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2009年11月30日 (月)

田川紀久雄日記

無事に亀岡新一詩集・画集の出版記念会が終わった。亀岡さんの詩がわからないという方が多かった。生半可にいきている人には彼の精神は解らないのだろう。私は亀岡新一さんの詩か語りだすと、やっと亀岡さんの詩の心がわかったようだ。今の詩人達でも詩のいのちを語れる詩人がいない。だから詩の朗読も軽蔑されるのだ。なにかの機会があったら一時間ほど語ってみたいものだ。亀岡さんの詩集と画集は、坂井信夫さんいがいなかったらできなかった。坂井さんは亡くなった詩人達の詩集を次々と出版してきた。漉林書房は、坂井信夫さんのお陰でここまでなった。
私の詩語りは間違いなく進化を続けている。自分のいのちを懸けて語り切るように行なっている。これは末期癌との闘いなのだ。生きていることの証なのである。最近は語るたびに反応がある。もっともっと人まで詩語りを行ないたい。亀岡さんが畑を耕したように、わたしは毎日聲の畑を耕さなければならない。詩人は自分で語りの企画ができない。もし企画しても聴きにきてくださる方がほとんどいない。亀岡新一さんや山本陽子の詩を語ってみたいものだ。そして尼崎安四さん詩ももっと語らなければならいない。本当の詩を書いてきた人たちの評価がまだまだなされていない。そしてこれから『未来への旅』も語っていかねければならない。

2009年11月29日 (日)

田川紀久雄日記

最近下痢がつづいている。すこし不安である。夢も不安なものが多い。寝ていても疲れる。詩人達の詩をみていてもやはり生きている不安の作品が多い。詩は時代の病を写しているのだろう。
山本萠さんから、秋葉長榮/個人通信紙が送られてきた。秋葉さんは難聴である。萠さんの書展で私達のライブを聴いていただいた。「息もつかせぬ迫力で聴こえない私の耳に響いた」と書かれている。いろんな人たちがわたしたちのライブを聴いてくださっている。本当にありがたい。ライブは手が抜けないから楽しいのかもしれない。詩というものはやはり聲をだして語るものである。活字では味わうことのできない心といのちの響きがある。それなのに今の詩人の多くは活字になぜしがみついているのだろう。
今日は上野で亀岡新一詩集と画集の出版記念会がある。そこで亀岡新一さんの詩を数分語れる。中華料理店なのでどこまで聲がだせるかわからない。来週からは『未来への旅』の稽古に入ってゆきたい。十二月の中旬には本が出来上がってくる。これで三部作が完成する。よくもここまで生きられたと思う。そういう自分を誉めてやりたい。これも多くの人たちの応援があったからこそ生きられた。そのことを忘れてはならない。これからも詩語りを通じて人明かりの世界を求めてゆきたい。

2009年11月28日 (土)

田川紀久雄日記

鳩山さんの政治指導の弱さにはちょっと困る。こんなに円高になっては、企業が維持できなくなってしまう。零細企業はますます悪くなる。自殺者も増えていく一方だ。
外国の政府高官たちがホテルにとまり、その有様をみているとその国の状態がわかる。無無駄遣いする国と、慎ましく過ごしていく国がある。税金で高級品を買い込む高官のいる国はやはり庶民が貧しい国が多い。いままでの日本政府の高官たちはどうであったのだろう。大使館などでは無駄な費用が水のように使われていた。機密費の問題はやはり国民に公表すべきである。
過疎化していく村や町には、国が支援していかないと本当に姨捨山になってしまう。個人の力にはつねに限界がある。鳩山さんお金を撒くだけが政治ではない。必要なところには支援をしていかなければならない。血の通って政治を国民は望んでいる。いままでの自民党があまりにも酷すぎた。
昨日は箱根登山鉄道からの景気は見事な黄葉がみられた。強羅公園で持参したお弁当を食べた。私は公園内をほとんど歩けなかったが、紅葉は美しかった。やはり心の選択は大切なことである。

2009年11月27日 (金)

田川紀久雄日記

箱根登山電車で箱根に行く。紅葉を見に行きたいからだ。今私の心を癒してくれるのは自然の美しさだ。むかしの人たちは風流をこよなく愛したものだ。都会生活になれてしまうと、この風流を愛するゆとりがなくなる。都会の自然は殆どが人工的に作られている。「里山」提唱者の四手井綱英さんが九十七歳で亡くなった。葛城山系のブナ林保全で活躍したひとだ。松之山の美人林に行ったことが、ブナの林は心が落ち着く。お金があったら田舎暮らしをしたいものだ。私は一本のブナの木になりたいものだ。人間という生き物はつねに何かに怯えて生きている。これは人間の頭脳が不安を煽っているからだ。知識では人間の心の病は救えない。知識をつければつけるほど人生の虚しさが募るばかりだ。自然を失っている都会生活にとって人の心はますます貧弱になっていっている。
昨夜モーツァルトのピアノ協奏曲二十番を聴いた。彼は底なしの孤独感を音楽という土俵で遊んでいる。この歳になってやっとモーツァルトの音楽が解るようになってきた。音楽の素晴らしさは知識では得られない心の安らぎを与えてくれる。
街路樹の公孫樹の木の葉を切り落としている。掃除をするのが大変だからだ。これから公孫樹の葉が美しくなるというのになさけないことだ。人間にとっての合理化は不自然な生き方なのである。生きていられる間はあなたともっと自然を見つめて生きたいものだ。

2009年11月26日 (木)

