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2011年6月30日 (木)

田川紀久雄日記

午前中は病院で検査をおこなう。
今月も今日で終わりだ。なんとなく長い六月であった。とくに急に猛暑が襲ってきた。お碗型の高気圧で日本中が覆われてしまった。もうクーラーを使用しなければ生きていけない。
人間は愚かとしかいえない。原発事故に苦しめられている人たちをみながら、玄海原発が再開されるという。古いものを廃炉してゆく方針があるのならば、許されるが何んら未来にたいしての方針が示されていない状況では断固反対をしてゆきたい。小出祐章著『原発のウソ』を読み始める。

2011年6月29日 (水)

田川紀久雄日記

B型肝炎訴訟決着するが、あまりにも遅すぎた。原因は注射器の使いまわしであった。多くの方々が辛い思いをした。
電力会社の株主総会が昨日あった。脱原発の提案を否決された。これはある意味での終末思想でもある。未来のことより今が大事という考え方が。今の文明はあるいみで刹那主義でもある。豊かな地球を死の地球にしようとしている。
窓側にゴーやを植えてなんとか涼しく過そうとしている。語りの稽古に公園にいってみたがとても暑くて長い時間は無理だった。暑いせいか頭の回転も鈍くなった。

2011年6月28日 (火)

田川紀久雄日記

『鎮魂歌』を語ると一時間十五分かかる。詩集としては丁度良い。一時間を語るには、簡単にできるものではない。やはり半年ほど精進をしないと人前ではできないものだ。今詩人達は簡単に詩集をまるごと朗読をするが、それはただ読んでいるにすぎないのではなかろうか。経験はとても大切である。以前のビデオを観てもやはり語りきれていない。いろんな経験を通してしか人は進歩しないものだ。同じ詩集をなんども人前で朗読することで上達してゆくものだと思う。日々精進していても毎日何かが違う。だからひたすら稽古を積み上げていくしかない。
『詩と思想』の7月号が届いたが、そのなかで下前幸一さんが『いのちの聲』を取り上げてくれた。これは思いもよらないことであった。ありがたい。そしてインフォメーションで「島村洋二郎展と語り」を載せていただいた。
泉谷栄さんから食料が送られてくる。とても助かる。彼の病状もとても心配だ。そして阿字の発行が遅れているのも心配だ。

2011年6月27日 (月)

田川紀久雄日記

原発賛成派の動きが凄い。東電との癒着の議員が自然エネルギー法案を阻止しようとしている。前原議員の菅批判は大衆を無視した発言だ。原発事故いらい菅おろしが激しくなっている。核のゴミの処分場がもう一杯なのに、これ以上原発を続けようとする。金権がからむと人のいのちよりそちらに眼が眩んでゆく。いま横浜市は太陽エネルギー対策を進めている。
浜川崎のガードしたにネコが十匹ほどいる。そのなかの一匹が足を汚した。車かなにかにはねられたのかもしれない。そのネコをかばうネコはいる。怪我をしたのがアイでそれをかばっているのがトラだ。この二匹を見ていると胸がジーンとしてくる。猫には猫の社会があり、友情もある。生き物は精一杯生きて、そして死んでゆく。それは人も猫も同じことだ。福島原発事故で政府のとった動物に対する仕打ちは酷い。いま犬たちは野良犬かしている。そのうち処分されてしまうのだろう。横浜の市民団体が犬猫を救援している。犬猫のためのチャリティー朗読会ができないものだろうか。保坂さんの助けで詩集も格安で出来そうだ。もし利益ができたら犬猫への義援金にしたい。私はいのちの応援隊として詩を語ってゆきたい。

2011年6月26日 (日)

田川紀久雄日記

物書きは本を上梓することで一つの仕事をやり終えた気がするものだ。『鎮魂歌』もそのような意味でどうしても本にしたいものだ。詩集というものは売れないものである。この度の東日本大震災をどのような形で受け止めてきたか。その答えが一冊の本である。歌人、詩人達のなかにはもう上梓している人がいる。何とかして十月頃までに上梓したいものだ。いま語りの仕事が欲しい。何処でも良いからこの鎮魂歌を語ってゆきたい。
私はいま懸命になって生きてゆくしかない。必死になって生きてゆく中でいのちの聲が成長してゆける。詩を語ることは、ただ意味を伝えるためではない。聲の中に自分に生をすべて投げ込むことである。その覚悟がなくては詩の語りはできない。まだまだいのちを語る詩人として生きて行かねばならない。この大地震で多くの人々がなくなっていった。その一人ひとりのためにも鎮魂歌を語ってゆきたい。

