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2011年9月30日 (金)

田川紀久雄日記

今日は午前中病院に行かねばならない。
国会で原発のことを聴いていたが、どこか曖昧な答えばかりだ。つねに前向きにという答弁が多い。国会でのこの答弁は、何もしないということになる。放射性物質を取り込むということは、その量ではなく、それによって計り知れない障害をひき起こすということである。微量でも身体には大きな負担をかけている。
『詩と思想』で東日本大震災の特集号である。私の作品も載っているが、どこか虚しさを感じる。なにか大切なことを忘れているような気がしてならない。これは現実と言葉の差なのだろうか。掲載されて自己満足であってはならない。ひたすらこの問題を掘り下げる生き方が求められているのではないか。
今月も今日で終る。月日の経つのがとても早く感じられる。いかに日々の生き方が大切か。一日一日の努力がその人の人間性を高めてゆくのだろう。

2011年9月29日 (木)

田川紀久雄日記

東京電力が6000億円を取りすぎていたと朝日新聞の朝刊に報じられている。それなのに電気料金をまだ値上げするなどというのだから国民の怒りは収まらない。世界一高い電気料金を支払いつづけていたのだ。その金の一部が原発賛成派議員に送られていたのだ。なぜ原発を廃止するといえない理由があるからだ。
これはユダヤ人から政治資金を貰っているアメリカの議員と同じ構図である。パレスチナは今もイスラエルがどんどん入植地を増やし続けている。アメリカはパレスチナ国家を認めることはない。アメリカの民主主義はすべてお金でその思想が成り立っている。資本主義とはそのような世界なのだ。
数日前に右肩を痛めてしまった。起き上がる時に倒れて方を床に打ち付けてしまった。左手が思うように動かない。七十近きなると身体が思うようにならなくなっていく。見た目には丈夫そうに見えるが身体はもう随分もろくなっているのかも知れない。気をつけて日々を過すしかない。

2011年9月28日 (水)

田川紀久雄日記

いま『いのちとの対話』を書いているが、ある意味でとても辛い。でも書かねばならないテーマなのだ。これは『鎮魂歌』をもう一歩深めた作品にしてゆきたい。
飯館村でのコメ作りから大量のセシウムが検出されている。土壌から放射能を除去しなければコメ作りはできない。飯館村の再建はあるのだろうか。放射能は陸地に約三パーセントあとは海にばら撒かれた。魚は本当に安心して食べられるのだろうか。我々は放射能と共に生きなければならない。そのためにはどうしたら良いのか。不安が募るばかりだ。政府は原発の再稼動をすすめている。なさけないことだ。安全を確保した上でと言っても、そのような言葉はとても信用できない。まったくの同じ体制でそのようなことが出来るとは思えない。未来への為にもいまこそ原発を阻止していかねばならない。詩人達はもっと未来に対して警鐘していかねばならない。

2011年9月27日 (火)

田川紀久雄日記

急に寒くなると身体の調子が追いつかなくなる。気分も落ち込む。それでも語りの稽古のために公園にでかけてゆく。『鎮魂歌』を心の底から語れるように努力するしかない。相手の気持ちを思い語るようにしてゆきたい。私はひたすら努力をしてゆく以外には道はない。それは末期ガンの体験から学んだことである。生きていることの尊さを忘れないためにも、自分の夢に向かっていき続けることである。
政府は自然エネルギー開発の為に予算を追加すべきだ。日本の技術は凄いものがある。災害復興の為の11億円の中味がなにも示されていない。三次予算を待っているあいだに自殺者がでてくる。今早く整備を行なわなければならないところがあるというのに、対策が遅すぎる。義援金はどうなっているのだろう。災害地にはいまも建物は建てられないでいる。彼らの苦しみを見ていると野田総理の二枚舌に怒りが覚える。全力で取り組んでいきます、とよくもいえたものだ。

2011年9月26日 (月)

