日記
無の思想を掴むことがいま人間にとって必要である。無は無であって、無ではない。このわかりにくい言葉の中に、いのちの尊さが隠されている。それは自然を自分のものにすることでもある。そして死を見つめる心がいのちの歓びを掴むコツなのである。しかし、人間の心はつねに流動を繰り返している。この流動を停めてくれるのが、座禅とか瞑想の世界である。
そろそろ染井吉野の花が咲き出す。花は美しい。でも花はそのことを語らず、散ってゆく。生と死のドラマは人は無意識に味わっている。死はかならずしも悲しいものではない。死の意味は、生の歓びの中に潜んでいる。桜が散るのを見て人は悲しむというより、美しかった満開の桜を思い出して桜に感謝をするのだろう。
『索通信⑥』の仕事が入った。ありがたい。野間明子さんから原稿と酒粕が送られてきた。
京橋の画廊『び~た』で坂井信夫さん参加のギャラリートークがある。島村洋二郎展の期間中に「眼の光」出版を記念して行なわれる。
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