2011年6月25日 (土)

田川紀久雄日記

このところ原発の報道がめっきり減った。何かを隠しているような気がする。毎日いまどのような状況にあるのかを報道をしてもらいたい。一年後の太平洋の放射能の濃度は核実験を繰り返していた30年のときと同じになるという。ほんとうに魚が安全であるのだろうか。とくに幼い子たちにとっては大変な問題なのだろう。国はいつものように人体には影響が無いということだろう。
昨日は前橋など39℃を越えた暑さだった。もう昼間はクーラーがないと生きていけない。自然環境が悪くなっているからだろう。街中にも自然を取り戻す運動がおこれば、いくらかでも涼しくなるだろう。高層ビルだらけの町では風の通りが悪い。森のある街づくりをしてゆきたいものだ。
詩誌受贈『水盤・8号』

2011年6月24日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜は寝苦しかった。熱中症になりかけた。身体がとても熱く感じられて息苦しかった。昨夜は沖縄慰霊の日であった。沖縄に米軍基地があまりにも多すぎる。原発と同様になくしていかなければならない。中国の軍備増大にたいしてどうのようにしてゆけばよいのか。安心して住める沖縄を目指して考えてゆきたい。
『復活』もいのちを中心にした作品にまとめた。これで語りやすくなった。なんとかして十月ごろまでに上梓したいものだ。『復活』の冊子を一冊でも買っていただいた人には謹呈をいたします。あとは出来る限り売って印刷代を捻出したいものだ。
自民党の中で河野太郎さんだけは応援してゆきたい。なぜ震災のためにみんなで協力していかないのだ。政権だけを求めるいまの自民党には反吐がでる。東電からいままで多額の献金をうけていた自民党が原発反対運動に怯えているとしかいえない。楽天も経団連から抜け出した。原発のない世界を作るために頑張ってもらいたい。

2011年6月23日 (木)

田川紀久雄日記

原発を国有化して続けようとする議員がいる。段階的に廃止していくことだ。福島原発の事故を見てまだつづけようとする精神がわからない。福島はまったく復興の道筋がたてられない。川崎や東京でも放射能が倍近くになっている。
ひょっこりひょうたん島はネコで復活を目指している。ネコとともに暮らす島を応援したいものだ。
詩集『復活』を本にするためには随分はぶかなければならない。聲を出しながら確認をおこなっている。心の支えになる詩集を上梓したいものだ。眼で校正するのではなく聲で作品を校正することもまたたのしいものだ。

2011年6月22日 (水)

田川紀久雄日記

今日は真夏日だという。数時間でもクーラーを入れたくなる。そうすれば電気代もあがる。どこかで生活費を切りつめなければならない。被害地の人たちの中には工場も失われ、仕事もなくなった人たちのことを思うとつらくなる。
飯館村の人は村から避難しなければならない。残っている人たちの気持もわかる。原発がなければという気持ちがわかる。平和利用の原発が一旦事故を起すと取り返しのならない事態を惹き起こす。ある時期がきたら、国会を一旦解散して原発の問う選挙をやるべきだ。保保安員が原発再開のために地方の原発に赴いたという。福島原発で保安員達の説明のでたらめさにうんざりしているのに、あきれてしまう。いまなお福島原発は先が見えない。国民の不安は日々高まっている。

2011年6月21日 (火)

田川紀久雄日記

詩人たちの朗読に、詩人自身が無関心である。それは、詩人達が聲の力を獲得することを怠ってきたためである。聲を出すことは簡単でもあるが、人に聴かせる聲となると別な話になる。杜甫の時代は、詩はうたうことでもあった。それが書くための詩になっていった。そのことによっても詩の持つ豊かさが失われていった。活字だけで満足をしていては人々の心には浸透していかないものだ。生活の場に引き戻すにはやはり聲の力を借りる必要がある。朗読は決して特別なものではない。日常の中でおこなわれるようになると詩ももっと豊かさを取り戻すのではなかろうか。詩人達は詩を聴くたのしみを忘れているようだ。
九月十七日(土)の第三回『いのちを語ろう』では詩集『復活』を語る予定である。やはりちゃんと東日本大震災応援詩を語りたい。

