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2009年12月31日 (木)

田川紀久雄日記

今年も今日で終わりだ。多くの人たちに助けられて生きてきた。来年は人明かりの道を生きたいものだ。世の中には仕事も家もない人が沢山いる。政治は人の幸福を求めて行なわれるのが道である。ここまでデフレがすすむと貧乏人にとっては辛い年越しである。
操車場32号をおくる。お世話になった方々には詩集を入れさせてもらった。私にとっては本当に良い年であった。

2009年12月30日 (水)

田川紀久雄日記

操車場32号の印刷を始める。私は詩を書くことで自分を随分慰められてきた。そして詩集まで上梓してきた。毎月作品を発表できることで生きる勇気がわいてきた。末期癌と宣告されてよくもここまで書き続けられた。この経験を人明かりのために役立てたいものだ。詩人に詩集をおくってもほとんど反応がない。だから初めから期待しないことである。人に褒められたいという気持が間違っているのだ。何も期待しない。ただ私はそっと差し出すこと以外は何もできない。操車場と一緒に詩集を送ることにする。詩人のできることは底までだ。それ以上何も求めないことが精神的にも良い。求めるから虚しさが生まれてくる。
来年は『正法眼蔵』を読んでゆきたい。揺るがない心を作りたいものだ。ライブの数も減っていくだろう。苦しい生活になってゆくかもしれない。だからこそ自分の心と聲の力を掘り下げてゆくことだ。こちらから求めなければ、向こうからやってくるかもしれない。
元旦に坂井のぶこさんのお母さんに会いにいく予定していたのだが、旦那さんの身体の調子が悪いというので中止になった。心配だ。私もこんな身体なので何にも役立てられない。私に出来ることと言ったら詩語りを行なうことしかない。何とか人の役にたつ生き方を求めてゆきたいものだ。

2009年12月29日 (火)

田川紀久雄日記

私と同じような人がいる。昨日の朝日新聞で『私は歌う「余命」の後も』というタイトルで紹介されている。小林由佳さんは「余命一年」の宣告をうけ、積極的な治療はせず、現状維持や急変予防のいための投薬などをしているだけである。六月にライブ企画の支援が拡がっている。私も全く同じであった。ライブの企画が眼の前にあったから生きる勇気をもらった。末期癌の場合強烈な生きる場があたえられると免疫力がたかまり癌を抑えてくれる効果がある。
私が三年近くも生きてこられたのも詩語りライブが企画されてきたからである。ライブを企画されてくれた人たちに恩返しをしたい。そのためには少しでも良い語りを行なうことだと思ってここまで懸命に精進を積み重ねてきた。来年は一月八日にあるだけだ。その次の予定がまったくない。つねに夢を持って生きていると癌そのものは怖くはないのだ。ライブ公演が一番の治療なのである。
昨日坂井信夫さんと三時に川崎駅で会う。詩集『影のサーカス』の原稿をいただく。これで何とか正月が過ごせそうだ。一時間ほど雑談をして別れる。

2009年12月28日 (月)

田川紀久雄日記

「詩と思想」1・2月号を読んでいてなかなか共鳴する作品に出会えないものだ。いったい私は何を求めているのだろうか。詩という世界をもとめていないことは確かなのだろう。詩という方法や技術ではないことは間違いない。詩イコールいのちそのものの言葉である。それは書けそうで書けないことばである。朗読でも、言葉の意味を追って聴いてはいない。つまりいのちの聲を聴いていたいのだ。末期癌になってから、私はいのちにとってもっとも大切なものを追い求めてきた。いのちそのものを感じさせてくれるのが私にとってポエジーなのである。現代詩などという決められた枠など興味はない。あくまでいのちのポエジーが詩である。詩というものは永遠のテーマなのである。賞をとりたいための詩などわたしに言わせればナッセンスである。詩も語りも下手なものほど良い。それはその道を追求した果てに生まれてくる無垢な世界である。それを下手な世界と私は呼んでいる。
私は次の詩集『祈り』に向けて書いてゆくだけだ。操車場の原稿も集まった。今月の日記が終わったら直ぐに印刷に取り掛かる予定だ。

2009年12月27日 (日)

田川紀久雄日記

鳩山首相は確かにおかしいが、今は政権を守って国民の為に良い仕事をしてもらいたい。報道関係は、おかしいことだけを強調してははとやま批判を繰り返している。新聞社も倒産しそうだ。テレビ局も番組の予算が着られている。報道の社会はどうにもならないところまで追い込まれている。そのハライセには鳩山批判を繰り返しているだけだ。
堀本恭三さんから詩集代が手紙と一緒に送られてくる。彼も生活が大変なのにありがたい。
暮れになって一番大切に思うのは人の温もりではなかろうか。世の中では虐めが過激になっているといわれている。眼にみえないところで行なわれている。大人も子供の世界も同じだ。
いま細胞で死なない細胞があるという。研究が進められているが、生物にはやはり死という問題は必要で大切な問題である。人間が永久に死なない細胞をもつようになったら不幸だ。死があるからこそ、生の意味が問われている。死を見つめることによってより人間存在の意味が深まられている。いくら科学は発達しても、人間の精神性はすこしも進歩しないものだ。
詩集の発送は操車場32号と一緒に送る予定をしている。できるだけ送料をおさえたい。

2009年12月26日 (土)

