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2009年3月31日 (火)

田川紀久雄日記

2007年にタイムス誌がベストノンフィクションに選んだ『人類が消えた世界』という本がある。読み始めたところだ。
人間にとって死という問題をどう扱うのかは大切なことなのである。般若経のなかで「色即是空 空即是色」という言葉がある。この無という概念をどう人は受け取るかによって、言葉の意味が変わってくる。ここでは無は死ではないということを述べているのだが、この死という言葉がとても曖昧なことばでもあるのだ。生き物は死によって終焉を迎える。とだれでもが思うことである。でも宗教的な意味で死は、そこで終わっているのではない。あらたなる旅立ちの場でしかに。死を知ることは生を知ることでもある。死を凝視する眼をもたなければ、本当の意味の生を認識することができない。末期癌の私は、この死をみつめながら生を捉えようとしてきた。死を捉えられない医学は単なる治療技術の提供の場でしかない。詩の語りもこの死という問題をどう捉えるかによっても語りの豊かさに変化がでてくる。いまそのことに直面しながら語りの稽古を続けている。
今日で三月もおわる。四月の二十五日がくれば、末期癌の宣告を受けてまる二年になる。

2009年3月30日 (月)

田川紀久雄日記

散歩の途中で急に足腰が痛みだした。足が熱く感じてきたのだ。しばらく休憩していいたら痛みも治まって無事に帰宅ができた。
最近NHKの三チャンネルが午後九時ごろになると電場妨害が起こる。三ヵ月前には起こらなかった現象が起きている。見たい番組がみられなくなってしまった。民間のテレビ番組で見たいとおもうものがめっきり少なくなっている。お笑い番組は最低である。いつも同じ顔ぶれである。笑わす立場の人間が、笑われる人間を演じている。何かが間違っている。馬鹿が受ける時代になってしまった。本当のお笑い番組を見たいものだ。落語もほとんどなくなっている。芸ができる芸人がいなくなってしまった。悲しい時代だ。芸人がタレント化してしまっている。テレビの製作者の顔が全く見えない。テレビ離れがおきるのも当然な話だ。
浜川崎の猫の姿が見えなかった。彼らは土・日は姿を現さないことが多い。産業道路に信号のところにいる仔猫のさんちゃんはいた。とても用心深い。顔をみると話しかけてくる。とても可愛い猫である。やっと写真を撮ることができた。

2009年3月29日 (日)

田川紀久雄日記

鈴木良一さんから原稿が送られてきた。ありがたい。原稿と一緒に入っていた手紙には「わが友は田川さんと同じ頃発症し、八ヶ月ばかりで逝きました。ひとは、目的を自覚して生きることが強くなることだと教えられました」と書かれてあった。
手術や抗癌剤を拒否して生きることは、確かにそれなりの強い目標をもって生きていないと心が折れてしまう。他所にとってはつまらないものであっても、死ぬまでその目標に向かって生きられるものがあれば、末期癌もそれほど怖れるものではない。ひとはいつしか誰でもが死ぬ運命にあるのだから。逆に末期癌になってしまえば、何も怖れるものがない。死の心を受け入れてしまえば、日々の人生が楽しくなるものだ。でも人の心はもらいものでもある。そのもろさに打ち勝つには、一つの情熱が大切なのである。
ここ詩語りの稽古で時々言葉と身体が一致する境地になることができるようになってきた。その境地をライブにどうして活かしていくかが、これからの問題である。東京に住んでいたころ、わりあい舞踏を見にでかけたものだ。そのなかで福原哲郎さんが恋ヶ窪で行なっていたイベントに何度か見にいった。哲郎さんの舞踏をみていて時々、こちらの身体に戦慄を感じることがあった。私の語りもそのような、人の心に戦慄を与えることができるまで高めていきたいと思っている。舞踏家で日々付き合っていたのが川尻育であった。彼女も癌で亡くなってしまった。彼女から得たものは日々の稽古であった。ちょっとでも足がふらつく舞踏家を非難していた。語りも聲のでない詩人なんて詩を語る資格がないものだ。一流であることは、たゆまぬ努力があってなれるものである。ワールドベイすボール見ていてイチローウの姿には感動した。心が折れそうになりながらも、最後は彼が勝利を決めた。
私はもっともっと多くの場でライブを行ないたい。心が弱っている人の前で行なってみたい。どうか神さまもっと私に仕事を与えてくだっしと祈りつづけている。お客の前で人は強くなれる。そのためには毎日稽古を続けていくしかない。坂井のぶこさんが働いているあいだは、私も語りの稽古に打ち込んでいる時間を持って生きている。

