無料ブログはココログ

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月30日 (水)

田川紀久雄日記

今日は胃カメラの検査である。これは何回やっても嫌な検査だ。
二時過ぎまでサッカーを観てしまった。岡田ジャパンが良く闘った。これからは選手個人個人が外国に出ていって、技を磨くことだと思う。もう一段レベルアップをしなければ世界と闘うにはまだ力不足である。でも大きな勇気を国民に与えてくれた。
最近眼が悪くなった。そのためにかいろいろと間違いを犯してしまう。五メートルほど離れると、人の顔がぼけてしまう。歳を取るということは何処もかしこもガタがくる。
昨日秋葉さんの原稿が届く。あと二人が集まれば印刷に入れる。印刷用のトナーやカラー用のインクを買う。二万円を出費する。
世の中は景気が上向きだというが、そう肌で感じられない。中小企業では、ボーーナスの出ない工場が多いと聴く。零細企業にとっては、どうもがいても立ち上がれないでいる。自己努力ではどうにもならない企業が多くある。資金の貸し渋りで潰れていくしかない。海外に出て行ける企業はまだなんとか夢を持てるが、下請けのそのまた下請けではどうにもならないのが現実だ。これは政治の仕事である。政治は不幸を取り除くのが仕事である。それがどこまで出来るのか次の参議院の選挙では問われている。国民は甘いごまかしの言葉に乗らないで、厳しい眼でみていく必要がある。騙されて苦しむのはつねに国民である。

2010年6月29日 (火)

田川紀久雄日記

大相撲の名古屋場所は中止にすべきであった。まだ警察の結論がでていないのに、これでは勇み足である。出場停止のおおくの力士がでている相撲など見たくはない。世間の常識がわからない相撲理事会では、先が心配だ。相撲はスポーツであると共に国技である。そのことの認識がまったく欠けている。
お金が欲しいので〈歌になる詩〉募集の作品を書く。「いもうと」という詩である。歌になる詩をかくことはとても楽しい。心が和む歌をこれからも書いてゆきたい。
本田まり子さんから新茶をいただいた。長いお手紙をいただいた。私の詩人生が、他者にいきる勇気を与えているのだろうか。いまはそう願って詩と闘っていきている。詩がわたしに生きる勇気を与えてくれている。そのことが嬉しい。「詩と思想」用の原稿も手を入れて完成する。
六月だというのに三十℃を越す日々が続いている。公園で語りの稽古をしていても熱い。風がないと一時間を行なうのが辛い。でもこの夢は努力をしていかいない以上手に入らない世界である。一に精進その気持を持続することが夢への第一歩である。詩語りライブを再開したいものだ。

2010年6月28日 (月)

田川紀久雄日記

また妹が、癌の手術をおこなうとの連絡がはいる。来月の十三日である。来月の始め頃に会いにいかねばならない。その前に私は三十日に胃カメラの検査がある。いま精神的にもきつい日々を送っている。
世の中には苦しみ悩んで生きている人たちが多い。それが人間だといえばそれまでのことかも知れないが、詩人である以上、なんとかして心のよりどころになる詩を書きたいものだ。『いのちの聲』を書き続けていくしかない。生き物の生態をみていると、温暖化のために絶滅していく生き物もいる。先日の北海道でも三十七℃も温度が上がったという。雨の降り方もしとしと雨ではなく、豪雨があまりにも多い。いまなお森林伐採が地球規模で行なわれている。
鈴木良一さんよりメールで原稿がとどく。詩人のあり方を問う詩である。詩人達ももっと詩人であることに自覚がもてれば、詩のあり方が変わってくるはずなのにと思う。いまの私には詩がなかったらどう生きていたのだろうか。詩を通して私を強くしてくれている。私個人の苦悩を越えた豊かな世界を描きたい。そのような気持がいまの私を生かしてくれている。
詩誌受贈『騒・82号』

2010年6月27日 (日)

田川紀久雄日記

世の中には「祈り・祈り」続けている人たちがいる。クミコさんが歌う「原爆の像の子」の祈りの歌もその一つである。皆が本当の平和を願う気持が一つになれば世界が変わる。しかし世の中は経済という論理で動いている以上、この平和への道は遠い。
今の日本の社会でも想像ができない事件が起こる。いつどのような事件に巻き込まれるか解らない世の中になっている。
詩人達は、何のために詩を書いているのだろうか。その何のためにという考えさえ持たないで書いている人が多いのではなかろうか。詩は簡単にかけそうだが、本物の詩を書くにはなかなか至らないものである。『いのちの聲・④』(頒価五百円)を十冊ほど製本をする。手作りの小冊子であるが、一人でも多くの人に読んでもらいたいと願っている。そしてこの『いのちの聲』がいつの日にか詩語りが出来ることを目指して精進をして生きていくしかない。この『いのちの聲』は私にとっての「祈り」の運動の一つである。この祈りの行為の運動に参加できることは詩人としての誇りでもある。
操車場の原稿もほぼ集まってきた。今回も中味は充実したものばかりだ。編集者としては嬉しい限りだ。手作りであるが読み応えのある詩詩である。私の生き方に賛同する人がいたら二ページで五千円で参加ができます。できましたらメールかフロッピーで原稿を送ってください。指先がリウマチなのでご協力ください。

2010年6月26日 (土)