田川紀久雄日記

野田総理は原発への回帰と輸出を継続する方針だ。このことは断じて許してはならない。菅さんを引きずり下ろしたのは、このような理由があったのかと思わせる。自民党や公明党と組んで菅下ろしした民主党もゆるされない。今どんなに原発事故にあって苦しんでいる人たちがいることを忘れてはならない。所得税の値上げは一年遅らせるという欺瞞に満ちたものだ。国民をあまりにも馬鹿にしている。生き物のいのちを軽んじた政治のあり方と闘うしかない。これからは社民党と共産党を応援していこう。原発反対する政党を皆で応援しよう。
いま詩を書くのはとても苦しい。でも「いのちの対話」ついては書き進んでいかねばならない。胃の調子も相変わらず良くない。それでも前向きにいきてゆきたい。

2011年9月25日 (日)

田川紀久雄日記

原発の再稼動を阻止してゆきたい。野田首相の二枚舌にはあきれて何にもいえない。原発の安全性を高めるという言葉は、だれもが信じていないにも関わらず、経済界の圧力によって原発の安全性と国連で語るにはあきれ果てた。
地震被災地の復興は、進んではいない。病院関係がほとんど再建できていない。それに漁民達の復興が特に遅れている。港の整備や船の調達が出来ないでいる。義援金を多めに漁民達にまわして上げられないものなのだろうか。そして工場の再建が待たれる。主婦たちが瓦礫の撤去のアルバイトでなんとか生活を維持している。先が見えない日々はつらいものだ。
アメリカはユダヤ人から政治資金を調達してもらっているのだ、パレスチナの国家を認めない。これはアメリカにとって歴史的にも最悪な状況だ。金の力で民主主義は欺瞞だらけの平和主義に落ち込んでいる。
一人ひとりが本当の自由と平和を考えてゆかないと、この世の中は地獄と化してしまう。そのためにありふれた言葉だが、愛の力を高めてゆきたい

2011年9月24日 (土)

田川紀久雄日記

パリ・オペラ座バレエ団の「白鳥の湖」をDVDで観る。バレエ団の見事な統制力に驚かされる。最後のシーンはあまりにも悲しい。白鳥の湖にはいくつかのパターンがある。出来るならハッピーに終ってもらいたいものだ。いまはDVDでバレエやオペラが手軽に見れる時代になった。優れた芸術作品に触れることができる。それも手軽に買える。
一流の芸術家は、いかに困難な道を選んでその技を習得してゆくのか、それを思うと胸が熱くなる。
電話機がやはり故障をしていたのだ。それでヤマダ電気店まで買いに行く。
二本松市の旧小浜町地区で採集したコメから1キロあたり500ベクレルの放射性セシウムがと検出されたと発表された。と今朝の朝日新聞の朝刊に記載されてある。このような記事がだんだん小さくなってゆく。東電の賠償はあまりにも酷いものだ。それなのに、電気料金の値上げとはとうてい受け入れられない。電力は自由に買える社会を早く作ってもらいたいものだ。

2011年9月23日 (金)

田川紀久雄日記

昨日から電話機の調子がおかしい。こちらからは電話が相手に通じないのだ。八王子でもそのような現象があったという。これは台風の影響なのかもしれない。
相棒は台風の影響の疲れで昨日は仕事を休んでしまった。駅での6時間以上の待機は身体にもよくはない。これで皆勤手当がふいになった。通勤の遠い方は帰宅が出来なかったのではなかろうか。
ワレリー・ゲルギエフのショスタコーヴィチの交響曲の4番の演奏は聴き応えがある。演奏に熱が感じられないものはつまらない。生きているそのことを感じさせてくれるものを私は求めている。詩人達の朗読も熱のない朗読ほど退屈を感じてしまう。そこになぜ朗読をするのかの問いがないと、聴き手を得ることが出来ないだろう。

2011年9月22日 (木)

田川紀久雄日記

相棒が台風の影響で、帰宅したのが午前2時をすぎていた。JRが夜遅くになって再開したにもかかわらず混雑でなかなか電車に乗れなかった。品川駅で待っていたが、あまりの人の多さに乗車することができなかったという。それに本数があまりにも少ない。再開してからのJRの対応があまりにも拙すぎる。相棒が帰宅するまで福島ロック祭をテレビで見ていた。猪苗代のバンドがなかなか良かった。
詩集『神話の崩壊』を来年に上梓したい。そしてそのあとに『いのちとの対話』の予定である。昨日そのうちの一編を書いた。人生そのものへの応援詩を書いてゆきたい。

