田川紀久雄日記
今日は、採血と定期検査の日である。
オリンピックの500メートルで銅をとった加藤条治に清水宏保は朝日新聞で厳しい批判を書いている。条冶は才能がある。その才能を活かすにはやはり厳しい努力が必要であることを清水は強調している。かつて加藤は「清水さん、あんなにつらいトレーニングをやらなきゃいけないなら、僕はスケートをやめます。楽して金メダル取りたいですね」といった。本気になってトレーニングをすれば金がとれたはずなのにと清水は思った。金をとることは並やさしいものではない。金をとった人を賞賛するのは、金をとるための眼に見えない努力に対して人々は賞賛している。その努力は我々が想像する以上のものであろう。
それに対して詩人達の朗読は、あまりにも悲しむべきものだ。少しも努力をしないで人から褒められたいと思う心は卑しいものだ。一瞬聲を発した時に、すべてがわかってしまう。黙々と積み重ねた努力の上にしかいきた聲は生まれてこない。朗読の教室にいっても詩人の朗読は何もならない。日々の努力がないところでは、人様に聴いていただく価値がないということをしらなければならない。聲が大きければ良いというそういう単純な問題ではない。身体と心が一つになれることが必要なのである。この一つになれるためには日々の精進しかない。人に感度を伝えるためには眼に見えない努力がすべてを物語っているといえる。
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