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2011年7月31日 (日)

田川紀久雄日記

昨夜はいのちの有り難さを感じた。もしガンでなくなっていたらライブなど出来なかったのだから。それも素敵なホールでできた。これもすべて島村直子さんのお陰である。そして聴きに来てくれた客様のお陰だ。満席の会場で祈りを込めて語ることが出来た。聴きにこなかった人には残念であっただろう。日々の精進がやはりいかに大切かを実証できた。いろんな人たちの出会うことができるということは生きていてもっとも嬉しいことである。身体の疲れは一つの仕事をやり終えた歓びの疲れだ。これからももっと精進して深みのある語りを行なってゆきたい。来て頂いた方々に感謝を申し上げます。ありがとう。

2011年7月30日 (土)

田川紀久雄日記

保安員のやらせ問題はあまりにもひどいものだ。原発の安全利用など最初からウソだったのだ。そして福島県の母親からセシウムが検出された。これはチルノブイリと同じ量だという。ただちに人体には影響がないということもウソである。原発関係はすべてウソで固められた世界である。いまなお福島原発の中には放射能が充満して人が立ち入りできないところがある。それなのになぜ収束に向かっているといえるのだろうか。保安員の作り事に私たちは付き合わされてきた。
円高も76円になった。日本経済の先行きがまったく見えなくなってしまった。そして新潟・福島の豪雨での災害。川崎も朝の五時ごろ猛烈な雨が降った。今日の夕方六時からライブを行なう。人の心に感動を与えられる語りを行ないたい。

2011年7月29日 (金)

田川紀久雄日記

ゴウヤが日々成長してゆくのを見るのが楽しみだ。パソコンの前の窓を開けるとゴウヤの実が眼の前にある。ゴウヤは次から次へと実をつける。
福島原発事故は、次から次へと被害が広がっている。先日国際原子力人が見えたがの、原子力発電は間違いなく収束にむかっていると、発言していたが、セシウムの影響で被害が広がっていることを見ないで引揚げていった。いちどばら撒かれた放射性物質はそう簡単には取り除けない。畜産農家のひとたちが自殺に追い込まれている。そして未来の子供たちにとって計り知れない影響がある。長い間には遺伝子が壊されて、人間の生態にも変化が現れてくるかもしれない。これはとても怖ろしいことだ。
核は人間にとって害になるだけで、平和利用などは決してならない。原子力発電は平和利用という名目で外国にプラトニウムの脅威を与えていただけのことだ。もんじゅの発電は危険きわまりもない発電なのだ。いま六ヶ村周辺も放射能の汚染で大変だという。この村の人たちは年収一千万以上あるという。中国の鉄道事故でいち早く賠償金を貰ってた人たちのことは言えない。人間とはとても弱い生き物なのだ。だれもが簡単に批判できない。

2011年7月28日 (木)

田川紀久雄日記

今日は朝から病院だ。一万円を取られてしまう。
復興増税は定率と決まった。相棒のようにパートの人たちからこれ以上税を絞り取ったら私たちの日常生活は成り立たなくなる。被災地の人たちからも税を巻き上げるのだろうか。これは東電の電力料金を値上げするのと同じだ。無能な国策がますます国民を不幸にするだけだ。それにいま急激な円高である。そして消費税も値上がりしたらこの国は滅びてしまう。所得月に十万円以下の人たちからは復興税をとらないでもらいたいものだ。物価もこのところ酷い値上がりだ。ケーラー代も支払えなくなってしまう。こんな暑い夏はどう過したらよいのやら不安でたまらない。

2011年7月27日 (水)

田川紀久雄日記

放射能物質を長年に亘って少しづつ浴びた経験のない私たちには、いくら身体に影響がないといわれても信じられない。原爆の経験があっても、原子力事故での放射能の資料がない。それでこの程度の放射能は大丈夫だとよく言えたものだ。このように言う学者は東電の回し者かとおもわれても仕方がない。いま幼い子がいる親たちはどんなに不安を抱えて生きていることか。こんどは腐葉土から高いセシウムが検出された。これでは子供達を公園では遊ばすことができない。中国の新幹線事故の隠蔽と同じではないか。最近では放射能の測定結果を報道しなくなった。政府は国民一人ひとりに放射能測定機を持たすべきである。そうすればどこが危ない場所かわかる。
昨夜は腰が痛みシップをして寝た。グルダの平均律を聴きながら眠りについた。
冨上芳秀さんから詩集『祝福の城』が送られてきた。とても楽しませてくれる詩集である。眠れぬ夜にこのような詩集はありがたいものだ。
詩誌受贈『あるるかん・27号』
詩集受贈『冨上芳秀詩集・祝福の城』

