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2009年4月30日 (木)

田川紀久雄日記

厚生労働省令によって改正薬事法が六月から変わる。生薬が買えなくなる。これはむちゃくちゃな話である。いままで漢方の生薬を買って自分流に調合して飲んでいたものが、飲めなくなる。そして通信販売が禁止になる。今度の改革によって漢方そのものの議論がまったく抜け落ちてしまった。製薬会社からの調合されたものを買いと馬鹿高い。私のような所得のない人間は死んでしまいないさいといわれているかのようだ。薬膳カレーも作れなくなる。
西洋医学の薬だって、本当に効くのかわからないものが多い。その最たるものが抗癌剤である。人に苦しみを与えるもののようである。抗癌剤は人によって効くかどうか解らないものだ。そして一回をこなうと三万円近くふんだくられる。それにCTをおこなうと一万円はかかる。CTやレントゲンは身体に悪影響を与えるものだ。癌で手術をすると合併症などで死ぬことが多い。そういう意味で癌は大変な病なのだ。癌を治すには、癌という意識を忘れてのんびりと生きることしかない。そして自分の好きな道をもとめていくしかない。病気という字は気が病むとかく。つまり癌も気の病と思えば気持も楽になる。末期癌になったら、好きなことをやって癌のことを心配しないで生きるしかない。人は誰でも死ぬのだから、死をそれほど怖れることはない。いや死を見つめられることによって、人は他人にやさしくなれる。死を見つめることは人間にとって一番大切なことなのだ。だから私は末期癌と宣告されて、癌に感謝をしているのだ。もし癌にかからなかったらこの消費世界の中では死を気づかずに、快楽ばかり求めていたに違いない。癌になってからの在り方を詩集にまとめてきた。それを多くの人たちに語り聞かせていきたいものだ。いまそれが私の仕事になっていけばよい。

2009年4月29日 (水)

田川紀久雄日記

朝日新聞の朝刊にチェルノブイリの街の写真が載っている。朽ちた街と書かれてある。ソ連が崩壊した原因の大きな要因の一つにこの事故があげられる。ソ連体制の矛盾がこの事故に集約されている。この事故からもう二十三年にもなる。アラン・ワイズマンが書いた『人類が消えた世界』とそっくりである。私は大きな写真集でこのチェルノブイリを持っている。見るとぞっとする光景だ。日本の政府ではこの事故に対して無関心を装っている。そして電力会社は原発は安全と啓蒙している。いまメキシコから発生した豚インフル騒ぎではすまされない。日本人もっと怒りの心を持つことだ。怒りを忘れた人は、ただの飼い猫になってしまう。
それから失業給付金も外国の労働者にはなかなかうまく生かされていない。派遣村の人達はその後どうなったのだろう。介護制度も人間を点数でみること事態がおかしい。まず困っている老人を助けることが先決なのに、この点数うに満たないとなかなか受けることができない。国は膨大な赤字国債を発行して未来に不安を残してしまった。
昨日癌患者のケーアをしているNPOに癌患者の前でいのちと語りをやりたいのですがと言ってら最初から断られてしまった。若いときの新垣勉さんが、歌いたいのですがといって話を持っていっても、あなたはどこの音楽大学を出ているのですかと聴かれて、断られた。それと同じように、日本の社会は知名度がないと人を信じてくれに。悲しい社会だ。盛永宗興老師法話集『無生死の道』を読むと、この断られたことで自分が鍛えられていくものだと述べている。つねに自分と闘う心こそが必要なのだ。
夜の十時頃、井上リサさんから電話が入る。熱海で詩語りをしませんか、という話だ。とてもうれしい話である。語りを行なうことを念じて生きていれば、それほど世の中は捨てたものではない。本当の語りを行ないたい。今の世の中は二人に一人の割合で癌になるといわれるようになってきた。そのためにも、私のいまの経験を生かした話もしていきたいものだ。この話が決まるとありがたいものだ。人の生きることに役立てる人生を送りたいものだ。

2009年4月28日 (火)

田川紀久雄日記

抗癌剤の治療を中止してから半年になるが、身体の変化はない。いったい抗癌剤の治療は何であったのだろう。二年間の抗癌剤治療は、精神的な苦しみと身体へのダメージは与えただけではなかったではなかろうか。癌に耐えてこられたのは、ただの精神的な問題ではなかったのだろうか。抗癌剤で効くとか効かないお差は、本当は薬ではなく、心の問題であるような気がする。日々気持よく生きることが癌の最大の治療のように思えてくる。そのような生き方はなかなか難しいことであるが、癌を宣告されたら、心を在り方を入れ替えた生き方ができれば癌は消えていくものである。癌にとっての対策は手術や放射能・抗癌剤の治療ではなく、いかに快適に生きるかが問題なのだ。私はとことん貧乏の中で生きている。そして一番マイナーな世界で小さな夢に向かって生き抜いている。それは詩語りで人明かりになれる人間になりたいと思って真剣に生き抜いている。
そのためには詩語りを行なうためには自分はプロだと言う気持を持つことが大切になる。またそのような人生を送ることに努力をしている。その努力が生きる張り合いを生んでくれる。あとはこの詩語りを応援してくれる人達が出てくれることだけだ。プロになることは、妥協なき語りとの闘いが、きっと人の心を打つ世界を編み出してくれることを祈るだけだ。
井原修さんから『裏町文庫周辺記』が送られてきた。その中に私が行なっている「詩語り」のことも載っている。でも悲しいことは、詩語りライブを行なっても知り合いの詩人たちはほとんど来てくれにことだ。一回でも聴きにいけばそれで充分だと思っているらしい。私の詩語りは日々成長している。そのことを聴きて貰いたいのだが、なかなか難しいことだ。

井上リサさんのブログから引用させてもらう。

坂井のぶこの『有明戦記』詩語りライブのDVDを鑑賞する。このライブは,2008年9月16日にStar Poets Galleryで行われたものをノーカットで収録したものである。
 一般に「詩語り」という表現ジャンルは馴染みの少ないものである。それどころか,「現代詩」というもの自体がますます特異で,それを書いた詩人以外は理解不可能との印象を持たれているのだから当たり前である。そんな詩人が自作の詩を朗読するという「詩語り」にわざわざお金を払って聞きに行くのは,相当に奇特な人間ということになる。
 しかしこの,坂井のぶこの『有明戦記』は面白い。詩としても完成度は高いが,それよりも,まず他の分野,例えば映画やジャズライブや舞台公演といったエンターテインメントのジャンルに入れても遜色がないほどに楽しめる作品である。現代詩でこのような作品に出会うことはまさに奇跡に近い。
 『有明戦記』は坂井のぶこの第十詩集で,この詩集に収められている詩は全18章からなる1扁の長大な詩である。
 長野県の松本出身の坂井のぶこが,安曇野の有明地区に伝わる「八面大魔王」の説話・伝承から着想を得た作品である。この作品を読むには,この地域のことを民俗学的,および地政学的に知っておく必要があるだろう。
 まず,旧国名では信濃であったこの場所は,四方を錚々たる山々と盆地に囲まれて海がない。海がない代わりに木曽川や天竜川が横断し,川沿いの集落では魚だけではなく,川底に生息するトビゲラやカワゲラの幼虫,地蜂(クロスズメバチ)の幼虫も食すという独特の食文化が形成されてきた。
 近世までの人々の貧しい暮らしぶりは,松本市や伊那市などが編纂した市制史を紐解けば,当時の集落の人々の困窮した暮らしぶりも知ることができよう。
 そして『有明戦記』のプロットになっている「八面大魔王」の物語とは,坂上田村麻呂の北征の際,信州の貧しい農民が年貢を強要されているのを見かねた八面大魔王が,農民のために田村麻呂と戦ったというこの地方に伝わる伝説である。現在,安曇野市内のいたるところに,田村麻呂に成敗された八面大魔王の胴体,首,足などが祀られた神社などがある。

 『有明戦記』で描かれている世界は,現代詩にしばしばみられる実験的なコンテクストの試みでもなければ,随想的なスケッチでもない。全18編からなるこの長大な作品は,古代-近世-近代-現代と時系列につながった,ある一族を主軸にした年代記である。
 この一族とは,作品の中では具体的には言及されてはいないが,想像するに,例えばそれは,佐々木守が『ウルトラQ ザ・ムービー』の中で描いたワダツジンや,金城哲夫が『ウルトラセブン』の中で描いたノンマルトのような存在である。つまり,これらの一族や,有明のかの一族に共通していえることは,日本の国土,風土の中で生活しながらも,それとは系譜の異なる異質の文明・文化を秘めて暮らしてきた人々,ということだ。
 佐々木守が描いたワダツジンの伝承に登場する神獣・薙羅(ナギラ)や,金城哲夫が描いたノンマルトの神獣ガイロスが八面大魔王に相当するものである。

