田川紀久雄日記
南相馬市の警戒区域でさまよう牛の群れが朝日新聞にのっていた。なんともいえぬ悲しみを感じだ。この原発事故で誰もが責任をとっていない。この牛たちと同じように福島の人の中では各地をさまよっている人たちもいる。何の保証もない。生きる希望が持てない。そして夜の名kは円高だ。それも七五円である。これでは輸出する企業はやっていけないだろう。こんな時期に民主党の代表者争いでよいのだろうか。政治は国民からどんどん離れていっている。
現代詩がすこしも面白くないのは、人間の存在を描けないでいるからだ。単なる言葉遊びにすぎない。言葉があまりにも軽すぎる。これでは聲をだしても腹に響いてこない。朗読以前の問題が何も解決されていない。詩人の聲というのだから、そこには魂に響きわたるものがなくてはならない。
昨日の雨でやっと猛暑が止まった。今朝のアサガオは見事な大きさと美しさがある。心が癒される。それに比べると人の咲かせた言葉はなんと虚しいのだろう。
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