田川紀久雄日記

泉谷栄さんから沢山の食料が送られてくる。心臓は大丈夫なのだろうか。いつも温かい心遣いに感謝する。それから広島のサブラカ農場から無農薬のみかんが送られてくる。これは小杉妙子さんのお陰だ。整体で語りを聴きに切れくれた外人の女性からである。彼女は金子みすゞを翻訳の仕事をしているとか。これで陳皮ができる。
野間明子さんの原稿が入る。それから坂井信夫さんから策通信⑧の仕事が入る。ありがたい。パソコンを打つのが指のリュウマチでちょっと大変だが仕事があることは嬉しいものだ。足腰が悪いのに、そのうえ指がリュウマチで痛みが出てきたので大変だ。歳をとるということはいろいろと身体の部品が壊れだしてきたということだ。まず足腰がやられ、それから胃癌になり、そして手指がリュウマチになっていく。坂井のぶこさんかお母さんたちも今大変なのだ。みんな足腰を痛めている。どうしたらよいのか迷う。
私のまわりにいる人たちは、みんなどこか身体が悪い。語りや詩集を出したりしていると生活保護はうけられないだろう。いま少しばかりの年金が入ってもどうにもならない。ただ闘う精神力を維持していかないと、すぐ不安にかられてしまう。人明かりを目指すことによって活路を見出してゆきたい。今は猫達に餌を与えているだけだが、友達からいろいろなものをもらえることは猫の恩返しなのだろうと思う。

2009年11月25日 (水)

田川紀久雄日記

一休の詩に「坊主が坊主を批判し、詩人が詩人を批判する」というのがある。坊主や詩人は自分の道に向かって生きていればそれでよい。ひたすら己の道に邁進していれば何も言うことはない。私は詩語りに邁進することによって自分を見つめていることが出来る。これは生きていられることへの感謝でもある。自分のいのちを慈しみ、そして他者のいのちも慈しむ生き方ができればよい。同じ道を歩む詩人などめったに出会うものではない。
鉦をならし、その音にそって聲を発すればよいだけだ。先日山本萠さんから手紙で家が傾きかけています。もし大きな地震があったら倒れるかもしれないとあったが、私の庵もまさにそうである。市電通で大きいな車だ通るたびに家が揺れる。小さな地震でも生きている気がしない。死ぬのも寿命と思えば、毎日びくびくして生きていてもしょうがない。貧乏なときは貧乏を楽しんで生きる工夫をすればよい。なにものにも揺るがない気持をもち続ければこの詩語りの世界も楽しいものだ。言霊の奥にす素晴らしいいのち泉が湧き出している。そのいのちの泉に触れることで私の癌も癒されてゆく。生命が活き活きとしてくるのだ。この歓びは何物にも変えがたいものなのだ。この素晴らしいいのちの泉を多くの人に差し上げたいものだ。
いまは癌と友達になって生きている。この癌はわたしにいのちの美しさや尊さを教えてくれる師匠なのだ。こんな素晴らしい世界に生きていられることに感謝している。そしてそれを詩語りの中で活かしていきていられる。

2009年11月24日 (火)

田川紀久雄日記

オリンピックにでるには並大抵の努力では出場できない。相手に勝つ以上に自分に勝たなければならない。ここにスポーツの醍醐味がある。どれだけ努力すればよいという目標などはない。そのためには人間として成長しなければ得ることができない世界でもある。
では果たして詩人の朗読を行う人たちは本当の意味で努力をしている者がいるのだろうか。どうしたら人の心を釘漬けにできる語りが出来るのだろうか。いま毎日が不安である。詩語りの仕事が入ってこなければ生活が行き詰る。なんとかしてもっと人の心を惹きつける語りをしたい。まだまだ努力が足りないのかもしれない。亀岡新一さんの語りもやっと自分なりに納得できるものに仕上がってきた。でも本当に人をひきつける語りはこれからなのだろう。亀岡新一さんの魂を語る気持で稽古に励んでいる。本当に語るには一年ほどの時間をかけて熟成していかねばならないのだが。一字一字が自分の肉体となり心となるように勤めていかねばならない。客様に聴いていただくということはそこまで精進をしていかねばならないということだ。私のような不器用な人間は人一倍努力をしてもまだまだ足りない。それに聲そのものが悪聲である。こちは致命的な欠陥である。住太夫さんも悪聲だという。でも悪聲だからこそひたすら精進をつづける。だからこそあのような聲がだしていけるのだ。芸人にとって聲が良いことは利点ともいえない。悪聲だからこそ、人のまねの出来ない世界を見つけ出せるともいえる。もともっと舞台に立ちたい。お客に厳しい眼で見てもらうことで成長できる。日々の不安を越えていくためにもこの精進こそがいまの自分の心を支えてくれているのだと思う。

2009年11月23日 (月)

田川紀久雄日記

現代人はいろんな情報によって生が支えられている。そういう意味では自己そのものを見つめることは苦手なのかもしれない。だから日々の中で僅かな時間でも座禅をすることは大切なことだと思う。知識をたよらずひたすら自己を見つめることは芸を行なう人間にとってはとても大切なことだ。座禅をおこなうことによって無になっていく自分を見つめることは楽しいときでもある。私は書物をたよらずに生きている楽しみをみいだしている。それは末期癌になったおかげで自然を見つめる時間をもつようになったということだ。あらゆる森羅万象が私のこころを豊にしてくれる。星との対話、猫との会話、そして樹木との対話などが私の生活の中心になってくれれば、詩語りも豊になっていけるように思える。知識は所詮人の借り物でしかない。一休さんが学んだ臨済の教えは自己を見つめるという点には素晴らしい方法なのかもしれない。
亀岡新一さんのような生き方も凄いと思う。畑に生き絵を描くことに生きる。いまの私も詩語りに生き抜いている。自分ひとりの食扶持も稼げない。なさけないといえばそれまでだ。人様がいう朗読とはまったく違ったものだ。自由を求めて自由に生きるということは独自の世界をもたなければならない。いま私を応援してくれる人たちによってなんとか生きていられる。そのことは本当にありがたい。だからこそ自分の道をもっと真剣になって求めていく必要があるのだ。人には慈悲の心で、自分には自己を問い続ける心を持って生きていかなければならない。答えなどはないのかもしれないが。

