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2010年1月31日 (日)

田川紀久雄日記

一ヶ月の流れは早い。毎日一生懸命に生きていると一日の価値がわかるが、何気なく生きていると一日の意味も消えうせてしまうだろう。一日一日を積み上げて生きていると一日のあり難さがわかる。
自殺者の数は女性の場合はそれほと変わらないが、男性の数は三月に向かって増加する。苦しみや辛さは、隠すことが美徳とされてきたが、そのようなことは嘘なのだ。苦しいときこそ他者に訴えかけていくことも必要なのである。苦しみや辛さは共に分かち合うことによって、自殺が避けられることが多くなる。
癌患者も、自分自身を追い込むことなく自然体で生きられれば、癌の免疫力も高められる。不安感が生きていくうえに一番の悪影響をもたらす。
詩を書きなさい。そして自分の超えて他者を思う気持で作品に迎えれば、生きている意味が見出されてくると思う。そして生きていることも、そう悪いものではないことに気づくはず。人という字は人を支えている形が人という字ですから、無駄な人生など一人もいないはずだと思います。絆をつくり輪を広げていければ、生きていることは一人で生きている倍の歓びが得られるはず。私の詩語りもきっと多くの輪が作られていくことを信じて生きています。

2010年1月30日 (土)

田川紀久雄日記

昨日の鳩山首相の演説は、具体的な問題が提起されていない。政治家はことばでいのちを云々するのではなく、実行する対策を打ち出すことである。いま非社員の首切りがすざましい勢いで進んでいる。失業率も5・1パーセントになっている。
胸の怪我は二ヶ月ほどかかるらしい。痛みがなかなか取れない。気分的に落ち込んでしまう。ビデオで「魔笛」を観る。
いまシベリヤではどんどん森林が伐採されている。アマゾン地帯も凄いがシベリヤも凄い。日本の商社が関わっている。これは人事ではない。環境問題でCO2を云々する以前の問題が疎かになっている。自然を守ることが日本人は苦手らしい。口では綺麗ごとをいっていても、実際は環境破壊に手を貸しているのが現状である。日本の森林も荒れている。池大雅でないが、眼のまえの自然をあいすることが大切なのだ。遠くの世界を追うことより、身近な自然を大切にしてゆくことである。人に対しても眼の前の人を大切にすることがいのちの問題である。
昨日野良猫とことで、嫌な親父と口論をする。いのちの大切さをなんとも思わない人間にたいしては腹がたってしょうがない。癌になってからは小さないのちを愛おしくなった。

2010年1月29日 (金)

田川紀久雄日記

午前中レントゲンと胸の検査を行なう。

中村不二夫さんからお手紙とカンパをいただく。手紙には次のようなことが書かれていた。

「過日はお詩集『未来への旅』をお送りいただきまして感謝申し上げます。ますます田川さんの精神が澄んできて、この世のものではない気配を感じます。過去にこうした詩を作ろうとした詩人はいたと思いますが、それをここまで具体的に実行に移した詩人はいないと思います。私はキリスト教を信じてきましたが、それとか仏教を超越した真の宗教の意味を教えられる思いがします。つまり、そこに大いなる哲学がありということでしょうか。」
中村さんにはいつも温かい励ましと丁寧な感想が書かれてある。
それと山本護さんのCDが同封してある。山本さんとは二度ほどお会いしたことがある。

2010年1月28日 (木)

田川紀久雄日記

夜中中胸の痛みを感じる。明日病院の予約が入っているので我慢しよう。
坂井信夫さんの詩とエッセイの原稿が入る。
今朝はいつもより暖かい。地球が異常なのかもしれない。こんな暖かい冬なんて初めてだ。温暖化対策は早く手を打っていかないと大変なことになる。
いまリストラの問題がどうにもならない。首を切られても何もできない。正規の社員も派遣労働者に追い込まれていく。昨日国会でもNTT問題で共産党が追及していた。あくまで一般論でしか答弁できない国会は、このリストラ問題ではどうにもならない。これではますます自殺者が増加していくばかりだ。いま本当に人と人との絆が求められている。私も詩語りの仕事が入らないと病院代も払えなくなる。どうすればよいのか自分でも解らない。生活もこれ以上切りつめられない。ひたすら我慢して生きてゆくしかない。
法政高校の修学旅行での先生による暴行は行き過ぎる。それを見ていた先生が止めに入らなかった。学校の教師もモラルが低下している。
世間がますます暗い話題だらけだ。テレビや新聞での小澤問題は、もうあきあきしている。あれは検察にまかせて、明るい話題でも報道してもらいたいものだ。

2010年1月27日 (水)

田川紀久雄日記

吉野俊彦著『永井荷風と河上肇』(HNK出版)は楽しく読める本だ。比較しながら書くとまた別な面が見えてくる。そこが面白い。
癌の転移で手術をした話をときどき聴くが、癌にとって怖いのはこの転移の話だ。わたしも転移をしないような生き方をしている。まず食事に注意すること。そして気楽に生きること。嫌なことをしないようにすること。そして聲を張り上げて語りの稽古をすることによって、癌の進展と転移に気をつけて生きている。あと生活の厳しさが精神的につらい。そのためにはどうしても詩語りの仕事が欲しいと願う。私のように手術をしないで生きている人をみるとやはり自分も頑張っていきていかねばと思う。いのちの大切さを常に身に感じて生きていたいものだ。
寝ていても胸の打ち身の痛みを感じる。なかなか快復してこない。
井原修さんからお米が送られてくる。それに俳句の原稿も届く。古本屋さんもいまは大変である。本が読まれなくなってきている。電車にのっても携帯でメールをうっている人が圧倒的に多い。読書をしている人は稀である。雑誌の売り上げも大幅に落ちている。文藝誌には付録がつけようがない。操車場はいくらかの年間購読者がいるので発行が続けていられる。書き手があと数人増えないと赤字に解消はしない。詩誌の発行は大変だ。でも発行できることは何にも変えがたい喜びである。発表する場がなくなると、詩も書かなくなる。だから生きていく上にも発表の場だけは必要なのだ。