田川紀久雄日記

坂井のぶこさんの仕事が休みなので、回転寿司で私の出版記念をした。ささやかな行事であるがやはり嬉しいものだ。
若林妙子さんから詩集の感想のお便りをいただいた。それに詩集代までも入っていた。温かい手紙をいただくと、やはり嬉しいものだ。私もいただいた詩集に返事を出さないでいる。反省をするのだが、基本的には出さないようにしている。つまり出したいという詩集がすくないからなのだろう。山本萠さんからも詩誌と手紙をいただいた。感謝。
仏のことをあれこれ考えて本を読んだりしていても、永久に答えはえられないものだ。仏の道はただひたすら実践の道なのだからだ。頭で理解することは、何も解っていないに等しい。実践しなから書物を研究することには意味がある。これは詩語りの世界にも言えることだ。どうしたら語りが上手になれるのかを考えているだけでは、決して上手くはなれない。短い時間でもよいからつねに稽古を積み重ねることが一番大切である。道というj言葉があるが、この道とはひたすら精進をしている人には道ということが解るが、言葉だけで道を求めている人には道を歩く困難さがわからないだろう。道は憧れなどではない。一歩ふみだしたなら、諦めず歩き続けることだ。それ以外には道など存在しない。道の先に何があるなどと問う必要はない。道はあってないようなものだ。無であった無でない世界である。何物ももとめない。道があるから道にそってすすむのである。
詩集受贈『ZO・28号』『笛・250号』『卵と月』

2009年12月25日 (金)

田川紀久雄日記

最近の報道をみていると情けないことばかりだ。日本の国の中心がどこにあるのかさっぱりわからなくなる。私のように政治に対して疎い人間でも苦い思いをする。
朝蒲団から起き上がるのが辛い。それは右足の太股が痛むせいである。身体のどこかがいつも痛い。運動不足である。でも足がわるいと散歩もなかなかできない。歳をとってゆくことはつらい。いま相棒がいないと何もできない状態だ。
揺るぎない境地のことを仏の世界らしいが、人間はなかなか仏の境地に到達しないものだ。特に文学者は煩悩の世界から抜け出せない。煩悩の世界に甘んじているわけではない。いちようは仏教に関心はある。仏の世界に近づく努力はしてみる。何もしないで煩悩といっているのではない。苦しみから逃れたいと悪戦苦闘はしているつもりだ。頭で理解している仏など本物のすがたではない。ただの影を思いうかべているだけにすぎない。頭で理解している以上そこから一歩もさきにはすすめない。仏とは自然そのものである。それ以上でも以下でもない。
心の畑を耕していくことの中で聲を鍛えていくしかない。温みのある聲を作り上げたいものだ。それには聲だけを鍛えても意味がない。つねに人間の深みを求めていくことで聲が本当に作られてゆくものだ。一生人生を費やしても届かない世界かもしれないが、それを求めてゆくことが私の残された人生の道である。

2009年12月24日 (木)

田川紀久雄日記

川崎詩人会の忘年会は楽しいひと時であった。参加者は、金子秀夫・福田美鈴・宇田禮・田川紀久雄・長谷川忍・中田紀子・林田悠来・丸山あつし・黒田洋さんたちである。
宇田禮さん・福田美鈴さん・中田紀子さんに詩集を買っていただいた。本当にありがたい。それに宇田さんからはカンパまでいただいた。
心を許しあえる友と酒をのむのは楽しい。
暮れになって自殺者が増えている。毎日鉄道事故が発生している。そのほとんどが人身事故である。生きていて未来が見えなくなっている人たちが死を選択する。これはとても悲しいことだ。末期癌になって必死に生きたいと願っている私には怒りを覚えてしまう。それは自殺した人間への怒りではなく、社会そして政治に対してだ。ちょっとした心の思いやりで死なないですんだ人たちがいるはずだ。そのちょっとした思いやりすら感じられなくなったひとがいるということに、自分自身の無力さに対してでもある。詩の力が何にも役に立たないでいる。
自民党が鳩山首相を非難しているが、いままでこの国を壊してきたことに何ら反省がない。テレビに出ていてどうにもならないことをいっている評論家をみていると、腹がたってならない。

2009年12月23日 (水)

田川紀久雄日記

今日は川崎詩人会の忘年会である。西八王子の丸山さん宅で行なう。坂井のぶこさんは仕事で出席できない。『新しい風』の原稿も書けなかった。詩集を上梓するときは、なかなか気持にゆとりがない。生きるためにもっと多く詩を書かねばならない。詩集を上梓した以上これを売らねばならない。今月はいろいろと出費がかさんだ。
核密約文書が現存していた。戦後から現在までアメリカの圧力に屈してきた。戦後六十四年も経過しているにだから、日本はアメリカに対して言うべきことははっきりすべきである。日本は平和国家を目指して法律が作られたはずである。平和を維持することはいかに困難であるかということだ。アメリカのアフガンへの兵力の増派は間違っている。アメリカはなんど失敗を繰り返せばよいのだろう。軍力があるから間違った方向に進んでしまう。武力では何にも解決はしないものである。
写真家の荒木経惟は前立腺癌である。「遺作 空2」を出版した。六十九歳である。ほぼ同年期である。この年齢で癌になる人が多い。私の友達でも数人いる。癌を隠して生きている人もいるが、文化人は公にして生きることで癌患者に勇気を与える必要がある。私も詩語りライブを続けていることで癌で悩んでいる人に勇気を与えていると思う。
川崎の南校の跡地は小さな森にしたいものだ。森を歩くことでナチュラルキラー細胞が活性化するからである。小さな木が一本あるだけでも人の気持を豊にしてくれる。私の存在も小さな一本の樹木でありたい。

2009年12月22日 (火)