2011年6月20日 (月)

田川紀久雄日記

いま世界中に放射性物質が広がっている。日本の原発もいままで随分放射能漏れ事故を起してきた。いまだに公表しないものもある。ガンが増加しているのも、この放射能とは無関係ではない。特にいまは二人に一人がガンになるといわれている。テレビのコーマシャルもガン保険が目立つ。毎日テレビ広告をしても儲かるとみえる。いままでガンになっても、放射能との因果関係で原発に訴訟はできなかったが、福島原発によって八年後あたりがら因果関係が認められるだろう。そうなると東電の支払いは莫大になってゆく。そのためにも放射性物質の検査は必要である。いまのところ福島県だけが対象になっているが、それだけでは収まらない問題だ。
今日の朝日新聞の一面に、「イラクの村核汚染の陰」放射性物質の容器、貯水に転用されて八年経てガンが相次いでいるという。それと劣化フラン爆弾の問題もある。日本の原発にはどうみても無理なことばかりだ。いままで賛成してきた国会議員たちはそのことに口を噤んで権力闘争に明け暮れている。最悪の状態がいつまで繰り広げられるのだろうか。

2011年6月19日 (日)

田川紀久雄日記

川崎詩人会がある。二ヶ月に一度であるが、楽しみの一つである。原発の再開の機運があるが、福島原発の収束まで待つべきではないかと思う。そして何故このようなことが何故起こったのかを検証してから再開を行なうべきだ。自然エネルギー法案をはやく成立されてもらいたいものだ。日本がどのような道を進むのか明確にしていかねばならない。
昨日東海道線に乗ったが社内の蛍光灯も何本か外されている。いままで電気を使いすぎていた。自然エネルギーを大切に使って、原発がなくても生活が出来る世の中にしてゆきたい。
相棒はゴウヤを育てている。暑い夏の対策である。窓側に三本の苗を植えて育てている。これがうまくいけばいくらかは涼しい夏を過せる。
パリに輸出した静岡茶から放射性物質が検出された。なぜ輸出する時に厳しい検査をしなかったのだろうか。まだまだ日本人は放射能に対して考え方が甘いような気がする。もういちどヒロシマ・ナガサキを考えなくてはならない。まるで他人事のような気がしてならない。

2011年6月18日 (土)

田川紀久雄日記

今日は横浜まで妹に会いに行く。
昨日はほとんど眠れなかった。山がくずれてくる夢を何度となく見ていた。夢を見ていたということは思った以上に眠っていたのかもしれないが、目覚めた時には頭が重苦しく感じられた。
昨日で地震から百日目だという。いまも捜索をつづける家族を思うと苦しみと悲しみが押し寄せてくる。いまにも押しつぶされてしまう人たちが多くいる。警察官や自衛隊が懸命に捜索に当たっている。彼らの無言の努力には頭が下がる。それに対して国会では不平不満だらけの議員でいっぱいだ。彼らは現地に行っても何の役にも立たない。国会議員は一日でも良いから死者の捜索活動をやらせた方がよい。
原発の汚染水の濾過作業が今日から本格的にはじまる。うまくいくことを祈る。これ以上海に汚染水を垂れ流しにされては叶わない。
生活保護を受けていた人たちが、義援金をうけとると支援が打ち切られる。変な話だ。義援金の目的はそのようなものではないはずだ。行政の指導をみていると可笑しなことばかりだ。

2011年6月17日 (金)

田川紀久雄日記

原発の沈静化するまでには、なかなか難しい。現場の人たちは大変な努力をしているのだろう。しかしそのあいだ放射能がまき散らかされている。子供を持つ親にとっては不安が募るばかりだ。東京都の放射能の検査は今回一回限りだという。なぜ原発の沈静化するまで定期的に検査を続けないのだろうか。処理場の汚染土の処分も何か不に落ちないところがある。何が安全で何が危険なのかが曖昧になっているからだ。眼にみえないものだけに怖ろしい。
詩誌『柵・295号』の柵通信欄に「島村洋二郎遺作展」の案内を載せていただいた。中村不二夫の「大震災の中の詩人2」を読む。いま詩人達がこの震災と原発事故の問題をどのように向き合って生きているのかとても興味がある。わたしはただいのちというテーマでしか向き合えない。ガンと四年も付き合って生きているのだからいのちこそ最大のテーマになる。この問題で人とあまり論争はしたくない。いのちの大切さを応援してゆきたいだけだ。

