日記
市民パソコン教室の宮田さんに詩語りの案内とライブのチラシを渡す。詩人でない人達との交流を進めてゆきたいと願っている。
詩の言葉が生まれるには、長い沈黙の時間を必要とする。そのためにも自然を楽しむことだと思う。瞑想こそが、言葉の源なのだ。現代詩には、言葉の沈黙度が足りないように思える。沈黙とのせめぎ合い通して言葉に近づくことを最近心がけている。そういう意味では詩は書くものではなく、生まれてくるものだと思う。そして死を凝視することがいかに大切かということだ。詩が最近書けないでいる。そのことは自分にとって良いことの方向に向かっているのかもしれない。
白木蓮とコブシが咲き始めている。今年は温かいせいか早く咲き出している。街路樹にさく白木蓮は美しい。
厚木基地の騒音問題で、うるさいと思うなら転居すればよいという判断だ。国のあり方に疑問を感じる。いま私の家の上を旅客機が多く飛ぶようになった。それも低空で飛んでゆくのだ。やはり不安を感じてしまう。住民には何一つよして知らされていない。国の政治と国民の差は広がるばかりだ。誰もが政治を信用しなくなりつつある。国民側に政治を変えていかねばならない。この不景気も、本当に国民のことを考えているのかと思わざるをえない。
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