田川紀久雄日記

中国の南部は豪遊で多数の死者がでている。日本でも九州は豪遊で大変である。農家は大被害だ。宮崎では、まだ口蹄疫問題が解決をしていない。とても辛い話だ。
日本はインドに原子力発電の売り込みに懸命だ。経済の為にならなんでもかまわない姿勢には疑問だ。それにインドは核にたいしての国際協定も結んでいない。原爆の被害者が毎年亡くなっているというのに。原爆で亡くなった人たちの悲しみの聲をどう受けとけていくのかだろうか。そして沖縄基地の問題。まだまだ日本は戦争が終結したはいない。日々の生活の中で苦しい思いで人々は生きている。
アフガン問題にしても、解決の糸口が見えない。アフガンの外交の人たちは、日本来て買い物三昧だ。それにアフガンでは汚職が耐えない。国が不安狂態の高官ほど国外でカネの使い放題だ。これでは本当の意味では国民を救うことができない。日本の高官は外国ではどのような態度をとっているのだろう。税金で観光三昧な状態ではないのだろうか。これからも仕分けを厳しくおこなってもらいたい。
この度の選挙で国民は一体何を望んでいるのだろう。本当に国民が望んでいる政治をしてくれるのだろうか。いつも国民は政治に裏切られてきた。大切なのはそれでも政治不信にならないことだ。厳しい眼で政治を見つめることで、未来に夢を緒持つことができる。国民は負けても裏切られても生き抜く術を持っている。そのしたたかこそが生きるパワーにつながっている。
詩誌を見ると、二段組で小さな活字で組まれてあるものが送られてくる。私のように眼の悪い人間にとっては読むのが苦痛になるときもある。詩とは贅沢なものなのだ。できるだけ読みやすい版作りに編集者は努力すべきだ。エッセイなどはある意味で仕方がないが、詩だけは読みやすい版組みを願いたい。詩人の大半がお年寄りなのだから。

2010年6月25日 (金)

田川紀久雄日記

日本デンマークに3ー1で勝つ。いままで岡田監督をくそみそに言ってきた人たちは何と説明をするのだろうか。勝利は全員一致で闘ったことだ。心が一つになれば、不可能が可能になりえる。今日はテレビに釘漬けになってしまった。ただやたらに批判する人は、いまの自民党のようだ。過去の自己をまったく反省することなく、いつも自分だけが正しいと思い込んでいる。
消費税の使い道を明確に説明しない以上、国民は納得しない。ただ国の借金が多いから、税理率をあげるというのでは、なんら説明にはなっていない。これから議論をしていけば、と言い方は自民党のかつての政策と同じになってしまう。日本の福祉政策を明確なビジョンを示していただきたいものだ。
昨日エッセイをまとめていたら、A5判で五〇〇ページになる分量がある。良くも書いたものだと思う。このなかの殆どが未溌表である。内容の半分以上が朗読論である。なんとか出版したいものだ。詩集にしても三冊分もある。詩は、待っていてはいつまでたっても書けないものだ。書くことは、やはり人生との闘いなのだ。人生そのものに厚みと豊かさが持てない人は詩人になる資格はない。詩を書いている多くの人たちの中で、本物の詩人や詩語を行なえる人間が何人いるのだろうか。生きている間は無名でもよい。大切なのは生き方の問題だ。無名であるからこそ、ひたすら自由に生きていられる。知名度で詩人の価値を決める人がいるが、そのような人は、まったく詩の解らない人なのだ。つねに熱き心を持って生きていたい。

2010年6月24日 (木)

田川紀久雄日記

世の中には、自分の運命と向き合いながら闘っていきているひとが多くいる。そのひとたちの姿をみると、こちらも生きる勇気をもらっている気になる。またその人を応援したくなる。世の中で共に生きていくということはそのようなことなのかもしれない。
朝日新聞の今日の朝刊の「ひと」という欄に「気管切開、声を失い、それでも唄う声楽家 青野浩美さん」のことが紹介されている。医者にはとても信じられないという。これもいのちが彼女を活かしてくれているのだ。私もこうして生きていること自体が医師にとっても不思議なことらしい。生きていられるからこそ、私も詩語りを続けて生きていたい。
昨日は、短詩・長詩とエッセイを書いた。一日中机に向かって過ごした。雨の日は稽古にいけないので、どんどん作品を書いてゆくしかない。発表できる詩誌を持っていることはありがたい。そして参加してくる人たちがいるから操車場はやっていける。そして年間購読者には心からありがとうといいたい。生活能力のない私が月刊詩誌を出せるなんて夢のような話だ。いのちが続く限り前向きになって闘って生きていたい。
『いのちの声』②・③を山本萠さんに買っていただく。

2010年6月23日 (水)

田川紀久雄日記

名古屋場所の相撲は中止すべきである。そして名古屋場所に関わってきた業者に協会がすべて保証すべきである。国技といっても、いまは外国人力士が多くいる。これでは本当の意味でも国技は守れない。子供の時から学校教育に取り入れていかなければ、日本人の力士も生まれてこない。日本のスポーツとして誇れるものにしたければ、いまの組織では無理である。
『いのちの聲・④』を書き終えた。この短詩は詩人からは否定されるだろう。でも末期癌を体験したものではなければ書けない心の叫びである。このところ体調の調子があまりよくない。語りの稽古に励んでいても、聲の力が落ちているような気がする。でもそれでも欠かさず稽古をする中で自分の語りの世界を作りだしていかねばならない。画家のルノアールが晩年リウマチを患いながらも懸命になって絵を描き続けたという。それもまるで乞食のようなスタイルであったという。この執念がルノアールの絵の美しさの秘訣でもある。私の語りもそのような世界を産み出したいものだ。詩を書くことに狂気になっていくことが大切だ。渾身をこめて今という時を生きることである。ものを生み出す人間には、この狂気が存在していなければ、どんな評判がよい作品でも、泡のように消えていくしかない。
坂井さんの給料日までほとんど生活費が切れてしまっている。モヤシをかって炒めてたべた。

