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2011年12月31日 (土)

田川紀久雄日記

一年間ブログを読んでいただいてありがとうございました。今年はは大変な年でした。わたしは暮になって手足がちょっと不自由になってしまって困っています。でも何とか生きてこられたことを思うとそれで十分です。生きることに前向きな詩人達にも出会えました。
いろんな人たちに助けていただき有難うございました、心から御礼を申し上げます。来年もよろしくお願いいたします。

2011年12月30日 (金)

田川紀久雄日記

テレビは相変わらず北朝鮮の報道であきれ果てる。なぜそれまでテレビが報道しなければならないのか理解に苦しむ。そのまに消費税の値上げが決定してしまった。値上げには反対ではないが、そこまでもってゆく道筋が気に入らない。いつかは値上げは必要である。
大阪が文楽の補助金が打ち切られるという。国はどれだけ文楽を支えているのか。日本の伝統芸能は、その灯を消してはならない。大阪市と大阪府で5200万円の補助があった。それをゼロにするとはいかがなものか。橋本さんは文化をどのように考えているのか知りたいものだ。朝鮮学校問題でも同じである。
相変わらず身体の調子が悪い。あるくのもふらついてしまう。パソコンを打っていても思うようにならない。こまったものだ。

2011年12月29日 (木)

田川紀久雄日記

身体の調子は悪いが原因は解らない。身体全体に力が入らない。歩く時もふら付く。急になにもかもがおかしくなった。なんとか気力で生きていかねばならない。老いといえばそれまでのことかもしれない。
『詩と思想』が届いた。作品がいっぱい載っているが、心に響いてくるものは数篇しかない。関中子さんが『鎮魂歌』について書かれてあった。少しでも取り上げていただけることに感謝。詩が上手いことより、魂から湧き上がってくるものを読みたい。皆が取り上げている詩集にそれほど興味を示さない。人間として根源的な闘いこそ詩を生む原動力である。言葉は、その闘いの果てに生まれてくるものである。いま身体がだんだん不自由になって行く中で、本当の言葉が見つかるのだと思う。詩人は不幸をそのまま受け入れるしかない。身体は不自由であっても心は自由だ。これから本当の詩を求めて闘わなければならない。いまパソコンがなければ文章が書けない。ガンに負けないでここまで生き抜いてきたのだから、前向きで生きなければならない。操車場の製本も大変だがなんとかやって行かねばならない。自分の作品を発信するのはここの場所しかないのだから。

2011年12月28日 (水)

田川紀久雄日記

昨日午後から病院に行く。脳梗塞かも知れないと思って心配した。手紙を書こうと思って字を書き始めたのだが、思うように字が書けないのだ。まるで幼児が書いているかのようだ。こんなことは初めてだ。歳を取るということはこのようなことかと思う。まず頭に浮かんだのが、来年のライブのことである。いまのところ聲には心配がないから大丈夫だと思う。しかし、いまパソコンを打ち込んでいても、体の力が抜けて思うように手が動かない。とても不安だ。
操車場の仕事はなんとか今年中に終えたいものだ。
詩誌受贈『進化論・15号』
詩集受贈『高橋英司詩集・ネクタイ男とマネキン女』

2011年12月27日 (火)

田川紀久雄日記

ときどき転ぶことが多くなった。足腰の衰えなのか、ちょっと不安だ。足に力が入らない。これは寒いせいだろうと思ってみる。相棒がいるお陰でなんとか生きていられる。独り暮らしで亡くなる人が多いというのもわかる気がする。仮設住宅でも死者がでた。老人の独り暮らしの対策は進んでいないのが現状だ。地域との絆が大切なのだが、行政が後押しでなければ前に進めない。
スーパーマーケットに行ったが、物価が上がっているのに驚いた。お正月用の食材がもういっぱいならんでいる。日常品も正月並みの高さだ。これで消費税があがったらどうなるのかと思うと怖ろしくなる。
いまの政治に無関心になったら、国民は駄目になる。いいたいことは思い切って言うべきだ。無言の抵抗という言葉があるが、無言でいたら政治家の思うままになってしまう。このままでいたら飢え死にしてしまう。
毎日聲を張り上げているのだが、いつも迷い続けてしまう。このもがき苦しみは一体なんなのだろうか。これも精進しているからこそ生まれてくる悩みなのだ。

2011年12月26日 (月)

