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2009年10月31日 (土)

田川紀久雄日記

国会を見ていると、抽象論でほとんど具体的な攻めがない。政治家達は勉強がたりない。本当に日本の未来を考えているとは思えない。いままでがいかに自民党の政策がデタラメであったことか。自民党がむかしの体制とすこすも変わっていない。まだ危機感が感じられない。議員の顔をみていると薄笑いをしている議員が多い。
私は末期癌でも自然に治るものだと思っている。それには治る人治らない人との違いは紙一枚の厚さしかない。紙一枚の厚さの生き方がいかに大変かということだ。つまり自分の生き方がその人の運命を決める。どのような気持でいきているのかを見れば、このひとは癌に負けないで生きられるか解る。これは言葉ではうまく言えないが、人の生き方をみれば解ることなのだ。紙一重でその人の運命が変わる。その闘いの記録が私の詩集『未来への旅』に描かれている。癌は出来ることなら手術をしないことが大切なのだ。そのひとの生き方では自然に退縮してゆくものである。
杉並区の朗読教室は参加者が多くて授業に受けられない人がいるという。昨日坂井さんのお母さんと話していてその話題になった。不思議な話を聞いている気になった。確かに友達と一緒になって行なうことは楽しみの一つに繋がる。そして身体的にも聲を出すことは良いことだ。それに対して詩人達の朗読は・・・と思ってしまう。

2009年10月30日 (金)

田川紀久雄日記

やっと『未来への旅』第三章を書き上げた。できれば今年中に印刷にまわしたい。自分でも完成できるとは思っていなかった。次の目標は、この詩集を多くの場所で語ってゆきたい。つねに前向きに生きてゆくことが免疫力を高める。
詩の読者は、人口にたいして何パーセントであるのか。多分ゼロに近いパーセントだろう。そして詩の朗読やそれを聴くひとの数はもっと少ない。詩の朗読を聴かせる技術を教えるひとがいない。朗読教室などでは、まず詩の朗読を教えることは不可能だろう。詩人達が教室に通ってまず「聲が小さい、もっと大きな聲で」といわれるそうだ。そしてテキストを暗記しなさいといわれると聞く。詩の朗読では、無理してまで暗記する必要がない。できることならちゃんとテキストを持って聲を出すことである。詩の朗読は演劇ではない。朗読の進歩させるにはやはり一回でも多く、人前にたって行なうことである。詩人達が朗読をする機会は年に一、二度であろう。それでは朗読をそのものの意味がない。自ら積極的に行なう姿勢がなくては駄目である。目標がもてれば稽古にも身が入ってゆく。
これからも癌に負けない生き方を詩を語ることで伝えてゆきたい。こうして末期癌を告知された人間が元気で生きて語りを続けていられる。そのことが癌に負けないで生きていられる証明にもなる。
坂井信夫さんの原稿が届く。
詩誌受贈『ERA・3号』

2009年10月29日 (木)

田川紀久雄日記

今朝は三時に起きた。あまり寝たきがしない。午前中に病院で検査がある。
景気がますます悪化している。食事代が大変なので賞味期限前の安いものを買って生活をするしかない。まともな生活をしていては半月で金がなくなってしまう。
私は人集めがなかんか出来ない。ましてこれだけ詩語りを行なっていると積極的に応援してくださる方がいなくなる。といって詩人は一般のお客様を見方につけることが苦手である。
私に出来ることはただただ精進を積んでいくことしかできない。生活が苦しい以上赤字を覚悟してのイベントはできない。これからのことをあれこれ考えるとなかなか眠れない。
人に感動を与えられる芸を目指して生きていくしかない。それができるか出来ないかは私の努力しだいである。そして本当に感動をあたえられる詩を書くことだ。そのためにもやはり精神的には孤独であることが必要である。あらゆる書物より孤独の生き方の中に学ぶものが多い。現実の生き方の中で自分が鍛えられている。困難な道を歩むことによってしか見えてこないものがある。そこに歓びを見出してゆくことも生きる知恵なのかもしれない。ものを書くことでそれを再確認しているのかもしれない。

2009年10月28日 (水)

田川紀久雄日記

二日聲を上げなかっただけで聲の調子が狂っている。ピアニストが一日練習を怠っただけで音が変わるという。芸を磨く人間にとっていかに一日が大切かということを物語っている。とくに不器用な人間にはなお更のことだ。昨日から『未来への旅』の最終章の稽古に入る。いまのところライブの予定がない。自分で企画してもお客は来てくれない。そのことを思うと無性に悲しくなる。
今の私はそれほど読書をしていない。昔の私だったら本を読まない日はなかった。本を読まないと一日が終わった気がしなかった。一日の日課は朝九時から十一時まで公園に行って聲をあげる。そして午後一時から時頃までまた公園で聲をあげる。帰宅して一時間ほど横たわる。それから音楽を聴いて過ごす。夕食が終わると直ぐに床に就く。朝は四時ごろ起きて星を見る。今朝は雲っていて星は見られなかった。
仔猫がまた鋼管通の交差点の草むらに戻ってきていた。とても可愛い。白黒のとても可愛い仔猫が一匹増えている。川崎の出て猫の餌を大量に買い込んでくる。猫がいま私の心を慰めてくれている。本を読むことより自然や仔猫を観察している。読書の力は確かに凄いものがあるが、それはあくまで他人の知識なのだ。そのとき感動してもすぐに忘れてしまう。それに対して自然の観察は間違いなく自分の感情を豊かにしてくれる。読書だけに頼る生き方には、人間として何かもの足りないものがあるような気がする。自然と向き合うことでより自分が自分らしくなってゆくことができる。聲をあげる公園は一応森林公園なので気もやすまる。鳥たちの鳴き声も楽しいものだ。いまはいろんな鳥が来て鳴いている。小さな公園でも私にとっては大切な場所である。

2009年10月27日 (火)

