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2010年9月30日 (木)

田川紀久雄日記

中国との友好を関係を持つには、決して憎みあわないことだ。一人ひとりの中国人を愛してゆくことが大切である。中国には、多くの貧しさに困窮している人たちがいる。心の優しい人たちが沢山いる。領土問題で騒いでいるのはほんの一部に中国人である。領土問題は毅然とした立場をとっていけばよい。
マーラーの九番をバーンスタイン指揮の場ルリン・フィルで聴く。八十二分を一枚のCDに収まっているのはありがたい。マーラーの音楽は録音の良いもので聴きたい。そして出来れば良いスピーカーで聴きたいものだ。
九月はエッセイを二七本書いた。ものを書くことによって魂の深みに降りていける。あとから振り返るとそれほど大したものを書いていないのだが。
私は末期ガンの体験を生きる歓びといのちの尊さを同じ病気に悩んでいるひとたちに伝えてゆきたい。ガンであることを人に知られたくない人たちも多くいる。私はガンであることを宣言することによって、生きていることの素晴らしさと向き合っていたい。苦しみと不安を共に手を携えて生きること。そしてすべてのものを愛して生きていた。愛から比べれば憎しみなど取るに足らない小さいものだ。

2010年9月29日 (水)

田川紀久雄日記

海上保安庁は頑張っている。海猿の人気が高いのもわかる。尖閣諸島で五隻の船が中国船と向き合っている。中国は国際的にも相手にされなくなってしまうだろう。しかし、中国の国民とあくまでも親しくして付き合ってゆきたいものだ。中国政府の焦りが眼に見えて解る。野党も与党も一つになって国を守ることを考えるべきだ。非難している場合ではない。
「祈り」の語りの稽古を続けているが、いまのところ六〇パーセントぐらいの出来である。稽古を続けながら、エッセイでもこの語りについてノートをとっている。T氏から「詩人の聲」から外されたが、そのお陰で自分の語りと真剣に向き合って生きていられる。そのことでT氏に感謝をしてもよい。最悪の状態こそ私にとって新しい試練を与えてくれる。このことはありがたいことだ。以前の自分を変革するチャンスである。「禍いを転じて福となす」という言葉は、その人の生き方が決めてゆくものである。
ここ数日胃の調子が悪い。陽気のせいかもしれない。無理をしないことだ。
浜川崎駅前で猫が車に轢かれて亡くなっていた。一日悲しい日であった。
島村直子さんから「島村洋二郎の詩」の直しをいれたフロッピーが来た。そして詩集代も入っていた。ほんとうにありがたい。木下晋さんから電話が来た。私と同じ時にガンになったひとが三年目で亡くなったという。ガン患者には三年・五年の節目が危険なのである。いつ亡くなるかが解らないから、次の詩集「いのちの聲」を早く仕上げたい。あと七篇書けば仕上がるのだが、その七篇がかけないでいる。短詩だから書けそうなものだがそれがかけないでいる。

2010年9月28日 (火)

田川紀久雄日記

失業率が六パーセントになっている。尖閣諸島の事件で中国の圧力でを日本経済も打撃を受けている。大学を出ても職がない。それに円高が続いている。これで税金が上げられたら国民はたまらない。この問題をどう菅政権が乗り切るつもりなのだろう。外交をいままで怠ってきたツケが廻ってきた。これには自民党時代の責任問題もあるだろう。そしてこれからの安保問題をどのようにしてゆくのか、国民は新権威なって考える時がきている。普天間問題も早く解決しなければならない。平和を守るには莫大なお金がかかる。日本人は平和ボケをしている。今の世の中は、安易に批判したがるか、批判をしているだけでは何も問題は解決もしないし真の中味も見えてこない。大切なのは、もっと日本人は勉強をしなければならないということだ。
テレビは一分間タレントでお茶の間を賑わしている。番組の予算もスポンサーもいなくなっているテレビ界は酷い状態である。そのような中でマスコミを動かそうとする報道にも何ら信憑性が感じられない。国民を馬鹿にしている番組しかつくれない。
詩人はどんなことがあっても愛と平和を守り続ける人でありたい。そして生きる歓びをうたいたいものだ。

2010年9月27日 (月)