2010年1月26日 (火)

田川紀久雄日記

胸の痛みが取れない。聲を出す時にも思い切りできない。打ち身の傷はなかなか癒えないものだ。仕事が何処からもないからこそ、同じものを繰り返し稽古していかねばならない。同じテキストを語っていても毎日が違って感じられる。クラシックを聴いていても、昔の演奏家のように内奥から響く音色がだせる人が少なくなってきている。それだけ現代人は忙しくなっている。テキストとじっくり向き合って生きることが大切なのである。いまの詩人達は新しいものを朗読したがるが、同じものを繰り返し朗読していくことも大切である。
公共工事の予算が大幅に削られてきている。それが本当によいことなのかどうかは判断しかねる。途中まで工事が終っているものが中止になることの問題がのこされる。ダムの」ような大工事は中止にしても良いが、生活に大切な工事が中止に追い込まれることには疑問がのこる。いまあまりの不景気で税収もない。国の予算も組めない状態だ。これ以上の赤字国債もできない。ますます国民の生活が苦しくなる。国会でカネの問題で時間を潰しているときではない。国の対策に多くの時間を割いてもらいたいものだ。そしてより良い法案を作ることが、議員の仕事であるはずだ。報道もあまりにもくだらない問題を取り上げている。
老老介護の問題は早くよりよい制度を作ってもらいたいものだ。老人の自殺や、愛するものを殺すような状況だけはなくしていかねばならない。野党も与党も自分立場の乗り越えてよりよい住みよい社会を作り上げてもらいたいものだ。
つかこうへいさんが肺癌である。癌に負けないで生きてもらいたい。

2010年1月25日 (月)

田川紀久雄日記

陽が少しづつ伸びている。夕方の五時で暗くなっていたが、いくらか明るくなった。暗黒という空間は空気のもののようだが、そこにはちゃんとした物質があるといわれている。その物質の正体がわかると宇宙の起源が解明されるという。いろんなものが解明されてゆくが、人の心はますます馬鹿になってゆく。
猫に餌をあげることに狂気のように反対する人がいる。産業道路の鋼管通の信号とところにあるある工場主が、犬をけしかけて猫を追い払う。餌をあたえようとすると、狂気のように罵倒する。これには困ったものだ。その人の前世は鼠であったのかもしれない。
吉本隆明の娘がかたいたマンガに隆明氏が猫にめろめろになった絵がある。彼のエッセイは、わりあいまとものものが多い。義理人情には弱いタイプの人である。横川辰之の「東京・猫池」の写真集はいつみても飽きない。野良猫の生態を良く映し出している。野良猫には沢山の物語が秘められている。辛い目にあっても元気に生きてゆく姿を見ていると勇気を与えてくれる。可愛い猫も良いが、ぶす猫もそれなりに愛情を注ぐと可愛いものだ。猫はどんな猫でも素晴らしい生き方をしている。

2010年1月24日 (日)

田川紀久雄日記

増田幸太郎さんから温かいハガキをいただいた。温かい手紙はやはり生きる勇気を与えてくれる。増田さんも奥さんをなくしてずっと辛い思いをして過ごしてきたのだろうと思う。そのつらさを詩を書き続けることで乗り越えようとしてきたのだろう。そしてその詩が普遍化していくには、それなりの努力とその人の生き方が左右してくる。詩をただ書けばそれで良いというものでもない。読む人に生きる大切な宝物をプレゼントができない詩は、詩としてどうなのかと疑問がのこる。そのことを追求することが詩人の生き方にとって必要なことでもある。そこには固有という世界が構築されていないと詩の価値がない。この固有の痛みこそが詩の原点でもある。
今日は午後に保坂さんと会う。坂井信夫詩集の版下を渡す。黒の紙に印刷してみたが、文字がいまいちはっきりしない。やはり二色刷りしなければならない。
昨日聲を上げてみたが、胸が痛む。この痛みが取れるのはあと数週間かかるのかもしれない。無理をしないようにして稽古をしていかねばならない。二月は生活費が大変だ。詩集が売れるとありがたいものだがそう簡単にはいかない。詩集を売ることと、詩語りを行なうことでいま私は生計を確保しているのだが。今年『プログ日記』の第一巻を出したいと考えている。今まで書いてきたものがA5判で700ページにもなる。一冊250ページほどのものを作りたい。この日記は末期癌になった人たちの応援歌としても出版したいものだ。いまのところまだ夢の話の段階だが、夢はつねに持ち続けて生きていたい。

2010年1月23日 (土)