田川紀久雄日記

蜷川さんの演出はやはり熱が感じられる。つねにリアルを求めて舞台つくりをしてゆく。詩の朗読はただ言葉を読んでいる程度のものが圧倒的に多い。言葉に魂がこめることができない。
私はいちどワークショップを行なってみたい。言葉がどうしたら立ち上がってゆくのかを教えてみたいものだ。聲にいのちを吹く込むことの難しさをどうしたら出来るのかを。西洋的な聲の出し方と、日本語の聲の出し方は違うのである。オペラのように大きく口をあけて聲を出す必要などない。
今日が昼の時間が一番短い。つまり冬至である。かぼちゃを食べて元気でいたいものだ。南瓜といえば亀岡新一さんの絵だ。詩にも南瓜が多く出てくる。南瓜は亀岡さんにとっていのちのシンボルであった。今日は公園で亀岡さんの詩でも語ろう。私一人で亀岡新一さんの詩を語り継いでいこう。今年の最大の収穫は、市島三千雄さんの詩と亀岡新一さんの詩を語ることが出来たことだ。詩は詩集を出して終わるのではなく、そこから新たな始まりが生まれていかなければならない。詩人達は詩集を上梓して終わっている。何かを勘違いしている。詩を聲を出して読むことによって、魂との出会いが生まれる。黙読では味わえない豊かな世界が拓けてゆける。そのことを多くの人に伝えてゆかなければならない。

2009年12月21日 (月)

田川紀久雄日記

詩集『未来への旅』が出来上がってきた。全編をどこかで語りたい。そして詩集を一冊でも多く売りたい。次の詩集をつくるためにも資金集めはしておきたい。よくも末期癌を宣告されてから五冊もの詩集を作り上げたものだ。それだけ懸命に生きてきた証でもある。同じ病を経験している方に読んでもらいたい詩集でもある。詩壇の詩集とはもう違っている。いのちを真剣に考えている人たちのための詩集なのだ。今までカンパやお世話になった人たちには次の操車場と一緒に送りたい。
本物の詩人はいつの時代でも生きている時は社会から無視されるものだ。いま残っている詩人達もほとんど不運な人生を送っている。最大の詩人杜甫すら晩年は不幸であった。宮澤賢治や中原中也すら詩集すらほとんど売れなかった。彼らの名声は死後である。詩壇で賞ととっている詩人達はほとんどが消えていく運命である。不思議に本物の詩人を現世では認めたがらない。最近のH賞をとって作品で心をうつものが何一つとてない。現代詩といわれるものは社会的に見ても世の中からは認められていない。
世の中に詩とはこんなにも素晴らしいものなのだということを語りを通じて広めてゆきたい。そして語りの奥義を窮めてゆきたい。これからまだまだやらなければならないことが多くある。病に負けてはいられない。

2009年12月20日 (日)

田川紀久雄日記

朝三時に起きて西の空を見る。美しく星々が輝いている。寒いが見ていると時間の経つのを忘れる。太古の人たちはこの星をどのような気持で見つめていたのだろうか。日本海では大雪でありという。富士山では遭難事故があった。自然の厳しさは人の力ではどうにもならない。野良猫たちもさぞ寒いだろう。仔猫たちはこの冬を生き抜くことは至難のわざであろう。
妹のためにトレナーを二着買う。クリスマスのプレゼントとして。
一月八日にライブがあるというのに、『未来への旅』はなかなか思うように仕上がらない。数編語ればよいのだが、今月は全編を通じて語る稽古をしている。やく一時間半程度であるが、思うように行かないでいる。座禅と同じようにひたすら無の境地になって語りと取り組むしかない。語って語ってゆくしかない。不器用な私はそれしかできない。聲の畑をただただ耕すだけだ。亀岡新一さんの行き方から学ぶことが多い。昨日新保哲夫さんから亀岡さんが住んでいた家の写真が送られてきた。そして畑での個展の風景もある。詩の反響はないが、画集の反響はある。画集は私のところには十部しかない。謹呈は出来ないので欲しい方は漉林書房に注文していただきたい。
今年も僅かしかのこされていない。年賀状はださないことにする。来年はもっと生活が厳しくなる。

2009年12月19日 (土)

田川紀久雄日記

久しぶりに浜川崎でランに出会う。元気でいる姿を見てほっとする。野良猫が生きていくことは大変なことだと思う。地球が誕生して四十億年と時を経て今に至っている。人間も猫もその長い時の中で遺伝子が受け継がれてきている。私の体内ではこの遺伝子によって四十億年の生物の記憶が残されている。今だけに私たちは生きているのではない。過去・現在・未来を通じて生きているのである。仏法ではこれを無と読んでいる。「滴丁東了滴丁東」という。風鈴の擬音の意味である。
環境に関する国際会議では、一国の利益を考えていてはこの地球は滅んでいく。国という狭い考え方を捨てて、地球人という一つの考え方に沿って話あうべきである。
癌の治療で遺伝子の組み換えで癌を治す研究が進められているが、それで問題が解決するものではない。遺伝子の組み換えは生物の死滅に繋がるのではないだろうか。植物の世界で遺伝子組み換えが行なわれているが、私は非常に不安を感じる。人は神にはなれない。自然を受け入れながら生きていくことが大切なはずである。いのちについてもっともっと勉強をしてゆきたい。そしていのちについて詩として書き上げてゆきたいものだ。詩語りで幼年時代の苦しみの経験がこの語りに生かされていることを感じる。

2009年12月18日 (金)

