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2011年4月30日 (土)

田川紀久雄日記

やっと原発二十キロ圏内の動物の保護がおこなわれる。あまりにも遅い対策である。
いまの日本には原発事故処理のプロが存在しないようだ。政府でもごたごたしてちゃんとした指示ができていない。これでは国民が安心できないのは当然なことである。賠償問題でも、最後は国民に付けが回ってくるだけだ。電気代の値上げ、そして税の値上げが眼の前にある。これでは国民は踏んだりけったりである。こんな狭い日本には原発は最初から無理な話であった。国会議員は一つに団結をしなければならないのにでんでばらばらである。人は批判する前に自ら動けといいたくなる。

2011年4月29日 (金)

田川紀久雄日記

浜岡原発が七月に再開するという。こんな時期に再開することは国民の感情を裏切る行為だ。それと福島原発での爆発事故の責任問題は追及しなければならない。アメリカがいうように早く手をうてば爆発事故は防げた。官邸の責任問題も問われてくるはずだ。原発事故は地震津波の災害よりも、日本国民全体に及ぼす影響は遥かに大きい。
いまこの原発に無関心になってゆくことは、人間の存在そのものが問われていることでもある。電力とガス代が値上げするという。いま国民は生活に苦しんでいる時に何たることだ。それに国会では税の値上げ議論が始まっている。弱者は死ねということなのか。生活保護を申請しても跳ね除けられてしまう。銭湯もそういけなくなった。大変な時代になってきた。災害にあった魚市場の人たちはすべて失職だという。その中でいのちの美しさを求めて生きてゆきたい。肉聲の叫びこそ生きる原点になってゆきたい。

2011年4月28日 (木)

田川紀久雄日記

自粛するのは、先の見通しがないからだろう。原発もなかなか収まらない。観光に行く気がおこらない。いまこの観光地が大変な状態である。旅館は次から次へと倒産している。お土産屋にも人がいない。東電は、このようなところまで賠償をしてもらいたいものだ。災害で自粛するというより原発の不安の方が大きい。
詩人達の東日本地震の詩を読んでいると、自分と向き合っているものが少ない。詩のテーマは『いのち』なのだ。これは常日頃から考えていなければ書けないテーマでもある。これから詩誌でも特集が組まれるが、心の打つ作品が何篇生まれてくるのか楽しみだ。
五月十五日に行なう詩語りの稽古に入っている。3Dのように立体的に詩を語ってみたい。いのちの波を語りたいのだ。いまこそ詩語りを前向きでおこなわなければならない。肉聲こそがいのちの表現に適している。魂の叫びこそこの災害に対して向き合える表現である。
生活の為に漉林書房を復活することだ。相棒の勤め先がいま大変なのだ。収入はいつもの月の三分の一になってしまう。不安な中で闘うしかない。

2011年4月27日 (水)

田川紀久雄日記

日本の経済は外国人で支えられていたことに痛感する。観光地にもなかなか人が戻ってこない。ホテル業の従業員は次からつぎへと解雇されている。極端な自粛は困ったものだ。原因は福島原子力発電所の問題である。
鈴木良一さん保坂成夫さんの原稿が入る。足腰の痛みは相変わらずだが、私自身も頑張って生きていかねばならない。

2011年4月26日 (火)

田川紀久雄日記

東電の役員報酬が50パーセントになるという。不思議な話だ。役員報酬はゼロでなければおかしい。この原発事故で計り知れない被害を国民に与えている。相棒の仕事先も客が来なくなって60パーセントの仕事しか出来なくなった。これでは日々の生活が出来なくなる。
いまこそ国家議員の定数を半数にすべきだ。このような状況で政党意識を捨てて国会議員が一つになって復興に目ざすべきだ。
詩を二篇書いたが、少し長いので『復活・Ⅲ』に収めます。ただいまⅠ・Ⅱを発売しております。

2011年4月25日 (月)

