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2009年9月30日 (水)

田川紀久雄日記

芸術家は生温い世の中に生きていると、反抗精神を失ってゆくばかりだ。芸術家にはどこか狂気がなければ時代を抜けた作品は生まれてこない。その中で美を見出すには、貧乏、病気などに耐えている人の中から次の時代に繋がるものが生まれてくる可能性が強い。
本来詩人が今の時代は先頭にたって行動をおこさなければならないのに、詩の世界からは何も生まれてくる気配がない。詩のことばに叫びが感じられない。『詩と思想』の最近号を読んでいてもこれはという作品で出会えない。
玉川信明セレクションを読んでいる。大正時代生きたひとたちの群像は興味が湧いてくる。決して遠い次代ではない。私が青年のころまで生きていた人たちがいる。大正時代に生まれた人も今でも生きている人がいる。それなのに、何故か遠くに感じられてしまう。
亀岡新一さんの生き方は、まさに大正時代の自由をもとめて生きてきた人たちに近いところがある。『新一路のんきぶし』はとても興味深い作品である。一人でも多くの詩人に読んでいただきたいものだ。漉林書房から『亀岡新一詩集』本体2000円で発売している。彼の作品は誰も真似のできないものだ。まさに彼固有の世界なのである。これは坂井信夫さんの力によってできた。それと坂井信夫さんは画家・島村洋二郎論『眼の光』が島村直子さんとの共著が土曜美術出版販売から発売されている。島村洋二郎はもっと多くの人たちに見てもらいたい画家の一人である。

2009年9月29日 (火)

田川紀久雄日記

八ツ場ダム中止に反対していることに非難する電話が殺到しているという。村の住民にことを思うとしばらくは黙って見守るべきではないか。国民があたたかい眼で住民たちを守るべきである。日本の政治が本当に変われるかどうか、すべてがよくなるわけでもないが古い政治から新しい政治の変革は必要である。
久しぶりに朝方雨らしい雨が降った。草木にとっては良かった。毎日同じことの繰り返しの中で人生は成長してゆくものだ。自分自身には気がつかなくても、他者から見れば解ることである。退屈に思えるときこそ小さな努力が人との差を広げてくれる。眼に見えない努力がそのひとの人格を作ってゆくものだ。そういうことが解っていてもなかなかできないのが凡人の証拠でもある。人に認められるにはひたすら努力を続ける忍耐力が求められる。私は癌になっていのちの尊さを身に染みて感じた。そのことをどうしても詩語りに活かさせたい。生かされているいのちを詩語りのために使いたい。本当に人が聴いてくれる語りができるのだろうか。不安がつきまとう。でも日々の努力を抜きにしては先が見えてこない。

2009年9月28日 (月)

田川紀久雄日記

浜川崎にランが一匹の仔猫をつれて現れる。あとの四匹はどうしたのだろうか。産業道路の脇にい真っ黒の仔猫はとても可愛い。語りの稽古の帰り道で会う。餌を貰うために私のくるのを待っているようだ。
昨日の大相撲の横綱対決は見ごたえがあった。お互いの気迫がお客の心を惹きつける。スポーツや芸はつねに真剣勝負の生き方が求められている。この真剣さがなくなったら、誰も見なくなるだろう。真剣勝負の場を多く与えられている生き方は幸せなものといえる。勝負は他者に勝つことより自分自身に勝てない人間だと、いつまで経っても成長していかない。つまり勝負師であることは、だれより孤独な存在者でもあるといえる。
このところ下痢ぎみである。身体の調子も悪い。いくらか気が滅入っている。この調子の悪い時の過ごし方が難しい。一番の効用はやはり音楽を聴くことかもしれない。読書もすすまない。
歳をとって何もやることのない人は辛い日々を過ごしているのだろう。生きていくためには何でもよいから趣味をもってそれを磨くことに時間を費やしていければ、人生もそれなりに価値をもって実りのあるものになってゆく。詩語りも実りのあるものにしてゆきたい。それを夢みて生きている。

2009年9月27日 (日)

田川紀久雄日記

人は「菜根譚」の最初のところに人の生き方が書かれてある。経済の動向に揺り動かされて生きている人はむなしくはないだろうか。私のように貧乏だと一日が健康であればそれで充分だと思って生きていられる。それ以上のことは考えないようにしている。
今月は詩を三編書けた。今年中に『未来への旅』は書き終われそうだ。詩もこのところ無理に書かねば作品が生まれなくなっている。かつては自然に書けたのに、それだけ歳をとったことを意味するのだろう。目標を一つ一つ実行していくしかない。普通の詩人からみれば毎年詩集を作っているのだから自分でも驚いている。いまは人に語りたい詩しか書いていない。病を通して感じていることを作品化しているだけだ。
浜川崎付近で野葡萄を取ってきた。それを酒につけて正月に飲めるようにする。何にもない風景だが、それなりに自然は生きている。森や川はないが荒涼した中にも一つの世界を作り出している。それを一つ一つ観察していると人生の楽しみが増えてくる。いまは我が家から見る夜空を見たり、語りの稽古に行く公園で虫や植物をみている。生活は貧しくても生きている歓びは金持ちに負けない。身近なものを愛していきることがいかに素晴らしいことかということだ。世の中のわずらわしさから離れて遠くで生きていたい。