2011年9月21日 (水)

田川紀久雄日記

台風15号が大きな被害を出している。日本経済はますます苦境に立たされてしまう。生活が苦しくなっているのに、増税は慎重に行なってもらいたいものだ。国会議員の削減を行なってから、増税について論議をしてもらいたいものだ。相棒は夏の手当金もなければ冬の僅かなボーナスもないらしいと漏らす。二人で八万の生活は苦しいものだ。
昨日萠さんから、詩集代を戴く。彼女の生活も大変なのに申し訳がない気持になる。いまの私はいただけるものは何でもいただいている。それは次の詩集を上梓したからである。これも保坂さんが低価額で詩集を作っていただけるお陰である。
原発の再稼動が来年の八月ごろになるという。国と電力会社はどうしても原発事業を続けていきたいらしい。汚染土の除去の方法すらまだ解らないのに、避難地区の解除を目指している。福島の人たちの苦難は私たちが想像する以上に大変である。そして愛知県での花火問題も花火職人の心を傷つけてしまった。原発事故以前に作ったもので保管もちゃんと行なっていたのに、たった数人の苦情で福島の花火が打ち上げることが出来なかったとは残念である。

2011年9月20日 (火)

田川紀久雄日記

昨日の朝日新聞の文化欄から。『核抑止力」論が正面化』の中で「自民党の石波茂政調会長(元防衛相)も雑誌(サビオ)10月5日号で、原発を維持することは「核の潜在的抑止力」になっており、原発をなくすことは、「その潜在的抑止力をも放棄することになる」と語ったと書かれている。プロトニウムは核兵器にいつでも転換できるために必要だというわけだ。そのような意味では日本は大量の核兵器をもっていると同じことになる。原発は平和利用という隠れ蓑の役割を果たしてきたともいえる。それが福島原発の事故により神話が崩壊してしまった。なぜ自民党が原発を推進してきたのかは石波氏の意見ではっきりしてきた。核の三原則などまったくのまやかしでしかなかった。
新宿の紀伊国屋ホールで石橋幸コンサートがある。山本萠さんから招待券をいただいたので出かける予定である。
ハイドンの初期の交響曲はただ聴いているだけで楽しい。何の理屈もいらない。音楽そのものを聴いているといった感じだ。聴きながら眠り込んでしまった。

2011年9月19日 (月)

田川紀久雄日記

ドイツでも日本でも原子力事業から撤退する会社が出始めている。柏崎原発の下請けの仕事が急激に少なくなったという。そこの従業員の生活がどのようになってゆくのか心配だ。福島原子力の中で働いている人たちの中でも収入の格差があるという。命がけの仕事なのだからもっと賃金を支払ってもよさそうなものだ。
昨日妹に会ったが、血が便と混じってでるという。明日はCTを取るという。心配だ。
私の留守中に松田さんが山崎方代の資料を届けてくれる。先日はカンパまでいただいた。
詩誌受贈『グッフォー・56号』

2011年9月18日 (日)

田川紀久雄日記

今日は妹に会いに出かける。妹も私と同じ病である。
昨日のライブは、いかにして詩の言葉を聴き手に届かせることができるのかを試みた。これは簡単であるようで、なかなか難しい。詩人達の朗読を聴きにいっても、何を朗読したのかほとんど記憶に残らないことの方がい。これはやはり聲の力があるから試みられることだと思う。お金を取る以上それなりのことをしなければならない。今年のライブはこれでお終い。来年に向けて自分の新たな道を模索していかねばならない。舞台に立つということはいかにお客さまに貢献することができるかということだと思う。いのちを語ろうの会は、お客様ともっと話し合える場を作ってゆきたい。

2011年9月17日 (土)