 詩人,坂井のぶこによって紡ぎだされる『有明戦記』は,壮大な神話世界の中で描かれる「戦い」,「略奪」,「陵辱」の繰り返しの荒々しい歴史が一族の末裔に瘢痕のように記憶されて,それが現世人と交わることでエロスが一気に開封されていくような,濃縮された野性を感じる作品である。
 自分の身体に刻印されたDNAによって発情させられた身体が,神の思惑で生け贄のような肉塊になっていく様子は,劇画家・前田俊夫の代表作『うろつき童子』にみられる暴力的,かつ「死」と「エロス」の領海を快楽をもって行き来する凄まじさと同様のものを感じるのである。それは後半にかけて,震えるような肉声でたたみ掛けてくる坂井のぶこの情念で一層に増幅される。その肉声は,鮮血が充満した器官のようにてらてらとした艶と張りがあり,まるでばらばらに切断された八面大魔王の身体を呼び戻すかのような悲哀に満ちた声である。
 坂井のぶこは20代から詩作を始め,30代になった頃から肉声による詩語りを本格的に始めるようになった。現在も続けている詩語りは年代的にも円熟味を増し,またこれまで活動をともにしてきた末期癌の田川紀久雄の「死」と「エロス」を共有しているであろう今だからこそ,もう一度この状況で『有明戦記』の詩語りを聞いてみたい。

井上リサさん本当にありがとう。坂井のぶこさんの語りでこんなことを言ってくれたのは井上さんだけだ。ある詩人は坂井のぶこの聲を認めない人もいる。

2009年4月27日 (月)

田川紀久雄日記

昨日横浜のジャズライブハウスで川崎詩人会主催の朗読会をおこなった。ジャズ演奏の中で詩を語るのも楽しかった。一人で語るのとは全く別な歓びもある。つまりジャズマンと共同で一つの世界を作る楽しみはなんともいえないものがある。上手くいったかとうかビデオで確認しないとなんともいえない。他のひとの朗読も以前から見ると力が付いてきている。それだけ詩人たちの朗読の回数が増えてきているせいだろう。残念なことは詩人たちは詩人以外の人を呼べないということだ。私の聲を聴きに来てくれた人がいたが、私が終わってから来たので、私の聲を聴くことができなかった。二次会三次会に出席した。それなりに楽しい日であった。ちょっと出費がかさんだのがきつかった。やはり私には語りで収入がないと無理な付き合いはできない。
『詩人の聲』はあくまで聲を鍛える場である。それが朗読の基本であるからだ。聲が自由に出せれば、感情の入れ方にも大きな幅ができる。聲の力のない詩人が詩に感情をいれると嫌味になってしまう。そこの所が解らない詩人が多い。天童大人氏が企画した『詩人の聲』に参加した詩人たちはこのことが肌で感じていくことだと思う。マイクなしで一時間を十回以上行なった詩人は、その経験を積まない詩人とは大きな差がある。もうすぐで百人近くの詩人がこのイベントに参加する。せめてでも十回以上参加をしてもらいたいものだ。私も十四回ほど参加させてもらったことによって、それなりの力が付いてきた。末期癌にかかってから六、七回は聲の力に不安を感じて行なってきた。全ビデオを撮っている。それを見ると良く解ることだ。癌の力を聲の力で封じ込めていく過程がわかる。悪い時の声の力も見てもらえれば、聲の力は癌に対して向き合えることを証明できる。このことは癌治療に大きな課題を提供している。つまり大きな聲を出すことは、新しい空気を体内にと取り組み、そして体内の空気を思いきり外に放出するからだ。新鮮な空気を循環ができるから癌治療にとっても有効な手段であると思う。詩語りは末期癌の治療に役立っていることを私は自分自身で証明をしている。
昨日金井英人さんが、そんな聲をだしる倒れるからと心配してくれた。私は「一時間や二時間聲を張り上げても倒れることはありませんと」返事をした。まさか末期癌の人がこんなに聲が出させるとは思っていなかっただろう。つねにいのちがけの聲を発していたい。そして内面的に豊かな聲を作っていくことが私のこれからの課題である。

2009年4月26日 (日)

田川紀久雄日記

このところ、ほとんど本を読んでいない。それは老眼鏡が合わないからである。メガネをかけるとすぐに眼が痛くなって活字が読めなくなるからだ。それとそれほど興味をひく本が少なくなってきている。いまの私は語りの稽古をおこなうことと。よく睡眠をとること、そして物事を考えることに時間を費やしている。睡眠のまえには音楽を聴いていることが多い。久しぶりに短いエッセイを書いた。
今日は横浜で川崎詩人会主催の朗読会がある。ジャズと行なうのは何十年振りである。中村達也さんと横浜で一回行なったことがある。馬車道にある喫茶店であった。私の持ち時間は十五分程度。どうなることか心配だ。このあとは語りの企画は何もはいっていない。ちょっと淋しい感じだ。
川崎の宮前区に動物の実験の研究所があることを知らなかった。人間の医学にとって必要なのかもしれないが、やはりやりきれない感情が先に立ってしまう。浜川崎の猫がいなくなるのはそのためにかと思ってしまう。メキシコでは豚のインフルエンザで死者が六十人出たという。医学が発達すればするほど細菌も新種がうまれ人間に対抗してくる。この地球からもう人間はいらないといわれているような気がする。私の身体もどこまで癌に耐えて生きていられるのか。手の痺れ、腰の痛み、ときどき胃の痛みに耐えて生きている。
人は絶望だけでは生きられない。やはり何らかの夢を持っていなければ生きられない生き物が人間なのだ。癌だからといって絶望になることだけは避けたいものだ。癌はすべととはいえないが、生きようと思えばそれなりに生き続けられる病なのである。そのためにはどんな小さなことでも希望を見つけることがまず大切である。そしてそれを応援してくれる人達と友達になってゆくことである。今の日本には癌患者を応援する組織がない。一人で苦しんで病院で亡くなっていくひとがあまりにも多すぎる。一人でも多くの癌患者が生きる希望をもってこの社会で生きてもらいたいものだ。そのためになんとかして『詩語り』で勇気付けられる仕事をしたい。それだけの力を自分が持っていきたいものだ。人は癌で死ぬのではなく死はあくまで寿命で亡くなるのである。まず私が夢を持ち続けている人間である。絶対未来に向けて元気で生きていたいと願う。

2009年4月25日 (土)

田川紀久雄日記

草彅剛さんの件は周囲が騒ぎすぎた。鳩山大臣の言葉は、言いすぎだ。あれは権力の暴力である。全裸という言葉が独り歩きしてしまった。人前で全裸になったわけでもないのに。人は生まれた時は裸なのだ。
この前のライブに聴きに来てくれた方が「操車場」の年間購読者になってくれた。いまの世の中では癌で悩み苦しんでいる人がいかに多いか。三人か二人にの割合で癌に罹る。でもその苦しみや悩みの聲がほとんど聴き届けられないでいる。癌に罹ったひとたちは必死になって日々闘っている。特に末期癌といわれ治療から放り出された人の苦しみは計り知れないものがある。その私は西洋医学を拒否して生きている。それは詩語りを続けていたいからである。
兵藤裕己著『琵琶法師』(岩波新書)のカバーの裏に「あの世とこの世(あいだ)に立つ盲目の語り手」と書かれてある。まさに私のように末期癌に罹って語りを行なっている人のことではなかろうか。詩語りは新しい芸能なのだ。わたしはくずれ三味線という名で詩を語ってきた。そして最近の詩集『未来への道』(三部作)ではこの病を通していのちの在り方を語っている。そしてこの病に苦しんでいる人の前で語ることの大切さをこのところ身に感じている。詩人たちの馬鹿どもには私の語りの必要性がまったく理解していない。本当にいのちと向き合っている人達のためにもっと前向きになって生きることである。私のくずれ三味線は、山鹿さんがくずれ琵琶という言葉を使っていたのを真似て、私はくずれ三味線弾き語りとしたのである。末期癌者はある意味で(あの世)と(この世)の中間点にいるような気がする。死を見つめる心と生をみつめる心がいつも交差しているからだ。でも癌を嫌わず友達を思うようになってからは気が楽になっている。私にはまだ残された仕事がある。その仕事がある以上癌はこれ以上私に襲い掛かってくることはないと思う。『詩人の聲』では病を通して語りとの懸命なる闘いを行なうことが出来た。お客は集まらなかったが、それなりの意味があった。まさに聲が鍛えることができたということだ。これからはもっと「いのち」について語ることをしてゆきたい。それから漢方は何とかして手に入れたいものだ。
井上リサさんが先日のライブDVDのことをブログに書いてくれた。井上リサの臨床美学研究室を覗いてみてください。

