田川紀久雄日記
朝目が覚めたらどっと疲れがでた。身体全体がつらい。
本当に生きていない人間が、頭で詩をかいて一体どうなるのだろうか。身体と詩と言ってみたところで、頭で考えた身体なんて何の意味ももたない。言葉のまえに身体があることを忘れている。
この一ヶ月、芸能人の麻薬問題で、選挙戦のニュースがすっ飛んでしまった。日本の民間の放送局は最低である。政治改革云々以前に、自分達の報道の改革が必要ではないのだろうか。たんなる野次馬報道では困るのだ。日本そのものが沈没寸前なのに、グルメ番組やクイズ番組でお茶の間をにぎわしている。人を馬鹿にしているのかといいたい。
失業者が増えているのに、何の対策も打てないでいる。民主党が天下をとってもこの問題は簡単には解決しない。一度は政権を変えてみたい気持は国民には大いにあるだろうが、政治家がどれだけ日本の未来を考えて行動をしているのか疑いたくなる。
詩人はひたすら茨のみちを一人であるいていくしかない。これが詩人の原点なのである。名もないことは素晴らしいことだ。孤独の中でこそ詩が耕されていく。詩という田畑は、手を抜いたら実がならない。毎日毎日黙々と耕し、大地と対話をしていかなければならない。人の顔色を伺ったってどうにもならない。人にけなされてどうも有難うというの気持が大切なのである。人に馬鹿にされて有難う、と言って生きているのがいいのだ。心を見つめて生きていくということは、無垢になって生きていくことでもある。こうして一瞬を生きていられることに感謝する。生きていられる生に感謝をする。人への愛もそこから生まれてくる。詩の生まれるふるさとがある。
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