2011年7月26日 (火)

田川紀久雄日記

昨日メールの受信が出来なくなった。ヨドバシカメラにいって直してもらう。まったく機械に弱い私はパソコンがちょっとでもうごかなくなるとお手上げになる。
中国の食料は昔はほとんど手を出さなかったが、原発事故以来放射の影響を避けようとおもって手を出すようになった。細やかに放射能の測定がなされないと福島産にはちょっと腰が引けてしまう。
このところ地震が多く起こっている。昨日も二回ほど身体に感じる地震があった。あまりにも古いおんぼろ屋なので大きな地震が起こるたびに肝を冷やさなければならない。
我が家のゴウヤを収穫して食べた。とても美味しかった。苗が三つあると食べきれないほど実がなる。相棒は毎日せっせと水をやっている。玄関にはアサガオが伸びている。花を見るのが楽しみだ。

2011年7月25日 (月)

田川紀久雄日記

昨日は腰が痛み身体も辛かった。久しぶりに銭湯に行った。
詩人で、詩というものを特別なことのように思っている方がいる。詩と言うものは生きているすべての現象をいうものだ。決して表現方法だけの世界ではない。生きているそしていのちとの対話が詩を生み出してくれる。詩は頭で考えるのではなく、五感を通して感じるものである。
キッド・アイラック・ホールは語りに適した場所だ。天井は高く広さも肉聲に適している。詩語りはあまり状況が良くないところで行なっている。多分いままで味わったことのない環境だ。身体の調子を整いて語りと向き合ってゆきたい。

2011年7月24日 (日)

田川紀久雄日記

昨日島村洋二郎展のオープニングに参加する。家に帰るまで身体がちょっときつかった。公園に行く以外ほとんど外出しない私には、身体が衰えていることを痛感した。近所の行動はほとんどオートバイである。
飯館村のドキュメンタリーをテレビでほんの少し観たが、とても辛い話だ。放射能によって農地が汚染されることは農家にとっていかに過酷なことか。それにしても国の対策の遅れはあまりにも酷いものだ。
いまなお原発を推進しようとする人たちは悪魔の手先としか見えない。確かにいま自然エネルギーはまだ不自由分である。でも牛の汚染よりも日本全国民は汚染されている。未来の子供たちのことを思うと怒りが湧いてくる。
檜山隆史さんよりカンパをいただく。もう何年あっていないだろうか。昔の仲間達ともう一度酒の飲み交わしたいものだ。

2011年7月23日 (土)

田川紀久雄日記

今日から島村洋二郎展が始まる。信州日報にも記事が掲載された。
ライブがあるから精進するのではなく、生きるために精進をすることが一番大切なのである。聲の力は日々の努力の中でしか培われない。紫圭子さんが昨日素晴らしい朗読をしたという。彼女は以前から朗読に対して真摯な態度で行なってきたからだ。身体の調子が良いときに一度聴きにいってみたいものだ。「詩人の聲」でその人が向上したときは褒めてやることは大切なことである。ちょっとした励みがさらに進歩に繋がるからだ。
またここ数日下痢が続いている。そして腰の調子もあまり良くない。その中でも私は聲を鍛え続けている。それは自分の人生の質を深めてゆきたいからだ。そしてできれば何とかそれで生活費をすこしでも稼ぎたいと願っている。それには誰にも負けない語りを目ざして生きねばならない。日々の闘いのなかで、真の聲がもとめられてゆく。

2011年7月22日 (金)