2009年4月24日 (金)

田川紀久雄日記

午前中漢方の店(桃李堂漢方薬局)に行った。六月から漢方の薬が買えなくなるという。店で単独の漢方そのものを売ってはならないという国の方針なのであるという。抗癌剤を中止して漢方薬で免疫力をつけていた私には困った話だ。日本の医療は西洋医学が基本なのだ。
私は癌に有効と思われる漢方を勝手にミックスして飲んでいる。それが出来なくなる。効くか効かぬか解らない薬を売ってはならないということなのだろう。今の中国でも七割以上が西洋医学である。癌患者にとっては非常事態である。このことは精神的にもきつい。国が決めた漢方しか買えなくなる。民間療法は罷りならぬということらしい。今日は当帰という漢方を買いにいったが、六月からは手に入らなくなる。この当帰は血の流れを良くするものである。セリ科はたいてい血液に良いものが多い。横浜の中華街でも売れなくなるらしい。食事に利用した漢方も手に入らなくなるという。漢方の店でも、六月から個々の漢方を売ることに怯えている。もし発覚したら店の営業が出来なくなるという。この国は国民のいのちなど何とも思っていないことがはっきりしてきた。怒りがこみ上げてきた。

田川紀久雄日記

日本の政府は、国民のいのちを守れない。介護の問題でも酷いものだ。私も妹(知的障害児)の面倒をみるために、とうとう一度も会社勤めができなかった。(現在は施設に入っている)。そのために年金が払えなかった。面倒を見る人に手厚い仕組みを作ってもらいたいものだ。そして公立病院のベッドが三割もこれから削減するという。医師不足である。この医師不足を作ったのが国の政策であったはずだ。原子力発電も、国民を無視した政策である。原子力産業は土建事業なのだ。ゼネコン疑惑が多いのはそのためである。チェルノブイリ事故で、ロシアの人口が減っているのだ。事故の全貌をロシアはほとんど発表していない。日本もその危険性を国民に伝えていない。電力会社はCO2を排出しないという。もっと恐ろしい核の恐ろしさは何ひとつ説明されていない。ごまかしの電力会社の広告にはあきれてはてたものだ。
CO2という言葉で、景気対策に利用されているだけだ。アマゾンでも森林はどんどん伐採されている。その木材を買うのが日本の企業なのだ。うさび小屋の建物は、ほとんど外国からの木材である。ベイや板をくみあわせて作る。建ててもそれほど長持ちはしない。東京の木で家を建てる運動をしている人達がいる。杉の森を何とかいかした建物ができないものなのか。
詩の朗読だって、まず詩人たちが応援してくれなかったら、どうにもならない。なにかと理由をつけて聴きにいくことはしない。詩壇には気をつかっても、利用価値のない詩人には手を貸してくれないのが現状だ。
私は最後まで自分に負けないで闘ってゆく。くだらない詩人の組織に負けたくはない。詩人はあくまで一人で闘っている人のことをいうのである。こんなことを言うから詩人たちから相手にされなくなっていく。癌である今は、何者にも怖れることはない。ただ人の為に役立つ仕事をしたいだけである。癌になったことによって誰よりも生きるいのちを噛みしめて生きていたい。

2009年4月23日 (木)

田川紀久雄日記

増田幸太郎さんから温かい手紙が来た。彼は老いで悩んでいる。だれでもが歳をとりなくなっていく。これが自然という摂理だ。でも彼は数年前に妻をなくして淋しい状態だ。幸田さんにとっては詩を書くことが生き甲斐の一つでもあると思う。
先日テレビをみていたら、平均年齢が七十五歳の女性野球チーム登場した。皆さんとても元気なのである。顔も若々しい。昭和二十五年に大阪では女性のプロ野球のチームがあった。その人達がいまも元気で野球をやっている。とても七十五歳とは思えない表情である。
一つでも生きる楽しみを持てた人は幸いである。私も詩語りという世界を自分の生き甲斐と咲いていきている。一年に数回しか語る場がないが、それでもその夢に向けて生きていられる。ひたすら人明かりのできる語りを目指して日々精進していける。その原動力が、癌にまけない身体を作っていると思える。この世の中でいちばんマイナーな世界で見果てぬ夢を抱いて生きていくことは、想像を絶する困難が伴うが、その困難がまた生きる力のバネになってくれる。つねに自分自身に負けてたまるものか、と思うからだ。自分自身に負けたとき、癌が私の身体に襲いかかってくるのではなかろうか。前向きに生きていれば、癌など何も怖れることはない。
私はこの語りというマイナーな世界で闘っていることは、きっといつの日にか人明かりとして伝えられるとしんじている。だから死も私にとって一つのいのちなのだ。咲きゃDVDの映像を消して音声だけを聴いていたら、私の聲もそれほど悪くはないと思った。自分でいうのも変な話だが、よくここまで聲の力が蘇ってきたものかと思う。ライブでのお客は少ないが、こうして記録を残すことで、生きるが湧いてくる。確かにライブ場の響きはDVDでは半減してしまうが、それは致し方がない。DVDをなんとかしてCD化したいものだ。どうしたら出来るのだろう。
介護保険が収入七万七千円以下の人には半額になる。その記事を川崎市の広報で読んで市役所に出かけた。なぜこのようなことをいままでしらなかったのか、いや介護保険のこのような話はいままで聴いたことがなかった。そこで前に払ったお金は返してくださるのですかと聴いたら、払い込んだものは一切お返しできませんという。変な話だ。ほとんど収入のない私にとってこのことは大きな問題だ。まさにぼったくりである。無性に腹がたった。国民年金の不始末と同じではないかと思った。年金も二十五年支払わないと一銭も受け取れないとはおかしな話だ。私は二十四年払ったかもしれない。でも二十五年は払ってはいない。だから六十五歳すぎても年金は一銭も受け取れない。世の中は何かが間違っている。

2009年4月22日 (水)

田川紀久雄日記

アメリカは再処理工場を断念した。採算が合わないことと、原発ゴミ問題が解決されない。それなのに日本のプルサーマル計画はどんどん進められている。これからの熱の問題は自然を利用した環境にやさしいものに移行しいる。オバマ政権では核不拡散を念頭に政策が進められていくだろう。日本政府も本気になって核問題と取り組んでもらいたいものだ。
岩波新書から「琵琶法師――〈異界〉を語る人びと」が発売された。最後の琵琶法師山鹿良之さんのDVDがついている。私は山鹿さんのビデオを二本持っている。このような伝統芸能が現代文明の中で消えていってしまうのは悲しいことだ。ただ面白ければよいという安易ないまのテレビ番組ではますます心がゆがめられていくだけだ。芸能とは面白いとかつまらないというだけで聴くものではない。時代の中で長く培われてきたものなのだ。詩の朗読も、決して面白いものではないかもしれない。でも人間とって必要とされてきた世界でもある。学校でも詩を読む授業がない。詩の存在が国民に隠されている。それから説教節も今の人は知らないだろう。現代文明の弱さが、このような伝統芸能を評価しないところにある。私の詩語りも決して楽しいものではない。でも生きて人達のとって大切なものを提供しているはずだ。末期癌になって生きることの歓びを語り、それを精一杯の聲を張り上げて語ることは、同じ病で苦しんでいる人達にとって人明かりになると思う。私はつねに前向きで生きていた。最後まで生きる希望を持ち続けていたい。
井上リラさんから熱海の美しい風景のDVDが送られてきた。そこに私への励ましの言葉が書かれてあった。嬉しかった。どうしたらこのようなDVDが出来るのか教えていただきたいものだ。私はパソコンの操作が苦手なのでDVDをつくるのも、ビデオカメラからそのまま録画しかできない。編集の技術を習得したいものだ。私のDVDは医療費や生活費を稼ぐために製作している。買ってくれる人がいるとありがたい。

2009年4月21日 (火)