2010年6月22日 (火)

田川紀久雄日記

日々生きていくことは大変なことだ。特に会社を退職した人たちはどう日々を送っているのだろうか。生きる目的を失うことは、精神的にも辛いものがあるだろう。何も趣味も持たず、仕事人間であったひとほど、その日々の生き方と向き合うのが大変だろうと思う。人は何か楽しみを見出しながら生きているものだ。昼間からテレビを観て何もしない旦那なら奥さんは愛想をつかして逃げてしまうかもしれない。
いま俳句人口が増えているという。どこの市の会館にいっても俳句教室はある。なぜ詩の教室がないのだろうか。詩は趣味として適さないのかもしれない。詩は形式があるようで、それほどはっきりしたものがない。そして詩とは何かといわれてもなかなか答えられない。この前の川崎詩人かいでも、それぞれの作品に対して個々の意見が違う。つまり詩にたいしての基準がない。詩はどのように書いても良いが、詩になっていないこともある。初めて詩を書こうという人には、とまどいを感じるだろう。どうしても最初は観念的になってしまう。詩を学ぶことはなかなか難しい。難解な作品が詩と思い込んでいる人もいる。いまの私は詩を書きたいと思っているわけでもない。詩というかたりを借りて言葉を綴っているだけかもしれない。だから他者がいくら批判してもどうなるものでもない。私にとっての目的は、いま生きるということである。それが詩という形を借りて検証しているだけだと思う。『柵』の283号に中村不二夫さんが「詩集賞とクリチスズムの介在」について書かれている。興味深く読ませていただいた。私は自分の心に響いてくるものだけを選んで読んでいる。心に訴えてこないものは、ほとんどはす読み終わる。他者の詩とどう付き合っていくかという問題はそれなりに考えていかねばならない。いまのところ、送られてきたし詩集に眼を通すのがやっとの状態である。

2010年6月21日 (月)

田川紀久雄日記

菅首相の消費税問題は、やはり説明不足である。国の赤字をみれば当然のことだが、貧しい人たちは、消費税を簡単にあげてもらっては困る。せめて食料品には税をかけないでいただきたい。もし税をとるのなら、はっきりと福祉税と明記してもらいたいものだ。収入のほとんどない私にとっては大問題である。
川崎詩人会は、楽しい会であった。みんなと酒をのむ機会がない私にとって二月に一回の飲み会は楽しいものだ。強いて言えば、ちょっとお金がかかるのがつらい。亀川省吾さんが、精神的にまいっているのが心配だ。人間は誰でもが、精神的に病んでいるものだ。精神は脳の問題であるから、苦しくなれば病院にいく以外にはない。特に詩人達は、この精神の病と闘っている人が多い。詩をかかねばならない理由もそこにある。病の治療には、確かに書くことによって癒される面がある。しかし、その面が強くなると読者は、作品から逃げたくなる。やはり詩のどこかに他者を思う心が働いていないと、作品は独りよがりの世界に落ち込んでしまう。
詩も量を書けることは必要なことだと思う。本当に優れた詩など一生のあいだでそう書けるものではない。書いて書いて書きまくることは意義があることだ。それは他者から見えて駄作といわれても、書く行為は尊いことだと思う。それだけ内面的な問題を抱えている証でもある。その内面的な問題を沢山抱えている人の方が詩をかくには有利である。優れている詩人は、やはり沢山の作品を残している。

2010年6月20日 (日)

田川紀久雄日記

昨夜の朝日新聞の夕刊に「アマチュア落語家・天神亭楽々さん」のことが取り上げられていた。余命一年未満の癌であった。彼女はリンパ節に癌が転移してから落語を習った。それまでずぶの素人である。彼女は必死になって末期癌と闘った。必死になって生きる姿は美しい。長くだらだらと生きているよち、数倍人生を生きたとも言える。昨日のサッカーを観ていて、選手達にはもう一歩の必死だがなかった。紙一重の必死さが足りなかった。五月十九日十二指腸癌。三十九歳で死去。
私の詩語りもつねに必死の中で語っていたい。どこまで生きられるのか解らないが、ライブができればこの必死さのなかでお客様と向き合いたい。そのための日々の精進をおこなうことが今の私の仕事である。多くの末期癌者たちのためにも一日でも長く生きていたい。そして詩語りの世界に邁進して生きていたい。詩の世界から否定されていてもだ。この詩語りの世界と自分が闘って生きていられる限りつねに豊かな世界を得ることが出来る。『いのちの聲』を舞台に乗せて語ってみたいものだ。
午後から「川崎詩人会」の例会がある。

2010年6月19日 (土)

