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2011年5月31日 (火)

田川紀久雄日記

最高裁で君が代起立命令合憲と判断される。スポーツなどの国際試合のとき、国歌がながれるが、あれはやめてもらいたいものだ。戦いの前に行なうのはあまり気持ちが良いものではない。スポーツは国のために行なうのではなく、あくまでも個人的な体験である。
自民党はいままでの原発政策の自己批判もなく、ひたすら権力闘争を繰り返している。いま大切なのは被害地への復興対策である。権力闘争などやっている場合ではない。どいつもこいつも政治家の顔が悪くなっている。
本を整理していたら森江信著『原子炉被曝日記』が出てきた。再読をはじめる。

2011年5月30日 (月)

田川紀久雄日記

いま『神話の崩壊』という詩集に取り組んでいる。ただ原発に反対しているだけでは、詩人としては駄目である。どこまで人間の心で捕らえてゆけるかを問わなければならない。いままで原発の恩恵は受けてきた。自分の甘えもふくめて原発を見直してゆきたい。このようなテーマはいましか書けない。
被害地の人たちのことを思うと心が辛い。いま送られてくる詩誌にこの大地震のことが書かれてある詩を見つけると丁寧に読んでいる。どのようにしてこの問題と向き合っているのかとても興味深い。

2011年5月29日 (日)

田川紀久雄日記

昨日ETV特集『放射能汚染地図』を観た。最後のシーンで犬が車の後を追いかけてくるのが辛かった。政府の対応の杜撰さが如実に物語られている。浪江町の赤字木地区の放射能の量の多さに驚く。三月十五日から解っていながら無視してきたのだ。これは一種の犯罪だ。
小泉純一郎が講演で原発は誤りだったと述べた。彼を好きではないが、過ちをはっきりと訂正するところはさすがだと思う。都知事は天然ガス利用を勧めている。ドイツでは十年後までに原発を廃炉にするという。日本政府も早く原発政策から手を引くことだ。
いま災害にあった人たちの心の病が増加している。心のケアが求められておる。深い傷はなかなか治らない。悲しい時は泣くしかない。泣くことが一番の心の支えになる。そこから前を見つめるしかない。
冨上芳秀さんの原稿のメールが届く。

2011年5月28日 (土)

田川紀久雄日記

古賀博文さんから『詩と創造・75号』が送られてきた。その中で、わたしの詩集『いのちの聲』が取り上げられていた。紹介されるとやはり嬉しいものだ。
避難している人たちのほとんどが仕事がなく一銭も収入のない。義援金はどのように配られているのか。それに国からの支援もない。一時でも生活保護がうけられないのだろうか。前向きに生きようと思っていても、なかなか出来ない人たちがあまりにも多くいる。テレビで食べ歩きの番組を見ると腹がたってくる。人間とは一体何なのだろうかと考えてしまう。お金がないと生きるにも辛いものだ。『復活』が売れた分は義援金として送ってゆきたい。でもほとんど売れないので僅かしかできない。生活費を切りつめていまは何とか生きている。古賀さんからカンパをいただいた。操車場の年間購読料につかわさせていただく。感謝。

2011年5月27日 (金)

田川紀久雄日記

菅さんがサミットでエネルギー問題で批判されたが、自然エネルギーは思いつきであったとしても継続してもらいたい。やはり日本はスイスのように自然を守る国でありたいものだ。そのためにも原発からおさらばをしなければならない。
いまの電力問題で15パーセントの削減問題は、原発がなくなると国民はこうなるのだぞと驚かされているようなものだ。原発事故をみていると東電の無能さに寒気がしてくる。原発を設計したひとの話だと、何もわからないひとたちの集団だという。
昨日購入した本。柳澤桂子著『いのちの放射能』(ちくま文庫)朽ちていった命ーNHK「東海村臨界事故」取材班』(新潮文庫)高田純著『世界の放射能被曝地調査』(講談社)

2011年5月26日 (木)