田川紀久雄日記

いま絆が話題になっている。でも本当の意味での絆を見出すのは難しい。社会がここまで拡散化してしまった中で、心のよりどころを見出すのは困難である。いま私は川崎詩人会に入っているが、二月に一度会うことでも心の安らぎを得ることができる。先日の金子宅での会でも生きていく励みを与えられた。人数もそれほど多くはないが、気楽に話し合えることは楽しいものだ。いま小さなサークルの絆は、孤立していく個人にとっては必要な小さな社会である。
詩語りの輪が拡がってゆかないのは、自分でも情けないと思っている。それは聴き手の人の心の輪がうまく掴むことが出来ていないからだと思う。相手を思う心こそが語りのテーマなのに。一人よがりの朗読など意味がない。相手の心を思う気持をどのように表現してゆくかを問い続けてゆかねばならない。その答えが聲の響きの中で生かされてこそ朗読に意味が生まれてくる。胸の痛みはまだあるが、いろんなことを考えながら稽古をまた始めなければならない。詩人たちの朗読は一方通行である。こんな朗読ではいつまでたっても社会的には受け入れられないだろう。詩人の朗読を云々するまえの問題が何も解決されていない。詩人同士が真剣になって朗読のことを話し合っている姿を見たことがない。相手を思いやる心を本当に身につけてゆきたい。そのことから新たな絆が生まれてくる可能性が見出されると思う。

2010年1月22日 (金)

田川紀久雄日記

詩で自分のことしか書かない詩人の詩は読むに耐えないものが多い。操車場に投稿してくる詩でインターネット詩のようなものがある。詩人には読者がいないことは一番不幸なことである。詩はたしかに自分のために書くことが多いが、それだけでは詩になっていかない。眼にみえない人たちに呼びかける何かが持たないと駄目なのである。それと表現の技術が身につけていない詩は幼稚である。詩として耐える力を養っていかないと読者はいつまでたってもつかない。外国のようにサロンがあったそこで聲をだしてみるとそのことが良くわかる。しかし日本ではそのような場所がない。オープン・マイクでの詩の朗読はあまりにも酷いものが多い。彼らは人に聴いてもらうということが少しも解っていない。聴いてもらうためには、どれだけ稽古を積み重ねていかなければならないのか。『詩人の聲』に参加する詩人の中に練習をしない方がよいという詩人がいる。自分の詩を何百回読むことをしない詩人の聲など聴きたくないものだ。出来るなら血を吐くほど稽古をしてみろといいたくなる。一冊の詩集を一年かけて毎日稽古をする気持が必要なのだ。この一年は『未来への旅』全篇を徹底的に精進をしてゆきたい。ひたすら聲をあげていく以外には私の道はない。
今月は詩を四篇書いた。無の思想と祈りの意味を追求してゆきたい。

2010年1月21日 (木)

田川紀久雄日記

オバマ政権も国民からの支持が減少している。チェンジの期待が貧しい民にとってまったく感じられないからだろう。日本も鳩山政権の人気に陰りが出始めてきている。金の問題で国民はあきあきしている。それに日航問題でもなぜ国にあれだけ融資するのか国民には理解ができない。零細企業は死に追い込まれている。それなのに何ら対策が採られていない。征治はそう簡単に変わらない。時間がかかる。その時間を待つことができない人々が多すぎるから政権の批判が増してゆく。大手のデパートすら経営が成り立たなくなっている。コンビニすら経営が悪化している。
せめて国民の一人ひとりが人への思い遣りをもつことが大切な時である。孤独死が増えていると聴く。世の中は暗い話ばかりだ。
日本詩人クラブは法人化になってから資金が多く集まったという。社会に対して何か行動をしているのだろうか。詩人にできる仕事を見出していかなければ法人化にした意味が見出せないのではなかろうか。クラブから外れた人間にたいして冷淡である。この小さな仲間意識はやはり問題がある。
私の身体はいま満身創痍だが、何とかして人明かりの道を切り開いてゆきたいと臨んで生きている。語りを通して人の心に生きる勇気と歓びを与えてゆきたいものだ。

2010年1月20日 (水)

田川紀久雄日記

胸の痛みは少しも緩和されていない。傷の跡に膿がこびりついてあった。久しぶりに銭湯に行った。
詩で「無」の思想を自分なりに掘り下げている。生と死の思想を構築してゆきたいものだ。その思想の上にたって詩語りを行なってゆきたいものだ。仏像を彫るように詩を一篇一篇書いてゆきたい。そうすれば一年に一冊の詩集にまとめられる。その詩集を売り、そしてそれを語ることで生き抜いてゆきたいものだ。詩人では生活ができないことは解っている。だから求めない心で生きていくしかない。これは矛盾しているようだが、そうではない。道元がいう座禅と同じ意味でもある。無心で詩を書き、無心で語ることだけだ。
野良猫のピン・ポン・パン・プウの姿をみていると心が慰められる。この仔猫はランの子供たちなのだ。
ハイチの大地震は悲惨だ。日本からの援助はもっと積極的に行なった方が良いのではなかろうか。貧しい国での大地震は辛い話だ。普段から忘れた国と呼ばれている。政治の安定こそが国を豊かにしていくものだ。今の日本の国会も冷静になって運営をしてもらいたいものだ。

2010年1月19日 (火)

田川紀久雄日記

淺川マキが亡くなった。六十七歳である。私にとっては一つの時代が終った気がする。池袋や新宿のピットンなどに聴きにいったものだ。新宿では同じエレバーターに乗ったこともあった。そいれCDにサインしてもらった。語るように唄う淺川マキが好きだった。名古屋でライブを行なっていた。その三日目の公演の日に亡くなったのだ。
胸の痛みはあいかわらず続いている。痰が出るときは激しい傷みに見舞われる。癌の痛みも辛かったが、この胸の痛みはそれ以上の痛みだ。まったく語りの稽古ができない。でもこの出来ないことが何なのかを考えさせられる。
朝刊に小澤氏が聴取応じる方向と書かれてある。これで国会がスムーズに運んでくれれば良いのだが。でもみんな茶番劇のように思えてならない。
景気がいくらか上向きだと日銀が発表したが、全体的にみればそんなことはありえない。零細企業はどんどん倒産に追い込まれている。リストラも凄い。何もかもが滅茶苦茶だ。生き残りの為のすさまじい闘いが始まっている。弱い立場の個人はなす術もない。相棒の仕事場も暇で半日で帰される状態である。これでは二月の生活費がでてこない。蓄えのないものは野垂れ死にするしかない。詩語りの仕事が一つでも入れば助かるのだが、そう世の中は甘くはない。つらい冬である。

