田川紀久雄日記
妹はもう手術も内視鏡での手術も出来ない。ポリープを焼き取ることも出来ない。抗癌剤のほとんど効かないという。こまったものだ。あとは私の念力で治療するしかなさそうだ。この念力を使うとわたしの身体にも負担がかがるのも得ない。この前の出血のときもなんとか収まることが出来た。死ぬのは寿命なのだ。寿命で死ねばそれはいたしかたがない。
操車場の印刷を行なう。
私がガンと闘って生きるということはどのようなことかをもっと追い求めなければならない。語りの世界を追い求めてもなかなか先の光が見えてこない。もっといのちそのものを語る生命力をつけるしかないのだが、おもうよういに行かない。お客が集まるかどうかは問題ではない。語りそのものの問題なのだ。あくまで生命力に満ちた語りを目指していくことしかない。叫ぶ語りを聴くのはあまりいないかもしれないが、自分の求めている世界を貫いていくしかない。詩の朗読は、静かにそっと行なうのが良いと思っている人が殆どだ。それと逆行する語りは生きているうちは評価されないかもしれない。でもガンと闘っている私には魂の聲を叫びたいのだ。妹のことを思うとやはり静かに語ってはいられない。いまの詩人達はこのいのちの叫びには興味がなさそうだ。でも最期まで闘って生き抜くことだ。
ひとりひとりのいのちの大切さを祈りながら語りに励んでいこう。魂の叫びは祈りの語りでもある。それが明確に聲にして表現できれば私の生きた証はできる。
« 田川紀久雄日記 | トップページ | 田川紀久雄日記 »
コメント