田川紀久雄日記

メキシコ湾の原油流出が依然として止まらない。自然破壊が拡大されている。多くの生き物達が死んでゆく。保証金が一兆とか言われても、生物たちにとって、それがなんだというのだ。これは人間の傲慢以外何物でもない。豊かさを求める反面、それに対して被害をこうむっているものがいるという事実。もしメキシコ湾の事故のように原子力発電がこのような大きな事故を起こしたらどうなるのだろうか。考えただけでも空恐ろしいことだ。
相撲協会の態度はあきれて何もいう気になれない。最悪の状態である。
自民党に戻りたくないから、民主党に投票をするひとが多いのではなかろうか。民主党も国民に対して相当の裏切りを行なっている。でもまだ自民党よりはまだましだという考え方は良くない。国民一人ひとり本気になって考えていかないと、この国は滅ぶしかない。
詩誌を読んでいても朗読に関する記事が皆無といってもよい。つまり詩は書いて発表して終る世界だからだ。その先が何もない。詩をどうしたら人につたえるかという問題が詩人の頭には何もない。同人詩誌は、仲間にすら読まれていないのが現実である。書いている瞬間だけ満足しているような狭い世界であったはならない。書く行為はそんないい加減なものではないはずだ。生きている限り、自分の作品は責任を持って問い続けていくべきだ。

2010年6月18日 (金)

田川紀久雄日記

病院に行って血液検査をしたら、三十日に胃カメラの検査を行なうことに決まった。約一万円ちかくかかる。大変だ。病院代のお金を作るのが難しい。カンパなどをいただいてやっとなんとかしのいでいる。
昨日レビで余命一年の歌手が最後の舞台にたったのを見た。末期癌の患者の取って、舞台に立つことはいかに免疫力を高めてくれるか。私も半年で死ぬはずだったのに、中野絵手紙の会の人たちによっていのちが助かった。末期癌といわれたとき、なかの小芸能劇場での公演が決まっていた。そのことだけを考えて治療に耐えて生きてきた。そして鈴木良一さんのお陰で生まれた地の柏崎で詩語りライブの企画していただいた。夢をもとめて生きることがいかに免疫力を高める効果があるか実証した。その後『詩人の聲』に参加させていただくことで、生き抜く希望が持てた。そのことによって三年過ぎても生き抜いている。『詩人の聲』から外されたことによって、どう癌と闘えばよいのか不安に一時落ち込んだ。そして『詩人の聲』に参加してしる詩人達に負けない語りを行なうことを目指して生き抜くことに精進している。ライブはほとんど行なっていないが、納得のいく詩語りを行なうことに残りのいのちを注ぎこんでいる。見果てぬ夢を求めて生きている間は、この末期癌に負けないで生きていけるような気がする。三年も生き抜いてきた言葉を『いのちの聲』として今まとめようとしている。間寛平さんも前立癌の手術を超えてまた走りだした。このことは癌患者にどれだけ勇気をあたえていることか。
この私の末期癌日記も同じ苦しみを背負っている人たちと共に生きたいという願いで書き続けている。言葉にいかにしたらいのちを吹き込めるのかをひたすら求め続けて生きている。詩語りライブを呼んでくださる方がいあたら紹介してください。癌を生き抜くためにも……。

2010年6月17日 (木)

田川紀久雄日記

今日は病院に行く日だ。検査その他で八千円もかかる。
作家達が自ら電子書籍を出す時代がきた。出版社を通さずに行なう。また講談社は小田実の全集32巻を電子書籍にして発売を行なう。定価もほんより4分の1も安い。電子書籍の作り方を覚えれば同人詩誌も変わってゆくだろう。そうすれば多くの人に伝わりやすい。詩人達も、出版社を通さずに詩集が上梓できる。画集などもお金がそれほどかからずにできるかもしれない。これから三年のうちにどんどん出版業界もかわってゆくことになる。でも機械オンチな私などはとうてい電子書籍などつくることは無理なことだろう。せめて詩語りのDVDを編集して見やすいものを作りたい。
景気が回復したという報道があるが、そのようなことは真っ赤な嘘である。零細企業は、ほとんどボーナスもでない。坂井のぶこさんがアルバイトをしているところでも、ほんの少しの子供騙しの小遣い程度しかない。彼女の病院代で終ってしまう。正社員はちゃんとしたボーナスがでるのに、非社員の扱いは酷いものだ。仕事は社員以上の仕事を押し付けられているというのに。世の中にはあまりにも不条理なことが多すぎる。
一篇の詩を花を贈り届けるように、人の心に手渡ししたいものだ。心を豊かにする詩を描いてゆきたいものだ。

2010年6月16日 (水)

田川紀久雄日記

梅雨のせいか腰が痛む。
原子力発電所は、国に対していい加減な報告をしている。あいかわらず隠蔽の体質は治っていない。相撲協会もそうだが、都合の悪いものは隠そうとする国民性かもしれない。個人的な事柄ならある程度許せるが、社会的な事柄になると話は別になる。そこのけじめができないでいる。
詩はなかなか続けてかけないものだ。描かなくても済むと思っていると、本当に何も書けなくなってくる。やはり日々つねに詩のことを考えていなければならない。他者からみれば無価値なように見えても、詩人にとっては生死の問題なのだ。無価値のように思われているからこそ、本当のことも書ける世界である。猫騙しという言葉があるように、詩騙しという言葉があってもおかしくない。最近になってやっと詩というものが解りかけてきた。そう意味では、詩は若者の文学というよりも老人の文学なのかもしれない。六十八歳になって詩が面白いとはあきれ果てたものだ。
本田まり子さんから励ましの手紙とカンパをいただいた。とてもありがたい。生活費がきれていたからだ。年金がない私には、毎月くるしい。やはり詩語りの仕事が入らないとにっちもさっちもいかない。

2010年6月15日 (火)