2009年3月28日 (土)

田川紀久雄日記

政治家に対して世論が不信に陥っている。民主党の小沢さんでは、国民の支持がえられていない。世論は気まぐれなものだ。だからこそ、政治家はちゃんと襟をただして活動をしなくてはならない。自分自身のことが判断できない政治家などだれもが信じない。日本の政治家はいつまでたっても子供のような存在だ。
景気対策もいまいちである。それははっきりとした政策がないままの金のばらまきだからである。環境問題に取り組んでいるといっても、それはあくまで見せかけの対策でしかない。
いま世界の動物・植物の生態をみると、どんどん絶滅していく。南極の氷の溶ける速度が速すぎる。このままだと白熊はこの地球から姿を消してしまう。森林の伐採も地球規模で進んでいる。映画『アース』をみていると心が打たれる。キリストがいう人間の原罪を痛感する。この地球を愛する心を強くもつにはどうしたらよいのだろう。
不幸で喘いでいるとき、決して自分を卑下してはならない。この世にうまれてきたことを嘆くより、生きていることの素晴らしさを見つけ出すことに勤めていくことだ。それがどんな小さなものであっても、それはきって生きていく勇気に繋がっていくからだ。『アース』の中で最初に出てくる白熊の子供達をみていると、自分の悲しみなどいかに小さなものかと思うだろう。生き物への愛を養い心の中に生きる歓びを見出せる。いま私は野良猫たちとかかわりあって生きている。地域猫をもっと世の中に広げていければよいのだが、どうしたらよいのかつねに迷って今は生きている。かつて賀茂さんという画家がいた。旺文社の夏目漱石の挿絵を描いた方だ。癌で亡くなったが、晩年私に親しくしてくれた。その方が一心会を私と作る話をしていた。賀茂さんを紹介してくれたのはやなり癌でなくなられたカメラマンの川上重治さんであった。人を非難しない、仲間を大切にする。お互いに生きる歓びを見出す友を作ってゆきたいと思っている。いつしか死ぬのか解らない今は、人間として正直に生きていたいものだ。まずはまわりのものを愛することから初めてゆきたい。

2009年3月27日 (金)

田川紀久雄日記

泉谷栄さんから食料を送られてきた。いつも気を使っていただき本当にありがたい。私は彼に対して何もやってあげられないでいる。モリス・シュワルツの本で『モリー先生の最終講義』というのがある。著者は筋萎縮小側索硬化症(ALS)である。この本の中で、「わたしが彼らに与えるものと彼らがわたしに与えるものとの相互交換が盛んに行なわれるのです。」と述べている。お互いが人明かりになっている。
私が末期癌と真剣に闘い、その中で生きる勇気と歓びを人に伝えられることで、存在そのものの価値が生まれているのだと思う。詩語りの世界は本当に狭い世界かもしれない。でもそれでもそこの世界にしがみ付き生きて行くことはそれなりの意味がある。世の中に認められる社会だけが素晴らしいのではない。誰にも認められなくても自分自身と闘っていることにこそ本当の価値がある。私は本当に多くの人たちから助けて生きている。だからこそ、自分なりの道を前向きで生きていられる。
坂井のぶこさんの収入が今月は少なかった。電気代・水道代・ガス代・その他の支払いをしたら、あと三万円しか残らない。私の仕事は医療代で終わってしまう。厳しい生活でもそれなりに楽しんで生きていたい。「操車場」の同人が増えてくれると助かるのだが・・・。

2009年3月26日 (木)