田川紀久雄日記

大阪維新の会が「君が代条例案』を昨日提出した。馬鹿馬鹿しい話だ。強制的に起立斉唱させる法案なんて気が狂っている。日本人は自分の国を誰でも愛している。国を愛することと君が代条例案はまったく別な話だ。これは人間の自由そのものを奪う法案なのだ。橋本徹知事は頭が変になったとしか思えない。天皇制の問題が何も論議されていない。
放射能汚染で川崎は0.07マイクロシーベルトと報告されているが、この報告は高さ地上から18メートルの地点で観測されたものだ。犬ネコや子供の高さで測定すれば、この数倍の測定になるという。未来の起こる損害賠償の問題でこのような測定が行なわれているという。
世の中の景気がますます悪くなってゆく。それは物価の値上がりが始まっているからだ。それと災害地の復興が遅れている。これから梅雨や台風が来る。復興に遅れている場所は早く第二次予算を組んで取り組む必要がある。菅さんはいま消費税値上げの問題をあれこれいうには早すぎる。まずは復興対策が必要である。

2011年5月25日 (水)

田川紀久雄日記

原発のことを考えていると脳が疲れてくる。それは考えれば考えるほど虚しさを感じるからだ。原発を作る最初の段階から汚れていたのだから、救いようがない話だ。人間のもつ欲望が赤裸々に展開されたからだ。平和利用という虚偽の言葉に脅されて生み出された世界である。CO2の削減に利用された原子力政策。そしてテレビ広告での偽善な放映で国民を騙し続けた。いまは金子みすゞの替え歌が巷では歌われている。すべてこれらは癒着の構図で行なわれていた。国民はこれから放射能と暮ら実ければならない。今の子供達が青年になるころには放射能によって病が出てくる。今は眼に見えないものだけに怖ろしい。
こんなとき福田史夫著の『箱根山のサル』(昌文社)を読み始める。自然や動物の本は、心を癒してくれる。植物や動物にも放射能の影響が出てくる。それを思うと原発を阻止してゆかねばならない。怒りが心の奥から湧いてくる。

2011年5月24日 (火)

田川紀久雄日記

鎌田慧著『日本の原発危険地帯』(青志社)を購入。原発を作ることによって人間が人間でなくなってゆく恐ろしさを知らされる。人のこころを騙し続けて作る原発はやはり悪魔の産物である。いまこそ原発は廃止に持ってゆかねばならない。日本は三十年も放射能にこれから怯えて生きてゆかねばならない。
津波の被害地はこれから梅雨や台風を迎えるので大変だ。いまも土砂災害で苦しんでいる人たちがいる。しかし対策は何にも施されていない。国の対応の遅さにいらだつ。それに義援金の使い道にはわからないところが多い。国民は一生懸命に応援しようとしているのに、救済が一向に進まない。それに放射能で避難した人たちの保証も何もされていない。東電の対応に腹がたってくる。
『復活』を語らさせてくれる所があったら教えてください。肉聲で心のケアをしてゆきたいものです。
詩誌受贈『笛・256号』「柵・294号』

2011年5月23日 (月)

田川紀久雄日記

詩人の存在はなんら価値のないものだと思うことを止めよう。自分が詩を書くことで生きられると思うとそれは素晴らしいことではないのか。他者のとってどうあるかより、自分にとって大切なことは生きることにとって意味がある。
人は孤独のように感じても、実は多くの人たちによって活かされている。福島の原発事故を思うと悲しみが一層強まる。そして怒りが湧いてくる。国家や東電は被爆者たちのことを真剣なって考えていないということがわかった。原発は安全がだから被爆のことは考えないで良いといった方針であった。初めから国民無視の原発事業であった。今も少しも変っていない。いのちをないがしろにする国策は断固として闘ってゆくしかない。残された人生をこの闘いに懸けてゆきたいものだ。そのために私にとっては詩が必要なのである。詩を通してしか私には表現できないからだ。詩はわたしのいのちだとも言える。だから詩は無意味なものだとは考えたくはない。