田川紀久雄日記

サッカーは日本が1ー0で勝った。これで岡田監督もほっとしたと思う。試合は始まったばかりだ。次も勝てることを願うが、冷静に戦うことが大切だ。
相撲協会も野球賭博でちゃんと審判をくださないと、相撲の世界が世の中から見捨てられてしまう。相撲は国技である以上、厳しい審査が望まれる。
「詩と思想」から十月号に巻頭詩の依頼がきた。ありがいたものだ。一色真理さんから魂の叫びの詩をとのことが書かれてある。昨日は「今は詩をかくしかない」という詩を書いた。言霊で本当に人の心を癒すことができるのだろうか。詩とは、人間にとって何なのかを追求してゆきたい。自分もふくめてだが、詩を読んでいて感動する詩に出会うことが殆どなくなっている。それは孤独の深さが薄くなってきているせいかもしれない。自分ののみの孤独ではなく、他人を思う痛みも薄らいでいるからだろう。現代詩は言葉の消費にか過ぎなかったような気がする。抒情詩の排除がさも現代詩のように思われている。それえは絵画でもそうである。風景画を描くと抽象画の人たちから、まだそのようなものを描いているのかと思われている。抽象画にしても、それほど優れたものはないのに。私はセザンヌの絵が大好きだ。あの静物画は大きな宇宙を抱えている。ゴッホの魂の叫びの絵は、抽象画では描ききれない。絵には具象画とか抽象画など分ける必要はない。優れたものは人の心を打つものだ。詩にしても同じことが言える。感動するものは今というときの中に生きている。そのことだけが大切なのだ。

2010年6月14日 (月)

田川紀久雄日記

「はやぶさ」が帰還した。これは凄いことだ。まずあきらめないそのことがこのはやぶさの帰還を可能をしたともいえる。
今日日本が初戦に挑む。こうサッカー熱が拡がると私はあまりサッカーを観たいと思わなくなる。どこの国も、活き活きと闘っている。それ以上のものは求めたりしない。日本が勝つとか負けるとかいうのは、それほど重要なことではない。アフリカの大地で行なわれることに今回のサッカーの意味があると思う。アフリカの現状をいろんな報道で知ることができた。負ければ岡田監督を批判するのだろう。その程度のサッカーファンしかいない。
アフリカには貧困層の人たちがあまりにも多すぎる。でも子供達の姿をみていると生命力にあふれている。まるで小猫のようだ。戦後、私たちも貧しかった。でも路上や空き地では元気に遊びまわっていた。野球でもグローブなどなくても、手製のグローブを屋今日を楽しんでやったものだ。それにくらべ今の子供達は路上で遊ぶ姿が見られない。三角ベースなどもいまの子供達は知らないかもしれない。今のこの豊かさは、本物の豊かさではない。何もなくても心の豊かさは持っていた。本当の豊かさは経済力とは関係がないもかもしれない。アフリカの子供達にはエイズ患者が多い。この問題に世界規模で取り組まなければならない。彼らは自分からエイズになったのではない。薬品で儲けようとする先進国にたいして怒りを覚える。

2010年6月13日 (日)

田川紀久雄日記

詩人の言葉は、どうしても実行力を伴わない。それは、言葉が先行して身体が空回りすることがあるからだ。これは夢と現実との関係に似通っている。とくに政治や平和運動などは、言葉だけが宙に浮いてしまうことが多い。私は〇〇〇会などという団体に入って平和運動をする気はまったくない。詩人はあくまで個として闘ってゆくべきだと思う。詩人という存在は誰に対しても責任が取れるほど優れた人間にはなれない。あくまで愚者のたわごととして聴いていただければそれで良いと思う。いま書きすすめている『いのちの聲』も愚者のため息でありたい。末期癌になって死の宣告をされた人間が、どうしたら逃れて生きられるかを短詩にしているにしか過ぎない。癌と宣告された人間は、藁にすがっても生きたいと願うものだ。その藁の役割が詩の言葉になっていけばよいと願っている。そしてそれを語れる場があれば、見果てぬ夢が叶えられるのだが……。
イタリアのオペラ劇場が危機にある。それはギリシャの財政危機に見舞われた影響である。私は劇場にオペラを観に一度も行ったことがない。でもDVDでときどき観ることがある。オペラは日本の歌舞伎のようなものと思っている。観ていて楽しい。最高のオペラ歌手によって演じられる舞台は、まるで夢の世界のようだ。いつの日にかワグナーの指輪を観てみたいと思っている。いま歌舞伎座も建て替えられている。四年後には新しい歌舞伎座が出来る。ぜぎ観に行きたいものだ。昔は良く千円の立見席に通ってものだ。そのころの役者達はほとんど亡くなっているが、それでも歌舞伎は楽しい。楽しいことを夢見て生きるのも身体にはとても良いものだ。

2010年6月12日 (土)

田川紀久雄日記

昨日の演説で、菅さんは相変わらずに原子力産業を続行することを述べている。日本人にとって核問題は、厳しい態度が求められているはずなのに、なぜが原子力の平和利用という言葉で「もんじゅ」が再開されてしまうのだろう。核にとっては、平和利用という言葉は、欺瞞にか過ぎない。うまく国民は騙されている。
生物が誕生した頃は、すべてが共存しあいながら生きていた。癌治療も西洋医学ではなく、もっと自然な治療方法で癌と共存した治療方法があるのではなかろうか。私は三年前に末期の胃癌と診断された。手術もできず、抗癌剤治療を続けていたが、しれも断って、何も治療らしきものをせずに生き延びている。私の身体は癌細胞と共存しながら生きていることになる。土一グラムの中に、この地球の人口に匹敵するほどの菌が生息している。それがお互いに助け合って生きている。身体の中にも宇宙の星と匹敵するほとん数の菌が住んでいる。菌がなくては人間も生きてはいけない。人間の身体は、宇宙の構造と似通っている。宇宙の進行するリズムと一体になることによって、癌とも共存していけるようになるのではなかろうか。この問いかけがいま『いのちの聲『』の母体になっている。今日③を小部数制作を行なう。
詩集受贈『麦朝夫詩集・どないもこないも』(鳥語社)

