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2010年8月31日 (火)

田川紀久雄日記

鳩山氏と菅氏との会談、菅氏は自分の主張を貫けず、小沢氏との会談を受け入れてしまった。こんな意気地のない首相では国民はついていかないだろう。腰抜けの首相としかいいようがない。これでは国民は政治に興味を失ってゆく。
エッセイでいのちの大切さといのちの不思議さを書いてゆきたい。その糸口がなかなかつかめないでいる。これからの私の仕事は詩人というよりエッセイストの仕事を増やしてゆきたい。そのためにはひたすら書き続けてゆくことだ。
いまこうして生かされている自分の姿を見つめ、そのことで人生の深みを掴み取りたいものだ。医学がどんなに進歩しても、つねに限界がある。その限界を超えられる力が心の問題なのだ。人はどんなに強がりをいっても、本当は弱いものだ。この弱い心が強くなる秘訣を秘めている。女々しく生きることも必要なのだと思う。その女々しさをどのようにバネにして変化してゆけるかが、その人の生き様になってゆく。明日死ぬかもしれないが、未来へのために種を蒔きつづけることが生きている意味につながってゆく。もし誰に認められることがなくても、生きていた意味はある。生の不思議さに向かっていきていたい。
詩誌受贈『鹿・120号』

2010年8月30日 (月)

田川紀久雄日記

浜川崎の野良猫のランが仔猫をつれて現れる。大変だ。避妊手術をしなけばいけないだろうが、ネコはそう簡単につかまらない。それわ私にはその手術代がない。といって相談する相手もいない。どうしたらよいのだろうか思案に暮れる。いつものように餌をあたえるしかないのだおろうか。餓死させるわけにはいかない。
財政赤字であっても、日本は未来にむけて福祉国家を作り上げてもらいたい。そのために税金があがることは国民はいとわないだろう。最小限の不幸ではなく、すべての人たちに最後まで生きる希望が持てる社会を目指してもらいたい。そのためには政権を安定化しなければならない。
部屋においていたものが突然になくなることがある。このようなことはたびたびおこる現象だが、携帯の充電器が見当たらない。これにはこまった。一週間も探しているのだが、いまなお見出せないでいる。多分買った途端に見つかるものだ。
電気・ガス・水道・電話・インターネット・新聞代もろもろのものを支払うと生活費ののこりは僅かしかない。毎日の生活費を千円以内に収めることはとて難しい。それに病院代がガバット出る。暑い夏には冷えた西瓜も食べたくなる。欲望は残酷な渇きをさそう。

2010年8月29日 (日)

田川紀久雄日記

身体の調子が悪く、昨日は一日中寝て過ごした。この暑さはどこまで続くのだろう。八月の最後の日曜日だ。学校ももうすぐ始まるというのに、昼間三十℃を下がる日はなかった。イスラム教の断食も大変である。
小沢氏の立候補は庶民感覚をうしなっている。言葉だけの庶民だけが彼の脳裏の中を駆け回っているだけだ。まず金銭問題を庶民に説明してから立候補に立つべきである。鳩山氏はさったさと政治の世界から足を洗って、奥さんと老後を楽しく生きることだ。
メキシコ湾の原油流出で自然が破壊されたが、この原油を分解するバクテリアがいま急増しているという。自然の力は凄いものがある。
豪雨で山崩れの被害がでているが、山の手入れがされていないことも原因にあげられるだろう。失業対策の一環としてこの山の手入れを早急にしてもらいたいものだ。昔の美しいふるさとを取り戻してもらいたい。いま里山問題が話題になっている。川崎では池や田圃がほとんどないためかトンボの姿が見られない。浜川崎周辺にも昔は池があった。フナつりをしていた人もいた。川崎南工の建物は取り壊したが、そのあと自然の公園をつくってもらいたい。臨海工業地帯だからこそ、小さな森でもよいからほしいものだ。

2010年8月28日 (土)

田川紀久雄日記

間寛平さんが中国大陸を走っている。ガン患者に大きな勇気と希望を与えてくれる。人は夢に向かって生きることが必要だ。それに対していまの政治の世界では、まったく未来も夢もない。首相がころころ変わる政権なんて、危機的状態である。政治家はそれを知りながら、権力闘争にはしる。近代史を紐解けばいかにその後の日本がどうなったかがわかるのに。
この暑さは九月一杯続くという。ここに来て身体がばて気味だ。胃の調子も悪い。エアコンを消すことができない。一ヶ月以上もエアコンをつけっぱなしにしていると、身体全体がだるくなる。自然の涼しい風が欲しくなる。
詩誌受贈『木偶・82号』『まどえふ・15号』

2010年8月27日 (金)

田川紀久雄日記

鳩山さんの大義名分などと馬鹿げた発言には驚くばかりだ。国民はこの馬鹿げた芝居をただ傍観していろというのか。小沢氏についているチルドレンたちもなさけない。政治家なら自分の意見をもって行動しろといいたい。これで国民は簡単に政治に無関心になってはならない。政治は国民の生活の問題である。だからこそ言いたいことは言うべきだ。無言に陥ってはならない。
ガンの告知は難しい。アメリカなどでは九八パーセント告知をするという。でもその内容は、医師が患者から訴えられないためなのだ。訴えられれば莫大なカネが請求されかねないからだ。私は最初から「あなたは末期のガンで手術もできません」といわれたことは良かったと思う。何も知らされないで治療されてはたまらない。このことはエッセイで書いておきたい問題だ。
この暑さはまだ二週間も続くという。この私も身体的にまいっている。この暑さのために歩行訓練ができない。体重が太る。なんとかして痩せないと大変なことになる。昨日は病院は患者が一杯溢れていた。長い時間待たされる。夏休みだった一部の医師たちが戻ってきたからだという。血液検査も精神的に疲れる。注射をするのがだんだん嫌いになってくる。