2010年1月18日 (月)

田川紀久雄日記

やはり胸の痛みで思うように聲があげられなかった。語りも数編語っただけで終った。でも金子秀夫さんの「海」だけは語ることができた。会が終わる前に帰らせてもらった。軟骨が痛んでいるのだろう。
帰宅したら坂井のぶこさんもころんだと言う。寒いせいなのだろうか。お互いに気をつけなければいけない。
今日から国会であるが、早く法案を通過してもらいたいものだ。小澤問題で国民生活をおそろかにしてはならない。リクルートの時も罰金でおわった。小澤さんは好きではないが、国民の生活を優先にしてもらいたい。自民党も単なる野党になってしまった。
貧しいひとはますます貧しくなる。世の中に少しも明かりが見えてこない。末期癌でもこうして前向きに生きていられることを示して生きていたいものだ。多くのひとに支えられて私は生きている。だから応援していただいることに対してもつねに感謝の気持を忘れないようにして生きていたい。昨日の福田美鈴さんにもあたたかいもてなしに嬉しく思う。語りで人の役にたちたいものだ。それが思うようにできないでいる。

2010年1月17日 (日)

田川紀久雄日記

相変わらず打ったところが痛む。咳をする激しく痛む。胸の奥が痛い。
昨夜『神戸新聞の7日間』をテレビで観る。良く出来た作品になっている。久しぶりにテレビのドラマを観た。今日金子秀夫宅で私の詩語りと金子秀夫詩集の出版会が一時からある。聲がでるかどうか解らないが、私の語りが予定されている以上行かねばならない。私は詩を語るしか出来ない人間である。詩を語ることで人に何かを伝えたい。胸の痛さや足の悪さなど言っていられない。仕事がある以上行かねばならない。出来るかどうかは問題ではない。まずいってから考えれば良い。
神戸新聞のテレビをみていて、自分は何のために生きているのだという問いが突きつけられた。末期癌と闘うとは、この世を自分なりに生き抜くことではなかったのではなかろうか。役者も舞台で足の骨を折っても演技を続けている人もいる。残された僅かな時間でも自分らしく生きることが私の使命なのだ。このよな闘いの中で本当の語りの世界が生まれてくるのだろう。間寛平さんもマラソンを続きえて生きている。いきることがそれ自体で人明かりになりえる。そのことが大切なことなのである。詩人からは詩集を送っても、詩語りライブを行なってもほとんど反響がない。それはそれでいい。私は詩人のために生きているのではないのだから。私の相棒は今日はいくのを止めたらという。私の背後には多くの人たちが癌と闘って生きている人がいる。そしてこのブログを観てくれる人もいる。
今日一篇でも二篇でも語れればよい。

2010年1月16日 (土)

田川紀久雄日記

昨日の朝に二階の階段から転げ落ちてしまった。胸を激しく打ってしまった。病院にタクシーでいく。肋骨は折れていなかった。身体を動かすと胸の辺りが激しく痛む。坂井信夫詩集の校正の直しができない。一日中寝て過ごす。坂井のぶこさんが仕事が休みであったので助かった。日曜日に金子秀夫宅にいけるかどうかわからない。足腰が弱っているからいつか階段から落ちるのではないかと思っていた。病院代で五千円もとられた。
ハイチの大地震は大変だ。これは人災の被害が大きい。賄賂と建築物の手抜きでどうにもならない。貧しい国なのにどうしてこれから立ち直っていけるのだろう。日本も地震国である。国の地震対策に手抜きがないようにしてもらいたい。
小澤問題は困ったものだが、自民党は非難するだけではだめだ。未来の日本のビジョンを明確にしていくことがたいせつである。それと選挙に敗戦した反省がまだなにもされていない。選挙はまさしく戦争であるだろう。勝つか負けるかでは大きいな違いがある。小泉元首相は、野党は与党を叩くしかにというのは、古い考え方が。いまこの不況をどうしたら乗り越えられるか共に取り組んでいくことが大切である。その上で小澤批判をすればよい。しかし、今の自民党は国民無視の党になってしまった。それにジャーナリストたちは全くの無責任の発言が多い。どこかの飼い犬かと思われる人物が多い。テレビはあまりみたくない。十八日の国会は、はやく法案を通過してもらいたいものだ。国民のための征治をやってもらいたい。

2010年1月15日 (金)