2009年11月22日 (日)

田川紀久雄日記

ランの仔猫を見つけた。身体が大きくなっていた。それにいくらか太っている。五匹いた仔猫が三匹しかいなかったのが気になる。ランは相変わらず一人で浜川崎に餌をもとめて来ている。これから寒くなっていくので心配だ。猫の餌を買っても直ぐになくなってしまう。堀本恭三さんからカンパをいただいた。彼の家の仔猫もずいぶん大きくなったと手紙に書かれてある。そぞかし可愛いのだおる。猫を飼ってみたいが部屋が狭いのでちょっと無理な気がする。井原修さんからお米が送られてくる。彼が経営する古書店も大変そうである。いまの世の中で商売をしていくことはいろいろと困難なことが多い。
私達の生活費も一日千円以内で納めていかないと破産する。そのためにも詩語りの仕事を探さなければならない。坂井のぶこさんもいつまでもきつい仕事は続けられないだろう。いま私が生きていられるだけでもありがたいのだが、生活がいつも苦しくてはどうにもならない。一休さんも二十三歳ごとは本当に貧しい生活を送っていた。若い時の貧しさはなんとか耐えられることができるが七十歳ちかくになるとやはり辛いものがある。三百円の半額の鯛のかしらを買って食べた。とても美味しかった。食料も半額のを見つけて食事のおかずにしている。しかし野菜だけは出来る限り無農薬を見つけている。
友人たちから毎月カンパがあるのでなんとか生きていられる。でも病院でCTや胃カメラの検査があるとその月は大変である。操車場もいくらか赤字なので、書き手があと二人ほど参加してくれるとありがたい。

2009年11月21日 (土)

田川紀久雄日記

水の江滝子さんが亡くなった。94歳で大往生であった。私は木村東介さんのところで何度かお会いした。とてもやしいい人であった。
やはり外務省に核密約証拠文書があった。これは誰もがわかっていたことだが、自民党はひたかくししてきただけの話だ。
デフレが止まらない。昨日散歩しながら古書店に立ち寄って。一休和尚大全上・下(河出書房新社)があった。石井恭二訳である。とても読みやすい。それにとても安く手に入れられた。それと幸徳秋水・神崎清著(読売新聞社)。いま大杉栄をよんでいるが、なかなか興味深い。平民社に関わった人たちに興味がわく。私は思想的な面より、人そのものに興味がわくのである。一休さんはまさに裸の人間であった。私ももっともっと裸になっていかねばならない。裸になって人間を磨くことだ。そのためにも早く健康を取り戻したい。昨日ちょっと散歩しただけで今朝は足が痛むありさまだ。なさけないものだ。
獅子座流星群が来ていたが私のところからは見えなかった。あの流星群は500年前のものであるという。時間とは一体何なのだろうか。不思議な思いがする。一休は600年前のひとだが、流星群とそれほど変わらない時代だ。室町中期というとそうとう前の時代のように思うが、一休さんだけを思うと今も生きているように感じてしまう。肉体は消えていくが魂はやはり消えないものなのだ。だからこそ生きている間は真剣になって生きていくことが大切なのだ。


2009年11月20日 (金)

田川紀久雄日記

癌で亡くなられた遺族の人に対してどのようにして語っていけばよいのかをエッセイにして書き始めている。慰めの言葉ではどうしょうもない。末期癌宣告された私でしかかけないことを書いてゆきたい。これは一月に山本萠さんとの対談ノートにもなる。多くの人と語ってこれから行かねばならない。そのためにも多くのノートを作る必要がある。そのことで詩作品も深まっていければありがたいものだ。そして語りの世界にもいかされる。
鈴木良一さんから素晴らしい作品が送られてくる。風のダンス(8)。詩人には自分の生きてきた風土を振り返ることも大切さを感じさせてくれる。野間明子さんからは、亀岡新一画集について感動してもらえたハガキをいただいた。それから若林妙子さんからは個人誌『各駅停車』と操車場の購読料およびカンパをいただいた。ありがたい。彼女の作品は社会派であるがユーモアに満ちていて心あたたまる作品が多い。最近このような作品を書く詩人が少なくなっている。『山形詩人・67号』の中で佐野カオリさんお作品は古典的な要素で書かれているが、現代の時代とミックスしていて楽しく読める作品に仕上がっている。先日坂井信夫さんが佐野カオリ詩集について書かれていた。
身近な詩人たちの作品は丁寧に読まなければならない。あまり詩を読まなくなってきている私にとっては詩を読む時間を大切にしていきたいものだ。

2009年11月19日 (木)

田川紀久雄日記

お灸をしているせいか足腰がよくなっている。無理をしないでじっくりと治していくしかない。そしてなるべく外に出て歩くことだと思う。
JR西日本の宝塚線の脱線事故の問題で元会長を批判した。いまの会社の指導者にいえることだ。「他人の意見に耳を傾けない、そして独裁てきな運営を行なう。」これはどこの組織でもありえる。人の意見を絶対聞こうとしないタイプの人があまりにも多すぎる。
小さな詩人の世界でもありえる。詩人は社会的に報われないから、権威にしがみつく傾向がある。詩人の世界はだれもまた批判するひとがいないからそのことが罷り通る世界になっている。これは賞をとったひとの名前をみればわかることが多い。なぜこの詩人がこのような賞をとる必要があるのだろうかと思うことが多い。
私は詩語りを通じていろんなことを書いている。どのようにして語りと向き合っていきているかをつねに追い求めている。でも他の詩人たちが詩の朗読に向き合う姿勢について書かれてある文章をみたことがほとんどない。すこし不思議な気がする。いま詩の朗読が参加に行われている。それにも関わらず詩人達は心と身体に対する問いかけがほとんどなされていない。つまり詩人の生き方が問われていないということだ。こんなことをいくら言ってもどうにもなる問題ではない。結局は一人ひとりの問題である。どう自分は生きているのだという問いかけをつねに持っていないとなにもならないということだ。答えは永遠に得られないかもしれない。でもそれでもつねに問いかけている姿勢が必要なのだ。