2009年9月26日 (土)

田川紀久雄日記

民主党の改革に多くの人たちが期待している。まさに未知との遭遇である。この改革で国民を犠牲にした改革であってはならない。いまのところ、自民党の政治がいかにデタラメであったかが強く感じられる。ダム工事もなぜ早く中止できなかったのだろう。無駄使いが自民党政治であった。それがすべて悪いというのではないが。業者との利権だけで政治が動いていたような気がしてならない。
詩語りの未来を思うと不安を感じる。どうして仕事をしてゆけるのかがまったく見えていないからだ。いまの私はひたすら精進しているだけなのだ。基本的にはこの生き方しかできない。病を見つめ語りを深めている日々でしかない。そんな不安な気持の中で、大正時代の自由な生き方にひきつけられている。鎌田慧著『大杉栄自由への疾走』と榛葉英治著『板垣退助』を古本屋で買う。大正時代を知るためにはやはり明治の時代をしらなければならない。そのことによって今の時代が見えてくるのだろう。何かを問い続ける姿勢が生きる希望を与えてくれるはずだ。市島三千雄さんが過ごした青年時代も見えてくるのだろう。私は何もしらないことが多すぎる。知らないことに恥じることはないが、知りたいという気持がなければやはり知らないでいることは恥でもある。

2009年9月25日 (金)

田川紀久雄日記

美しいものに触れることは大切なことである。いかに生きている間にどれだけ美しいものとの出会いができるのだろうか。この美しいものとの出会いも自ら努力しなければならないものと、自然に美しいものに触れることのできるものがある。自然と人の心の美しさは相手まかせしかない。私は多くの人の心の美しさにもっと出合ってゆきたい。
いま血糖値が高いと医師にいわれる。それから来月に胃カメラを行なうとのことだ。血糖値の高いのは運動不足ではないかと思う。足腰が痛いために思うように歩けないのが原因の一つである。
武井まゆみさんから「生命の旅」の注文があった。ありがたい。
四時に起きてみる星はとても美しい。美しいものとの出会いをもとめて生きていたい。

2009年9月24日 (木)

田川紀久雄日記

早朝の空に金星が美しく輝いているのが見える。連休のあいだは曇り空で星がまったく見えなかった。星の観測は楽しいものだ。
午前中に病院で検査がある。そして夕方に熊谷さんと会う約束をしている。
身体がつらくても語りの稽古に励むことで何かが見えてくるものだろう。聲の深さを身につけるにはひたすら語り続けていくことだ。ときどき自分の聲を聴くと「ああ何という聲だろうかと」思うこともある。自分の聲である以上どうにもならないのだが。
先日野外コンサートで石川さゆりが「天城越え」を熱唱しているのをテレビで見た。ロック歌手の聲が石川さゆりの前では死んでいるように聴こえた。腹の底から聲を張り上げていた彼女の聲は素晴らしかった。そして都はるみの歌をつい先日テレビで聴いたが、聲の深みが増しているように感じられた。演歌もここまでくればまさに芸術作品だ。この二人は帝国劇場と明治座で舞台を踏めることが成長させているのだろう。明治座でおこなった石川さゆりは評判がよかった。やはり聲の力は人に勇気を与えてくれるものである。いま人の心をうつことのできる詩人が何人いるのだろうか。
人明かりを求めてゆくためにも、聲の力を高めてゆくことが必要条件である。苦しいときも辛い時もひたすら精進していく以外にはない。聲の力は人の心を癒してくれることを信じて前向きで生きていたいものだ。

2009年9月23日 (水)

田川紀久雄日記

世界平和という言葉は、とても曖昧なことばだ。具体的にいうのなら、誰もが食料と住む家がだれもが確保されることではなかろうか。この地球にはその日の食料に喘いでいる人たちが多くいる。戦争や内戦がひきおこした難民の問題は、人災以外のなにものでもない。
それから他の生き物達のための環境破壊の問題もある。日本のこれからのあり方はやはり平和外交が大切である。鳩山首相の外交を見守ってゆきたい。
南武線の浜川崎にときどきホームレスの人がいる。ほんとうに行き場がないのだろう。そのよこで共産党がビラをまいている。とても不思議な光景である。いつもの場所に猫が近寄れないでいる。浜川崎周辺の仔猫いたちは元気に育っている。
シューベルトのピアノソナタ15番をブレンデルのピアノで何度も聴いた。第二楽章は生きることに勇気付けられる。このソナタは第二楽章までしかない。さいごの所は強力の和音が響き渡る。内田光子さんの演奏も良いが、やはりブレンデルのピアノに心が惹かれる。前日には『冬の旅』を聴いた。秋の日には心ゆくまで音楽を聴いていたいものだ。

2009年9月22日 (火)