田川紀久雄日記

なんだかわからないがこのところ精神的にまいっている。詩が書けない。
野間明子さんからメールで原稿が届く。
以前から読んでみたいと思っていた本が古書店で百円で手に入れた。それは鴨志田穣著『遺稿集』(講談社)である。鴨志田さんは川崎の人である。漫画家の西原理恵子さんの旦那であった時期がある。だからどうしたといわれても困る。人間的には困る人かもしれないが、もの書きにはとても興味をそそる人間だ。
詩の朗読は、テキストを伝えるという意味ではそれほど面白いものではない。それなのに何故詩人は朗読をするのだろうか。聲の目的には、テキストを伝えることや、芸能としての聲を発することがある。そして霊的な聲の方法もある。詩人にとってこの三つの方法を一つに行なうことに意味があるように思える。それは詩の発生によるところが多いからだ。だからこそ基本になるのは聲の力である。ひたすら聲の力を身に付けることが求められている。


七月三〇日 キッド・アイラック・アート・ホール
○詩語り「いのちを語ろう」宮澤賢治・島村洋二郎の詩から
   田川紀久雄・坂井のぶこ
   「洋二郎を語る」後藤洋明×島村直子
7月30 日(土)18:00〜20:00 
入場料2000円 (ドリンク付き) 要予約 先着50名
1階ホールにて

(収益の一部は東日本大震災の義援金にさせていただきます。)

2011年7月21日 (木)

田川紀久雄日記

無名の時は誰もが相手にしないが、一躍名をはせると人は突然変異するかのような行動を起すものだ。人との付き合いはこの無名の時代にいかに応援してくれたかによってきまる。だから無名の時はどんな困難にも負けないで頑張れるものだ。私は詩の朗読を志している人達の中で誰にも負けない稽古をしている。言葉だけの友達は一杯いるが本当の友はなかなかいないものだ。三十日のライブもほとんど予約が入っていない。だからこそ自分自身に負けないで生きていこうとつねに思っている。芸というものはそう簡単に成長するものではない。つねに精進を続け、長い修行の中でしか先に進まない世界でもある。常に自分との闘いがあるのみだ。それは人の感動をあたえたいという願いから生まれてくるものだ。
なでしこがここまでこれたのは、サッカーがだれよりも好きであったということと、大きな夢に向かって生きていたことだ。選手のほとんどが仕事をしながら練習を続けてきたことだ。試合があってもお客はまばらであった。サッカーが出来る歓びがそれを支えていた。わたしのライブもいつも数人のお客であるが、やはりライブが出来る歓びはなんともいえぬものがある。たった一人のお客の時も全力でやってきた。一人のお客さまでも聴いていただける人がいることが嬉しい。だからこれからも大きな夢に向かって生きていたい。

2011年7月20日 (水)

田川紀久雄日記

原田芳雄さん死去享年71歳。かつて彼は荒川の河川敷きで聲を張り上げていた。そこは私も足立に住んでいたとき同じ場所で東京に向けて聲を出していた。そのような意味で原田芳雄さんにはなんか親近感を覚えていた。先日テレビで「ぼくらの時代に」出ていたのをみた。まさかその時こうもやく亡くなると思っていなかった。二年前には大腸の手術をした。なくなった原因は腸閉塞といわれている。またひとり個性派の俳優が亡くなった。寂しいものだ。
セシウムやプロトニウムなどが大気圏に大量に放出されアメリカでも検出されている。のほんはなぜプロトニウムはなぜ日本政府や東電はほとんど発表しないのだろうか。ますます不信が深まるばかりだ。
関西では台風六号の影響でおおきな被害がでている。
窓側に植えたゴウヤは三つの身がなっている。今週には食べられそうだ。沖縄の豆腐を買って収穫祭をしたいものだ。

2011年7月19日 (火)

田川紀久雄日記

福島原発の3号機の窒素注入がそれほどの効果がない。なにしろ穴だらけの原子炉に注入をしているのだから。本当のことを知りたいものだ。
牛への汚染が広がっている。思っている以上の数である。大学教授や放射能センターによる、セシウムの影響はほとんどないという報道はあきれて物がいえない。幼い子供たちに内部被曝することによってのリスクはまったくないという言い方は変な話である。これは牛だけの問題ではない。まだ隠されていることがあるに違いない。外国へ日本の野菜などまだ輸出できないでいる。風評被害と言っていられない。そのためには政府はきちんとデーターを公表すうことである。東電も政府もまだまだ原発事故に対する考えが甘いといわざるをえない。外部被曝・内部被曝に日本中の国民は恐怖にさらされているのだ。それなのに経済連は原発を再開されるために脅しをかけている。このままだと企業は外国に出ていってしまうと。いまこの原発政策にはっきりとノーということが人間として大切なことである。人間以外のすめての生き物達にとってもだ。