2011年6月16日 (木)

田川紀久雄日記

北方文学の原稿料としてお米十キロが送られてきた。これはとても助かる。ちょうどお米がきれるところであったからだ。
冨上芳秀さんからハガキ通信が送られてくる。
『復活』を心をこめて語れるようにしてゆきたい。応援詩なのだからいい加減には語れない。津波で死者は二万人を越えている。これは数ということでは済まされない。あくまでも一人ひとりの人生が失われたということだ。一つのいのちのために語らなければならない。そして原発事故でふるさとを追われたひとたちの無念を語らなければならない。私たちの時代にこの原発をなくしてゆくことも大切なことだ。日々放射能で怯えて生きてゆく生活は子供たちに与えてはならない。いのちを守る運動を続けてゆくことが私に残された仕事なのである。それは詩を書き、それを語り続けることだ。『いのちを語ろう』で仲間を増やしてゆきたいものだ。そのうちに「いのちを語ろう通信」でも発行してゆきたい。

2011年6月15日 (水)

田川紀久雄日記

夢を失ったとき人の心は生命力を失ってゆく。災害者の中で、このような人たちが沢山いる。最後は孤独死になってしまう。これは阪神地震の時もそうであったが、東日本大震災でもこの問題を解決する道を見出してもらいたい。これは個人の力ではどうにもならない。
原発事故で避難に追い込まれた福島の人たちは、いつ帰れるか解らない辛さは言葉では言い表されない。仕事も失い、仲間も失いまさに地獄に突き落とされた重いであろう。東電からの保証問題もうやむやのままだ。危険だと知りながらもとの家に戻る人たちも出てくるだろう。いま求められているのは一つの絆であろう。多くの人たちが何かをしたいと思っている。どんな小さなことでも救いになる手を差し伸べてゆきたいものだ。七月のライブは入場料の一部を義援金になる。一人でも多くの人たちに来てもらいたいものだ。そしていのちの聲を聴いていただきたい。私は毎日公園で眼に見えないが悲しみに沈んでいるひとたちに向かって声をあげている。そのことは別に直接何にも役立つことはないが、それを行なう心が波動となって広がってゆくものと信じたい。祈りと愛を求めて生きていたい。

2011年6月14日 (火)

田川紀久雄日記

朝日新聞を調査によれば原発「段階的廃止」74%だという。これはある意味では正当な評価であろう。放射能の世界はいくら平和利用といってもそれは悪魔の手を借りるのだから危険はつきものだ。科学の進歩派人間の生活を豊かにもするが破滅にも繋がる。
名古屋では高速道路に太陽パネルを設置したという。自然エネルギーが広がってゆけば電気代がいくらか割高でも国民は受け入れていくはずだ。
原発をテーマにして詩を書こうとおもっているが、なかなか書けないものだ。詩になってゆかない。どうしてもどこか説明的になってしまう。説明的になればそれはもう詩ではない。大切なのは個人的な世界が広がってゆかないと詩にはなりにくい。
Yさんのところのネコの腫瘍が良くなればと願う。まいにちネコカレンダーを捲くるたびに祈るしか出来ない。きっと良くなると信じるしかない。
小杉妙子さんと山本萠さんから『復活』代とカンパが送られてくる。今日郵便局に言って支援金をいくらか送る。

2011年6月13日 (月)

田川紀久雄日記

このところ雨が多いせいか腰が痛たい。気分的にも落ち込んでしまう。手術には非常に抵抗感がある。良医師にであえれば別な話であるが、いまのところ医師が信用できない。患者の立場で話は聴いてくれない。
『復活』の詩集を上梓したいが、いまのところ印刷代がでてこない。災害地の人たちに応援詩をかいたのに、おもうように語りができる場所もない。辛いものだ。でも詩は心の病に陥っている人たちにも癒すものである。いのちをテーマに扱っていれば、何処で誰に読んでもらっても価値は変らない。
いま社会的な大きな問題を、自分の人生の一部として考えてゆくことがとても大切なことであると痛感している。しかし立場によってその価値観も大きく変ってくる。人と人との対話の難しさに戸惑いを感じてしまう。対話の反対側に書く行為が存在しているように思われる。つまり書く行為は反社会的な行為なのかもしれない。たった一人の反乱行為が書く意味なのだろう。全人類を敵にしても書かなければという気持ちが作品の価値を決めてゆくものなのだろう。