2010年8月26日 (木)

田川紀久雄日記

今日は、血液検査と他の検査もある。半日病院にいなければならない。
民主党の党内抗争は、救いがたいものだ。勝海舟が生きていたら、何と言っていただろう。洗足池の周囲は町工場がたくさんある。明日いきられるのか不安に慄いている人たちが多く集まっている。庶民は選挙が終れば、何も出来ないのか。せめて言いたいことぐらい自由にさせてもらいたい。
ネコの餌あげで、「ネコに餌をあげるな」と怒鳴られてもこまったものだ。ネコに餌をあたえなければ、餓死してしまう。気の毒と思うから餌を与える。可愛ければつれて帰れという。そのような問題ではない。でも批判されると、それに反撃することができない。ネコに困っているからと住民から訴えられば、裁判は負ける。ネコを眼の敵にして怒る神経は私には理解できない。人間はいつの間にか弱い立場の生き物に手を貸すことを忘れてしまったのだろう。浜川崎周辺は操車場でほとんど住民はいない。良い対策があったら教えてもらいたいものだ。罪もない犬猫が年間に何匹処分されているのか、批判する人たちは知っているのだろうか。
信州日報に、私のエッセイが掲載されたと井原さんから電話があった。保坂さんからも今月中に『祈り』が出来上がるとの連絡があった。
詩集受贈『平野宏詩集・でんでらじゅう』(砂子屋書房)
彼は下喉頭部にガンがみつかり、二か月半も入院したとあとがきに書かれている。この詩集の題の詩はとても楽しいリズムで読み応えがある。年齢もほぼ私と同じだ。興味深く読ませてもらった。

2010年8月25日 (水)

田川紀久雄日記

梨元勝さんのブログを批判する人がいるが、それはおかしな話だ。人間は誰でも死ぬものなのだ。彼は同じガン患者に生きる勇気をあたえてきた。それが途中で亡くなったことにたいして、やっぱりガンは助からないのだというのは誤りである。大切なことは精一杯生きたことである。梨元さんは、ガンに負けないで生きてみようと思っていたのだろう。ガンであるかどうかより、まず人間としての生き方が問われている。そのことに対しては立派であった。ガンというイメージだけであれこれいうものではない。ガンになったことによって、より人明かりの人生を選んだことに拍手を送りたい。
相変わらず猛暑が続いているが、夕方になればもう秋の虫が草むらから鳴き声が聴こえてくる。確実に秋が近づいていることを感じる。今月の電気代はどのくらいかかるのかちょっと心配だ。円高なのだから、電気代が安くなってもよいはずなのに。国民の生活はますます苦しくなってきている。菅首相ももっと自分の意見を明確に打ち出すべきだ。ねじれ国会であったとしても国民に未来へのビジョンを打ち出して言ってもらいたい。円高の対策も遅いような気がする。街の零細企業は悲鳴をあげている。このままだと次から次へと倒産してゆかざるをえない状況である。日本の船は何処へ向かって進んでいるのかさっぱり見えてこない。船の底は小さな穴だらけである。

2010年8月24日 (火)

田川紀久雄日記

梨元勝さんは、21日に肺がんのため六十五歳で死去。ガンであることを公にしてガン仲間を励ましていた。やはりガンは今でも恐ろしい病である。このわたしのブログ日記もガン日記であるが、いろいろと考えさせられる。エッセイでも随分ガンのことについて書いてきた。ほとんど発表をしていない。いまは、なぜ三年もなにも治療しないで生きていられるのかを書いている。そのうち小冊子として出してゆきたい。
ギリヤーク尼ヶ崎さんの夢をみた。かれは、私に語りの極意を教えてくれた。聲をたっぷりだしてその上に言葉をゆったりとのせることだと。これは、日本の語り芸の基本的な方法でもある。詩人たちは、そのことがまったく理解していないので、日常の聲そのままで詩を読んでしまう。それでは朗読にはならない。ただ。テキストを読んだということにほかならない。聲に言葉をのせるには日々の精進があったできることなのだ。なによりも安定した聲が出せることが求められている。そのためには、義太夫や、浪曲などをじかに聴くことが求められる。そして多くの朗読に耳を傾けることによって、なぜ詩人の朗読が駄目なのかを学びとってゆくことだ。詩人達に説教しても何もならないが、自分を戒めていくために書いていくしかない。

2010年8月23日 (月)