2011年7月18日 (月)

田川紀久雄日記

なでしこジャパンがアメリカに勝つ。とうとう全部見てしまった。あきらめない精神力に感動する。私たちの語りも人に勇気を与えられる世界を作り上げてゆきたい。ある場所から外された私たちはそれを乗り越えて、本当に感動を与える語りを行なってゆきたい。だから誰にも負けられない。そのためには日々の精進しかない。そしてあきらめない精神力を蓄えてゆくことである。生活は厳しいが夢を持って生きることは語りの世界を生きるためには大切なことだ。八月六日にも横浜のジャズライブハウスで語りが出来る。
川崎の臨港地区も三月十一日の地震で、そうとうな液状化現象が起きたという。しかし工場はそれを公表しない。東京の近くで大地震が起こればコンビーナト地帯は非常な危険が起こるかもしれない。江戸時代にも大きな地震で液状化があったという。東京湾や川崎地区でも埋め立てが行なわれてきた。その対策もほとんど行なわれていない。東日本大地震があったにも関わらず、行政は立ち入って工場内の敷地を点検できないでいる。もう経済優先の社会から人間のいのちの優先な社会作りをはじめてもらいたいものだ。

2011年7月17日 (日)

田川紀久雄日記

朝日新聞の一面に「原発導入へ偽装報告書」が掲載されている。原発は最初からウソで固められたものであった。
この度の事故でテロ行為の可能性を示したともいえる。原発事故で国そのものが簡単にくずれてしまう。それなのに今までこ対策は何一つなされてこなかった。核の恐ろしさを平和利用という言葉で覆い隠していたのだ。原発を推進を人たちの精神がまったく理解できない。
牛肉の被害が広がっている。これも放射能の恐ろしさを軽視したからだろう。福島県もいまさら対策の遅れを言っても何もならない。まったく事故がおきたときの想定が何もなされて居かかったからだ。経団連が原発がなければ電力不足を言っているが、この経団連の反対派に対する脅かしはそうとうなものだ。人間にとって本当の幸せとはなにかという問いを全く存在しない。宮澤賢治がデクノボウ哲学を打ち出したことを考えてもらいたいものだ。「銀河鉄道の夜」にも本当の幸いとは何かを何度も叫んでいる。
私たちは今月の三十日にこの宮澤賢治の作品を語る。この度の大地震でなくなっていった人たちいや一人ひとり魂に向けて語る。ひとりでも多くの人たちに聴いてもらいたいものだ。そのためにひび精進をしてきた。本当の詩の語りを多くの人に届けたい。

2011年7月16日 (土)

田川紀久雄日記

このところお腹の調子が悪い。毎朝下痢が続いている。暑さで身体もバテ気味だ。クーラーを使うと腰が痛むのであまりクーラーのある部屋にはいられない。
被災地では家のローンで困っている人たちが大勢いる。そして仕事もない。工場の破壊で仕事にも就けない。前向きで生きようといっても、出来ないで絶望の淵をさまよっている。本当に困っている人たちに義援金が使われないものだろうか。あまりにも大きな苦しみを味わって生きねばならないことに国はいくらかでも手助けをできないものなのだろうか。これから自殺者が増えるかもしれない。被災地のでは多くの海水浴場も閉鎖されている。生活の場を失っていく。
いまサクランボウや牛肉の安売りが目立つ。福島産の牛肉は売れなくなるだろう。風評被害と言っていられない問題がある。国の対策が後手後手にまわっているからだ。少しぐらいの肉を食べたぐらいでは身体に問題がないという大学教授たちの発言にはあきれてものが言えない。子供たちの身体にセシウムが入り込むと遺伝子が壊されてゆく。それがどんな微量であっても不安を拭いさることなど出来るものではない。安全だといわれるたびに危険だといわれている思いだ。いまできることは子供達から放射能を守ることだ。子供たちのいのちを守るためには、偽大学教授と戦うことも必要だ。
いま総理を引き釣り降ろすことよりも、反原発のために戦う国会議員になることの方が必要だ。未来の子供たちのためにどうあらねばならないのか、そのことを抜きにして権力闘争に明け暮れする議員は議員バッチを外して国会から立ち去るべきだ。