田川紀久雄日記

小杉妙子さんと増田幸太郎さんから手紙とハガキをいただいた。励ましの言葉はありがたいものだ。私はほとんど手紙を書かない方なので手紙をいただくたびに反省をしている。
亀岡新一詩集が三十冊届いた。お世話になったところには送りたいと思っている。亀岡さんのような人はいま見つけるのが大変だ。畑を借りて作物を作っても売らずに近所の人に分けてしまう。一切農薬など使わない。そして珍しい野菜を作っていたという。その畑で絵の個展を行なっていた。生前に一度は会っておきたかった。詩も独特の作品である。まさに詩人そのものである。いまこのような詩人を見つけようと思ってもなかなか見出せないだろう。社会批判もピリッとしていて辛い。亀岡さんは最期まで『索』を大切にしていた。瀬沼さんが『漉林』を大切にしていたように。詩誌の存在とは何かを考えさせられる。
いま宮澤賢治の作品を無心な気持で語りたいと思っている。詩を語るのではなく、詩そのものであるように語ってゆきたい。これは市島三千雄さんを語ったときも、そのような気持で語った。そこまで行くには何百回となく読み込んでいかねばならない。イチロー選手のように日々変わることのない精進だけがそこに到達していけるのだろう。いかに一日一日が大切であるかということだ。そのためには語る歓びをいつも心になくてはならない。
詩誌受贈 『えこし通信・16号}

2009年9月21日 (月)

田川紀久雄日記

アフガンニスタンの大統領がタリバンに対話を求めている。憎しみ合いはどこまでいっても平行線しかならない。辛抱強い対話が世界の平和に導く。日本のスフガン政索も平和への救援活動であってほしい。軍事的な協力だけはしてもらいたくはない。
テレビで民主党の政策に反対する人が多くいる。頭が切り替われないそのような人物をテレビに出すこと事態おかしいことだ。テレビ局は保守的な世界である。詩人達の世界も保守的な世界である。保守が悪いといっているのではなく、真の保守がいなくなっていることも事実だ。今の自民党の姿をみていると、あれは保守でもなければなんでもなくなっている。保守の中にも改革が必要なのに、それについていけない古い体制にしがみ付く人たちが多くいる。保守は保守のままであってはいけない。つねに時代を見つめる視線を失った時それはただの野次馬の叫びと代わりがない。
不安を感じるのはわかるが、変えるべきときには、変えていかなければならない。そうしなければ、また元の黙阿弥に戻ってしまう。民主党も国民の聲を聴きながら本当の変革をしてもらいたいものだ。大切なことは国民との信頼関係である。
末期癌である私にはいのちの尊さを求めて生きていくだけだ。そしてつねに非戦をもとめてゆきたい。平和へのための戦争などは嘘である。だからアフガンの問題も軍事的な協力だけはしてもらいたくない。アフガンでなくなった伊藤が関わった用水路が完成した。この用水路は中村さんが現地にのこって完成させた。これで十五万人の人たちが救われるのである。伊藤さん心はやはり生き続けている。そのことが大切なのである。
詩誌受贈 『グッフォー・52号』

2009年9月20日 (日)

田川紀久雄日記

目標を持って生きている老人達はやはり元気である。年をとって生きていくには、なんでもよいから好きなものを持つことが大切なのである。老人ホームで童謡を歌わされる人にはなりたくない。まるで子供扱いのような社会にはいきたくないものだ。もっともとお老人がいつまでも若々しく生きる社会を作ることが大切である。若々しくいきることが医療問題の解決にもつながる。私の家の側にディーサービスがあるが、車椅子にのって押されている老人を見るがまったく元気がない。介護に問題があるような気がしてならない。老人としてみるのではなく、あくまでも一人の人間として見る視線が感じられない。
最近朝早く起きて星をみるのが楽しみだ。今日もオリオン座を見た。起きる時間によっても星の位置が違ってみえる。まるで生き物をみているような感じがする。台風も東京に来なくてほっとしている。いまごろ強大台風が来ていたら大変であっただろう。
台風といえば、いまの政治の状況はある意味での台風が起きている。この状況が本当の意味で国民の幸せにつながると良いのだが、大きな膿を出し切らない以上難しくなってゆく。ダム建設の中止になった現場の人たちはどうなってゆくのだろう。きめ細かい対策が求められている。

このところ「青森挽歌」を語る夢rをみる。どうしたらもっと奥深く語れるのかを問うている夢である。誰にも真似のできない語りを行ないたい。そして一度宮澤賢治記念館でも行ないたいと思っているが、まったくいまだ相手にされていない。いまは私の語りを聴いてくださる方に一生懸命になって行なうだけだ。そして日々の精進を怠りなく行なっていくことが大切なのである。自分自身を見つめる心こそが夢の世界に近づくコツなのかもしれない。
障害者自立法案が廃止になる。これはとても良いことだ。

2009年9月19日 (土)

田川紀久雄日記

政治がどう変わろうが、貧乏人である私はどうにも変わりようがない。詩人というものはひたすら自分の生き方を徹するしかない。世の中に媚びることがない。
昨日古書店で西田幾太郎全集の第一巻・二巻・三巻を百円で買った。こんなに安くて良いのだろうか。それもまだ読んでいない綺麗な本だ。金がなくても心を贅沢にさせてくれる。最近は昔ほど本を読まなくなっているが、心のよりどころにしたい本は出来る限り読んでゆきたい。
絵画をこのところ見なくなっている。それはこちらの心を熱くさせてくれるものに出会わないからだ。現代美術はほとんど関心がない。頭で見る絵は疲れる。絵はやはり心で見るものだと思う。音楽にしろ、詩にしてもそうだと思う。心に感じてこないものを、理屈をつけて見るのは耐え難い。何でも最初の出会いですべてが決まってしまう。芸術とはそういうものだと思う。
詩の朗読も最初の出会いが大切である。だからこそひたすら精進をしていくしかない。絵と違って朗読は、努力していけば成長する世界である。才能よりも努力がこの世界には必要なのである。それゆえに私もまだ語りを続けていられるのだろう。これが芸の世界なのだ。芸は長い時間をかけて生み出してゆくものである。才能のない私は時間の中で成長してゆくしかない。牛のようにゆっくりと歩んでいくしかない。