田川紀久雄日記

ライアル・ワトソン著『風の博物誌』木幡和枝訳(河出書房新社)がとても面白い。まだ読み初めだがわくわくしてくる。
地球は一つの生き物である。そのなかで人間はその細胞の一つにかすぎない。その細胞がCO2を大量に吐き出している。これでは地球が癌状態になるのは当たり前だ。COP15で国同志が自国の欲望を優先しあっていてはこの地球は滅びていくしかない。人間の身体に癌が発生するのは、もう人間はこの地球に存在する資格がないといわれている証なのかもしれない。いくら医学は発達しても癌細胞を解明することはできない。ただ癌とむきあえるのは自然治癒しかないと思える。癌は二人に一人が罹る病だといわれている。生命の誕生のときから癌細胞は良質な細胞と一緒になって生まれてきたものだ。つまり誰もが癌と共存して生きているのである。ということはいつも死と隣りあわせで人間は生存をしている。わたしは癌患者になったことで、生命というものが少し解ってきたような気がする。
詩人は詩など勉強したってどうにもならない。それより生命学を学ぶことこそ必要なのである。詩人は何のために詩を書いているのかつねに検証する必要がある。そしてなぜ朗読をするのかも問うことがたいせつなのだ。風が一つの生命体であように、聲も詩人にとっては一つの生命体なのである。この自然の摂理を知らないで聲を出してもどうにもならない。風は生命を維持するためには大切なものである。詩人にとって詩を語ることも風と同じように必要なのである。末期癌でこれだけ聲が発せられることは奇跡に近い。これも日々の精進のお陰だ。聲を発することで自分の体内に風がおくれる。そのことが免疫力を高めることに繋がっているのだろう。
詩誌受贈『鮫・120号』

2009年12月17日 (木)

田川紀久雄日記

喪中ハガキで阿部岩夫さんの死を知った。六月十二日に七十五歳でなくなった。彼は難病で生涯闘い続けてきた。ある意味ではよくも七十五歳まで生きられたと思う。
昨日印刷用のトナーを買いに出かけた。買ったあとに急に身体全体に痺れがきて倒れそうになった。このようなことは初めてである。なんとか家路に辿り着くことができた。
民主党はやはり小澤が政権を握っている感じがする。国民の厳しい視線がよりよい党に成長させていく。この度の新しい政権は、国民が政権を変える力があることを教えたことに意義がある。一人ひとりの国民が政治になんらかの興味をもつようになったことは大きな成果であった。しかしテレビであれこれをいうタレントたちの話はどうしょうもないものばかりだ。天皇の問題も、昔と少しも変わっていない。
柳澤桂子さんの本を読み終わって、難病を理解されないことは地獄の苦しみである。まだまだ多くの人たちが医師から理解されない患者がいる。西洋医学の欠陥はデータに出てこなければなんでもないことになってしまうことだ。身体は一部分でできているのではなく、身体全体で考えていく必要がある。これは癌にしても同じことが言える。漢方の生薬の販売の禁止を解いてもらいたいものだ。

2009年12月16日 (水)

田川紀久雄日記

横浜市緑区では、行政、獣医師、市民の連携で猫を救う制度があるという。仔猫を殺さない。避妊手術をおこない、餌をやるひとがちゃんといるという。これくぉ維持するには会員を募って行なっている。浜川崎のように、突然仔猫が消えることはないのだろう。行政で処分をされては可愛そうだ。生まれてきたものを殺すという政索にはいきものとしての憤りを覚える。犬や猫は人間にとってもっとも身近な動物である。人間と仲良く生きられる動物でもある。緑区のような地域が増えてくれればありがたいものだ。
堀本恭三さんからカンパをいただいた。彼の家にも猫を飼っている。そして野良猫まで世話をしている。猫と共に暮らしている人は心も優しい人が多い。一生に一度は猫を飼ってみたいものだ。末期癌であるわつぃはいつ死ぬかわからない、そんな状態では猫などとても飼えない。飼う以上にはやはり責任がある。せめてできるのは野良猫と友達になるぐらいだ。
最近喘息でつらい。そこで通販からホットシャワー3を買うことにきめた。毎月薬代や病院代で多くの費用がかかっている。友達のありがたいカンパでいま生活を凌いでいる。何とかして詩語りの仕事を増やさないと来年は大変になる。詩人である私は営業がまったく下手である。天に任せぱなしである私は自分を売り歩くことができない。亀岡新一さんのように社会との道を閉ざすことができない。かれは本当に凄い生き様であった。わたしは毎日詩語りの畑を耕している。その実りの聲を売っていくしか私には生活の糧を得ることができない。すべて無償な生き方はできない。詩人の聲の価値を高めていくこともわたしの仕事の一つであるからだ。熱海の時のライブでは交通費やライブ代も出なかった。あのような企画ではわたしが飢え死になってしまう。詩人の価値が馬鹿にされているようなものだ。いろんな経験を通じて詩人の凄さを世に問うていかねばならない。だからいい加減な詩人にはなりたくはない。そのためにもひたすら精進をしていくこと以外にはない。明日を信じて生きていたい。

2009年12月15日 (火)

田川紀久雄日記

来年ミュンヘン・フィルハーモニーが来日する。この楽団がブルックナーの演奏では素晴らしいものが多い。まずはケンぺ、そしてクナッパーツブッシュ、チェリビダッケの演奏である。この二人の八番は素晴らしい。どちらとも甲乙がつけがたい。クナッパーツブッシュの1963年1月24日のライブ版は凄い。でもちょっと録音が悪い。レコードように録音した方が聴きやすい。ブルックナーの演奏はゆったりした中に凄みをもつ演奏がよい。この二人の演奏を聞くとあとのものはどうでもよなってしまう
私の小さなカセット用の機械からではいい音が出てこないのが残念だ。詩集を売ってなんとか良いCDの装置を買いたいものだ。眠れぬ夜には音楽を聴くことで眠りにつける。音楽療法がいま精神を安定させてくれることに役立っている。心の不安を取り除くことがやはり免疫力をつけることに大切な役割を果たす。
印刷所から連絡があった。私の詩集が今週中に出来上がるという。この詩集を語れる場所を見つけたい。新聞で宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を歌っている人がいるのが掲載されてあった。いまの若い人たちでもこの詩を知らない人が多い。いまの学校では教えていないのだろうか。坂井のぶこと私とで語っている「雨ニモマケズ+永訣の朝」は、まちがいなく人に感動を与えるものである。畑で生き抜いた詩人・亀岡新一さんの詩も語ってゆきたい。語りに豊かさを世の中に伝えてゆきたいものだ。

