田川紀久雄日記
昨日は疲れでほとんど横になったままである。台風が今日関東地方に来る。
民主党が圧勝した。これはいままでの自民党の政治に夢が託せなくなったからのことである。民主党そのものお応援したからではない。ここにいまの政治の大きな問題が隠されている。これからは国民一人ひとりが厳しい視線を政治に向けていくことが求められている。
それに対して詩人の世界は、相変わらず国民から無視されつづけている。現代詩手帖派も詩と思想派も、いまは国民のだれも一人も支持はしていない。出版社の商売としてしか存在していない。詩人は信念をもって一人で生きていく世界なのである。詩人の聲は詩人達のためにあるのではない。生きていく人たちの為にある。本当にいのちを語れる詩人でありたい。そのためにももっともっと精進をしていかなければならない。
市島三千雄の詩を語ることの喜びをいま感じている。どうしたらこの世界を表現できるか。ただひたすら聲をあげていくしか今のところはない。彼の詩は決してシュールの世界ではない。かれの内的世界から生まれてきた世界である。その内的世界を丁寧に辿りながら聲を生み出していければ、人に聴かせることのできる語りの世界が生まれるはずだ。この作業に取り組んでいる私はとても幸福を感じる。難しく大変な世界であるが、難しいほど自分の生命力が湧き上がってくる。市島三千雄の世界を納得のいく朗読ができる詩人がいるのだろうか。語りは朗読と違って、言葉をアナウンサーのように丁寧に読めばよいというものではない。あくまで内的世界の探求が求められる。つまりいかに味をだしていくかということだ。そのためには何千回と読み込むことからしか始まらない。語り込むことで言葉の一つ一つが身体を帯びてくる。
市島三千雄と竹内多三郎は同じ明治四十年生まれである。そして坂口安吾が明治三十九年である。詩人の二人は二十代で優れた詩は書き終わっている。そこには時代の重さが隠されてある。
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