田川紀久雄日記

パソコンを打っていて、指先が思うように打てなかった。ちょっと不安が走った。相棒が軽い脳梗塞ではというのだ。ただ寒いせいだろうと思う。糖分を取っていないので、貧血かもしれない。血糖値を下げようと思っているからだ。健康に気をつけていても、歳には勝てない。我が家は隙間だらけで朝はとても寒い。
川崎詩人会の「新しい風」を会員に発送する。
語りを行なっていて、やればやるほど下手になってゆく。毎日の精進が語りの欠陥を見つけてくれるからだろう。自然の風のように語りたいと願っているのだが、思うようにならない。身体が無になって語りたいものだ。いまこのことをエッセイで書き始めている。このことはいくら言葉で分析してもどうしょうもないことは分かっているのだが、ちゃんと意識化に収めておきたい。いつでも完璧に出来るものではない。いや、完璧なんてありえないことなのだから。三月のライブで、尼崎安四・村上昭夫・宮澤賢治などの作品も語りたいと思っている。彼らの作品はつねに生と死を凝視しているからだ。
詩の力は凄いものだ。そのことを信じて語ってゆくしかない。

2011年12月25日 (日)

田川紀久雄日記

ガンの延命治療を拒否続けてきた俳優の入川保則さんが亡くなった。最期まで自分の意思で生き抜いた。これはこれでよかったと思う。
日本はこんな予算を続けていたら、本当に国は滅んでしまう。これからの農業政策も何も打ち出せない。日本の未来の設計が何も示されない。被災地の復興もまだ三年先まで見通しが立たないという。住民の高台への住宅も問題が多すぎる。それまで何もせずに待てというのだろうか。年寄りはそれまでに亡くなってゆく人がいる。別に高台にこだわらなくても、津波対策はできるのではないのか。仮設住宅の人たちが安心して住める住宅建設を一日も早く作るべきだ。国との絆はますます薄れてゆくばかりだ。
詩人は、ますますいのちの問題と向き合っていかねばならない。そして生きる歓びの詩もいつか書いてみたい。
坂井信夫さんから操車場の原稿が届く。
詩集受贈『大田奈江詩集・神かくし』

2011年12月24日 (土)

田川紀久雄日記

東芝や日立が海外で原発を売り込んでいる。日本でも来年は新設が計画されている。野田総理になってから、経済界の言いなりになってしまった。八ッ場ダムも政府が再開を決定してしまった。国民はただひたすら腹が立つだけだ。
昨日日暮里まで出かけてゆく。途中で足が痺れて路上に坐り込んでしまった。このような酷い痺れは初めてだ。でも『神話の崩壊』の版下を印刷所に入れることが出来た。一月二十日頃までには出来上がる予定だ。あとは詩集を売って印刷代を稼ぎださなければならない。
病と闘ってゆくには常に希望と夢を持って生きることである。私ぐらいの年齢の人たちで、何もすることがなく老け込んでゆく人が多い。大きな病を三つほど抱えていても、何とか語りが出来るのでありがたい。聲の力はいくらか衰えているが、その代わり内面的な聲を出せるようになってきている。なにごとも努力すればそれなりの可能性が生まれてくるものだ。人が生きる意味は、自己自身への挑戦ではなかろうかと思うようになってきた。何の為に生きるのかではなく、自己の可能性への闘いが生きる意味であると思える。昨日フィギュアスケートで高橋大輔が最高点を出した。彼はバレーのレッスンをいまは受けている。つねに可能性への挑戦を続けている。多いに人を勇気付けてくれる。
詩誌受贈『柵・301号』『みえ現代詩・86号』

2011年12月23日 (金)

田川紀久雄日記

昨日医師から三週間ほど入院したらといわれた。血糖値が高すぎる。私は野良猫のピンのことを思うと、それはできない。断わらざるを得ない。自分の体は自分でしっかりと管理しなければならない。
東電は来年には二割ほど電力料金を値上げするという。それも権利だとぬかす。消費税もあがったら、貧しい人たちは生活が出来ない。まずは電力の自由化を進めてもらいたい。
民主党のマニフェストは総崩れだ。国民を裏切り続けてきた。国民からはもう信頼を得ることはできないだろう。福島原発の収束宣言をしながら、次から次へと事故が起きている。ウソの綺麗ごとは言わないでもらいたい。
ときどきホームレスを見るが、この寒さの中でどうして生きてゆくのか、とても心配だ。ただ見ているしかできない自分が悲しい。テレビで仙台のホームレスの人が映し出されていたが、行政で何とか救い出してもらいたいと願う。仕事がないという。津波で工場がつぶれ、そのまま解雇され今に至っている。本当にやりきれない気持ちだ。他人事では済まされない。このままだと福祉行政は頓挫していくしかない。国会議員たちは昨年より多いボーナスをもらっている。何のための議員なのかわからない。
午後から保坂さんと会うことにしている。詩集の件の打ち合わせだ。詩集を売って何とか印刷代を稼ぎたいものだ。
高畑さんから朗読の許可をもらう。私の語りは書き手の思いとは異なるかもしれない。作品を読み込んで深いところで語るつもりだ。いちど作品は作者の手から離れると、宇宙が無限に広がっていくようなものだ。高畑さんの詩は、ある意味で語りづらい世界である。そこの所がまた語り手にとって楽しいところでもある。困難と向き合うことが自己を成長させる鍵でもある。