田川紀久雄日記

昨日東電本社周辺で千人ほどのデモがおこなわれた。全国各地から集まる。
川崎詩人会での話題は、この度の東日本大震災と原発の問題が語られた。やはり詩人達もこの災害に対して多くの詩が描かれていることを知る。大切なのは、自分の問題としてどこまで書けるかということだ。
万国橋ギャラリーで行なわれるborn展で十五日(日)の三時から朗読会が行なわれる。私はこの震災の応援詩『復活』を語る予定である。
詩誌受贈『焔・88号』

2011年4月24日 (日)

田川紀久雄日記

本当に困っているところに義援金が使われていない。皆がこまっているのはわかるのだが、その中でも老人・病人などには早い対応をしてもらいたいものだ。老人ホームの職員が解雇になった。しかしその人たちを市が採用して避難所に派遣はできないのだろうか。避難所の生活はもう限界に来ている。報道を見ていると辛くなる。
福島原発は我々が想像しているより酷い状態になっているのではなかろうか。政府が一日も早く原発から自然エネルギーの方針を打ち出してもらいたい。日本が生き残るには今がチャンスである。新しい技術の研究こそ日本が目ざす道である。太陽電力も新しいものが生み出せる。そのためにも蓄電池の開発が急がれる。困難な状況の中でも夢をもとめて生きていたいものだ。
今日は川崎詩人会がある。どのような話し合えができるのか楽しみだ。

2011年4月23日 (土)

田川紀久雄日記

島田陽子さんが十八日に膵臓ガンで亡くなったことが知らなかった。生前はいろいろとお世話になった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
二十キロ圏内で避難命令があった日、動物は置いていきなさいとの指示があったという。その後犬猫救援隊が救助に二十キロ圏内に入った。昨日振込みで僅かだが送金をする。戦争中、犬猫が軍によって処分され、皮製品として使用された。いつも動物は人間によって利用されてきた。犬猫はいまは家族の一員として一緒に過してきたのにあまりにも酷い仕打ちである。私は浜川崎駅周辺の猫のいのちを守ってゆきたい。
『復活・Ⅰ・Ⅱ』(頒価五百円。東日本大地震応援詩義援金支援)発売中です。注文は漉林書房まで。

2011年4月22日 (金)

田川紀久雄日記

原発二十キロ圏内を封鎖する。これに違反すると罰金や罰則が課せられる。これは住民の心を無視したものだ。詳しい説明もなされずに、一方的な処置には不満が募るばかりだ。安全なところもあり、危険なところもある。きめ細かい対策が何故出来ないのか。原発難民にとってはたまらない思いである。
柵・293号の中で中原道夫さんが「三冊の詩集評」の中で、山本みち子詩集「夕焼け買い」と私の「いのちの聲」を取り上げてくれた。感謝。詩集を上梓して無視され続けられるのはやはり心苦しいものだ。やっと詩誌に取り上げてもらえた。
詩人の朗読は十年かけてもそれほど進歩しないものだ。人生を賭けて行なうこと以外には道は開かれないものだ。そのためにも毎日の精進が求められている。いまこの状況の中でこそ肉聲を発することは意味がある。

2011年4月21日 (木)

田川紀久雄日記

政府はなぜ原発の放射能漏れのデーターを隠すのか。それは国民がパニックになるからなのだろうか。放射能とこれから共存した生き方を考えていくべき時がきている。
詩誌受贈『詩遊・30号』

闘いが始まったわけじゃない

闘いが始まったわけじゃない
生きるための闘いはこれからだ
原子炉がいまもなお燻っている
計り知れない恐怖に怯えながら働く人がいる

漁民が怒りの声をあげている
あの発電所を東京のど真ん中に持っていってもらいたい
電力はみんな東京の人が使っているのだから
海を愛する
海があるから生きていける
その海がいまは放射能に侵されている
魚が獲れやくてもとれない

国は二十キロ圏内を立ち入り禁止にするという
犬猫たちがまだいるというのに
国は放射能のちゃんとしたことを国民に教えない
これでは戦前の大本営と同じだ
都合の悪いことはすべて隠蔽してしまう

まだ闘いが始まったわけじゃない
避難した人の身体を放射能検査をする
これは伝染病ではないのに
とても信じられないことを行なう
人間が人間を区別する
福島の子供がふくしまという言葉で非難される