田川紀久雄日記

ビデオで『コーラス』という映画をみる。ボーイソプラノ聲がとても良かった。『太陽の帝国』の少年の聲を思い出させてくれた。音楽では心が惹かれる聲の持ち主が多いのに、詩の朗読の世界ではほとんど見当たらない。それはやはり聲の精進が足りないからだろう。朗読する詩人の姿勢に問題がある。プロになるという気持を持ってもらいたいものだ。
普通の詩人たちの朗読で十分間人に聴かせることが出来る詩人が何人いるというのだろう。いままで多くの詩人達の朗読を聴いてきて、朗読に人生を懸けようとしている詩人が何人いただろうか。人に聴いていただくということは、いかに困難なことなのか。詩の朗読には、聲がよければそれで良いというものでもない。そこにはやはり人間性と人生を深さが求められる。生半可な気持では詩を語ることはできない。
末期癌の中で、詩を語ることに大きな意味を見出している。聲を出すことによって癌が退縮するということだ。そしていのちの尊さと向き合うことによって聲の深さを見出してゆくことができる。二十四日のライブが終わってから二日間は何もできずに床に横たわっていた。台風二十号もきて雨が降っていたので練習もできなかった。身体を休めることが出来てよかった。詩語りで人に生きる勇気を与えることを目指してこれからも精進をしてゆきたい。

2009年10月26日 (月)

田川紀久雄日記

身体的に疲れているときに、サティの音楽を聴いていると心がなごむ。ビデオを見る。聲にもうすこし深みが欲しい。言葉の一つ一つにもっとイメージを膨らませてゆきたいものだ。
民主党が参議院の補欠選挙で二議席を勝ち取った。時の流れなのかもしれないが、このことはある意味では危険なことである。いまの日本人はなにかがおかしい。
このところ詩人の死が目立つ。顔を知っている方が三人もなくなった。やはり癌で亡くなっていることが多い。自分の仕事をやり終えないで亡くなることは辛いものだろう。野村監督が「私は最後まで野球と関わっていたい」という気持はよくわかる。では詩人が最後まで詩人として生きることはどのようなことなのか。詩人の殆どが日常生活の一割の時間も詩人として生きてはいないのだろう。詩を書くときだけが詩人ではない。全詩人であることはなかなか難しいことだ。むかしいちど会田綱雄さんに一度あったことがあるが、身体全体が詩人であることを感じた。いまは長谷川龍生さんが、詩人を身体から感じられる人だ。かつては詩人という存在を感じる詩人がもっと多かったように思う。そのような人の詩はやはり優れたものが多かった。いまの世の中で詩人として生きるのが至難の業である。スケールの大きな詩人が見当たらない。

2009年10月25日 (日)

田川紀久雄日記

昨日はとてもよいライブができた。三味線をいれなくても充分聴かせられるものができた。いままでの中で最高の宮澤賢治の世界を語ることができた。お客様も真剣になって聴いていただいた。山本萠さんのお客の力で思い出に残るライブを行なえた。それに対してわたしの知り合いのお客は誰一人も来てもらえなかった。でも会場がほぼ一杯になった。お客と山本萠さんたちとお酒を飲みながら夕食をとることができた。本当にわたしたちは幸せものである。
詩人でない人たちが私達の詩語りを応援してくれるのに、なぜ詩人達は応援してくれないのか。操車場や川崎詩人会からは誰も聞きにきてはくれない。ある人が言うように詩人達に問題があるのかもしれない。詩の朗読はつまらないと思い込んでいる。人のことは軽々しく非難するが、自分のことは棚に上げてものを言う習慣がある。かなしき人種なのかもしれない。論語の中に「自分のいったことは実行すべきだ」とある。
このたびの語りで電気代・水道代・ガス代が支払える。ほんとうに助かった。
これからも良い詩語りを行なうためにも、もっともっと精進を積み上げていかなくてはならない。お客さまへの恩返しは、語りが成長してゆくことだと思う。そして末期癌でもちゃんと生きていけることを証明することである。いのちを懸けた詩語りがちゃんと評価される世界を構築してゆくことである。詩語りを通じてしか私は世の中に貢献していくことしかできない。一人でも多くの人に聴いていただけることを願いながらこれからも生きていく。
昨日は本当に山本萠さんい感謝する。ありがとうございました。

2009年10月24日 (土)

田川紀久雄日記

今日山本萠書展会場で『宮澤賢治の世界』の詩語りが出来る。本当にありがたい。心を込めて語るしかない。いいつもこれが最後だという気持で舞台に臨んでいる。私と付き合っている詩人達はほとんど来てはくれない。なぜなら詩人たちは詩の朗読が嫌いだからだ。この前の川崎詩人会でも、朗読を聴くのは拷問だという詩人がいた。それはその朗読を聴いた詩人がつまらない朗読をしたからだ。だからといってすべての詩人がつまらないというわけでもない。私自身こちらから誘いかけることをしない。長いこと詩語りを行なっていると、質の良い語りを目指していくしかない。そして私を自然体で応援してくれる方が来てくれれば良いと思っている。私も他者の朗読会にはほとんど聴きにいかない。それは身体的に辛いこともある。
今の私は、自分の聲の道を求めているだけだ。聞き手がいてもいなくてもそれほど気にしない。自分の聲が本当の意味で人明かりになっていけば自然とお客も増えてくると思っている。そして詩人を相手に詩を語っているわけでもない。私の聲を聴くことで生きる力を合有できればそれでよい。そのような聲の道を歩んでいる。詩人達の朗読会で嫌うのは、聞き手がほとんど詩人達であるからだ。
私の詩語りの稽古はあくまで一つの道として存在していたい。朗読会があるから精進するのではない。あってもなくても一つの道を生きていくから毎日精進を続けているにか過ぎない。明日からまた自作詩の稽古と亀岡新一さんの詩を読み込んでいく。そして今年中に『未来への旅』を完成させることである。このような生き方が癌に負けない生命力が生まれてくるのだ。詩語りを行なうことはいのちを大切にしていく生き方でもある。そこから生まれる聲が私の人生そのものでありたい。