2011年12月22日 (木)

田川紀久雄日記

今日また病院だ。疲れる。検査検査で金もかかる。昨日長谷川認さんからカンパを戴く。病院代が助かる。ガンとの闘いも友人達の支援でなんとかここまで生きてこられた。ガンは金が罹る病でもある。
もうすぐ一年も終ろうとしている。あっと一年を過してしまったような気がする。おもうような行動が何も出来なかったような気がする。この時期になると来年はと思うのだが、なかなか実りある年が迎えられない。大切なのは人との出会いである。仲のよい友達とどこかに旅をしたいものだ。そう思うだけで一年が終ってしまう。今年一番良かったのは、島村直子さんが企画してくれた、キッド・アイラック・ホールでの『いのちを語ろう』である。『銀河鉄道・青森挽歌』はいままで語った中で一番良かったと思う。そして島村洋二郎の詩も語れたことはそれなりの収穫で会った。日々の精進が語りを大きく育ててくれているのだろうと思う。そして新しい出会いによって新しい詩を語れることを夢見ながら来年は生きていたい。
浜川崎のガードしたの猫達の数が急に減った。猫狩りがあったのだろうかと思う。心配だ。年の暮になるといっせいに野良猫狩りがあるのだろうか。野良猫達も警戒感がましている。猫が飼える家が欲しいものだ。

2011年12月21日 (水)

田川紀久雄日記

昨日病院でいまのうちに手術をしてしまえばといわれる。語りをやるためには手術など出来ない。それより左肩が上がらないのだ。まるで四十肩のようだ。これは自然に直すしかないのだろう。
金正日が亡くなって、世界中が動揺している。朝鮮の貧しい人たちを思うと気の毒だ。テレビで写る泣き顔の人たちは豊かな層の人たちなのだろう。学生達が携帯電話で話し合っている様子も写しだされた。朝鮮はとても不幸な国に見える。共産主義国家とは何なのだろう。いま資本主義も末期的状態だ。新しい思想を求めておるのだが、なかなか見出せないでいる。ブータンのような国はどうなのだろうか。一度行ってみてみたいものだ。
いまできることは、いのちの大切さの運動ぐらいだ。これは簡単のようだがなかなか出来ない。思想的にも深いもの身につけなくてはならないからだ。
次のライブのテーマは、生と死を見つめたいとしたい。詩集代も稼がねばならない。次の『いのちの対話』を上梓するためにもだ。蓄えのない私はライブで詩集代を捻出していかねばならない。そのためにもいい加減なものは出来ない。ひたすら精進するしかない。人の心に届く語りを目指してゆきたい。

2011年12月20日 (火)

田川紀久雄日記

八ッ場ダム工事の再開が決まる。野田政権になってから公約が次から次へと崩れていく。国民にとって知りたいのは本当にダムが必要なのかということだ。これでは自民党時代と少しも変らない。
福島の汚染処理が進められるが、その汚染物を何処に処分場を作るのか何も決まっていない。国民が納得できる処分が出来るのだろうか。ただ形だけの汚染処理であればかえって不安を煽ることになるのではと思ってしまう。原発の安全収束を宣言した政府は、かえって不安を煽る結果になっている。収束したといいながら事故が相次いで起きている。
シュタイナーの教育論を読んでいるが、いまの日本の教育では健全な子供教育がなされていない。愛情のない教育ではますます子供たちの健全なる身体の成長が妨げられる。いまの子供も親もすくギレて仕舞うのは、能率主義的な教育を受けてきたからだ。心が豊かに育っていないうちから詰め込み教育をこどもに押し付けるからだ。中国や韓国の学校教育を見ていると不安を感じる。経済第一主義では人間は幸福にはなれない。芸術の豊かさこそ人間が求めていかねばならない。それなのに、詩の世界も病んでいる。心の豊かさを感じさせてくれる詩があまりにも少なすぎる。
子供たちに温かい視点で詩を書いている人がいる。そのひとは山下佳恵さんだ。詩人にとって大切なのは知名度ではなく何を書いているかである。いま本当に読んでみたい現代詩があまりにも少なすぎる。
山下佳恵さんの詩を引用してみよう。