2009年11月18日 (水)

田川紀久雄日記

最近、私のライブを聴いたひとから手紙がくるようになった。病に対してのことが多いが嬉しいものだ。
まず自分自身と闘うことの必要性を強く感じる。病を治すには心と身体の関係を解き明かしていかなければならない。私にとって心と身体の関係の橋渡しは詩語りである。宇宙の法則に沿って心と身体が一致に向かうようにすることが大切である。だから聲を出すことは病にとって最大の治療法の一つであると思われる。それはまず自分自身との闘いから始まる。それを勝ち得た人の聲は他者を癒す聲に育って行けるはずだ。詩語りの仕事を増やすにも、ひたすら精進をするしかない。こちらから仕事が欲しいと思っている間は、仕事など舞い込んではこないものだ。永久に仕事が舞い込んでこなくても、ただ精進に励む姿勢だけは持っていなければならない。そのためには心と身体が一致していかないとそれは難しいことなのだ。これは詩語りだけ世界ではなく、何かを行なう人に当てはまることでもある。まず無心の心が大切なのだ。無心の心で生きていられるから、生きる歓びを感じることが出来る。本当の歓びは他者から受け取るものではなく、内なる心が与えるものである。内なる歓びが大きくなればなるほど身体も軽くなってゆく。身体自身も無になってゆくということでもある。ここには迷いが存在しなくなるから聲の力も活き活きとしてくる。癌細胞も自然に退縮して行くはずだ。癌という病は、本来自然に治る病の一つであるといえる。それを証明していく生き方が私に課せられている。だから詩語りを通してつねに私は成長していくる。そこにおいて癌さんよ有難うといえる。癌と詩語りは二人三脚で難局を乗り切れるというわけだ。
今日の夕方西日暮里で熊谷さんと会う。

2009年11月17日 (火)

田川紀久雄日記

立川談志の弟子の文都が四十九歳で癌でなくなった。癌であることを公表して舞台に上がっていた。これからと思われていた弟子に死なれると談志もつらい。談志も癌と闘ってきただけに悲しみは深いものがある。
私も癌を公表しながら詩語りを続けている。人によっては嫌がる人もいる。でも癌と闘って元気に生きていられる姿をみせるのも一つの生き方であると思う。癌はつねに前向きになって生きていることが大切な病でもある。
現在癌の理療方法についてやたらに広告が目立つ。とくに癌にはこれが効くというものが多い。誇大広告があまりにも多すぎる。癌患者の弱みにつけ込むものばかりだ。玄米で癌がなおるとか、野菜で癌はよくなるとか、これを飲めば癌が消えるとか、どれもこれも私には信用できない。全部が嘘とはいえないが、それより大切なのはその人の生きる姿勢が癌の治療に有効なのだとおもう。医学は進歩をしている。でも保険の利かない医療や薬がまだまだ多い。病院で毎月検査はするが、手術や抗癌剤を断って自分の力で治療を続けている。私にとっての治療は人明かりを求めての詩語りである。パワーのある聲で生き抜くことで同じ癌患者や多くの人たちに生きる勇気を与えられる。その歓びを感じることで免疫力を高め治療に当たっている。だから私の詩語りを招いてくれる人がいると本当にありがたい。もっと多くの人たちの中で語りを続けたい。
同じ癌を患いながら舞台にたっている芸人達を応援したいものだ。そのためにも同情聴いていただくのではなく、あくまでも芸の力でお客様に聲を届けたい。だからこそ、他の詩人達の朗読には負けたくはないのだ。苦しいときも人一倍精進をしていたい。そのことが人間としても大きく成長させてくれる。いのちと向き合う人たちと共に、生きていることの大切さを訴えてゆきたい。

2009年11月16日 (月)

田川紀久雄日記

政治のあり方が確かに変わりつつある。国民が納得できるようになってきている。いままでにない政治改革がおこなわれている。しかし個人的な人間は不安な状況からなかなか抜け出せないでいる。多くの人たちが鬱にさいなまれている。精神もやっと薬で保たれている。生活の不安もあるが、漠然とした不安も大きな原因になっている。
私の場合は、生活苦と身体的な不安が鬱の原因である。これはいまのところどうすることもできない。生活的な不安は詩語りで生活ができるようになればいくらか解消ができるが、身体的な不安は無意識に身体全体を覆っている。できるだけ身体的なことは考えないようにするしかない。できれば自然の中を散歩するのが良いのであろう。そして音楽を聴くことでいくらか救われる。
幸せに見えている人でも本当は悩み苦しんでいるものだ。その悩みや苦しみを何処に向けていくかでその人の人生の価値が決まってくる。仏法でいう慈悲の心に生きることは、人間にとって最高の生き方であるのだろう。苦しみや辛さを他者のために生きることはなかなかできることではないが、そのように精神を育てていく生き方はやはり尊い世界である。
詩語りがそのような人生を歩ませてくれることが、私にとって鬱から逃れられる生き方でもある。そのためにも人一倍の困難との闘いをしていかねばならない。いまは二十九日の亀岡新一さんの出版記念会のために、少しでも深く語れることを目指して精進をすることである。亀岡新一さんの魂に近づくことだ。

2009年11月15日 (日)