生きようとするいのちを遮るものがある
美しい故郷が死の故郷に変ろうとしている
たった一つの幼稚園が津波で壊されている
その横に桜が咲いた
また帰ってねと
桜が寂しげに叫んでいるようだ
放射能が消え去って
それから本当の闘いが始まる
それまでは難民
闘いが始まったわけじゃない
生きるための闘いはこれからだ
原子炉がいまもない燻っている

2011年4月20日 (水)

田川紀久雄日記

現代詩とは何か。3・11はどう自分にとって何であるか問うことでもある。俳句や短歌と違ってなかなか表現しずらい。つまり人間とは何かということを問われている。

悪夢から逃げる

助けて!
助けて!
夢のなかまで追いかけてくる
逃げても
逃げても
追いかけてくる
いのちを壊そうとする聲
闇の中に引きずりこまれそうになる
遠くに一つの明かりが見える
あそこまで辿りつけば助かる
必死に逃げようとする
同じ夢を毎日見る
辛い日々が続く
生きているのか
死んでしまったのか
自分でも解らない
そのような一日が待っている

桜が咲いた
季節が変ろうとしている
その中で
頑張ろう! 花見が行なわれる
太鼓の音が響く
いのちは負けてはいられない
老人の生きる力強さに感激
眼下には廃墟と化した街がいあっもある
いつまでも悪夢にうなされていられない
生きている実感をみんなで噛みしめあえる
生きていられるから
明日を迎えられる
復興という夢がある

絶望の底から立ち上がる
いのちの息吹が
みんなのいのちを一つに繋ぐ
逆に応援する人たちの心まで励まされる
折れた桜の枝から花が咲いている
浜辺には一本の松がある
すべてが失われた訳じゃない
いのちの幹が力強く
悪夢を追い払おうとしている
子供達の笑顔が見える
いのちはじっとしていられない

2011年4月19日 (火)

田川紀久雄日記

原発の恐怖を感じていながら、国民は現状維持や増設に56パーセントが賛成している。本当の恐ろしさを感じていないのかもしれない。まるで他人事のように思われてならない。原発の事故直後はまだ原発が使用可能と思っていた。だから海水を入れるのを躊躇したわけである。そのために大きな事故に発展してしまった。事故の大きさがだんだん解明されてきている。ますます不安が募るばかりだ。いま原発の事故の情報を隠さず国民に告げるべきである。
田川紀久雄詩集通信『復活・Ⅱ』が出来上がる。頒価五百円。これは東北大震災のための応戦詩である。
いま私は応援詩を心をこめて語っている。公園で大きな聲をだして。言霊は祈りの聲になって東北の地に届くはずだ。たった一人の闘いをすることしかできないが、いま出来ることを行なうのが大切なことである。お金があれば詩集にして上梓したいものだ。出来ないから手作りで詩集通信を出している。売れたら義援金として動物保護団体に寄付をしたい。

2011年4月18日 (月)

田川紀久雄日記

東電のこれからの予定を発表したが、すべてが甘い国民を騙すものである。放射能を閉じ込めることは困難な問題である。国民ももっと放射能の恐ろしさを痛感すべきだ。そして原子力に頼らない発電に夢を託して生きる方法を見出してゆきたい。末期ガンを経験した人間にとって放射能によってガンになることの恐怖を感じるからだ。
推進派の大学教授の懺悔は、いかに信念のなき有様だ。権力と金で反対派を追いやってきた人生に彼らの懺悔など何の意味もない。自民党の歴代の総理の責任が問われないのは何故なのか。原発の安全神話を作り上げてきた体質にメスを入れるべきだ。日本はこれから大きく変らなければならない。本当の平和とは何かを考えていくべきである。物の豊かさは人間を破滅に追い込むことしかない。
玉川信明著『大正アウトロー奇譚』は、いま多くの人に読んでもらいたい本だ。

2011年4月17日 (日)