田川紀久雄日記

昨日は有意義な戦争についての話し合いが川崎詩人会で行なわれた。八月ぐらいは、真剣になった戦争について語ることが大切である。宇多禮さんが、今の若い人たちには、社会学と倫理学を学んで欲しいと提言をした。
みんないろんな考え方がある。一方的な考え方では、話し合いにはならない。私もふくめてだが、日本人は会話下手ではなかろうか。相手の話を親身になって聴くのが苦手らしい。つい自分の意見を述べてしまう。結論を急いではならない。
二次会も楽しかった。宇多禮さんからカンパをいただく。二十六日の病院代が助かる。
いまアジアの各地が洪水で大変な被害がでている。北朝鮮でも大洪水の被害が出ている。どのような人でも人のいのちは大切なものである。政治の枠を超えて援助してもらいたい。そのためにはまず国連の働きが必要になる。
暑さは十月頃まで続くという。まだまだ熱中症で倒れる人が出てくる。
認知症や障害者の面倒をみていれば、仕事にも就けない。どうしても親の年金で面倒を見るしかなくなる。介護をする側にも政府は援助しないと生きていけない。と言って生活保護を受けにいっても、まず認めてはくれない。あなたは家族なのだから面倒をみるのは当たり前といわれる。私も妹のことで仕事にありつくことが出来なかった。そのため年金も払えずにきてしまった。だから六十五歳をすぎても年金などもらえないでいる。生活保護を申請しにいっても玄関払いである。役所は親身になって話を聞いてはくれない。今の私は多くの人たちのカンパがあって何とか生きていられる。
詩集を上梓しても、謹呈はなかなか出来ない。『祈り』の詩集も予約購読を取るしかない。
郵便振り替え 「00160‐5‐18362 漉林書房」に本体価額2000円で予約完了です。

2010年8月22日 (日)

田川紀久雄日記

民主党の小沢派は、まったく政治の流れがわかっていない。国民は小沢氏を支持していない。金銭問題が何一つとて解決されていない。いま権力闘争を行なっている時期ではない。テレビで映っている小沢氏の眼は死んでいる。いくら笑顔を作っても国民を欺いている顔にしか見えない。
天彦五男詩全集(土曜美術社)が送られてくる。立派な本だ。癌で亡くなったことを思うと、胸が痛む。
最後の詩に「束の間」が掲載してある。
老いてみなければ
病んでみなければ解らないことがある
まさにその通りだ。病むことによってしか解らないことが確かにある。その病をマイナスと捉えるかプラスと捉えるかによって、人間の価値が決まってくる。病そのものはマイナスであったとしても、精神的にはより豊かな宝を得ることが私には出来た。
彼は睾丸癌と食道癌であった。「独楽詩集Ⅴ」はこの病のことを書いてある。飄々とした筆使いであるが、無性に悲しくなる。
午後から川崎詩人会の例会がある。ここでお金を使うと二五日までの生活費がもたない。といって行かないわけにはいかない。仲間とあうことは楽しいことだ。

2010年8月21日 (土)

田川紀久雄日記

作家で一日数十枚以上書いている人の頭はどうなっているのだろう。一日に百枚ほど書く人もいるという。私も数枚は書いているが、この熱さの為に脳が疲れてきている。いまはただパソコンを開いてその前に座っているだけだ。書くことが何一つも浮かんでこない。机の横に淹れたてのコーヒーを飲んでいる。
昨日からジミー・C・ホランド著『自分らしくがんと向き合う』を読み始めている。訳文がとても読みやすい。エッセイで、今私は三年も末期癌と闘って生きている。とても不思議なことだ。そのことをすこしでも書いている。元気に生きている末期癌者のはなしは、人に生きる勇気をあたえるのではないかと思うからだ。辛い話が多い中で、楽しく生きている話も必要ではないのだろうか。これはまったく個人的な体験であるから、他の癌患者には参考にならないかもしれない。でも事実こうして生きている。そのことが大切なことである。これは私にしか書けないテーマである。闘病記などを読むと辛いはなしばかりだ。そして毎日詩語りの精進に励んで生きている。このエネルギーの源を探る旅もたのしいものだ。ある面で過去のせきららな出来事も語らなければならない。書くことが人明かりにつながってくれればありがたい。ただ一日を真剣になって生きてゆくしかない。このことが活かされていることへの恩返しである。

2010年8月20日 (金)

田川紀久雄日記

海老蔵のNHKテレビを観た。プロになるということはやはり大変なことなのだ。私もつねに不安を感じながら語りの稽古を続けている。確かに稽古を続けておこなっていると、よくなっているのが後になって感じる。そのときは不満であっても、その不満の状態を抜けきらないうちは、その先が見えてこない。抜けきれば、また次の不満に出会う。その繰り返しが、その人の芸風をつくっていくのだろう。だから、諦めずにやり抜いていくしかない。自分が凄いとおもっても、誰も認めなければ何の価値もない。つねに謙虚な生き方が大切なのである。
信州日報から校正ゲラが送られてくる。その封筒の中に、山本弘のことが書かれてある記事の新聞も一緒に来た。資料としてはありがたい。絵画は、実物を見るより他にはどうすることも出来ない。文章で絵などわかるはずがない。ただ文章によってその画家の在り様がみえてくればそれでよいのだろう。私の文章は、どうみても下手糞だ。でも書き続けていくことは私にとっては意味のあることだ。今月はエッセイを原稿用紙だと二百枚ぐらい書いた。一日一生の生き方をしていく以外にない。癌になって死なずにいる私には、仕事をさせるために神様が活かしてくださっているのだと思う。

2010年8月19日 (木)