2011年7月15日 (金)

田川紀久雄日記

スーパーホットスポット 次々発見 世界遺産の中尊寺も汚染の報道もある。福島県だけが危険な場所ではない。関東・東北地方はかなりのスーパーホットスポットがある。牛肉問題でもこんどは三十キロをこえた淺川地区の牛肉からセシウムが見つかった。もう食料として転売されている。人体にはそれほど影響が無いという人たちは何を根拠でいうのか。一度セシウムが人体に入り込めば、そのひとは長年不安を抱えて生きていかねばならない。いのちは心のいのちも含まれる。
それに畜産農家のひとたちや避難した人たちの保証問題がほとんど進展していない。生活地獄に追い込まれている。どこまで国や電力会社が損賠弁償をしてくれるのかさっぱりわからない。こんなに酷い眼にあっていても何ら国が対策もうてないでいることに腹立たしく感じる。こんな時鳩山元首相は原発を推進しようとしている。彼こそ早く議員を辞職してもらいたい。国民をこんな酷い眼にあわせた原発は一日も早く廃炉にすべきである。いま福島原発で何が起こっているのか。それはとても危険な作業が続けられている。一歩誤れば日本は直ぐに沈没してしまう。
国民にとって大切なのは、いかに苦しみの合っている人たちの心のソバに居てあげられるかだ。いのちを守る詩人としては怒りが頂点に達している。

2011年7月14日 (木)

田川紀久雄日記

女子サッカーは3-1でスウェーデンに快勝。素晴らしいチームである。安心して観ていられた。東日本大震災に大きな励みに繋がる。
菅首相は将来脱原発を明言する。まだ道筋は見えないが、この発言は大きい。どんな批判を受けようがこの発言には誰もが応援するだろう。原発に対しての菅さんの発言には驚きを覚える。自民党の細田議員は原発政策の反省は無意味だ」という。このような自民党の体質では、国民は自民党に政権をゆだねることは出来ない。この福島原発事故から何を学んでいくのかが問われている。その一つの答えとして脱原発ではなかろうか。自民党時代の原発はいかに国民を欺いて成立してきたかということだ。ひたすら安全という言葉を強調することによってしか成立しなかった原発製作であった。ヒロシマ・ナガサキのことを忘れない国民として菅さんの脱原発の明言に応援してゆきたい。
いま失業率が増大している。何とかして経済の建て直しに向かっていってもらいたいものだ。しかし円高が日本の経済の足を引っ張っている。被災地に支払われるべき義援金のほとんど手付かずである。この問題は早く解決してもらいたいものだ。
f分の1の舘野さんからカンパを戴く。ほんとうにありがたい。

2011年7月13日 (水)

田川紀久雄日記

朝日新聞も脱原発の方針をうちだした。そして自然エネルギーの開発も目覚しいものがある。原発に使かっていた資金を自然エネルギーの開発にまわせば、十年以内に卒原発が可能になる。福島原発から三十キロ以内でも、その土地にひがみついて闘っている人たちがいる。国はそのような人たちの手助けを一切しない。牛肉問題でもセシウムはほとんど人体には影響しないという。こんなに大問題になっているにも関わらず、人体には影響が無いといい続けるつもりなのか。かえって人心に不安を煽っているだけにしか思えない。原発サンセイ派の人たちは福島の惨状を凝視しないのか。いのちに関わる問題をこうも曖昧にされていることに対して怒りを覚えるだけだ。
ガンの治療にものすごい放射線治療のマシンがある。一台四十億円するという。その治療代が約三百万円という。貧乏人にはとてもての届かない話である。放射線の平和利用とは医学の世界だけだと思う。ガン治療の医学の進歩は目覚しいものがある。といっても末期ガンの治療にはまだまだ救いの手が届かない。やはりガンで亡くなっている人は相変わらず多い。
「島村洋二郎に詩より」を六十冊作る。三十日のライブの日に来て頂いた方々に渡す予定である。