田川紀久雄日記

かつて日本が大陸で行なったことの仕返しがなされているかのような感じがする。冷静に事態を対処していかねばならない。中国の圧力には屈してはならない。いま中国共産党が、ある意味では追い籠められている。その表れが今回の問題に繋がっているのだろう。中国の国土はいま洪水の被害で大変である。国民の不満をいかにして解除するか懸命なのである。中国は豊かになりつつあるといっても、地方では貧しい生活者が多い。軍の圧力だけではどうにもならない。日本もかつてそのことで大陸に進出した。
今の日本人は、大切な心が失せていっている。相手を思う心が消えかけている。人間と人間が付き合う心がわからなくなっている。昔のような長屋生活がないから、隣人のことが見えなくなっている。庶民という言葉もなくなっている。庶民という言葉には温かみと思いやりが秘められていた。電車にのっても、人間の存在は透明人間になっている。杖をついて立っていても席を譲ってくれる人はほとんどいない。優先席には若者がどんと座って動かない。いまの日本人はどこか可笑しい。人間としての誇りが薄れている。やたらに威張り腐った人が多い。弱い立場の人に思いやる心をどうしたら養ってゆけるのだろうか。詩人であるまえに人間として考えて生きてゆかねばならない。

2010年9月26日 (日)

田川紀久雄日記

いま経済も行き詰っている。レアアースが中国から停められてしまうと、どうにもならない。そのためにあレアアースを使用しないでハイブリッド車やデジタルカメラを作る技術を見出していかねばならない。中国に頼りすぎてきたところに落とし穴があった。政府を非難するのは容易いことだ。国会が一つになってこれからの日本を考えてもらいたい。党派のいがみ合いだけは見たくない。一党独裁の国の恐ろしさを目の当たりに感じられる。
まずはあわてないで冷静に中国の態度を見て行くべきだ。そしてあくまでも平和的な立場で外交を行なってもらいたい。
いま詩語りの稽古で、言葉の奥に秘められているものを引き出す方法を見出すことに懸命になっている。言葉を越えた言葉を求めて努力をしている。しかしなかなか思うようにならない。このところ胸がやや痛む。身体の限界で努力をしなければならないことが辛い。生きている限りこの道を求めていくしかない。
操車場の年間購読者に高橋博子さんがなってくれた。ありがたい。

2010年9月25日 (土)

田川紀久雄日記

中国人の船長の釈放は安易であった。なぜ証拠写真(船舶の衝突)を出さなかったのか不思議だ。国を守るということではどうすればよいのか、徹底的に考えていくべきであろう。批判をするのは簡単だが、これからの領土問題を国民全体で考えてゆくべきだ。一番の問題は、日本には資源がないということである。太平洋戦争だってこの資源を求めて行なわれたのだ。どうしたら平和的に解決に導くのか、政治家は明確にしてゆかねばならない。
間寛平さんはあと5000キロ地点を走っている。元気で走っている姿を見ると勇気が湧いてくる。前立腺の手術をしてよくもここまで走っていられるものだ。私も詩語りで頑張って生きていくしかない。ひたすら精進していくだけだ。いま新しい語り論が見えてきている。螺旋階段を登るような感じであるが、少しでも上に登ってゆきたい。
急に寒くなった。昨夜は足が冷えたのでユタンポを入れて寝た。ガンには足の冷えが悪いといわれている。台風が来ているが東京をそれてゆきそうだ。
野菜も魚も高い。庶民の口には手の届かないものもある。それなのにテレビなどでタレント達が豪華な食事をしているのを見ると無性に腹立たしくなる。フロイドの食事の欲望の文章を読むとユングとは上手くいかにあのも当然である。

2010年9月24日 (金)

田川紀久雄日記

イチローが200本安打を達成した。凄いことだ。つねに挑戦つづける姿勢には頭がさがる。
ガンの補完代替医療で、そうとうなお金をつぎ込んでいる人たちがいる。いまの医師が本当に患者の相談に乗ってくれないところから、発生している問題である。私なども、抗癌剤を中止していきている。そうすると免疫力を高めるために何とかしようと考えてしまう。月に百万円もつぎ込んでいる人もいるという。お金のない私は、漢方の生薬を買うぐらいしか行なっていない。民間療法や漢方を認めない西洋医学では、ガン難民になっている人には不安でならない。そこで補完代替医療に手を出してしまう。私は死ぬのは寿命と考えておる。そう考えれば代替医療にはほとんど手を出さないでいられる。ときとき胃が痛むことがある。そのときは不安に襲われたりもする。末期癌といわれた私にはこの不安からは逃れられない。できるだけ自分がガンであることを忘れるような生き方をしている。金のない私はこの代替医療に手を出さないでいられる。この問題を解決するにはやはり医師の心の籠もった対応ではなかろうか。ガンにとって一番の良薬は心をつねに安らかに保つことではなかろうか。そのことを考えて生きる方法を見出していくことが大切である。そのためにも話し会える仲間を作ることも必要である。

2010年9月23日 (木)