田川紀久雄日記

新橋演舞場での海老蔵の芝居に辛口の批評が相次いでいる。結婚したてだからとの言い訳は役者には通用しない。本物の役者は叩かれるほど強くなってゆくものだ。叩かれることは役者のとってありがたいことなのかもしれない。カネを稼ぐにはどんな世界でも楽なことはない。名門であれば、普通の役者の何百倍もの努力が求められている。それが出来て初めて名門の子として成長していける。
それに比べると詩人たちの朗読会はあまりにも酷すぎる。このあたりで厳しい批判者もでてきてもよいのではないか。悪くても許してしまうこの体質に詩人の問題が隠されている。最近新聞にエッセイを書いていると、そのことが良く解る。どうしたら読者にサービスができるかを考えながらしか書けなくなる。これは人明かりの問題でもある。この前発表した記事を、あらたな視点から書き直しをしてみた。貪欲な研究心が人に読んでいただける作品に仕上げてくれるのだろう。取り立ててなんでもない文章を書くにもそれなりの努力はいるものだ。
都会型の街並は、猛暑には弱いものだ。自然を取り戻す対策をしていかなければ、ますます都会は住みづらくなる。東京湾の入れ口に巨大なマンションを次からつぎへと建ていく。これでは風の通り道を塞いでいるようなものだ。日本の美しい町並みの風景がどんどん消えていく。こんな猛暑では小さなエアコンは効かない。

2010年8月18日 (水)

田川紀久雄日記

こんな暑い夏は生まれて始めての経験だ。近年中に四十度を越す夏がくるのではなかろうか。温暖化の対策はこのままでは手遅れになりつつある。エアコンのない家では、もう人は住めなくなる。こうなると原発の正当化が大手を振って罷りとってしまう。
島村直子さんから、『恋の絵画』をいただく。以前買ったはずなのにどこかに仕舞いこんでみつからない。そして五線譜にかいた詩のコピーもいただく。詩語りテキストに打ち込まなければいけない。
医療費に莫大なカネが罹る。それは高度な医療体制を次から次へと作り続けるかqらだ。そのためにか医師は患者の心を理解することを忘れていく。検診にいっても、パソコンの画面をみながら、患者と対話をするだけだ。まともに患者の眼をみることはない。いくら高度な治療をうけられるといっても、患者は安心などできない。まず心と心の対話のないところでは、無駄な医療費がとられるだけだ。いまの医師は患者との対話が少なすぎる。つまり心のケーアができていないということだ。昔のように町医者の数が少なくなっている。川崎も総合病院ばかりが沢山ある。そこでは流れ作業のように患者が物のように扱われるしかない。とくに癌患者は、医師からの扱いは冷たい。癌であることを告知しないまま治療を受けている人も多い。病院では、人間として生きるための条件が不足している。設備にカネをかけても、人の心は疎かにしておく。これが現代医学の姿である。癌になったら自分の生き方は自分で決めていくしかない。医師にまかせていたら、必ず死んでしまう。エッセイを通してもっとこのことを書いてゆきたい。

2010年8月17日 (火)

田川紀久雄日記

ブック・オフで癌に関する本を数冊買う。その中に柳田邦男著『ガン 50人の勇気』(文藝春秋)がある。その中に「希望とは、医学的に癒(なお)るというような狭いものではない・与えられた生ある一時一時を、怖れずに、せいいっぱい信仰を持って生き抜けるという確信であり心のふくらみである。」と書かれている。まさに私も与えられた生を精一杯生きることが生への恩返しだと思っている。そのようにして私は末期ガンの宣告の日から今日まで生き抜いてきた。癌が治るかどうかという気持など私にはなかった。精一杯生きていればなんとかなるという楽観的な態度が、いまなお死なずに生きられている秘訣なのかもしれない。私の夢を断ち切る人もいたが、今はそのようなことなど何も気にしていない。それを逆にバネにして闘うことにしているからだ。そしてそのことで逆に私を応援してくれる人たちにも会えた。
いま多くの人たちの温かい行為の中で生きている。人を信じて生きていられることは、やはり一つの生き甲斐につながってゆく。いま文章を書く楽しみを味わっている。そして書くことの中で生の意味が見えてくる。発表するあてがなくても、書くという行為の中で自分と闘っていられる。いま医学的な希望より、生きていられる希望で日々楽しくすごしている。最後まで自分の仕事に打ち込んで生きていたい。できれば語りの場が欲しいだけだ。

2010年8月16日 (月)

田川紀久雄日記

本当に暑いなつだ。いま高校野球がとても面白い。昨日の仙台育英の試合を最後までみてしまった。ボールを追う姿に熱い魂が感じられる。ぜったい諦めない姿がいい。それは常日頃の練習があってこそ出来るものである。練習の厳しさが結果として現れる。いまはプロ野球にまったく興味を失っている。楽天が最下位ではつまらない。そして横浜も弱すぎる。監督のせいとは言いたくはないが、監督に問題がある。
風がないと語りの稽古もつらい。蒸し暑いと長い時間稽古が出来ない。体力的にもきつい。一日でも聲をあげないと、聲の調子が狂うものだ。だからある程度は時間をかけて行なわなければならない。稽古の量が自信に繋がってゆく。本当の自信に繋がるには、やはり相当な時を要する。その自信がまだまだつかめないでいる。毎日が不安の中で聲をあげていくしかない。一聲に魂をいれていく訓練をつづけていく中でしか自信につながらないのだろう。お客から料金をいただくためには、あたりまえのことだ。かつて川尻育と付き合っていた頃、彼女は金がなくても毎日稽古に通い続けていた。ライブはそれほど出来なかったが、足のふら付くダンサーを見ると罵倒したものだ。彼女から沢山のものをいただいた。最後は癌でなくなってしまった。彼女も「芸術家の肖像」のなかの一人にいれたい。青山で一緒に公演をした。今から思うとととても懐かしい想い出だ。