2011年7月12日 (火)

田川紀久雄日記

山形県知事と滋賀県知事が脱原発の方針を打ち出した。放射能の影響が広まっている。『直ちには影響はありません』という言葉はいかに人を騙した言葉であったかが伺える。そして今なお三号機は高い濃度の放射性物質が出ている。作業が出来ない状態だ。福島県の子供たちに甲状腺の影響が出始めている。なぜ政府はすぐにヨウ素を飲ませなかったのか。いまなお政府は福島にたいして対策を打ち出せないでいる。それなのに、何故原発の安全宣言を行なおうとするのか。国が責任を持ちますといっても、それはたんなる言葉上のことにかすぎない。
詩集『鎮魂歌』を印刷所に送る。八月の二十日頃に出来上がる。いのちの辛さがこの詩集のテーマになっている。被災者にとっては小さな応援かも知れないが、いま心の応援が大切なのではないのかと思う。生活費を切りつめてなんとか上梓したい。そして出来るだけ買っていただけると助かる。

2011年7月11日 (月)

田川紀久雄日記

今日で東日本大震災から四ヶ月である。日本人の心が思って以上に絆が広げられた。人を思う心が日本人の原点にあるような気がする。それに反して国会議員達は様はどうにもならないテイタラクである。
原発再開の条件に日本版ストレステストを入れることで決着がつきそうだ。より安全対策を行なうことで再開をしてもらいたい。でもそれも何年後には廃炉をすることを決めてから行なってもらいたい。
梅雨はあけたというが、こう猛暑ではあたまがの回転がどうにかなりそうだ。こう暑くてはクーラーを使用しざるを得ない。といってケーラーをつかうと身体の調子も悪くなる。相棒は窓越しにゴウヤを植えて暑さ対策に懸命である。パソコンをうちながら小さな黄色の花を見るのもおつなものだ。公園での語りの稽古も暑さでまいってしまう。三十日に向けて頑張るしかない。聴きに来てくれる人たちのことを思って精進するのみである。

2011年7月10日 (日)

田川紀久雄日記

南スーダンが独立をした。これからが大変だ。まず子供たちの学校が求められる。大変だが夢がもてる。それに対して福島原発事故には未来がまったく感じられない。相馬市の牛肉からセシウムが検出させる。放射性物質の影響がどんどん広がっている。
人間の豊かさとは難だろう。原発を求める豊かさは何か虚しさを感じる。ゆっくりと人生が作られるのではなく、ひたすら消費しるしかない。森の美しさと同じように時間をかけてゆっくりと積み上げてゆく社会こそ大切なのだと思う。
詩の朗読もそうだ、ゆっくりと時間をかけて稽古を積み上げてゆくことだ。誰の為でもない。日々聲を研鑽することの中でしか聲の力は育たない。数年やったからといって聲の力がつくものではない。聲の大きな大木を目ざしてゆくしかない。まず自分の聲の歴史を刻むことから始まる。テキストを読むことが朗読と思っているのなら、それは大変な誤りだ。詩人の朗読に求められるのは揺るぎのない聲の力である。そこに向けて突き進んでゆくことだ。

2011年7月 9日 (土)

田川紀久雄日記

原発で働く人たちには頭が下がる思いだ。それに対して本社で働く幹部職は下請けのひとたちの痛みを感じることができるのだろうか。これはどこの会社でもそうだが本社員とアルバイトとの格差はあまりにも大きい。アルバイトは所詮使い捨てである。人間として扱われていない。この利益社会では、人間が人間として向き合うことは難しい。例えば森を見ていても、この森は心を豊にする森と、そうではない森がある。ゆっくりと時間をかけて育った森には安らぎがある。これは人間社会にも当てはまる。利益だけを目標する社会では人間がそだたない。九電のこの度のメール事件でもそのことが一目瞭然だ。とくに原発産業は隠蔽があまりにも多すぎて健全な企業とはいえない。これではいくら国が安全だといっても誰もが信用しないだろう。一日もはやく自然エネルギーの開発に国は予算を組むことだ。これからまた原発サンセイ派が動き始めるだろう。それは今まで原発推進してきた人たちの組織が巨大化しているからだ。ただ金で縛られているだけの組織である。そこには未来などどこにも感じられない。人間としても思いやりが感じられない。寂しい組織だ。