田川紀久雄日記

ペットボトルのリサイクルがこの不況で進んでいない。いま水道の水を飲まなくなった人が多い。日本の水道水はそれほどまずくはない。川崎のリサイクル施設ではこのペットボトルが山済みされている。輸出がほとんど止まっている。手軽にペットボトルの飲料水を買ってしまう。環境に優しくといいながら、無意識に環境を悪化していることもある。ペットボトルは地中に埋めても自然に溶けてなくならない。牛乳のように紙の容器に入れられていれば良いのだが。世界ではますます水不足に陥っている。150円でペットボトルを買うお金で、アフリカのある地区では一ヶ月も綺麗な水が飲める。これから私も水道水を飲むことにしよう。備長炭を買って美味しい水作りに取り組んでゆきたい。
久しぶりに浜川崎に二匹の猫が姿を現した。いつもはかわるがわる姿を現している。彼らのねぐらは何処にあるのだろうか。小さい時はとても仲がよかったのに、今は別々に行動をしている様子だ。語りの稽古をしている公園でカラスが巣作りをしている。雀や椋鳥などに襲い掛かっている。自然は凄い。
寒波が押し寄せている。これで桜の咲く時期がいくらか遅れそうだ。外を見たら小雪が舞っている。

2009年3月25日 (水)

田川紀久雄日記

温度の差が毎日変わる。22℃になったと思ったら、急に9℃に下がったりする。身体の調子を維持するのが大変だ。
詩の言葉にどうしたら魂をいれて語ることが出来るのか。活字を読んでいるだけでは語りにならない。詩には散文のような意味の説明やストリー性があるわけではない。単語一つ一つに心の身体性を作り上げていくしかない。言葉に身体性が伴わなければ、語りへの道は開かない。そのためには日々の精進を積み上げていくしかない。同じことを何十年と繰り返し積み上げた後に言葉に身体性が伴ってくるものである。一年や二年朗読を行ったからといって上手くなるものでもない。昨日の日韓の野球を見ていても、技術を越えた経験と精神性が日本の野球が勝利へと導いていったのだ。一流のプロになるのは、素人が想像するよりはるかに厳しい修練が要求される。昨日の野球に参加できた選手は最高の歓びを味わうことができたのではなかろうか。それは勝ったものも、敗者になったものも試合に参加できたことは人生にとって大きなプラスになったはずだ。我々が感動するのは勝敗ではなく、そこで闘っているドラマを眼の前で観られることにである。
末期癌と闘って生きていることも、自分の夢を求めてその夢に向けて闘っていられるから前向きに生きていられる。その夢は一人では叶えられない。多くの人たちの助けを借りなけばならない。語りに頑張って生きていられるのも、ライブにお客が来てくれると思うからである。誰も応援してくれないライブはとても淋しいものだ。
桜の花もちらほらと咲き始めてきた。今年も桜を見られる季節を迎えられたことは生の歓びを味わえることができる。生きている瞬間に感謝をしていたい。

2009年3月24日 (火)