田川紀久雄日記

朝起きて外は少しも涼しくなっていない。天気予報では今日から秋らしい日になるといっていたが、今部屋の温度は三十度もある、湿度は75パーセント。朝の四時半である。蒸し暑くて寝苦しい夜であった。
操車場の原稿が新保哲夫さんと池山吉彬さんから届く。そして藤山ハンさんから詩集代が送られてくる。
詩集にまとめることは、個人的満足ではなく、開かれたものとして世の中に送り出すことに意味がある。どこまで普遍的な意味を持つのかを世の中に問いかけることである。詩集というのはなかなか世の中の本屋さんは相手にしてくれない。商売にならないからだ。でも詩集というものは商売にならないからこと、真実の世界を書ける世界でもある。ランボー・中原中也・宮澤賢治なども生前にはほとんど認められていなかった。時間の流れの中で運がよければ拾いあげられてゆく。優れた詩集が世の中で出版されても、その殆どが消え去ってゆく。それは仕方がない出来事でもある。詩集を上梓しても何も求めないことが精神的には良い。ただ自分を信じて生きるしかない。この虚しさとの闘いが詩人としての宿命でもある。自作詩を語ることはこの虚しさとの闘いの中から生まれてくる。だからこそ自分に負けてはならない。だからこそ稽古に熱が入る。いい加減な語りは許されない。語りを行なうことは、釈迦牟仏が霊山でされた未来成仏と変らないものなのだ。語りの極意とはそのようなことなのだ。それに近づくために今は日々精進を怠りなく行なっているまでである。
詩誌受贈『柵・286号』

2010年9月22日 (水)

田川紀久雄日記

イラク戦争で発生した難民の数は180万人近くいる。アメリカ軍はイラクから撤退しても、難民達は今も食料や水が欠乏している生活を送っている。戦争を起して何も得るものがない。正義などという言葉は虚しいものだ。尖閣諸島問題で、感情的になって非難を行なう中国側に今は無視をして時の流れを待つしかない。 
増田幸太郎さんから、詩集に対して温かいハガキが届いた。そして佐野カオリさんが詩集の代金を送ってきてくれた。詩集に対して返信が十人にも満たないが、それでもありがたい。今度の詩集は自分なりに納得したものだ。だからあらゆる人から無視されてもそれほど気にならない。でも温かいお手紙をくれた人たちにはとても感謝をしている。病と闘って生きている人間にはこの励ましの手紙は生きる勇気を与えてくれる。
毎日この詩集の語りの稽古を行なっている。一歩でも言葉の深みに達する聲を出したいと懸命に努力をしている。しかし、なかなか思うようにはいかないものだ。その日その日の体調によって変化をしている。無の境地になって語らなければならない。人が生きてゆく上にに大切なものを語ってゆきたい。暑さも今日までだという。涼しくなれば稽古も楽になる。ただただ自分の心を深めていける日々を送っていられることに感謝をしていたい。
「嶺」の版下を印刷所に送る。これでいくらか生活費が助かる。

2010年9月21日 (火)

田川紀久雄日記

八月と九月は毎日エッセイを一篇書いてきたが、ここに来て何も書けない状態に落ち込んでしまった。書いてきたものを振り返ってみても碌なものばかりだ。でもこのどうにもならないエッセイの中に今の自分がいる。人間の生き方などそれほど格好の良いものではない。何事もない一日こそ生きてゆく上のには必要なことなのだ。夏バテのせいもあるが、身体の調子もいまいち悪い。
尖閣諸島の問題で中国の姿勢にはこまったものだ。これには資源の問題が絡んでいるだけに始末に悪い。冷静な態度で臨むしかない。必要なことは人間同士の交友を深めることである。その交流を阻止しようとする中国政府の態度には疑問を感じてしまう。日本にいる中国人と出来れば友達になってゆきたい。川崎の中華飯店の食べ物はとても美味しい。それに安い。川崎詩人会でも二次会は中華飯店を利用している。
この蒸し暑さはお彼岸まで続いて、その後は涼しくなるという。
バーンスタイのヴィルディのレクイエムのDVDの演奏は凄い。白熱した演奏だ。ロンドン交響楽団。字幕があるので聴いていても楽しく見られる。指揮者の集中力はおどろくものを感じてしまう。指揮をみていると格闘技を見ているように感じてしまう。

2010年9月20日 (月)

田川紀久雄日記

男性5人に一人が老人で、女性は4人に一人の割合で老人だという。これは大変な問題だ。老人社会の問題に真剣に対策を立てていかないと恐ろしいことになる。世間では小沢問題であれこれ言っているが、そんな権力争いなど国民は望んでいない。民主党は団結して今の日本の歪みに向けて立ち向かっていってもらいたい。菅さんももっと指導力を発揮して政治改革をしてもらいたい。いまは批判しあっている場合ではない。テレビ・新聞などを見ているとジャーナリストたちは救いようのない人達だ。彼らは思想を持たない虫たちのようだ。
テレビ番組をみると、国民を馬鹿にしているような気がしてならない。どこのチャンネルをみても同じ芸人が出ている。みんな使い捨ての人たちばかりだ。本当のお笑い芸人はいない。世の中が虚しく感じられる。本当の人の心をもとめて詩人達は詩と向き合うべきだ。詩人達が生きている意味を問われている時代でもあることを忘れてはならない。時代の偏見と闘うべきでもある。
腰が痛くて昨夜はほとんど眠れなかった。そして夏ばてで身体的にも辛い。それでも一日を大切にして生きていたい。