田川紀久雄日記

なぜ原発事故の解決が一向に見えてこないのか。ますます不安が募るばかりだ。原発の安全性を文部省は莫大なお金を使って印刷物を教師に配っていた。その中の文書の一部には「放射能は安全です」と書かれている。驚くべき事実に唖然とする。この責任はどう取ってくれるのか。国民を騙すことに懸命であった国の体質には揺れ背ないものがある。そいていまなお本当のことを国民を騙し続けている。津波で災害にあったところにはいくらかの光が見え始めているのに、福島はますます不安が強まるばかりだ。消費税という値上げは断じて許されない。
これから仮設住宅での自殺に対処していく必要がある。これからが本当に大変なのである。みんなで応援していかなくてはならない。
田川紀久雄応手作り援詩『復活・Ⅰ』五百円発売中
『復活・Ⅱ』5月1日発売予定。漉林書房まで

2011年4月16日 (土)

田川紀久雄日記

被災のために消費税を上げるという方針だ。消費税値上げには反対だ。あくまで災害税として期限を限定にしてもらいたい。そのためにもまだ無駄な税の使い道には厳しいチェックしてもらいたい。
原子力反対運動を阻止しようとする動きが見られる。まだ何一つも福島原発では解決をしていないのに、驚くべき地滑りを起している。

絶望の果てに

医師は人のいのちを救うことができる
詩人はいのちそのものを救うことは出来ないが
心のいのちは救えるかもしれない
言葉はそのために存在しているはずだ

辛い時は
お~ん お~んと大聲で泣いてみよう
みんなでお~ん お~ん と泣けば
まるでカエルの合唱の鳴き声に聴こえてくるだろう
しくしくと泣けば
蝉の鳴き声に聴こえるかもしれない

心のいのちを救いたいと思ってみたが
やはり僕は自分の心も救えないのに
どうして他人の心が救えるなどと思ったのだろう
救えはしないが
相手の苦しみや悲しみは聴く事ができる

いまぼくは相手の苦しみを
自分の苦しみとして受け入れることができる
これは末期ガンであっても
死なずに生きてこられたからかもしれない
人は誰でも孤独を抱えて生きてきたのだから

いのちはどんな時でも
前向きに生きて活きたいと望んでいる
だから相手の苦しみを共に分かち合える
みんながお~ん お~んと泣ければ
哀しみも苦しみも
その涙がきっといつの日にか
虹となって大空に橋をかけてくれる

心の哀しみは救えなかったとしても
なにかもっと大切なことを得たような気がしてくる

2011年4月15日 (金)

田川紀久雄日記

今日も午前中病院にいく。
福島で犬ネコの救援活動をおこなっている人たちには頭が下がる思いだ。
被災にあった子供達の心のケアが求められている。元気に笑顔で遊んでいる映像を見るとこちらが逆に元気付けられる。復興には長い年月がかかるだろう。これから日々との闘いが大変だ。原子力の事故がなければ、まだ未来に希望をもって生きられたのだが、この人災事故に対しては心が滅入るばかりだ。東芝の社長はまだ原子力を促進してゆくつもりだ。いままで国からの莫大な予算を食いつぶしてきたのだ。なぜ国も企業もすべての原子力発電の停止に向かわないのだろうか。このままだと、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマそして次にも大事故が起きてしまうだろう。戦争も地震の事故もみんな人災なのだ。
福島原発での汚染水の垂れ流しはどのぐらいの放射能が含まれていたのか示すべきだ。あくまでも低濃度の放射能という言葉には、国民(漁民)に対して許せないものだ。絶対にあってはいけないことをしてしまった責任は誰が取るのだろう。レベル7も三月二十三日には解っていたことなのに。この隠蔽隠しはいつまで続くのだろう。恐ろしいことだ。

2011年4月14日 (木)