2009年10月23日 (金)

田川紀久雄日記

民主党の政権を得たのは、マニフェストで得たのではない。自民党があまりにもいい加減でありすぎたからだ。高速道路の無料化は国民の多くは反対している。そのほかにも国民には受け入れがたいものもある。95兆の予算はあまりにも大きすぎる。赤字国債を作らないことに期待したのに、逆に増えていきそうだ。国民の目線という言葉があまりにも言い過ぎる。詩人という生きものは、ひねくれものだから嫌なものは直ぐに嫌だといいたくなる。鳩山首相の指導力がすこしも見えてこない。
自民党も、このままだと立ち直れない。真の意味での二大政党になってもらわないと国民は困る。老兵は立ち去ることが必要である。国民にとって何が必要なのかを政索で示していくことがいまの自民党に求められている。民主党のあらを探しているようではなさけない。
元首相の小泉純一郎が声優をやったが酷い聲なのだ。なぜ国民にいまだ人気があるのか私には解らない。
癌の治療も進んでいるが、貧乏人には手の届かない世界だ。最新の治療を受けるには何百万もかかる。癌も手術をしないで済むような時代がくる。癌はある程度の治療をすれば、あとは自分の力で治せる。その方法を見出しながら生きている。それは他者に対する愛と自分自身の生き方を掴みとってゆくことの中に答えがあると思う。
川崎詩人会で300行の詩を書こうという試みを行なうことになった。その作新を書き始めている。昨日まで100行まで書いた。長編詩の面白さを味わいながら書き進んでゆきたい。

2009年10月22日 (木)

田川紀久雄日記

山口泉著『宮澤賢治伝説』という著書があるが、いくら宮澤賢治の社会性を批判しても何もうまれてはこない。イラク戦争で子供達の死を報道で知っても、現実には私達は何も出来ない。この虚しさな中から戦争を批判する個の闘いが生まれてくるしかない。出来ることは身近かな人を大切にしていかなければいけないと思う。まず身近なひとのいのちと係わりそれを応援していく以外には何もできない。それから私の場合、末期癌との闘いの中で、人明かりの道を歩いてゆきたいと思う。今できることは詩語りを通してしかできない。だからこの詩語りは自分との闘いでもある。自分が生きること、その中で私と同じ闘いをしているひとたちお互いに生きる勇気を分かち合うことである。
生きたいという気持は、そこには愛する人がいるからだ。まず愛する人の存在が生きる勇気を与えてくれる。その意識が強いほど免疫力が高くなっていく。そして二人称から三人称へとその愛が拡がってゆくものだ。まず自分の生を愛し、そして一番身近な人を愛し、それから同じ苦しんでいる人たちへ心を向けていくことによってより一層いのちの尊さと向き合うことが出来る。ここに多くの人の幸せが来なければ、私個人としての幸せもないのだと思うようになっていく。末期癌になって、今一番自分が生きていたいという願望がある。この生きたいという願望がいのちの尊さと向き合わせてくれている。精神的にも生きていること自体つらいものだ。それを乗り越えられるものは愛するひとがいるということが必要なのである。それは看護婦さんの優しい心づかいであってもよい。そして医師の優しい心配りが生きる勇気を与えてくれる。それから癌難民になったら、お互いに助け合う人が見出さればどんな辛くても生きていける。
病院でも死にたいという患者には、身寄りや愛する人がいない場合が多い。いのちと向き合いながら生きることは難しい。やはりどこかに宗教的なものが介入してこないと、いのちを簡単に諦めてしまうことになる。個の愛から抽象的な愛が求められる。いのちの質が深められることが生きる意味を問いかくてくれる。自然を見つめることも一つの救に繋がることもある。

2009年10月21日 (水)

田川紀久雄日記

午前中に胃カメラを行なう。
抗癌剤も手術もしない私は、時々CTや胃カメラで様子を見るだけだ。進行癌でないから普段の日常生活を続けていられる。
人間の身体は、科学的な治療をしなくても癌を退治する力が備わっている。それは生きようとする生命力がそうさせるのだろう。それは遺伝子細胞を生命力で切り替えればよいのだ。退縮させるようにできれば癌は治療できる。私は詩語りを通してこの試みを行なっている。ある意味では呼吸療法でもある。聲を出すことは血液にもよい。そしてただ聲をあげることも大切だが、詩の内容を心良く捉えようとするところに精神的な安定感が得られる。この調和する試みが癌を退縮させる効果があるのではないかと思っている。それは一万分の一の可能性かも知れないが、その一万の一に挑戦している。
いま足腰が痛むので散歩が出来ないのが不自由であるが、聲だけは毎日あげていられる。詩語りを行ないたいという夢が私に生命力を与えてくれている。
癌の治療を拒否して生きている人たちが増えている。そのような人たちの話を聴くとみんなユニークな人たちが多い。このような人たちの生き方をドキメントとすると面白いだろう。テレビで制作をすると癌患者に役立つと思う。タイトルをつければ『人間は裸で生きている』ということになる。私がつけている『末期癌ブログ日記』も役に立つにちがいない。癌であることを隠す人がいるが、別に隠す必要もない。風邪をひいた人と同じなのだと思えばよいのだ。癌は決して怖い病気ではない。そして人に恥じたり隠したりする病ではない。普通に生きていればよい病なのである。

2009年10月20日 (火)