2010年9月19日 (日)

田川紀久雄日記

何もしない私でも夏ばてでまいっている。会社勤めの人たちは大変なことだと思う。会社が倒産したところもある。ただ生きているだけでも大変な世の中だ。
詩の語りで、少しでも深いところから聲をだしたい。人間の生の深さを表現したいからだ。私のようなことを考えて朗読をおこなっている詩人などいない。それには忍耐とあくなき自己との闘いを求められるからだ。そのためにもつねに自然体で生きることが大切でもある。このところ公園で稽古をやっていると私に近づいてくる人がいる。困ったものだ。練習の姿は人に聴かれたくないものだ。誰にも気にかけずに練習する場所が欲しい。貧乏生活をしていてはとてもそのような場は望めない。できればライブの数を増やしていくしかないのだろう。
山本萠さんからカレンダーと書の案内状が数日前に送られてきている。操車場四一号に広告を入れて印刷を行なう。彼女の積極的な生き方に学ばなければならない。丈夫でない身体でよくもあそこまで自分と闘っていきているものだ。眼の見えないところで応援をしていたい。
吉川仁詩集が送られてくる。九十歳になる詩人だ。時代の中で生きてきた証を詩で明確に表現をしている。土曜美術社で新・日本現代詩文庫の中に収められることはいやはそれなりの意味がある。尾崎寿一郎さんの知り合いの方だという。

2010年9月18日 (土)

田川紀久雄日記

敬老の日がもうすぐだ。老人達が一番何を求めているかというと、人との触れにである。話し合える友が欲しいということだ。形だけの贈り物など求めていない。
夫婦こそ一番の友であるべきものが、家庭崩壊の憂き目にあっている。なかなか睦まじい夫婦であり続けることは難しい。表面は仲良く見えても、なかなかよき友であることはいないものだ。仕事仲間はいても心の友はほとんどいないのが普通ではないのだろうか。
いま若い世代でも、人付き合いが出来ない人が増えている。何かに怯えながら生きている。何のために生まれ、生きているのか解らない。だれも何も教えてはくれない。
文学は、心の渇きを癒す泉であったものが、ただの娯楽になっている。上等の娯楽ならまだましなのだが、どうにもならないものが多すぎる。多くのものを学び、多くの経験を積むしか人生の豊かさを増すことがない。心の豊かさを求めない生き方は、堕落者である。まずは自然を愛し、人を愛することから始まって欲しい。
川崎に出かけてたが、やはり足の痺れがでて困ってしまった。喫茶店に入ってしばらく休むしかなかった。
本田るみ子さんと市村幸子さんからカンパをいただく。ほんとうにありがたい。これでカラーコピーのインクとトナーなど買う。三万五千円かかる。

2010年9月17日 (金)

田川紀久雄日記

菅氏は反小沢路線を貫いてもらいたい。権力とカネにまみれた政治はもう国民には耐えられない。国民は汗水ながしながら真面目に働き、日々の歓びを見出しながら生きている。国民の八十パーセントが反小沢を支持している。小沢さんなら何かをやってくれるという安易な考え方は間違いなのだ。まず野党が反対するだろう。国会が空転する。何も良いことなどない。今日大臣が決める。どのような顔ぶれになるのだろうか。
大相撲で白鵬が全勝街道を突っ張っているのに、お客の入りが悪い。一人ひとりの力士が頑張っている。客離れの歯止めがとまらない。名古屋場所より客の入りが悪いのではないかと思えてしまう。早く日本人の横綱の誕生を期待したいが、誰ひとりとていないのが現状だ。相撲協会はこの問題をなんとか解決する教育をしていかねばならない。学校の校庭には相撲のできる場所がない。子供達が相撲をしている風景などもうなかなか見られない。私たちの子供の頃は砂場でよく相撲を取ったものだ。勉強も大事だが、遊ぶことはもっと大切なことである。遊ぶことで仲間意識が生まれてくる。自然の中で遊ぶことをしなくなった子供達は大人になった時、心の病に立ち向かっていけることが出来なくなる。
ますます住みずらい世の中になってゆくが、それに向かって何とかして闘っていきていたいものだ。

2010年9月16日 (木)

