田川紀久雄日記
一休の詩に「坊主が坊主を批判し、詩人が詩人を批判する」というのがある。坊主や詩人は自分の道に向かって生きていればそれでよい。ひたすら己の道に邁進していれば何も言うことはない。私は詩語りに邁進することによって自分を見つめていることが出来る。これは生きていられることへの感謝でもある。自分のいのちを慈しみ、そして他者のいのちも慈しむ生き方ができればよい。同じ道を歩む詩人などめったに出会うものではない。
鉦をならし、その音にそって聲を発すればよいだけだ。先日山本萠さんから手紙で家が傾きかけています。もし大きな地震があったら倒れるかもしれないとあったが、私の庵もまさにそうである。市電通で大きいな車だ通るたびに家が揺れる。小さな地震でも生きている気がしない。死ぬのも寿命と思えば、毎日びくびくして生きていてもしょうがない。貧乏なときは貧乏を楽しんで生きる工夫をすればよい。なにものにも揺るがない気持をもち続ければこの詩語りの世界も楽しいものだ。言霊の奥にす素晴らしいいのち泉が湧き出している。そのいのちの泉に触れることで私の癌も癒されてゆく。生命が活き活きとしてくるのだ。この歓びは何物にも変えがたいものなのだ。この素晴らしいいのちの泉を多くの人に差し上げたいものだ。
いまは癌と友達になって生きている。この癌はわたしにいのちの美しさや尊さを教えてくれる師匠なのだ。こんな素晴らしい世界に生きていられることに感謝している。そしてそれを詩語りの中で活かしていきていられる。
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