田川紀久雄日記

昨日島村直子さんから朝電話が入った。語りのことをブログに書いたのを読んで、是非島村洋二郎の会場で語りをやってもらえないかとの話である。そして午後二時に画廊に伺うことを伝える。坂井のぶこさんも仕事が休みなので一緒に行って宮澤賢治を一篇語ることにした。「永訣の朝と雨ニモマケズ」を一緒に語るのは四年振りである。抗癌剤を中止してから聲の力も蘇ってきている。島村洋二郎の絵にむけて魂の聲で語りかけることが出来た。私のライブの写真を見ると、語っているときの表情はとても穏やかな顔付である。心が浄化されていたのだろう。
語りが終わって、洋二郎の新しい絵が発見されたものを写真を撮るため写真展に行った時、夫人像裏に、もう一枚の油絵が隠されていた。夫人像を抑えていた板に描かれたフォーブ調の少女の絵である。画廊でその絵を見たとき、会場にいた人たちは驚いてその絵を覗き込んだ。新発見の現場に立ち会った。私の語りと新しい絵の発見は島村洋二郎さんの魂が呼んだのだろうとしか思えない。洋二郎の絵がこのようにのびのびと楽しく描かれていたことに驚いた。長谷川利行と違ったフォーブの絵が日本で誕生したことだろう。でも洋二郎はこのような絵を描くことをしなかった。島村直子さんが「漉林・117号」で私が書いた島村洋二郎の文章を読みたいといったが、その漉林がみつからない。『眼の光』にも掲載されていない。
島村洋二郎展で私は心より本当の歓びを感じた。末期癌者との壮絶な闘いの中で魂の聲を一回でも多くこれからも語ってゆきたいと痛感した。猫の写真集で『東京猫池』横川辰之がある。野良猫の壮絶な生きたドラマが写真として記録されている。傷だらけの猫。その猫が仔を生み、そして死んでゆく。魂を揺さぶられる写真集である。普通猫の写真を美しく撮るが、野良猫のそのものの撮ることは少ない。この前テレビで多摩川のホームレスと猫の映像を見たときも感動した。犬が傷ついた猫の面倒をみる。人間より優しいこころが動物にはある。私の詩語りの聲は野良猫のようだと思う。いのちをかけて生きている。やっと私の本当の闘いが始まるのだ。島村直子さん昨日は本当にありがとうございました。私は島村洋二郎から、本当の魂の叫びを注入されました。生きる勇気も出てきました。会場で聴いてくれた人たちにも感謝いたします。これからももっと精進して生きてゆきたいと思っています。

2009年3月23日 (月)

田川紀久雄日記

井上リサさんから干物が送られてくる。とても美味しい。スパーでは手に入らない新鮮なものである。
恵和から電話が入る。妹と電話で話をする。
自分の語りのDVDを見ながら聲をあげてみた。三味線を演奏しながらするときと、肉聲だけのときと語る速度がずいぶん異なる。肉聲のときだけの場合、間のとり方が難しいものだ。一時間語りだけで場を持たせるのは並ならない精神力が要求される。詩の説明などで時間を引き延ばすのは朗読としてはいかがなものかと思われる。ただ、聲との格闘だけが求められる。朗読の技術と聲だけが聴き手を引きつけるものである。
癌との闘いは、本当に自分がやりたいものに向かって死に物狂いでえ生きるしかない。人生の目的は、本当の自分に出会うことである。そういう意味では、癌になったことによって、自分探しが身近になった。その人しかできない世界を構築することが生きた意味に繋がる。それは人に理解されるとかは何の関係もない。自分自身の生を突っ走ることが生きている歓びを導くものである。癌患者に人はなんでもよいから自分の好きな道を見出すことだ。それはたわいないことであってもよい。最近絵の個展会場でオープニングを行なわなくなった。できればオープニングなどで語りを行ないたいものだ。ギリヤークさんも、絵の個展会場から仕事を始めたものだった。
老人ホームで火災があって九人が亡くなった。ホームの責任もあるが、いまの日本の行政の問題が浮き彫りにされた。老人がなかなか施設に入居ができない。福祉にたいして政府は投げやり的な面が強い。
生活保護を受けると、持ち物を点検されて贅沢なものは処分せよと命じられる。絵を描くことも許されないのかもしれない。そしてCDやDVDを見ることも禁止されるかもしれない。贅沢な生活は許されない。心の贅沢は人間として生きる権利があるはずだ。詩誌の発行や詩集などつくることなど持っての他である。
長谷川利行や島村洋二郎のように、私も人に無理やりに絵を売りつけたいものだ。そうしなければ医療費や生活費もでてこない。そして人に頭をさけてでもライブを聴きに来てもらいたいものだ。

2009年3月22日 (日)

