田川紀久雄日記
穂谷さんから桃が送られてくる。いただけるものはありがたいものだ。何とかして生活費を切りつめていかなければならないからだ。毎月六万円の赤字が続いている。詩語りの仕事が時々入る頃とによっていくらか助けられている。
玉地任子著『いのち、生きなおす』(集英社)を読んでいると、最期をどこで迎えるかを考えさせられる。医療は治すのが目的であるが、癌の場合、治療が無理な場合病院は最期までは見てくれない。死に逝く人間が安心してこの世を去れる場所ではない。この問題はまだまだ日本では深く考えられていない。普通死は病院でと思っている人が多すぎる。それだけ死に対して深く考えることをしていないのだ。死は観念の世界ではない。死は本来自然の姿の一つなのである。いま私は死を受け入れながら生きている。そのことによってより生が豊になっていける。無という言葉も、言葉として存在するのではなく生の一部として深く身体に浸透していける。末期癌であることによって、言葉の概念が剥ぎ取られていける。そのことは素晴らしいことでもある。詩を語る場合しても、書かれていない世界をどう語りに活かしていけるかを考えることができる。そのことによって語りに豊かさを増してくれる。詩人達の朗読に何も感動しないのは、ただ言葉だけにしがみついているだけだ。だから聲に深みがもてないのだと思う。癌になったことによって語りの世界が楽しくなってきている。物事が見え出してきている。それをどう語りの世界に活かせるかがこれからの稽古の意味を深めさせてくれる。
昨日の終戦記念日は坂井さんと二人でのんびりと家で過ごした。
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