田川紀久雄日記

私が語る詩人達は、ひたすら自己に徹して生きた人たちである。詩人たちにからもの当時まったく受け入れられず真剣に生き抜き死んでいった。宮澤賢治・中原中也・尼崎安四・山本陽子・亀岡新一みんな素晴らしい詩人たちなのだ。そしてそれを語る私自身すらほとんど認められていない。だからこそ命懸けで語りの世界に向かって邁進しているのだ。そこにはこの世でもっとも美しいいのちが表現されている。
昨日のソーシャル・ビジネスの問題で、日本詩人クラブはいま法人になっている。社会的に詩人が世の中に出て行くために法人化になったはずだが、それがどのようになっているのか。私は会員のとき何度の朗読の向上のことを言ってきたが、誰にも相手にされなかった。その詩人クラブの役員の方が『詩人の聲』に参加しているが、彼らは朗読をどのように考えているのだろうか。ただ自己の趣味程度にしか考えていないとしたらこまったものだ。
末期癌の私が命懸けで闘っていても彼らは全くのそ知らぬ態度でしかない。詩人とは所詮そのような人たちが多い。詩で世の中を変えてゆきたいという野心がまったくない。詩人たちはいのちの尊さとか美しさをもっと世の中に語っていく使命があるはずだと思う。そのために聲の力を高め世の中に率先していくべきではなかろうか。そうすればおのずからソーシャル・ビジネスが生まれてくるはずだ。朗読の悪口をいうヒマがあったら、聲の力を高める努力をすべきである。私は語りを通じてひとりでも多くのひとにいのちの素晴らしさを伝えてゆきたいと願っている。
詩誌受贈『櫻尺・36号』

2009年11月14日 (土)

田川紀久雄日記

テレビでソーシャル・ビジネスのことを知った。つまり社会的貢献の仕事である。企業利益の世界ではなく、人が生きて行く上の貢献的な企業の育成である。
詩語りも一つのソーシャル・ビジネスと捉えていくことも大切なことである。語りを通じてこのぎしぎししている社会に貢献が可能のように思える。そのためには、いまの詩人たちの朗読では無理である。技術的のも聲の力も持ち合わせていない。そのようなものは社会はうけいれないだろう。詩の朗読を聴くことが拷問であるという人が多い。確かにいままでの詩人達の朗読はそのようなものが多い。まったくかれらにはプロ意識のひとかけらも持ち合わせていない。それに朗読するテキストが内容のないものが多かった。
社会的な貢献をするには、それなりの内容と力がなければ無理な話だ。
いままで詩人達を招いて朗読を行う場合、第一の条件が知名度であった。その結果詩の朗読の質をどんどん落としてきたともいえる。いまでもこの傾向が強い。それは聴き手が詩人相手であるからだ。私は何度も詩人のいない場所で詩語りを行なってきた。彼らのほうが熱心に語りを聴いてくれる。そして詩集まで買ってくれる。いまの私は詩人達に向かって語りをやりたいと思ってはいない。そのためには語りの世界を磨くことしかない。不思議に私達を招いてくれたのはまったく詩人の世界と関係のない人たちであった。そのことはありたがった。私の語りも一つのビジネスとして確立していかなければならない。そのような意識改革が詩語りを向上させてゆくものに繋がってゆく。
アフガニスタンに対する援助は難しい問題だ。なにしろいま汚職が蔓延っているアフガンでは安易に資金を援助するとほとんどが汚職で消えていく。日本人が考えている社会とはまったく異なっている。お金をばら撒くだけが支援ではない。だからと言って自衛隊の派遣は許してはならない。日本には憲法九条がある。それを守る義務もある。やはり大切なのは人と人との繋がりしかない。
詩語りも人と人とのつながりを広めていく中で一つの可能性が見えてくるものだろう。あせらずいまは精進を積み重ねていく以外にはない。

2009年11月13日 (金)

田川紀久雄日記

夜中に咳がでてなかなか止まらない。寝たのかどうかすら解らない状態だ。
DVDで宮澤賢治の世界をチックする。これに音楽がはいれば最高の世界が構築できたのにと思う。でも詩語りは基本的には肉聲一本の世界である。生の聲が会場を満たしていければよいのだ。一番シンプルの世界である。簡単に思えて一番難しい世界でもある。この世界を極めることは楽しいものだ。誰にも真似のできない世界を作りあげたい。
今年は新潟市で、肉聲で評価されろ詩人・歌人が参加できたことは一つの事件であったともいえる。八月に福島泰樹・田川紀久雄・坂井のぶこ、そして11月には天童大人が聲を上げた。詩の朗読や語りがもっと世の中に広まっていければ詩の世界もいくらか変わっていくことだろうに。
企画することは大変であるが、詩人には呼んでくれる人がいないとどうにもできない。ことしも多くの人たちによって私達はここまで詩語りが続けてこられた。招いてくれる人たちに対してできることは素晴らしい語りを行なうしかない。そのためには日々の精進しかない。いつ仕事が入るか解らないのに、懸命になって精進をするしかない。それは聴く人に歓んでいただきたいからだ。『詩人の聲』から外されたことによって、大きく成長できた。進歩するということは困難な状況によってしか進歩の道が拓けない。負けない精神力が必要なのだ。来年はどんな年になってゆくのか、とても楽しみだ。癌もこの闘いの中で退縮してゆくことだろう。何も怖れることはない。ひたすら人明かりを目指して生きて行くことが私の人生であれば良い。

2009年11月12日 (木)