田川紀久雄日記

東電の清水正孝社長は、まだ5・6号機の廃炉を未定にしている。普通の常識では考えられないことだ。まさに気が狂っているとしか思えない。弁償問題も巨額化を怖れて詳しい返答はない。原発難民がいかに大変なことか清水正孝は何も考えていないのだ。人の心をただもてあそんでいるとしか思えない。
詩で原発難民をテーマで書くのはとても難しい。このことを考えただけでも怒りがこみ上げてくる。昨日詩を書いてみたが、どうしても詩になりきれていない。
冨上芳秀さんから梟通信の葉書がおくられてくる。「ゆで卵のような女」心を楽しまさせてくれる。わたしにはこのような詩はとても書けない。これは文学としての楽しみだ。わたしは、文学という世界から随分はなれているのだろうと感じてしまう。わたしは末期ガンから得た世界を書いていく以外にはないらしい。
多くの芸能人が東北のために募金運動をしている。芸能は、大衆とのなかでしか生きられない世界であるからだろう。詩は寂しい。読者が居ない世界が詩の世界なのだ。この世界観からなんとか抜け出したいものだ。肉聲を発することはその一つの行為になってほしい。

2011年4月13日 (水)

田川紀久雄日記

原発の関係者は初めからレベル7であることがわかっていたのではないだろうか。隠し切れなくなって今頃になって発表したとしか思えない。原子力から三十キロ圏内の人たちには夢がまったくない。詩で応援歌をかけない。ただ原発の無策を非難するしかない。怒りがこみ上げてきて抑えきれない。テレビでは東電から広告を貰うために、どうしても本音をいえない。東電は原発反対派を脅かしてきたのだから。それはどんなに酷い仕打ちをしてきたかはこれから明白にしていかねばならない。『週間現代』で青木理氏が「熊取六人集」原子力の危険を訴え続けた真の研究者達がいたという記事を書いている。
観光に携わっている人たちの生活が大変だ。相棒の勤めている会社も、客がこなくなっている。外国人の宿泊がめっきり減ったという。チェルノブイリとなじレベル7では、外人はどんどん本国に戻ってしまうのは当然だ。
ただちに人体には影響がないという言葉は、とても虚しく聴こえてならない。戦前と同じように国策の為に死ぬことは嫌だ。国民にひたすら騙し続ける会見には腹が立つ。日本の体質は何もかわっていない。
福島から逃げてきた人たちを温かく迎えいれることが必要である。みんなで応援して行くしかない。

2011年4月12日 (火)

田川紀久雄日記

放射能漏れの被害が拡大している。政府が公表している数値より高いはずだ。プルトニウム漏れは公表していない。もし公表すればパニックになるからだろう。
原子力発電は、太陽電力(自然)に変っていかねばならない。いまの福島原発を見ていると、本気で直そうとしているのかが見えてこない。国民の命がかかっているというのに。東電・原子力保安員の態度に真剣さが感じられない。

黙々と生きる中で

私は黙々と肉聲をあげている
詩人としての仕事を行なうしかない
誰にも注目されなくても
自分の道は自分で切り開いていく

被災者たちの心を思い
いのりの気持で言葉を書き続ける
末期ガンから教わったことを
いまこの状況の中で役立つ言葉として生み出すことだ

いのちの言葉を彫り続けるしかない
哀しみや苦痛の言葉ではなく
生きる歓びを探し求めてゆきたい

いつもいのちは生きることに対して輝いている
あなたが辛いと思っている時も
いのちはじっと耐えて
あなたが前向きに生きる時を待っている
いのちはあなたを頼りにしている

いのちが輝く時は
人のために生きようとする時だ
そして自分のためにも
いのちはいつもあなたと共に一緒にいる

瓦礫の山が少しずつ片付けられてくる
みんなで力を合わせて生きるしかない
じぶんの尾ことを忘れて
街の復興に手を動かす
いのちは思っていた以上に凄いものだ

生きている
そのことだけでも嬉しい
いのちは
隣人のいのちを元気づける
そしてお互いに励まし合って
未来に向けて動き出す
いのちに感謝
いのちの素晴らしさ
誰もが勇気づけられている

2011年4月11日 (月)

田川紀久雄日記

操車場48号・尾崎寿一郎さんから原稿が届く。高橋馨さんからはメールで届く。
東戸塚に妹に会いに出かける。
選挙で民主敗北。原発反対に政府や企業間関係はピリピリ状態だ。
政府や東電はいまなお情報を隠している。これでは外国人がどんどん帰国するのもあたりまえだ。日本はこれから何処に向かっていくのか、まったく不明だ。
詩人である私はいのちを守る運動を続けていくしかない。この度のことで、詩人はいかに社会と関わってこなかったかが解る。無力感に襲われる。詩は、解らなくて良いという考え方がそのことを物語っている。詩の言葉にも元気と情熱が失せている。こんな時淺川マキの歌を聞くと元気になる。

