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2009年6月30日 (火)

田川紀久雄日記

坂東三津五郎は「技芸1ミリでも伸ばしたい」という。この1ミリを伸ばすためにどれだけ苦労をしていることか。私などは1ミリ伸ばすのに一生かかってしまう。1ミリ伸ばしたいという夢の中で芸人は生きている。
詩人が朗読を始めて一年二年でそう変わるものではない。ただたゆまず精進をする中でしか変化がでてこないものだ。これから生涯朗読をしてゆきたいという決意から聲の世界がスタートする。聲が大きいだけならオペラ歌手に負ける。問題は聲の質であると思う。ここには美聲とか悪聲とかは問題ではない。ひたすら自分の世界を構築していくことである。他人がどう思うかは、別な次元の話だ。自分の世界を作れない詩人が、他者を意識するなどもってのほかである。
脳波で動く電動車いすが開発されたという。まるでオカルトの世界のようだ。人間の技術の発展は、本当に人を幸せにするものなのだろうか。何も求めない世界が本当の幸せに繋がるのではなかろうか。物質的な欲望の世界は、人の心を弱くするだけだ。
聲といっても私の場合、身体と精神が噛み合ってこそ聲の力が生きてくるものだと思っている。それは一生の修行なのである。人のために生きたいという大乗の世界が必要なのである。自分を越えた生き方を求めていたいものである。

2009年6月29日 (月)

田川紀久雄日記

石川遼が優勝した。攻めのゴルフが活かされた試合であった。ただ運が良いというのではなく、彼の練習量をみれば、勝って当然と思ってしまう。詩人たちの朗読も、それなりに真剣になって練習を積み重ねれば、聴いていて楽しい世界を作り出せるはずだ。このところ私は語りを磨くという境地に近づいてきている。内的な世界を聲にだして語りたい。そのためには磨いて磨いて聲の荒さを消してゆくしかない。どこまで出来るかわからないが、磨くことはとても楽しいことだ。この世界では十年聲を磨いてもそれほど変わらないのが現実なのだ。だからこそたゆまず努力以外ない世界である。八月と九月のライブに向けて少しでもよりより語りをしたい。
いま『人明かりをもとめての旅・1』のDVD(六月十九日のライブ)を作っている。多くの人に聴いてもらいたい。このブログを読んでいる方には送料代300円(切手可)を送って頂ければお送りします。
「銀河詩手帖」という詩誌があって、そこで朗読のことを後記に書いていた東淵修さんの文章を読んでずいぶん励まされた記憶がある。彼と京都でおこなったライブは忘られない思い出だ。その彼も今はいない。淋しいものだ。彼とは二回会っている。彼のことをいろいろという詩人もいたが、朗読で多くの人に勇気を与えたことは確かなことだ。私も人に勇気を与えられるように頑張って生きてゆきたい。

2009年6月28日 (日)

田川紀久雄日記

金子大栄の随想を読んでいると、文章の中に心の温もりが感じられる。私も含めてだが、このような心あたたまる文章を書ける人が少なくなった。文章も人なりと言うが、聲も人なりなのだろう。
給付金が出ていたので、夏にはくズボンをユニクロで買う。1990円のが990円で買えるのはどこかインチキくさい。なにか騙されている感じがしてならない。でもズボンが千円以下で買えるのはありがたい。残りは電気代や水道代の為に預金しておくしかない。
これから詩語りの目標をどこにおいて稽古をしていけばよいのか。つねにライブの目標がないと、心がどこかで萎えてくるものだ。内面的な聲を生み出すことに時間をかけて精進していく以外にはなさそうだ。そして本当に語りたいテキストを生み出すことが大切なんである。それと足腰が弱っているので少しでも鍛えなければならないが、歩くと直ぐに痛みが走る。なかなか思うようにはいかないものだ。若い人たちが元気に歩いているのを見るとうらやましく感じられる。

2009年6月27日 (土)

田川紀久雄日記

昨夜テレビで歌舞伎の俳優祭を見た。馬鹿馬鹿しいほど楽しく見れた。精神的に落ち込んでいるときにはこのようなものを見ることは必要だと思う。これだけの豪華メンバーが集まるとさすが歌舞伎だといわざるをえない。型をもった芸能ははやり強いものを感じてしまう。
公園で語りの稽古を行なっていたら、お巡りさんから尋問された。怪しげな人間に見えたのだろうか。芸を磨くには、稽古を続けるしかない。いくら頭で考えてもどうにもならない。ただただ肉体と心に染み通していくしかない。不器用な私は誰よりも努力をしていかなければ、人に聴いていただけるものが出来ない。これから熱くなるので外での稽古もなかなか難しいものだ。
坂井信夫さんから仕事が入った。昔のフロッピーが見当たらないので打ち直さなければならない。
宮坂宥勝著『密教への誘い』(人文書院)を買う。読みやすい本である。禅が無なら、密教は有の世界だといわれている。

2009年6月26日 (金)

田川紀久雄日記

7月15日にCTの予約をいれる。不安がつねにつきまとう。
蒸し熱くて眠れない夜であった。ビリー・ホルデイを聴いた。彼女の聲は独特な世界を持っている。哀愁に満ちた唄は人の心をひきつける。マイ・マンなどはやはり何度聴いても良いものだ。シュ-ベルトの歌曲も素晴らしい。私は人の聲でいくら助けられたかわからない。
詩人たちの聲で、なかなか人の心を惹きつける人はでてこないものだ。それは、聲に魂が入っていないことと、それほど精進をしていないことが要因にあげられる。それとテキストにも問題があるのかもしれない。でも今は他人のことはどうでもよい。自分の道を進むことで精一杯だ。『詩人の聲』に聴きに来て頂いた中から、私の詩語りを企画してくださる方がいる。8月20日の予定である。うまく話が進めば嬉しいものだ。私の考え方を手紙で送った。納得したところで行ないたいと思う。このまえの熱海ライブの失敗は繰り返したくはない。
かつて山形詩人会で清水旭さんを呼んで講演をしたことがある。そのとき清水さんは酩酊して問題があったとか、でも主催者である高橋英司さんは、彼を弁護した。詩人というものはそのようなこともあると。批判は批判として受け止めながら企画者の招いた講師を批判はしなかった。そのことは大したことだと思う。主催者が招待したひとを批判するなどは最低の話だ。野球の原監督は、起用する選手を信頼している。この選手と心中するつもりでいるという。これはこのまえの世界大会で言った言葉だ。結果の問題ではなく、人を信用することの大切が世界一になった要因である。
病を抱えた人は、医師や家族それに友人などの信頼が病を早く回復させるといわれている。国の政治も人に対して優しい政治であってほしい。母子加算の廃止はどうみてもおかしな話だ。嘆き訴えている人たちの聲にたいして政府は耳を傾けようとはしない。自民党政府では弱い立場の人たちはますます苦しめられていくだけだ。政治で友愛といく言葉をいわれるのは好きではないが、心を持った政治をしてもらいたいものだ。