田川紀久雄日記

川崎詩人会のための長編詩230行を書き終わる。詩は一気に書くものだと思う。一ヶ月もかかるとやはり緊張感が失せる。でもこの経験をいかして新たな挑戦をしてゆきたい。
咳が出てやや身体が苦しい。咳をすると腰に響いて痛む。寝ているといくらか楽なのだが、そう寝てもいられない。
宮澤賢治にとって幸いとはなんであったのだろう。彼の精神的状態は鬱と躁の繰り返しであっただろう。それと少年時代の東北地方の冷害の被害に見舞われた経験が大きく精神構造に関わっている。彼の心はつねに現象なのだ。そして修羅の道でもあった。最後までデクノボウになれなかった心の痛みがつきまとっていた。宮澤賢治になるまでの時期が長すぎた。そして宮澤賢治である期間も短すぎた。三十七歳での死は、詩人にとって早すぎる。
私も田川紀久雄になるまで長い道のりがかかった。末期癌の宣告を受けたことによってやっと詩人としての道を歩き出したといえる。そのことは病を抱え込むことによって躁鬱状態が激しく襲い掛かってくることによって詩人として鍛えられているのだろう。
詩人の内面は生きていることに耐えているのが精一杯の状態なのだろう。私には詩語りの世界があるからなんとか耐えて生きている。そのエネルギーをなんとか人明かりの世界に向けてゆきたいだけだ。
十二月の中旬には詩集が出来上がってくる。そして『未来への旅』を多くの場所で語りたいものだ。語ることによって私の癌が退縮してゆく。これが私の癌の治療に繋がってゆける。そして人明かりの世界が生まれてくるのだ。

2009年11月11日 (水)

田川紀久雄日記

あいかわらず世の中は不景気が続いている。昨日テレビの3チャンネル(神奈川放送)でウィーンの街を見た。世界でもっとも生活のしやすい街であるという。街が美しい。そして人の心が優しい。
東京も江戸の文化を取り入れて観光の街つくりをしたらよいのに。商業の街から美しい街に変化すべきだ。もっと文化を大切にしてゆくことが必要である。オリンピックの誘致などとおろかなことを考えないことだ。東京の町並みは汚い。
鋼管通りの交差点に『猫の餌をあげないでください』と大きな張り紙が貼られてある。人間はなんと意地悪なことをするのだろう。仔猫たちは可愛い。元気に走り回っている。それを見るだけで私は心が慰められているのに。地域の住民が知恵を出し合って猫を大切にしてゆきたいものだ。
古本屋でベルグソン全集1「時間と自由」を200円で買った。まだ綺麗な本である。高橋馨さんがベルグソンについて操車場で書いているので私も読んでみたくなった。最近読書の数が減ってきている。それは眼の視力が弱ってきているためかもしれない。私は一冊の本を読むのと一つの音楽を聴くのと同じ価値があると考えている。どちらも楽しいからだ。楽しみを見出しながら生きることが病から遠ざかる秘訣なのだと思う。

2009年11月10日 (火)

田川紀久雄日記

操車場に山本萠さんが詩の原稿を寄せてくださった。彼女は書家である。俳句とか詩を作品にしている。そしてその書は作品に寄り添うように書く。そしてそこに静けさが感ずる。
坂井さんも私も風邪をひいたようだ。鼻水が止まらない。やや身体がだるく感じる。子供達がインフルエンザに多くかかっているという。世界的にも大変な勢いで拡大していると言う。次から次へと新しい菌が生まれてくる。生き物はつねに進化している証拠なのだろう。その反面絶滅危惧種が増えている。人間もいつの日にか絶滅してゆくのだろう。
昨夜夢で、語りももっといのちの表現に徹していかなければいけない。ギリヤークさんの夢を見ながら自問自答していた。
朝日新聞の先日『詩のボクシング』が掲載されていた。詩は勝負の世界ではない。それに彼らの詩は詩とは呼べないものだ。詩語りはあんな生半可な世界とは異なる。いのちそのものの叫びである。あんなものの何処が面白いというのか理解に苦しむ。
自作詩が語れる場所が欲しいものだ。『未来への旅』の三部作を語ってゆきたい。そしてこれからもいのちの作品を書いてゆきたい。
将棋のプロは指していても苦しいだけだという。楽しかった少年時代の世界が失われている。これでは本当のプロとはいえない。闘いの中でどこかに楽しさが残っていないと本物とはいえないのではないだろうか。

2009年11月 9日 (月)

田川紀久雄日記

鳩山首相の判断力にちょっと疑問を感じる。民主党は小澤さんとの二重構造がどうしても腑に落ちない。でもいま改革を推し進めているものは応援していかねばならない。なにしろ自民党の政策はデタラメでありすぎたから。
亀岡新一さんの詩を語っているのだが、やはり難しい。でも語る意味のある詩だ。亀岡さんの詩は眼で読むより、耳で聴いたほうが面白い。畑と絵画に亀岡さんのすべてがある。人の詩を語るには無責任ではいられない。どこまで亀岡さんの精神を語りきれるかが問題だ。風狂の世界をどこまで表現できるのだろうか。彼の姿が眼に見えるように語らなければならない。
『未来への旅』の校正を終える。あとは印刷所に入れるだけだ。何としてでも百冊は売り上げなければならない。癌日記も出版したいが、これにはお金がないから無理である。手作りで小部数を作るしかないだろう。それからいのちについてのエッセイも書いてゆきたい。やりたいことがまだまだ一杯ある。それから人生を楽しむことも大切なことだ。貪欲にいろんな世界と関わってゆきたいものだ。そのためにも足腰を治してゆきたい。
本当の幸せはやはり人への愛を求めていくことだと思う。夢のない幸せは不幸になる。人の幸せを歓ぶ心が大切なのだ。そして慈悲の心が生きる勇気に繋がっていく。

2009年11月 8日 (日)