2009年9月18日 (金)

田川紀久雄日記

酒井法子のテレビ報道は異常だ。いかにテレビ報道がくだらないかを物語っている。国民にとってもっと必要な報道があるのに・・・。
いままでの自民党の政治がいかにデタラメであったのか。国民を無視した政治であった。官僚任せの投げやり政治であった。これを本当に変革できるのか。民主党の政治を期待したい。自民党がこのままだと立ち直れない。もっと深い反省がなければ国民は自民党を応援しなくなる。そうすると二大政党が成り立たなくなる。良い意味で自民党が変わってもらいたいものだ。
昨日は足腰が非常に痛んだ。夜中足が曲がらなくなった。お灸をしてなんとか足を曲げることができた。
ある詩誌の代金がまだ入ってこない。連休の生活費に不安を感じる。お金が入ったら矢向(近所)の温泉にでも行ってみたいと思っている。
癌を通じて人の為に生きなければならないのに、こう足腰が悪くてはどうにもならない。
浜川崎にまた八ヶ月ぶりにリュが戻ってきた。お産を終え子育ても無事に終わったのだろう。新潟のワイン工場(カーブドッチ)にも猫が五十匹いた。イギリス風の庭はとても感じがよい。その中に猫がいっぱいいる風景は長閑で気持がよい。このようなところで泊まりたいものだ。それに温泉がある。動物は人の心を癒してくれる。そういえば鳩山首相の犬が老衰でなくなった。それも首相の任命をうけた直後にという。心にうたれる話だ。

2009年9月17日 (木)

田川紀久雄日記

鳩山内閣が誕生した。八ツ場ダムの中止を前原国土交通大臣が宣言した。どう住民達を守っていくのか。
文化は生活者から見ればまったくの無駄にみえるものだ。絵画などは無駄な収入があるから絵も売れたりする。無駄といっても、本当の無駄と、無駄でない無駄がある。心を支える文化は人が生きるために必要な世界である。
いまの経済状態では芸術家は生きにくい世の中であることには間違いがない。詩人達の朗読も生温い世界にとどまっていては、ますます世の中から見放されてゆく。命懸けで行なっている詩人だけがやっと生き残れるかもしれない。
本当に人明かりの語りを求めていくしかない。『青森挽歌』を稽古をしていると、いままで見えていなかった世界が少しづつ見えはじめてきた。生きているあいだにどこまで深く語ることができるのだろうか。
昨夜は良く眠れたのに、身体の疲れがなかなか取れない。
シフ(ピアノ)の平均律を第一巻と二巻を通して聴いた。ほんとうに心が癒される。

2009年9月16日 (水)

田川紀久雄日記

新内閣が発足する。大きな時代の変革につながってゆくのどろうか。日米の時代から抜け出ることができるのだろうか。そし国民の生活がどう変化するのだろうか。国民の一人としてじっくりと見つめてゆきたい。
内股の付け根が痛む。ちょっと歩くにも不自由だ。
次のライブにむけて青森挽歌を深い泉から汲み上げる作業に取り掛からなければならない。語りの面白さを表現してゆきたい。そしてもっともっと多くの人の前で詩語りを行なってゆきたい。
新潟ライブのDVDの製作を始める。市島三千雄さんの詩を多くの人に知ってもらいたいものだ。市島三千雄さんお詩は二十一編しかない。それも二十代前半までの作品しかない。明治四十年生まれだが、優れた詩は古くはならない。いつの日にか全編を語ってみたいものだ。このところ語りの面白さを掴み始めてきた。大切なことは語ることが好きなことである。好きな道はどんどん深めていける。きっと人々の心を掴み取ることのできる詩語りが生まれる。そう信じて日々精進をしていくしかない。

2009年9月15日 (火)

田川紀久雄日記

胃の調子が悪い。やはり疲れのせいかもしれない。
政治が本当に大きく変化するのだろうか。庶民の生活がいくらかでも改善されてゆくのだろうか。とても楽しみだ。良い方向に進んでくれることを祈るだけだ。
希望そのものはあまりないが、いま精一杯生きていられることが希望そのものだと思う。希望は未来にあるのではなく、いまいきているその場にあるのではなかろうか。その一つ一つの積み上げが希望の本質であると思う。人は何のために生きているのだろうか。その意味を求めて答えを出しているのもいまという時なのである。人明かりの旅でいつは「私は癌になって本当に生きている歓びや、いのちの尊さを知った」と述べている。
次の人明かりの旅は、三鷹の画廊で宮澤賢治の世界を語る旅である。これは山本萠さんのおかげで決まった。この旅にむかってまた語りの精進を行ってゆくだけだ。
小笠原眞さんよりカンパをいただいた。ありがたい。
今日は日暮里で坂井信夫さん熊谷さんと会う。画集の打ち合わせである。亀岡新一詩集の製本が上がったと保坂さんより連絡があった。生きていることの有り難さを身に沁みて感じる。