2009年6月25日 (木)

田川紀久雄日記

今日は病院の検査日だ。昨夜は琵琶の葉にホッカイロで上から押さえてお腹に当てて寝たら気持がよかった。老老介護の疲れで事件が後を絶たない。これは国の貧しさをあらわしている。お年寄り同士が介護をするには限界がある。いま福祉社会が崩壊している。憲法で国民の生きる権利が認められているはずなんだが、その権利が否定されつつある。もう経済大国を目指すのは止めたいものだ。マネーゲームからは、国民の幸せはつかめない。
今の若者達には未来が感じられないと思う。どこに向かってこの国は進もうとしているのだろうか。学校教育の現場があいかわらず荒んでいる。国会議員たちを見ていたら未来の人づくりが無理なように思えてならない。いまの芸術の世界もあついものが感じられない。なにもかもが行き詰っている。
詩語りの行なう場を失っても、私は未来の自分を見つめてこの語りに励んでいきたい。そしてつねに語りの豊かさをもとめて精進してゆきたい。詩朗読は、本気でやる気がいる詩人がいるかいないかで未来の朗読の世界が変わってくる。でも私が見ている限り、命懸けでおこなう詩人など見当たらない。私は困難にぶつかると、それに負けてたまるかという熱い情熱が湧いてくる。お客が集まるどうこう以前に、お客に感動を与えられる世界に向けていきていく姿勢がまず必要なのではと思う。一時的なお客ではなく、末永く応援してくれるお客を求めて生きていたい。それには時間がかかるものだ。それと癌と闘っている自分の姿をビデオに残しておきたいと思う。やっと抗癌剤の治療をやめてから、聲がでるようになってきた。そのかわり腰や足の痛みが増してきている。どこまでこの詩語りの世界と向き合っていけるかわからない。でも夢だけは大きく持って生きていたい。

2009年6月24日 (水)

田川紀久雄日記

義太夫や、外国の歌曲などを聴くときは、耳で聴くというより、心で聴くことが大切なのではなかろうか。今の日本人は、心で聴くことを忘れてはいないだろうか。情報社会になってますます眼で読み眼で聞いてしまっている。意味がわからないと、すぐつまらないといわれてしまう。そして聲すら腹から出す聲を敬遠してしまっている。怒鳴る聲と腹から出る聲とはまったく異なっている。そのことすら見分けがつかない。
かつては銭湯でも義太夫を唸っていた人がいたものだ。でも今はそのようなひとなど皆無である。日本人の聲や耳は何処へ行ってしまったのだろう。悪聲といわれた今の市川団十郎や住太夫さんなどは、その悪聲を見事に芸風として活かしている。悪聲であることによって、誰にもまねのできない世界を築きあげることができる。
私の聲もとても悪聲である。自分で聴いていてもひどいものだと思ってしまう。でも悪聲がから、誰よりも努力をする。その努力が長い年月をかけて一つの世界を築きあげていくものだ。私の聲は誰が何と言って、私の聲でしかない。好き嫌いは所詮うわべだけのものだ。私は信念を持って自分の聲を向き合って生きていくしかない。昨日NHKでプロフェッショナル。まぐろのカリスマ再びを見たが、一徹な生き方はやはろ魅力がある。不器用といわれようとこの一徹の生き方が最上の生き方ではなかろうか。癌と向き合い、自分の聲と向き合っていくことこそ私の残された人生なのだ。誰一人とて聴き手がいなくても見果てぬ夢を求めて生きていたい。昨日稽古をしていて、いままでの世界から自由になった気がして聲にも味が追加されたような気がした。詩集『未来への旅』は早く完成して、この世界を語ってゆきたいものだ。これからの詩語りは出前しか行なわないようにしていこう。そのためにももっともっと精進をしていく以外にはない。

2009年6月23日 (火)

田川紀久雄日記

日本はCO2の削減のために、原子力発電を進めていく。柏崎原子力発電所の6号機も再開された。なぜ自然を利用した発電にもっと力を入れていかないのだろう。原子力発電には安全という言葉は存在しないはずだ。なにか時代遅れの観がしてならない。
先日古本屋で樋口勉著『いのちの落語』をかった。かれは肺癌でありそれも小細胞に犯されている。まず助からない病だ。この病で筑紫哲也さんもなくなった。とても怖い病気なのだ。彼は手術後に抗癌剤はシスプチンという薬を使用した。この薬の副作用で「手足のしびれ」樋口さんは五回もこの抗癌剤を使用した。それでやっとこの癌から脱出することができた。が手や足の感覚が失せてしまった。その中で一年に一回落語を癌患者やその家族たちのために行なっている。来年まで生きていこうという意味もあるらしい。樋口さんは座っていてまったく足の感覚がない。これは抗癌剤の副作用に悩んでいる人しか解らないものだ。いまわたしもこの抗癌剤で手足のしびれに悩んでいる。正面から私の身体をみればそのようなことなど誰も感じない。でも樋口さんのような生き方をしている人を見ると勇気が湧いてくる。だからこそ私も詩語りでいままで頑張ってきた。それが企画者から、お客が来ないのはお前の聲に問題があるのではといわれてしまうと、今の私の立場がなくなる。六月十九日のライブをDVD化している。頒価は二二〇〇円である。もし購入される方がいれば、じっくりと私の聲を聴いてもらいたいものだ。
先日泉谷栄さんから手紙をいただいた。その中に「詩語りでも詩朗読でも詩に関係のない人たちは語り(朗読)にはもっと興味が湧かないし、関心も抱かないのが現実だと思います。」と書かれてあった。そして「ディレクターの育成が急務かなと思います。」ある。まさに私も同感である。詩人たちすら詩朗読には感心がないのが実情である。そのためには朗読をする人たちの聲を鍛えることが急務である。『詩人の聲』はまさに詩人の聲を鍛える場であったはずだ。私はひたすら聲の精進をしてきた。でもその聲にたいしてお客が来ないのはお前の聲のせいだというように思われていたのなら、とてもつらいものである。会場にはこれなかった癌患者の人たちも、田川さんは頑張って行なっているのだろうと期待をかけられていた。お客が集められない語りでは駄目だといわれてしまえば、もう私は『詩人の聲』には参加ができない。十五回もできたことはとても感謝をしている。心からありがたいと思ってきた。企画者と語り手の信頼関係が失っていれば、行なう意味がまったくなくなる。無名の私は自分の道を求めて生きていくしかない。いままで詩語りを応援してくれた方々には心より深く感謝したします。また一度でも足を運んで下さった方にも・・・。
どうしたらこれから癌に苦しんでいる人たちに励ましの行動ができるのだろうか。人明かりを求めていくにもやはり困難が付きまとうものだ。
日野原重明著『私が人生のたびで学んだこと』(集英社)の中で「医師は患者の心や体の痛みを感じられる存在であれ」「患者には病気をもった人間として、全人的医療を行え」、「冷静な頭脳と温かい心をもって」、「自分の能力を心得よ」、「医業の召命(ミッション)として考えよ」、「生涯、学習を続ける学徒であれ」(42ページ)と書かれている。私は医師ということばを詩人は置き換えて語りの世界に活かして生きてきたつもりだ。語りはそうかんたんには結果が得られない。結果を今は求めて生きているのではなく、持続して語りに打ち込んで生きることが大切なのである。お客を呼べないのは自分でもなさけないとおもっている。これが詩人の世界でもある。なんとか打破したいが、ただただ聲の精進をするしかない。この闘いに生き抜いてこそ結果が見えてくるものと信じていくしかない。