田川紀久雄日記

いま野菜が高い。そして魚も高い。農家も漁師さんもみんな大変である。円高でもそれほど輸入品が安くなっていない。若林妙子さんから新鮮な卵と米と醤油のセットをいただいた。宅急便で届いたがたまごがほとんど割れている。とても残念である。一度も若林さんと会っていないが一度は会ってみたい。彼女の詩は生活に根ざした視点からユーモアに満ちたものを書いている。私はこのユーモアのある詩が書けない。
詩集が送られてくるが、字の小さなものは(9ポ組)眼が悪いためにかとても読みずらい。詩集は10ポ組にしてもらいたい。見知らぬ人の者は、なかなか礼状まで書けない。自分が詩集を出した時の気持を思うと礼状はと思うのだが。みんな一生懸命になって詩を書いている。人に読んでもらいたいために本を上梓する。できるだけ送られてきた詩集は読んでいる。操車場に広告を入れる(スペースに空がある場合)ことで礼状は勘弁していただいている。「後藤順詩集・むけ殻あつめ」(土曜美術社)・「岸田裕史詩集・都市のしじま」(書肆水明舎)どのような形で私のところにおくられてきたのが解らないが、ありがたいものだ。無名の詩人達の詩は、変な詩の心に犯されていないのが良い。詩はうまくなったらお終いだ。大切なのは詩の心を磨くことだけだ。あとは何も求めないことである。

2010年9月15日 (水)

田川紀久雄日記

菅氏が首相に再任された。国民の目線からみれば当然なのかもしれない。日本は一国の世界にとどまって考えることではなく世界の中の日本であることを考えてもらいたい。尖閣湾問題でも、はっきりとした態度で中国や台湾と向き合ってもらいたいものだ。円高で八二円までになってしまった。政治は待ったがない。国会が一つになってこの今の日本の困難を乗り越えていかなければならない。
詩集『祈り』を中原中也賞に応募してみる。次の詩集やエッセイ集を出版したい。そのためには資金が必要だ。蓄えがない生活を続けていると、やはり精神的にもつらい。せめて生きられる生活費だけはなんとしても得たいものだ。詩集を上梓するのも何とかして一冊でも売りたいからである。詩人だからといっていつまでも霞を食べて生きていられるものでもない。
小笠原眞氏からとても温かい手紙をいただく。そいてカンパ代までいただく。とても嬉しかった。井原修氏からはお米が送られてくる。これで一週間は死なずにすむ。いまは素直に人の温かいに行為を受け入れていたい。画廊でのイベントの日が早く決まるとありがたい。
詩集『祈り』の注文は、振り替えでお願いしたします。〔郵便振替00160‐5‐18362 漉林書房〕です。定価2000円。あなたの心を豊にします。ぜひ読んでみてください。

2010年9月14日 (火)

田川紀久雄日記

東京から青森まで新幹線で行けば一万六千円ほどになりそうだ。片道だけ載るわけではない。行きがあれば帰りも乗らなければならない。そう思うと新幹線は高い。ちょっとした小旅行もできない。なかなか交通費まで払ってくれてイベントに呼んでくれる人たちがいなくなってしまう。
妹に会って思ったより元気であった。いくらかほっとした。施設の経営も大変らしい。先生達の給料も安いという。日本はまだ福祉政策には手が廻らないらしい。福祉政策のためには消費税を上げてもいたしかたがない。高齢化の問題にしても、このままではどうにもならない。それともっと経済をよくするための政策を強化しなければならない。今日は民主党の代表が決まる。本当に国民のために働いてもらいたい。
金堀則夫さんから『交野が原・69号』が届いた。その中に冨上芳秀さんの「極私敵詩界紀行」が載っている。その最後のところに「詩の言葉はエッセイにも小説にもあらゆる芸術のジャンルにも広がっていくものである。」と述べられている。かれの操車場に発表してある作品を読むと頷け
る。

2010年9月13日 (月)

田川紀久雄日記

今日は妹に会いに横浜まで出かけてゆく。
生物多様性の面から詩の朗読を考えるべきだ。音楽を聴くように詩の朗読も聴くことによって人と人が触れ合う場が生まれる。活字の世界だけにとどまっていると、多様性の生き物であることを忘れてしまう。詩の朗読の場合、問題は人に感動を伝えられる詩人がほとんどいないということだ。朗読をおこなっている人とで会ったが、詩を朗読をするという意味がまったくわかっていない。詩の朗読は人に教えられないものだ。自分で努力して掴みとるしかない。
今度の私の詩集『祈り』は、今までない以上の深みのある作品だ。いまのところ誰も詩の内容に触れてくる人はいない。早くライブを行なってビデオを撮りたい。
もう少しで涼しくなると天気予報で言っているが、なかなか当たらない。明日は涼しいでしょうといいながら、何日経っているのやら。銭湯の帰りなど秋の虫達が鳴いている。蝉の鳴き声も減ってきた。間違いなく眼の前まで秋はやってきている。本当に秋が待ちどうしい。
年金もないもない私は、生きることに必死である。だから生きていることが楽しい。そして詩集が一冊でも売れることを願う。なんとかして生活費を稼がなければならない。売れる詩集を作りたいものだ。『祈り』の詩集を求めたい方は漉林書房までご連絡ください。
詩誌受贈『焔・86号』