日記

昨日、島村洋二郎展の会場で、山本萠さん、佐野カオルさん、水野慶子さんに会う。それから芸林の梅野さんにも会う。久しぶりに坂井信夫さんにも会った。坂井信夫さん、佐野カオリさんと私と三人で八重洲ブックセンターの喫茶店に入った。その他多くの人たちと会った。みんなが私を心配してくれていた。ありがたい。多くの人達によって私は支えられているのだ。家に帰ると少し歩きすぎたせいか足腰が痛む。でも人と会うことは精神的にも良いことだ。山本萠さんからは、操車場の年間購読料と猫の餌代としてカンパをいただいた。萠さんも生活が大変なのだが、頭が下がる思いで頂いた。五月には個展があるという。今度は身体の調子が良ければ見にいきたいものだ。
洋二郎展の会場で一篇詩を語ってみたかった。魂の画家である島村洋二郎に対して魂の画家・詩人である私が洋二郎さんに聴いてもらいたかった。
井上リサさんから手紙が届いていた。メールありがとうございます。メールの使い方がわからないのでご返事を書かないですみません。私の詩集を送らさせていただきます。

2009年3月21日 (土)

日記

無の思想を掴むことがいま人間にとって必要である。無は無であって、無ではない。このわかりにくい言葉の中に、いのちの尊さが隠されている。それは自然を自分のものにすることでもある。そして死を見つめる心がいのちの歓びを掴むコツなのである。しかし、人間の心はつねに流動を繰り返している。この流動を停めてくれるのが、座禅とか瞑想の世界である。
そろそろ染井吉野の花が咲き出す。花は美しい。でも花はそのことを語らず、散ってゆく。生と死のドラマは人は無意識に味わっている。死はかならずしも悲しいものではない。死の意味は、生の歓びの中に潜んでいる。桜が散るのを見て人は悲しむというより、美しかった満開の桜を思い出して桜に感謝をするのだろう。
『索通信⑥』の仕事が入った。ありがたい。野間明子さんから原稿と酒粕が送られてきた。
京橋の画廊『び~た』で坂井信夫さん参加のギャラリートークがある。島村洋二郎展の期間中に「眼の光」出版を記念して行なわれる。

2009年3月20日 (金)

日記

四月一日に胃カメラの検査をすることになった。日々不安がつきまとう。癌ですべての治療を拒否して闘い抜いて生きている人たちがいる。内藤ジムのカシア内藤さんがそうである。夢をもって生きている人達が多い。私も詩語りの夢に生きている。そしてその語りが人明かりになってくれればと願って日々精進して生きている。もし手術をして失敗に終われば、人生はそこで終わってしまうからだ。だから人より数倍生き抜く生命力を維持しなければならない。そのためには私の詩語りを応援してくださる人が一人でも増えることだ。
昨日水道が壊れ、その費用に二万円もかかっしまった。つらいことだ。どうしたら生活をしていけるか不安がつのるばかりだ。生活費のことで坂井さんと小さな口論になってしまった。とても悲しいことだ。
坂井信夫さんから画家・島村洋二郎・眼の光が送られてくる。おめでとう、ほんとうに良かった。これは以前詩誌『漉林』に連載していたものだ。一人でも多くのひとが島村洋二郎という画家を知ってもらいたいものだ。一度飯田に行ってみたいものだ。りんご並木を歩いてみたい。飯田に住んでいる井原修さんも四月には本が上梓される。
高橋馨さんから操車場の原稿が届く。柳田國男は、犬や猫のことを書くと言葉に温もりがでる。かれは人にも優しかった。臼井さんの「安曇野」をよむと人との交際の優しさが描かれている。かれの奥さんが動物を飼うのを嫌っていたから、猫を飼うことができなかった。

2009年3月19日 (木)