田川紀久雄日記

朝日新聞土曜日に夕刊に赤川次郎『芸術三昧』が連載されている。原発事故以来反原発にたいする記事がかかれるようになった。オペラの話も楽しかったが、次回で最後になるという。過激な記事を書いてきたのだから、おろされたのかもしれないと読者は思ってしまう。作家でまとものことを言うのは赤川次郎氏ぐらいだ。反原発のことを言うと眼に見えぬ妨害を受ける。原発推進派の圧力を感じる。前総理の菅氏への圧力は原発推進派の人たちのなせることではなかったのか。何故あそこまで民主党も自民党も公明党の議員は圧力をかけたのか。それは東京電力からしこたま献金を貰っていたからではないのか。
野田政権になったから、原発が再稼動をしてゆく。経済界の笑う顔が見えてくる。
今日はライブだ。詩人はどんな圧力に対しても負けてはならない。心に思っていることを語ってゆくべきだ。福島の山林の汚染度をどうして除去してゆくのか。だれも答えられない。それでも政府は全力で汚染度を除去してゆくという。未来の子供たちのために闘い続けるべきである。

2011年9月16日 (金)

田川紀久雄日記

明日鶴見の東鶴堂ギャラリーで詩語りライブがある。そこで「鎮魂歌」を語る。心を込めて語ってゆきたい。被災地の人たちの苦しみは想像を超えたものがある。今私ができることはひたすら語り続けることしか出来ない。名もない時は人はなかなか集まらないが、その時こそ芸を伸ばす時なのである。所詮詩人だから、それほど希望をもつこともない。出来ることだけを行なっていくだけだ。
昨夜テレビで本田美奈子の歌を聴いた。心に響く聲だ。魂の聲といってよい。私も語りに魂の聲を響かせたいものだ。末期ガンから四年経つ。そのあいだに詩集八冊も上梓してきた。そして回数は少ないがライブも何度か行なえた。いま精一杯生き抜くことがいんちへの恩返しである。そして東日本大震災のための応援詩を語れることは、なんという歓びであろうか。困難との闘いこそが今を生きるということでありたい。一人でも多くの方に聴いてもらいたいと思っている。

2011年9月15日 (木)

田川紀久雄日記

福島の汚染度を何処に捨てるのかいまだに示されない。全力で対処しますといっても、何も具体的な解決策が打てない。この狭い国で原発事故が起きれば、どうにもならない事態になる。それでもまだ原発を続けようとする野田内閣の姿勢には問題がある。東京都が天然ガスで発電所を建設する案がある。出来るだけ原発の電力に頼らないで電力を賄えるようにしていただきたい。
いまなんだか解らないが、とても精神的にまいっている。寝ていてもずっと起きている気分である。ときどき夢にうなされる。

2011年9月14日 (水)

田川紀久雄日記

フランス・ガール県にあるマルクール原子力地区で、原子力関連施設で爆発が発生した。1人が死亡、4人が負傷したとフランスのマスメディアが報じている。しかも放射能漏れの可能性があると報じられた。 (ロケットニュース24)
インターネットとかえらの引用だ。政府はどのようなことが起きたのかを国民に教えず収束宣言をした。やはりまずいことには蓋をしてしまう。国家というものは何処の国も同じようだ。
東京電力が電気料を値上げするという。それも三年間、そのことも信じられない。それに賠償問題での書類はあまりにも複雑すぎてとても書けないものなのだ。これは東電の社員が出向いていってわからない人には書いてあげるべきだ。
小笠原眞さん、本田なり子さんから温かいお手紙とカンパをいただく。こころからお礼を申し上げます。市村幸子さんから詩集代を戴く。みなさんの温かい励ましで私は生きていられる。病院代や漢方代で月に数万円かかる。ガンとの闘いは一人の力では生きてゆけないものなのだ。私は本当にみんなの温かい力でいきている。詩語りでは何も恩返しが出来ないが、それを行い続けることがせめてもの恩返しとなれればと思うだけだ。詩人とはなんと自分勝手な人間なのだろう。日々反省するだけだ。

2011年9月13日 (火)