2010年8月15日 (日)

田川紀久雄日記

八月十五日は終戦記念日である。この記念日という言葉に違和感を覚える。テレビで盛んに特集を組んでいるが、押し付けがましいような気がしてならない。沖縄の米軍いつ問題はいつまでたっても解決はしない。中国の軍事力が拡大されている。北朝鮮の問題も、なに一つ進展がみられない。平和のように見える日本も、実はとてつもない状況に置かれているのかもしれない。この円高も異常なことである。アメリカの景気への不安。本当に安心して暮らせる日本とはほど遠い。失業問題・自殺者がたえない社会。家族の崩壊。先がまったく見えない日本だ。政治家達は相変わらず権力闘争。その中で、詩人の仕事は人明かりを求めて生きていかねばならない。人々に読まれる詩。そして感動をあたえられる詩語りを求めて生きてゆきたい。
武井まゆみさんから、年間購読料と詩集『祈り』の予約のお金が届いた。そして私の詩「島村洋二郎の眼」を褒めていただいた。それも洋二郎さんの絵ハガキでだ。次回の詩は「亀岡新一のいのち」である。

2010年8月14日 (土)

田川紀久雄日記

このところ、読み応えのある詩集が送られてくる。井崎外枝子詩集『金沢駅に侏羅紀の恐竜を見た』(思潮社)も読んでいて楽しい。彼女は朗読の上手い人である、この詩集を聲で聴いてみたいものだ。
レザープリンターが駄目になったのでヨドバシカメラにいく。今の機種よりスピードのあるものを購入する。それとトナー三本を買う。四万二千円かかる。操車場の本作りには欠かせないのでいたし方がない。これも年間購読者と温かいカンパのお陰である。高田眞さんから、年間購読料が振り込まれてきた。温かい支援がなければ、わたしは一歩も進めない。
運動不足で体重が増えてこまっている。このせいで腰に負担がかかっているのだろう。食事制限をしているのに、少しも痩せる気配がない。何かの理由をつけて外出しなければ、身体がなまってしまう。といって外出をすれはお金が出て行く。これには困った、明日のアオキさんたちの踊りも見にはいけない。今月はとくにピンチなのである。二十二日には、川崎詩人会もある。それにこの猛暑ではエアコンの電気代で大変な思いをする。生きていられるだけでもありがたい。CDを処分したいと思っているが少しでも高く買ってもらえるところがないものか。ブック・オフはあまりにも安すぎる。『祈り』の予約購読者がいくらかでもあればと思うけど、ほとんどゼロに近い。この印刷代も何とか詩集を売っていくしかない。生きていくことはとてもエネルギーのいることだ。

2010年8月13日 (金)

田川紀久雄日記

冨上芳秀さんからハガキ通信が届いた。発表のあてがないのに、どんどん作品を書いているという。私もそうである。エッセイは毎日一本仕上げている。末期癌を宣告されてば、たいてい一年ほどで亡くなる。それがこうして生きていられる。それなら生きている証として、詩語りの精進と、原稿を毎日書くことをしている。ただ無為にいきているのはなにか申し訳のないような気がする。最近、やっと書くことの楽しみを少しはわかってきたような気がする。これもパソコンがあるお陰だと思う。パソコンの前に座ると、自然に文章が書ける。いくら書いても、次からつぎへと湧いてくる。小さい時から一旦書き始めるといくらでも書けた。ただその頃は自分から机に向かって書くことはしなかった。なまけものであっただけだ。そのなまけものがここに来てやって眼が覚めたということらしい。いけないのは書きぱなしのままにしていることだ。
相棒が働きに出ている以上、カネにはならないがやはり自分としての仕事をしなければならない。人明かりになれるための努力こそいま求められている。報われることなど何も求めてはいないが、生活のことを考えると無性につらくなる。こうしてなんとか生きていられるのも、私を応援してくださる人たちのおかげである。
『祈り』の詩集のできあがりが今月の下旬になる。発行日が十月になっているのは、『詩と思想』10号に、巻頭詩が載る予定になっているからだ。そして十一月には個人的に企画したライブを行なう予定になったいる。ライブを行なっていくらかでも生活費を稼がなくてはならない。そのためには、人に聴かされる語りを行なうだけだ。ひたすら精進しかない。

2010年8月12日 (木)

田川紀久雄日記

「1986年のチェルノブイリ原発事故で放射能に汚染された露南西部ブリャンスク州で、猛暑と干魃(かんばつ)を受けた28件の森林火災が発生し、269ヘクタールを焼いたことを明らかにした。」と報道されているが、ロシア当局は放射能汚染を隠蔽している。
放射能汚染によって、癌になる人がどれだけでてくるのか、政府は、火災との因果関係がないというのがいつもの対応なのだろう。日本政府も放射能漏れの事故をつねに起こしている原発にたいしても、人体にはほとんど影響はないと説明をしている。微量放射能漏れでも、なんども浴びてしまえば、いつかは癌になってゆくものだ。
高速道路の渋滞で排気ガスが大量にばら撒かれている。無料化にする車は、電気自動車のみとすべきである。無料化問題は、かえってマイナスのイメージを与えるだけだ。マニフェストにこだわる必要などない。まず財源を確保することをしなければならない。国の借金は900兆に達したという。子供手当ても考えるべきだ。それより保育所を作ることが求められている。どのような福祉国家を作り上げていくのか、明確なビジョンが求められている。
高松昶さんより操車場の年間購読料が振り込まれてくる。ありがたい。昨日のCTの検査で12000円も取られた。何とかしてカネを稼ぎたいものだ。病の治療と腰の悪化でどうにもならない。
「飯田の異邦人」という題で井原さんに原稿をおくる。