田川紀久雄日記

癌患者にとって大切なことは生きようとする気持である。生きたいという強い気持ではなく生きようとする気持なのだ。生きようとする心の中には、日々の生活を大切にする気持が生まれてくる。そして何らかの目標を持って活きようとする。そこに免疫力が働いてくる。生きたいと強く思えば思うほどストレスがたまり免疫力も衰えてしまう。つまり自然体で生きることが必要なのである。
明日胃カメラの検査がある。この検査は何度行なっても嫌なものだ。
夜中の一時頃起きて夜空を見る。オリオン座流星群の流れ星をみた。本当に神秘の世界である。地球も宇宙の中の一つの星にか過ぎない。宇宙から見れば地球も美しく見えるが、その地球がいま環境破壊で大変なことになっている。異常気象で一年も雨が降らない地域がある。野生の動物達が殆ど亡くなっていく。と思えば島が海面の上昇で島が消えていく。25パーセントのCO2の削減目標では南極も十年足らずで夏の氷は溶けてしまう。経済がどうこうと言っている状況ではない。大国が真剣になってこの環境破壊と闘う姿勢が求められている。そのためにも日本が技術的にも環境問題を解決していかなければならない。日本の経済を豊にするにも、自然エネルギー問題の解決を求められている。
詩人たちの聲で求められているのは魂からうまれる聲である。詩人の朗読などつまらないものである。それは聲にいのちを感じられないからだ。詩語りで求められるのは、このいのちの聲なのである。そして詩にそのいのちを感じさせる世界があるかどうなのかということでもある。そのことをもっともっと考えていかねばならない。

2009年10月19日 (月)

田川紀久雄日記

石川遼が優勝しないと新聞の記事も小さく扱われる。いまの世の中は何かがおかしい。知名度とマニフェストだけが優先される。これは今のジャーナリストたちが学校教育で養った感覚なのだろう。自分の眼がないのだ。つねに周囲を気にしなければ生きられない世代の人間である。
漢方の生薬の販売が中止になったら、テレビでやたらに漢方入った薬品の販売が急増した。薬事法の改正に裏取引があるように感じられてならない。健康食や健康薬品なんえて殆どがインチキなのだ。これこれを食べると癌が治りますなどという広告は真っ赤な嘘なのである。私はいま自分が食べたいものを食べて生きている。食べることにストレスを感じさせるような生活にはしたくない。問題は適量に食べることである。癌患者にとって一番わるいのはストレスなのである。生きていく上にストレスになるような要素はなるべく排除した生き方をすべきだ。
昨日川崎市人の会で、詩人達の朗読はあまりにも耐え難いという話になった。確かに一理ある。本気になって朗読を行いたい詩人がいないということなのだろう。私の聲は割合聲が大きい。それは生きる力と生きる勇気をお客に伝えたいからである。末期癌でもこうして元気に生きていられることを示していきたいからだ。癌はその人の生き方によっては癌細胞が消滅することもありえる。いま私はその闘いの中で生きている。それを証明しているのが詩語りでの聲なのである。
受贈本 『宇田禮著・艾青という詩人』(新読書社)

2009年10月18日 (日)

田川紀久雄日記

癌は遺伝子の異常で発生する。しかしこの遺伝子の中に抑制遺伝子がある。遺伝子は三十億の文字で成り立っているが、その中で働いているのは三パーセントしかない。ほとんど抑揚遺伝子は働いていない。この抑揚遺伝子を自分の中で活性化させれば癌は消えていく。そういう意味では癌は決して怖い病ではない。抑揚遺伝子を生み出すには、生きる目標や、ストレスを避ける生き方をすることで生まれてくるものだといわれている。この抑揚遺伝子が生まれるメカニズムは解っていない。でも普段眠っている遺伝子の中に抑揚遺伝子があることは間違いないことである。何十万人に一人の割合いで癌が消えていくことがある。そのような人の生き方のデーターを集めれば何かヒントがあるに違いない。
私もこうして生きていられるのも、抑揚遺伝子が働いたからかもしれない。まず嫌なことは絶対しない。自分の生きる目標が明確にある。そしてその目標の中で人明かりの人生を目指して生きている。いつも心をリラックスにしておく。多くの好きな音楽を聴いてすごしている。無理をしないで生きる。できるだけ楽しい生き方をする。人生の中で今が一番楽しいと思って過ごしている。このことで抗癌剤の治療や手術を拒んでも生きていられる。
癌とともに共存していくには、我儘な生き方が大切である。この我儘な生き方といっても他者を思いやる心がなくてはならない。人に役立つ生き方を心のどこかに持っていることが必要なのである。そのことで生きていられることに輝きが生まれてくると思える。抑揚遺伝子を生み出すには決してそれほど難しい問題はないと思える。みんなでいまという時を生きようと願いが今を楽しく生かしてくれる。
私の場合詩語りで多くのひとに生きる勇気を与えたいと思う生き方がより抑揚遺伝子が強く生まれてくるのかもしれない。だからこの詩語りは私の人生そのものになっていければ癌に負けないで寿命がつきるまで生きられると思う。いまはそう思って今を生き抜いていられる。

2009年10月17日 (土)

田川紀久雄日記

税金の使い方で医療に使うのは、世界でも少ない。いのちの問題はいつも後回しになってきた。医師があまりにも多忙すぎる。ゆとりのない医療体制である。だから患者とのコミュニケーションがうまく出来ない。私も入院している間ほとんど医師からの説明がなかった。不安のままの入院である。病室に一度も現れないときもある。
いまの企業も使い捨てである。まるで機械の部品であるかのようだ。人間が人間として扱われない。これが資本主義の実態なのだ。マネーゲームに走り、貧富の差がますます広がるばかりだ。いのちを守る運動はこのような考え方とはまったく反対の世界である。いのちを守る基本は、一人一人のいのちを大切にするというこだ。
今の病院では末期癌に対策がほとんど出来ないでいる。抗癌剤治療と手術を拒んで生きている私は、一人で闘いなから生きている。幸い傷みがいまは全くないので生きていられる。この間は詩語りの世界に全身で生きていられる。逆にこのようなことが出来るので癌の方が私の身体から逃げようとしている。
癌患者たちの前で詩語りを行ないたい。そう思いながらどこからも話がはいってこない。でも真剣に生きようとしている姿勢を保っていればいつの日にか話は入ってくるだろうと思っている。私は医療的にはないも出来ないが、心の問題としては語りかけてゆける。このブログを読んでいる方の中にも癌患者がいると思う。そのような方々に人明かりとなってゆけるように勤めてゆきたい。医療から見放された癌難民の人たちのためにも自分の行き方を貫いて生きたいものだ。