2011年6月12日 (日)

田川紀久雄日記

東電から政治献金を受けとっていなかった首相は、小泉さんと菅さんだけである。菅おろしは原発に賛成派のひとたちの陰謀ではないのかと想像したくなる。昨日は百四カ所で反原発デモが行なわれた。また外国でも。嫌なものは嫌だという、そのことが大切なことである。子供を抱えている人たちにとっては深刻な問題である。国や東電がそれほど心配は無いと言っても信じることが出来ない。いまは何でもなくても五年を経過すれば放射能の影響は出てくる。とくに体内被曝は本当に怖ろしい結果になる。
毎日福島原発の不安なニュースを見ていればだれだって原発の恐ろしさは肌で感じる。この先どうなるのかもわからない。風評被害を打ち消そうとしても、次から次へと問題が起きている原発をみているとある面ではやもうえない。外国でも日本の野菜は売れない。
小笠原眞さんからカンパが送られてくる。とても有り難い。山岸光人さんに送った操車場が戻ってきた。彼の住所を知っている方がいたら教えてください。

2011年6月11日 (土)

田川紀久雄日記

昨日横浜の赤レンガまで言って北朝鮮の工作船を見てきた。現実に観ると想像していたより大きかったし迫力もある。このようなものを観ると北朝鮮の存在が間近に感じる。いま中国の巡洋艦や潜水艦などが沖縄周辺を通過しているが、アジアにおけるこれらの軍事行動は異常な感じがする。天然資源の調達のための行動なのだろうが、国際的にみても遺憾なことでもある。中国は近くて遠い国だ。
武田徹著『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』を読み始めている。私としてはどんな理由があるうが原発は反対して行く。こんな危険なものを扱うことは人間として許してはならない。いま経済省はこの原発問題をうやむやにしようとしている。東電の追求は徹底的に行なって欲しい。そして一日も早く放射能で避難している人たちに支援と損害補償を行なってもらいたいものだ。生活者にとって一日一日はとても辛いものなのだ。この重さと辛さをどう私たちは受け止めていくのか。義援金の取り扱いも大きな問題がある。直接に困っている方々に義援金が届く方法はないものなのだろうか。多くの方々の善意が無駄になっている。いま私は犬猫救援活動を行なっているひとたちに支援をしてゆきたい。

2011年6月10日 (金)

田川紀久雄日記

五月の自殺者が三千人を越えた。十八パーセント増えた。深刻な問題である。
自宅待機で生活苦に喘いでいる人が大勢いる。生活保護の申請も増加している。テレビや新聞などで前向きに生きようのキャンペーンを行なっているが、その裏にはつねに死と向き合っている人たちが多くいる。詩はこの日陰にメスをいれなければ詩にならない。絶望とどのゆに向き合っていくか。昨日宮沢賢治の『よだかの星』を語りようにパソコンに打ち込んだ。いまの菅政権を見ているようだ。はやく退陣せよと身内からも突き上げられている。国会議員なら皆で協力し合って原発問題や災害問題に取り組まなければならないのに、足を引っ張ることに奔走している。確かに菅政権にはいろいろな問題もある。いま総理を誰がやってもそれほど変るとは思えない。強力な指導力の持ち主などいないからだ。
原発の被害がどんどん広がっている。静岡のお茶まで出荷停止になった。風評被害というが国民は安全な食品を求めている。放射性物質を体内に取り入れることはガンになりやすい体質を作ることになる。直ぐに問題はないが十年二十年先にはだれもがわからない。玄海原発を再開のはこびがある。裏で国と電力会社が動いている。くわばら、くわばら。

2011年6月 9日 (木)

田川紀久雄日記

これから日本人はもっとガンにかかる人が増えてくるだろう。原発との因果関係を証明しなければ、原発を停止できないのはおかしい。福島の子供達は他県より数十年後にはまちがいなく増えるだろう。いくら医学が進歩しても、ガンをすべての人が完治できるという保証はない。放射能で侵された細胞はガンになりやすい。それを防ぐ手だけが今はない。原発から六十二キロ離れた福島氏でもストロンチウム検出された。国の八表は微量だから大丈夫というだけだ。この微量という言葉ですべてを隠そうとする。末期ガンでいのちとの闘いをしてきた私にとっては微量という言葉で国民を騙すことには許すことは出来ない。いのちを守るということはどんなに大変なことか。そこには壮絶なる闘いがある。そのことを知ってからいってもらいたい。
森永かず子さんから枇杷が送られてくる。今年初めて食べた。とても瑞々しかった。有難うございます。