2010年6月11日 (金)

田川紀久雄日記

亀井大臣が辞任した。個人的な言い方だが、やけていただいて良かったと思う。民主主義である以上徹底的な討論を尽くして法律を作ることが大切である。個人的な感情で無理押しに決め手いくことには反対だ。郵政の問題は、国民にわかりにくいことが多い。小泉内閣の時も、国民がその内容を把握できていないのに、あれよという間に民政化になってしまった。本当に民政化がよいのかどうかは私には解らない。郵政そのものは赤字ではなかった。なぜ公務員のままではいけないのか、また国民にとって郵便今日は何なのかを、問い続けることを怠っている。もっと解りやすい政治を行なってもらいたいものだ。
口蹄疫の問題が深刻が。家畜家たちは精神的にも追い込まれている。伝染病は広がるのが早いのでその対策が一時でも遅れると悲惨な状態を招く。手厚い保証が求められている。またメキシコ湾の原油の流出は最悪だ。八月まで何も出来ないという。これは人災である。まさに手抜き工事以外のなにものではない。自然破壊が拡がっている。この影響も日本にも及ぼすことは間違いのないことだ。
操車場用の詩の作品が書けた。有時(うじ)ということを詩にしてみた。題は「求めない」。この詩を書けたことで、心が穏やかになった。いままで詩語りのことでいらいらしていたことが、何のわだかまりもなく生きていける方向付けができた。これからはあらゆる人に対しいて良いところを見出して応援していくことだ。

2010年6月10日 (木)

田川紀久雄日記

テレビがいかに国民から離れているか。視聴率を見ると、第一が「笑点」である。二位が「サザエさん」次が「NHKニュース7」である。お金のかからない安いタレントを使ってくだらない番組を作るものには、もうあきあきしている。CMもインチキ臭いものばかりだ。
自民党の支持率が下がるのは、ただ批判しか行なっていないからだ。大島国会対策議員は、ひたすら揚げ足をとって批判ばかりだ。まともな政策論で戦っていれば、このような支持率の結果にはならなかっただろう。政治家はつねに政策論を展開していなければその存在価値がない。このような自民党には戻りたくはないという国民の意思の表れである。
詩人達の朗読も、批判するものが多くいる。では彼らは聴き手を納得させるものが出来るかというと、何にも出来ない。そしてどうしたら詩人の朗読が良くなるのかを一度も提言したことない。
『詩人の聲』が五百回を越えたという。まずはおめでとう。わたしも十五回ほど参加させていただいた。この字のpから大文字のPに変わったことはそれなりの意味がある。それはまた天童氏の思いでもあろう。詩人の内面が大文字のPに変わることを願っている。Pは詩人の頭文字である。
今日も公園で語った。そして一日を精一杯生きた。ネコと戯れた。語りの深さを求めてつねに精進をしてゆきたい。

2010年6月 9日 (水)

田川紀久雄日記

早くも子供手当て金の全額を中止を厚生省が表示した。確かに財源のないところから支出は無理な話であった。まず国の財政の建て直しが急務である。だからと言って福祉政策を切り捨てるようで当てはならない。あくまでも国民の納得のいくようにしていかねばならない。この内閣は国民との対話が求められている。そういう意味での政調会の復活は良い兆しである。自民党はただ批判するだけで、自らの政策を国民に打ち出していない。国民との対話を忘れた自民党は、次の参議院選挙後に解体するのではなかろうか。良い意味で自民党にも頑張ってもらいたいものだ。小澤氏の古い政治思考は、国民にはなじまないものである。小澤氏は、具体的にどのような方向を目指しているのかまったく解らない。ひたすら権力の拡大化しか感じられない。
政治の仕事は、不幸な社会を少しでも減らすことかもしれない。芸術家の仕事は、生きる勇気と生命への癒しを求めていくことにある。このところ魂を揺さぶるような芸術家は現れていない。世に名を売ることばかりに神経を使いすぎている。芸術家は孤独の中にいてこそ、良い仕事ができるというものだ。
尾崎寿一郎さんから、操車場の原稿が届いた。また小杉妙子さんから、年間購読料とカンパが送られてきた。本当にありがたい。増田幸太郎さんからもハガキが届いた。
村山精二さんのインターネット「ごまのはぎしり」に操車場35号に野間明子さんの詩が紹介されています。有難うございます。

2010年6月 8日 (火)

田川紀久雄日記

日本の未来の為に、安保条約と原子力発電の問題はなんとかしてもらいたいものだ。活断層の上に原発が建てられているものが多い。そして日本はまだアメリカの植民地である。この問題はそう簡単には解決されないであろうが、日本人の問題として考えていかねばならない問題である。普天間の問題は、いくら社民党が国外へといっても、無理な話だろう。六十年の安保闘争は、負けるのはわかっていたが、国民がアメリカに対しての意思表示であった。菅政権が今日発足するが、この問題の解決の糸口が見えないままである。でもまず安定した政治を行なってもらいたい。
『いのちの聲・③』を書きあげた。二十ページほどの薄い冊子であるが、出来る限り多くの人に読んでもらいたい。そして聲を出して読んでもらえれば幸いである。ハガキ通信にもこの詩を入れて作り始めている。さっそく詩誌『叢生』のお礼に使った。いつの日にか、画家と手を組んで詩画集を作ってみたいと思っている。あくまでもお金ができたときの話だ。つねに夢を抱いて生きていかなければ、日々の辛さには耐えていけない。詩語りの仕事がない今は、この短詩を書き続けるのが生き甲斐の一つである。
増田幸太郎さんから、温かいハガキが届く。
高橋馨さんからメールで次号の操車場の原稿が届く。
詩誌受贈『叢生・168号』