2009年10月16日 (金)

田川紀久雄日記

泉谷栄さんの手紙に十月十五日に心臓の手術を行ないます。心臓の動脈が血の固まりで、流れを止めて破裂寸前があちこちにあってすぐ手術。やるしかない。と書かれてある。心配だ。泉谷さんはいのちはそんなに弱くない、と最近思っていますとも書いてある。
末期癌になっても、それほど心配しない生き方を私は実践している。それは、くよくよして生きないことである。そして自分の好きな道を徹して行なうことである。そして聲を思い切り出すことである。聲を出すにはただ聲をあげていても面白くはない。出来るなら詩を大聲で読み上げることだ。半月も持たないいのりが二年過ぎても元気に生きていられる。詩語りに打ち込んでいるうちに癌の進行は止まってしまった。これは奇跡に近いことである。聲を出すことは複式呼吸を行なう。そのことが身体の活性化につながり癌の進行を止めるきっかけになったと思える。詩語りの聲は普通の人の倍の大きさが出る。聲の力は免疫力を高める効果がある。それと自分の為だけに生きようとしない。つねに人明かりを求めて生きていくことが必要である。泉谷さんが言うようにいのちはそんなに弱いものではない。
四時半に空をみると金星が見え始める。下弦月が金星の横にある。美しい光景だ。負けないで生きていることは、金星のようにいのちが輝いている証拠だ。輝いて生きるいのちはつねに人明かりに通じている。
受贈詩集 『小海永二著作撰集・全八巻』
詩誌受贈 『焔・83号』『阿字・130号』

2009年10月15日 (木)

田川紀久雄日記

午後から妹に会いに行く予定。
高橋馨さんの原稿がメールで届く。
泉谷栄さんから食料が届く。いつもありがたい。
世界では、まだヒロシマ・ナガサキに原爆が投下されたことを知らない人がいる。日本の若者達の中にも原爆の投下の意味がわからない人も増えてきている。核はこの世に存在してはならないものである。そのまえに非戦の意識を高めていかなければならない。日露戦争の時、内村鑑三や平民社の人たちは非戦運動を続けていた。それはいのちがけの闘いでもあった。幸徳秋水は大逆事件で処刑されている。女性では菅野須賀子が翌日処刑された。二十九歳であった。
広島と長崎でオリンピックの開催に立候補するという話が持ち上がっている。核の根絶を訴えるには良いかもしれない。多くの国の人たちにヒロシマやナガサキにきてもらいたい。そして出来れば今の日本の原子力発電所をなくした電気作りにしてもらいたい。いま各国では原子力発電所の古くなった建物を解体しているが、放射能に満ちた原子力や建物を捨てる場所がないのである。日本でも原子力所の立替で、捨てる場所がない。これは恐ろしいことなのだ。核の根絶運動も大切だが、いまの現実の問題として原子力発電の問題は黙って見過ごしていてはならない。CO2を出さないクリアな電気なとどうたい文句でコマーシャルを続けている電力会社は日本国民を愚弄している。
私は小さないのちの大切さから聲を発してゆきたい。ひとり一人の命の大切さを訴える仕事が詩語りでありたい。それが末期癌の宣告を受けた私の仕事でありたい。

2009年10月14日 (水)

田川紀久雄日記

最近江戸時代の生活をしている。日が暮れると床にはいり、朝早く起きて星を見る。テレビを夜は見ない。野菜を中心にした生活である。そのせいか体重が太りだしている。散歩したくても足が思うように動かない。日によってはスムーズに歩ける時もある。
スパーに行っても人が少ない。やはり不景気が長引いている。銭湯に行っても人があまり入っていない。このような時代は、人の心が荒んでいくのではなかろうか。世の中の犯罪は理解しにくいも0のが多くなっている。政治にとっていま人への思いやりが求められている。予算の切りつめがどのように影響してくるのか一抹の不安もある。今は時代の変革の時である。
自分の聲をDVDで聴いてみたが、ひどいものだ。まだ内面の世界が語られていない。どうすればよいのだろうか。機械を通じて聴く聲には確かに違和感がある。でも自分の聲を確認するには録音されたものを聴くしかない。あとは師匠によって学び取っていく方法があるが、詩の朗読の世界では師匠がいない。一人ひとりが自分なりに工夫して聲を作るしかない。できれば芸能の世界のように師匠がいるとよいのだが。あとはお客の反応によって自分の聲を確認してゆくしかない。そしてひたすら精進していくしかないのだろう。詩人たちの朗読が少しも進歩しないのはそこに一つの道がないからだ。詩人の聲には、アナウンサーのようにのような聲の教育は不要である。あくまでオリジナリティーが求められている。朗読教室のような発声を望んではいない。ここに詩人の聲の難しさがある。
二十四日にライブがあります。そこで宮澤賢治の世界を語る。お客様との真剣勝負ができる。楽しみだ。定員が四十名である。早めに予約してください。料金2000円。場所は三鷹のギャラリー・オークです。時間は二時半からです。

2009年10月13日 (火)