心の木

お母さんのお腹の中に一つの命が宿る時
心の中にもまかれるいくつかの種
早くも根がはる2つの木
思うたびに成長する心の木
心配や不安のたびに伸びていく一つの木
どんな子かしら どんな子に育つのかしら
病気にならないか ケガをしないか
友達はできるか 勉強についていけるか
子供の成長とともに大きくなる木
どんどん枝わかれして 時にトゲに傷ついて
けれど決して枯れない木
きっと自身が死ぬ時まで

幸せの気持ちになる時楽しい時に花咲く木
いくつ花を咲かせるのかな
どんな花が咲くのかな
花の数も大きさも心次第

他のいつくかの種は
その子に何を与えるのだろう
どんな種かは その子次第
親になった瞬間まかれるいくつかの種
何にでもなる心の木

2011年12月19日 (月)

田川紀久雄日記

昨日川崎詩人会の忘年会の途中に気分が悪くなり帰宅した。暖房器具の下にいたのが良くなかったのだろう。私はカラオケ的な雰囲気が好きでないためかもしれない。話の中で菅さんが良かったという人がいたことにほっとした。菅さんをおいだしたのは原発推進派の人たちなのだ。いまの自民党だって菅さんを批判できない。批判をすれば原発を推進してきた党そのものの存在理由も問われるからだ。菅さんは原発廃止と自然エネルギーへの移行を打ち出した。それが野田政権になった途端あいまいな政策になってしまった。
福島の汚染地域問題も本当のところは何も打つ手がない。浪江町には本当に帰宅が出来るのだろうか。子供達がいる家庭の人たちは帰宅する気分になれないだろう。放射能の影響はそう簡単に解決できる話ではない。
来年の詩語りライブ(いのちを語ろう第4回)は、三月の十日(土)に行なう予定にした。客が来てもこなくても行なう。たった一人の叫び聲からという気持ちでいればよい。その時は詩集『神話の崩壊』も出来上がっている。私は詩を語るだけではない。語る以上多くの人に訴えかけてゆくものがある。いのちの尊さを訴えかけてゆきたい。『鎮魂歌』がギャラリーのお客様が買ってくれたと田中さんからいわれた。この画廊で数冊売れているのは有り難い。なにしろ見知らぬお客が買ってくれるのは嬉しい気持ちにさせてくれる。
野間明子さんから野菜が送られてきた。感謝。

2011年12月18日 (日)

田川紀久雄日記

福島原発の廃炉が四〇年後というけれど、何処に放射能に汚染された建造物を処理するのか、いまのところ何の見通しもたっていない。現段階の汚染物すら処分に困っているというのに……。
いま福島の米はほとんど売れないという。野田総理は私は福島の米をたべていますと言うが、このような答弁で誤魔化してしまうのは許せない。また被災地の港の復興についても、勝手な順番で行なうという。まったくの計画性のない復興案だ。
高畑さんから温かいハガキが送られてきた。『鎮魂歌』を詩人達に送ってもお礼状は十五通程度しかない。この度はとても悲しかった。それはいたしかたがない。私だって詩集をいただいて礼状をほとんど出さないのだから。でも心に響いた詩集には簡単な言葉を添えて出している。
いま高畑さんの詩の語りを稽古していて、語れば語るほどいのちのあり方を考えてしまう。かれの最初の詩集は被害地のひとたちに聴いてもらいたい気持ちがする。死と生を見つめる厳しい視線こそ身内のひとが亡くなった方に送り届けたいと思う。詩の語りの極意は、心で語ることである。聲で語るのではない。初めには確かに聲で語りだすが、語っているあいだは心だけで語れるようになればよいのだが、まだまだ私はその境地にまで到達していない。最近ときどきそのような境地になることもあるが、出来不出来が多すぎる。
活字では視えてこないものが語ることによって視えてくる。このことが語り手にとっての歓びである。誰にもまけないぐらい精進することによって到達する世界もある。詩明かりを求めて生きていたい。

2011年12月17日 (土)