田川紀久雄日記

間寛平さんが前た腺がんになった。睾丸の下の所である。注射とホルモン剤で治る可能性がある。彼はあと一万キロ走り抜くという。とても心配だが、癌患者のひとに大きな勇気を与えてくれる。本当は一旦中止して治療をすればよいのかもしれないが、私の経験から言えば自分のおもうように生きるのが良いと思う。癌の治療は個人差が大きい。だからこれが絶対だという治療方法がない。私も一切の治療を拒否して詩語りの世界をつっぱしって生きている。ただ残念なことは、なかなか私の仕事を受け入れてくれる場所がないということだ。
昨日山本萠さんから手紙と亀岡新一画集の注文をいただいた。それに操車場の年間購読料までいただいた。山本萠さんと高田真さんらと朗読会を行ないたいとの言葉もあった。ありがたい心遣いに感謝する。
詩人という類の人はわりあい自分勝手な人が多い。多分私もその一人かもしれない。大切なのはその詩人がどのような詩を書いたかである。人間なんで所詮欠陥だらけなものである。人のこころには悪魔もすんでいれば仏の心も住んでいる。親鸞は「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉があるぐらいだ。人間にとってどう生きているかが問われるのである。だから本当のところあとのことはそれほど重要なことではないのかもしれない。
坂井のぶこさんは午前中に耳鼻科の病院に行く。

2010年1月14日 (木)

田川紀久雄日記

癌の末期癌以外は、西洋医学を信用して治療に励んだ方がよいだろう。でも末期癌と宣告された場合は、あくまで個人の判断で利用をした方が良いと思う。私の場合抗癌剤の治療を焼く二年程続けた後に、抗癌剤と医師の勧める手術を拒否して現在に至っている。ある程度癌が抑えられたらあとは自然治癒にまかせて生きている。これは誰にも勧められるものではない。あくまで個人が決めるものである。わたしのこの日記は自然治癒を試みながら生きている一人の人間の日々の記録である。
私の詩もこの自然治癒の中での心の動きを書いているに過ぎない。そう意味では詩ではないのかもしれない。詩も日記と同じ個人体験の報告にしかしぎないのだろう。でも大切なのはただ頭だけで書いていないということだ。身体の全部を使って書いている。体を動かさない思考はたかが知れたものでしかない。散歩を行なう中で生まれる思考は間違いなく個人の力になってゆく。
病を抱え込むことによってつねに身体が思考の中心になる。書物からの知識はあくまで身体の補助程度のものにか過ぎない。癒しを求めたいというのも身体がそのように要求しているからである。私は癒しの詩を書くのが目的ではない。結果としてそのようになっているだけなのだ。癒しの詩にもどこかに毒が存在しないと文学にはならない。この毒は身体が病んでいるために自己中心的な考え方になっていると思う。嫌なことは絶対受け付けないという毒がある。この毒が詩を惹きつける要因なのかもしれない。

2010年1月13日 (水)

田川紀久雄日記

八幡で行なった詩語りライブで聴きに来ていただいた柏佑子さんから温かい手紙をいただいた。病を患って闘っている人間にとってはありがたいものである。求めてもいなかった手紙が舞い込んでくることで心が明るくなる。一期一会の出会いであったとしても私の語りを聴いて人明かりをいただいたことになる。詩人たちの朗読会ではこのような現象が起きることがない。
相変わらず失業と自殺者が増えている。仕事が見つからないことはいかに大変で辛いことであるか。私も詩語りライブの仕事が切れてしまった。収入の道が閉ざされた。このようなことも私の語りを成長させてくれる材料になる。いままで以上の語りを行なえるように努力しろと神様が言っているのだろう。そして人にもっと優しい人間作りに励んでゆきたい。人間作りを行なうことで語りもいくらか変わってゆくだろう。昨日{思い遣り」という詩を一篇書き上げた。詩を書くことで自分自身を見詰めてゆきたい。
堀本恭三さんからハガキがきた。猫が元気に育っているはなしだ。どんな猫だろうかと想像してしまう。浜川崎の仔猫たちも元気で育っている。数週間見えなかった猫が、また現れて元気な姿を見るとほっとする。
森下とし枝さんかららも手紙が届いた。この企画をしていただいた森下さんには深く感謝をする。草の根の運動は私のような人間にはとてもありがたいものである。そして山本萠さんが森下さんとの橋渡しをしていただけたこともとてもありがたかった。萠さんの身体がちょっと心配だ。

2010年1月12日 (火)

田川紀久雄日記

詩集を読むと、その人が今をどう生きていたかが解る。なんとなく生きて詩を書いている人。苦難と戦いながら強く生きようとしている人。詩そのもののおたくな人。だから詩集を上梓することは怖い世界である。詩はその人の影でもあるからだ。なんとなく詩を書いている人の詩は読みたくならない。生きている意味をつねに追い求めている姿に私は心がうたれる。小説なら時間つぶしに読まれるだろうが、詩は時間潰すのために読むものではない。
詩集を謹呈しても誰でも読んでもらえるかというとそうでもない。相手から何も求めないことが大切なのだ。期待すると虚しさが増すばかりだ。詩人同士の場合は詩集の交換の程度の挨拶代わりに送ることもある。詩は書き終わった時点であるいみではすべてが終っているのかもしれない。私の場合は詩人に読んでいただきたいというより、詩人以外の人に読んでいただきたいという気持が強い。それはライブを行ないながら詩集を売っているからだ。だから難解な詩は書かないようにしている。書くことによって強く生きようとする決意が詩になってゆく。だからこそ詩を語っていく意味がある。単なる詩の朗読であってはならない。あくまでも魂の叫びである。いい加減な朗読では生きている意味を求めることができない。つねに
今という現在を証明してゆきたい。今生きているということは、過去も未来もそこには存在していない。今という現在の中にすべてがある。そのすべてが詩なのである。

2010年1月11日 (月)