2009年6月22日 (月)

田川紀久雄日記

昨日の川崎詩人会は心あたたまる例会であった。みんなで鶴見線にのって海芝浦まで行った。そして鶴見の養老の瀧で楽しい飲み会であった。八月にまた横浜のドロフィーで朗読会を行なう。宇田禮さんから十九日のライブはよかったとのこと。そして泣いて聴いていたひとが二人いたとのことだ。
もう人を非難する人の輪にはいきたくはない。今の私は心あたたまる人達の中で生きていたい。人生は楽しく生きていたい。意見が異なっていても人の心を大切にしてくれる人のなかでは生きていけるが、一方的な批判はちょっと耐えられないものだ。
きっと私の聲が人明かりになれることを祈りながらこれからも励んで生きてゆきたい。そういう人間になれることで私の病も救われていくことだと思う。詩人クラブの中で「田川は癌を利用して生きているのだ」という人がいるという。しかし私は癌を利用していきているのではなく、癌と共に仲良く生きているのだ。この病で苦しんでいる人達にすこしでも癒される心を与えたいと願って生きている。末期癌を宣告されたひとでなければわからない世界がある。末期癌になってもこうして前向きで生きていられることを示してしたい。そこのどこが悪いというのだろう。詩人たちのやっかみには付き合っていけない。今は「未来への旅」の作品を書き上げることだ。死の恐怖を超えた世界を描いてみたい。そしてこれからは、新しい人明かりの語りの旅をしてゆきたい。私を呼んでくださる方が増えてくれることを切に願っている。

2009年6月21日 (日)

田川紀久雄日記

つらい状態の中にいるとき、人は神秘的な体験を味わうことがある。光が自分の心に目指して入り込んでくる。そして自分が一つの仕事に向かって動きだす。私にとっての仕事は詩語りである。人に人明かりを照らしたいという願いで心が満ち溢れる。だからと言ってそう簡単に人明かりで出来るかというと、なかなか困難を伴うものである。その困難が私の心を鍛えてくれる。柳澤桂子さんの『癒されて生きる』(岩波書店)を読むとそのことがよく書かれてある。
私の『人明かりへの旅』がやって始まったという感じが昨日のライブで味わうことが出来た。これからは、もっと外に向けて活動していかなければならない。それと同時にもっともっと聲の精進を積み重ねていかなければならない。基本的なことができなければ、たんなる空論に終わってしまう。
今日は川崎詩人会である。浦田に行くことは出来ない。また日を改めて行きたいものだ。

2009年6月20日 (土)

田川紀久雄日記

昨日のライブはいいライブであった。自分が思ったよりお客が集まってくれた。聴きに来てくださった方々に心から感謝いたします。お客が少ないのはお前の聲に問題があるのではといはれても困る。二十年も聲を出し続けていると聲そのものは変わらないものだ。あとは聲の深さを探っていくしかない。だからそう目立って成長はしない。できることはひたすら精進していくしかない。そのような意味では昨日のライブはある意味で一つの答えが出たライブであった。抗癌剤を中止してから少しづつ聲が昔のように戻りつつあるということだ。まだまだ未熟だから本物の聲を掴みたいものだと思っている。この『詩人の聲』ではいろいろと学ぶことが大きかった。私の人生の上で大きなプラスになることが経験できた。聲を出す現場は、つねに自分を成長させてくれる。時には失敗もある。いろんな事があるからライブは楽しいのだ。
立って語ったが足の感覚は全くなかった。すこしよろめいたがなんとか無事に一時間を語りきることが出来た。これもお客に助けられたことだと思う。お客がいるから自分も成長できる。自分の聲が成長していけば、自然と私を応援してくる人が増えてくると思う。それには確かに時間がかかる。自分に諦めないで生きることが一番大切なことである。そして自分を信じて生きていかないとこの世界では生き残れない。
辻井伸行さんのピアノには生きる希望を与えてくれる。ショパンの「英雄ポロネーズ」をこんなに楽しく演奏できるひとはいないだろう。語りも人に生きる希望と人明かりの世界を求めていくしかない。
批判する人はいつの世にもいるものだ。井上リサさんも批判しながら、私の聲を聴きには来なかった。批判するひとは安全なところから批判するものだ。あとのことなど責任などとらない。批判は無責任では意味がないということだ。共に生きる心があってこそ良き批判となって生きるものである。つねに前向きに生きていこう。私の聲を求めている人達に対して力強く生きていたい。人明かりの世界が詩語りの目的なのだから。

2009年6月19日 (金)

田川紀久雄日記

右手が痺れてどうにもならない。これは抗癌剤の後遺症だからいたし方がない。足腰の痛みで散歩も思うようにできない。何とかしてこの状況を乗り越えたいものだ。昨夜は琵琶灸をしてみた。身体がまるでお風呂に入ったように温かくなった。そのためか朝は痛みが前日より増したようである。
昨日衆議院で移植法改正案が通過してしまった。脳死が人間の死であることを認めるのは疑問がのこる。西洋的な考えより、日本独自の死の考え方がある。脳死が人間の死であることはなかなか受け入れられないと思う。確かに移植で助かる人達がいる。だからと言ってそう簡単に死の問題を割り切って考えたくはない。人の死は心臓だといままで思っていた。心臓に心があると日本人は考えてきたのではなかろうか。心という漢字は心臓のかたちからきている。もっともっと話し合うべきではなかろうか。人のいのちは寿命がきめると思っている。癌で死ぬのではなく、死は寿命であると考えている。国会で小泉元首相の顔が映し出されたが、嫌な顔をしていた。
今日私の詩語りライブがギャルリー東京ユマニテで行なわれる。聴きにきてくださる方がいるとありがたい。未熟な語りであるが精一杯行なうつもりだ。私の聲はそう簡単に変わるものではない。ただ時間をかけて内面的に深くなっていけばと思っている。

