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2011年6月 1日 (水)

田川紀久雄日記

詩を読むということは、書き手の心を盗見するようなものだ。どんな些細なものでも書き手にとっては大切なものなのだ。つらないと思って読んでいては、詩を読むことが出来ない。相手を思う心が詩を読むことによって身につく。生の本質は日常の何でもない生き方の中に隠されている。詩をよむことは活字を読むのではなく。その人の生を自分の心として読むことに詩の読む醍醐味があるといえる。最近私は、なんでもない詩にときどき心が打たれたりする。
このところ語りの幅を広げようと思って散文を聲にだしている。詩と違った面白さがある。散文にとって大切なのは、聲の質である。聲の質が聴き手をあきさせないコツである。それとリズムである。やってみるとそれなりの面白さがある。

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