田川紀久雄日記

野田総理は原発事故収束を宣言をした。これはどう見てもおかしな話だ。実際メルトダウンをちゃんと確認したわけでもないし。汚染水も未解決のままだ。これは福島県の人たちを侮辱している。原発は絶対事故を起しませんと自己以前にいっていたことと変わりがない。いま原発事故で多くの人たちが苦しみ悩んでいることを野田総理は理解していないとしか思えない。福島のゆずからも放射性物質が検出され出荷が出来ないでいる。なにが国際公約だというのだ。国民はつねに国家に欺かれている。
今年ももうすぐに終るが、来年にむけての希望が何一つ見えてこない。何か遣り残していると思っている方が九八パーセントにのぼるといわれている。私のとっては語りが思うようにできなかったことだ。談志ではないが、私は誰もがやらない語りをやってきた。人がいくら批判してもやってことはそれなりに誇れることだと思っている。伝説の「芝浜」は新派調だといわれてもいままで誰もがやったことのない落語だ。聲の調子が衰えているにも関わらずあの落語はやはり凄いといいたい。
鈴木良一さんより作品の原稿が送られてきた。そして山下桂恵さんからカンパをいただいた。山下さんの詩はひとを勇気付けさせてくれる。いまこのような詩は大切なのである。できたら子供たちのまえでかたってもらいたい。

2011年12月16日 (金)

田川紀久雄日記

元慰安婦問題から日本は逃げようとしている。この問題はちゃんと向き合うべきだと思う。生きている人たちは八〇歳を越えておる。このような元慰安婦が起きるとまだ戦後は完全に終っていない気がする。もう終わったと思い込んでいるにすぎない。いまの若い女の子は韓流スターにあこがれている人が多いが、彼女らはまったく政治問題については関心がない。日本の教育もこの問題は避けてきた。人のいのちは地球の重さより重いという意味を考えるべきである。原子力発電でもでたらめな教育を教えこんでいた。日本の教育は大事なことは隠蔽する習慣がある。
秋山基夫に『詩行論』という著書がある。その中に朗読論があるが、これもいい加減な論である。聲について基本的なことが何ひとつとて書かれていない。かつて彼の『キリンの立ち方』というビデオを買ったことがある。ただひたすらテキストを読んでいるだけだった。いま真面目に聲と向き合ったいる天童大人が企画している『詩人の聲』である。その企画から外された私であるが、これはたいしたものだと思う。今月で七百回を迎える。
詩誌受贈『光芒・68号』

2011年12月15日 (木)

田川紀久雄日記

来年の二月に発行する『神話の崩壊』はなんとしても七〇冊は売りたい。そうしないと印刷代や送料がでてこない。世の中が不景気だと買ってくださる方が減ってくる。詩集というのは売れないものだと決め付けるのはいかがなものか。日本の人口が一億二千万人もいるというのにたった数冊でも売るのが大変なのが詩の世界である。中には百万部も売れる詩集もある。それは書店に詩集など置いてくれないことにも原因がある。またいまの日本には詩集の朗読文化がないことも原因の一つなのかもしれない。
来年には新幹線が札幌までが着工すると言う。札幌まで行くことはないかもしれないが、気分的には嬉しい。しかしいまの鉄道料金は高すぎる。貧しい人にとっては生き抜くに世の中だ。円高でも物価は少しも下がらない。またガソリン代も上がってきた。そのうえ消費税が値上げしたらどうして生きてゆけばよいのかとても心配だ。
操車場にあと数人の詩人が参加していただけると有り難いのだが、なかなか書き手がいないものだ。

2011年12月14日 (水)

田川紀久雄日記

民主党のマニフェストはいったい何であったのだろう。いまに思えば国民だましの何物でもなかった。このような政党は政権を担っている資格がない、といって自民党も嫌だ。
どこの大工場をみても人影がない。すべてオートメイション化で不思議な光景だ。これでは労働者は最低限の人数で賄える。就職難の時代がこのような形で訪れるとは思わなかった。オートメイション化によって豊かな国が来るのかと思ったら、ひたすら競争社会になってゆく。国民の豊かさはどこにも感じられない。心の貧しさだけが目立つようになっている。
高畑耕治さんの詩を語る作業は大変だ。一つの言葉の内面性を引き出してゆくには何百回も稽古を積み重ねなければならない。生と死は存在そのものの根源の問題だから、それなりに語る苦労は楽しいものだ。亀岡新一さんの詩も何百回も語ることでそれなりの表現が出来るようになった。朗読家のようにテキストを語るのではない。テキストの根源を語るのが詩語りなのである。言葉を語るよりも魂(いのち)を語ることを目的にしている。同時代の人の詩を語ってゆくのも私の仕事に一部になってゆく。毎日二時間程度の稽古を続けている。

2011年12月13日 (火)