田川紀久雄日記

安藤美姫や松井秀喜は自分の身体の怪我をバネにして夢を叶えた。夢を持って生き抜くことはいかに大切かということだ。私も末期癌という病をバネにして詩語りに懸けていきている。そのことによってほとんど癌に怯えることもなく今まで生きてこられた。
バネをして生き抜くことは、誰もが出来るものではない。夢を本当に信じて生きていられるかどうかである。本当の幸せは自分が病に対して闘っていけることの内面的勇気を感じているときではなかろうか。それは平潟の海で日の出を見たときの太陽のエネルギーのようなものである。安藤美姫や松井秀喜から多くの人たちは生きる勇気を与えられたことだと思う。このエネルギーは人明かりでもある。
でも多くのチャンスが与えられることは、眼にみえない多くの人たちのおかげでもある。私の場合だって詩語りを企画してくださる方がいなければ、夢は何一つ叶えられない。スポーツ選手には多くのファンがいる。しかし詩の世界ではまずファンなんてなかなかいないものだ。でもそれを乗り越えて生きていかねばならない。ひたすら自分の夢に向かって生きている。そして聴きにきてくれた人たちのお陰でライブが行なえる。たとえライブの時お客が一人や二人であったとしても幸せを感じる。
一月八日に企画していただいた森下とし枝さんには感謝するばかりだ。まだ一度もお会いしたことがない。山本萠さんとのつながりである。
癌患者を応援する会を作りたいものだ。癌は本当に夢を持って生き抜いていける人は、癌が自然に退縮していくものなのだ。それには訳がある。自分の為に生きようとするのではなく、人明かりを目指している精神があるということだ。
今月の二九日に亀岡新一さんの出版記念会ある。亀岡さんの詩を語ることにいまは精進してゆきたい。

2009年11月 7日 (土)

田川紀久雄日記

幸せとはなんだろうか。個人個人によって違うものだろう。私にとってはやはろ詩語りの深さを求めて生きていくことだと思う。そしてそれが人明かりにつながっていければ嬉しい限りだ。しかし今の世の中をみているとあまりにも悲しい出来事が多すぎる。自然の風景の中に身を浸ることがやはり大切なことである。都会生活を送っていると、この自然というものがあまりにも遠い世界である。いつも何かに怯えて生きている。そして時間に追われ自分を振り返る時がない。
癌を宣告されても来年で三年になるが、何かに追われて生きてきたような気がする。いのちそのものをこれからは根本的なところから見つめなければならないと思う。一つ一つとのいのちの関わりがいのちを見つめていくことに繋がる。そこにはどうしても自然の自分の身体の中に受け入れていかなければならない。自然の厳しさ、そして恐ろしさを愛することが大切なのだろう。自然の美しさは、自然そのものの醜悪さの中にあるのかもしれない。自然は残酷なものだ。だからこそ美しさが際立って感じられるのだろう。この矛盾した世界が自然そのものである。つまり人間も自然の一部であれば、人間も矛盾の中でいのちと関わっていかなければならない。決して綺麗ごとだけではいきえてはいない。心の葛藤が大きければ大きいほど実りのある世界に近ずけるというものだ。人間にとってはその実りが苦さにしか感じないことのほうが多い。癌との闘いもまさに実りへの道でもあるが、生きているあいだは苦しさとにがさにしか感じないものだ。語りの世界も豊かになるにはこの道が必要なのだろう。
亀岡新一さんの画集が出来上がったと保坂氏より電話が入る。

2009年11月 6日 (金)

田川紀久雄日記

勿来の関はほんとうに素晴らしいところだ。桜の名所でもあるという。でも赤松が素晴らしい。茨城県を少し越した福島県にある。勿来の関をうたったうたの碑がたくさんある。そしれ海も見える場所にある。それから岡倉天心記念館も素晴らしい場所にある。
そして平潟港の近くの民宿にとまる。夜空は見事であった。人工衛星も見えた。まさに感動的であった。そして朝は、日の出前の朝焼けは美しいかぎりである。そして朝日の昇るのを見たときは考え無量であった。美しい自然はまさに心を癒してくれた。
夕方帰宅する。疲れたが生きていることの歓びを感じたことを思えば疲れたことなどはたいしたことではない。
明日は操車場の製本を仕上げて発送をしたい。

2009年11月 5日 (木)

田川紀久雄日記

レビストロローシ氏が100歳で死去した。一つの時代が終わったような気がする。「悲しき熱帯」は若いときに読んだ。
今日からプルサーマルが始動する。馬鹿げた行為だ。世界はプルサーマルから撤退をしているというのに、日本政府は何を考えているのか。CO2を減らすために必要なものなのかは疑問だ。コストが高い。それ以上に危険である。世界が滅びるかもしれない。国民がいくら反対してもこの政策を続ける政府には断固反対をしていくしかない。これこそ税金の無駄使いのなにものでもない。
トヨタがF1から完全に撤退したように、日本は原子力発電から全面撤退をすべきである。無駄なダムを作り続けてきたように、原発も同じように無意味な事業の一つである。日本は自然エネルギーの道を進むべきである。
今日は五浦に行く。出雲・伊豆・五浦(いずら)・有明(うみょう)の道をもとめての旅である。坂井のぶこさんの謎を解く旅にお伴をする。旅は癌の免疫力にも良い効果をあげてくれる。
操車場は七日に発送が出来そうだ。よくも三十号まで漕ぎ着けたものだ。癌は自然の力で治るものだ。人間の身体は本当に不思議な構造を持っている。癌に怯えない生き方ができれば、癌はそれほど恐ろしい病ではない。癌は多くの人生の意味を教えてくれる。そしてその意味にしたがって生きていくことができれば癌は退縮していくものだと信じるしかない。まさにそこに生きる歓びを得ることが出来るはずだ。

2009年11月 4日 (水)