2011年5月22日 (日)

田川紀久雄日記

武田邦彦著『原発事故残留汚染の危険性』(朝日新聞出版)を読み始める。かれは原発推進派であるがどのようなことが描かれているのか楽しみだ。一市民としてこの原発については出来るだけ資料を集めて読んでゆきたい。
天災は復興への道が開かれているが、原発事故には、最後まで不安が残る。三月十一日の地震でこの天災と人災は分けて考えていかねばならない。『復活』という詩集を書いているときもこの問題がつねに付きまとっていた。原発事故で避難していった人たちのことを書くについても、津波で災害を受けた人たちの思いとは異なるものがある。特に飯舘村の人たちの苛立ちは複雑な思い出ある。村づくりに懸命に生きてきた人たちが残留汚染によって村から追われてゆく姿をみていると辛いものを感じる。いのちをまもるという観点からいえば政府や東電の情報公開の遅さがある。それに動物に対する思いやりがまったくない。
昨日原子力会議が行なわれたが、これらの市民にたいしてのお詫びの聲もない。また東電の社長が辞任したが、どれだけの退職金がでるのか国民に知らせるべきだ。天下りの人たちから給料の返済を行なうべきだ。まだまだ東電は甘い世界の中にいる。

2011年5月21日 (土)

田川紀久雄日記

日本人はどう放射能と付き合っていきていくかを考えなければならない。どこに逃げてもこの放射能がつきまとってくる。人体にはそれほと影響がありませんというだけだ。しかし放射能は日々蓄積されていて大きな問題となる。特に子供たちにとっては重大な問題だ。青年に達したころ白血病やガンになる恐れが出てくる。このようなことは許せない。末期癌になった人間にとって癌の恐ろしさや白血病の恐ろしさは言葉では言い尽くせないものだ。人生そのものの夢を断ち切ってしまう病なのだ。今までの保安員の言動には許しがたいものがある。そして政府の対応のまずさが放射性物質を撒き散らしている。植物や魚の安全性にも疑問がある。すべてが風評被害と本当に言い切れるのか、最近になってわたしは疑問が感ずるようになってきた。私のように七〇に近い人間は、それらのものを食べても怖れないが、子供たちには絶対安全なものしか与えないで貰いたいものだ。最大の風評被害は国や東電の発表ではなかろうか。
浜岡原発にも海水が入っていま大変な問題が起きている。原発の恐ろしさを国民はもっと知るべきである。原発を推進してきたいままでの総理の財産も、被災者達に提供すべきだ。国会は相変わらず国民を馬鹿にした展開をしている。

2011年5月20日 (金)

田川紀久雄日記

原発で事故があっても住民が被爆することは想定していなかった。いかに原発対策がいい加減なものであったかということだ。
子供たちの未来をおもうととても怖ろしいことである。ガンの発症率も数十年後に増えるだろう。この程度なら安全ですという保安員の言葉ほど空虚なものはない。末期癌になった私にとって黙って過すわけにはいかない。『復活』という詩を書き終わったが、原発と事故のことを新たに書きたいと思う。それは告発という形ではなく、絶望というテーマで。文学はあくまでも人間を描く世界である。
冨上芳秀さんからハガキ通信が送られてくる。『復活』に対して励ましの言葉が添えられてあった。ほとんどの詩人から無視されているので寂しかったが冨上芳秀の言葉でほっとした。

2011年5月19日 (木)

田川紀久雄日記

広瀬隆著『福島原発メルトダウン』(朝日新書)を買う。ある週刊誌のは東京では放射能が発表の五倍であるという。政府や東電の発表にはなにもかも信じられない。私たちの時代で原発を廃炉にしなければならない。放射能は平和利用ということはありえない話なのだ。中曽根は飛行機の事故を持ち出して原発問題をかつて述べていた。なんて国民を愚弄をしているのかとそのとき思った。天災と人災はまったく違う。原発はあくまで人災である。
被災地の子供が津波遊びをしている。それだけ精神的の追い込まれているのだろう。メルトダウン遊びが行なわれるかもしれない。怖い世の中になっている。節電で引ったくりが増えているという。
島村直子さんから島村洋二郎展の案内状が送られてくる。いまは七月三十日に向けて聲をあげていかねばならない。生活が苦しくても、仕事が眼の前にあることで生きる励みになる。