2011年4月10日 (日)

田川紀久雄日記

原発賛成派の人たちの言葉の軽さには驚くものがある。そこまでは考えられなかったなどと気軽な気持ちで言う。ということは原子力の危険について無知であったということだ。中曽根と正力氏が一九五五年にパンドラのハコをあけてしまったのだ。まさに運命共同体の世界に引きずりこまれてしまった。希望に変えるには脱原子力と自然を利用した政策以下にはない。

動物も人間も同じに生きている

飼い犬や
飼い猫が置き去りにされてしまった
発電所から三十キロ以内で
動物たちを置いて行かざるを得ない
避難所では動物を飼うことができない
他人に迷惑をかけるとか
衛星上の問題があるとか
人間だけの都合で断わられる
津波で多くの動物たちも亡くなっている

いま私は浜川崎付近に住んでいる野良猫たちに餌をあげている
嫌がらせをする人もいる
それでもめげずに餌を与える
生まれてきたいのちが愛おしい
動物たちは毎日が闘いだ
生き抜くためにあらゆる努力を怠らない
餌をもらうためにも必死だ

東北地方太平洋沖地震犬猫救済活動をしている人たちもいる
私はこの団体に支援金をおくるしかできない

仮設住宅にも飼い犬や飼い猫を許可するところがある
しかし近所迷惑だからと許可が下りない地域もある
人間の方が優先だと言われても困る
動物も人間も同じに生きている
共に一緒に生きてきた仲間である
なぜ人間がいつも優先なのか私にはわからない
優先順位など何の意味もないことだ
屋根と共に海上に流されていた犬(バン)が助けられた
そのニュースをテレビで多くの人が見ていた
みんなが生きる勇気をもらったはずだ
いのちの尊さは犬猫もおなじことを痛感したはずなのに
避難所では動物を飼うことできない
仕方なしに置き去りにしてきた人たち

どうぶつたちは人の心を裏切らない
被災者は多くの哀しみを生み出している
置き去りにしてきた動物のことを思うたびに
生きている心地はしないだろう
可愛がっていた生き物たちが
いまも困難ななか生き続けている

2011年4月 9日 (土)

田川紀久雄日記

昨日近代美術館に行く。岡本太郎展を観る。絵思っていた以上に暗い印象を受けた。マザーコンプレックスなのだろうか。招待券をいただけなければ行けないものだ。
福島県の農家の稲作問題が大変だ。セシウム131の半減期が三十年もかかるからだ。セシウムは青みかかった光という意味だ。三十キロ以内では動物が野放し状態である。野良猫の面倒を見ている私にとっては心苦しい問題だ。動物のボランティア支援をしたいものだ。『復活』の小冊子が売れたら義援金を送りたいものだ。
自民党議員はあくまで原発が必要だという意見の人が多い。この度の知事・市会議員は原発反対の人に投票をする。

2011年4月 8日 (金)

田川紀久雄日記

夜中に大きな地震があった。身体が恐怖で震えてしまった。震源地は宮城県である。この余震がいつまで続くのだろう。
東京電力の社長が退院したという。一日も早く農家や漁業関係者に賠償金を支払ってもらいたいものだ。全財産もはたいて償ってもらいたい。

辛いことがあまりにも多すぎる

歯を食い縛って前を見ようとしている
自分自身のためではない
生き残った人たちがいることが
生きる励みに繋がっている

子供達の入学日を迎えることができた
何よりの励みになる
多くのランドセルも送られてきた
明るい笑顔を見える
見知らぬ友達もできた
でも避難所から通わなければならない
原発が一向に沈静化する気配がない
友達ができてもまた別れねばならないこともある
それでも子供たちは嬉しそう