日記

今日は病院での定期健診日である。ここ数日胃が重く感じられる。
井上リサさんが私のブログを紹介してくれた。とてもありがたい。彼女の個展を銀座で見たことがある。医療器具を使った作品である。いまあのような作品を見たら、昔とは違った受け取り方をするだろうと思う。
癌患者に生きる勇気を作る輪を広げたいものだ。癌の測定はⅠからⅣまでなのに、鋼管病院のO先生はなぜⅤと私に説明したのだろうか。あの時、先生のポケットから医師手帖を取り出して、あなたのはもう手術はできない。最悪の状態だよといわれた。そのとき癌の知識がまったくなかったので、それほどショックを受けずにすんだ。それから数週間で二十キロほど痩せてしまった。痩せて初めてこれは大変な病気なのだと気付いた。死の不安など全く感じられなかった。それでも『死の瞬間』という本を買って読んだ。死をどうしたら素直に受け入れられるか自分なりに学んでいった。そして死も一つのいのちの形態でということを自分なりに会得した。詩を書くことによって癌と向き合って生きる生き方を学んだ。そして多くの闘病記を読んだおかげで生きる勇気を得た。人生を最期まで諦めない。そいて生きていくことは自然体が大切であることを知った。それからいのちの歓びを学んだ。最後の詩集では、自然と向き合いながらいのちの美しさを表現してゆきたいと願っている。詩集『未来への旅』がそのテーマなのである。来年までは完成したいものだ。三部作がこれで完結することになる。それから本格的な語りの仕事に入ってゆきたい。どこまで生きられるかわからないが。そして坂井さんを今のアルバイトから開放してあげたいものだ。彼女が自然を、そして私がいのちを語る仕事が出来れば最高の幸せを掴むことができる。癌は私にとって最高の友達なのである。

2009年3月18日 (水)

日記

市民パソコン教室の宮田さんに詩語りの案内とライブのチラシを渡す。詩人でない人達との交流を進めてゆきたいと願っている。
詩の言葉が生まれるには、長い沈黙の時間を必要とする。そのためにも自然を楽しむことだと思う。瞑想こそが、言葉の源なのだ。現代詩には、言葉の沈黙度が足りないように思える。沈黙とのせめぎ合い通して言葉に近づくことを最近心がけている。そういう意味では詩は書くものではなく、生まれてくるものだと思う。そして死を凝視することがいかに大切かということだ。詩が最近書けないでいる。そのことは自分にとって良いことの方向に向かっているのかもしれない。
白木蓮とコブシが咲き始めている。今年は温かいせいか早く咲き出している。街路樹にさく白木蓮は美しい。
厚木基地の騒音問題で、うるさいと思うなら転居すればよいという判断だ。国のあり方に疑問を感じる。いま私の家の上を旅客機が多く飛ぶようになった。それも低空で飛んでゆくのだ。やはり不安を感じてしまう。住民には何一つよして知らされていない。国の政治と国民の差は広がるばかりだ。誰もが政治を信用しなくなりつつある。国民側に政治を変えていかねばならない。この不景気も、本当に国民のことを考えているのかと思わざるをえない。

2009年3月17日 (火)

日記

川崎の飲食店街で野良猫を写真に写す。野良猫を写していると、人生そのものの本質も見えてくる。可愛い猫より、闘い抜いている猫の顔が面白い。いま真剣にいけている姿勢が感動を呼ぶ。それはいま生きることの大切さを痛感するからだ。癌患者も、いまを真剣に生きることが日々の仕事だからだ。カメラはボタンを押すから写るのではない。そこには映したいテーマが存在しないと写真にはならない。写真は対象物との格闘なのだ。そこかカメラの面白さではなかろうか。いつの日にか「野良猫と詩人」というテーマで写真展をおこなってみたいものだ。
道端にタンポポ・ぺんぺん草・イヌフグリ・ハコベなどが咲いているのを見ると、春になったという感じがする。自宅から川崎までゆっくりと歩く。その途中で春の花などと出会う楽しみがある。途中で漢方のお店により、数種類の薬を買う。
ここ牛肉を一キロ七五〇円で買って毎日食べているが、飽きてきた。生活費をもっと切りつめなくては生きていけない。一日千円以内の生活はやはりくるしいものだ。青森産のひょう害の林檎を安くかった。この林檎はまるで野良猫のようだ。見た目は悪いが、なかなか美味しい。林檎に傷ついた分だけ美味しいのだ。傷を治そうとする生命力が林檎に働くからだ。これは末期癌に似ている。二〇〇八年五月二六日に八〇年ぶりに雹が降った。表面はかさぶがある。このかさぶたは傷を治そうとする生命力の表れなのである。