2010年9月12日 (日)

田川紀久雄日記

やはり暑さ寒さは彼岸までというが、この暑さはもう少し続きそうだ。
毎日「祈り」を全編欠かさず語ることだ。誤字がないとおもっていたら、やはり誤字があった。注意深く読んでも見落とすものだ。詩集を送った人でも、全編を丁寧に読んでくれる人はほんの一部いればよいものだ。私としては納得といく詩集だが、他者にとってはどうでも良い詩集の一つであるかもしれない。だからこそ詩集を上梓する意味がある。宮澤賢治だって「春と修羅」はほとんど無視されてしまった。詩集というものはそのようなものなのだ。
冨上芳秀さん、秋葉長榮さんから詩集代金が送れてくる。本当にありがたい。予約をしていただいた方には心よりお礼を申し上げます。
堀田善衛の「ゴヤ」全四巻を読み始める。なかなか面白い。古書店で四百円で買ったものだ。本も綺麗。これでは古書店も大変だと思う。井原修さんのお店も大変だと思う。なぜ本を読む習慣がなくなったのだろう。ゲームには熱中するが、あのようなものは馬鹿馬鹿しいものである。本の魅力は心を豊にしてくれることだ。詩人ほど他人の詩集を読まないものである。このところ優れた詩集がでている。優れたものにはやはり感動をする。

2010年9月11日 (土)

田川紀久雄日記

朝日新聞の朝刊に「核燃 展望なき創業延期」「六ヶ所村再処理工場」「トラブル解決は不透明」が載っている。こえにともない日本原燃は4千億円の増資を発表した。無謀な計画を推し進めることを早く中止してもらいたい。被爆国がなぜこのようなことを行なうのか理解に苦しむ。六ヶ所村の人たちの健康はどうなっているのだろう。
三年間で詩集を六冊も上梓した。これは異常なことだ。来年の春にはもう一冊上梓する予定になっている。詩人にとって自分の詩集を売ることは大変なことである。私の知り合いの詩人も売るために詩集を作っている。他の職業についていない。だからこそ趣味で出版をしていない。贈呈してもメールでつきましたは寂しいものだ。百冊売らなければ印刷代がでてこない。
信州日報に原稿を送る。自分の思想を入れながら短い文を書く技術を学んでゆきたい。新聞だから誰が読んでも楽しいものを書きたいものだ。
操車場四十一号の原稿が高橋馨さんと冨上芳秀さんから入る。二人とも散文詩である。とても読み応えのあるものだ。操車場も年間購読者以外には送れなくなりそうだ。手作りなので部数に限界がある。今は百五十部しか印刷をしていない。購読料が切れている方は続けて購読されることを願いたい。

2010年9月10日 (金)

田川紀久雄日記

十一月のライブまで『祈り』を読み込んでいかなければならない。自作詩の語りは難しいものだ。自分の詩でありながら、自分の思うようにならない。この暑さが終れば、外での稽古もしやすくなる。
操車場四十一号の原稿が尾崎寿一郎さんから送られてくる。
平穏死というのがある。自然に死んでゆくことである。病院で死ぬか、平穏死ができる施設で亡くなるかの問題である。しかし、今の日本の現状ではこの平穏死のできる施設は限られている。食事制限によって自然に眠るように亡くなってゆける。生まれた時は、自分の力ではどうにもならないが、死ぬときぐらい自分で考えてみたいものだ。生きているということは、それだけ死に向かって生きている。そのことを忘れて人は生きている。移植のことを考えるとき、この自然死のあり方も問われてもいいのではなかろうか。
家畜などは、自然死がない。口蹄疫の時も、牛や豚が大量に殺された。人が生きていくことは、それらの生き物のお陰で生きていられる。だから食べ物を粗末にしてはならない。食べることはいのちを繋ぐことでもある。

2010年9月 9日 (木)

田川紀久雄日記

昨日足立本木一郵便局に強盗が入った。二万円を持って逃げたが直ぐに捕まってしまった。生活苦からおこなった犯行だという。犯人が哀れでならない。これも政治の貧しさが原因の一つに上げられる。この郵便局は、川崎に来るまで住んでいた所だ。本木や関原地区は足立でも貧しい人たちが多く住んでいる。
今日は重陽の節句である。菊の花を酒に浮かべてのむと長生きをするという。これは平安時代の話であるが、現代はあまりにも長生きすぎていろんな問題が生きている。白骨化した老人が押入れから見つかる有様だ。家出をした人たちは、家族に迷惑をかけまいと思い連絡を取らないだけである。本来それほど騒ぐ問題でもない。
私の場合、ガンでなくなっていても可笑しくない生を、生きながらえている。つねに生に感謝しながら生きている。生きている自分に何ができるか、そのことをつねに考えながら一日を楽しく過ごしている。
井原さんから、「松尾ちゑ子さんとの出会いを」との注文がきた。ほとんど松尾ちゑ子さんのことを知らない。詩のことを触れながら書くしかない。