2011年6月 8日 (水)

田川紀久雄日記

IAEAの報告書は、国民がだれでもが思うものだ。それを東電と国は安全神話にのってすべてを怠ってきた。そうおもうと怒りがこみ上げてくる。
自公は相変わらず菅さんの退陣を迫っている。そんなことより、原発と被災地に力を注ぐことに力を貸すべきだ。いまの政治家は国民のくるしみなどお構いなしだ。いくら彼らが国民の為だといっても国民は政治化の論理など受け入れない。でもこれで国民が政治に興味を失ったらもっと悪くなる。国民は政治家の行動を監視して行かなければならない。戦前のような政治の無力を再現してはならない。
いま散文を聲に出しているが、詩を語るようにできないものかと試行錯誤している。意味を追うのではなく言葉にいのちを吹き込むような語りが出来れば良いのだが。お話を伝えることだけならば、本を読んだ方が面白い。もっと聲というものを深く捕らえていくべきだ。巷でおこなわれている朗読会に行っても、なかなか自分が期待する朗読に出会えることがない。

2011年6月 7日 (火)

田川紀久雄日記

昨日新町のあるアート・ホールに行って語りのハガキを置いてくる。
川崎に出て猫を餌を大量に買う。そして古書店で大西巨人著『神聖喜劇』(全五巻)を五百円で買う。五冊とも中が綺麗な本である。
連立の話は、馬鹿馬鹿しい話である。結局は権力闘争以外の何物でもない。復興の為ではない。もう自民党でも仲間割れが始まっている。被災地の聲は彼らには届かない。義援金もまだ十五パーセントしかわたっていないという。本当にお粗末な話だ。そして原発に関する保安員の話はあきれるばかりだ。国民を愚弄している以外の何物でもない。
詩語りは魂を救うものでなければならない。そこが詩人達の朗読とは違うところだ。その一点のために聲をあげるのである。
宇佐美孝二さんからカンパが送られてきた。本当に助かる。今月の残高はもう底を突いている。原発の影響で相棒の仕事も減らされている。原発には未来がない。自民党が政権をとれば、また原発の復活を目指すに違いない。河野さんのような議員は少ない。

2011年6月 6日 (月)

田川紀久雄日記

菅おろしはは連立を組むための序曲であったのか。小さな党の意見が反映されなくなってしまう。そして原発の廃炉への道も遠ざかってしまう。『朽ちていった命』を読むととても辛い。原発は地球を滅ぼすだけのものだ。電気代があかることを脅かして原発を続けようとする動きがある。いま節電の話題は、原発阻止への嫌がらせではないのか。原発がないと生活に不便が出てくるぞといわんばかりだ。東電のまやかしに乗ってはならない。
かつて川崎にも五基の原子炉があった。麻生区王禅寺あった原子炉で事故を起し廃炉になった。いまは浮島の東芝工場に原子炉が起動している。放射能は以前から川崎地区は0.05ほどはあった。それなのに福島の原発事故以後もそれほど変っていない。不思議な話だ。何かを隠蔽しているのではなかろうかと思える。
Yさんからの手紙の中に仔猫に腫瘍が見つかったということが書かれてある。この話もとても辛い。生きているあいだ精一杯大切に育てたいと合った。私も末期癌になって以来、人との付き合いも一期一会の思いで大切にして生きている。金銭的な問題で他人のライブにはなかなかゆけないでいる。
島村直子さんから七月三十日のライブのハガキが送られてきた。美しいハガキに仕上がっている。

2011年6月 5日 (日)