田川紀久雄日記

原発反対派は五六パーセントだという。四〇数パーセントが原発に賛成なのだろうか。ヒロシマやナガサキの被爆体験国でありながら、この放射能に対してなぜ関心がうすいのに驚く。消費税問題とおなじようにやもをえないからという意見が多い。福島県のひとたちがいかに苦しんでいるか、それを思うと情けなくなる。瓦礫問題にしても一向に解決の方向には進展していない。国民一人ひとりが考える問題なのに、なぜか無関心である。
震災から九ヵ月もたったのに、復興の足音がきこえてこない。多くの死者たちもあの世で嘆いていることだろう。これ霊に対して私は魂明かり(たまあかり)という言葉を使って詩を書いてみたくなった。この言葉は昨夜の夢の中に現れた言葉だ。死者たちと向き合ったいのちの対話を書かねばと思っていたからかもしれない。
岡耕秋さんから操車場の作品に対して「深い世界をのぞかせていただいたように思いました」というハガキを貰った。やさしい言葉でいかに深い世界を描いて行くかが私のテーマでもある。
詩誌受贈『すてむ・51号』

2011年12月12日 (月)

田川紀久雄日記

高畑耕治さんの詩を語ってみた。彼の作品は言葉を追って読んでは語りにならない。語りというものは書かれた言葉の一番深いところから聲を発していかねばならない。生と死を見つめることは、人間の根源を見つめることでもある。根源とはある意味では宇宙の成り立ちのことかもしれない。
普通の朗読家は、作品のストリーを追うだけで終っている。このような朗読家は詩の作品を語ることは出来ない。つねに魂と向き合いながら語ることが詩を語ることにも繋がってゆく。私の語りを批判する人たちは、あくまで表面の物語性を求めている人たちである。本当に詩を語れる詩人にはいまだに出会っていない。私でもいまだに語れていない。だから詩の語りのいつも挑戦をしている。上手い朗読など私はもとめていない。高畑さんの詩を語れるまでにはまだ時間がかかる。詩と言うものはやはり聲を発してみないとわからないところが多い。活字だけで解ったつもりでも、いざ聲を発してみると自分が思っていたものと違うこともある。
解りやすい言葉ほど、その言葉は無限に深い意味が秘められているものだ。例えば「愛」「生きる」「死」という言葉は日常使われるが、それを表現することは思考的にいくら捕らえても手の隙間から逃れていってしまう。宇宙的な言葉なのだ。

2011年12月11日 (日)

田川紀久雄日記

昨日、「ミミユカの森2011」を聴きに田町まで出かけた。青木裕子さんの朗読と入江杏さんのお話である。入江さんは世田谷事件の身内の方である。悲しみをどのようにして乗り越えるかを話された。この講演の副タイトルが「悲しみを支えるもの」となっている。この案内は島村直子さんからである。ときたまこのような話をきくのも大切なことである。その会場で「湧」の増刊号をいただいた。「まだ、まにあうのなら」という原発の話である。解りやすい原発の本だ。この本はどなたにも読んでもらいたい。昨日は歩いていて足の痺れがあってちょっと辛かった。
私も聲を通して「悲しみを支える」運動をしてゆきたい。これは人の手助けがなくてはなかなか出来ない。出来ることはひたすら語りへの精進しかできない。魂を伝える詩人として生きてゆきたいものだ。出前の詩語りを行なっていますのでよろしくお願いをいたします。

2011年12月10日 (土)

田川紀久雄日記

公務員のボーナスがでた。国会議員のボーナスは昨年度より増した額が支給された。これは国民無視のものである。こんなことをしていて消費税の値上げなど許されるものではない。
福島原発の岩盤が三倍の揺れがあったとのこと。日本は地震大国である。このような国に原発を作るなど気狂だ。汚染水の問題も相変わらず解決のメドが経たない。そして福島の米からが次から次えと放射性物質が検出されている。キメ細かな検査を怠った付けがいまになって現れている。
高畑耕治さんに最初の詩集に「鎮魂歌」という作品がある。その中の一節を引用してみる。
戦いがつづけたい
 生きる自分自身と
人間として生きようと戦う僕の希いを
おし殺すものと
人間として生きようと戦う人びとの希いを
おし殺すものと
いつの日にか彼の詩を聲に乗せたいものだ。
いま我々はどのように生きるべきかを日々問われている。それなのに国会議員たちには怒りが込み上げてくる。

2011年12月 9日 (金)