田川紀久雄日記

坂井のぶこさんが病院にいく。脳のCTを受ける。来週結果がわかる。
私自身も身体がつらかった。この気候の変化に身体がついていけないのかもしれない。秩父を
歩いたせいか足腰が痛んだ。でも自然の誘惑には勝てないものだ。
泉谷栄さんから食料が送られてきた。いつも気をつかっていただき感謝をする。
昨夜は、宮城道雄の琴を聴く。やはり素晴らしい演奏だ。彼の琴の響きは魂を揺さぶる。心を揺さぶる演奏は、いつも人明かりになる。私もはやく人の心を揺さぶれる詩人になりたいものだ。そのためには胸を張って生きることも大切なのかもしれない。演歌歌手のなかでも石川さゆりさんの聲にはいつも心がときめく。いま歌語りのような歌もうたっている。演歌もそう捨てたものではない。やはり生きた聲を持続していくことは大変なことなのだろう。惰性で歌っている歌手は、聴くのもつらい。聲が生きているということは、その人自身が今を真剣に生きている証なのである。
今現代美術も現代詩にも、なかなか心を揺さぶるものに出会えない。時代の波に乗っているだけで、本当の意味での個性がたりない。本物は隠れた場所で黙々と生きている。時代の波に安易に乗ってはいかない。無の中で雄大な世界を構築している。そのような人達と共に生きていたい。

2009年4月20日 (月)

田川紀久雄日記

羊山公園の芝桜は見事であった。枝垂桜や八重桜そして山桜などが見れた。今年は多くの桜を見れた。河津桜から始まって枝垂桜で終わった。そして山々の新緑が心地よかった。やはり自然は良いものである。
帰りにお花畑駅近くにある武甲書店に立ち寄ってみた。広さはギャルリー東京ユマニテほどの広さである。著名人がイベントをやったときの写真が貼られてあったが、狭い空間でマイクを使ってやっている風景である。福島泰樹までがマイクを使ってやっているとは情けない話だ。肉聲の素晴らしさが台無しだ。そして経営者の坂本さんの話ではオープン・マイクでは本当に良いと思う詩人がいないとのことだ。オープン・マイクからは優れた語り手などうまれてはこない。詩人の聲は人明かりでなければならない。それなのにオープン・マイクの人達は、聴き手などお構いなしに朗読している。ただの自己満足の朗読なのだ。これはどこのオープン・マイクの会場でも同じである。武甲書店発行の『詩誌・詩悠』に谷川さんへの20の質問が掲載されていた。谷川俊太郎の話を聴いてもどうにもならない。谷川俊太郎と違う自分を見つけることが大切なのだ。著名人などから詩人は得るものなどない。自分自身の遥かな夢を求めて人生の旅を深めるだけである。詩人たちよ、もっと自分との闘いをおこなうことだと言いたい。
車窓からみた杉の山は悲惨だ。もやしみたいのような杉が多い。手入れがなされていないからだ。自然が杉の山からは感じられない
詩歌の素晴らしさは、自分との闘いの記録であるからだ。山頭火にしろ、中原中也、宮澤賢治そして山本陽子たちが本物なのだ、最後まで自分との闘いに徹したからである。生きているときは、ほとんど他者からは相手にされなかった。詩人はそれでよいのだ。

2009年4月19日 (日)

田川紀久雄日記

気分転換のため久しぶりに秩父にいくことにした。
「詩と思想」から原稿依頼がきた。六月〆なので多分書けると思う。秩父にいくのもある意味で詩の材料を求めるためでもある。氷見敦子さんが亡くなる前に書かれた作品は旅を求めた中で書かれたが、私は末期癌であっても、生きるための旅である。何も悲しむことはない。自然の中で素晴らしいいのちを感じていたいのだ。生命の永遠性を求めて旅をしたい。そしてその永遠性に向けて聲を発してゆきたい。武甲書店で語りをやらせてくださいとお願いしても何の返答もない。大泉の古書店でも無視された。無名な詩人は呼べないといったところだ。私は世間の冷たい風には断じて負けない。精進をして人の心に温もりと生きる力を与えられる語りを目指して生き抜いてみせる。生きるもくてきはただ一つ人明かりをめざして生きることである。
ここ数日浜川崎に猫の姿が見えない。りゅうとらんは大丈夫なのだろうか。少し心配だ。どこかで餌を貰っていればよいのだが。
昨日は坂井のぶこさんの誕生日だ。すこしお祝いをした。彼女が落ち込んでいるので、秩父まで行くことに決めた。かつては秩父に何度も行った。秩父でも語りをした。(秩父神社の横の喫茶手・その他)。そして荒川のほとりで『峠の風』(秩父困民党)を毎年語ってきた。

2009年4月18日 (土)

田川紀久雄日記

アルバイト社員の勤務の実態は酷いものだ。仕事がきつく賃金も安い。仕事をやめたら、直ぐに別の仕事が見つからない世の中になっている。特に四十歳を過ぎると仕事の条件も厳しくなる。私の相棒が苦しんでいる姿をみるのがつらい。今の私は彼女になにもしてやることができないのがくやしい。
昨日は胃が痛んだ。この状況を変えなければならない。詩語りの世界ではいまのところどうにもならない。もっと深いところから人の心を掴む聲をださねばならない。どこでも良いから詩語りの仕事が欲しいものだ。ライブの現場で芸の力が本当に身につくものなのだ。テレビを観てもくだらない番組だらけ。生きる勇気を与えてくれる番組があまりにも少なすぎる。先日のライブでお客様から手紙を貰ったのがはじめてだ。やはり人の心を打つ聲をださなければ、誰にも相手にされない。特に詩の朗読はマイナー中でも一番マイナーな世界である。だからある意味でもチャンスもある。本気になって行なっていけば、競争相手はほとんどいない世界なのだ。
私は医者じゃないから人の身体そのものは治せないが、聲の力で生きる勇気を与えられる詩人になりたいものだ。そうすればきっと仕事も入ってくることだろう。いまは耐えて日々の精進をしていくしかない。末期癌だからこそ、前向きな生き方しか、この身体を活かす方法がないのだ。地獄の苦しみの中で本当の勇気を掴みとることだ。
今の時代でお金を稼ぐことは生易しいものではない。お寺でも病院でも詩語りをおこないたいものだ。昨日の手紙を頂いた方は、次も是非聴きにいきたいと書かれてあった。たった一人から二人と増えていくことを願うしかない。詩人はたんなる付き合いでしか聴には来てくれない。自分に負けたら末期癌がまた息を吹き返してしまう。いま進行癌でないから生きていられるのだ。聲の力で癌細胞を撲滅することだ。語りは命懸けで取り組んでいくことが、癌の進行を止めさせてくれているのだ。死の原因は癌ではなく、自分の生き方そのもので死の原因つながってゆく。癌はとても不思議な病なのだ。

2009年4月17日 (金)

田川紀久雄日記

昨日病院代が六千円かかった。そして手の痺れは、抗癌剤の副作用ではないかと医師は言う。抗癌剤を中止してから六ヶ月も経過している。やはり抗癌剤は逆に身体を破壊するものなのだ。癌を治すための治療によって、癌でない病を惹き起こしその原因で亡くなってしまうことが多いようだ。病院代も先日のライブの収入でやっと支払えた。『祈りと生きる歓び』のDVDの製作を行なう。何とか売って生活費の足しにしたいものだ。注文は漉林書房まで頒価2200円です。
このライブの模様を『井上リサの臨床美学研究室』のブログに書かれてあります。かつてにコピーさせてもらいます。井上リサさのおブロク見てくださいね。

