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2011年7月10日 (日)

田川紀久雄日記

南スーダンが独立をした。これからが大変だ。まず子供たちの学校が求められる。大変だが夢がもてる。それに対して福島原発事故には未来がまったく感じられない。相馬市の牛肉からセシウムが検出させる。放射性物質の影響がどんどん広がっている。
人間の豊かさとは難だろう。原発を求める豊かさは何か虚しさを感じる。ゆっくりと人生が作られるのではなく、ひたすら消費しるしかない。森の美しさと同じように時間をかけてゆっくりと積み上げてゆく社会こそ大切なのだと思う。
詩の朗読もそうだ、ゆっくりと時間をかけて稽古を積み上げてゆくことだ。誰の為でもない。日々聲を研鑽することの中でしか聲の力は育たない。数年やったからといって聲の力がつくものではない。聲の大きな大木を目ざしてゆくしかない。まず自分の聲の歴史を刻むことから始まる。テキストを読むことが朗読と思っているのなら、それは大変な誤りだ。詩人の朗読に求められるのは揺るぎのない聲の力である。そこに向けて突き進んでゆくことだ。

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