2010年6月 7日 (月)

田川紀久雄日記

イラクでは毎日爆破テロが起きている。テロ行為で多くの市民が亡くなっている。日本に住んでいる私たちは平和ボケになっている。これは日本が島国であることが大きな要因でもあると思われる。平和ボケが悪いというのではない。ある意味では尊いことなのである。しかしそのためにか他者に対する思いやりに欠けている面がある。昔のように長屋生活がないせいか、隣人の人のことをまったく知らないで生きている。マンションに住んでいる人の中には、ほとんど隣人の顔も知らない人が多いという。朝おきて「おはやうございます」と隣人と交わす習慣がなくなっている。一人暮らしのお年よりは、ますます孤独になってゆく。人との交際が苦手な若者達もいる。人と人との会話をどう行なってよいかのさえわからなくなっている。
私も詩誌や詩集をいただいても、ほとんどお礼の手紙も書かない。山本陽子のように、挨拶も書かずに本がつきました、とだけ書く事だってもいいはずだ。時間がないなどというのは単なる言い訳である。といってメールで有難うございました、と書くのもなんだか寂しい行為のように思える。たった一枚のハガキは、ある意味では人の温もりを感じる。「つきました」とだけでも嬉しいものだ。いま私は、短詩をハガキに印刷してお礼を出そうかなと考えている。「いのちの聲」も50まで書き上げた。いのちの聲の輪を広げるためにも前向きになって生きていかねばならない。

2010年6月 6日 (日)

田川紀久雄日記

いま歌舞伎の世界は凄い。中村勘三郎の「佐倉義民伝」は満員である。もう当日券は手に入らない。またロンドンで行なわれている海老蔵も評判が良い。人を感動させるものは、やはり評判が良い。
詩の朗読は、まったく庶民からは受け入れられていない。それはほとんどが素人でしかない。素人でもよいが、それなりの研鑽もなければ朗読に対しての厳しさも感じられない。誰の為に朗読をしているのかさえ感じられない。眼の前にお客がいることすら忘れている。『詩人の聲』は自作詩を一時間ほど朗読を行う。それは詩人にとって大変な経験になったいる。しかしその後のケーア(反省会やアドバイス)が足りない。もうそろそろ五百回を迎えるのだから、主催者側での厳しい評価も必要になってきている。それは取りも直さずお客に対しての礼儀でもある。私があれこれ言うと嫌がるかもしれないが、それを受け入れる大きな器も必要ではなかろうか。どこの詩の朗読会に行っても、その後の勉強会など行なわれたことがない。『詩人の聲』はそれなりの苦労もある。それを乗り越えて五百回も続けてきたことはひとえに天童氏の功績である。残念なことは殆どの詩人達が、応援しないことである。聴くことも学ぶことであるのに、朗読を行っている人さえ聴きに出かけないのが実情だ。私はもう呼ばれることはないが、『詩人の声』に参加している人たちが大きく成長をすることを期待する。明日は紫圭子さんが行なうが、新しい詩集をどう読むのだろうか。とても良い詩集なので期待したいものだ。でも私は聴きにいくことができない。残念である。詩人のひとりひとりがどう朗読と向き合うかを真剣に考える時期にきている。いい加減に行なう詩人は朗読の世界からさっさと去ってゆくべきだ。

2010年6月 5日 (土)

田川紀久雄日記

オートバイが動かなくなった。バッテリーがきれたとのこと。二万円ほどかかるという。カネがないので持ち帰る。月八万円から、光熱費や曽田を差し引くと余分なお金はない。毎月自転車操業である。操車場の参加者が数人増えているのでいくらかは助かっている。それにしても詩語りの仕事が入らない限りにっちもさっちも行かないことには代わりがない。『いのちの聲』を発売してもうれない。
いま話題の詩集で九十八歳の柴田トキさんが書いた『くじけないで』(飛鳥新社)で十八万部もうれたという。つぶやき聲のような語り口がよいのだろう。現代史は何故うれないのか。それは売るために詩を書いているわけでないと詩人達は言い訳をする。自分の為に書いているともいう。それならなぜ大金をはたいてまで豪華な詩集をつくるのだろう。それもほとんど無料で配って終る。現代の奇談に取り上げられても良い話だ。
詩で食べようとしたらやはり一冊でも売らねばならない。そしてお金のとれる語りをおこなうしかない。それでも朝ドラの「ゲゲゲの女房」の状況になる。税務署が尋ねてくるのも私も経験したことがある。六十八歳になっても年金などはない。医療費も馬鹿に出来ない。自分でもどうして生きているのか解らない。坂井信夫さんから詩集の仕事をいただいて赤字を埋めている。それでも足りない。いつも相棒にはすまないと思っている。足を向けて寝れないが、その足に毎日お灸をしてもらっている。ときどき素足に火がつくこともある。そのときは「アチチ アチチ」と大聲をたてるしかない。
昨日菅首相が誕生した。市民運動から出発した人だ。その心をいつまでも大切にしてもらいたい。
操車場三十七号の発送を終った。