田川紀久雄日記

胃の調子が悪い。やはり疲れのせいかもしれない。
政治が本当に大きく変化するのだろうか。庶民の生活がいくらかでも改善されてゆくのだろうか。とても楽しみだ。良い方向に進んでくれることを祈るだけだ。
希望そのものはあまりないが、いま精一杯生きていられることが希望そのものだと思う。希望は未来にあるのではなく、いまいきているその場にあるのではなかろうか。その一つ一つの積み上げが希望の本質であると思う。人は何のために生きているのだおるか。その意味を求めて答えを出しているのもいまという時なのである。人明かりの旅でいつは「私は癌になって本当に生きている歓びや、いのちの尊さを知った」と述べている。
次の人明かりの旅は、三鷹の画廊で宮澤賢治の世界を語る旅である。これは山本萠さんのおかげで決まった。この旅にむかってまた語りの精進を行ってゆくだけだ。
小笠原眞さんよりカンパをいただいた。ありがたい。
今日は日暮里で坂井信夫さん熊谷さんと会う。画集の打ち合わせである。亀岡新一詩集の製本が上がったと保坂さんより連絡があった。生きていることの有り難さを身に沁みて感じる。

2009年9月14日 (月)

田川紀久雄日記

朝起きて直ぐに昨日のライブのビデオを観る。市島三千雄さんの語りにももっと工夫していかねばならないと感じる。坂井のぶこさんと聲の出し入りを上手くしていければそれなりに聴かせるものができるように思えた。それと私の講演はやはり上手くない。苦手だ。でも癌のことについては仕事がきたら話してゆきたい。失敗を繰り返しながら成長していくしかない。宮澤賢治の朗読は皆さんが歓んでくれたことはありがたい。涙を流しながら聴いてくれた人もいた。みなさんおあたたかい声援が身に染みてありたがった。市島三千雄さんの語る会の皆様にビデオを作製して渡したいと思っている。
二次会にも十数人も集まっていただき有り難かった。日曜日は午前中に坂井さんお姉さんに案内してもらいワイン工場見学をした。午後に鈴木良一さんと斉藤さんと駅前で待ち合わせて一時間ほど話せた。癌になってから二度も新潟に行けたことは不思議に思える。あれほど新潟に遠かった私がいまはまじかに感じられる。坂口安吾もこれから読んでみたくなった。これからも人明かりの語りを求めて旅ができることを祈りたい。

2009年9月13日 (日)

田川紀久雄日記

新潟から六時三十分に帰宅する。
昨日のライブには大勢の人たちが集まってくれた。本当に感謝をしたします。市島三千雄さんお詩語りも評判が良かった。こんなありがたいことはなかった。鈴木良一さんや会の人たちに熱く御礼を申します。それに新潟県現代詩人かに方にも感謝。そして会長の田中さんにも最後まで付き合っていただき有難うございました。そして坂井のぶこさんのお姉さんにも大変ご迷惑をおかけした。この旅のイベントにも協力していただいた。この度の思い出は深く胸に焼きつかれる。それだけ良いライブであった。

2009年9月12日 (土)

田川紀久雄日記

昨日はあまり眠れなかった。今日新潟で語りと講演ができることは本当にありがたい。一度も人前で講演を行なってことがないので不安感はある。これも良い経験につながる。いろんな人に助けられて生きている。そのことに感謝をしなければならない。私も困っている人たちに手を差し伸べていきたい。そしてもっともっと語りの豊かさを求めていかなければならない。努力を続けていけば必ず報われるものだ。それには耐えることの精神力が求められる。それさえ出来れば、生きてゆくにの何の不安もない。
高校生の就職が大変である。仕事がない。失業率がますます増えていくばかりだ。これは政治だけでは解決できない。しかし政治の指導力が大切である。自然を生かす仕事を増やしていくことがいま求められているのではなかろうか。日本の職種の中で職人が消えていく。職人が生きていける社会を生み出す世の中になってもらいたい。家を建てるにも組み立てのうさぎ小屋では職人は育たない。もういちど日本の文化を見直す必要がある。語り芸も日本の文化の一つであった。それがほとんど消えかけている。人に優しく語りかげる文化は、語り芸の原点でもある。人の心を思う気持が人の心の豊かさにつながってゆく。義太夫では情を語るとが一番大切なことであるように。
明日のブログ日記は夕方になります。

2009年9月11日 (金)