田川紀久雄日記

国会が閉会する。公務員給料の削減や国会議員の削減など行なわずに。これで消費税を上げるということは国民は理解に苦しむ。日本の復興の為に行なうべきものを行なわずに国民の負担ばかり当てにするいまの国会議員たちには無責任主義者達だ。いま生活に苦しんでいる人たちがどれぐらいいるのか。若者達にも未来がない。
聲をあげることは身体にとってとても良いことである。この実践を通して私は末期ガンを克服している。とくに大聲をあげることによって寿命も伸びるといわれている。昨日詩の言葉が聲でどこまで伝えられるのかというエッセイを書いた。語りの世界は理論と実践が伴わなければ前には進めない。また感動を伝えるということはどのようなことなのか。シュタイナーの哲学をヒントに考えてゆきたい眼が悪くなっているので、なかなか本が読めないが何とか読んでゆきたい。

2011年12月 8日 (木)

田川紀久雄日記

大企業が工場を閉鎖する。従業員は解雇される。この繰り返しがつづいている。パナソニックが各地の工場を閉鎖を始めている。臨時従業員は何の保証もなく解雇だ。円高の影響やその他の原因で利益が上がらないという。大企業はいかに労働者の賃金を安くするかが問われている。資本主義の原理はもう限界を超えてしまった。九九パーセントの貧乏人と一パーセントの富裕層である。日本は資源がない国だ。輸出に勝たなければ日本経済は成り立たない。この狭い日本に人口が一億二千万人は多すぎる。ますます失業者が増えるしかない。この度の消費税の値上げでも福祉に使うのではなく、国の都合に一部が使われてしまう。消費税をなぜ福祉税にしないのか不思議でならない。
福島の原発から二十キロ以内で動物かは野生化している。飼い猫や、犬がもう人間を信用しなくなっている。災害のときの動物達のことは初めから考えるべきだ。これは個人の問題ではどうしょうもない。地域ごとの対策が求められている。原発事故でわかったことは、動物にたいして行政は冷たいということだ。
一ヶ月ぶりに浜川崎にはランとハトが姿を見せた。元気でいる姿をみるとほっとするものだ。

2011年12月 7日 (水)

田川紀久雄日記

福島原発から汚染水が海に150リットルも流失しているという。魚を食べる気がしなくなる。それより漁民の人たちの気持ちを考えると怒りが湧いてくる。それと長期帰還できない地域がある。避難している人たちがこれから先の希望が失いかけてしまう。そして復興への道のりはあまりにも遠すぎる。野田内閣ではどうにもならない。
今出来ることはほんの小さなことを積み上げてゆくしかない。苦しみ悩んでいる人たちの気持ちと共に詩を書いてゆくことだ。詩人は何の役に立たないかもしれないが、それでも魂の救済を求めて詩を追及して行く以外にない。
今月は生活がピンチだ。病院もあと二回行かねばならない。それに川崎詩人会の忘年会もある。僅かな会費でもいまは苦しい。いま銭湯の回数も減らしているのに、これ以上の節約はできない。あとは新聞を解約するしかない。

2011年12月 6日 (火)

田川紀久雄日記

パソコン周辺の故障もなんとか解決して、操車場55号がやっと出来上がった。機械音痴な私には一瞬パニックになったが、これでひと安心。
いま世界中が失業者で溢れている。スペインの若者達は二人に一人が失業だという。日本も相変わらず失業率が高い。そして生活保護者が増え続ける。年金問題でもにっちもさっちも行かなくなりかけている。野田総理は今年中になんとか消費税率を上げる気でいる。このような不景気な時に消費税を上げればますます不景気になるばかりだ。せめて食料品だけでも無税にしてもらいたい。
東電の賠償問題も一向に進展の気配がない。今年の冬は心も冷え性になってしまう。
いま私に出来ることは魂の語りに磨きをかけることぐらいだ。来年のライブに向けて頑張らなければならない。聲のスランプからやっと抜け出しそうだ。一篇の詩をいかた大切に読みきることが求められている。それに磨きかけることによってライブの魅力が出てくる。生きる元気を多くの人たちにわけてあげたいものだ。

2011年12月 5日 (月)

田川紀久雄日記

写真集で『みさおとふくまる』を買った。白猫とおばあちゃん。この白猫は以前浜川崎にいたりゅうと同じ目の猫である。瓜二つだ。これでこの写真集を買ってしまった。カメラマンは伊原美代子さんである。この猫を見てるだけで心が休まる。
パソコンとプリンターが繋がらない。インストールが出来ないのだ。これではメールが印刷できない。機械というものは日々進化している。アナログ的な人間はこの進歩についていけない。
保坂さんと電話で話していたのだが、紙焼き印刷がなくなると言う。いまはもう紙焼きの材料が製造中止になったという。印刷もコンピュターと連動しておこなうシステムになっていく。製版の過程がなくなってゆく。そのためか最近の詩誌をみているとインクが薄いのが多い。私はタイプ印刷から始めたものだが、印刷がどんどん進化しているのを見るとある意味で恐怖を感じてしまう。要はパソコンの出来ない人間は時代から取り残されてゆくだけだ。パソコンのない時代で過してみたいものだ。便利は人間の心を少しも豊にしてくれない。