4月15日,京橋のギャルリー東京ユマニテで『詩人・田川紀久雄 詩語りライヴ』が行われた。
 詩人の田川紀久雄さんは,もう何度かこのブログでも記事にしているが,現在末期癌にもかかわらず,精力的に詩の創作,詩誌の発行,そして今回のような肉声による詩語りのライブ活動を続けている。今回も,癌が発覚してから,それと闘うように書き続けられた作品の中から数編を抜粋して,肉声による詩語りが行われた。
 実は,私が田川さんの「詩語り」を聞くのは17,8年ぶりである。
 かつて銀座7丁目の現代美術画廊がひしめく通りに,ケルビームという縦に細長い空間のギャラリーがあった。このギャラリーは画家・梅崎幸吉が主宰していた空間で,作品の展示の他に,毎週のように音楽や詩のライブイベントが行われていた。そんな時代の詩のライブ活動の中心的人物だったのが田川さんである。毎週のように田川さんのもとには多くの詩人が集まって,肉声による詩語りのライブを行っていた。
 私が始めて田川さんの詩語りを聞いたのはこのケルビームでのライブであり,それからかなりの歳月が流れている。当時と変わった事と言えば,ケルビームという空間が無くなったこと。それによってその空間にいつも集まっていた若い芸術家や詩人たちが四散していったこと。そして,田川さんが現在は末期癌であるということである。
 このように,当時とはまったく異なった空間,状況で再び,詩人・田川紀久雄の仕事と向き合うのは,いろいろと感慨深いものである。
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 田川さんがライフワークとしている肉声による「詩語り」とは,いわゆる詩の朗読とはまったくニュアンスもディテイルも異なる。マイクなどの音響機器を通して伝わってくる「朗読」は,基本的にテキストを伝えるものだ。然るに,目の前に詩人がいなくても,また録音でも録画でもテキストは伝わるものである。これに対して「詩語り」は,単にテキストだけを伝えるものではない。田川さんはそれを“テキストに魂を注ぎ込む行為”と言っているが,まさにその通りであり,その“魂を注ぎ込まれた”テキストは,まるでひとかたまりの質量をもった物体のように,空間を突き抜けるのである。
 漢方ではこのようなものを「氣」と言っている。『ドラゴンボール』で繰り出される必殺技などもたぶんこの類だ。そしてこの「氣」の使い手に共通していることは,「胆」(はら)に力を込めることである。
 例えば人間の「心」や「魂」の所在はどこにあるのかといった議論になった時,近代までは「胸」つまりは「心臓」などと思われていたが,現代ではそれが「脳」にあることは誰でも知っている。しかし漢方の世界観では,いつの時代でも人間の中心は「胆」なのである。ここぞと言うときには「胆」に力を込めるのである。
 田川さんは末期癌にもかかわらず,途中から抗癌剤治療を辞めてしまった。抗癌剤治療によって体力が奪われて,一時的に声が出なくなってしまったからである。もちろん体内の癌が消えたわけではない。さらに,田川さんは外科的に癌を摘出することも考えていないという。田川さんの癌は胃に巣くっており,これを摘出するには「胆」にメスを入れなければならない。これでは「胆」に力を入れることができなくなってしまう,というのが田川さんの考え方なのであろう。
 一見すると,田川さんの闘病は無謀とも思えることばかりである。現代医療のセオリーから考えても,まったく正反対の方法をとっている。しかし,“自分は何のために生きているのか?”といった,もっともベーシックな命題と向かい合った時,田川さんのような芸術家ならば,芸術家として生きる道を最優先するのは当然なのである。抗癌剤治療を途中で打ち切ったのも,外科的処置を未だに拒んでいるのも,単に延命だけすることはまったくもってクリエイティヴでないことを理解しているからだ。癌がせっかく縮退しても,治療の後遺症で「胆」から良い声が出せなくなっては,「詩語り」をライフワークとする詩人としては死んだも同然である。
 私もそんな“生ける屍”となった詩人の姿などは見たくない。
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 田川さんは,「詩語り」の第一声を出す時に,右手を大きく上に挙げて,その瞬間のタイミングを計る。それはまるで空中で何かを掴もうとしているようにも見える。指揮者がタクトを振り上げる瞬間にも見える。そこで伝導されたエネルギーが「胆」に蓄えられ,一気に「肉声」となって放出される。この時田川さんの体はやや前屈みになり大きく沈む。観客も最も緊張する瞬間である。田川さんの身体も有酸素運動で心拍数が上がっているだろう。1編の作品を読む度に上着が汗まみれになる。身体内部の癌細胞も含めて新陳代謝しているのである。
 我々がこの時立ち会っているのは紛れもなく「魂の現場」なのであろう。本来ならば,この「魂の現場」の最前列に立ち会わなければならない人たちがもっといるはずである。それはどんな人たちかと言えば,かつて田川さんが主宰していた詩誌『漉林』,『異語』,『見せ物小屋』などで同人活動をしていた詩人たちである。彼らは一体どこへ行ったのか? その中には現代科学や医療行政や,おいては政府与党を断罪するために私の芸術作品をイデオロギー的に引用し,批判をしていた諸兄もいたりする。このような人こそ,今まさに田川さんが体現している「癌との日常」という臨床現場から浮き上がってくる情況に立ち会わなければいけないだろう。それともあなたがたは“引きこもりイデオローグ”と私に言われたいのか?
 この日,かつての同人で最前席に座っていたのは野間明子だけである。その野間さんも,6月に「詩語り」ライブを行う予定だという。野間さんの第一詩集『玻璃』に採録されている懐かしい秀作「プロキオン」がまた野間さんの肉声ライブで聞けるかもしれないと思うと,今からライブ開催が待ち遠しい。実に10年以上も「詩語り」からブランクがある野間さんが再び「詩語り」の場に立とうという気持ちになったのは,間違いなく田川さんのライブから何らかのモノをインスパイアされたからであろう。「ことば」の力とはこういうものである。

ライブの感想をかいていただけることは、やはり生きる糧にもなるし、また癌の免疫力を高める効果がある。抗癌剤より井上リサさんの言葉の方が私には助けになる。

2009年4月16日 (木)

田川紀久雄日記

今日は定期の検査日である。血液検査などを行なう。
昨日詩語りライブが無事に終わった。井上リサさん、野間明子さん、小杉妙子さんが来てくださった。本当にありがたいものだ。小杉さんは見知らぬお客であった。そして最後に私の詩集まで買ってくださった。お客は数人であったが、自分なりに納得のできた語りができた。末期癌で、ここまで聲をだせる人はほかにいないであろう。闘うとは、自分の人生と真っ向から向き合って生きていくことである。癌の多くの人たちは、うちにこもってしまうことが多いほとんどの人たちが生き甲斐を見出せないまま苦しんで亡くなっていく。
この病の人たちの前で本当に詩を語ってみたいものだ。そのためにも、もっともっと豊かな聲を作り上げていかねばならない。
尾崎寿一郎さん、野間明子さんの原稿が入った。

2009年4月15日 (水)

田川紀久雄日記

このところ原子力発電所の事故が多い。先日も柏崎原発で火災があった。そして浜岡、島根では配管データ改ざんがあった。チェルノブイリ事故か二十三年たっても周辺では百倍の放射線を観測される。これから電力は自然を利用した発電に展化されていく。原発は地球規模の事故が起こりうる。時代にそぐわないものりなっている。それなのに、日本政府は巨大なお金をつぎ込んで支援している。柏崎原発に働いている人は癌に罹っている人が多いと聴く。柏崎は私の生まれた地である。だからこの原発には反対してゆきたい。鯨波の番神堂から見る柏崎原子力発電所は異様な光景である。日蓮さんも見たら驚くことだろう。
昨夜坂井のぶこさんが精神的に苦しんだ。私はじっと彼女の言葉を黙って聴くしかない。癌になって私に働きがない。そのことを思うとつらい。しかし、今は癌を治すために生きているだけだ。二人して詩語りで食べられることが一番良いのだが、世の中はそう甘くはない。もっともっと努力して人に生きる勇気を与えられる人に成長しなければならない。友達から、イメージで癌の治療を試みてはとの手紙を頂いた。時々胃の周辺にはもう癌細胞が消えたイメージを思い描いている。このイメージ療法は確かに効き目があると思う。その前にはいつも明るい気持で暮らしていくことが大切なのだ。そして人の為に生きようとする心をいつも思っていることである。坂井のぶこさんに病院へ行ってみることを勧める。
今日は詩語りライブがある。昨夜はあまり眠れなかったが、精一杯頑張って聲を出したい。天童大人氏がこの企画に参加させていただけることに感謝をしたい。そして一人でも多くのお客が来てくれることを祈りたい。天童大人氏のブログの記事もありがたい。本当にライブに来てくれることが、癌にとって一番有効な薬なのである。それは生きる勇気を与えてくれるからだ。癌は本当にこわくはない病気であることを実践して生きていたい。井上リサさんにも会えることが楽しみだ。

2009年4月14日 (火)

田川紀久雄日記

田川紀久雄日記を操車場叢書として製作中である。まずは五部づつ作る。それから注目に応じて作成する予定だ。日記を全体通して読むとなかなか面白いものだ。
小笠原眞さんから作品とカンパが贈られてきた。詩はとても良い。泉谷栄さんの短歌を隠し文字として織り込んだ作品である。大きな自然が描かれている。操車場にとってありがたい作品である。
岩波アクティブ新書の『かん・免疫と温熱療法』を読んでいたら結局がんはなおらないものだという気持にかられる。がんを治そうと思う心がつよいと、かえって癌に引き込まれていくような気がする。私のように癌のことはなるべき忘れて生きてることの方が癌にとっては生きる免疫力が高まるのではないかと思える。癌と共に生きることは癌そのものを敵にしないことが大切なような気がする。
病気は心の病といわれるが、本当にそうなのかもしれない。
坂井のぶこさんのお母さんが足の痛みを感じるようになった。病院にいったらお歳なのでしょうねといわれた。私も歩くのに不自由している。足が悪くなると精神的にも落ち込むことが多くなる。できるだけ楽しいことを考えて生きていくしかない。精神的にまいると身体も衰えていく。地域の中でリハビルできる場所があるといいのだが、なかなかないものだ。みんなで助け合って生きていくしかない。五月になったらまた一緒に食事会でもしたいものだ。