田川紀久雄日記

三ちゃんの仔猫が五匹元気に育っている。鋼管通交差点の産業道路寄りにゴミ捨て場がある。そこで餌をあさっていた。猫の餌をもっていって与える。とても可愛い仔猫たちである。生きていくことは大変だと感じる。たくましく生きている姿をみると私も勇気付けられる。浜川崎のランランにも五匹の仔猫がいる。鶴見線沿えに隠れて住んでいる。お父さん猫がこの仔猫の世話をしている。不思議な光景である。こちらも元気に育っている。猫を飼ってみたいが狭い部屋では無理だ。それに私がどれだけ生きられるか解らない。
いま星と仔猫を見ることが一つの生き甲斐になっている。心が疲れている時の癒しになる。急に夏が終わって秋になったせいか、心にぽっかりと穴が空いた気持だ。夏の疲れが一気に押し寄せてきたのかもしれない。
ここ数日、腿のつけ根のリンパ腺が痛む。ちょっと歩くにも不便である。まさか癌の転移ではないだろうと思う。癌を抱えていると、身体の痛みを感じると不安に煽られる。九月二十四日に血液検査がある。末期癌であることは、無意識にも心の負担が大きい。それが疲れにもでてくるのだろう。そして精神的不安にもかられてしまう。日々の語りの稽古にもやや疲れを覚える。イチローの生き方を見ているとやはり凄さを感じる。どんなときにも練習に打ち込む姿勢はなかなかできないものだ。そこが普通の人と違うところだ。私も人明かりの世界に向けて頑張って生きてゆかねばならない。
池山吉彬さんと井原修さんから原稿が届く。
詩誌受贈『雨期・53号』『たまたま・18号』

2009年9月10日 (木)

田川紀久雄日記

四時に起きて空を見た。オリオン座・アオイヌ座・うさぎ座・はと座が美しく輝いていた。川崎の空で初めて見た。これから三時頃に起きて夜空を観察するのも楽しいものになる。鬱的なときには、夜空の星々を見るのは心を落ち着かしてくれる。
語りを呼んでくれることに対して、私が出来ることはただただ日々の精進を舞台に乗せることしか出来ない。呼んでいただけることは本当にありがたい。私達の語りが聴きたいという中で行なえることが望ましい。人の心をなごませるものを作り上げていくことだ。
唖蝉坊の聲もやさしく美しかったという。あの顔の写真を見る限りそのようには思えないのだが、生き残ることには、ただ怒鳴っていたのでは飽きられてしまう。人の心をすくい上げていく聲を持たなければならない。詩語りを世の中に広めていくには、やはり多くの場所で語ることしかない。末期癌と関係なく、語りそのものの魅力を作り上げていくことだ。あとでこの人が末期癌であったのかと気づいてくれればそれでよい。末期癌を売り物にした興行は行ないたくはない。
市島三千雄さんの詩を語っていて気づいたことは、難解な詩でも言葉の一つ一つを丁寧に語っていければ、詩のもつリズムや言葉の豊かさを表現できる。そこに気をつけて語りの世界を構築するしかない。そう思って語ると不安であったものが消えてゆく。十二日には市島三千雄さんの詩を数編語ることに自信がもてる。

2009年9月 9日 (水)

田川紀久雄日記

毎月倒産が100件以上もある。失業者も増加の一途であるという。それと天候不順で野菜農家は大変な状況にある。減反も石破農林大臣も減反を勧めたが反対勢力で潰された。日本の食料自給率は40パーセントである。先日松之山に行ったが、田圃が減っている。農家が安心して農業ができる方法はないのだろうか。新しい政府がどこまでできるのか、不安であるがいくらか期待をしたいものだ。
嶺31号を印刷場に送る。信仰をもっている人たちの生き方には、生きる美しさを感じる。いまこの生きる美しさが失われている。鬱になる原因もこの美しい生き方ができないところにある。宗教でも御神体を100万で売りつけるひどいものもある。信仰は観念のもんだいではない。あくまで心の問題である。この心を脳の作用と受け止める考え方がどこか間違っているような気がする。心の問題はその人の生き方そのものである。無意識の領域も多いはずだ。脳の判断力だけで心をとらえるのは危険である。
高橋馨さんがブログでルソーの「エミール」について書かれている。とても興味深い。人生の生き方そのものを学んでいる時が一番幸福感を味わえる。この幸福感をどうしたら語りの聲に生かされるのか。心をもっともっと見つめる生き方の中からしか聲の豊かさが生まれてこないのかもしれない。

2009年9月 8日 (火)

田川紀久雄日記

イチローが2000本安打を達成した。大変な記録である。これを可能にしたのは、日々の練習しかない。テレビで彼は毎日同じことをくりかえしているのに・・・というコマーシャルある。この毎日がなかなか出来ないのが普通のひとの限界である。これをやりぬく精神力が天才をつくりあげる。初めから天才などいない。また毎日練習したからできるともいえない。目的を持たない練習など何の意味もない。つねに目標をもって努力することが一つの成果に結びついてゆくものである。
人明かりの聲を生み出すためにも、目標をもって毎日の繰り返しが要求されている。ライブを行なったから上手くなるものでもない。その前にどれだけ日々精進をしているかが、ライブの質を向上させていくものである。ひたすら聲を出し続けてゆく以外にはライブを成功させることはない。朗読をする詩人達がどれだけ日々聲の精進を積んでいることかわからないが、今のところ私の心をうつ聲を聴いたことがほとんどない。『詩人の聲』に参加している詩人達の噂が広がっていかないのは、個々の努力がたりないせいなのかもしれない。天童氏がひたすら聲を打ち込めといっているが、本当に真剣になって聲を打ち込んでいる詩人が何人いるのだろうか。まだまだ時間がかかるだろうが、日々聲を打ち込んでいる詩人はきっとその成果が現れてくる日があるだろう。そのような詩人が出現してきてもらいたいものだ。
民主党のマニフェストに書いたことの中でも、高速道路の無料化は変えても良いのではなかろうか。国民の聲を聴くことはマニフェストを変えたことにはならないと思う。国民の目線というからには、国民の聲につねに耳を傾けることも必要なのである。つねに謙虚である政治が求められているのではなかろうか。