2011年5月18日 (水)

田川紀久雄日記

川崎の浮島に東芝の原子炉がある。近くに居てまったく知らなかった。
東電は広告関連費に250億円もつかって安全神話を作り続けていた。いくらお金をつぎ込んでも一度事故が起きればそれまでのことだ。その250億を安全対策に使かっていれば、このような大事故にならなかったかもしれない。安全神話への驕りがこのような事故を招いたともいえる。あいまいな原発論議は許してはならない。
詩の朗読は本当に難しい。肉聲だけで一時間を聴かせることはなかなか難しいことだ。テキストと聲の力が一つにならないと聴かせることが出来ない。私はただひたすら精進をしてゆくしかない。聲の力もガンのまえの状態にやっと戻ってきた。七月に向けて島村洋二郎の詩を語り続けてゆくことしかない。語っていると毎回新しい発見をするものだ。そのことがとても楽しい。楽しみながら語ることだ。

2011年5月17日 (火)

田川紀久雄日記

原発の2・3号機もメルトダウンであった。管さんが十年・二十年は戻れないといったのは正解である。国や東電は最初からわかっていたのだ。放射能の被害はとてもはかり知れない。外国人が日本から引揚げるのも頷ける。恐るべきことが起きていたにも関わらず日本人は脳天気でありすぎる。原発を直ぐ停めろとは言わないが、すべての原発を廃炉すべきである。
いま避難所の人たちの精神的苦痛は言葉では言い尽くせないものだ。病院もなければ医師の数もたりない。まさに地獄である。詩人はこの苦しみから眼を背けてはならない。

2011年5月16日 (月)

田川紀久雄日記

横浜の中華街に行って漢方を買う。久しぶりにまるた小屋でふかひれラーメンを食べる。
昨日の朗読会では、足が痛くて辛かった。絵の搬出は今日であるが、昨日申し訳がないが引きあげてきた。これで絵の展覧会も終ってほっとした。
次は七月三十日の島村洋二郎を語るに力を付けていかねばならない。ここでは一時間以上語れるので有り難い。
「詩と思想」から東日本大地震の詩の原稿の依頼が入る。このテーマではもう書きおわっているがあと一篇仕上げたいものだ。

2011年5月15日 (日)

田川紀久雄日記

東電の役員の減収五十パーセントといっても、もともとが高級なので減収されても高い給料を貰うことになる。これで電気代をあげるといったら国民は承知できないだろう。役員全員が全財産を損害に当てるべきだ。相棒の仕事も減らされて、私たちはもう生活ができない状態に陥っている。これはあらゆる企業にとっても同じことが言える。原発の影響で倒産していく零細企業もでている。被害は東日本だけではない。足柄や小田原では新茶が放射性物質に犯されて売れない。被害が一億円にのぼるという。
いつ原発が安全といわれる状態になるのかまったく見当がつかない。ますます悪くなっているように見える。
今日は横浜の万国橋ギャラリーで詩のイベントが行なわれる。『復活』をまた語れることはありがたい。いな被害地には心のケアが求められている。災害地で詩のイベントが行ないたいものだ。岩手で宮澤賢治の詩を語ってみたいものだ。

2011年5月14日 (土)