田川紀久雄日記

やっと疲れがとれた今日からいつものような生活にもどらなければならない。
派遣村で2万円渡してビールを飲んだことでテレビ報道は非難している。それは確かによくないことだが、一銭もお金を持たないで生きている人にとってはやはり酒の一杯ぐらい飲みたくなるものだ。せめてそのぐらいの贅沢は許していいのではなかろうか。それより日航の国の支援の方が疑問がのこる。何度支援しても少しも立ち直らなかった日航の体質の方が問題が大きい。これで日航が立ち直るとはとうてい思えない。弱い立場の人には強く非難する。人の思い上がりではなかろうか。
野良猫に餌を与えているが、今週は休日が多いので三キロの餌袋が空になった。
渋谷聡さんからリンゴとお米が送られてきた。ありがたい。お米があるとなんだか安心をする。これは戦後の貧しい時代を生きてきたからかもしれない。
詩語りのライブの仕事が入らないと来月からまたドン底の生活に舞い戻りになる。そのためにも本当に人に聴かせられる語りを作りあげなければならない。同情では芸の技が悪くなる。魂からつねに聲を発せられる詩人になることだ。それにしても一時間肉聲だけで人の心を惹きつけることはとても難しいものだ。落語だってせいぜい二十分ぐらいがよいところだ。それを一時間行なうことはそうとうの技術と聲の力が求められる。経験的には多いに勉強になる。私は一日二時間程の聲を張りあげている。それを十年以上続けても人様に聴かせることはつねに困難なことである。だからこそ諦めずに精進することの中で道が拓かれてゆくものだと信じている。仕事があるから行なうのではなくそれを行い通けることの中で生きる意味が見出されてゆくからだ。癌にまけない身体作りにも繋がってゆく。

2010年1月10日 (日)

田川紀久雄日記

昨日は疲れて何もしないで寝て過ごした。何もしないことも必要な時間なのかもしれない。モーツァルトのピアノソナタをピリスの演奏で聴いていた。それもぼ-けっとした気分で。
広野一さんから手紙と一緒にカンパが送られてくる。温かい詩集評に感謝をする。それに佐野カオリさんから詩集代が振込みで送られてくる。これで詩集の印刷費に補充ができる。何とかして印刷費を捻出したいものだ。年金生活者でない私は一冊でも多く詩集を売らねばならない。皆様の温かい応援にうれしく思って生きていられる。
お金の入るライブは今のところ何もない。ゆっくりと時間をかけて『未来への旅』と取り組んで語りを高めてゆきたい。深い心の中で語ることを目指してゆきたい。あと何回ライブの仕事が入ってくるか解らないが次のライブのために無心なって生きていくしかない。
今度の詩集が多くの人の心に生きる歓びを与えられることを祈る。そして多くの人のまで語ってゆきたい。それがいま私の出来る人明かりの道である。人の心のぬくみに出会うとによって生きる勇気をいただいている。そのために血を吐きながらでも詩を書き語りの稽古に精進していかねばならない。
詩でメタファーなど一つも使わなくても心に届く詩が書けるものだ。しかし、簡単であってそう簡単でもない。これはやさしい詩とはちがう。金子みすゞや八木重吉の詩などを読めばわかるように誰にでも書けそう決して他の人には書けない作品なのだ。やさしく見えても作品の質は奥深いものである。やさしく見えても本物の詩を書くには命懸けなのである。そのことを解らずに詩は解りやすい詩が良いということには疑問がのこる。魂に叫びは並大抵のことでは書けないし語ることもできない。詩語りはつねに魂の叫びである。一人でも多くの方に私の詩語りを聴いていただきたいものだ。

2010年1月 9日 (土)

田川紀久雄日記

昨日は楽しいライブであった。山本萠さんとの対談も楽しかった。萠さんがリュウマチで苦しんでいたとは知らなかった。そして癌より恐ろしい病であると知らされた。八幡まで行く途中品川駅で足が痛み動けなかった。ときどき突発に痛みが走ることがある。山本さんも私も年金が受け取れない中で活き活きしていることなどが不思議に感じられた。そして森下さんの温かみのある会場を設定されたことに心から感謝しなければならない。また私の友人である高橋馨さんた山中真知子さんも聴きにきていただいた。そして三鷹で聴いたお客さも数人来ていただいた。おもったより多くの人が集まってくれた。それに『未来への旅』の詩集も売れた。皆様に深く感謝をしたい。ライブが終ってから高橋さん山中さんらと食事をした。帰宅したのは十時ころであった。ライブは何度おこなっても緊張する。そして難しさをいつも痛感する。
武井まゆみさんから詩集代を山本さんから受け取る。それから小笠原真さんから暖かい手紙とカンパが送られてくる。お医者さんである小笠原さんの手紙はやは
り嬉しいものだ。今回のライブで来月の病院代が出来た。このようなライブが時々ないと生活が行き詰まってしまう。私の聲はもっと人に生きる勇気を与えられるものを作り上げていかねばならない。そのためには心の豊かさを求めて生きていく必要が求められている。聲の力はその人の生き様の結果であるのだろう。初めて人前で『未来への旅』の一部を語ることができた。この詩集をもっと深みのある語りが出来るように精進していかねばならない。

2010年1月 8日 (金)