2011年12月 4日 (日)

田川紀久雄日記

印刷用のコピー機が故障してしまった。蓄えがないので買え代えには大変だ。家庭用のコピー機で毎回大量の印刷を行なうのだから壊れるのもあたりまえなのかもしれない。毎月が自転車操業なのだから故障が起きると頭が痛くなる。こんな小さなことで昨夜はそれほど眠れなかった。
韓国では原発新設の許可がおりた。世界全体の原発反対運動を行なっていかねばならない。いまの日本では太陽光発電の広がりがあまり広がっていない。送電線は東電から開放が必要なのに、この問題はほとんど話が進展していない。
詩集受贈『小笠原眞詩集・初めての扁桃腺摘出術』「石原武詩集・金輪際のバラッド』

2011年12月 3日 (土)

田川紀久雄日記

被災地の人たちはこの冬を越すのが大変だろう。仮設住宅に住んでいる人たちは買い物をするにも大変だ。灯油を手にいれるのも大変だという場所もある。雪国に生まれた私には、雪の中で生活の苦労は解る。この歳になって雪の中での生活はもう出来ない。行政の細かな支援が求められている。
一川大臣は、罷免するのが妥当だと思う。野田総理の判断が甘い。このような素人を大臣にしたのが誤りであった。沖縄の人たちの心が何もわかっていない。アメリカの言いなりになるのが仕事だと思っている。米軍の基地は日本全体で引き受けなければならない。沖縄が七五パーセント引き受けているのは異常なことである。
いま地震があった。朝の五時五五分。震源地は千葉県である。だんだん地震の震源地が東京に近づいてきているような気がする。この大都会で巨大地震が起きたら想像もつかない大きな被害がでる。オンボロな我が家はたちまち崩壊するだろう。金のない私はどうすることも出来ない。海に近い場所であるので、津波が来たらどっちみち助からないだろう。江戸時代にも大きな津波が押し寄せてきていた。

2011年12月 2日 (金)

田川紀久雄日記

急に寒くなった。野良猫たちが心配だ。野良猫が生きていくことがいかに大変か。かれらの寿命は四,五年だそうだが浜川崎周辺の猫達はそれなりに生きつづけている。ネコの餌代が一万円近くかかるのは、」ちょっと辛い。これで消費税があがるとなると私たちの生活はどうなるのか不安だ。
詩とか音楽は無意識の世界を表現するには適した方法だと思う。それは直感を大切にしているからだ。それを言葉や音符にしただけでは作品化したとはいえない。音楽ならやはり演奏を通して伝えるしかない。そして詩でも詩集として読むだけではなく、やはり聲として表現しなければ本当の意味で表現をしたとはいえない。そしてたた音符を演奏したからと言って音楽になるとはいえない。また詩でも活字を読んだだけでは朗読したことにはならない。そこには演奏する人、語るひとの魂の表現がなければ何ら意味を持たない。芸術にするのは並大抵のことではできない。詩集などが真の意味で評価されないのは、聲で表現する技術を持つことができないでいるからだ。世の中はライセンスなどといういかがわしい制度を作って金儲けするやからがいるからでもある。聲で表現するのは心の深い領域から聲を発しなければならない。無意識をいかに意識化してゆくかが大切なことである。そのためには日々の精進しかない。

2011年12月 1日 (木)

田川紀久雄日記

福島県の全原発廃止に議会が賛成した。しかし労働組合が反対している。職を失う人たちのことを考えると複雑な気持ちだ。このことは国をあげて取り組まなければならないのだろう。いつも苦しむのは弱い立場の労働者や農民達だ。原発はすべて廃止しなければならないがどのようにして廃止にしてゆくかを考えなければならない。
詩語りが少しづる見えはじめてきた。自分が目指している世界が近づいてきている。言葉に魂を吹き込むことがどのようなことなのか解りだした。誰にもマネのできない世界を構築することだ。相棒のためにもこの世界で生活ができるようにしてゆきたい。生活保護を受けると詩的な仕事が出来なくなる。末期ガンといわれて来年で五年目になる。そろそろ思い切っていろんな事が出来るようになる。辛いことがいっぱいあったが、ここまでなんとか生きてこられたのだから、これからも夢を持って生きてゆきたい。

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