2009年6月18日 (木)

田川紀久雄日記

今の自民党の政策のあり方が時代に合わなくなっているのではなかろうか。戦後の政治の体制は、ほとんど自民党の天下であった。そして体質もほとんど変化しなかった。民主主義という言葉も曖昧であり続けた。国民は政治に対して無関心になっていった。無党派層が多いというのが政治不信そのものなのだろう。
戦争・大事件その他もろもろのものがただテレビに映し出された幻想であったかのように時が過ぎていった。何一つ国民には実感として伝わってこなかった。他者の苦しみなど他所ごとでしかない。いまの日本人の心がなかなかつかめない。他者のことか簡単に批判ができることは、それは自分の立場を抜きにしているから言えることなのだ。つねに自分はどうなのだという意識を除外している。昨日の党首の対談も国民にはわかりにくい。自分の都合の悪いところは除外して議論を進めていく。
鈴木良一さんから新潟でのライブの詳しい予定が送られてきた。いろいろと気をつかっていただき本当に有り難い。

2009年6月17日 (水)

田川紀久雄日記

日本人は、お金で人生の楽しみが買えるとおもっておる人達が圧倒的に多い。景気の良い時はマネーゲームに走って今の世界的不況を編み出してしまった。まったく人生そのもの楽しむことを知らない。教育の目的も、良い会社に就職することであった。本当の人生を楽しむことをしらない。人に優しくすることで楽しみが増える。心と心が通えなる友をもつことが人生の最高の価値である。人に優しくなることで、自分を越えた人間に成長できる。そして人の為に生きたいという心が生き甲斐を作り出してゆく。お金で買った豊かさは虚しいものだ。高価な物をいくら買ったってそれで心が満たされることはない。文化を愛する心も必要だ。辻井伸行さんのCDが10万枚を越えたという。クラッシック界ではまずありえない現象である。そして村上春樹の小説も100万部を越える売り上げだ。
 日本人は自分の眼で確かめてものを買うのではなく、社会的現象で購入する。大切なのは無名の芸術家を見つけて応援する生き方を身に作ることが大切である。いまの日本人は自分で見出してゆくのが苦手になっている。なにかに寄りかからなければ何も前に進めない人間になってしまっている。本当の幸せは外の世界ではなく、自分の内なる心を耕していく中でしか真の歓びは生まれてこない。
今の私は生活苦の中で生きていても、人生の歓びの中にいる。詩語りの世界を磨いていくことも一つの生きる歓びである。そしてできるだけ人に優しくして生きてゆきたい。人生の楽しみは遠いところにあるのではない。自分が出来るところから生まれてくるものだ。毎日音楽を聴けることも生きていることの楽しみでもある。

2009年6月16日 (火)

田川紀久雄日記

零細企業では夏のボーナスが支給されないところが多いと聞く。住宅ローンを抱えている人達には大変なことである。いま住宅を手放すひとが急増している。人生の設計図が崩れてゆく。マネーゲームのツケがいまの社会そのものを破壊している。自殺者も増え続けている。麻生政権下では何も手が打てないでいる。総理はもっと外交問題に動かねばならないのに、都知事選のために走り回っているとは情けない話だ。麻生総理の顔の表情が悪くなった。自信のない顔付である。これでは麻生さんに人気がなくなるのは当たり前だ。一日も早い選挙を国民は望んでいる。
芸を磨くには長い時間がかかるものだ。詩語りも思うように上手くならない。外での稽古では人が邪魔になって出来ないときもある。そのような時は部屋の中で心で語る稽古をするしかない。それなりに努力をしていかないと、人に伝わる語りにならない。たった一人のファンを作るのが大変なことだ。一人のファンができれば二人、三人と増えてくるはずだ。その一人のファンを作るためにひたすら努力を続けるしかない。詩人たちの朗読会は、義理で聞きにきているのが現状だ。そこではやはり甘えが生まれる。井上さんの批判はそれなりに有り難いが、怨みからの批判ではかえって人の心を傷つけるだけだ。
最期の時まで、詩語りを磨いてゆきたい。そのためにも心から応援をしてくるファンと出会いたいものだ。お客のいないライブはそれなりに辛いものだ。でも誰も来なくても行ない続けるのが詩の世界である。どんな状況でも投げないことが大切である。見えないお客に向かって語るしかないときもある。それが次の語りに活かされていくと信じて行なうしかない。
十九日にギャルリー東京ユマニテで行なう。身体的に今はきついが、聲の力を落とさないように稽古を続けるしかない。

2009年6月15日 (月)

田川紀久雄日記

郵政の問題は、国民不在である。自民党の内部の派閥争いにか過ぎない。これでは自民党系の千葉の市長が負けるのは当然だ。森田健作も嫌な顔になった。国民は何を希望にして生きていけばよいのだろう。
福祉のエコカーも今まで減税の対象にはなっていなかった。福祉関係者から異議申し立てがなかったら、知らぬ顔でいたのだろう。国土交通省の役人は、弱い立場の人達には冷たい。一番天下りが多いのはこの国土交通省なのだ。それの税金の使い道がわからない。
宮城大震災も一年経過したが、まだ生きる術を見出せない人達がいる。国とはいったい国民にとって何なのか。ただ税金を搾り取るだけのものなのだろうか。国そのもののあり方を変えて行かなければこの日本は沈没していく。国民一人ひとりが助け合う精神がいま求められている。学校教育ではそのような精神を教えはしない。自分さえよければという教育方針なのだ。若者達がまったく政治に無関心であることがやはり心配だ。その若者達が現実には就職問題やその他で大変な状況化におかれている。
詩人たちは、いまどう生きていくべきかを問われてもいる。魂を救える仕事をしてゆきたいものだ。
井上りサさんがブログに野間明子のライブのことが詳細に書かれている。このような紹介はブログに書かれることはとても良いことである。それと「詩のボクシング」についても書かれてある。詩人でない立場からの発言は大切なことである。ただしブログで他人を批判するのは感心しない。ブログでは良いアドバイスが大切なのである。そのことを忘れないように。