田川紀久雄日記

検診の結果来月の三日にCTを撮ることになる。来月はお金がかかる。
福田美鈴さんより、連絡がある。一月十七日(日)に金子宅で私の詩語りと金子秀夫詩集『満潮の音』の出版会を行なうとのこと。語りが出来ることはありがたい。どんな場所でも聴いていただける方がいるということは生きて行く張り合いができる。
今日は市川でライブの日だ。山本萠さんとどのような対談になのかのちょっと不安であるが楽しみだ。まったく打ち合わせがなくて行なうのだからどうなのか見当がつかない。お客の心を掴むようにしてゆきたい。詩の語りは人々に勇気を与えるものでなくてはならない。そこまでいける詩人はなかなか出てこない。それは日々の精進があって初めて可能なのだ。人に感動を与えられるまでに成るには人に言えない苦労と努力がある。癌を治療してゆくにももっと多くのライブを行なっていく必要がある。人という字は人によって支えられている。つねに支えてくれる人のことを思って生きていかねばならない。
指揮者の小澤征爾が食堂癌だと報じられた。いまの時代は誰でも癌になる可能性がある。だから癌になったらどう生きるかが問われている時代でもある。そういう意味でもこの末期癌日記は貴重な報告であると思う。指先のリュウマチや足腰の痛みに耐えていきている。生きていられることを思えばそのようなことはなんでもない。つねに愛の光に向かって生きていたいものだ。

2010年1月 7日 (木)

田川紀久雄日記

遠丸立さんが亡くなったことが朝日新聞の夕刊に報じられていた。死因は心筋梗塞であると書かれてある。以前から癌を患っていた。初期の胃癌で手術をして治ったが、また再発したと貞松さんから聞いていた。詩誌『漉林』にも作品を発表していただいていた。遠丸立詩集や歌集の仕事のお手伝いもした。ここ私も癌にかかってから連絡は取っていなかった。貞松さんも身体がそれほど丈夫ではない。心配だ。ご冥福をお祈りする。
本田まり子さんからお手紙とカンパが送られてきた。本田さんも大変な状況の中で生きているらしい。その中で私に温かい手を差し伸べていただき心より感謝をする。彼女の生き方から学ぶことがある。どんな辛いときでも人に温かい手を差し伸べる精神を身につけてゆきたい。
昨日坂井のぶこさんが半日で仕事場から帰ってきた。仕事が暇で帰された。本当に世の中は不景気なのだ。今月はメール便代が二万円近くもかかってしまった。正月は眼に見えないお金が消えていってしまった。
今日は定期健診の日である。採血やその他で約一万近くもかかる。午前中は病院で過ごすしかない。昨日からいくらか風邪気味である。咳と鼻水がでる。明日ライブがある。少し不安を感じる。

2010年1月 6日 (水)

田川紀久雄日記

これから自分の気持をもう一つ乗り越えていかなければならない。ライブがなくなってからどうして語りの世界を高めていくかだ。畑を耕すように自分の心を耕すことだ、といってもそれはあくまで観念的なことにすぎない。問題はそれを同様にして耕していくかである。心がどこにあるかと問われても、そのようなものは何処にもない。『正法眼蔵』の第八「心不可得」で心は捉えられない、と言っている。頭で理解しているものはほんとうはなんでもないものを理解しているのかもしれない。無になって精進していく以外はないもないのかもしれない。多くの人の愛を心の中に取り入れながら聲を発する修行をしていくことだと思う。自分自身が豊に成長していけば、縁が自然に拡がってゆくものだと思う。それに期待してはいけない。何も期待しない自由な心になっていく必要があるのだろう。
現代詩は、今の時代を乗り越えられない。現代詩という化け物に右往左往しているだけだ。詩の心は一つしかない。その心を掴もうとしない以上、読者は誰もつかない。書き手すら自分が何を求めているのかすら解らない状態である。その誰が読んでも解らない詩が優れていると思い込んでいるだけだ。詩についている多くの垢を拭い去ってゆくことが大切なのに。そして詩は頭で考えて作るのではなく、生き様の中で生み出されてゆくものである。今という永遠の中に真剣に生きていないと詩の心はつかめない。だれもが詩の心を掴めるものではない。詩人して詩を書いている人の殆どが、実際は詩など何も書いてはいないのだ。ただ言葉の垂れ流しにかすぎない代物なのだ。そのようなものは誰が読むというのか。
中村文昭さんから温かい手紙とカンパをいただいた。

2010年1月 5日 (火)

田川紀久雄日記

今日も語ることが出来た。この言葉を毎日続けていたいものだ。今の気持を持ち続けることが永遠なのだ。幸福とは何か、と問われてもなかなか答えられないものだ。幸福は無なのだ。あってないような世界である。ただ今を生きることが大切なことだけだ。あとは何もない。毎日毎日語る心を耕すことしかできない。心を耕しながら語りの道を掘り下げていくしかない。仕事があってもなくても不動の心こそが求められている。心の底から語る歓びを見出してゆくことだ。心が自由になっていくことで語りが人に伝えられることができる。求めない、ただ行なうこと。そこに私にとっても幸福が見えてくるはずだ。
高橋章さんからデパートの金券が送られてくる。そして諫川正臣さんからは詩集代が送られてきた。本当にありがたい。これで今月分の国民保険代が払える。病気になったときに、この国民保険のありがたさが解る。毎月の支払いは苦しいが、やはりあると助かる。
So‐netから宿の優待券が送られてくる。一泊二人で5千円ほどだ。二月になったら利用してみたい。もっともっと自然を愛してゆきたいものだ。詩のテーマは自然と愛が必要なのである。これはいつの時代になっても変わらないものである。そして酒があれば友と語り合いたいものだ。
柳田邦男著『事実の素顔』(文藝春秋)のサイン本を百円で買う。かれの字は素朴でよい。上手い字を書く人は信用ができないが、素朴な字を書く人は良い人が多い。

2010年1月 4日 (月)