2009年12月14日 (月)

田川紀久雄日記

パソコンは癌と同じようにどんどん変化していく。そして強力になって進化する。癌は生命の誕生と一緒に存在してきたものだ。抗癌剤を適用すれば、ますます癌細胞は強くなってゆく。末期癌の私は、抗癌剤の治療をやめたのは正解であった。癌を治すには遺伝子細胞をうまく活用するしかない。退縮に導くような生活に変えていくことである。つまり癌とある時期は仲良く共存しあうことである。
私が三年近く生きてこられたのは、詩語りの道に活路を見出してきたからだ。このことは三部作の詩集『未来への旅』を読んでもらえれば解ることだ。このことを多くの人々に伝えてゆきたい。言葉に魂を吹き込むことはどのようなことかをライブを通じて実践してゆきたい。来年からはライブの場を広げてゆきたい。
操車場31号で鈴木良一さんの詩を山本萠さんが褒めてくれた。優れた作品は誰が読んでも共鳴するものである。優れた作品は出来れば聲に出して語りたくなる。鈴木良一さんも朗読が好きなひとである。彼の聲で『風のダンス』を聴いてみたいものだ。私も機会があれば現代詩人の作品を語ってゆきたい。ただし、詩にいのちを感じたものしか語れないが。
田川紀久雄詩集『未来への旅』は小部数なので予約販売です。生活費稼ぐためにも贈呈はいたしません。

2009年12月13日 (日)

田川紀久雄日記

社会的要因で鬱になる人が多い。その原因で自殺者も増加する。いまの政権ではこの不景気からぬけだせるのかなんら対策が打てないでいる。といってお金をばら撒けば良いというものではない。やはり鳩山首相の政治的な指導力を発揮してもらいたいものだ。
柳澤桂子著『患者の孤独』(草思社)を読み始める。医師からあなたはなんでもありませんといわれることは患者にとっては辛いことである。彼女の孤独はわたしたちには想像を遥かこえたものだろう。他人の孤独を知るには当事者になってみなければわからないものだが、私は彼女の文集の中から勇気がいただける。柳澤さんの著書は難解なものが多いけれど、読まずにはいられないものが秘められている。私は新刊では変えないので古書店で見つけたときは買うようにしている。
昨日テレビで日本音楽コンクールを見ていたが、これでは世界に通用しない力量だと感じた。若手の話を聴いていても熱気が感じられない。これがいまの若者なのだろうか。
公園ではなく自由に稽古ができる場所が欲しい。人のことな山の中とか海辺とかが近くにあればよいのだが、都市ではなかなか人の邪魔をされない場所はないものだ。プロにならない以上、自分だけの稽古場を持てるはずもない。その中でどう稽古を積んでいけるのかがその人の力量なのかもしれない。詩人達は、それほど恵まれた場所がないはずだ。その中で人より抜きん出た世界を作り上げることは大変なことである。こつこつとたゆまぬ努力をしていく以外には道は拓けない。はやく『未来への旅』の語りを自分のものにしなければならない。眼に見えない精進をするしかない。

2009年12月12日 (土)

田川紀久雄日記

昨日は、相棒も仕事が休み。小雨で寒かった。外には一歩もでなかった。モーツァルトのピアノソナタをピリスの演奏で聴いてすごした。なにもしない時間もいいものだ。
最近では癌が二人に対して一人の割合でなるという。そして三人に一人の割合で亡くなる。やはり恐ろしい病である。人は誰でもいつの日にかはなくなっていく。大切なことはどう死と向き合って生きていくかということである。死と向きあう時間を多く持つことが人間の生き方にとっていかに尊いことかということに繋がってゆく。死を考えることは、生きることの意味を真剣に考えるということである。私の場合、詩語りに人生を懸けているから、その語りに対して普段の生より、より深い生を考えていける。語りのあり方がより具体的になっていけるということだ。その過程を稽古の時間の中で意識化していける。テキストの言葉は、私の聲の中でいのちの深みに転換していける。その深みに転換させることの楽しみが生きている豊かさに繋がっていける。それは自然を見つめることにも通じる。自然というものはなかなかしたたかなものだからだ。表面的に美しく見える風景でも、その中ではつねに生と死が繰り返されている。いのちの愛おしさも自然の中で感じられる。自然はつねに流動し続ける。まさに人生そのもののように見えてくる。
詩を朗読する詩人達と真剣に語り合ったことはないから、他の詩人がどのように朗読に対して考えているのかまったくわからない。いや詩人達の朗読を聴けばその人がいかに真剣に向き合っているかどうかが解る。
私が毎日のように詩語りについて書いているのは、語りを目指す人たちのための少しでも役に立つからかもしれないと思うからでもある。そしてそれ以上に自分自身のためでもある。私が生きている意味を明確にしていくためである。

2009年12月11日 (金)