田川紀久雄日記

最近やっと語るのが楽しくなってきた。いままではただがむしゃらにやってきたような気がする。楽しみながら語れればそれが最高の語り方なのだろう。それは自満足感からではない。他者に語り聞かせたいという気持ちからである。詩人達の朗読はつまらないものと世間から言われている。そのためにもプロとはまは行かなくても、それに近い詩人達が出てこない以上世間の眼はかわらない。詩というものはそう簡単に語れるものではない。先日朗読教室の人たちが詩を朗読したが、まるで教科書を読むような朗読では聴き手には何も伝わってこない。詩とは言霊なのだ。そこの所がまったく理解していない。私と相棒が語ったら、その場の雰囲気がまったく変ってしまった。詩を聞かせるということはそのようなインパクトを与えなければならない。意味を伝えるだけでは詩の朗読にはならない。ようは魂の聲を叫べるかが問題なのだ。上手いとか下手とかそのような次元で語られるものではない。明日横浜の万国橋ギャラリーで三時から朗読会が開かれる。詩の朗読に興味のある方はぜひ聴きに来てください。入場料は無料なので気軽に、そして私たちの絵も見ていただけるとありがたい。

2011年5月13日 (金)

田川紀久雄日記

原発事故でも東電は甘い判断しかできないのか。これではいつまで経っても原発安全への道は開けない。ますます不安が募るばかりだ。
田川紀久雄詩集『復活』が書き終わる。詩集にすると丁度百ページほどになる。お金がないのでいまのところ冊子で出すしかない。冊子は三冊で収まる。福島の犬猫救援隊に売上げの一部を支援金してゆきたい。一冊五百円。手作りで発行しています。絶望とどう向き合ってゆくのかがテーマになっています。安易な励まし運動などは詩人にはできません。謹呈はいたしませんので読みたい方は注文してください。(復活・Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)
郵便振込み 00160-5-18362 漉林書房

2011年5月12日 (木)

田川紀久雄日記

足柄茶が自粛の対処になった。放射性物質の以外は何処まで広がってゆくのだろうか。それなのに、まだ原発を推進していく人たちが多い。すぐに停止とはいっていない。これはみんな欲得の問題で発生している。原発事業に関わっている人たちにとっては生活の問題であるからだ。自然エネルギーに転換する過程の中で彼らの生活を支えるようにすることも必要である。日本は一つの原発に何基も作るのは異常なことなのだ。世界をみてもこのような原発基地は存在しない。柏崎原発も7・8と作る予定である。一つの原発に八基はどう考えても以上だ。推進派が反対派のより市議会選挙には勝った。でも昔の柏崎の町の方が私は好きだった。
本田まり子さんからカンパと『復活』を購入していただいた。そして野間明子さんにも『復活』を。今日いくらかでも犬猫救援隊に支援金を送ることができる。

2011年5月11日 (水)

田川紀久雄日記

やっと東日本大地震のための応援詩を横浜で打ち込めた。詩人がいのちを込めてこれからも語り続けてゆきたい。坂井のぶこさんも何十年ぶりに『0時3分前』の一部を語った。
やっとエネルギー計画を白紙に戻すとの政府からの会見がきけた。福島原発は相変わらず目途がたたないまま危険な状態だ。
福田美鈴さんから『復活』義援金を戴く。今週中にも振り替えでいくらか送ることが出来そうだ。
画廊に八時間も居たのでとても疲れた。夜中足が痙攣してつらかった。

2011年5月10日 (火)

田川紀久雄日記

今日から絵と詩の展覧会が始まる。十時まで会場に絵を持って行かなくてはならない。午後からイベントがある。そこで『復活』の一部を語ることが出来そうだ。
冨上芳秀さんから『復活』の代金がふりこまれる。貯めておいて犬猫救援隊に送ることにする。
福島原発の三号機が不安である。本当に安全なのか解らない。原発の報道が少なくなっているのが不安だ。

2011年5月 9日 (月)