2009年6月14日 (日)

田川紀久雄日記

国立アニメの殿堂が自民党内部でも批判されている。いまこの不景気の中で作る必要性がまったくない。そのようば117億円のお金があれば、地方の芸能が危機的状況に追い込まれている。日本の昔から受け継がれてきた文化が消えようとしている。そちらの方に数億円でも補助をまわしてもらいたいものだ。そして新しい文化を創ろうとしている『詩人の聲』に僅かな資金でもだしてもらいたいものだ。文化はうえから作られるのではなく、庶民のエネルギーが基礎になっている。しかしいまどこでも携帯のメールうちばかりだ。漫画を読む人たちの数も減ってきている。テレビも合いも変わらず同じタレントが出演して馬鹿げたことばかりを演じている。いまの世の中は一億総白痴化の時代になりつつある。
官僚たちは国民の苦しさをまったく理解していない。自分たちの政権確保にやっきになっているだけだ。国民は官僚たちに利用されるものと思い込んでいる。そのために政治から眼を離すような政策をとるのだろう。その第一が教育である。本当のことを教えない教育が正しい教育と思い込んでいる。
私は末期癌と闘う姿を公開している。一人の多くの人たちに生きる勇気を与えられる仕事をしていたい。詩語りに残りの人生を懸けて生きる姿を見てもらいたいものだ。先日私を批判したブログを書いたIさんのブログから私を非難したところが消されてあった。消すなら私に素直にあやまるべきだと思う。医療と芸術を大学で講義している人らしくない。

2009年6月13日 (土)

田川紀久雄日記

川崎まで坂井のぶこと出かけたが、歩くのに辛かった。大腿部が痛くてこまった。癌になってここまで生きてこられたことを思えば、そのようなことなどどうでもよいことなのかもしれない。
二年前に肝細胞癌で亡くなった鈴木ヒロミツがモップスの時代に前座で行なっていたのが忌野清志郎と井上陽水である。鈴木ヒロミツは余命三ヶ月と宣告されて、一切の医療行為を拒否して家族と過ごした。『余命三ヶ月のラブレター』は温もりのある本だ。愛するものがいることが、その人の生き方を強くしてくれる。
詩語りがここまで出来たことは、それなりの人達のお陰である。私を応援してくた人達のためにも、もっともっと頑張って語りを続けたいものだ。できたら『詩人の聲』に聴きに来ていただきたいものだ。一人でも多くの人に来てもらえることがいまの私には必要なのだ。詩人クラブを辞めたとたんに、会員の人達から知らぬ顔をされてしまった。詩人同士の付き合いいは損得勘定であったとおもうと悲しいものだ。だからこそ、私は自分の人生に負けたくはない。出来るところまで語りの世界を追求してゆきたい。
川崎市はいまだに給付金がでない。生活がこまっている。一日でも早く貰いたいものだ。

2009年6月12日 (金)

田川紀久雄日記

語りを行なう瞬間は、つねに未知の領域との闘いである。まるで闇の世界を突き進んでいくような感じがする。その心を支えてくれるのは、人への愛であると思える。いくら語りの技術を磨いても、そこに愛への精神がなければ人を感動させる世界を掴み取ることはできない。いくら聲が出ていても言葉をなぞっているだけではどうにもならない。聲に魂を入れることは難しいものだ。聲にはその人の在り様が写しだされるからだ。詩人の聲を演ずることはある意味ではとても怖い世界でもある
初心者は、まず自分の聲を作ることで奮闘することだろう。そしてテキストとの闘いもある。それらをクリアできたところから詩人の聲が始まる。そこまで行っている詩人がいまこの日本で何人いるのだろるか。『詩人の聲』の企画は、そのような意味でも大切なことなのである。もしこのような企画が存在しなかったら、詩人の聲に目覚める詩人が出てこなかっただろう。何としてでも天童さんには千回まで行なってもらいたいものだ。そうすればそのうちの一パーセントの詩人が本当の詩人の聲を掴み取ることができると思う。そこから日本の詩の変革が始まっていけるのだと思う。詩を原始のかたちに取り戻すことは聲の力しかないはずだ。そのことに詩人たちが気づけば、詩は詩人の世界から解放されてゆく。そして詩人の存在も誇りをもって社会の中で生きたものになってゆくのだと思う。
私は、一番たいせつな世界『いのち』について語り始めている。『未来への旅』シリーズが完成するころには、『いのち』がもっと具体的に語れるようになっていけると思う。語りを行なうたびにいろいろと迷う。その迷いが未来への語りの世界を作っていける原動力になっているはずだ。スケールの大きな語りを目指して生きていたい。そのことが癌の進行を防ぐ唯一の方法なのだと思う。そのためにも一人でも多くの人たちの応援が大切なのである。

2009年6月11日 (木)

田川紀久雄日記

昨日は、下痢が続いた。そして京橋まで出かけるのに足腰が痛んでつらかった。野間明子さんのライブが無事に終わってほっとした。
ライブに向けては一つ一つ目標をたてて行なわなければ、いつまでも進歩はしないだろう。朗読では、やはり聲の力がないとどうにもならない。辻井伸行氏のピアノの音色の美しさは、ひたすらな努力があってのことなのだ。人の聲にも勇気づけさせてくれるものが必要だ。聲にいのちがこめられた叫びをしなければ詩人の聲は社会からは評価されないだろう。いくら知名度があっても、詩人の狭い社会の中のことでしかない。
私は聲の伝説をつくりたい。ひたすら魂の聲を発する詩人でありたい。熱海ライブを企画したIは、ブログで批判することは最低だ。鵜澤氏は心配して『身体は対丈夫ですかと』と電話でいったきた。その気持はありがたかった。以前詩誌「漉林」でW氏に批判されたことにたいしての怨みであろう。でもそのことで私は逆に強く生きられる心が持てた。もっともっと聲に対して前向きに生きていける。癌との闘いにも負けたくはない。そして人の心に届く温もりのある聲を作り上げたい。ローマは一日にしてならず、という諺のように、日々の精進があってこそ人の心に届く聲がうまれてくるものだ。新潟のライブには、本当の詩人の聲を聞かせたいものだ。

2009年6月10日 (水)