田川紀久雄日記

いま世の中は本物志向が求められている。納得されるものだけが生き残れる、といってもただ本物だけでもなかなか生き残れない時代になった。
いま私は一月八日のライブに向きえて精進をしている。その先は何も仕事が入っていないが、そのことは何も考えない。ひたすら八日の語りのことを考えている。お客様にどうしたら感動を伝えていけるかを。
あるパン職人に私はどうしたらそのような上手いものができるのですかと、尋ねたことがある。そうしたら「毎日おなじことを長くやっているだけですよ」と返事か返ってきた。この日々の同じことの繰り返しの中で、眼に見えない技を習得してきたのだろう。
NHKで坂本龍馬の話をしていた。その中で小唄の二代目の人が龍馬がおりょさんに言い訳をしたときに唄ったうた。その聲が素晴らしい。だれもその小唄の唄い手のことについてはなしはなかったが、私はいたく感動をした。聲は人を感動させることを痛感した。人にほめられなくてもよい。ただ本物の聲をもちたいものだ。そこに一つの大きな宇宙がある。聲だけを鍛えるのではなく人間全体を鍛える中でできる聲がある。
政府が日航融資枠を倍増した。国民の税金をここまでつぎ込む必要があるのか、何度も日航に融資してきた。それでも改善されることはなかった。私のような個人には生活保護すら受けさせてくれないのに何か矛盾を感じる。僅かな生活保護を受けられずに自殺した人のことを思うといたたまれない。仕事がない、家もないそのような人たちのことがこのまま改善されないでいる世の中に苛立ちを覚える。

2010年1月 3日 (日)

田川紀久雄日記

浜川崎駅にランではなく、別に猫がいた。鋼管通りにいた仔猫が駅まで進出したのだ。それも二匹だ。猫の縄張りが変わったのだろうか。みんな知り合いの猫なのでいまはじっと見守るしかない。野良猫を殺さない条例を早く作ってもらいたい。ホームレスのいない社会を作らねばならない。みんなで助け合う社会ができればと願う。
末期癌であるのに、夢の中で末期癌になって大変だというのを見る。なんだか疲れる夢であった。
猫の餌を買いに町に出かけたが、やはり不景気の影響が大きい。スパーの中も客がまばらであった。
テレビで朗読劇をやっていたが、私には違和感を覚えた。役者がやる朗読はやはり変である。役を演じているからつまらないのだ。朗読はもっと自然体がよいと思う。内なる心で語ることが必要なのだと思う。テレビを途中で消してしまった。
木下晋さんから山本陽子の絵のことで電話があったが、版権は渡辺さんが持っているのでわたしにはどうしょうもできない。木下さんは渡辺さんにも電話をしたという。私は全集の仕事が出来たことでそれで良しと思うしかない。
私は日々語りの精進をしてゆくだけだ。豊かな心の畑を作ることが今は楽しめばよい。三百六十五日も一日、一生涯も一日、そのような気持で生きていたい。

2010年1月 2日 (土)

田川紀久雄日記

朝三時半に起きる。コーヒーを淹れてから、「正法眼蔵」を少し読みこのブログに向かう。ひたすら自己を視めながらゆったりした時間をすごしたいものだ。
ユニセフ協会にいくらかカンパをする。自己を見詰めることは社会を視つめることでもある。今は作家すら食べられない世の中である。売れない小説はいくち知名度があっても出版させてもらえない。文学も物と同じように扱われている。出版社も商売である。いまはそれ以外のなにものでもない。詩の出版はせいぜい二百部から五百部程度である。それもほとんどが謹呈で終わる。西洋では作品を朗読して売るという習慣がある。日本も作家は自らの手で売ることを行なうべきだと思う。本を上梓すうrには何十万から何百万近くもかかる。タダで出来るものではない。金持ちでない我々は一冊でも売って次の詩集の為に蓄えていかねばならない。そのためにはやはり質が問われてゆく。当然朗読も聴き手に感動を与えられなければ詩集など一冊もうれないだろう。本を一冊でも真剣になって努力して詩人達は売ったことがあるのだろうか。川崎詩人会でもこの話は宇田禮さんから提案されたが、ほとんどの人が詩集などうれないものだと最初から諦めた発言であった。最近駅の構内で詩を売っていた人を見かけたという人がいたが、その行為自体に私には勇気が湧いてくる。でも私は私の方法で詩集は売っていくしかない。あせらずゆっくりと次の詩集を作るまで努力をしてゆくだけだ。そして人に読んでいただける内容の生き方と作品を書くことがいま生きている私の仕事である。今年も自分なりに生きてゆきたい。

2010年1月 1日 (金)

田川紀久雄日記

今日は旧暦の十一月十七日である。満月でもある。自然を知るには旧暦の方がわかりやすい。世間一般では正月である。そういう意味では「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。」
まず眼がさめてバッハの「音楽の捧げもの」をカール・リヒター指揮で聴く。そして淹れたてのコーヒーを飲む。
昨日は、保坂成夫さんと日暮里で会う。坂井信夫さんの詩集の件でカラー写真のことで打ち合わせをおこなう。
長谷川忍さんと小杉妙子さんよりカンパをいただく。
今年はもっと深みのある詩語りを追及してゆきたい。そして多くの人に会ってゆきたいものだ。つねに前向きで生きることが免疫力を高めてゆくにも大切なことだ。
『正法眼蔵』は石井恭二訳で読み始める。この訳は本当に解りやすい。何でも修行の上で真が視えてくるものだ。出来るだ身体で会得することを学んでゆきたい。これが詩語りにも役立つからだ。心と身体を磨くことがつねに大切である。
多くの人が少しでも幸福であることを感じられる年であることを願う。そのためにも私なりの努力をしてゆきたい。

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