2009年4月13日 (月)

田川紀久雄日記

昨夜テレビでレッドクリフPart1を最後まで見てしまった。スケールの大きさに驚かされる。大画面で見たら迫力を感じる映画だと思う。台湾・日本・中国の役者が集まって作られる映画も楽しいものだ。鬱的状態の時には、このような映画を見ることも身体に良いことである。
川崎の繁華街のなかにある大徳寺の野良猫は、人に対して愛想が良い。五・六匹が仲良く暮らしている。それにしてもカラスが多い。野良猫にとっては危険が多いことだと思う。飲み屋の経営者は野良猫に優しいひとが多い。ネズミも多くいるのだろう。猫は飲み屋にとっても必要な存在者なのだと思う。繁華街の野良猫を写真に撮ることは楽しいものだ。それに対して浜川崎周辺の猫は、いつも何かに怯えている。野良猫にとっては住みづらい場所だ。
桜もほとんど散ってしまったが、花水木が咲いて美しい。そして公孫樹の木には若葉が萌えはじめた。自然を見ていると季節がどんどん移り変わる姿が面白い。家の玄関の脇に置いてある山芍薬が咲き出した。白くて可憐な花だ。去年も咲いて、今年も咲いた。
農家にとっては大変なことが起きている。ミツバチがいなくなってしまった。イチゴ、さくらんぼう、その他のこのが出来なくなる恐れがある。佐野カオリさんの家のさくらんぼうはどうなっているのだろう。心配だ。
エコ商品に国が助成金を出すかわりに、雇用を増やしてもらう政策は良いことである。失業者が増え続けているいま、早く解決してもらいたい問題である。
私の家では、ペットボトルの水を買わないことにした。水道水に、備長炭を入れて飲むでいる。これでいくらか生活費も助かる。切りつめて生活しても生活費は増えてしまう。山本崩さんから猫の餌代をカンパしていただいたおかげで助かっている。今日は浜川崎の猫のために缶詰めを買いにいく。駅員に白い眼で見られながらも猫に餌を与え続ける。負けないで生きていこうりゅうとらんらんの猫どもよ。浜川崎の周辺にいる雀たちは元気で楽しそうに飛び跳ねている。木の枝に鈴なりになってとまっている。駅のホームにも降りてきて遊ぶ姿は見ていて楽しいものだ。
井上リサさんがブログに「操車場」やライブの記事やその他いろいろと書いてくれた。涙が出るほと嬉しい。私は多くの人明かりの中で生きている。癌と闘うことは自分との闘いも大切であるが、多くの人の励みが一番免疫力を高めてくれる。生きる張り合いを一番感じるのは、人からの温かい応援である。そのためにも私も人明かりを生める人に成長してゆきたい。このような気持も癌になったからである。やはり癌さんよありがとうと言いたい。

2009年4月12日 (日)

田川紀久雄日記

詩の朗読が世の中に広がっていかないのは、詩人の責任だと思う。オープン・マイクにしろグループでおこなう朗読会にしろ、懸命になって努力してきたという印象が感じられない。音楽界の発表などは、それなりに稽古を積み重ねてきた形
そろそろプロの詩人の聲が誕生してきても「よさそうなものだ。天童大人氏が企画している『詩人の聲』から五人ほどプロ集団が誕生してくれば、詩の朗読の世界が変貌してゆく。自作詩を一時間に亘って行なえる場所は世界中でもここしかないだろう。それは彼は三百回以上も行なってきている。見知らぬ人たちが耳を傾けてくれることを私は夢見ている。魂を揺らす世界を生み出すことが詩の朗読の目的であるはずだと思う。『詩人の聲』を聴きにいけば何かしらの感動が受けられる場所でありたい。わたしも参加者の一人としてそれなりの努力をしているつもりだ。参加者たちの努力している姿がわたしにはあまり伝わってこない。もっともっとお互いが刺激しなって『詩人の聲』を作る場であってほしい。参加者の一人であるわたしがこのようなことを述べるべきではないのだが、あれこれという人がいても良いのだろうと思う。天童氏の話しによれば、六月から福島泰樹氏も参加するという。彼のような聲の持ち主が参加することは、大いに刺激を受ける。詩人にとって詩人という名の知名度など聲に関しては何の役にもたたない。ただただ詩人の聲の力だけがこの世界を作ってゆくものである。聲の力そのものが、本当に評価される時代がくることを切に願うだけだ。
だらだらとこんなことを言うのは多分鬱的状態なのだろう。妹のことや後見人のことを考えていたら、気分が落ち込んでしまったのだろう。そして二十六日のイベントのことを考えると不安を感じる。ジャズと私の聲と真剣勝負をしたいものだ。それがどこまで可能なのだろうか。そして今週の十五日には私のライブがギャルリー東京ユマニテである。テーマは「祈りと生きる勇気」である。私の聲を聴きに来てくださる方が一人でも多くいたらありがたいものだ。

2009年4月11日 (土)

田川紀久雄日記

急に初夏を思わせる陽気になった。身体がなかなかついていけない。いろんなことが脳裏を横切ってあまり眠れなかった。4時まえから起きて本を読んだりしている
「満ち足りて死ぬこと」を読んでいると、想像もできない病があるものだ。病で苦しむことはだれでもつらいものだ。でも手厚く介護される人はまだまだ少ない。
妹に会ったが、いま体重が40キロだという。でもそれなりに元気であった。私は腰がいたく歩くにもちょっと不自由であった。でも会うことができてとても良かった。
ある詩誌を読んでいたら、朗読会に五十人も集まったと書かれてあった。それに対して私などはほんの数人が集まれば良い方だ。朗読が良いとかで詩人の朗読会に人があつまるものではない。役員をやっているとか、大きな詩誌のボスであるとかで集まる。末期癌を宣告されてから、友達が減ってしまった。詩誌なども以前の半分も送られてこない。詩人同士の付き合いは悲しいものだ。役に立たない人間だと思えば人は去ってゆく。詩人だと思っている人で、詩人である前に人間として惚れもむ人はほとんどいない。詩人である前に私は人間として生を貫き通していたい。人の心の痛みを解る人間でありたい。私の詩や語りは詩人に、向けて書いているのでもない。そして語りも詩人むけて語っているのでもない。懸命になって稽古しているのは、病で苦しんでいる人の為に役立てたいからである。
昨夜はポリーニが演奏したベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」を聴いた。いまポリーニがベートーヴェンのピアノソナタ最高だと思う。ベートーヴェンとも向き合い、音楽としても向き合っている。スケールの大きな演奏だ。いま私にとって生きる勇気を与えてくれる演奏である。語りで人に生きる勇気を与えられることが出来たら、生きている意味を感じることができるのだが、なかなかそこまではいかない。ひたすら精進するしかない。他者のことなど気にする必要はないのだ。たった一人の聴き手のためにまずは努力していくことだ。

2009年4月10日 (金)

田川紀久雄

今日は横浜に妹に逢いに行く。妹も癌である。やはり私と同じように手術ができない。私のことより妹のことを思うとつらい。今後の妹の後見人のことも考えていかなければならない。
追加予算が15兆である。これで日本の未来が救えるのだろうか。赤字国債の付けは未来の子供達に大きな負担をおわせることになるのではないのか。そしてこれからの老人介護や老人ホームが安心して暮らせる社会になってゆくのだろうか。
アイラ・バイアック著『満ち足りて死ぬこと』訳三浦彊子で読んでいる。自然体として死を受け入れられればいちばんよいのだろう。癌にならなければ、このような本は読むことはなかった。死は生にどのような役割を果たしているのだろか。もっともっと考えていかなければならない。
足腰の痛みや手の痺れが気になる。昨日旦那を肝臓癌で亡くした奥さんと少し会話をした。足の痛みを感じてから一ヶ月あまりで亡くなってしまったという。癌が転移すると死が早くやってくる。私も癌の転移が一番怖い。いまのところ進行癌でないので助かっている。末期癌で手術た抗癌剤を拒否して生きていることは、眼に身えない心の負担を背負っていきている。心の負担を軽くさせているのが、詩語りの世界に残りの生を懸けていられるからである。そしてつねに心地よい世界を自ら作りだしていることだ。人との諍いは絶対しない。人に優しくしていることが心を平常心にしてくれている。映画評論家の淀川さんがかつて、「私には嫌いなひとがいない」と言っていた。それは嫌いな人とは付き合わない、ということなのだ。泉谷栄さんがエッセイで私のことを書いてくださることも、それなりに心の治療に役立っていると思う。私ももっと人のことを書くべきだと思う。ときどき苦しんでいる人に電話を差し上げている。つらいときは人と話したがるものだ。それも優しい心の持ち主とだかね。井上リサさんからのメールも嬉しかった。ちょっとした優しさが人の心を救ってくれる。