田川紀久雄日記

浜岡原発の停止はアメリカの力によるとの話だ。浜岡原発事故が起これば横須賀基地にも影響が出るからということらしい。民主党は原発を廃止にするつもりはないらしい。廃止にするにしてもそれなりの時間と次の電力をどうするかの問題がある。そのことを考えていかなければならない。それは国民一人ひとりの問題でもある。
尾崎寿一郎さんの原稿が届く。これで最後の原稿になる。ランボーのことを学ばせていただいた。これまでの参加に感謝をしたい。
相棒は五日間も仕事の待機状態である。来月は大変な生活状態に追い込まれそうだ。ただただ堪え忍ぶしかなさそうだ。明日からグループ展が行なわれる。このような行事にもう参加できなくなるだろう。何とかして詩語りの仕事を取りたいものだ。そのためにも凄い語りを目ざして精進してゆくだけだ。辛いことが詩語りに生かされてゆきたい。

2011年5月 8日 (日)

田川紀久雄日記

総理の仕事は決断力が求められている。原発の問題はもっと話し合える社会にしていかなければならない。いままで安全神話で反対派はつねに排除されてきた。昨日は原宿で原発反対デモが行なわれた。これはネットで呼びかけたものだ。市民が気楽に参加できる運動がもっと広がるといい。
世界遺産が中尊寺と小笠原に決まりそうだ。歴史と自然を守ることがやはり生きる上で大切である。利益だけを追求する社会はもう時代遅れである。川崎でも次から次へと高層マンションが建てられ風景が変ってしまった。富士山が何処からも見えたのがほとんど見えなくなってしまった。昔は日本橋からも見えたという。この富士山がいつ世界遺産に登録されるのだろうか。なにしろゴミの山といわれているのだからなさけない。

2011年5月 7日 (土)

田川紀久雄日記

浜岡原発の全停止は当然であるが、これは防波堤が完成するまでの一時的な措置である。完全な廃炉に向かわなければ意味がない。八十七パーセントの大地震の危険性がある。まだ菅総理の原発に対する考え方が甘い。
犬猫救援隊の活動は素晴らしい。一匹でも多くの犬猫を救援したという願いで活動をしている。頭が下がるおもいだ。『復活』を一冊でも多く売ってカンパをしたいものだ。
昨日インクのトーナーやその他を買い。三万円ほど出費。操車場はそれに送料を入れると四万円はでる。手間賃までは出てこない。でも発行できることは生きるバネになってくれる。お金では買えない歓びがある。

2011年5月 6日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜は太股の所が痛みなかなか眠ることができなかった。これも腰痛からきているのだろう。良いときと悪い時は繰り返している。久しぶりに銭湯にいく。子供達で一杯であった。おちついて湯船に浸かっていられなかった。銭湯代も馬鹿にならない。いまは生活を節約していく以外にはこの時期を乗り越えられない。これは原発の影響なのだ。相棒は今日から五日間仕事がない。
操車場の発送も終ってほっとしている。
昨夜島村直子さんから電話で七月三十日のイベントの件での話がある。私たちは、島村洋二郎詩と宮沢賢治の銀河鉄道で約一時間十分ぐらいあればでくると思う。その日の為にもっと読み込まなければならない。これは東日本地震の追悼の為にも語りたい。

2011年5月 5日 (木)

田川紀久雄日記

原発の推進派がもう動き出している。はじめから原発などの安全神話は虚偽であった。それなのにまだ自民党の中ではこれを続ける気でいる。いま避難しているひとたちの怒りの声が彼らには聴こえないのか。それから電気料金の値上げとは許しがたい。その前に行なうことがあるだろうといいたい。全部国民に背負わせることは断じて許してはならない。世界をみても日本が一番電気料金が高いのだ。競争相手の居ない電力事業そのものがおかしい。日本全体を活気づけるには電気料金の値上げは、国民の消費が落ち込む。原発から自然エネルギーへの転換を求めていくことが求められている。直ぐに原発を全部中止とはいっていない。原発廃止の方向に向けていくことがいま求められている。
古い本だが、飯村武著『森と環境を考える』(丸善ブックス)を読んでいる。神奈川県の森の話でとても楽しく読んでいる。詩を読むより自然の話は面白い。腰が悪くなければ、森をあるきたい。
操車場の印刷が終る。発送を今日終る。

2011年5月 4日 (水)