井上リサさま
メール有難うございます。井上さまのブログ読ませていただきました。次のライブは四月十五日です。場所はギャルリー東京ユマニテです開演は七時です。詳しい案内をお送りしますので、住所を教えてください。
私の住所は〒210-0852 川崎区鋼管通3-7-8 2F 田川紀久雄

2009年3月16日 (月)

日記

昨夜は、あまり眠れなかった。いま五時から日本とキューバの野球を見ながらパソコンを打っている。夜中胃が重く感じられて不安を感じた。ある人は手術をした方が良いという人もいる。私は手術をしないことを選んだのだから、このままいくしかない。昨日は稽古をしていて温かい春風の中で気持ちよく聲がだせた。そして久しぶりに宮澤賢治を語ってみた。宮澤賢治の作品は語りやすい。
詩語りの案内のパンフレットを作成した。カラー写真を入れた楽しいパンフレットに出来上がった。
生きることの歓びを常に感じて生きることが大切なことである。そして普段は癌であることを忘れて生きる必要がある。
国もやって海辺のゴミ対策に腰をあげた。予算はまだ少ないが環境省が動き出したことはそれなりに評価すべきことである。韓国からのゴミが圧倒的に多い。日本はもっと強く韓国に抗議していく必要がある。太平洋もゴミが大量に浮かんでいる。環境問題に対してもっと多くのお金をつぎ込んでいくべきだ。そして雇用対策も環境と共に考えて行くことだ。
いまや今日は日本が満塁になった。キューバは投手を変えたところだ。そして投手の悪投で一点が先制した。

2009年3月15日 (日)

日記

末期癌を宣告された時、君のはⅣの上のⅤだよと医師から言われた。その私が四月二十五日でまる二年間になる。抗癌剤の治療でいくらか癌が縮まったとき、手術を勧められた。でもその手術を拒否した。そして昨年の十一月に抗癌剤の治療も中止した。その私がいまなお元気で生きていられる。ある意味では不思議な話である。
私は人に感動を与えられる語りをおこないたいと思って、日々精進してきた。しかし一年半ほどは、思うように語りが出来ないでいた。その間に詩集四冊を上梓した。いまそれを語り始めている。いまこの詩集を語ることが、私の癌の進行を遅らせてくれている。そしてこのところ調子よく稽古が進んでいる。いまから四月十五日のライブが楽しみである。漢方とこの詩語りが生きる力を与えてくれているのだと思う。夢を持って生きることが、末期癌には大切なことなのだ。絶対絶命の境地から、よくここまで生きてこられたと自分でも不思議に思っている。これからは、ライブの場を増やしてゆきたいものだ。この四冊の詩集は、人明かりになれるものがあると信じている。そしてこれを語り続けていくことに、これからの私の人生があるものだと思う。末期癌で苦しんでいる人達にも勇気を与えたいと願っている。いま語りのパンフレットを作成している。いま一日一日が楽しく生きていられる。きっと人に感動を与えられる語りができることを夢みて生きていられるからだ。そしてできたら、また宮澤賢治の世界も語っていきたいものだ。これしか私には生活の手段にしていくものがないのだ。ブログを読まれている方は是非一度私の語りを聞きに来てください。そして語りができる場所があったら紹介してください。

あたたかな風

あたたかい心
あたたかい手
あたたかい愛
あたたかい眼差し

手をそっと差し伸べる
生きている
生きている
すべてのものが生きている
いのちが輝いている
海からあたたかい風を運んでくる
わたしの心を救ってくれる
いのちの尊さを噛みしめている

あたたかい心
あたたかい手
あたたかい愛
あたたかい眼差し

ありがとう
感謝の気持で胸がいっぱい
誰にも気付かれることなく
眼を瞑って天に向けて祈ってみる

2009年3月14日 (土)