田川紀久雄日記

島田陽子さんが『叢生・162号』のあとがきに忌野清志三郎について「孤高といえる存在だったようだが、それを貫けた彼は真の勇者だと思う。彼を支えたのは、やはりファンである。ひとは自分を理解してくれるひとや、ことばがあれば、どんな状況でもくじけずに生きてゆける。」と書かれてある。まさにそのとうりだと思う。
しかし、詩人にとってなかなかファンなど見出せないものだ。誰にも評価されなくでも貫き通す根性をもたなければ、詩など書いていられないものだ。そのうえ、語りまで行なうことはある意味では自殺的な行為である。詩人の中には朗読を絶対認めない詩人がいる。私の語りを一度聞いてくれと頼んでも、俺にはそういう興味がないのだといわれてしまう。聴きにきても義理で来てくれることが多い。わたしとしてはとても辛いことだ。でも聴きに来ていただけることでも本当に有り難いものだ。お客のいないところで語るのはつらいものだ。語りを行なうには、情熱とそれにたいする忍耐が求められる。それに向かってひたすら精進していくしかない。
辻井伸行氏がバン・
クライバーン国際ピアノコンクールで金賞に輝いた。彼のピアノの音色は確かに人の心をゆするものがある。フジ子さんとはまったく違った音色だ。彼のピアノの音色には光をさすものが感じられる。そしてフジ子さんの音色には孤独に満ちた悲しさを感じる。二人のカンパネラを聞いたが、どちらも感動する。ほんとうに素晴らしいものだ。この感動させる音色は、たえまない努力と音楽に対する情熱から生まれてくるものである。
私の語りも、つねに言葉に対する情熱と、それを伝えたい気持を高めていくしかない。お客がまだ集まらないのは私がまだ未熟なのだろう。見えないお客が、もっと頑張ってと言っているのだろう。でも今は私を応援してくれる人達がいる。自分自身に負けないように生きてゆきたいだけだ。愛が人を勇気付けてくれるものだ。
今日は野間明子さんの朗読がある。彼女はどんな聲を発するのだろうか。二十年前は凄い聲の持ち主であったが、いまはどう変わっているのか。身体との不調との闘いであるが前向きに聲を出してもらいたい。

2009年6月 9日 (火)

田川紀久雄日記

減反が農林族によって阻止された。日本の未来の食糧にたいして欲の突っ張た人たちによってこの国の危ない。美味しいお米が食べたいものだ。農薬のつかわない自然なお米を。癌の治療には無農薬野菜や、玄米が良いといわれている。野菜はいくらかは無農薬野菜を取り入れた生活を送っているが、お米までは手がまわらない。
失業者や自殺者が増えている。毎日電車は人身事故が起きている。衆議院選挙で、国民を欺く公約だけはしてもらいたくはない。政治でできることと、国民の一人ひとりが何かの役に立ちたいと思って人生を生きることをすれば、世の中は少しは良くなっていくだろう。
宇宙から見るとこの地球がいかに環境破壊が進んでいるか一目瞭然とわかる。それなのに環境対策はなかなか進まない。高速道路の千円によって排気ガスが一挙に増えた。無料化になったらもっと増える。電気自動車のみを無料化すべきだ。私の住んでいる側を走っている産業道路は大型車のくるまで排気ガスは凄いものだ。癌が増えるのもこの排気ガスとの関係もあると思える。
堀本恭三さんからカンパをいただいた。彼も無職なのにありがたい。何とかして詩語りの仕事を増やしてゆきたいものだ。最低の生活が出来えるところまで漕ぎ着けなければならない。

2009年6月 8日 (月)

田川紀久雄日記

夏目漱石は、知識人の孤独について、他者にたいしての思いやりのなさを述べている。入院して医師と付き合っていて一番感じることは、患者にたいしての説明不足である。医師は技術のたしかさと同時に人間性の豊かさを求められているのではなかろうか。別に人格者になれというのではない。他人をおもいやる心をもつことが大切だといいたい。クオリティ・オブ・ライフは神谷実恵子さんは『自分の存在は何かのため、またはだれかのために必要であるか』と述べている。
詩の朗読も、いのちの質を求められているのではなかろうか。そのような詩を書いて語ってゆきたいものだ。何かを伝いたい気持がよりより朗読に繋がってゆくのだと思う。そのために聲を鍛えていく意味もうまれてくるのではなかろうか。熱海のライブを終わっていろいろと考えさせられることがあった。いろんな経験を積むことによって、語りは進歩していける。神谷さんがのべるように、だれかのために必要な語りを行なってゆきたいものだ。そのためにはどうすべきかを練習の中から見出してゆかなくてはならない。詩人の朗読の可能性についても深めた思索をしていかねばならない。これからの環境問題や老後の問題などにも、詩人の語りの世界を広げるべきだと思う。
詩人クラブが法人化になったが、社会的な仕事をしていっているのだろうか。なんのための法人化であったのか、いまだみえてこないような気がする。七月の『詩人の聲』の参加者が増えている。多くの詩人たちが聲を出す機会を持つことによって、詩そのものに変化が生まれてくるかもしれない。六月の『詩人の聲』では長い経験をもつ歌人や詩人が参加している。いろんな聲の持ち主がいる。お金があれば聴きにいきたいものだ。私の語りも十九日にある。一人でも多くのお客が集まってくれることを願う。

2009年6月 7日 (日)

田川紀久雄日記

今日という字は、今を懸命に生きるといことばだ。そして明日は、明るい日になるという字になる。言葉はそれなりの意味を持っているものだ。今を一所生懸命に生きることが、癌患者の生きるテーマである。今を大切にすることによって明日に希望を託す。
昨日金比羅歌舞伎のことをテレビで放映していたが、役者にとってはいかに場というものが大切かということを物語っている。お客と一致になれる場は、役者である以上望むものだ。詩人だって、語る場は大切である。役者の気持のわからない人間には、そんなことをいっても理解できないだろう。場を大切にすることは、そのことによってお客を大切にすることにも繋がる。
昨夜は脳天に痛みが走った。四、五回続いた。光の先に神がいることを見ることができた。不思議な現象を体験した。
「未来への旅」の詩が一篇書けた。十九日には新作を二篇読んでみたいと思っている。日々の闘いの中で生きることの楽しさを感じていたいものだ。今日を精一杯生きよう。人に役立つ生き方を求めていたいものだ。

2009年6月 6日 (土)

