田川紀久雄日記
書くことが何もないと思っていても、机の前に座ると自然に何かが書けてくるものだ。それは日々どのようにして生きているかという問いにもなる。みんな一日二十四時間を平等に与えられて生きている。
詩の朗読にはプロという世界がない。詩人が詩の朗読で口を稼いでいる人などだれもいない。だからと言ってプロがいないかというとそうではない。プロとは無欲でその道をひたすら歩き続けている人のことをいう。人に詩の朗読を通じて感動をあたえたいという夢を失わないことが大切なのだ。それはそう簡単には手にいれることなど出来るものではない。大切なことは諦めない心を持つことしかない。何かをやり遂げた人間は、決して恵まれていた環境に育ってこなかった人が多い。そしてそれほど小さい時から才能に恵まれてきたわけでもない。ひたすら夢を追い続けてきただけであることが多い。私だって幼い時に病で言語障害に罹り、無口で内向的な子供であった。そして四十五歳の時まで詩語りを行なうとは思っても見なかった。そのときを一歳と思えば、今は二十三歳だ。やっと何かがわかりかけてきたところだ。これからが面白くなっていく。ひたすら精進をすることの中で生を見詰めて生きていられる。それだけでも生まれてきたことに感謝をしなければならない。いま癌が私に生きる勇気を与えてくれている。この闘いの日々を何とかして人明かりの道に活かしてゆきたい。いま胸の痛みに耐えながら少しづつ聲をだしている。聲が自由になるように祈りながら明日を見詰めて生きていたいものだ。プロとは人から認めてもらう前に、自分自身がプロの生き方をしていくことが求められている。生きるということは素晴らしいことなのだ。この素晴らしさがきっと免疫力を高めてくれている。
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