2010年8月11日 (水)

田川紀久雄日記

今日はCTの検査である。また一万円近く取られてしまう。
尾崎寿一郎さんから原稿が送られてくる。尾崎さんは丁寧に調べて書いている。
井原修さんより島村『最初に洋二郎の絵に出合った思い出』を信州日報に書いてみてはと言ってきたが、飯田そのものの風土を全く知らないのでこまってしまった。信州日報である以上、飯田に触れながらかかねばならないだろう。読者は飯田の人たちなのだから。草稿はできたのだが、いまいち不満である。題は『飯田の異邦人』とした。稿料は入らないがいい勉強になる。発表できる場があるだけでも嬉しい。そして多くの人の眼に触れる。新聞社といえども地方の新聞社は財政が厳しいのだろう。
NHKの朝のテレビドラマの『ゲゲゲの鬼太郎』のように名が出るまでは辛抱してゆくしかない。詩語りもひたすら辛抱をしていかねばならない。並みの語りでは、誰もが相手にしてはくれない。そのた大勢の中に入れられてしまう。この貧乏生活に耐えながら、自分の道を切り開いてゆく以外にない。
台風四号が日本海に向かって進行している。そのせいか昨日は非常に蒸し暑かった。寝たのかどうか解らない状態だ。
日韓併合で菅首相が談話した。安部前首相は批判をしたが、私は菅さんの発言に賛成する。これからは日韓仲良く未来に向けて生きてゆきたい。

2010年8月10日 (火)

田川紀久雄日記

チェルノブイリ地区の森林火災は、放射能残留濃度が高い。原発事故の恐ろしさがいまも続いている。チェルノブイリの事故では、問題がほとんど解決されていない。核の廃絶の叫び声はあっても、原発の停止の運動が何故おこらないのだろう。ナガサキの原爆投下が昨日であったが、焼きただれたマリア像は胸に痛みとして突き刺さってくる。
テレビなどでも戦争を題材したドラマが放映されるが、個人的には見たくない。どこか間違っているような気がする。語り継ぐことの難しさを考えてしまう。ここには天皇制の問題が隠蔽されているからかもしれない。この天皇制問題におとしまいをつけない以上答えはありえない。これは天皇個人の問題とは別なことだ。戦後私たちは自ら自由を得たわけではない。この自由ということばも履き違えている。自由とはなにを行なっても良いという意味で使われてきた。責任のとれない自由が蔓延っている。
私はやはり日本人として詩でおとしまいをつけなければならない。そして日々の生き方がどうあるべきか、を追い求めていくべきである。いのちの大切さを守るためにも詩語りを続けてゆくべきだ。

2010年8月 9日 (月)

田川紀久雄日記

桜井さざえ詩集(土曜美術社)が送られてくる。私は初めて聴くなまえだ。『倉橋島』全編が収められている。花の詩集は好きではないが、この倉橋島はなかなか読みごたえがある。操車場の野間さんも呉のうまれだが、桜井さんも同じだ。そして川崎の在住である。
長谷川利行の詩を書いたが、上手くかけない。資料が手許になにもないので内面の世界まで掘り下げることができなかった。画集を見つけ出して、もう一度書いてみたい。詩語りについても順調に書き進んでいる。
信州日報に掲載した坂井のぶこさんの「ネコのトンネル」はなかなか評判がよい。誤植はあったが、それほど気にはならない。新聞に載るということは詩誌などより発行部数が多いので人の眼にとまる。そのことだけでもありがたい。
テリーテンペスト・ウィリアムス著『鳥と砂漠と湖と』という小説がある。ネバタにおける地上核実験は1951年から1962年まで行なわれて。この地区は人が住んでいないはずなのに、実質的非居住者がいた。実験後の彼らは十四年後の癌にかかってなくなってゆく。被爆の眼にみえぬ恐ろしさが描かれている。アメリカで行なわれた核の実験ではまだ報道されていないことが多いはずだ。核の恐ろしい悲惨な事故をもたらす。それなのに、なぜ原子力発電を日本政府を押し進めているのか不思議だ。日本人一人ひとりがこの問題とむきあっていかねば、取り返しのつかない事態を招くおそれがある。癌患者の一人として聲をあげていたい。

2010年8月 8日 (日)