就職の取り消しを受けた人たちもいる
工場の再建の見通しがなかなかたたない
辛いことがあまりにも多すぎて
何も考えられない
まだ支援のてがほとんど届いていない

どんなに辛いことがあっても
そこから生きようとするいのちの力を信じたい
六十を過ぎた男がおんおんと泣く姿を見ると
胸が張り裂かれる思いがする
被害地の片隅に蒲公英が咲いている
伊藤桂一さんの小説に
戦地で蒲公英の花をみて勇気づけられた話を思い出した
明るい色が心を癒してくれる

この廃墟と化した街にも
蒲公英が咲く
何事もなったかのように
その日が来ることを祈るしか
今の私にはできない

2011年4月 7日 (木)

田川紀久雄日記

国を挙げて原子力を推進してきた。早い話が無能集団で原子力は作られてきたということだ。自民党の責任はおおきい。原子力の平和利用という甘い言葉に乗って国は原子力政策を反対派を押し切ってきたのだ。原子力の危険という項目を排除した政策であった。そしていまだ本当の情報を国民に伝えていない。また私たちも原子力に対して無知であった。
東電本社の前で写真を撮ろうとすると、すぐ警察官がよってくる。写真をとってインターネットで流されることを取り締まっているかのようだ。このこと事態やはり原子力に対して疑問が残る。

被災地にはまだ置くの手の届かない場所がある
セメントの上に毛布一枚で寝ている老人がいる
三週間たったのに
被災地があまりにも広すぎて
忘れられた場所がある
無言で横たわっている老人の心の居痛みが
私の心を串刺す
(「人明かりの道を目ざして」の一部)

2011年4月 6日 (水)

田川紀久雄日記

パソコンの調子が悪く。四月二日から四日までのデーターが消えてしまった。
操車場47号今日発送が出来る。
福島原子力発電所がいかに杜撰な設計の上で維持されていたのかと思うと、本当に恐ろしい。それに汚染水の垂れ流しが続いている。放射能が太平洋沿いに南下している。いつ沈静化するのかも全く解らない。不安が募るばかりだ。
岩波新書で高木仁三郎著『原発発電はなぜくりかえすのか』を多くのひとに読んでもらいたい。末期癌と闘いながら書いた最後のメッセージである。

2011年4月 5日 (火)

田川紀久雄日記

芸能・スポーツ関係の義援金集めには眼を見張るこのがある。売名行為でも良いから、沢山の義援金が必要だ。相撲の八百長問題で処分をしないで、被災地に一年間ボランティー活動を行なわせたほうが良い。夏場所は無料ではなく、売上金をすべて義援金にしたほうがよい。災害地の復興のために役立つことが求められている。
詩人は売名行為もできない。せめて沈黙をするのではなく、いっぱい被災者に向けて語ることしかない。

2011年4月 1日 (金)

田川紀久雄日記

なぜ東電は福島にお詫びのCMを流さないのだろう。つねに隠蔽体制は変らない。想像以上に人々の心は痛んでいる。その象徴が原発事故そのものである。詩人である私は、言葉と闘いながら応援歌を送り続けたい。
冊子『復活』(1)を作る。12ページだが、これをうって義援金してゆきたい。昨日二冊売れた。六百円集まった。ある程度溜まったら寄付してゆきたい。無収入の私にできることはこれぐらいだ。

哀しみの涙は愛の涙

大きなことはできないが
小さなことなら出来るかもしれない
いま書いている詩を冊子にして
売れたら義援金として送りたい
そしてチャリティー朗読会に招いてくれたら参加をしたい
詩人として出来ることはそれぐらいしかない
生きることを大切にしてもらいたい
人は誰でも哀しみを食べながら生きている
涙はちょっと塩っぱいけれど
その涙はまた生きる勇気を与えてくれる
いのちの水滴なのだ
腹の底から笑える時も
あの塩っぱい涙が零れ落ちるものだ
祈りはいのちを豊かにしてくれる
この困難な状況も
想い出話になるときがきっと訪れる
いまは歯を食いしばって
愛する者のために生きてもらいたい
哀しみの涙を
愛するいのちの涙に変えてゆきたい

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