2009年4月 9日 (木)

田川紀久雄日記

柏崎原発が再開される予定である。。出力は一ヶ所の発電所としては世界最大である。原発には莫大なお金がかかる。また危険度があまりにも高すぎる。時代遅れの電力事業であるように思える。国からの援助額が莫大である。そのお金を福祉政策にまわしてもらいたいものだ。福祉にはお金がかかるものだ。いまこの大不況では企業からの税金もあまり見込めない。福祉国家を作るには、天下りや、ダム建設など少しでもなくしていくしかない。
五月に発売されるトヨタの新型プリウスの予約が一万台を超えている。いかに国民が環境に対して敏感であるかを物語っている。環境政策こそがこれからの経済産業を発展させてくれるものである。
生活が苦しいので、ブログ田川紀久雄日記①②③⑤を発売する予定である。手作りなので一冊が三ヵ月程になる。送料込みで千円。操車場叢書として発売。カンパのつもりで買っていただけるとありがたい。それから私の詩集も買っていただけるならさらにありがたい。詩人にできることは、自分を売るしかないのだ。全身詩人であることは、自己をさらけ出して生きることでもある。
井上リサさんのブログにドッグレッグスの第78回興行の記事が書かれてある。「今回引退してしまうのは、“障害宇宙人”と異名を取る看板レスラーのE.T選手である。」ドッグレッグスという名前を知らなかった。むかし小人のプロレスがあった。差別だといわれて廃業になってしまった。ドッグレッグスの興味のある方は井上リサさんのブログを開いてみてください。

2009年4月 8日 (水)

田川紀久雄日記

今年の楽天は凄い、開幕四連勝だ。そして横浜は四連敗である。野球そのものの興味は薄らいだが、楽天はこれからも応援してゆきたい。
テレビで岐阜の薄墨桜が映し出されたが、見事な美しさである。岐阜の中原眞理夫さんに連れられて薄墨桜の樹木を見にいったことがある。千年以上も咲いていることをおもうと心があつく感じられる。
土曜美術社の社長高木祐子さんからカンパを頂いた。身内に癌になった方がいるとのことで私の生き方を応援したいとのことである。その気持がありがたかった。そこで私も「詩と思想」一年間の購読をすることにした。詩の出版はどこも大変なのである。「漉林」を発行していたとき大変な思いをしたものだった。詩で多くの人達に勇気をあたえる詩誌を作ってもらいたいものだ。自分勝手な詩はもう読みたくはない。せいめいの通ったあたたかい言葉を聴きたいものだ。
この暗い時代に詩は必要とされているのだが、それに対して答えられる詩人があまりにも少なすぎる。どこの企業も大変な努力をして生き残ることに懸命である。詩人もいまこそ、人に勇気と歓びを与えられる詩を世の中に提供していかねばならない。そして朗読も人に生きる感動を与えられるものを生み出していかねばならない。
末期癌者である私は、詩によって助けられてきた。だから詩にたいして恩返しをしてゆきたい。せいめいの美しさや、いきている歓びを伝えながら、語りにのこりのいのちを注いで生きていたい。語りの場を提供してくださる方がいたらご連絡ください。また癌患者の集いには交通費のみで詩語り出前を行なっています。

2009年4月 7日 (火)

田川紀久雄日記

録画をしていたDVD「ゴリラ先生ルワンダの森に行く」を観る。民族間の戦争に巻き込まれて数が減ったゴリラたちが家族と家族とが一緒に住むようになった。これはとても珍しいことなのである。これは人間が共同社会を生み出した最初の構造なのかもしれない。内戦で死者八十万人をだした。人間とはいったいどのような生き物なのかわからなくなる。平和を愛しながら戦争を繰り返す。平和を自己の中に見出していくから戦争が生まれる。平和を他者の中に求めていくことが、真の平和に繋がっていくのである。自己の平和はエゴの愛でしかない。
癌も自己愛がつよすぎると、癌細胞に悪影響する。エゴを捨てて生きることが生命の免疫力を高めていくことになる。癌になって手術や抗癌剤を拒否して生きて行く以上、やはり心の問題を一つ一つ解決していく以外には助かる道はない。癌はそういう意味で奇妙な病でもある。末期癌になったら人生を開き直った生き方が求められる。仏教でいうなら悟りということになるだろう。小乗仏教から、大乗仏教に転換してきたように活きた心を生み出すことである。癌を仏像でたとえれば阿修羅像にちかいものである。生きることの素晴らしさを癌になったことによって私は知ったともいえる。このことを多くの人たちに伝えて生きたいものだ。

2009年4月 6日 (月)

田川紀久雄日記

北朝鮮のミサイルが終わったが、六カ国協議を通じて問題を解決していくことだと思う。
多摩森林科学園は素晴らしいところである。桜の種類が二〇〇以上もある。それに散歩している人のマナーが良い。ゴミ一つも落ちていない。森林の巨木もある。まさに森林浴で身体に良い効果を与えてくれる。心がやすめることは、癌の抵抗性を高め、免疫力を向上させてくれる。自分で治すには限界がある。自然の力を利用することによって癌を克服していける可能性がうまれる。歩いていて偶然に川崎詩人会の丸山あつしさんに出会う。
森林公園を歩いてやはり疲れが出た。公園の半分ほど歩けたことは、身体にもとても良いことであった。写真もたくさんとった。この写真を使って詩とエッセイのミニパンフレットを作る予定である。バカチョンカメラマンとして楽しい写真の本作りもしたいものだ。限定十部ほどでよい。生きているあいだ多くの思い出を作ってゆきたいと願っている。末期癌になったことによって人生を楽しく生きる方法を世の中に広げていきたい。
あいかわらず手の痺れはひどい。昨夜はシフのピアノで平均律を聴きながら床に入った。

2009年4月 5日 (日)

田川紀久雄日記

ベートーヴェンのビアノ協奏曲の第五番「皇帝」が良く解らなかった。スケールの大きなバックハウスなど優れた演奏はたくさんあるが、本当のところどれを聴いてもわからなかった。それがバレンボイム(ピアノ・指揮)ベルリン・フルで聴いてみた。バレンボイムのピアノはそれほど好きではなかった。でも聴くと「皇帝」という曲はこういう音楽であったのかと納得させられてしまった。思い込みとはやはりいけないものだと痛感した。
北朝鮮のミサイルを撃つために配備された地対空誘導弾パトリオットは、実際はミサイルには当たらないものなのだ。一発三千万ほどかかる。もろもろの費用をいれると約一兆円ほどになる。これで国民を騙して済む問題ではない。北朝鮮との対話がなかなか難しい。でも対話を続けていくしかない。対話が出来ない国だから、こちらも軍備をととのえなければという考え方は危険である。人間関係とおなじである。対話を拒否したら、関係もそれで終わってしまう。つねに努力を怠らないことだ。それが外交というものではなかろうか。
今日は桜をみに行く予定だ。場所は多摩森林学園である。
昨日操車場のコーピー印刷・製本を一人で行なう。そのためなのか手が痺れて眠れないでいた。いま午前四時を過ぎたところだ。

2009年4月 4日 (土)