田川紀久雄日記

渡辺めぐみ『内在地」(思潮社)が送られてきた。テーマが深まっている。彼女は詩人として前進している。ただ単に詩を書いている人間とは違う。詩に懸けて生きている。なんでも一つの世界に懸けている人のものは違うものだ。詩や詩語りの世界でも、人に馬鹿にされても懸けるだけのものがあるということだ。私の語りでも一聲発しただけでも、並みの詩人の聲とは格段の差がある。真剣に一つのものに取り組んでいれば、ある程度誰でも進歩する。まずそれに挑戦するかどうかで人間に価値が決まる。
昨日幻の甲子園をテレビでみる。主題歌を歌っていた元ちとせの聲はとても良かった。彼女の聲でなければあの雰囲気が表現できない。やhり人の聲は人に生きる勇気をもたらしてくれる。そういえばドルフィーの側に美空ひばりの銅像があった。もうあのような歌手は出てこないだろう。
昨日は疲れでほとんど寝てすごしたが、いまだ疲れはとれない。体力が弱っているのだろう。努力するば何とかなるものでもないが、その努力をしなければ何も始まらないことも確かだ。十一月からまたライブができる。それだけでも嬉しい。自ら企画して自ら行なうことから再出発をすることだ。お客が数人であろうが、まず行なうことが大切なのだ。癌であるわたしには、夢に向けてひたすら走り続けるしかない。

2010年8月 7日 (土)

田川紀久雄日記

昨夜は一時に帰宅する。本当に疲れた。でも楽しい一夜であった。ネパールの音楽家たちも熱演であった。外国人との交流は大切なことだ。福田美鈴さんはたいしたものだ。文化を通してお互いを理解しあう。温かいもてなしこそ、いま求められている。
川崎詩人会のメンバーと最後まで付き合う。私たちのライブは十一月の第二土曜日か第三土曜日に行なう予定。十月発行の『祈り』の出版記念ライブができそうだ。一年以上も個人的なライブができなかった。やっと再開の目途がたった。
昨日人前で久しぶりにおこなったが、やはりお客の前でしないとライブの感覚が失ってしまう。心で語れるライブを目指して進んでゆきたい。
操車場三九号がやっと発送ができた。プリンターの調子が悪くなった。買え変えなければならないようだ。スピードのでるプリンターが欲しい。昨日の会で、操車場を数人の人に手渡しができた。毎月作品を書くのは大変だと思うが、ここまでやってこれたのも、多くの人のお陰である。質のよい詩誌を目指してこれからも頑張ってやってゆきたい。
昨日の朗読で坂井のぶこさんの「ネコのトンネル」がとても良かった。掲載した信州日報が送られてきた。タイミングが良かった。

2010年8月 6日 (金)

田川紀久雄日記

朝日新聞の朝刊に「長崎原爆開発の地 汚染なお」の記事が載っている。敷地はいまも立ち入り禁止である。放射性の地下水を汚染が酷いという。日本の原発の冷却水は本当に安全なのだろうか。出雲崎で売られている浜焼きは誰も買う人をみたことがない。良寛記念館のうどんは美味しかった。
吉永小百合の原爆詩のコンサートがNHKで夜放映されるが、私は彼女の朗読は評価しない。詩人達がちゃんとした朗読ができないからこのような現象がおこるのだ。今日私はネパールの音楽家たちと朗読会をおこなう。そこで『いのちの聲』を初めて語ってみたい。ヒロシマ原爆投下の日にふさわしい作品である。詩人として社会的にもちゃんとした仕事をしてゆきたい。詩人の仕事は個人的にも自立していかない以上、誰もが応援してくれない。八月の川崎市人会でも「戦争について」の討論会がおこなわれる予定だ。ヒロシマ・ナガサキの問題はまったく新しい視点から詩をかいてみたい。過去の思い出としての詩では駄目なのだ。未来に向けての拓けてゆくる詩が今は求められている。ランボーの『イリュミナシオン』のような世界が求められている。いま「芸術家の肖像」を書き始めている。その後にこのテーマで詩をかきたい。詩人としての仕事がのこされている。私は癌に負けないで生き抜いていくつもりだ。そしてそれらを語れることを切に願うだけだ。

2010年8月 5日 (木)

田川紀久雄日記

原子力発電技術を海外に売る込む方針だが、これだけは辞めてもらいたい。八月六日ヒロシマの原爆投下をわすれたのか。核の恐ろしさを経験した日本は絶対核の使用を禁止すべきだ。電力なら、太陽光の技術は日本も外国に負けないものを持っている。東京電力も原子力発電は安全ですといいながら、相変わらず事故がおきている。その事故をいまなお隠蔽しようとする体質は変わっていない。柏崎原子力発電所の近くに鯨波がある。そこには魚市場がある。買いに来る客は、この辺の海で取れた魚は買わないそうだ。といっても日本海には多くの原発がある。原子力発電で働いている下請けの業者には癌になる人が多いと聞く。平和利用という名の欺瞞にみちた発電だけは中止してもらいたい。
井原修さんから、信州日報に坂井のぶこさんの文章が掲載されたと電話がくる。原稿を入れてからすぐ掲載される。私はテレビ、新聞、大学での詩語りに参加した。詩人が少しでも世の中で仕事をしてゆきたいものだ。
短いエッセイだが、毎日書いている。別に発表するあては何処にもなくても、書くことは私の中での一つの仕事なのである。ミニ冊子をそのうちに作ってゆきたい。いや電子書籍が普及するようになったら、その日のためにも今から準備しておくことが大切である。いまいろんな電子書籍が開発されている。もう少し長生きしたいものだ。

2010年8月 4日 (水)