田川紀久雄日記

久しぶりに激しい下痢をした。胃の痛みもあったがなんとか治まった。
クオリティ・オブ・ライフ(QOL)という言葉がある。日本語だといのちの質を高めることだと思う。このいのちの質を高めることによって癌患者が自然治癒で癌が消えてゆくこともある。末期癌といわれた場合、このいのちの質を高めていくことで、癌と友達になって生きていくしかない。私の場合、癌になる前から詩語りに打ち込んで生きてきた。そして末期癌と宣告されても、それほどの恐怖を感じなかった。それは詩語りに打ち込んで生きてい行けばなんとかなるのではないかという思いがあったからである。
抗癌剤の治療をおこなっていた時期は、聲を出すのが辛かった。思うように語りができない。自分の聲でありながら、思うように聲が出せないことは辛かった。でも聲を出す場を提供してくれた天童大人が企画している『詩人の聲』に参加させてもらうことによって、なんとか聲をだせるまでになってきた。このことが私の癌対策にとてもよりよい効果があったと思う。だから一年以内に死ぬはずの私が二年すぎても生きていられる。いかに聲をだすことが私の願意とっては有効であるかということだ。人生をより豊にいきることは、自分の人生の質を高めていく以外にはない。たまたま私にとって詩語りが私の人生を豊にしてくれたのである。ここまで聲が出せることはある意味で奇跡にちかいことなのだ。そして私に詩語りの場を提供してくださった方々には心から感謝している。
私は、癌が治っていない以上、もっとこのいのちの質を高めながら生きていく以外にはないのだ。癌を凝視しながら聲をだしてゆく生き方はそれなりのドラマがある。マリンスあたみいのライブも、私なりに良かったと思う。昨日ビデオで確認したが、それなりの聲がでていた。批判は批判として受け入れながら、もっと前向きにいのちの質をたかめる生き方をしてゆきたいものだ。

田川紀久雄日記

2009年6月 5日 (金)

田川紀久雄日記

操車場25号の発送ができた。こんなに長く続くとは思わなかった。詩語りが私の寿命を長引かせてくれている。生きる意味を明確にすることによって、免疫力が高められていく。熱海の反省点は、もっとお客に向けて語る技術を身に付けることである。一時間詩を語るだけではなく、もっと話を取り入れながら楽しい世界をつくらねばならない。
社会の中で詩を語ることの意義を追求していかねばならない。そういう意味では井上リサさんの今回の企画はそれなりに意味があった。お客に対するサービスにかけていたということだ。詩人たちの前で語るとは訳が違う。そのことをこの公演から学んだ。お互いに行き違いがあったが、私には多く学ぶものがあった。
多くの癌患者が私のブログを読んでいるだろう。だからつねに前向きで生きていかねばならない。癌になったことで活かされていることを報告していかねばならない。癌になったことを悔やんでも始まらない。事実を受け入れながら、どうしたら人間として生きることができて、人の為に生きていけるのだろうかと前向きに考えていくことだ。家族も辛い。だから当事者は愛する家族のためにも、生きる希望を失ってはならない。人は癌でなくてもいつかは死ぬのだ。癌は死を見つめながら生きられる。そのことはとてもとても幸いなことだと考えることだ。「雨ニモ負ケズ 風ニモマケ負ケズ アラユル批判ニモ負ケヌ 丈夫ナカラダヲ持ッテ 生キルコトガ 癌ニハ大切ナコトダ」癌と共に生きることの意味をみんなで考えて生きたいものだ。そして宮澤賢治の世界への幸せを求めて生きて行くことだ。

田川紀久雄日記

操車場25号の発送ができた。こんなに長く続くとは思わなかった。詩語りが私の寿命を長引かせてくれている。生きる意味を明確にすることによって、免疫力が高められていく。熱海の反省点は、もっとお客に向けて語る技術を身に付けることである。一時間詩を語るだけではなく、もっと話を取り入れながら楽しい世界をつくらねばなrない。
社会の中で詩を語ることの意義を追求していかねばならない。そういう意味では井上リサさんの今回の企画はそれなりに意味があった。お客に対するサービスにかけていたということだ。詩人たちの前で語るとは訳が違う。そのことをこの公演から学んだ。お互いに行き違いがあったが、私には多く学ぶものがあった。
多くの癌患者が私のブログを読んでいるだろう。だからつねに前向きで生きていかねばならない。癌になったことで活かされていることを報告していかねばならない。癌になったことを悔やんでも始まらない。事実を受け入れながら、どうしたら人間として生きることができて、人の為に生きていけるのだろうかと前向きに考えていくことだ。家族も辛い。だから当事者は愛する家族のためにも、生きる希望を失ってはならない。人は癌でなくてもいつかは死ぬのだ。癌は死を見つめながら生きられる。そのことはとてもとても幸いなことだと考えることだ。「雨ニモ負ケズ 風ニモマケ負ケズ アラユル批判ニモ負ケヌ 丈夫ナカラダヲ持ッテ 生キルコトガ 癌ニハ大切ナコトダ」癌と共に生きることの意味をみんなで考えて生きたいものだ。そして宮澤賢治の世界への幸せを求めて生きて行くことだ。

2009年6月 4日 (木)

田川紀久雄日記

抗癌剤に治療を二四サイクルを行うと、その後の後遺症に苦しむものだ。一サイクルは三回の抗癌剤治療を注入する。そして一週間中止してまた行なう。私は七二回の抗癌剤を身体に投入したことになる。手術ができない以上この方法しかなかったのだ。最期に身体が悲鳴をあげて抗癌剤の治療をやめたのである。そして詩語りの為に聲をあげようと思ったが、二年近く自分の思うような聲が出なかった。
今日一日生きていたい。これが末期癌者の願いである。そのためには自分の人生を何かを懸けて生きるものを持っていなくては生きてはいけない。
いま一時間語りをおこなっていると相棒からも最後の方は息がきれて聲がそれほど出ていなかったよと言われることが多い。だからこそ聲の精進に励んでいる。もし何もしないで語りにのぞんだら、まるきし聲がでないだろう。
癌と闘って生きてこられた方には、抗癌剤治療の苦しみが理解されると思うが、普通の人にはまったくこの苦しみは解らない。末期癌を生き抜くには日々の中では相当に苦しいものがある。人前では元気で笑い顔で生きている。まず手の痺れで指先に感覚がない。いまこうしてパソコンを打っていてもジンジンと痺れておる状態である。それに歩くと腰の痛みを覚える。