田川紀久雄日記

操車場の発送が終わった。詩集が来週にできあがることを願っている。でも注文以外は操車場三十二号と一緒に送る。送料がないからだ。そして来年からは年賀状も出すことをやめる。一銭も蓄えのない生活はやはり不安だ。詩集は一冊でも多く売りたい。そして旅をしたい。できるだけ前向きで生きていたい。それが行動治療なのだ。行動治療を続けていれば癌は必ず退縮していくはずだ。またそのことが、人明かりの道に通じている。
詩人は魂の治療ができるひとでなければならない。生と死をもっともっと凝視していかなければならない。聲の中にいかに魂(いのち)をこめて語れるかが問題なのだ。それにテキストによっても魂のこめ方が異なる。聲だけを追求しても聲そのものには限界がある。大切なのはテキストにどれだけ魂が宿せるかが問題なのだ。これが舞踏にしても同じだ。身体の中にどれだけ魂の表現が可能であるかということだ。これはいくら技術を極めてもどうすることもできない世界でもある。つまりその人の生き方の問題である。現代詩がつまらないのは、この人生の生き方がうまくできていないからだ。社会の中に飲まれこまれているからだ。
詩人である私は、詩集を売り、そして一回でも多くの詩語りを行なうことでなんとか生活の糧を稼ぎたい。死を語ることは数年で上手くなれるものではない。やればやるほど下手になってゆく。下手になるっことによって見えてくる世界もある。死ぬ瞬間まで語ることを迷っているだろう。迷うことによって語りの世界が深まっていける。そして魂の聲に近づいてゆける。詩人達は本物の魂の聲を聴きたがらない。聴く耳のない人が多い。詩人は有名人が好きなだけだ。
いま苦しみながら『未来への旅』の語りの稽古をしている。なかなか思うように出来ない。新しい作品はそれなりに格闘していかないとどうにもならない。

2009年12月10日 (木)

田川紀久雄日記

このところ、夜中に足の筋肉が吊ることが多い。昨夜も足の激しい痛みが走った。そして激しい下痢もした。平常の身体を維持していくのにやや大変である。
鈴木良一さんの仲間(市島三千雄さんを語り継ぎ会からの)カンパが送られてきた。これはDVDに対してのお礼である。ありがたい。そして次の詩集『未来への旅』も応援してくれるという。本が出来上がってくるのが十日ほど送れる。来週にずれ込む。詩集を売らなければ生活が苦しくなる。
私の語りが少しづつ評価されてきている。この道を遣り抜くことで見えてくるものがある。階段は一歩一歩と登るしかない。言葉にいのちを吹き込むことがやっといくらかできるようになってきた。新しい詩集にはまだ数ヶ月の時間を費やさなければならない。自分の詩でもどうにもならない時がある。
柏木哲夫著『死にゆく患者の心を聴く』を読み始める。自分にとって死とは何かを考えてゆくことは大切なことだ。幸い末期癌の宣告を受けたことによって、死というものを考える多くの時間を与えられた。このことによって死は生の一部であることを知った。だからこそ生を大切にして生きてゆける。次の詩集は祈りについて深めた作品を書き上げたいものだ。

2009年12月 9日 (水)

田川紀久雄日記

今日は妹に会いに横浜へいく。妹も癌である。足腰が悪い私は保護者会にもいけない。だから数ヶ月に一度会いに出かける。
私達の周辺で夫婦が仲睦まじく生きている姿を見ることがほとんどない。長い夫婦生活にはいろんな出来事もある。好きあって結婚したはずなのに、その絆がただの腐れ縁になることもある。私も離婚したのだから人のことは何もいえない。『夫婦が死と向きあうときい』を読み終わって感じるのは、一番身近なひとをいかに大切にしていくかということだ。夫婦というものは努力して一つの世界を築いていかなければならない。夫婦という問題は人生の一つの踏み絵でもある。
私は末期癌になって、いま身近にいる人を大切にしたい。身の回りを世話してくれるだけでも感謝しなくてはならない。そして私の夢である詩語りを二人で築き上げたいと願っている。そいてできるだけ旅もしたいと思うが、お金がないので詩語りの出前で旅をしたい。いま私に出来ることは詩語りを磨くことしかない。そして仕事が入ることを願うだけだ。
佐野カオリさんからリンゴがおくられてくる。そして坂井希美子さんからル・レクチェがおくられてきた。ありがたい。果物は身体に良い。それに美味しい。
詩誌受贈『ガニメデ・47号』

2009年12月 8日 (火)

田川紀久雄日記

行動療法というものがある。それは末期癌になった人が、治療を拒否してある目的を持って生き抜く療法のことである。私も詩集を『未来への旅』を完成される目標と、それを語ることに末期癌の治療に懸けてきた。そのことによってここまで生きてこられた。強い意志を持って生き抜くことで免疫力を高めて癌を治療する。
と言っても詩を語る場所や、企画してくださる方はそう簡単には見出せない。ここまではなんとかやってこれた。毎日の精進も免疫力をつくるのに助けになっている。よりより語りを行ないたいという一念が生きる糧になっている。それは遺伝子細胞をよりよい細胞作りに変えていくことでもある。そして自然に癌細胞が退縮してゆくことを促すよな生き方をとることが行動治療の基本姿勢だと思う。そのためには仲間作りも大切なのだと思う。出来れば行動治療法の仲間作りを行なってゆきたい。このブログをよんでいる方の中で私の話を聴きたい方は喜んで相談を受ける。もちろん無料相談である。
昨日タンが詰まって死にそうになった。これは多分喘息からなったのかもしれない。喘息を直すにはやはり聲を出すことが一番よい方法である。聲を出す商売をしている方の中に喘息の人がわりあい多くいる。複式呼吸をすることによって喘息が緩和されるからだ。
坂井信夫さんから校正のゲラが届いた。その中に手紙で「昨夜は、なかなかの朗読、t6とてもよかったです。亀岡の詩の生気が吹きこまれました。」と書かれてあった。彼が私の語りを聴いて初めて褒めてくれた。いつか亀岡新一の詩の語りをちゃんと行なってみたいものだ。そして来年は『未来への旅』の語りもどこかで行ないたい。行動療法を勧めていくにも多くの人の助けがなければ先には進めないことも確かなことだ。そのためにも人の心を揺り動かす語りを目指して日々精進するしかない。