2011年7月 8日 (金)

田川紀久雄日記

今日は朝から病院だ。
今年中は原発の再開は無理らしい。すぐに原発廃止はどうかなと思っていたが、九電の体質をみると、原発の再開はどうみても許せない。これから数年日本は大変な時代を迎えるが、それに耐えて自然エネルギーの開発に力を入れてもらいたいものだ。核のない本当の世界平和を目指して日本は進んでもらいたいものだ。横浜市でも民間の家に太陽エネルギーの促進運動を行なっている。少しずつでも自然エネルギーに代えてゆければ原発がなくてもやっていけるような気がする。いまこそ日本人の技術開発が問われている。
個人的にはもっと語りに力を入れて生きてゆきたい。そして平和といのちを語る詩人に成長してゆきたい。
操車場に参加していただける詩人を募っています。毎月書くことによって詩人たちが成長していけるような場にしてゆきたい。金銭的は大変だが何とか頑張って生きてゆきたい。生きることはやはりつねに自己との闘いである。
高橋馨さんの原稿がメールで送られてくる。連載詩はこれで最後になる。秋あたりに詩集として上梓されるという。楽しみだ。

2011年7月 7日 (木)

田川紀久雄日記

「九電、原発賛成メール指示」と朝日新聞の朝刊に書かれている。原発に関しては旧体質のままだ。このようなことで玄海原発が再開されてはたまらない。原爆と原発は違うといってきたが、本質的には変らないのだ。強い放射能を浴びれば人間は死ぬということにはかわらない。ナガサキは九州である。なぜもっと放射能に敏感になれないのだろうか。この度の福島原発事故を真剣に考えてもらいたい。いまも危険にさらされている。3号機4号機は何も手が回らないままである。もう原発事故を忘れかけているとしか思えない。九電のメール事件は、国民を侮辱した行為だ。
国会は相変わらず権力闘争の場と化している。被災地のことなど何処吹く風といったところだ。言葉だけが復興といいながら被災者の心を傷つけているだけだ。被災地の人たちは必死に生きようとしている。なぜそれが見えないのか。選挙の時は福祉と叫びながら、いざとなると何もしない国会議員。国会議員の定数は早く半分ほどにしてもらいたい。こんなところに無駄な税金は使われたくはない。消費税の値上げ問題の前に取り組まなければならない問題だ。

2011年7月 6日 (水)

田川紀久雄日記

川崎区の扇島に日本最大の太陽発電ができる。地域地域にこのような太陽発電ができれば、原発に頼らなくて住むのではなかろうかいくら原発が安全といわれてもとても信じがたい。それに核ゴミをどう処分するのかさえわからない有様だ。無限に増え続ける核のゴミが日本全土を覆ってしまう。いまの六ケ所村の施設ももう満杯なのだ。そして危険な場所になっている。どうみても原発はできるだけ早く止めるべきである。原発推進派の人たちの顔をみるとあまりいい顔とはいいがたい。
操車場の発送が終った。長谷川忍さんの詩ではないが、その人の詩を読めばその人の生き方が見えてくるものだ。そこが言葉の恐ろしさかもしれない。

2011年7月 5日 (火)

田川紀久雄日記

今年の三月で国の借金は924兆円である。これは原発事故と同じ大問題である。ギリシャの国のことを考えると、未来が暗くなる。国債を発行しなければ東日本大震災の復興の目途が経たなくなる。消費税の問題もなかなか難しい問題だ。そんな折、松本復興相の発言があまりにも情けない。被災地への思いやりがまったくたりない。
五月に自殺者が三百人を越えてしまった。震災や原発事故の問題が影をおとしているのかもしれない。人事ではなくとても辛いことである。
操車場今日印刷を行なう。明日にも発送が出来そうだ。
佐野カオリさんから、さくらんぼが送られてくる。毎年ありがたい。このさくらんぼは最高の美味しさだ。

