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2011年12月14日 (水)

田川紀久雄日記

民主党のマニフェストはいったい何であったのだろう。いまに思えば国民だましの何物でもなかった。このような政党は政権を担っている資格がない、といって自民党も嫌だ。
どこの大工場をみても人影がない。すべてオートメイション化で不思議な光景だ。これでは労働者は最低限の人数で賄える。就職難の時代がこのような形で訪れるとは思わなかった。オートメイション化によって豊かな国が来るのかと思ったら、ひたすら競争社会になってゆく。国民の豊かさはどこにも感じられない。心の貧しさだけが目立つようになっている。
高畑耕治さんの詩を語る作業は大変だ。一つの言葉の内面性を引き出してゆくには何百回も稽古を積み重ねなければならない。生と死は存在そのものの根源の問題だから、それなりに語る苦労は楽しいものだ。亀岡新一さんの詩も何百回も語ることでそれなりの表現が出来るようになった。朗読家のようにテキストを語るのではない。テキストの根源を語るのが詩語りなのである。言葉を語るよりも魂(いのち)を語ることを目的にしている。同時代の人の詩を語ってゆくのも私の仕事に一部になってゆく。毎日二時間程度の稽古を続けている。

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