田川紀久雄日記

これからいろんなものが値上げしていく気配がある。収入の減で、これからどう生活を立てていけばよいのか迷ってしまう。
いまはひたすら詩語りの精進しかない。語りの間とは、心とこころの間であることに気付く。一字一字に心の間をもって繋いでいくことである。それがやっと出来るようになってきた。その感覚を掴むにはひたすら聲を上げ続けることである。進歩はなかなか眼に見えてこなくても努力していくうちに見えてくるものである。努力は嘘をつかない。人に心の感動を伝えることが詩人の勤めである。

2011年5月 3日 (火)

田川紀久雄日記

ビンラディン容疑者殺害の報道が昨夜流れた。歓声が沸くアメリカ国民をみて情けなくなった。アメリカというくには本当に救いがたい国である。
原発の補償額が四兆円案が浮かぶ。そして電気料金の値上げが16パーセントだそうだ。相棒の仕事が半分になってしまった。これでは電気料金も払えなくなる。
五月十日にもいくらか詩を語ることが出来そうだ。今は大震災のための応援詩を語ることが求められている。いのちの大切さを語ることが私の仕事なのだ。どこでも良いから語らさせてくれるところがあったらお呼びいただきたい。本当の詩の語りというものを聞かせたいものだ。

2011年5月 2日 (月)

田川紀久雄日記

詩語りも3・11以後、語り方に変化が現れたような気がする。それは以前より厳しい語り方を行なえるようになったということだ。肉聲は、その人の生き方の姿がそのままでてくる。人に聞かせることが出来るのはやはり長い年月が求められる。誰でもができるが、また誰も本当の語り手はまだ出現していない。

絶望だからこそ

絶望に耐えられた精神は
いのちの尊さと美しさを得ることが出来る
そのような人は他人に頑張ってねとは決して言わない
人生を長く生きていると絶望が何度も押し寄せてくる
まるでこの度の津波のように
ただ天を仰ぐしかない
自然は怖ろしいがまた豊かさを与えてくれる
黙って前を見つめるしかない
海に向かって手を合わせるだけだ

人はある意味で絶望があるからこそ生きられる
絶望は生きていることの証しでもある
絶望することによって
人間は人間として生きられる
人の歴史はある意味で絶望の歴史でもあったともいえる
でもそのほとんどが
自然から発生したものではない
人災によるものが圧倒的に多い

この度の東日本大地震の被災地からは
子供たちの笑い声が聴こえて始めてきた
その子供たちに励まされて
大人たちは前向きに生きようとしている
絶望と言う言葉と向き合うことが
生きる支えになる
自然災害である以上
また一から始めるしかない
ここの民は災害を何度も乗り越えて生きてきた

生きることの誇りだけは失いたくはない
私が末期ガンにも負けずに生きていられたのも
この生きることの誇りであった
絶望の中で多くの愛を感じ取ることができた
自分だけが生きたいと思うのではなく
この絶望の中でみんなが一つになって生きることで
今日という日を未来のために生きていられる

2011年5月 1日 (日)

田川紀久雄日記

朝早くから小鳥の鳴き声が聴こえてくる。五月は緑が美しい。公園の公孫樹の葉は緑に包まれている。それなのに福島原発事故で多くの人たちが苦しんでいる。それと災害にあった人たちのことを思うと心がいたい。なかなかのんびりと遊ぶ気になれない。
操車場の原稿がまだ集まらないので、印刷は一週間ほど遅れる。いま印刷業界でも紙不足と黒インク不足で大変だという。東北の災害はいろんな仕事に影響を与えている。
詩は人が生きていることのへ証しであるはずなのに、自分のことしか見えてこないものが多い。詩は文学という世界から埋没している気がしてならない。問いかける力が薄れている。肉聲を発することによって詩も変わってくると思うのだが、なかなか肉聲を鍛える詩人が現れてこない。詩壇の枠の中で行なわれているものには、今の私にはまったく興味がない。肉聲を発することには知名度など何の役に立たない。つねに世の中と向き合って生きることが一番大切なことである。

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