田川紀久雄日記

『北方文学・65号・現代詩特集』が送られてきた。私も相棒も作品が載せられている。有り難い。辻井喬・長谷川龍生・谷川俊太郎・吉増剛造らの作品もある。私と親しい人たちの作品も載せられてある。どれもこれも読み応えのあるものばかりだ。柏崎ライブの時には柴野毅実さんにはお世話になった。田川家の隣が越後タイムス社であった。あれには驚いた。この関係は鈴木良一さんのおかげである。鈴木良一さんと出会わなかったら、生まれ故郷に帰ることはなかったかもしれない。
操車場の発送も終った。次は五〇号だ。語りにいのちを注いできたことが、末期ガンに負けないで生き続けさせてくれたのかもしれない。このところ言葉になんとなくいのちを注ぎ込むことが出来るようになってきた。言葉が血となり聲となる。精進することがいまは楽しい。言葉に血を注ぎ込むことは中途半端なことでは出来ない。つねに前向きで生きていくことがなにより大切なことである。

2011年6月 4日 (土)

田川紀久雄日記

国会議員たちよ、被災地で一ヶ月ほどボランティアを行なってみたら国民の苦しみが解ると思う。どんなに悩みくるしんでいるのかを肌で感じ取ってもらいたい。想像力では人の苦しみを解らない人たちなのだから、いまさら言ってもどうにもならないが。
原発をなくすことが、この国が生き残れる最後の方法なのだ。もう一度原発事故が起これば、日本沈没は免れない。放射能汚染の多い地域の児童達を早く避難させることである。国がやる仕事があるのに放棄している現状ではひたすら怒りが募るばかりだ。
操車場は明日にでも発送が出来そうだ。次の号は五十号だ。われながら驚く。よくもここまで生きてこられたものだと思う。みんなの温かい支援があったおお陰だ。このお返しは凄い語りを行なえる人間に成長すること以外にはない。どんな時にも負けないで生きている。これは一人で出来ることではない。災害地になんとかして応援してゆきたい。

2011年6月 3日 (金)

田川紀久雄日記

昨日の国会は茶番劇であった。谷垣氏や公明党の姿勢は何であったのか。なにかの脅されておこなったとしか思えない。
野間明子さんから、ギリヤーク尼ヶ崎さんが気仙沼で踊る新聞記事が送られてきた。一時、私とどちらが先に死ぬのかという話もあったが、いまはお互いに自分の道に懸命になって生きている。自分がやりたいことがあると、なかなか死ねないものだ。ガンでなくなった川尻育も仕事がなくても日々の稽古だけはつねに励んでいた。ギリさんも近くの公園で日々稽古に精進をしている。この二人からいろいろと学んできたものだ。詩語りの道をなんとしても極めて生きたいものだ。

2011年6月 2日 (木)

田川紀久雄日記

この国の政治は、庶民からそっぽを向かれている。一丸となって復興に取り組む姿勢がない。
妹の住民票を取るにも大変だ。後見人の書類が紛失してしまった。それが無いと住民票を取れないという。国の制度はほんとうにややこしい。役所の人もとても冷たい。部屋が狭い。本が一杯積み上げているので、どこに何があるかわからない。昨夜はほとんど眠れなかった。
被害地の人たちのことを思うと心が痛む。国家の力をまったく感じない。まるで役人仕事のように思えてならない。弱者の人間はこのような時はとても分が悪い。二ヶ月も避難生活を続けていると大抵精神が犯されてくる。一日も早く仮設住宅にと思うばかりだ。
『復活』という詩集を上梓したいが金がない。保坂さんに安くやってもらえるのだが、その金の目途がなかなかたたない。相棒の仕事が四十パーセント減らされては生活もたいへんである。これから熱くなるというのに銭湯にも思うように行けないありさまだ。いまはひたすら聲の精進しかない。なかんか進歩はしないが、毎日聲をあげることが聲の力をつけるには必要なもとである。一心に聲と向かって生きて行くしかない。

2011年6月 1日 (水)

田川紀久雄日記

詩を読むということは、書き手の心を盗見するようなものだ。どんな些細なものでも書き手にとっては大切なものなのだ。つらないと思って読んでいては、詩を読むことが出来ない。相手を思う心が詩を読むことによって身につく。生の本質は日常の何でもない生き方の中に隠されている。詩をよむことは活字を読むのではなく。その人の生を自分の心として読むことに詩の読む醍醐味があるといえる。最近私は、なんでもない詩にときどき心が打たれたりする。
このところ語りの幅を広げようと思って散文を聲にだしている。詩と違った面白さがある。散文にとって大切なのは、聲の質である。聲の質が聴き手をあきさせないコツである。それとリズムである。やってみるとそれなりの面白さがある。

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