もある。詩明かりを求めて生きていたい。
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