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2009年11月15日 (日)

田川紀久雄日記

私が語る詩人達は、ひたすら自己に徹して生きた人たちである。詩人たちにからもの当時まったく受け入れられず真剣に生き抜き死んでいった。宮澤賢治・中原中也・尼崎安四・山本陽子・亀岡新一みんな素晴らしい詩人たちなのだ。そしてそれを語る私自身すらほとんど認められていない。だからこそ命懸けで語りの世界に向かって邁進しているのだ。そこにはこの世でもっとも美しいいのちが表現されている。
昨日のソーシャル・ビジネスの問題で、日本詩人クラブはいま法人になっている。社会的に詩人が世の中に出て行くために法人化になったはずだが、それがどのようになっているのか。私は会員のとき何度の朗読の向上のことを言ってきたが、誰にも相手にされなかった。その詩人クラブの役員の方が『詩人の聲』に参加しているが、彼らは朗読をどのように考えているのだろうか。ただ自己の趣味程度にしか考えていないとしたらこまったものだ。
末期癌の私が命懸けで闘っていても彼らは全くのそ知らぬ態度でしかない。詩人とは所詮そのような人たちが多い。詩で世の中を変えてゆきたいという野心がまったくない。詩人たちはいのちの尊さとか美しさをもっと世の中に語っていく使命があるはずだと思う。そのために聲の力を高め世の中に率先していくべきではなかろうか。そうすればおのずからソーシャル・ビジネスが生まれてくるはずだ。朗読の悪口をいうヒマがあったら、聲の力を高める努力をすべきである。私は語りを通じてひとりでも多くのひとにいのちの素晴らしさを伝えてゆきたいと願っている。
詩誌受贈『櫻尺・36号』

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