田川紀久雄日記

前の水谷八重子さんが「わたしつまらない人間だわ」と言っていたことがある。イチローにしても野球人としては素晴らしい人間である。しかし、当の自分を見つめたい場合人にはいえないものが多くあるだろう。それ一筋に生きている人は、なになに馬鹿人間といわれたりすることがある。そのような人は、他者に多くの夢を与えている。
私も詩語り馬鹿になって生きている。だからといってそれで飯が食えるわけでもない。詩人が朗読や語りで飯を食うと思った人はいないだろう。でも一つのことをやり遂げよ言うと思ったら、中途半端な生き方ができない。日々自分との闘いしかない。それに打ち勝つことができなければ、見果てぬ夢を追いことは不可能である。まいにち同じことの繰り返しを行なう。ただそれだけのことを行なうことがいかに大変かということだ。
亀岡新一さんは私より一歳年上である。写真を見ると私より随分年上に見える。彼は農家になったわけではない。畑仕事で生活を立てようとはしていなかった。会社と退職して八百坪の畑を耕して生き抜いた。そのことは詩や絵で物語っている。ある意味で奇人といえるかもしれない。絵も決して上手く描こうとはしていない。描きたいから描いている。そして詩もやはり絵と同様に書きたいように詩を作りあげている。私はそのような亀岡さんの詩や絵に惹かれる。亀岡さんの詩を語るときは、亀岡さんになったつもりで語りたい。それはいまの私の生き方に似ているからだ。世の中から亀岡さんの詩の語りの仕事が入る当てはない。でも語っていると勇気が与えられる。そのことが嬉しい。まるで畑土を耕している気分になれる。
今日も頑張って語りに励んでいきていたい。

2009年10月12日 (月)

田川紀久雄日記

シューベルトのピアノ三重奏第二番で凄い演奏にであった。ピアノ・インマゼール ヴァイオリン・ベス チェロ・ビルスマの演奏である。ただ美しいだけではなく、内面の深さを抉りだしている。シューベルトほど演奏家にとって難しいものはないだろう。
詩の朗読でも、宮澤賢治の詩を競い合って朗読をすると面白いと思う。しかし、今のところプロの朗読家たちの朗読ほどつまらないものはない。音楽を演奏するように素晴らしい朗読を時には聴きたいものだ。詩人達でも自作詩を朗読しても他人の朗読まで手が廻らない。
このところ胃の調子が良くない。下痢が続いている。ちょっと心配だ。

2009年10月11日 (日)

田川紀久雄日記

鈴木しづ子の「指輪」「春雷」それと「伝説の女性俳人を追って」が河出から発売されていた。『漉林』で「指輪」を掲載した。鈴木しづ子「指輪」と「春雷」は手に入れた。そして私達はその彼女の俳句を語りに乗せてきた。漉林では未発表の句も載せた。
このたび出た鈴木しづ子の本の装丁は関心しない。そのうえ椎名林檎推薦と帯にある。これはとてもいただけない。簡素な装丁がよかった。例えば『山中富美子詩集抄』のような装丁であって欲しかった。この二人は死んだ時期が不明なのだ。
最近語ることの楽しみが増してきた。そして語ることの怖さもでてきた。それは詩の言葉の奥に占められたその人の人間そのものをどれだけ表現できるかという課題に直面しているからだ。モダニズム的な詩でも、そのモダニズムの中にその詩人の魂の叫びをどれだけ感じるかで語りの表現が変わってくる。私は魂を語れる語り手に成長してゆきたい。そのためには一語一語を丁寧に読み込む力が求められる。だからこそ語りそのものが面白くなってくる。詩は聲を出すことによってより感じられるものになってゆく。朗読する意味もそこにあるはず。一篇の詩を千回聲を出して読むことによって見えてくる世界がある。自分の身体に詩の一語一語を浸み込ませることが大切なのである。いま亀岡新一さんの詩の言葉を身体に浸み込ませる作業を行なっている。一年かけて語り続けることで亀岡さの言葉の魂と向き合える。いま精進してゆくことの歓びを感じている。
f分の1からカンパをいただく。それと井原修さんからお米が届く。

2009年10月10日 (土)

田川紀久雄日記

窪島誠一郎編・著に『無言館の青春』という本がある。確かに彼らの絵は反戦のために描いたものではない。絵を描きたい一心で描いたものだ。それを国家の権力で描く人生を放棄させそのうえ死に至らしめたものだ。この美術館は確かに反戦の意味がある。でも絵を反戦の意味づけで見て欲しくはない。絵は絵以外なにものでもない。私はまだ無言館の絵を一度も見たことがないので今は何もいえない。窪島さんは借金のために、多くの素晴らしい絵を売ってしまったと聴くが、私はそのことがとても残念である。
いま亀岡新一さんの詩を語り始めている。彼はまさに最期まで自分の意思で自由に生き抜いた人だ。畑を野菜を作っても人には売ることなく、ほとんど差し上げていたという。その青間に絵を描き続けた。そう意味では無言館の絵学生とは対照的なひとである。社会との交流をほどんど断ち切って生活をしていた。そう意味では風狂の人生であったかもしれない。加藤正義に近いが、加藤さんは焼き物を売ろうとしたが売れなかった陶芸家で。餓死寸前の生き方をした。彼も詩を愛していた。いま私は彼が作った湯飲みでときどきお茶を飲んだりしている。
私もただ詩語りに懸けて生き抜いている。亀岡さんや加藤さんの生き方に近い。いま亀岡新一さんの詩を語るのが楽しい。語りとしては語りづらい作品である。その語りづらさを越えた先には豊かな亀岡さんの精神が聲の中に蘇ってくる。いままで感じたことのない経験である。どうしても人の前で方って行きたいものがある。私に一つでも多くの仕事の出来る場所が欲しい。どうしたらもっと詩語りが行なえるのか。人明かりの旅をもっと増やしていきたい。

2009年10月 9日 (金)

田川紀久雄日記

中国国境でサリンが検出される。やはりオームと北朝鮮は関係があったように思える。まだサリン事件の真相は解明されていない。被害者の心を思うとやりきれない。
昨日の台風で家が揺れた。おんぼろの家なので地震や台風が発生すると不安にかられる。何か起きてもどうすることもできない。修繕する金もない。
操車場も送ることが出来た。
昨日の朝日新聞の夕刊の記事に『阿刀田さんの「朗読21」に深み』が載っている。鴨下演出4年目とある。「けいこ場では、テキスト一行一行を細かく解釈する。ちょっとした一行に潜む心の動きをとらえ、それを間や声の高低などで、正確に伝える。」これは演技の基本でもある。スタニスラフラスキーにも書かれてある。詩の朗読では一行一行の解釈は不可能でもある。詩の場合は、音楽家が音符を解釈するようにしていく以外ない。詩人jたちの朗読を聴いていると、何も感じられないものが殆どだ。詩の朗読を指導する人がいない。勝手に気分しだいで詩を読んでいるだけだ。それに聲そのものに力がない。「朗読21」の入場料は4000円である。本当に感動できれば決して高くはない。小説の朗読と詩の朗読はまったく別なものである。詩は魂に語りかけることが求められている。だから魂の叫びと呼べる世界なのだ。いまの詩人の中でこの魂の聲が出せるのはほんの数人だろう。テキストの読みの深さは当然求められている。