2010年6月 4日 (金)

田川紀久雄日記

山本萠さんの朗読会に、坂井信夫さん、野間明子さんの顔が見えた。とても心地よい朗読であった。森下さんに操車場の年間購読者になっていただく。坂井さんやアオキ(舞踏家)さん御子柴大三らと喫茶店による。
民主党の党首に菅氏がなる予定だ。小澤氏から離れなければ民主党は再生しない。樽床氏のような人が党首になったら、その時点で民主党は崩壊である。わたしはもう少し応援をしてゆきたい。戦中に生まれた私は、つねにアンチで生きてきたものだ。巨人、大鵬など庶民の憧れになると、反巨人、反大鵬にまわったものだ。自民党など徹底的に反自民であった。本来ならば反民主党に廻らなければならないのだが、社民党、共産党、公明党など応援したくはない。昔は社会党を応援してきたが、政権を取らなければ政治は変わらない。福祉を切り捨てるような民主党にまれば、即反民主党になる。鳩山さんは、大リーグの試合でピッチャーが投げた球に打ち当ったハトがいるがまさに鳩山さんの姿に酷似している。
詩の朗読も、一般的な形からいえばアンチ語りであろう。そのアンチ語りも、やっと一つのスタイルとして確立してきている。ほたすらアンチであり続けることは、何も生まれてはこない。アンチを突き詰めていく中で、開けた空間を生み出すものを作らなければ、たんなる子供がダダをこねると同じになってしまう。つねにアンチ的な人間でありたい。でも良いものは良いといっていくことが今は大切な時期かもしれない。

2010年6月 3日 (木)

田川紀久雄日記

鳩山首相が昨日辞任をした。野党は鳩山氏の辞任を要求していたのに、いざ辞意を表明すると、辞めるのは無責任だと非難する。政治家達の発言には驚くことばかりだ。みんな自分勝手なことしか言わない。今回の政局でいろんな法案ができるはずであった。これからが民主党の政治が展開される。六ヶ月では民主党を判断するにはちょっとどうかと思う。百六十日の短い内閣であった。宇宙航空士の若田さんとほぼ同じ日数である。昨日無事に地球に帰還する。国民はジャーナリズムに乗せられて操られていることがわかる現象である。
今日山本萠さんの朗読会と個展が西武線の小川駅の近くで行なわれる。とても楽しみである。
このところ心が落ち込んでいる。原因が解らない。やや無気力的な状態だ。これは身体が宇宙の法則によって起こる現象かもしれない。
ポリーニのベートヴェンピアノソナタを聴く。凄い演奏だ。このようなスケールが大きく厳しい演奏が出来る人はいない。
詩誌受贈『舟139号』
西一知さんの死が報じられている。かつて落合の家に伺ったことがある。最近身近な人たちが亡くなってゆく。なんとなく寂しいかんじがする。

2010年6月 2日 (水)

田川紀久雄日記

日本の二大政党の夢は、遥かに遠くに消え去っていってしまった。それは思想の多様化ではなく、心情的なことで、崩れ去っていっただけだ。その原因の一つにジャーナリストたちの動向である。新聞・テレビでまるでマンガの劇画をみるように演出していったからである。普天間問題にしても安保条約をこれからどうしてゆくかを問わないまま基地問題を論じている以上、答えは決まったところに落ち着くしかなかった。それを鳩山首相の責任論だけで済ましてしまうこの国の論客者だちは、いかにどうにもならない人たちばかりだ。みんな何処から金をもらっている者たちなのだろう。
半年近くも詩語りライブを行なっていない。ちょっと寂しい感じがする。いまは『いのちの聲』の語りに打ち込んでいる。稽古をすればするほど、難しさを感じる。でも一回でも多く聲を張り上げることが今は必要なのである。いつどんな時にも人に聴かせられる語りができるようにしておくことは大切なことだ。人目に触れないところでの闘いこそ芸人としての資格である。
昨日操車場37号の最後の原稿が届いた。印刷・製本は来週になるかもしれない。でも一人でも多くのひとが参加してもらえることはありがたい。

2010年6月 1日 (火)

田川紀久雄日記

今の政治に関心をもっていると、気分的に鬱になる。それならば無関心でいればということになるが、歳をとってくると、そう簡単には諦めきれない。なぜならば、身近な生活にのしかかってきているからだ。政治が安定してくれないと暮らしにも大きな影響を受ける。今日は子供手当てが支給される。この制度は本当に国民にとって歓迎されているのだろうか。ただのバラマキで終わってしまうならば、支給の仕方にメスを入れていかねばならない。国民が納得のする政策を行なってもらいたいと願うだけだ。
ガザ支援船にイスラエル軍が発砲する。船団はトルコや欧州などの人権活動家、政治家ら6百人以上が六隻の船に乗っていた。丸腰の人たちに行なった残虐な行為である。これは北朝鮮と同じだ。個人的にも激しい怒りを感じる。
老人難民という言葉が最近目に付く。ス-パーが突然なくなってしまう。街から食料店がなくなる。どこに買い物に行けばよいのか。商店街はほとんど店は開いていない。まるで廃墟のような世界になる。想像も出来ない世界が実際におきている。山奥の生活者の話ではなく都市での出来事なのだ。街から病院もなくなる。これが日常に起こりえる。福祉問題はこれからますます大変になってゆく。そして国の借金が膨らむだけだ。本当に生きずらい世の中になってしまった。

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »