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2009年8月31日 (月)

田川紀久雄日記

昨日は疲れでほとんど横になったままである。台風が今日関東地方に来る。
民主党が圧勝した。これはいままでの自民党の政治に夢が託せなくなったからのことである。民主党そのものお応援したからではない。ここにいまの政治の大きな問題が隠されている。これからは国民一人ひとりが厳しい視線を政治に向けていくことが求められている。
それに対して詩人の世界は、相変わらず国民から無視されつづけている。現代詩手帖派も詩と思想派も、いまは国民のだれも一人も支持はしていない。出版社の商売としてしか存在していない。詩人は信念をもって一人で生きていく世界なのである。詩人の聲は詩人達のためにあるのではない。生きていく人たちの為にある。本当にいのちを語れる詩人でありたい。そのためにももっともっと精進をしていかなければならない。
市島三千雄の詩を語ることの喜びをいま感じている。どうしたらこの世界を表現できるか。ただひたすら聲をあげていくしか今のところはない。彼の詩は決してシュールの世界ではない。かれの内的世界から生まれてきた世界である。その内的世界を丁寧に辿りながら聲を生み出していければ、人に聴かせることのできる語りの世界が生まれるはずだ。この作業に取り組んでいる私はとても幸福を感じる。難しく大変な世界であるが、難しいほど自分の生命力が湧き上がってくる。市島三千雄の世界を納得のいく朗読ができる詩人がいるのだろうか。語りは朗読と違って、言葉をアナウンサーのように丁寧に読めばよいというものではない。あくまで内的世界の探求が求められる。つまりいかに味をだしていくかということだ。そのためには何千回と読み込むことからしか始まらない。語り込むことで言葉の一つ一つが身体を帯びてくる。
市島三千雄と竹内多三郎は同じ明治四十年生まれである。そして坂口安吾が明治三十九年である。詩人の二人は二十代で優れた詩は書き終わっている。そこには時代の重さが隠されてある。

2009年8月30日 (日)

田川紀久雄日記

朝目が覚めたらどっと疲れがでた。身体全体がつらい。
本当に生きていない人間が、頭で詩をかいて一体どうなるのだろうか。身体と詩と言ってみたところで、頭で考えた身体なんて何の意味ももたない。言葉のまえに身体があることを忘れている。
この一ヶ月、芸能人の麻薬問題で、選挙戦のニュースがすっ飛んでしまった。日本の民間の放送局は最低である。政治改革云々以前に、自分達の報道の改革が必要ではないのだろうか。たんなる野次馬報道では困るのだ。日本そのものが沈没寸前なのに、グルメ番組やクイズ番組でお茶の間をにぎわしている。人を馬鹿にしているのかといいたい。
失業者が増えているのに、何の対策も打てないでいる。民主党が天下をとってもこの問題は簡単には解決しない。一度は政権を変えてみたい気持は国民には大いにあるだろうが、政治家がどれだけ日本の未来を考えて行動をしているのか疑いたくなる。
詩人はひたすら茨のみちを一人であるいていくしかない。これが詩人の原点なのである。名もないことは素晴らしいことだ。孤独の中でこそ詩が耕されていく。詩という田畑は、手を抜いたら実が
ならない。毎日毎日黙々と耕し、大地と対話をしていかなければならない。人の顔色を伺ったってどうにもならない。人にけなされてどうも有難うというの気持が大切なのである。人に馬鹿にされて有難う、と言って生きているのがいいのだ。心を見つめて生きていくということは、無垢になって生きていくことでもある。こうして一瞬を生きていられることに感謝する。生きていられる生に感謝をする。人への愛もそこから生まれてくる。詩の生まれるふるさとがある。

2009年8月29日 (土)

田川紀久雄日記

浦谷住んでいたことのある保坂成夫に連れられて松之山浦田に行った。高速道路の湯沢で降りて山を越えて松之山に入っていった。大変なところだ。湯の島温泉で一泊する。たぶん竹内さんの家の近くであろうとおもわれる。でも誰も竹内さんのことを知っている方には誰にも会わなかった。農協のそばにあった竹内さんの家の土蔵は二年まえに取り壊されていた。そこに佐藤さんという方が以前住んでいたが、いまはその家には誰も住んでいない。小学校も農協から直ぐ近くにある。坂口安吾がいた記念館にも帰りに寄った。我がいえに九時に帰りついた。よく身体が持った。自分ながら感心した。保坂さんにいろんなところを案内してもらった。

2009年8月28日 (金)

田川紀久雄日記

ホームレスが名古屋に集まっていくという報道を見た。ちゃんと対応してくれる。人間として扱ってくれる。本来生活保護を役所で拒むことは違法なのである。そこの生活保護課が都合でホームレスの人たちを拒否しているだけの話なのである。この原因を招いたのは政治と企業の責任なのだ。どの党もこの問題を取り上げていない。何が国民の生活を守るのだ。ふざけたことを言うなと叫びたい。黒いハトとか白いハトとか行っている。ハトはハトでしあない。政治家が正義などという言葉を言い出したら危ない状態である。
ホームレスのおじさんたちが踊りをしている。アートを通じて人間とは一体何なのかを追求することは大切なことだ。
マンガ家の卵達が集まって本を売ってそれで生活をしている人もいる。詩人なんかよりエネルギーがある。生きていくことはそんに生易しいものではない。自分自身との闘いの中でこそ生きられていくものがうまれてくる。末期癌である私は明日のことより、いま生きていることの意味が必要なのである。一瞬一瞬の中に人生の生きる歓びを見つけている。そして困って生きている人たちの幸せを祈っている。祈るしかなくても、その祈りは必要なのである。祈ることによって自分も強くなってゆく。そのことが大切なのである。
今日午後から松之山まで出かけてゆく。明日の夕方に帰る予定である。

2009年8月27日 (木)

田川紀久雄日記

リストラの嵐がいまも猛烈に続いている。一度仕事を失うと、二度と正規社員になれる機会を失う。年金や保険料など払えなくなる人が増えていく。これからの福祉政策が難しくなる。お金をばら撒けばよいという問題ではない。真から安心して生きる社会を作るには経済の発展がなくては不可能である。私のような貧乏人が増えれば、何も買えない人間になってゆく。そうすれば経済はますます冷え込むだけだ。
山本萠さんから石橋幸コンサートのチケットが送られてきた。石塚俊明さんお前の奥さんではないかと思う。以前一度お会いしている。石塚さんとは梅崎さんとの関係で何度か飲みあっている。萠さんが石橋幸さんのお知り合いとは。
市島三千雄が竹内多三郎と同じ年に生まれているとは奇遇だ。(明治四十年)
市島三千雄さんの詩を聲に載せるにはやはり至難なことだ。聲を出せば朗読になるという次元の問題ではない。十二日までには、数編しか語れないだろう。一年かけてじっくりと取り組んでいかにと自分の語りにはできない。言葉の内面をどれだけ聲で表現できるかということである。宮澤賢治や中原中也は十年以上もかかってここまできた。他者の詩を聲に乗せることはやはり大変なことである。朗読なら言葉を丁寧に読めばよいのかもしれないが、語りとなると朗読とはまったく別な次元の問題である。整体協会での語りも、聴いて初めて語りの意味がわかったといってくれた。『詩人の聲』から外されたのも、他の詩人達と違うからだろう。それでよかったのだ。
末期癌になってこうして元気に生きているのも、語りの世界を精進しているからだと思う。病と闘っていくことを決意したよって見えてくるものが一杯ある。その一つは、人の心である。優しさを持っているひとと、自分勝手な人との差がはっきりと解る。これは大変面白いことだ。

2009年8月26日 (水)

田川紀久雄日記

いまホームレスの人たちの生きていける場が失われている。南池袋公園も取り壊しになるという。炊き出しの場も失われてゆく。住民とのトラブルが起きるからだ。世間は思っている以上に冷たい。どう政治がかわっても、底辺で生きている人たちのあり様は変わらない。語りでは、彼らの生き方をどうすることも出来ない。とても悲しい。仕事を探しても何処にも採用されない。街中を歩けば買い物の人で賑わっている。だれもホームレスの人たちのことを考えていない。このたびの衆議院選挙でもこのことを聲を出して言う人はいない。友愛という言葉から切り捨てられている人があまりにも多すぎる。
でも私は詩語りの道を進んでいくしかない。人明かりをもとめていてもどうすることが出来ないことが多すぎる。私の周囲にも癌にかかっている人たちが増えている。早期発見が癌治療には有効なのであるといわれている。私のように末期癌と宣告された人たちが生きて行くには、強い生命力しか癌の治療方法しかない。普通の人たちは、それほど生きる勇気を持つことができないでいる。何も出来ないが、こうして生きている姿を表現していくことしか私には出来ない。人はいろんな事を言うが余り気にしないことだ。詩語りの世界が深まっていくことがきっと人明かりの道に通じているはずだ。それを信じて今は生きてゆくことである。

2009年8月25日 (火)

田川紀久雄日記

市島三千雄詩集が送られてくる。まずパソコンに移すことから始める。打つことで一字一句が見えてくる。手書きが一番よいのだが、手が痺れているのでそれは出来ない九月十二日なので、納得のいく詩語りをおこなうには数編しかできそうもない。
八月二十八・二十九日に松之山浦田に行くことをきめる。どうしても竹内多三郎さんのふるさとを見ておきたい。
小杉妙子さんよりお手紙をいただく。また来年の四月頃に行ないたいとのことだ。本当にありがたい。そのためにも少しでも深いものを行なわなければならない。いままで以上の精進をしていかねばならない。
亀岡新一詩集の件で、FAの書体がどこにもない。熊谷さんと西日暮里まで私のノートパソコンを持っていってデーターを保存してもらいにいく。これが上手くいくのかが心配である。新しい方法で印刷を行なうには、やはりいろいろと面倒なことが出てくる。これをクリアできれば印刷も新しい可能性が生まれてくる。そうすれば私の『末期癌ブログ日記』の本も出来る可能性が生まれてくる。そのためにも出前の詩語りの仕事を増やしてゆきたい。
昨日の新潟の日大文理の野球は凄かった。あと一点で泣いたが、これでよい。だれもが想像しなかったことをやり遂げたのだ。つねに諦めない精神がどんなに人生を素晴らしいものにしてくれるかを教えてくれた。新潟の人は耐えることには何処の人よりもある。やはり雪国の人間の強さが。私も新潟生まれだ。詩語りも忍耐との勝負なのである。人明かりを目指して自らを磨いてゆくだけだ。

2009年8月24日 (月)

田川紀久雄日記

蒸し暑い夜が続いている。寝たのか寝ていないのかわからない夜である。身体がつらい。
泉谷栄さんから沢山の食品が送られてくる。とてもありがたいことである。いくらかでも食事代が減れば、銭湯に行ける。語りの稽古で汗をびっしょり掻いたときはやはり銭湯に行きたくなる。市島三千雄さんの詩がいくらか語れるようになってきた。赤い旗は海が荒れたときに漁師がたてるものである。そして白い旗は海にでられる合図である。蒲原の田園を描いた佐藤哲三の絵を思わせる。まだ市島三千雄詩集が送られてきていない。早く詩集を読みたい。
柴野毅実著『凝視と予感」(玄文社)が送られてくる。とても読みやすい美術評論集である。私の好きな画家が紹介されている。木下晋さんを柴野さんに紹介したのは私である。紹介して良かった。長谷川龍生さんも木下さんと一緒に八月に柏崎で講演をしている。このきっかけを作ってくれたのが鈴木良一さんである。そして今度、私が新潟市で語りを行なうことが出来る。人に関係は繋がってゆく。そのためにはやはり本物になることが大切である。鈴木良一さんと泉谷栄さんとも友達である。まずは人を信用することだ。ハッタリの人生では本当の友達づきあいは出来ない。私の周りにはたくさんの友達がいる。本物の語り芸人になることによって、もっと友達の輪が広がっていけそうだ。

2009年8月23日 (日)

田川紀久雄日記

国の予算が余っているのではないのに、自民も民主も派手な金のバラマキでは未来の日本が不安である。前の小泉内閣で、福祉の徹底的に予算を削ってしまったおかげで歪んだ社会が生み出された。福祉で働いている人たちの生きる希望すら取ってしまった。なんでも行過ぎた政策が世の中を駄目にする。
市島三千雄さんの詩を読んでみたが、なかなか難しい。自然の描写が凄い。ある意味では朗読を寄せ付けないものがある。詩の内側から攻めていかないと語りきることはできない。だからこそやりがいのある世界だ。十二日までどこまで語りきることができるか不安でもある。
こうして今なお生きていられるから市島三千雄の詩との出会いがある。癌に負けないでいきることの素晴らしさを感じる。詩の内面をいかに聲にだしていくかが詩語りのいのちなのである。ただ聲が大きければよいというものではない。大切なことはいかに聲にいのちをつぎ込んでいけるかということである。ただ聲が大きいだけでは聴く方が疲れてしまう。人の心を揺り動かす語りをしてゆきたい。いま生きられていることの大切さを感じながら、つねに精進していく以外にはない。生きていることは素晴らしいことだ。この素晴らしを感じられることが生きる歓びの秘訣である。

2009年8月22日 (土)

田川紀久雄日記

昨日の夕方川崎で熊谷さんと会う。活字のソフトを渡す。
昨夜は蒸し暑くあまり眠れなかった。
高橋馨さんの原稿がメールで入る。パソコンは本当に便利である。でも私はパソコンが苦手である。ホームページも出来ない。それにいろんな動作がわからない。パソコンでビデオをDVD化したくでも出来ない。つまり面倒くさいことが嫌いなのである。最低限のパソコンしか出来ない。それに解説書読んでもチンプンカンである。パソコン用語がまったく理解できない。
鈴木良一さんに電話をいれて市島三千雄詩集を送ってもらうように頼む。できれば九月十二日にいくらか詩語りを行ないたいと思っている。といっていい加減な語りだけはしたくない。何篇読めるか解らないが、納得のいくものを作り上げたい。言葉と身体が一致になれる語りを目指していかねばならない。頭で物事を考えていてはいつまで経っても本当の語りはできない。身体に浸み込ませることから語りが始まるのだ。そのためにはひたすら同じことを繰り返すしかない。一篇の詩でも何千回も聲に出して読むことで、その詩の一部が解り始めてくる。たったの一ミリ進むことがいかに大変なことなのか、だからこそ精進することが楽しくなるのだ。つねに迷いの連続である。迷いが語りを深めてくれる妙薬なのである。

2009年8月21日 (金)

田川紀久雄日記

昨日は納得のいく語りができた。皮が一枚剥がれた感じがした。初めて詩語りを聴く人たちで心配もしたが、皆さんが真剣になって聴いてくださった。本当にありがたい。岩波で山鹿さんの本のお販売を担当している人もいた。踊りをやっている人もいた。説教節の若松若太夫さんの聲を聴いた人もいる。皆さんがとても耳が肥えている人たちばかりだ。その中で詩語りが出来たことは最高の歓びであった。坂井のぶこの語りも良かった。浜川崎の自然を語った。これで私達は自然といのちについて語ってゆける見通しがたった。小杉さんに感謝するだけだ。
精進をしてきたことがいくらかでも報われた。『詩人の聲』から外れたことも気を楽ししてくれていた。肩に力をいれなくても自由に聲が出せたことはこれからの生き方に大きなプラスになる。
鈴木良一さんから市島三千雄生誕百年祭記念誌が贈られてくる。『ひどい海』とてもいい詩だ。驚く。新潟にもこのような詩人がいたとは。鈴木さんから『ひどい海』を語ってもらいたいとの依頼がある。ありがたい。鈴木さんとの縁から市島三千雄さんの詩が語れるなんて夢のような話だ。私達のレパートリーに加えられる。私も越後の生まれだ。まだまだ私のは残された仕事があるらしい。癌に負けてたまるものか。語りの夢が広がっていく。これからも生きる勇気を与えられる語りを目指して精進をしていくだけだ。

2009年8月20日 (木)

田川紀久雄日記

午前中に病院。夕方横浜の整体稽古場で詩語りライブ。
本当に聴いてくれるライブを目指して生きていたい。言葉を読むのではなく身体の奥から生まれてくる言葉を聲にして伝えてゆきたい。言葉で言うのは簡単だが、それを行なえるになるにはまだまだ精進を続けていかなければならない。それが出来れば自然と語りの仕事も入ってくると思う。才能のない私にはひたすら努力以外にはない。
一日でも語りの稽古をしないと気分が悪い。聲を出すことで心が洗われる。その日その日によって語りが違う。まったく同じに語ることができない。ちょっとした心の動きで語りが違ってくる。だからライブはいつも緊張をする。
このところ語りながら詩をもっと書かなければならないと感じている。本当に世の中に伝えたい世界を書きてゆきたい。そのことで語りの世界を広げてゆける。死の不安を取り除ける世界をかたらなければならない。無という言葉の概念ではなく、無そのものの実態を語らなければならない。詩の力はそれを持っている。
鈴木良一さんから新潟ライブの交通費が送られてくる。この暑さに負けずに精進をしてゆくしかない。本当に人明かりの旅ができることを願って生きていたい。

2009年8月19日 (水)

田川紀久雄日記

朝コンビナート基地か石油の匂いが部屋の中に入ってくる。窓が開けられない。川崎はどきどきこの匂いに襲われる。やはり今も川崎は公害の街である。産業道路も車の排気ガスで息苦しいさを感じる。車も早く電気自動車になってもらいたい。
玉川信明の「日本のアウトロー烈伝」は読みやすい。辻潤を読んでいて、臼井さんの『安曇野』がとても参考になる。明治・大正・昭和を生き抜いてきた人たちの話はとても興味深いものがある。。それにくらべると、平成の時代は人間の生きる味を薄くしてしまった。文学が読まれなくなったことも頷ける。人間に魅力を感じないのだから、文学が成立するはずがない。まして本物の詩人などどこにも存在していないのだから、社会からそっぽを向かれるのは当たり前である。詩人になる以前の人間に魅力がない。大学の先生とかつまらない人間が詩人づらをしている。詩人には社会的知名度などまったく必要としていない。ただただ人間として烈しく生き抜くことだけが求められている。いまはそのような人間などどこにも見当たらない。そういう私にしても詩人としての資格がないのかもしれないが、詩語りに全身全霊で生き抜いている。そしていまは末期癌を通していのちそのものと向きああいながら詩を生み出している。貧乏という点では詩人として資格があるかもしれない。
魂を込めて詩を語れる詩人がみあたらない。情けない話だ。自作詩ぐらい魂を込めて語ってもらいたいものだ。

2009年8月18日 (火)

田川紀久雄日記

内面的な聲を出すのはなかなか難しいものだ。最近聲を張り上げるというより、心の奥からでてくる聲に重点を置いている。八月一日に行なったネパール音楽と朗読のDVDを観たがいまひとつ何かが足りないような気がする。語れば語るほど下手になって行くようだ。この下手であることを素直に受け入れれば良いのだがなかなかそうにはなれない。上手く語ろうという気持が語りを駄目にしているのかもしれない。
手の痺れや腰の痛みで「八味地黄丸」を買ってみた。ちょっと高いが二十日のライブのためには少しでも体調を良くしておきたい。抗癌剤の副作用ならいくら薬を飲んでもしょうがないのかも知れないが、腰の痛みだけは緩和したい。
今日衆議議員選挙の公示であるが、いまひとつ気が乗らない。政治は変えていかなければならない。それがどのように変えていくのかが見えてこない。ローム時代の政治をみていくといまの日本の政治は、国も国民もあまりにもばらばらすぎる。中途半端の豊かさが、国民を貧弱にしている。本当の豊かさは物の豊かさではないはずだ。これほど心の貧しさを露呈している時代はないのではなかろうか。だからこそ私は内的な聲の力を追い求めてゆきたい。人の心を豊にできる語りの世界を求めて生きてゆきたい。朗読で人の心を苦痛にさせる朗読なんてとんでもない話だ。詩人の知名度なんて朗読の世界では関係がない。あくまで自己に向かって闘っている詩人こそが求められているはずだ。人々は心を豊にしてくれる朗読を期待している。そのためにはひたすら精進していくしかない。

2009年8月17日 (月)

田川紀久雄日記

田中眞由美さんと古賀博文さんに送った詩誌が返送されてきた。住所が変わったのだろうか。
川崎詩人会の例会が昨日あった。集まりはいまひとつであったが、内容のある例会であった。身体的にはちょっと疲れたが、楽しいひと時であった。
会員のなかにリストラにあったひとがいるが、いまいちど首になるとなかなか再就職の道がみつからないようだ。政権が変わってもそう簡単に今の不景気はどうにもならないだろう。貧乏人にとっては生きにくい時代だ。幸福実現党などといかがわしいものが出てきているが、まったくめちゃくちゃな政党だ。政党としての理念をもっているのが共産党とはおかしな話である。自民党も民主党も理念に関してはいまひとつなにかが不足している。
詩人達も今の時代を反映しているのか、朦朧現象である。何を書きたいのか明確な詩が少なくなってきている。時代に向き合うことなく、趣味的な作品が多い。そういう意味では詩人達はこの時代の悲しさを描ききることが出来ないでいる。
昨日も『詩人の聲』を聴きにいったが、苦痛であったという人がいた。ただ自己満足で朗読をされては聴く側にとっては迷惑である。結局付き合いであるから我慢している。このような関係では詩人の朗読は良くなっていかないだろう。詩人達の朗読を嫌いになってゆくのがわかる気がする。精進をしない詩人など朗読に参加すべきではない。私の語りもヘボであるから人の倍も努力をしている。そしてもっともっとお互いに勉強をしあうことだ。昨日の川崎詩人会では、朗読に対してそれなりの勉強会だできたと思う。

2009年8月16日 (日)

田川紀久雄日記

穂谷さんから桃が送られてくる。いただけるものはありがたいものだ。何とかして生活費を切りつめていかなければならないからだ。毎月六万円の赤字が続いている。詩語りの仕事が時々入る頃とによっていくらか助けられている。
玉地任子著『いのち、生きなおす』(集英社)を読んでいると、最期をどこで迎えるかを考えさせられる。医療は治すのが目的であるが、癌の場合、治療が無理な場合病院は最期までは見てくれない。死に逝く人間が安心してこの世を去れる場所ではない。この問題はまだまだ日本では深く考えられていない。普通死は病院でと思っている人が多すぎる。それだけ死に対して深く考えることをしていないのだ。死は観念の世界ではない。死は本来自然の姿の一つなのである。いま私は死を受け入れながら生きている。そのことによってより生が豊になっていける。無という言葉も、言葉として存在するのではなく生の一部として深く身体に浸透していける。末期癌であることによって、言葉の概念が剥ぎ取られていける。そのことは素晴らしいことでもある。詩を語る場合しても、書かれていない世界をどう語りに活かしていけるかを考えることができる。そのことによって語りに豊かさを増してくれる。詩人達の朗読に何も感動しないのは、ただ言葉だけにしがみついているだけだ。だから聲に深みがもてないのだと思う。癌になったことによって語りの世界が楽しくなってきている。物事が見え出してきている。それをどう語りの世界に活かせるかがこれからの稽古の意味を深めさせてくれる。
昨日の終戦記念日は坂井さんと二人でのんびりと家で過ごした。

2009年8月15日 (土)

田川紀久雄日記

高田真さんが年間購読者になってくださいました。そして中村不二夫さんからも購読料が送られてきた。操車場に掲載された長谷川忍さんの詩「かなしみ」を褒めてくれた。質の良い詩誌づくりをしていかなければならない。安易な詩誌の交換は意味がない。最近どこの詩誌を見ても魅力が失せてきている感じがする。これは個人個人の書き手に問題があるのだろう。魅力のある詩詩は、真剣に今の自分と向き合っている姿勢がみられる。ただ作品を書いて発表しているだけの詩誌は少しも面白みがない。
絵も盗みたくなるような絵が最近みられなくなった。そして詩も買ってでも読みたいものが少なくなってきている。それだけい、いまは生きていることが難しい時代なのかもしれない。古書で玉川信明著『放浪のダダイスト辻潤』を購入した。いまなかなか辻潤の本もてが入らなくなっている。
私は詩語り馬鹿になりたい。馬鹿になりきる人生も楽しいものだ。人が非難するのはその人が敗北者だからだ。でも真の敗北者はダダイストでなければならない。生き方に徹して生きている人間には勝者もなければ敗北者もない。本当に生きている詩人の聲を聴きたい。現代詩がつまらないのは、その現代詩を書いている人間がつまらないからだ。政治家にしてもくだらない政治家が多すぎる。議員は三分の一はいらない。税金の無駄使いである。甘い言葉を垂れ流す政治家はこの日本を破滅させるだけだ。本当の福祉国家を作り上げるには、死にもの狂いになって闘ってもらいたい。国民は国家の奴隷ではない。本当の政治とは何かを本気になって考えてもらいたい。

2009年8月14日 (金)

田川紀久雄日記

足立時代に子供が飼っていたシーズ犬のモモが四月になくなっていたことを知る。十六年も生きていたのだから、歳といえばそれまでだ。でもなんとなく淋しい感じがする。
小杉さんから野菜が届く。旦那さまが作ったものである。二十日のライブが楽しみだと書かれてある。内面から絞り出る心の語りを行ないたいものだ。音楽に鉦の音を使って行なってみたい。語りの稽古をしていて、見えてくるものがあるかと思うと、消えてゆくものもある。この繰り返しの中で深みのある語りを掴み取りたい。もっともっともがきながら生きていくしかない。今なお癌で亡くなってゆく多くの人たちがいる。死の淵に佇みながら生きている人たちのことを思い、その中で本当の幸せとは何かを求めてゆきたい。そして私の語りの聲がそれを何処まで表現できるのか、そのことをひたすら追いかけてゆきたい。これからのライブは自分なりに楽しみがある。『詩人の聲』の参加を止めることによって大きな心の収穫を得た。信頼関係を失ったところでは語りの世界を追い求めてゆくことは不可能である。有名思考など私にはまったく興味がない。ただその人が本物かどうかだけが大切なことである。詩人達の朗読の中でまだ本物とであっていない。

2009年8月13日 (木)

田川紀久雄日記

昨夜は眠れなかった。ケネス・グルバート(チェンバロ)の平均律を全部聴いてしまった。ピアノの平均律もよいが、チェンバロもなかなか捨てがたい。音楽療法は私には必要だ。心を癒すことがどれだけ癌の免疫力に効果があることかはかりしれない。
詩の語りも、本当に心を癒される世界を作り上げてゆきたい。そのためには語りそのものに妥協しないで生きることである。安易な癒しは、逆に人の心をゆがめるだけだ。初めから媚びた聲をだす詩人がいるが、あれには閉口をしてしまう。
癌も治療ができなくなると、病院から放り出される。いま癌難民がどれだけいるのだろうか。その人たちのケアがどのようになっているのだろうか。いのちというものは、生きているそのことだけが大切なのではなく、死の世界を受け入れながら生を見つめていくことが必要なのである。生は死の反対側にある世界と思い込んでいる以上、生を正確に捉えることはできないだろう。そのことを詩にして書いてゆきたい。そしてそれを語って行きたい。
いままで癌やいのちに対する書物を多く読んできた。どんな哲学書より役にたっている。そして今の自分が末期癌であることがどんなにいのちを見つめることに役立っていることか。そのことに自分自身も勇気付けられている。
亀岡新一詩集が校了になった。夕方熊谷さんと日暮里で会う約束をする。いままで人に借りていたお金が少し返せる。でも生活は相変わらず苦しい。今月の生活費も底をついている。詩語りの出前の仕事が欲しいものだ。

2009年8月12日 (水)

田川紀久雄日記

詩の朗読でたいせつなのは、味があるかないかである。味を生みだすには、読んで読んで死に物狂いで読んでいく中でしか味というものは生まれてこない。普通の詩人達の朗読は、ただテキストを読んでいるのかすぎない。聲が大きければよいというものでもない。詩人の世界では朗読のプロは存在しないかもしれないが、心の中ではプロになるのだという意識を持つことが大切である。
いま私は語りの味を出すことに懸命になって生きている。味というものは個人個人のものである。人まねでは味が生まれてこない。ひたすら自己の道を切り開いていくしかない。この努力の先に仕事が入ってくるのだろう。無我夢中で生きることは、癌の身体を忘れさせてくれる。語りに打ち込むことで、癌への免疫力が高まる。癌が私の語りを成長へと向かわさせてくれている。そういう意味では癌に感謝しなければならない。稽古をしていてもつねに不満である。思うような語りが出来ない。この繰り返しこそが今は必要なのだろう。癌との闘いの中で、やはり人明かりを求めて生きている。だから苦しみや辛いことにも耐えて生きていられる。心の底から語りきれる芸に到達したいものだ。道のりは遠い。遠いからその中で味が出てくる。生きていることを楽しみながら一歩一歩と前に進んでゆきたい

2009年8月11日 (火)

田川紀久雄日記

ニュースのブログから引用する。
「民主党のマニフェスト(政権公約)に盛り込まれた月額2万6千円の「子ども手当」について、税込み年収額が800万~1千万円の比較的高い所得層の手取り収入が大きく増えることが、大和総研の試算で10日わかった。所得制限のある現行の児童手当が廃止される一方、所得制限がなく一律支給される子ども手当が創設されることで、高所得者の手取り額を押し上げることになるからだ。」
なぜ、税金で高所得者にまで子供手当てを支給しなければならないのか、理解に苦しむ。これはただのバラマキ政策でしかない。私は生活程を申請しても相手にされない。玄関払いである。
豪雨で各地に大きな被害がでている。国の対策はどうなっているのだろう。台湾や中国でも大きな被害がでているという。
いま地震があった。五時七分に家が大きく揺れた。震度四である。すぐテレビいれる。ブログを打ちながらテレビを観ている。津波が発生した。先日も地震があったばかりだ。これからの異常気象でいろいろと問題がでてくる。これをどう扱っていくのか国の体制が問われてくる。無駄な公共工事を中止してでも、この問題に取り組んでいかねばならない。私の住んでいる家もオンボロデある。いつ大きな地震で壊れるかわからない。
まさに今の世の中は一寸先は闇夜の世界である。

2009年8月10日 (月)

田川紀久雄日記

足腰の痛みもそれほどなく吉祥寺に行けた。はじめてホームレスのおじさんたちの踊りを見た。笑いをいうしなった人が踊ることで人の心の豊かさを取り戻す。これは大変なことである。おどりは未熟であるが、この段階ではまだ質とか内容について論じるべきではない。かれらのひたむきな姿勢に心がうごくのである。そのことがいかに大切なことであるかということだ。アオキさんお踊りは、ジャズダンスの影響か、静の部分の表現がいまひとつ感じられない。内から爆発する生命力を期待したい。でも彼がこのホームレスのおじさんたちを指導するエネルギーには感心をする。これからが楽しみだ。みなさんも『新人Hソケリッサ!」』を見かけたら応援してあげてください。帰りに山本萠さん、高田さんらと喫茶店でおしゃべりをする。楽しいひと時であった。
ひとのことをあれこれというが、お前はどうなのかと、問われればとても恥ずかしいものだ。まだまだ一人歩きができていない。へたくそである。どうにもならないほどへたくそだ。だからこそ、ひとより数倍も精進をしなくてはならない。宇宙の中心にむかってゆく聲をつくりあげたい。その聲もあくまでも温もりの愛に満ちた聲質を掴みたい。癌だからという甘い気持など無用である。人の心を打つ芸はなかなか難しく到達しがたい世界である。でもそれに向かって生きることが私の使命なのだ。そのことで癌を克服できると信じて生きている。

2009年8月 9日 (日)

田川紀久雄日記

日本の農業問題は深刻だ。アメリカに手足を縛られている現状ではどうあるべきかが問われている。北海道の農家にとってはこの農業問題が選挙の焦点になるだろう。
夏とはいえ雨や曇りが多い。野菜は高騰している。庶民の台所が大変である。
お灸をしているせいか、いくらか足腰が軽くなっている感じがする。それと少しづつ身体を動かすことをしていると腰の痛みが治る可能性があるように思える。まず血行の流れを良くすることだ。そうすれば癌も消えていくことだろう。治療とは、身体の一部を切り取ることではなく、そのままの身体を改善することが本来の治療の意味である。身体を動かすことはとても気持が良い。自己流の体操でいまのところ十分である。蒲団のうえに座り、身体をくにゃくにゃ動かすだけだが、それでも気分が爽快になる。無理をしない、あくまで自然に身体を動かしているだけだ。
操車場二十七号を発送する。操車場に参加してくださる方々に感謝をします。月間の発行は大変であるが、生きている緊張を感じさせてくれている。
今日足腰の痛みがそれほどなかったら吉祥寺にダンスを見に行く予定だ。山本萠さんにも会える。たまには人に会うことも大切である。