2009年10月 8日 (木)

田川紀久雄日記

激しい雨が夜中から降り続いている。台風が東海に上陸する。今のところ風がそれほと吹いていない。
テレビの報道番組で三十歳代の孤独死が取り上げられた。これにはやはりショックな話だ。自殺者も相変わらずに多い。いのちの尊さを云々しても追い込まれた人にはどうすることも出来ない。孤独死の殆どが経済上たで追い込まれていく。自殺者も同じだ。哲学的な意味で死においこまれるのではない。
私の身体も思うように動かない。生活の面でも日々不安を感じている。でも癌になってから死にたいと思うことがなくなった。どんな状況に追い込まれようと生きていたいという気持の方が強い。詩語りはそれほど人に生きる勇気を与えられないかも知れないが、人明かりを目指して生きていたい。石に齧りついていても生きていることはやはり素晴らしいことを私自身で証明してゆきたい。
浜川崎の仔猫たちを見ているととても勇気付けられる。みんな元気に生きている。ただそのことだけでも私は生きる歓びを感じる。今は亡き作家の三浦綾子さんお生き方もつねに前向きであった。次からつぎえと病魔に襲われる。それでも生きることの意味を持ち続けていた。その根底には神への愛があったからだ。人生の試練はそれなりに意味がある。神様は無駄に試練を与えているのではない。三浦さんはいつもそう思って生きていた。人の生き方から多くのものを学ぶことが出来る。だから私も自分自身の道を耐えて生きていかねばならない。詩語りで人生の応援歌を語ってゆきたい。

2009年10月 7日 (水)

田川紀久雄日記

最近「真・善・美」について語る人がいなくなった。その考え方が古くなったからなのだろうか。西田幾太郎のいう経験という言葉が受け取れなくなっているからなのだろうか。人間は確かに経験によってしか自分というものを知り確立してゆくものなのだろう。経験は自分を知るということにとって大切な要因である。生きていくことがすべて経験だとはいえない。森有正は体験と経験の違いを述べている。普通の日常生活は体験の範疇に入るが、なかなか経験にはなってゆかないものだ。
生きているときの充実感は経験の積み重ねによって生まれてくるものだと思う。よりいっそう深い経験を積み重ねてゆくことによって「真・善・美」を味わうことができる。詩語りの稽古もより深い経験の積み重ねの中から磨かれてゆくものであろう。
歳をとってゆくほどに生きていることの張りを失うのは、生きている現実感が失ってゆくからである。ひびただの体験の日常であれば、自然と生命の張り合いも失せてゆくだろう。自分とって強い張り合いのある生き方を見出さなければ、時間に流されてゆくばかりだ。
豊かな人生をおくるにはいかに純粋な経験を積み重ねているかによってその人の人生の価値が決まってゆく。しかしそういっても人間には孤独というものに付き纏われているものだ。この孤独との闘いの中で人は磨かれてゆくものなのだろう。だから孤独を友にしていく生き方も大切なことである。いま私は病を友にして生きているように。

2009年10月 6日 (火)

田川紀久雄日記

大型台風が8・9日頃に東京にくるらしい。操車場の発送も配達員が大変なので遅らせようかと思っている。
昨日語りの稽古をしていたら、突然に喉が痛み出した。聲をだすと喉がひりひりと痛むのである。このような時は無理をしない方がよい。
人の詩を見ていると、詩を書こうとする意識が強すぎる。作品を深めようとする努力を怠っているように思われる。詩的な言葉とはいったい何なのだろうか。それはやはろ魂に届く言葉だと思う。谷川俊太郎の新聞に載っている詩は、どこか胡散臭い。魂からの響きが感じられない。詩人は自分の眼でものを見なければならない。そして自分の眼で判断すべきである。風評に左右されては絶対にならない。それだけ詩人は自分自身に厳しくならなければいけない。詩人は裸の大将でよいのだ。亀岡新一詩集には本物の詩がいっぱい詰まっている。
詩の良し悪しは本物の聲を出して見ると解る。単なる朗読では詩の良し悪しなど解らない。やはりいのりがけの聲でなければ駄目なのだ。亀岡さんの詩を私の聲に乗せたとき、妹さんは涙を流した。それは亀岡さんの詩が本物だったからだ。詩を書く前に、素晴らしい人間存在がなくてはならない。人間魅力がなくては、味のある詩はかけない。人間としてつまらないから詩の技術に走るの。詩そのものも裸になってゆくことが大切なのである。

2009年10月 5日 (月)

田川紀久雄日記

操車場29号の印刷を始める。水曜日までには送れそうだ。よくもここまで来たものだという驚きがある。普段歩いていると直ぐに息が切れる。会話の時も少し苦しくなるときがある。しかし不思議に語りを行なう時には平気なのである。それは複式呼吸で思い切って聲を張り上げるからであろう。聲を張り上げることは癌の治療に役立っている。こうしてここまで生きてこられたのも、詩語りにいのちをかけて生きて来たからだと思う。
亀岡新一詩集から数編選んで語りの稽古に入っている。土に生きた詩人の詩を紹介したいからだ。私と関わりあった詩人は出きるだけ語りをしてゆきたいものだ。詩は本当に良いものだということを紹介してゆきたい。そのためにも定期的の行なえる場所が欲しいものだ。二十人ほど入れる場所があればよいのだが、なかなか見つからない。田川紀久雄自身の企画で詩語りを行ないたいものだ。場所を提供しますからご自由に使い下さいという方が現れないものだろうか。村上昭夫さんや尼崎安四さんの詩を心ゆくまで語ってみたい。