田川紀久雄日記

昨日は十五夜であった。久しぶりで見た。秋がそこまで来ているというのに、昼間はまだ暑い。
このところ胃の調子がすこし思わしくない。あまり気にせずに前を見て生きていこう。被災地の人たちを見ているとつらい。本当の孤独と闘わなければならないのだから。あまりにも国の復興案が遅すぎる。予算がないというだけで何も出来ないでいる。政府が進めようとしている消費税の値上げは断固反対してゆきたい。いま行なえばますます国民生活が困窮するだけだ。じりじりと物価が値上がりをしているというのに。
前の家のシズー犬が糖尿病で眼が見えなくなった。いつも呼ぶと飛んできたのに。とても心が痛む。産業道路の交差点近くでネコに餌を与えていたが、大きな紙にネコに餌をあげるなと書かれて貼られていた。その書いた主は犬をネコにけしかけているのだ。未来は鼠に生まれ変わるだろう。割合とネコ嫌いが多い。優しさを失った人間はいかにしても救いようがない。

2011年9月12日 (月)

田川紀久雄日記

東京と京都で原発反対デモが行なわれた。東京では十二人が検挙された。自民党の石原幹事長はデモはヒステリーだとはつげんする。原発反対でもは生命に関わる問題である。反対をするのは必然的な行動である。それをヒステリーなどと暴言するようではいままでの原発政治をおこなってきた自民党のそのものの姿である。足腰の悪い私はデモに参加ができないが気持ちの上では共に参加している。
昨日は東日本大震災半年目であった。テレビでも新聞でも大きく取り上げていたが、少しも復興が進んでいない姿を見ると辛く感じる。政府がどんと復興費につぎ込むことが求められている。
『策通信12号』の仕事が入った。これで国民保険代が支払える。長くパソコンを打っているとどうしても手の痺れがでる。でも仕事があることはとても助かる。年金のない私には詩集をうって語りを行い、いくらかでも収入を稼ぐしかない。できれば詩集の仕事が欲しいものだ。

2011年9月11日 (日)

田川紀久雄日記

いま被害地はますます絶望感が強まっている。少しも復興のビジョンが見えてこない。そして福島の原発事故での放射能の影響でわが家に帰れる見通しがたたない。その中で鉢呂大臣のとんでもない発言。当然辞任である。人の心の痛みのわからない人を大臣にする野田首相の責任もある。
被災地にはこれから心の応援が求められている。今大切なのは心のケーアなのである。詩集「鎮魂歌」をお求めになった方には無料で私たちの聲(DVD)を届けてる。聲を発することも一つの心のケーアにつながる。そのことを信じて語りを続けてゆきたい。人の心に届く語りを求めて精進していくしかない。仏の心のように穏やかで温みのある聲を求めて生きてゆきたい。長い間語りを行なってきたがやはり時代の中で語りの方法も変ってゆく。この時代に身をまかせるしかない。ここまでやってきたことが意味のあるものにしてゆきたい。
島村直子さんから購読料が送られてくる。数人の人から詩集代も送られてきた。本当にありがたい。義援金の一部にしてくださいとある。犬猫に活動している団体に寄付をしてゆきたい。

2011年9月10日 (土)

田川紀久雄日記

Tさんより、十七日のライブの予約が入った。いつも聴きにきていただいて有り難い。聴きに来ていただけるお客様に、聴いてよかったと思う語りを披露したい。生活費を少しでも得るために語りと詩集を売ることは大切なことである。ゆとりがあって詩集を上梓するのではない。人に伝えたいものがあるから本を出版するのだ。そしてそれを聲に出して伝えたいと思っている。自分で企画してそれを行なうには相当なエネルギーが必要だ。朗読する人たちは自分の根拠地を持つことで朗読の深みを掴み取ることが出来るようになる。
私の同世代の詩人達が、俳句の世界に移って行く人が増えている。それは詩の限界を感じてなのだろうか。私は出来るだけわかりやすい言葉で詩の深みを表現してゆきたい。べつに難解な言葉の表現をする必要もない。普段使われている言葉の中で詩を見いだしてゆきたい。詩を語るということもその道の一つである。詩は内的な要因で生まれてくるものである。
『いのちを語る』も参加したい方を募ってゆきたい。いま大切なことを皆で見つめてゆきたいものだ。

2011年9月 9日 (金)