田川紀久雄日記

宇宙太陽光発電の技術開発にやっと日本が乗り出した。電磁波が人体にどのような影響を与えるかわからないが、未来にとては良いことなのかもしれない。そして原発をなんとかして廃止にもっていけないものか。風力電力では、送電線の問題でうまく機能を果たしていない。電磁波で苦しんでいる人達がいる。眼にみえないものだけあって恐ろしい問題である。浜川崎駅の隣りにある送電所には猫が入り込まない。どこの送電所をみても猫が入り込むことがない。猫は電磁波に敏感なのかもしれない。
北九州で生活保護を断られて自殺した人がいる。経緯をみるとあまりにも酷い話だ。行政の人の態度がむごい。私も貯金が二万三千以上あれば生活保護など受けられません、といわれた。癌になった時生活費もほとんどなく、医療費を払うことが大変であった。生活保護を申請しに行ったが、はじめから玄関払いをされた。そのために私は詩人としていまも生きていられる。詩集を上梓し、ライブ活動も行なえる。
私が詩人として生きている人は知っている限りほんの数人だ。詩人である以前に、会社に勤務して生きている人が99・9パーセントである。詩人としての職業が日本では成り立たないのだ。詩人とは、人に勇気を与えられる人と私は定義したいものだ。いま詩人の聲のイベントが行なわれているが、本気になって聲を鍛えている詩人が何人いるのだろうか。
ここ数日、また腰や肩の痺れがひどくなってきている。季節の変わり目で起こるのだろうか。寝ている時が一番ひどい。
「操車場・23号」の印刷が月曜日に出来る。七日の日には発送
が出来そうだ。
井上リサさんのブログ『臨床美学研究室』に私のことが載っています。ぜひブログをあけてみてくだっさい。

2009年4月 3日 (金)

田川紀久雄日記

自殺者の数が増えている。男の人は三万人を越えている。これは本当に深刻な問題である。死にまで至るその人の心の境地を思うとつらくなる。鬱になると本当に死にたくなる。私もいくども経験している。その気持もよくわかる。でも末期癌になってから、いのちの尊さを味わったおかげで生きる歓びを見出そうとして今を生きている。死をしることは逆に生きることの意味を知るこおtにもなる。
今の私は、詩語りを芸の境地まで高めたいと努力をしている。毎日毎日積み重ねた精進の果てに生まれてくる芸の世界を夢みている。まだまだ子供のような芸しか出来ないが、死ぬ瞬間までその夢に向かって生きていたいと願っている。一般の人からみれば詩語りなどたわいない世界かもしれない。でも私にとっては地球の重さより重い世界なのである。昨夜も職人の夢をみた。一つのものを作りにも全身全霊をかけて作る世界が職人の仕事である。
いま街工場では、日本の最先端を生み出している技術を持っている。日本の産業は、この小さな工場が支えているといっても過言ではない。日本人の誇りは職人的根性である。それがいつの間にか職人の姿が消えていってしまった。家を建てるのをみているとベニヤに釘を打つのではなく、変わりにホチキスでとめているだけだ。誰でもが出来る仕事になってしまっている。まるで積み木のような建物が町のあちらこちらに建てられている。二十年も経ては自然に崩れ去っていく。
職人や芸人は、人に認められたくて行なうのではない。あくまで自分との闘いの中で生み出されていく技術なのである。お客さまに喜ばれるために自分の身を削ってまでも行なうものである。あくまでも無償の世界を求めていかなければならない。
いま日本が求められているのは、人間としての誇りではなかろうか。自動車メーカーも石油で走る車ではなく環境に優しい車を目指していくこと以外には生き残れない。
詩人の聲も、生き残るのには本物の聲の持ち主を目指していかなければこの世界から取り残されていくだけだ。みんながより良いものを生み出そうとする心が大切なのである。だから詩人の聲も、この社会にとって意味のある。文化と産業はあくまで助け合っていく必要がある。

2009年4月 2日 (木)

田川紀久雄日記

胃カメラでモニターを見ていると、以前と変わっていない様子だ。抗癌剤を中止しても、癌そのものは何もかわらなかった。一応胃の細胞を採った。
昨夜は、肩から手の先まで痺れてほとんど眠ることが出来なかった。二時ごろからおきて本を読んでいた。
井上リサさんから手紙がきた。リサさんのブログに書かれたものを送ってきてくれた。井上さんのブログをどうしたらみれるのか私のは解らない。インターネットで検索しても彼女のブログに辿り着けない。私のことを紹介していただけるだけでもありがたい。
癌は、本当は少しも怖いものではないのだ。癌と友達になれれば生きている歓びを普通の人の何倍かを味わえる。末期癌でも元気に詩語りを行なっていられる。そのことを多くの癌患者に伝えてゆきたいものだ。個人的な癌の怖さより、この地球が大きな癌に犯されている。それは地球環境の悪化である。高度成長の社会では環境を悪化させるだけだ。この経済不況に陥ったのも、人間の傲慢さをいさめる為であったのかも知れない。そして経済が環境問題を中心に動くことを神が願っていたのではなかろうか。そしてこれからは貧困をなくす運動が大切なのである。環境を守りながら豊かな地球を作ることが、政治の課題でもある。癌で死ぬ前に多くのやりたいことがある。人の心に多くの癒しを与える仕事をしてゆきたいものだ。

天童 大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバとを聴く! 
プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)
―肉聲の復権を目指す、「目の言葉」から「耳のコトバ」へー 
          
           4月

第321回4月7日(火) Star Poets Gallery 河野聡子(5)
第322回4月8日(水) ギャルリー東京ユマニテ 酒井忠康(初)

第323回4月9日(木) ギャルリー東京ユマニテ 天沢退二郎(3)
第324回4月15日(水) ギャルリー東京ユマニテ
田川紀久雄(14)

第325回4月16日(水) ギャルリー東京ユマニテ  薦田愛(19)
第326回4月17日(木) ギャラリー華  島木綿子(4)
第327回4月22日(水) ギャルリー東京ユマニテ 三角みづ紀(初参加)
第328回4月23日(木) ギャルリー東京ユマニテ 神泉 薫(中村恵美改メ)(14)
第329回4月24日(金) ギャラリー華 有働 薫(9)       
    
ギャルリー東京ユマニテ(京橋), Star Poets Gallery (渋谷),
ギャラリー華(広尾)、サロン・ラ・ルーチェ(広尾)の各会場は
公演時間 は開場:18:30 開演:19:00
入場料   予約 大人2,500円      
当日 大人2,800円 大学生1,500円 (学生証呈示)
高校生 500円(学生証呈示) 小・中学生 無料 保護者同伴)

*御予約は直接、各ギャラリーか北十字舎へお電話かFaxでお申し込み下さい。
参加画廊:
ギャルリー東京ユマニテ(京橋)  104-0031中央区京橋2-8-18昭和ビルB1
Tel 03-3562-1305 Fax 03-3562-1306 E-mail:humanite@js8.so-net.ne.jp
URL://www.kgs-tokyo.jp/humanite.html

Star Poets Gallery(渋谷) 154-0004 世田谷区太子堂1-1-13,
佐々木ビル2F-D
Tel &Fax03-3422-3049
E-mail:planet@star-poets.com
          E-mail:collect@star-poets.com

URL: http:www.star-poets.com/

ギャラリー華(広尾) 106-0047港区南麻布5-1-5
Tel &Fax 03-3442-4584
E-mail:gallery-hana@nifty.com
URL:http//homepage2.nifty.com/gallery-hana/
       
サロン・ラ ルーチェ(広尾)  106-0031港区西麻布4-3-4
ラ・ルーチェ2F
       ℡03-5766-3833 Fax03-5766-3542
E-mail:sawami@e-ms.jp

URL:http:www.casa-laluce.com

参加希望のお問合せ,その他:北十字舎
171-0031 東京都豊島区目白3-6-5
℡ 03-5982-1834 Fax 03-5982-1797
 Mobil: 090-3696-7098(au)
E-mail:tendotaijinbureau@mbi.nifty.com
URL:http://universalvoice.air-nifty.com/tendotaijin/

2009年4月 1日 (水)

田川紀久雄日記

今日は午前中に胃カメラの検査である。抗癌剤を中止してからはじめての検査である。
失業者が増加している。いろんな制度の見直しが起きている。介護の問題も大変である。優しい福祉ではなく、予算きり詰めの福祉政策である。福祉には確かに多くのお金がかかる。消費税をあげるときは福祉税としてまわしてもらいたいものだ。道路税の問題もうやむやになっている。これからもお年寄りが増えていく社会になる。きちんと福祉のことを考えてもらいたいものだ。
医者不足も地方の病院では大きな問題である。国の政策の失敗が今の医療の現場を作り上げてきた。それなのに国は、地方の病院を助けようともしない。国立病院すら国は切り捨てようとしている。病院は利益目的の企業ではない。病院はやはり地域に根ざしたものでありたい。
この国は本当によくしたいという政治家は生まれてこないものなのか。九月には衆議院の選挙がある。いまの自民党・民主党に期待が持てない。このままだと本当に日本沈没になりかねない。だからといって政治に無関心になったら、ますます国は悪くなる。馬鹿な子供穂と親は可愛いという。それと同じように国の未来をいつも考えていたいものだ。

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