身体に負けないように生きたい。免疫力を高めたい。そう思って詩語りに残りの人生を懸けている。今年に入ってから、いくらか人に聴いていただける語りが出来るようになってきた。末期癌者でこうして元気に生きている。そして詩を語っていられることをライブを通じて伝えていきたい。
熱海では三味線を弾くとき指に感覚がなくておこなった。上手くはないがそれなりに弾けたことは嬉しかった。聲もスポーツクラブのような場所ではそれなりに出来た。いろいろとまだ問題は残っている。それを厳しく批判されてはどうにもならない。批判はそれなりに有り難いものだ。正直に言ってくれることは有り難い。これからの人生にとっても良いことなのである。批判されたことに感謝すべきであろう。
癌という字にくらべれは、嫌なイメージではない。詩語りと詩壇とはまったく何の関係もない。詩語りは私個人の問題である。詩語りをいろんな場で行なうことによって鍛えられ社会に広げられていけるチャンスの場であった。
温泉に入れて、腰の痛みがいくらか良くなった。いろんな事があったが、自分に負けないように明るく生きていたいものだ。なぜ宮澤賢治をということだが、「青森挽歌」や「永訣の朝」は死を扱った作品である。癌にとっては最大の問題である。どう死を受け止めていくかをテーマにしてゆくのも、癌患者の仕事である。
私の背後には、今も抗癌剤と闘っている人達がいる。そのような人達のためにも前に向かって生きていかなければならない。どうしても人明かりの仕事をしたい。一般の人達に非難されても癌の苦しみから思えばなんでもないことだからだ。医学の勉強しているひとには人の心の痛みや苦しみを理解する能力が一番大切なのである。ケアという言葉は、同じ目線で物を考えたり共に行動することなのである。

2009年6月 3日 (水)

田川紀久雄日記

私が抗癌剤の医療や手術を拒んだのは、どうしたら人間として最後まで生きられるかということで判断をしたのだ。医師は抗癌剤の治療で癌細胞を小さくしてから癌の手術をすう予定で治療を始めたのだ。この選択をするにはそうとうな勇気がいる。いまでもすべてを拒否したことが良かったのかどうかは誰にもわからない。でも現実にはすべてを拒否したことによって詩語りを続けられていることも事実なのだ。
熱海から帰ってから身体がとてもきつく感じられた。重い荷物を背負い、重い三味線を持って歩いたことはそれなりに身体には辛いものであった。でも語りが出来たことは嬉しいことだ。人々に癌について私なりの考えを伝えられたことは、やはり生きていられるからそこ行動ができる。生きていることの素晴らしさを感じる。それが人間として生きている証拠にもなる。癌患者の前で、いま生きていることの歓びを感謝するイベントを行ないたいものだ。「みんな手をつないで生きていれば怖くはない」という名の運動をしたい。残されたいのちは人明かりのために使い果たしたい。演奏をできる癌患者の演奏家がいないものか。一緒になって運動をしてくれる人を探したいものだ。生きていることがどんなに素晴らしいかということを伝えて生きたい。いま個の社会は夜の世界になっている。だからこそ癌患者がこの世に光を与える勇気をもつことで、世の中は変わっていくはずだ。私は無能力者じゃない。確かに貧乏をしている。明日の生活費のも事欠いている。だけれどの誰よりも負けないで生きている。
いまちょっと胃が痛むが、今日から「操車場」の印刷と製本に取り掛からなければならない。今週中には、購読者に送られるだろう。

2009年6月 2日 (火)

田川紀久雄日記

鈴木良一さんから原稿と、新潟ライブの詳しい場所と時間の連絡があった。古い民家を改造した画廊で行なう。聴き手と語り手がうまく調和が保たれる場所らしい。このような空間で『生命の旅』を語りたいものだ。本当にうれしい。画廊の名前はFull Moon である。
昨日見た大楠が私の前に現れた。来の宮神社には坂上田村麿が参拝した場所だ。伊豆は出雲の語源にからきたのかもしれない。有明の光の意味の謎もすべて解けた。そのことを坂井さんに説明をする。光とは太陽であり神道の鏡でもある。私は一度熊野に行ってみたくなった。そして空海の密教えを深く知りたくなった。生命の源への旅がこれから始まるのかもしれない。
詩語りももっと磨きをかけていかねばならない。光り輝く太陽のように、生命力に満ちた世界を作りあげることだ。聲の力のみがそこに到達する道でもある。聲を疎かにする人は、聲(朗読・語り)を発する資格はない。大楠は、まるで私の体内に存在する癌のように、生命力に満ちている。癌は、逆に私を守ってくれているのかもしれない。2千年も生き続けている楠は私の中で癌と一体になって私を守ってくれる。そういう意味では昨日の熱海の旅はとても良かった。神々は私を招いてくれたのかもしれない。井上リサという巫女によって招かれたのだろう。

天童 大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバとを聴く! 
プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)
―肉聲の復権を目指す、「目の言葉」から「耳のコトバ」へー  
6月
第341回6月2日(火)ギャルリー東京ユマニテ 四元康裕(2)
第342回6月3日(水)ギャルリー東京ユマニテ 中原道夫(3)
第343回6月4日(木)Star Poets Gallery 村山精二(2)
第344回6月5日(金)サロン・ラ ルーチェ 紫圭子(4)
第345回6月8日(月)サロン・ラ ルーチェ 薦田愛(20)
第346回6月9日(火)サロン・ラ ルーチェ 竹内美智代(2)

第347回6月10日(水)ギャルリー東京ユマニテ 
野間明子(初参加)
第348回6月11日(木)サロン・ラ ルーチェ 有働薫(10)
第349回6月12日(金)ギャルリー東京ユマニテ 大島龍(2)
第350回6月15日(月)ギャルリー東京ユマニテ 片山令子(初参加)
第351回6月16日(火)ギャルリー東京ユマニテ 福島泰樹(初参加)
第352回月19日(金)ギャルリー東京ユマニテ 
田川紀久雄(
15) 『見果てぬ夢』を語る
第353回6月22日(月)ギャラリー華  井田秀樹(初参加)
第354回6月30日(火)ギャルリー東京ユマニテ 平田俊子(2)

2009年6月 1日 (月)

田川紀久雄日記

熱海ライブが無事に終わった。今回は鵜澤明人と井上リサさんのお陰でお客も三十人が集まり楽しいイベントができた。そして井上リサさんとの対談もそれなりに和やかにできた。お客さたちも真剣になって聴いてくれた。思い出に残るライブであった。
熱海で一泊しゆったりと温泉に浸かることができた。腰の痛みに良い治療であった。
来宮神社の楠の大木がすごかった。2000年になる木である。こんな大木を見たことがなかった。家に三時ごろ戻る。

田川紀久雄日記

熱海ライブが無事に終わった。今回は鵜澤明人と井上リサさんのお陰でお客も三十人が集まり楽しいイベントができた。そして井上リサさんとの対談もそれなりに和やかにできた。お客さたちも真剣になって聴いてくれた。思い出に残るライブであった。
熱海で一泊しゆったりと温泉に浸かることができた。腰の痛みに良い治療であった。
来宮神社の楠の大木がすごかった。2000年になる木である。こんな大木を見たことがなかった。家に三時ごろ戻る。

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