2010年9月 8日 (水)

田川紀久雄日記

パソコンを一時間も打っていると腰が痛み出す。しばらく床で横にならないと駄目だ。これでは仕事もはかどらない。困ったものだ。
老人になると誰もが身体の一部に悪いところがあるもんのだ。老人達と話をしていると、たいてい病気のことが話題になる。そうすると老人たちが急に元気になる。不思議な光景である。これもある意味での民間治療の一つの方法なのかも知れない。部屋で籠もって誰とも話し合うことがないと老いてゆくのが早い。何かの趣味でももっていれば別の話だが。
詩人達が集まって二次会でカラオケを行なうのにはついていけない。なぜもっと詩の話し合いをしないのだろう。こんなときこそ、相手の世界を知る機会なのにと思う。
そこまで秋がきているのに相変わらず暑さが続いている。あと一週間ほどでこの暑さも終るだろうといっているが疑問だ。エアコンのないアパート生活の人も多いだろう。またエアコンの嫌いな人もいる。電力量も大変な夏である。太陽発電が必要になってくる。原子力発電に頼らない電力供給を考えていかないと大変なことになる。海の波による電力の開発の研究が行なわれている。天候に関係がなく電力が蓄えられる。電力は自然な力を利用すれば、原子力発電などいらなくなるのではなかろうか。円高で電気料金の値がさがったのは庶民には助かる。

2010年9月 7日 (火)

田川紀久雄日記

大型台風が日本海から太平洋に通過する可能性が高い。雨が一ヶ月以上降らないと生態系が狂ってしまう。この猛暑も早く去って欲しいと願う。でも台風は怖い。
民主党の代表選挙の演説を聴いていると馬鹿馬鹿しく感じる。国民には投票権がない。ようは身内の利害関係で決まってしまうのだろう。大統領制にした方が良いと思いたくなる。
操車場四十号と詩集『祈り』を送ることが出来た。生きていられる間に、やりたいことを積極的に行なうしかない。末期ガンである以上、いつ突然に亡くなるかも知れないのだから。生きていることの意味をひたすら求め続けていくしかない。意味とは理屈ではなく、実行という行動の中にしか答えはない。
いま一番行ないたいのは詩語りである。多くの人たちに語りの素晴らしさを伝えてゆきたい。免疫力をつけるには、語りが出来ることが一番の薬なのだ。ひたすら精進に精進を重ねて生きていれば自ずから道が開けてゆけるものと信じている。先日の山本萠さんの会でも二篇語れたことはうれしかった。そのお陰で帰りの道は腰の痛みも取れて無事に帰宅ができた。萠さんの朗読もとても良かった。

2010年9月 6日 (月)

田川紀久雄日記

私が来年には四十度になるのではないかといったことが、昨日京都府京田辺市で三九・九度の記録がでた。これは猛暑というより異常気象である。
清瀬に出かけるとき浜川崎まで歩くことが出来なかったが、山本さんたちのグループに出席していると、気分が良くなったせいか、帰りの歩行が楽になっていた。気の流れで歩き方がこうも違うのかと痛感した。でも萠さんのリュウマチがとても心配だ。こんな暑いのにエアコンのない生活は大変だ。クラーはリュウマチには悪いからだ。私も指先がリュウマチである。やはりクラーにあたると痛み出す。
お世話になっている方に詩集を送らなければならない。そして残りを売らなければ印刷代がでてこない。詩集を上梓するにも生活を懸けて行なっている。ガンへの免疫力を高めるためにも詩集を上梓することは大切な営みである。

2010年9月 5日 (日)

田川紀久雄日記

今日は清瀬で山本萠の会がある。できたら参加してみたい。
保坂さんから連絡で詩集が出来上がったということだ。
坂井信夫さんから『嶺」の仕事がはいる。これで漢方の生薬が買える。朝鮮人参は必要である。このところ買うお金がなかったので漢方を煎じて飲むときに入れていなかった。いま漢方の店で生薬は買えない。おかしなことだ。横浜の中華街で食料の材料としては手に入れることができる。薬事法が薬局や私のように求めている人にとっては悪法である。大手メーカーが漢方を取り入れた薬品を馬鹿値で売りさばいている。インチキの薬が売られている。漢方の知識があっても活かせないのが不思議な世の中だ。
人明かりというのは、自分の生き方が人にあかりを照らすことの出来るという意味である。人が明かりをという言葉とは違う。新聞のエッセイで直されたが、私はやはり人明かりが、自分らしい言葉使いだと思う。新聞だと誰にもわかる言葉が優先される。そこに言葉の落とし穴がある。