2009年8月 8日 (土)

田川紀久雄日記

アジアでも豪雨に見舞われている。中国やフィリッピンでも、豪雨で死者がでている。原因は環境破壊だけではなさそうだ。自然は正直なのである。癌も恐ろしい病気であるが、癌と友達になって生きればそれなりに生きていける。それと同じように、自然と仲良く生きる知恵をもっと大切にしていかねばならない。昨日は福岡で38度の気温だったという。東京でも昼間は蒸し暑く、仕事をしていても大変な疲労を感じる。
坂井のぶこが、川崎市立病院に行く。顎関節症でレントゲンを撮る。語りのためにも早く治療をしなければならない。
操車場の原稿が全部揃う。今日印刷と製本を行なう。今月は発送がいくぶん遅れたが、無事に二十七号が出せるのは嬉しい。
国民保険や介護料を払ったら、預金の残高が一万五千円しか残っていない。生活の苦しさは相変わらずだ。貧乏に慣れてきた。でも詩誌が発行できるだけありがたい。
坂井信夫さんから上野芳久詩集『夜明け』が贈られてきた。最愛の妻を失ったかなしさと、妻への愛が抒情豊に描かれている。詩でしか書けない世界がじっくりと描かれている。『索通信⑦』を印刷に入れる。

2009年8月 7日 (金)

田川紀久雄日記

この日本が平和を守っていくにはどうしたらよいのだろうか。原爆を体験した日本は、平和を守る役割は他の国より重いはずだ。いまの政治では、このことがほとんど論じられないでいるがおかしなことだ。
人のいのちが軽んじられている世の中を見ていると胸が痛くなる。詩を書いていても、言葉の無力を感じている。そしてそれを語っても、本当に人の心にどこまで響くのか眼に見えてこない。ただただ芸が未熟だと思うしかない。未熟だからひたすら同じことを繰り返す努力を行なうしかない。あるい意味でジレンマを感じる。寝ていても途中で目が覚めるとまるで奈落の底に落ちていく感覚に襲われたりする。
私は語りがヘボであるから、人の何倍も努力をしないと、人に聴かせることができない。それにやはり抗癌剤の副作用で身体的にきついこともある。外での稽古もこの暑さにはまいる。でも次のライブのためにも頑張って生きていくしかない。私なりの平和を求めて生きていることに生きる歓びを見出してゆきたい。

2009年8月 6日 (木)

田川紀久雄日記

山本萠さんから十月の書展の案内状が届く。私達の語りも広告されている。ありがたい。それと一緒に詩誌『雲の戸』も。その中に「(美しい素裸の魂というものを見たよ)」という一行があった。現代社会でこの美しい素裸の魂などなかなか出会うことがない。すべての欲を捨てて生きていないとこの魂と向き合えない。一生懸命に生きることが仏の道だという人もいるが、この一生懸命そのものが無垢な心でないと仏の心ではなくなってしまう。
足腰の痛みがなかったら吉祥寺(八月九日)にアオキ裕キ氏の率いるホームレスのダンスを見にいきたいものだ。これは山本萠さんから、誘われているのだが、一度は見たいものだ。身体でいうなら先日の整体を見て驚いたのだから、このダンスもきっと素晴らしいものだと思う。身体はつねに宇宙の動きをするものだ。
このところ亀岡新一さんの詩集や画集の版下つくりで忙しかった。操車場の発行も遅れている。日曜までには作りあげたい。

2009年8月 5日 (水)

田川紀久雄日記

藤沢秀行は囲碁を芸の世界と見ていた。いまもそういう風に考える人は少ない。詩の朗読でもわたしのように芸能と考える人はいない。芸というものはある意味で無限地獄の世界でもある。なぜならこれで良いという世界などどこにも存在しない。死ぬまで勉強の世界である。そういう意味でも私の語りは、まだ赤ん坊のヨチヨチ歩きなのだ。やっと一人歩きができる程度である。だから人に自慢できるものではない。芸はあくまで自由奔放の世界でもある。自由を失ったら、芸のいのちが失ってしまう。いつも迷って生きている。悟ったと思ったら翌日はすっかり元の木阿弥に戻ってしまう。悟ったことなどまるであぶくのようなものなのだ。でもこの繰り返しがなくては芸は前進しないものだ。
詩人達はお客があつまれば成功だと思っている。そんななさけない世界ではどうにもならない。芸は一喜一憂する世界であってはならない。ちゃんと宇宙の中心に座っていなければならない。客がいようがいまいが、つねに真剣に生きていることが求められている。
いまなおヨチヨチ歩きだが、詩語りの仕事が入ってくるのは、私の生き方に共感してくださるからだと思う。つねに自分自身と闘っていることが大事なのである。どこいまで歩いても、先がまったく見えない。どうすれば深く語ることができるのか迷い苦しんでいる。私の語りは極北にむけて歩き続けているのだろう。まるで宮澤賢治の「青森挽歌」のような世界だ。癌がどうなろうが、今は詩語りの世界を極めていたい。そのことが逆に癌を忘れることが出来る。くよくよして生きていなくてすむ。なにより人前で語ることが好きなのだ。私は人の心によって癌が良くなってきている。これは不思議なことなのだ。私の存在を阻むひとがいれば、その反対に私を受け入れてくれる人もいる。世の中はそういうものなのだろう。一つの道をあるくにも、いろんな障害物に出会うものだ。でもその障害物も芸の肥やしになってくれている。だから私の散在を拒む人も、私にとっては尊い人の一人である。すべてに感謝の気持で生きている。