田川紀久雄日記

島村洋二郎〈青い光〉遺作展 東日本大震災の義援金の報告

島村洋二郎 <青い光>遺作展は無事に会期を終え、皆様のおかげで
とてもよい展覧会になりました。

さて義援金の送付先ですが、次のように送りましたので御報告させて頂きます。
まず、義援金は、コンサート、詩語り収益と有志からの寄付などで
合計90,000円となりました。

●「アート&セラピー協会 東日本支援クレヨンネット」
http://www.heart-color.com/archives/2011/03/post_102.html

●「神戸文化支援基金」(「アーツエイド東北」実行委員会設立に協力しています。)
http://www.gallery-com/cultural/index.html

●「東日本大震災緊急災害時動物救援本部」
http://www.jpc.or.jp/saigai/

それぞれに30,000円ずつ送金いたしました。

被災地及び被災した方々の復興の一助になることを願います。
それから島村洋二郎展開催にあたりご尽力いただいた島村直子さん
及び関係者の方々にあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。
(キッドアイラックアートホール スタッフ一同)

昨夜、島村直子さんよりご連絡をいただいた。キッドアイラックアートホールのインターネットの引用である。私たちの詩語りも義援金の一部に役立てたことに思うとやはり嬉しいものだ。
「鎮魂歌」の詩語りをだれか企画してくれる人がいないものだろうか。収益金は義援金としてもらいたい。

2011年9月 8日 (木)

田川紀久雄日記

放射能で汚染された地域の野生動物にもおきな影響がでている。イノシシ・キジ・その他の動物にも汚染が確認されたという記事。当然人間も同じであると考えて良いだろう。福島原発から三十キロ以内のペット捕獲はどうなったのだろうか。牛などは走り回っている写真が新聞に掲載されていた。放射能汚染はいかに生き物のいのちを蝕むものなのかを痛感に感じてしまう。
『嶺35号』の原稿が入る。これで詩集代の一部になる。ありがたい。それに中村不二夫さんからカンパをいただく。彼もエッセイ集を上梓したばかりで大変なはずだ。心よりお礼を申し上げる。
ガンになってから詩誌が送られてくる数が減った。私の方も漉林の時のように発送が出来なくなっている。それでも百人以上の方には送っているのだが。手作りにはどうしても発行部数に限界がある。できるだけ年間購読者になっていただきたい。今月号はいくら増刷したが全部なくなってしまった。それは詩集を送るためでもあったのだから仕方がない。そろそろ相棒の詩集も作ってあげたい。

2011年9月 7日 (水)

田川紀久雄日記

台風での死者が100人を越えてしまった。自然の恐ろしさを身にしみて感じる。東京に来なくて良かったというより、もし東京に紀伊半島のような雨が降ったら、東京はどうなっただろうかと思うと恐怖に駆られる。
川崎は多摩川が氾濫したら、私の住む場所も床上浸水しただろう。かつて多摩川も大きな氾濫があった。スパー堤防を中止したことは間違いではなかったのだろうか。仕分けで朝霞の米軍跡地での公社の建設を指し止めをしたのが、いつの間にか復活をしている。その時の財務大臣が野田さんであった。民主党はこんなちぐはぐのことをやっていたら、国民は不信をだくだけだ。どじょっこ政策は国民を苦しめなければよいのだが。消費税を上げる前に国会の議員の数を減らすことから始めてもらいたい。

2011年9月 6日 (火)

田川紀久雄日記

台風の被害があまりにも大きすぎる。政府の対策本部の設置が遅い。まさか想定外とは言い訳をしないだろうね。
操車場が今日発送ができる。昨日『鎮魂歌』と並行に書いていた詩作品が一冊の詩集になる。上梓したいが金がない、詩集が売れるとありがたいが、期待はできない。
十七日の出版ライブに向けてテキストを聴き手に語りかけるように稽古をしている。小説と違ってこの語りかけることが詩ではとても難しい。でもこれが出来なければお客は聴きにはこない。お客の心に届く語りこそ最上のものなのだ。
昨日から山頭火全集を再読し始める。どうにもならない自己との問答にひきいられる。

2011年9月 5日 (月)