2009年12月 7日 (月)

田川紀久雄日記

福士正一さんの舞踏は人の心を豊にしてくれる。青森に凄い舞踏家がいるなんて知らなかった。人の心をうつ舞踏家はすくない。私にとって最初の舞踏家はギリヤーク・尼崎さんである。私もひとの心をワクワクさせる芸人になりたい。舞踏家から多くのもの学んだのは川尻育である。彼女も癌で亡くなってしまった。
ここ数種間前から鼠蹊部のリンパ腺が痛み出している。ちょっと不安を感じる。年中身体のどこかが痛む。何かに夢中になっている時は忘れるのだが。
操車場の印刷が出来ないでいる。校正が戻ってこない。発送は今週の末になるだろう。私の詩人が今週中に出来上がるとありがたいのだが。こちらも出来上がらないと解らない。精神的に落ち込む。身体の状態と相談しながら毎月印刷と製本をこなしている。
他人の詩を読んでいても心を揺さぶられる作品に出会うことがほとんどない。詩はやはりその人の生き様が描かれていないとつまらない。生き様のなかで魂の表現が生まれてくるものである。日常のなんでもないことをいくら詩にしても感動は伝わってこない。詩を書くひとは多いが、本当に詩を書くテーマを持って生きているひとはまれにしかいない。ということは誰でもが詩人になれるものではないということだ。
詩人はまず不幸であること。そして自分勝手な人間であること。それでいて人の幸せを願う気持を持ち続けている人である。こんなことを言うと嫌われるだろうが本当のことなのだからいたし方がない。どこか矛盾している。立派な人間の前に一人の我儘な人間がいるということだ。ある意味では厄介な生き物でもある。宮澤賢治にしても中原中也にしても自分自身をもてあましていた人間なのだ。

2009年12月 6日 (日)

田川紀久雄日記

川崎フロンターレは初Vになれなかった。もし優勝したら川崎でパレードがおこなわれたのに残念。競技場が等々力なので川崎の街自体が盛り上がりがない。わたしもまだ一度も見にいったことがない。川崎の野球場を壊してサッカー場にしてくれれば川崎の街も活気がでるのに。そういえば花月園の競輪場も閉鎖される。小学生のころは花月園で遊んだ。なぜか淋しく感じられる。いま競輪場も赤字であるという。選手達の場がすくなくなる。自転車競争をみていると美しい。オリンピックにしても国も予算が少なすぎる。文化やスポーツにはこの国ではなぜか冷たい。プロスポーツなら交通費は稼げるが、アマチア選手だと収入がないので大変である。オリンピックはプロのスポーツは廃止した方がよい。そして女子のソフトボールなどを競技種目にいれるべきだ。
一流のスポーツ選手になるためにはどれほどの努力が要求されることか、多分想像を絶する努力が求められているのだろう。この眼にみえない努力の中に本当の歓びが隠されているはずだ。
私も人に感動を与えられる語りをしていきたい。それを行なうことでしか仕事が増えてはこないからだ。絶望的な生活の不安から抜け出したいものだ。坂井のぶこさんのボーナスが減額されて二万五千円しかない。世の中は本当に不景気なのだ。街の工場では支給されないところもあるという。自殺者が増えていくだけだ。早く円高から抜け出さなければどうにもならないだろう。国の政索が誤らない方向を期待したいものだ。

2009年12月 5日 (土)

田川紀久雄日記

心が満たされる演奏家が少なくなってきている。同じ曲でも演奏家によって全く異なった曲に聴こえる。バッハに「フーガの技法」とい曲がある。昨夜高橋悠治の演奏を聴いたが、私には疑問が感じられた。なかなか心を満たしてくれる演奏に出会うことができない。眠れぬ夜には必ず音楽をかけながら床に横たわっている。
昨日新宿の画廊「絵夢」に行った。私のライブ聴きに来てくれた方がグループ展に参加していたからである。昔の面影がない。今の新宿にはまったく魅力がない街になってしまっている。どこにも寄らずに川崎に戻ってくる。
テレビで癌患者の緩和ケーアの番組を見る。まだまだ日本では緩和ケーアが始まったばかりだという。国立癌センターでも今年から本格的に始めたという。モルヒネだけでは痛みがとれないという。癌にはいろんな表情があるので、いろんな組み合わせによって治療するしかないらしい。癌は治療するものという方針できたので緩和ケーアを対象にしてこなかった。確かに癌治療は大きく発展してきた。しかしそこに大きな落とし穴があった。そのことに医学会では気がつかないで来ている。自然治癒の方法を探る道が閉ざされている。これは自己責任の世界であるかもしれないが、医学の面からも研究がなされるべき問題である。
私は手術や抗癌剤の治療を拒否しているが、CTや胃カメラそして毎月の血液検査は行なっている。癌が進行しない状態でいてくれればよいのだ。そしてそのうちに自然に癌細胞が退縮していく方法を見出して行けばよいのである。
『未来への旅』の語りの稽古に入っている。この章は、温もりのある語りを行ないたいと思っている。どこまで語りきれるのかがこれからの稽古の楽しみになる。

2009年12月 4日 (金)