2009年9月 7日 (月)

田川紀久雄日記

季節の変わり目なのか身体がちょっと辛い。そのせいか鬱的状態に落ち込んでいる。もうすこし緊張感をもって生きなければいけないとおもうのだが。
語りの稽古を行なうにはこれから良い季節を迎える。暑くもないし、寒くもない。市島三千雄さんの詩の語りはやはり難しい。それは詩に原因があるのだと思うが、行なう以上納得のいく語りを行ないたいものだ。
九月十日は自殺予防デーである。欝は自分の力だけではなかなか治らない。酷い鬱に落ち込んだら病院にいく以外にはない。自殺者は相変わらず減る傾向にならない。政治の力でどれだけ減らせるのか。民主党は早く、失業対策を講じなければならない。いままでの自民党があまりにもいい加減でありすぎた。景気を上向きにするのはどうしたらよいのか。生活の不安が一番鬱の原因になりやすい。
末期癌者の痛みのケアーがまだ今の日本では対策がたてられていない。末期癌は医師の手で治せないと、病院から追い出される。この一味のケアで、金儲けをする企業がでている。モルヒネの治療が簡単に受けられるようにできないものだろうか。緩和医療機関があまりにも少なすぎる。生活と医療の問題を早く解決してもらいたいものだ。これは政治の力でしかできない問題でもある。国民はどこまで民主党の政策を信頼していけばよいのか。今の日本は多くの問題が山積みにされている。
私に出来ることは人明かりの語りを目指して精進していく以外にはない。じぶんにしか出来ないことを目指して日々努力していくことが、今を生きるということに通じる。鬱に負けないように今を真剣になって生きよう。

2009年9月 6日 (日)

田川紀久雄日記

操車場の印刷と製本の仕事で疲れができたのか、昨日はほとんど寝てしまった。無理をすると身体の調子がおかしくなる。寝すぎたせいか心の中が空っぽになっていた。
ある宇宙科学者は、死とは、肉体から心が消えてゆくことだ、と言っている。私はそのような考え方を受け入れることは出来ない。肉体から心が消えてゆくが、心そのものが消えてゆくとは思えない。心の形を表面的に残すこともできる。それは例えば芸術的な表現の中に心の痕跡は残せる。でも本来の心とは無であって無でないものとしかいえない。神は存在するとか、しないとかの問いは虚しい問いである。仏教などでは、仏は自分自身の中にあるという。病に犯されているひとには、宗教観をしっかり持っているひとは、持たないひとより免疫力は違う。魂は生きているあいだだけのものという考え方はとても寂しいものだ。
自然の営みを観察していると、そこにはつねに神秘を感じてしまう。神秘という字も神と秘密の字の秘の組み合わせである。この神秘という感覚を大切にしてゆくことが必要なのではなかろうか。
詩の語りの世界も、この神秘を求めての旅なのかもしれない。眼に見えない深い世界を求めて生きることが生きる勇気を与えてくれる最大の要因であると思う。今週の土曜日にライブがある。心を励まして毎日生きていたい。

2009年9月 5日 (土)

田川紀久雄日記

操車場28号が出来た。発送も行なった。山本萠さんのおかげで年間購読者が増えた。本当にありがたい。読み応えのある詩誌をめざしていかなくてはならない。
いま南極の氷がとけるのが思っていたより進んでいる。もう経済優先の世界では未来の地球が危ない。川崎も数百年ほどで水浸しになることもありえる。高速道路の無料化はいかがなものかと思う。一日もはやく電気自動車の普及になれば話がちがうのだが。横浜市ではコンビニに電気のスタンドができた。まだ数は少ないが商業地には必要だ。未来の地球のことを思ってこれからの経済発展も質を変えていかざるを得ないだろう。
神戸の島田画廊の島田悦子さんが胃癌でなくなった。末期癌の宣告を受けたのが、わたしとほぼ同じ時期であった。島田誠さんが神戸文化支援基金を設立した。市民が支える芸術を目指している。この話は山本萠さんから送られてきた新聞で知った。
私の周囲でも癌で亡くなっていく人がいる。こうして今も生きていられることが不思議な気がする。癌患者達への支援を詩語りを通じて行ないたいと願っている。生も死も同じ地平にあることを伝えてゆきたい。キリスト教では亡くなったらおめでとうというという。それはキリストの側にいけるからだ。死は決して悲しいものではない。それも一つの尊い考え方である。死を身近に感じて生きていくことも素晴らしい人生だと思う。いのちの尊さを身体全体で受け止めて日々が送られる。これほど素晴らしいことはない。生の深さを詩で表現してゆきたい。詩人達にはそれほど相手にされないが、今の私に出来ることをして生きていたい。

2009年9月 4日 (金)