田川紀久雄日記

寝苦しくて三時に起きてしまった。山之口貘全集の第四巻評論を読み始める。貘さんお良いとぉろは、つねに自分の立場から物を言うことだ。けっして観念的にはならない。詩もそうである。決して高踏的にはならない。そこが私には魅力を感じる。
操車場39号の印刷を始める。印刷をするのにまる二日半もかかる。なにしろコピー機が遅いので大変だ。それから製本である。三日間詩誌作りに追われる。身体的のはしんどいが、出来上がればとても嬉しい限りだ。美味しいビールが飲める。操車場はとても評判が良い。これも参加されてくれる人たちのお陰である。それはその人らしい作品を載せてくれるからだ。期待を裏切らない。このことが私には一番ありがたい。月刊詩誌だから書き手も大変だと思う。物書きならこの大変さに負けるようでは駄目である。詩人の中にはもったいぶって毎月などとても書けませんというひとがいる。操車場は支払いが大変な場合は参加費をパスにしている。私だって日々生きていること自体が大変なのである。こうして元気でいられるのも、操車場に参加してくれている人たちのお陰だとおもっている。操車場は六日頃に発送ができる予定である。六日といえばネパールの音楽家達との共演の朗読会が横浜のドルフィーである。

2010年8月 3日 (火)

田川紀久雄日記

ロシアでは森林火災で非常事態である。どこの国もこの夏は異変である。これから十年先の地球を想像すると恐ろしくなる。それなのに経済発展をどこの国も目指している。ますます温暖化が高まっていく。東京は、今日と明日が暑さのピークという。
中村不二夫著『現代詩の展望・Ⅵ』を読んでいると、詩の世界で人間の生きる希望をみいだそうとしている様子が見える。現代詩なというテーマで詩のことを考えると頭がおかしくなる。私は、素朴に詩そのものを見つめてゆきたい。詩そのものは人間のいのちであるかただ。現代詩という枠をはずしてゆくことも必要ではないのだろうか。大きな賞を撮ってからと言って話題になることもない。ましで売れて増版したという話も聴いたことがない。それより九十歳を越える人の詩集が話題になっている。
詩人の賞は、人間関係で決まるものだ。私のように二十二冊も詩集を上梓しても一回も賞とは無関係だ。多くの詩人達は賞をめざして詩集をつくるというが哀しい話だ。詩のいのちを多くの人に伝えたいために詩語りを行なっている。しかし、詩壇は詩の朗読には無関心である。こんなせせこましい詩壇なんて私には何の価値もない。詩はつねに自分自身との闘いの中で生まれるものだ。村山槐多のように血染めのラッパをならして生きるしかない。

2010年8月 2日 (月)

田川紀久雄日記

こう毎日暑いといっていると、頭がだんだんぼけてきそうだ。中国での豪雨は死者が100人以上でている。やはり世界全体がおかしい。
渡辺保著『江戸演劇史』上・下がでている。読んでみたい本だが、ちょっと高いのでいまのところ手がでない。古本屋で見つけて買うしかない。かつて保さんは、松本幸四郎が「弁慶」を批判したことがある。その松本幸四郎が「弁慶」を全国各地で行なった。私も「弁慶」に関しては渡辺保さんの方が正しいと思う。批判があったためか、松本幸四郎が意地でも全国行脚をしたのである。それは立派といえる。役者は批判には黙って耐えるしかない。やはり芸で勝負するしかないのだから。勇気ある批判と、それに負けない役者魂があれば、演劇界は面白くなってゆく。しかし最近では、批判ができる人物がいなくなった。
朗読の世界では、特に厳しいく言える人が必要である。なぜなら朗読といえども興行だからだ。批判が出来るということは、それに自分の存在を懸けていなければ』出来ないからだ。ただの批判派、批判ではない。批判する以上、どうすべきかをいえなければならない。いつ死んでもおかしくない私だから、言いたいことはいうことにしている。駄目なものは駄目である。
人間の歴史も、生きのこるために激しい戦いの中から勝ち取って生きてきた。脳の発達がそれを物語っている。
山岸光人さんから桃が送られてきた。ありがたい。

2010年8月 1日 (日)

田川紀久雄日記

冨上芳秀さんのハガキ通信(ピンク色の歯茎)は、とても楽しい。このような文章が書けるのはやはり才能なのだろう。疲れているとき、このようなハガキも貰うと心が笑える。私は人の心をほっとされるものを書いてみたい。
昨日、新橋の路上で久ぶりに黒田オサムさんにあった。かれは台湾で踊りを行なってきたという。次はメキシコに招かれているという。単独で闘って生き抜いている。
さて日本詩人クラブの朗読会はどうであっただろう。天童大人さんも見えていた。彼の志している詩人の聲が実ることを切にねがうだけだ。しかし、私は他者の聲はもう期待しない。黒田オサムさんのように単独で生きてゆくしかない。言霊を発する聲を目指して生きようとしている詩人が見あたらない。明日のいもちが解らない私は、ひたすら闘って生きてゆくしかない。身体は丈夫そうに見えても癌を抱えて生きていることはそれなりにしんどい。だからこそいのちの聲を求めて生きている。
天童氏が企画している『詩人の聲』に参加している詩人も数人朗読を行なったが、天童氏が何度も言ってる聲をあげ続けろという意味がまったくわかっていない。詩人達はやはり他者の聲を聴かないから、自分の聲がつかめないのだ。あれも駄目、これも駄目という否定続ける中から、自分の聲を立ちあげていく気持がもてない以上、これから先の詩人達の聲には絶望するしかない。それにしても五百回を越えるライブを企画したことは凄い。詩人達よせめて一人ぐらい天童氏を唸らせる詩人が出てくることを祈るだけだ。

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