2010年9月 4日 (土)

田川紀久雄日記

小沢氏は国民の目線でといいながら、検察審査会は「素人」だというのは矛盾している。審査会にはまだ問題点もあろうが、このような発言する人間は信用ができない。素人だから人の心がわかるというメリットがある。谷亮子が小沢氏の後ろに映っているテレビの画像をみると嫌な気分になる。
昨日から操車場の印刷を始める。印刷には二日半かかる。それから製本を行なうとまる三日費やすことになる。身体的にきついが、本が出来上がる時の楽しみは格別なものがある。今回からプリンターを新しいものにしたので印刷も以前より綺麗になった。印刷にはいろいろとお金がかかるものだ。
若林妙子さんから年間購読料と詩集代が送られてきた。ありがたい。これで国民年金と介護保険が払える。
多くの人の支えで生きていられる。エッセイで人の温かみと生きる豊かさを書きたいのだが、なかなか書けないでいる。いままで愚痴ばかり書いてきたような気がする。こうして生きていられるのだから、もっと前向きなものを書きたい。そしてもっと人の前に出てゆきたい。

2010年9月 3日 (金)

田川紀久雄日記

何のために生きているのだろうか、と人は時々問うものだ。それは軽い欝の現象なのかもしれない。いや生きていることの不安から来るものかもしれない。でも、生きている意味は、いま生きていられることの実感ではなかろうか。いま生きていられるから、何かをしようと思えば、何でも出来る。また何をしなくても自然の美しさを見ているだけでも良い。
ガンといわれたことによって、日々の生き方が変ってきた。生きることに積極的になっている。しかし、なかなか思うようには出来ないでいるが、それでもいま生きられていることが愛おしく感じられる。
初代の若乃花が肝臓ガンでなくなった。あの小さな身体でよくも大きな力士を倒したものだ。小さい身体は弱点ではない。弱点を活かすことによって、無限な力が生まれてくる。そこには多くのことを学ぶことが出来る。しかし、その裏には人には言えない苦労と努力がある。
いま私は日々ガンという状況の中で楽しみながら生きている。夢が叶うことではなく、夢に向かって生きていることこそが大切なのだと思う。

2010年9月 2日 (木)

田川紀久雄日記

昨日の小沢氏の会見の中味は空虚そのものである。子供手当ても、財源がないのに2万6千円の支給をと言っているが、世間の意見がいまどのようになっているのかまったく理解していない。観念論を振り回しても国民の心をつかめない。小沢氏についている若手の国会義員たちはまったく自分の思想をもっていないようだ。鳩山氏ははやく政界から去るべきだ。
操車場の原稿がすべて集まった。四十号には鈴木良一さんも参加してくれた。そして『いのちの聲』の詩集の予約までしていただいた。この詩集は来年発行予定なのだがありがたい。あとは校正ゲラを待つだけだ。四日ごろに印刷にかかれそうだ。
毎日エッセイを書いていると、やっと自分が伝えたい世界が書けるようになりつつある。人明かりをめざしたエッセイを書きたい。ガンになったお陰で、新しい世界に出会うことができた。ガンは神様が私に与えてくれた宝ものだ。一日一日を大切にして生きてゆける。
腰の痛みを癒す温泉にでもゆきたいものだ。相棒に「ねこ新聞」より原稿依頼の仕事が入った。そのお金で温泉にゆきたいものだ。楽しいことを夢見て生きていれば、ガンの不安も感じなくなってゆく。

2010年9月 1日 (水)

田川紀久雄日記

九月になったというのに、相変わらず猛暑が続いている。
国民感情を無視した民主党の選挙はあきれて何もいう気が起こらない。これでこの問題が解決したわけではない。政治というものは結局権力闘争以外の何物でもない。ゲバラがソ連の共産主義に愛想をつかしたのも独裁的な権力だからだ。本当の自由は永久革命的な世界にしかないらしい。
私は、エッセイで人明かりの世界を書きたい。でもなかなか上手く書けないでいる。生きることの尊さといのちの大切さを見つめていたい。
詩集の出来上がりが遅れている。あと数日で出来ると思う。五日の山本萠さんの会には持ってゆきたい。そして十一月には『祈り』を語りたいと思っているのだが、画廊からまだ出来る日の連絡がこない。
操車場四〇号の原稿がまだ集まっていない。この暑さでなかなか思うようにいかないのだろう。ちょっと精神的に疲れてもいる。
指揮者の小澤征爾さんの身体は、随分痩せたように感じられる。抗癌剤のせいかもしれない。そして松本での指揮も腰の痛みで下野竜也さんが代演するという。ガンが完治したといっても、本当はその後の人生が大変なのだ。腰の痛みが早く治ることを祈る。

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