2009年8月 4日 (火)

田川紀久雄日記

憎しみもない人を殺す事件が多い。あくまでも身勝手な犯行である。これは個人的な問題であるが、やはり今の社会の構造にも問題がひそんでいる。いくら社会の豊かさをもとめても、心の貧しさは解決されない。裁判制度が変わったが、人のいのちの重さをどう国民が受け止めていくのか。
詩壇でも、私のようにいのちの大切さを書いたり、語ったりすることを野暮ったいと思っている傾向がある。このいのちの大切さを本当に書ける詩人が少なくなっている。概念的に書けてもそれは書いたことにはならない。内なる魂から書かない以上は、読み手の心には響かない。
いま詩を語るとき、宇宙の中心に向けて語るように数日前からこころみている。これは小杉さんの整体を見て思ったことだ。懸命に一つのものに向かって生きている人からはいろいろと学べることが多い。
『詩と創造』が古賀さんから送られてくる。詩集評に私の『生命の歓び』を取り上げてくださった。ありがたい。『黒豹』121号も送られてくる。

2009年8月 3日 (月)

田川紀久雄日記

癌になったら、なるべき癌を気にしない生き方をすることが大切なのである。詩語りのことばかり考えて生きているから、それほど癌について気にしないで生きてこられた。癌のとって最悪なのはくよくよしてしまうことだ。癌になって、何がとくをしたかを考えている。癌になってマイナス思考をしたこと一度もない。だから癌になって良かったと思っていきている。
何かに向かって真剣に生きていられるものが一つでもあれば、癌はそれほど怖い病ではない。語りの稽古をしていても、自分はなんて下手なのだろうかとつくづく思ってしまう。決して上手くなろうとは思っていない。人間としての厚みのある生き方をしたい。そこから生まれてくる語りを自分のものとしたいだけだ。本当に不器用な生き方しかできない。
何でもそうだが、一つの道を究めるには、遠回りをしなければいけない。近道などはないのだ。自分でも嫌になるほどの稽古があって何かが見えてくるものだ。だから稽古をしていても一度も満足のいく稽古をしたことがない。つねに迷いながら聲をだしている。この迷いこそが、芸を深めてくれる妙薬なのだと思っている。ことごろやって語りの入り口に辿り着いたような気がする。この先の道はまだまだ遥かに遠い道のりだ。
心が宇宙と一体になることが大切なのである。そこがつかめれば、自ずから聲が出来上がってくる。そして語りのリズムも自然になってゆくだろう。それを掴むためには永遠に近い努力が要求されている。私の語りがどのように変化していくのかこれからが自分にとっても楽しみだ。

2009年8月 2日 (日)

田川紀久雄日記

漢方の生薬が中華街で買えた。霊芝・甘草・朝鮮人参・板根藍・アガリクスなど。
昨日は不思議に足の痛みはそれhど感じなかった。朗読会も無事にできた。
整体協会の稽古場で、小杉さんたちの整体を見た。驚いた。まるで宇宙の中を漂っている感じだ。いままで見たことのない動きであった。そこにいた人いたちと話し合いができた。二十日のライブは、自分も自然体で語るしかないと思った。
詩の朗読で人の魂を揺さぶるようにできなければ、それはただ単なる趣味の世界で終わっている。そのから一歩も二歩も抜き出ていかねばならない。自分の魂をひたすら磨くしかない。それが未来への人明かりの続けていける可能性を生むのだと思う。聲の究極は無音の世界でもある。

2009年8月 1日 (土)

田川紀久雄日記

今日午前中に横浜中華街にいって漢方が手にはいるか調べてみる。免疫力をたかめるには漢方が私には必要なのだ。約八十回の抗癌剤治療に耐えられたのは漢方の力があったからではなかろうか。いまの薬事法はどうみてもおかしい。
癌になった詩人が多いはずだ。それなのになぜいのちの大切さを聲に出して語らないのだろうか。私はこれから「癌といのち」をひたすら語ってゆきたい。今日もジャズライブハウスのドロフィーでいのちの叫びを語る。昨日「未来への旅」という詩を書いた。今年中になんとしても詩集の作品を仕上げたい。
いまでもなお癌で亡くなっていく人が多い。現代医学の進歩は目覚しいものがある。でもどうにもならないものがまだ多い。癌になっても生存率が高くなってきている。私も一年以内に死ぬはずだったのが、いまもこうして生きていられる。
乳癌で七月二十八日に亡くなった川村カオリさんは多くの人に勇気を与えてきた。38歳で亡くなるのは早すぎる。
ブログで「昨日と今日と副作用がきつかったな…。まだ始まったばかりなのに弱いな」(11月24日)に書かれてある。(朝日新聞朝刊七月30日の記事より)
詩人である私も闘って生きていたい。一人でも多くのひとにいのちの尊さといのちの美しさを語りかけたい。抗癌剤の副作用でいま苦しんでいる。自分だけには負けないように生きていかねばならない。

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