田川紀久雄日記

楽天を応援しているのだが、西武に二連敗をしてしまった。なんとしてでもパリーグの三位に入りたいものだ。
民主党の幹事長に小澤氏に決まる。やはり小澤氏の権力の重さを感じてしまう。どこまで政治の質が変えられるのか、見守っていくしか今はない。政治の体制は、国民が変えられるのだという意識をもって、それを実行したことが今度の選挙の大きな意味であった。でも国民の都合だけで政治が変わるのも、政治そのものを危険な状態に陥れることにもなる。ここが政治の難しさであろう。そのためにはもっと国民が賢くなっていく必要がある。でも大衆の原点は個人主義である。個人の幸福の上に政治をみてゆく。個人の幸福は、すべての人たちが幸せになることによって、本来の個人の幸せが持たされるものなのだ。いのちの大切を見つめていけば当然そこに行き着く。
操車場にあと二人の書き手が増えないと、経費の面で赤字である。毎月作品を書ける詩人はそう簡単に見つからない。
詩語りの仕事も、どうしたら増やすことができるのだろうか。生活費を稼ぐためにも努力しなければならないのだが、詩人である私は営業にたいしてはまったくの無能である。だれかマネージャーが欲しいものだ。そのためにももっと精進をしていかねばならない。本当に人の心をうつ語りを行なうことしかない。生活費が稼げるだけの仕事を取りたいものだ。

2009年9月 3日 (木)

田川紀久雄日記

民主党がまだ現実に動き出していないのに、報道ではあれこれと非難や不安を煽り立てている。これは国民が選んだ政党なのだから、あたたかく見守っていくことが必要である。ジャーナリズムが今の日本を悪くしている。テレビに出てくる解説者や評論家はロクな人ばかりだ。
やっと操車場の原稿が揃った。今日と明日で印刷と製本を仕上げたい。日曜まで送れるように頑張ってみよう。
癌の治療に、鐘の音や自然の音が脳に刺激を与えて良い効果が現れるという。癒す音色は確かに免疫力を高める力がある。人の聲も当然人の心を癒すものがある。癒す聲とはただ聲が大きければよいというものではない。温みのある心からうまれてくるあたたかい聲である。それは日本人が生み出してきた芸能の聲も免疫力を高める。丹田から発した聲である。詩人達が発している聲とはほど遠い聲である。いまの詩人達の多くの聲は人の心を苦しめる聲である。それは聲を鍛えていない、生の聲であるからだ。美味しい水でも六年十年と山の中に蓄えられ濾過しか水は美味しい。それと同じように聲も長い年月をかけて作りあげていくものである。一年や二年で聲が出来るものではない。生涯をかけて作りあげていくものである。それも日々の精進があってこそ、生きた聲が生まれる。人明かりの聲はそのような聲である。

2009年9月 2日 (水)

田川紀久雄日記

政権が交代したにも関わらず自民党は、駆け込みの天下りを行なっている。これでは自民党は立ち直れないだろう。国民を無視してきた政治がこの度の敗北の原因である。そのことぉ謙虚にうけとめなければならない。消費者省の立ち上げもおかしなことだ。自民党はまさにブレーキのかからない暴走列車以外なにものでもない。麻生政権ではどうにもならないことがわかっていたのに、これをい停める運転手がいなかった。
弦楽四重奏曲はベートーベンもよいが、ブラームスの曲も良い。狭い部屋で聴くには交響曲より室内楽がやはりいい。音楽は一日中聴いていてもあきない。できることなら良いステレオの装置がほしい。柔らかく温みのある音が欲しい。
熊谷さんと夕方に西日暮里で会う。亀岡新一画集の別冊のフロッピーを渡すことにしている。
市島三千雄詩集を読み込むことは大変である。十二日まで自分なりに納得のいく語りの世界を作り上げたい。踏み込んでいくほど難しくなってゆく。まるで迷路のような世界である。いろんな詩人の詩を語ることで、詩の心の深さを体験できる。詩人たちは自作詩だけ朗読をしていては、本当の朗読の醍醐味を知らずに終わってしまう。聲の深さを知るためにも多くの詩人の詩を聲に乗せてゆくことが求められる。聲というものは出せばそれでよいというものではない。聲の心を掴みとってゆく努力が大切なのである。人の褒められることより、自分の聲を少しでも深めることに精進をしてゆくことがいま求められているのではなかろうか。
音楽を聴くことも、聲を磨くに役立つ。いい演奏は深みと温みを持っている。朗読や語りも深みをもっともっと努力をしていかないと、人々から無視されていく運命になってしまう。

2009年9月 1日 (火)

田川紀久雄日記

今日から九月だ。台風もそれほどの被害もでずに通過していった。身体の疲れも抜けてまた頑張って聲の精進をしていかなければならない。
よい意味で二大政党が熟成していけば、国民が政治というものを身近に感じられるようになる。しかし、二大政党だけでは、本当の国民の聲を救い上げることができない。他の党もやはり必要なのである。世界の国は二大政党から三大政党に移行する国も現れている。そういう意味では、まだまだ日本は政治が未熟である。まずアメリカの傘の下から抜け出ることが必要である。軍事の問題が大きいが、やはり憲法九条を守っていく姿勢を忘れてはならない。風の流れで政局が大きく変化するのも考え物だ。でもこの度の自民党の敗北が、国民の審判をうけずに、盥回しの首相では当然国民の怒りをかうのは当然であった。
嶺31号の校正ゲラを坂井信夫さんに送る。仕事があることはありがたい。次の詩集を作るための資金をためなければならない。『未来への旅』三部作が完了できる。これは私の代表作になると思う。そしてこれを多くの人の前で語ってゆきたい。

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