2009年10月 4日 (日)

田川紀久雄日記

今の政権で福祉政策の可能性を引き出してもらいたい。小泉政権下では福祉の切捨てを行なってきた。国債の赤字を弱い立場の人間を切り捨てることによって埋めようとしてきた。国民も小泉政権を支えてきた。国民にも責任はある。福祉の問題は限られた国家予算から賄われるのだから難しい問題でもある。そのためにも国民の聲の力が求められる。もっともっと難病の対策が求められている。
このところ詩語りが自分の中で変化してきていることに気づく。聲を出す仕方に変化があるのだろう。以前より深い場所から聲が出てきている。このような変化に気づくことは滅多にあることではない。ほとんどが気づかずに過ごしてしまう。これは聴き手の変化を見て気づくこともある。そう意味では芸はお客によって育てられてゆくものだ。お客を大切にするということは、自分自身に厳しくあれということである。これは芸の世界だけの問題ではなく、普段の生き方でもいえることだ。自分自身が厳しいことによって、相手への思いやりが生まれてくる。そのためにも無垢な心を養っていかなければならない。
癌との闘いも、癌に逆らって生き方は免疫力を低下させるだけだ。楽しく陽気にいきることが大切なのである。そのためにも嫌なことはしないことだ。そして人に迷惑をかけないことでもある。自然体で生きているのが良い。

2009年10月 3日 (土)

田川紀久雄日記

オリンピックはリオに決まった。日本人の心はそれほどオリンピックに関心がなかったように思える。私もそれほど興味がなかった。国家的な祭りごとはあまり好きになれない。万博も興味がなかった。岡本太郎の巨大な像も政治に利用されたくはなかった。
亀岡新一さんは、まったく個人との闘いの生き方であった。社会的にどうこうという意識はまったくない。純粋に個の中で生き個の中で亡くなっていった。
京都の方から山本陽子の第二巻の注文があった。山本陽子も個のひとであった。亀岡さんと陽子さんとに共通する部分がある。山本陽子も詩に劣らず凄い絵が存在している。詩人で夭折した田端あきらこなど問題ではない。魂の詩人がいかに少ないか。洲之内さんも山本陽子の絵を見たら仰天したことだろう。木下晋さんも驚いた詩人の絵なのだ。
鈴木良一さんのように歴史から消えかけていた詩人(市島三千雄)を語り継ぐ会の存在は意味がある。語りたい詩人がいるが版権などでできない。五十年の版権は詩人の世界では長い。詩など商売にならない世界だから二十年ほどでいいのではないかと思う。詩の場合出版はべつとして朗読の場合は版権などなくしてもらいたい。詩をもっと世の中に広めていく作業に足枷とあっている。画集の場合でもカタログは版権に関係なく出版ができる。詩が世の中に広めるためにもいまの版権制度は考えものだ。
政権が変わっても失業者が増加している。切りつめ政策でもっと失業者が増えるのではないかと心配だ。早く手を打った大胆な政索が望まれる。

2009年10月 2日 (金)

田川紀久雄日記

昨夜は十時ごろ帰宅する。白石さんから亀岡新一さんのことを聴けて参考にあった。それに多くの絵を見れたことが収穫であった。亀岡新一さんお詩をほんの少し語ってみた。妹さんがとても感激してくれた。詩語りの意味がそれなりに生きてきていることを確認できた。
色校のことで熊谷さんと二時半に西日暮里で会う予定。
鞆の浦の埋め立て認めずの判決がでた。画期的な裁判である。景観は「国民」の財産という考え方はいままではとても考えられなかった。政治の流れの変革で裁判にも影響したのかもしれない。なんにしても悦ばしいことだ。でも住民の車の渋滞は緩和する必要がある。
楽天が勝ったこともうれしい。成績でも第二位になった。これは驚くべきことだ。
二十四日のライブに向けて「青森挽歌」をひたすら語り続けている。だれにもまねのできない世界を構築してゆきたい。その後は仕事が入っていないが、もっと深くできるように精進をしていかなければならない。もし誰も聴く人がいなくなってもいのちの続く限り語りを深めていかねばならない。永遠のいのちに向けて語りを求めてゆく。無垢の境地に達してゆきたいものだ。詩人たちの前で行なうより普通の生活者の中で行なったときの方が評判がよい。詩人は自分の心に壁をつくって聴くからどうにもならない。語るときも聴く時も心を殻にしておくべきだ。語りを行なう気持を捨てて聲を発したとき語りになっていればよいのである。語りとはいのちの表現であるからだ。

2009年10月 1日 (木)

田川紀久雄日記

大地震が二箇所で発生した。サモアとスマトラ沖である。死者も多数でているという。M8・3とM7・6なんて想像ができない。巨大地震である。もし日本でこのような地震が発生したら地獄図になるだろう。世界の国々が助けあっていかなければならない。日本からも早く救援を行なってもらいたい。
洲之内徹に『気まぐれ美術館』があるが、世界文化社から『しゃれのめす』『おいてけぼり』がある。カタログや雑誌に載った記事で構成されてある。そしてふんだんにカラーの絵がある。『気まぐれ美術館』のすべてには洲之内さんからサインをしていただいたものがある。洲之内さんの家にも泊まったことがある。私の絵の勉強は、洲之内さんや梅野さんや木村東助さんである。多くの優れた絵を見たことが絵を見る力になっている。木村東助さんの色紙は私の机の前に飾ってある。
今日、坂井信夫さんと亀岡新一さんの妹さんの家に行く予定である。画集の色校のためでもある。そこで亀岡さんの絵を数点見られる。とても楽しみである。
ここ数日歩くのに不自由しているが、無理をしてでも出かけていかなければならない。

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