2011年7月 4日 (月)

田川紀久雄日記

今日と明日で操車場50号を仕上げたい。よくもここまでできたものだ。そして末期がんの宣告を受けて七冊の詩集を上梓してきた。十月には八冊目の詩集を上梓する。四年間でここまでやってきた自分自身に驚く。これもみんなの温かい励ましがあったからこそできたものだ。生きていると書かなければならないテーマが次から次へと出てくるものだ。それも生き物のいのちに関わる問題だ。印刷の面で助けてくれる保坂さんに感謝をしなければならない。
福島原発の四号機の冷水をどうするのだろうか。温度が高すぎる。危険がつねにある。日本人は直ぐに眼の前の出来事を忘れる。だから原発の再開がはじまるのだ。いこじいに反対する姿勢がないのか。いやなものはいやだというだけでも良い。緊急時準備区域の避難住民の帰宅が加速している。本当に安全なのだろうか。心配だ。

2011年7月 3日 (日)

田川紀久雄日記

玄海原発にからむスイシン派の人たちは、相変わらず福島原発事故以前の考え方だ。国が責任を持っても、いざ事故が起きれば誰もが責任などとれない。福島原発事故を見れば誰でもわかることなのに、なんて人間は浅はかな生きものなのだろうか。
昨日川崎の丸善に行ったが原発のコーナーが取り除かれていた。国民はちゃんとした原発の理解をもつべきだ。知れば知るほどこの原発は無謀なことが解る。
いま小児ガンが二千人以上年間で発生している。この福島原発の事故でこの数が増加していく可能性もある。こどもたちの白血病はとても怖ろしい病である。幼いいのちがこのやまいに蝕まれるのは家族にとってはとても辛いものだ。原発スイシン派のひとたちは人のいのちをどのように思っているのか。詩人である私はこの命が蝕まれてゆくことに黙っていられない。いま『神話の崩壊』という詩集に取り組んでいるがなんとか書き続けてゆきたい。詩は肉聲をもって語られなければならない。詩に耐ええる聲を身につけることも忘れてはならない。

2011年7月 2日 (土)

田川紀久雄日記

『川崎市港湾局は1日、川崎港東扇島の外貿埠頭で、輸出予定だった中古の乗用車から毎時62・60マイクロシーベルトの放射線量を検知し、輸出を取りやめて車を仕入れた業者が引き取ったことを明らかにした。』という記事があった。福島にはものすごい放射能がまき散らかされた証拠だ。『福島第一原発事故と放射能線』(HNK出版新書)のはじめに山崎淑行氏はたばこの煙をたとえて放射能のことを言っているが、いくら微量の放射能でも怖ろしいものなのだ。広く薄く広がってゆく。それはとても危険なことなのである。テレビでの解説の時も山崎氏は放射能に対して無知を語っていた。
この節電で夏がこされれば、原発は必要でなくなる。そして自然エネルギーを促進していけばよいのだ。そのためにも電力買取の法案を早く国会で決議してもらいたいものだ。
今首相は外交がまったくなされていない。早く菅さんの三つの法案を了解して、次の首相を選んでもらいたい。日本はどんどん世界から取り残されてしまう。といっても誰が首相しても変らないのかもしれない。政治が国民を見放している以上世の中はどうにもならない。被災地のように国まかせではなく、自分が自ら立ち上がっていくしかない。自分が出来ることはちゃんとしてゆきたい。

2011年7月 1日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜も寝苦しかった。身体がどうかなりそうだ。ここ数年で日本の夏は変ってしまった。温暖化であろう。それを逆手にとって原発が推進されてきた。環境には良いという宣伝文句で国民を騙してきた。福島原発事故で、原発そのものは人間の生活には必要がないということがわかった。それなのにスイシン派はなにがなんでも原発を推し進めようとしている。
『いのちの籠』を読んでいて原発に関する詩は、どうしても観念的になってしまう。詩のテーマとしては難しいものだ。いま私もこのテーマと格闘しているが、思うように詩がかけないでいる。『原発のウソ』のような本のほうが説得力がある。何とかして詩として成立する地平をもとめてゆきたい。
この暑さにめげずライブに向けて精進してゆきたい。

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