田川紀久雄日記

漢方の取り扱いに対して政府は偏見がありすぎる。生薬の販売の禁止がおこわれたとたんに、大手の薬品会社から漢方の薬がテレビ、新聞に大きく宣伝されはじめた。またこのたびの仕分けで保険から外される対象になったのもおかしな話だ。私が末期癌を宣告されたときから、漢方を煎じてのみはじめた。そのためにも抗癌剤の治療に耐えられていた。それが今年から生薬が手に入らなくなってしまった。これは最悪の薬事法の改正によって販売が禁止になってしまった。
現在漢方で売られている薬はあまりにも高すぎる。とても私のような生活者には買えない。西洋医学と東洋医学が共存した治療が本来最適なはずである。
煙草の値上げは数円程度だ。肺癌の対策の為には一箱千円、のや二千円にしても良い。そのためには煙草農家になんらかの救済の道をつけてから行なうべきだと思う。
これからの福祉社会をつくるのはなかなか大変なことだが、高齢化社会になっている以上なんとかしていかなければならない。老老介護だけはなんとかしてもらいたい。そのためにも地域社会のあり方が問われている。川崎の財政も赤字である。地方がすこしでも豊かになっていかない以上この問題はなかなか解決しそうもない。
ある動物学者が、アリが部屋に入ってこまるのですがと質問されて、答えたのは「アリを踏みつけないことです」と。これはまるで禅問答のようであるが、福祉政策にとって一番大切ないのちのことを述べている。いのちを守る運動こそ豊かな福祉つくりの世の中になってゆく。詩語りでそのような世界を作るために役立ってゆきたいものだ。

2009年12月 3日 (木)

田川紀久雄日記

午前中に病院、血液検査と検診がある。
昨夜は訳の分からない夢をみた。説明不可能な夢だ、とても疲れる。相変わらず胃の調子が悪い。介護保険料や国民保険の請求書がくる。それにヤマト便の請求書まで。それからパソコンの3・5のフロッピーの機械が故障だ。
操車場も今月は多めに印刷をおこなわなければならない。トナーも三本買わなければ印刷ができない。私の末期癌日記が載せられるのだからこれもいたし方がない。いろんな人たちから応援されているのだから有り難い。それに報いられる詩誌を作りをしたいものだ。
自作詩より他人の詩の方が語りやすい。これは自分というものが本当は何も解っていないからだろう。他人の詩の場合、あれこれと考える、それに責任もある。そして表面を語るのではなく心の奥まで語りたいという気持があるからだろう。やはり自作詩を語ることは本当に難しい。詩人達は自作詩しか朗読をしない人が多い。できれば他人の詩を朗読することで、自分の詩が見えてくることもある。今年は市島三千雄さんや亀岡新一さんの詩の語りの稽古に多くの時間を費やしたことは、とても幸せな時間であった。私とかかわりあった詩人達の詩をこれからも語ってゆきたい。そして一人でも多くの人たちに詩の素晴らしさを伝えてゆきたい。詩は魂との語りである。そのことを強く伝えたい。

2009年12月 2日 (水)

田川紀久雄日記

演奏家にとって大切なのは、あくまでそのひとの独創性なのだ。この人でなければ聴けない宇宙の生命を感じられることである。シューベルトのピアノソナタは、演奏家にとっては難しい曲である。ピリスのソナタ14番の演奏は、実に素晴らしいものだ。ピリスを聴くと内田光子さんの演奏は聴けない。これは技術の問題ではない。技術ではどうにもならない世界なのだ。プロである以上、技術は確かなものを持っている。その技術でもどうしょうもならない世界が芸術の領分なのである。私がいろんな演奏を聴く楽しみも、この神の心に匹敵する芸術に触れたいからだ。
詩とか絵画の世界は、逆に技術などあると、かえってつまらないものを作ってしまう。朗読もそうである。それはアナウンサーの朗読を聴けばわかることだ。絵画だって小さい子供の絵には大人は太刀打ちできない。ここで大切なのは無垢な自由の世界である。技術が身につくとつまらない世界を作り上げていく。そして権威的な世界に落ち込んでいく。このような人たちは幻術から一番遠い人たちである。それを知らないからそれに群がる人たちが出てくる。芸術家はできば無名のままがよい。亀岡新一さんのような生き方が理想である。そう意味では私はただの人にかすぎない。病の生活を送っていると、病院代ぐらいは稼ぎたくなる。その程度稼げる語り手になりたい。年金がない私はやはりい詩語りで身を立てたいと考えている。仕事がはいれば、亀岡新一さんや尼崎安四さんの詩も語ってゆくる。血を吐く語りを続けてゆきたい。

2009年12月 1日 (火)

ッ田川紀久雄日記

今年も最後の月に入った。一年は速いものだ。この一年間でどれだけ詩語りが進歩したのだろう。この歳になってしまえば、進歩の速度はほとんど眼に見えないものだ。だからこそ、毎日が大切になってくる。
昨夜テレビで辻井伸行のドキメントをみる。彼は優勝することより、つねにお客さまに自分の音を届けようとする。芸術家にとって一番大切なものを小さいときから身につけていたのだ。私も田川紀久雄の聲を聴きたいというファンが増えてくれればありがたい。そのためにももっと語りを行なえる場所が欲しいものだ。
今日の新聞に子供達の虐めが増えているという記事があった。だんだん犯罪に近い虐めが増えている。いのちの大切さをどのようにしたら子供達に伝えられるのだろうか。この問題は大人たちの責任なのだ。パソコンの時代になって私達が想像のできない虐めも増えているのだろう。
いま読んでいる本で『夫婦が死と向き合うとき』吉田敏浩著が気になっている。老人達の無理心中がときどき新聞に載ることがある。福祉政策から見放されている老人夫婦がたくさんいる。政治で解決されない心の問題を私はどのようにしていくべきか。やはり私は詩語りを通じてしか何もできないのだろう。それならば、より真剣に詩語りと取り組んでいく覚悟が求められているのではなかろうか。多くの人たちと話し合う場所が欲しい。詩を書く前に人間としての多くの仕事がある。詩人は詩の技術を磨くより、人の心を磨いていかなければ本当の詩人にはなれない。
このところ胃の調子が悪い。便で出が悪い。それに手指がリュウマチで痛む。

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