田川紀久雄日記

日本のオペラも楽しく見せようとして工夫を凝らしている。歌舞伎でも常に時代と共に生きている。大切なことはお客に空きさせないことだ。それに対して詩の朗読はどうにもならない。詩は演劇ではない。詩はテキストと聲だけで勝負をしなければならない世界である。そのためにはやはり聲の力が物を言う。しかし、朗読の歴史は浅い。それに趣味程度の朗読の歴史しかない。そして詩人達は朗読を聴きたがらない。これでは詩の朗読が前進しないのはあたりまえだ。一月八日は「草の根の文化の会」の人たちが主催してくれる。詩人たちでない世界で詩を語らしてもらえることは本当にありがたい。本当に詩の朗読の素晴らしさが少しでも世の中に伝わっていけたら人明かりの世界が生まれてくる。
詩語りは、詩を通してしか世の中に伝わらない世界を求めていくだけだ。そこにはやはりひととしての生き方が問われてくる。そしてどのようにしていのちと関わって生きているのかを明確にしていかなければならない。聲はその証としてある。
東京の画廊で行なわれている『詩人の聲』に参加している詩人たちはどれだけ聲と向き合っている詩人がいるのだろうか。回数が多ければよいというものではない。あくまで真剣に聲とむきあっている詩人を発掘することだと思う。その上で回数が増えていけば詩人達の聲が変わってくるだろう。私はこの企画から外されているから何も言う必要もないのだがない。しかし私の知り合いの詩人がまだ関わっているから気になる。確かに一時間に亘って自作詩が朗読できる場所は世界でここでしか存在しない。そのありがたさを詩人一人ひとりが自覚していければ、きっとこの中から本物の詩人の聲の持ち主が生まれてくるかもしれない。詩集『未来への旅』の語りがここでできたことは深く感謝をしている。そしていま別な世界で詩語りが行なえることは本当にありがたい。企画されてくださる方に感謝をする。お客様のためにただ精進していくしかない。

2009年11月 3日 (火)

田川紀久雄日記

山本萠さんから原稿をいただいて一月八日のイベントのチラシを作成する。いほんとうの幸いを求めて」というタイトルだ。幸いとは、自分のために生きることではなく、人明かりを求めることが一番の幸いへの道ではなかろうか。主催は「草の根文化の会」である。場所は市川の八幡市民談話室のギャラリーである。
今朝は星が美しく見えた。昨夜は木枯しが吹き荒れていた。そのせいか空には雲も消えて星が空全体を覆っていた。星マニアの人たちが朝早く起きて見る気持がわかる。
国の勲章を貰いたがる気持が私には理解できない。ここには天皇を担ぎ出して行なわれる国家のあほらしさを感じるだけだ。詩人の中にも貰いたがる人がいるらしい。詩人は権力とはまったく無関係な世界でありたい。詩人にとって大切なことは一人でいることだ。そして孤独の中で物事を考えていく生き方ができればそれでよい。
いま日本の未来が不安に感じる。明確なビジョンが見えてこないからだ。国会の論争でも相手の手足を引っ張り合っているだけだ。今朝の朝日新聞では、政権交代ある政治を望むが66パーセントである。国民が政治家を作り上げていく時代になっていくことが必要である。信念をもった政治家が一人でも多く出ることを期待したいものだ。
でも本当の幸せは政治では解決しないことも事実なのである。詩人は詩を通じて人明かりを目指して生きることが大切なことである。

山本陽子第2巻在庫があります。
川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F 漉林書房

2009年11月 2日 (月)

田川紀久雄日記

芸を磨く人間にとって一日一日がいかに大切かということだ。一日そのものは同じ繰り返しのように見えても、一日そのものは前の一日の積み重ねた豊かなものになっている。停滞しているよう見えても一日そのものは尊い一日であったはずだ。このところ語りの稽古をしていてそのことを強く感じる。語りにカドがとれてきたようになった。カドがとれたということは聲に厚みが出てきたということなのかもしれない。
『未来への旅』の版下の作業を行なう。今年中には出来上がるようにしたい。嬉しい気持が湧き上がってくる。よくもここまでいのちがもったものだと思う。これからが本当の闘いが始まるのだ。この三部作を読み込んで語りきれるところまで精進をしていかなければならない。そして多くの場でライブが出来ることをひたすら願うしかない。
今月の操車場は少し送れそうだ。五日と六日に五浦に行く予定があるからだ。坂井のぶこさんが昨年から行きたいと思っていたからだ。「有明戦記」の続編を書くために行ってみたいという。思い切って行かないと本当に行けなくなってしまうからだ。そして多くの思い出を作ってゆきたい。鈍行でいくのも旅の楽しさかもしれない。

2009年11月 1日 (日)

田川紀久雄日記

来年の一月八日にライブがある。そこで山本萠さんと『いのちについての』対談が行なわれる。とても楽しみな時間になりそうだ。できれはこれからいろんな人との対談を行なってゆきたいものだ。その延長で詩語りを行なえれば聴き手にも楽しい時間になるだろう。
いのちについて語れる人と探してゆきたい。詩人達は、思っているよりいのちについて鈍感な人が多い。詩集を上梓したら、賞を目当てにしている。なさけない話だ。もう私の作品は詩ではないかもしれない。語りを通じていのちを語っているだけかもしれない。
いのちというものは決して抽象的なものではない。あくまで具体的なものなのだ。それをどう興味深く語っていけるようになってゆきたい。末期癌はとてもよい経験である。人はとても大変でしょうというが、私はそれなりに楽しい経験を積み重ねて生きている。不安との闘い以上のものを癌から得ている。それは生き抜くという心の履歴を作り上げている。それを可能にしているのは人明かりの人生を目指しているからだと思う。
癌の検診をうけていない人が40パーセントもいるという。早期発見にどれほどの効果があるのだろうか。それに疑問を投げかける医師もいる。私もいまあmで一度も癌の検診をしてこなかった。胃の激しい痛みを感じて病院にいったら、直ぐ入院だといわれた。それも末期癌でも対抗のレベルに達していると。それでも私は来年で三年にもなる。詩語りをおこないながら元気に生きていられる。医師も不思議がっている。まさにいのちの不思議さを経験している。私の癌との付き合い方や、生き方をこれから語っていくことも意味のあるものになると思っている。ライブの日程があることが生きる勇気を与えてくれているのだと思う。できれば多くの方が私達のライブを企画していただけることを切に願う。

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