田川紀久雄日記

紀伊半島は土砂災害や河の氾濫で大きな被害がでた。長閑な村が一瞬のうちに地獄図に変る。人間は自然の前にはどうすることも出来ない。
失業者が増え続けている。世の中は貧富の差が広がっている。今年の大きな災害によりますます生きずらい世の中になってきた。日本という国力のなさを肌で感じる。国民は国に頼って生きていけなくなりつつある。預金がゼロの私たちは日々不安が募るだけだ。この不安感が精神的にマイナスの方に追い込まれてゆく。私の周囲にも鬱病にかかり入院してしまう人もいる。だからこそ人明かり的な生き方を求めていかねばならない。人明かり的な語りを目指して生きていかなければならない。人に生きる勇気と活力をあたえるものこそ本当の語りなのだ。自己満足的な朗読など無用なものなのだ。自己を解放するためだけの詩の世界ならそれはあまりにも虚しい。現代詩はそこを越える力があるのだろうか。詩の理論を考える前にそこのところをじっくり考えてから詩の話を始めてもらいたい。
書籍受贈『中村不二夫著・詩の音』

2011年9月 4日 (日)

田川紀久雄日記

朝地震がある。川崎は震度3である。地震がだんだん関東地方に近づいてくる。中国地方は大雨で大変だ。いつ何が起きても不思議ではない。天変地異がどうにかなっているのだろう。その中でいのちを守る運動は続けなければならない。まずは原発の即停止からはじめてもらいたい。この原発に対する報道が少しおかしくなっている。プウルトニウムについて何も報道がない。このプルトニウムは肺がやられて苦しむ。それにそれがあればその土地には住めなくなる。そのようなことを報道したら日本はパニックにおち込む。
操車場の発送は六日以後になりそうだ。
次の詩集の構想が固まってきた。人に対する思い遣りをなんとしても書いてゆきたい。そして原発のことも。

2011年9月 3日 (土)

田川紀久雄日記

『野田佳彦首相は2011年9月2日夕方、首相として初めての記者会見に臨んだ。冒頭、東日本大震災からの復興と、福島第1原発事故の収束を最重要課題として強調。定期検査で停止中の原発については、ストレステストの実施と地元自治体の理解を前提に、再稼働を進めたい考えを表明した。』とインターネットのニュースに書かれてある。これは財界の要請によるものなのだrrっろうか。もう我々国民は安全という言葉には全く信頼していない。
台風の影響で四国や中国地方が大変な被害がでそうだ。東京に来る予定が四国方面に行ってしまった。その中でサッカーの試合が行なわれた。日本は朝鮮にからくも勝った。本田がいないとやはり違う。

2011年9月 2日 (金)

田川紀久雄日記

操車場の原稿が揃わないので印刷が少し送れそうだ。手作りで出しているので印刷にも二日から三日かかる。そして製本も一人で行なう。詩集も操車場と一緒に送る予定だ。少しでも送料の負担を減らしたい。
朝鮮学校の無料化を自民党は阻止しようとしている。子供たちの教育で政治的な駆け引きはしてもらいたくない。民主党の時代に原発を廃止の方向に持っていってもらいたい。次の戦況でもし自民党が勝利したら、原発がどんどん再開してしまう恐れがある。福島で亡くなった人たちの身体から放射能を浴びていることが解った。現に生きている人たちにも放射能を浴びている人たちが大勢いるはずだ。いのちの尊さを守り抜くには原発の中止を訴え続けてゆくだけだ。
詩集『鎮魂歌』を購入していただいた方に「鎮魂歌」と「希望」の入ったDVDを差し上げます。注文は漉林書房まで。

2011年9月 1日 (木)

田川紀久雄日記

今日は病院だ。
セシウムの影響が観光地にでている。東電は観光地に対して損害賠償の相談は受け付けていない。菅政権が終ったとたんに原発の再開の話が出始めている。自然エネルギーでは電力が賄えないという。そこで原発と組み合わせて電力を行なう。このようなことをいう人がテレビの画面に映し出される。原発事故で苦しみ辛い人たちに対して彼らは何も考えないのだろうか。あくまで経済優先の社会はもう終ったはずなのに。

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