日記

パスカルのパンセ、アランの定義集、モンテーニュの随想録などは、いつも枕元においておきたいものだ。その日の身体の状態によってその中の一冊を選んで僅かな時間でも読むのは楽しいひと時でもある。
内田光子のシューベルトのピアノソナタCD八枚を四日かけて聴いた。いまいち私の心に響いてこない。でも日本人の人が弾くこの曲では一番良いのかもしれない。シューベルトは、誰が演奏しても難しいものだと思う。特にピアノソナタは難しいと思う。
野間明子さん、高橋馨さん、小笠原眞さんからカンパがありとても助かった。生活保護を受けると、詩的活動ができなくなってしまう。申請を行っても、坂井さんが働いているとうけられないのだ。二人で生活費は六万円ほどしか使えない。『操車場』も送料をいれると赤字になる。この赤字を埋めることができるのはカンパしてもらっているからだ。どこの詩誌の発行も主催者が赤字を背負っているのが現状だとおもう。
海賊対策で派遣命令がでた。法的にも疑問が残る。あいまいなままの派遣命令は危険である。国策としてどうなのか、議論をもっと尽くすべきであったと思う。それから北朝鮮のミサイルの問題がいま現実としておきている。国防の問題もどうあるべきか、はっきりした態度が政府に求められている。憲法九条の問題で怖いのは、核の装備まで発展しかねないということだ。平和をどうしたら本当に守り抜くことができるのか、日々考えていなければならない。これは観念的に考えていては何も解決はできない。そのことはまずキリストの隣人を愛せの精神を持つことが必要なのだ。隣人を愛すほど困難な問題はないのだ。

2009年3月13日 (金)

日記

正月から思えば、日の入り、日の出の大幅に変わった。
昨日のボクシングで粟生隆寛は前回より間違いなく強くなっていた。そして長谷川穂積は凄い。スポーツは、自己との闘いである。ただ努力こそがリングに上がれる資格をえることが出来るのだ。あとは才能である。才能の前に努力がなければ、その才能も死んだものと同じだ。
私の詩語りも進化している。ただ日々の精進が進化させてくれるものだ。と言って私には全くの才能がない。才能のない人間ができるのは、たゆまず精進を続けるだけである。芸人の聲は小さい時から鍛えられているから、それなりの芸人に成長していける。私のように四十台の半ばから語りに目覚めた人間は、たかが知れているが、諦めずに努力する以外にはない。抗癌剤を中止したおかげで聲をだすにも身体的に楽になってきている。といってもそれほど舞台があるわけではない。でも聲を発した時には、聴き手にそれなりの感動を伝えたいものだ。それと末期癌者が、よくここまで出来たものだと言われる境地まで語りの世界を高めたい。人明かりを目指していることは、この道を究めることしか今の私にはできない。そのことがいのちの歓び繋がっていく。

2009年3月12日 (木)

日記

百円の老眼メガネがどれを使っても合わなくなってきた。今現在2・0を使用しているが2・5だと眼が痛くなる。本を読むのもしんどくなっている。
今日は十五夜である。このところ雨が多かったせいか月や金星を見る機会がすくなくなっていた。でも十三夜から夜空に星や月が綺麗に見られた。金星もずいぶん傾いてみられるようになっている。星の動きを見ていると月日の変化が身体的にもわかる。
森田たまさんの随筆で「まいにちまいにち同じ繰り返し」であるという文章に出会ったのが中学生の時である。最近目覚める時に、この文章が脳裏を横切っていく。癌患者にとっては、この毎日毎日が尊いのである。毎日生きていることの歓びを感じ取っていられる。毎日が同じ繰り返してもなんら不満はない。この同じ毎日の中で音楽を聴いたり、語りの稽古を行なったり、本を読んだり、文章を書いたりしている。そして自然の美しさを求めて小旅行もできる。日々の努力の中で人生の歓びに出会える。つねに前向きで生きていればそれなりに楽しく生きていられる。癌になっていろんな多くのことを知ることができた。日々生きられる。そのことの大切を噛みしめながら生きることが生きている意味につながってゆく。

2009年3月11日 (水)

日記

税務署に申告に行く。収入がないので簡単に終わる。
洗濯機の取り付けも終わる。これでほっとする。
杉花粉もピークを迎えた。今年はそれほど花粉の影響を受けないで済みそうだ。
三月期でこれから正社員の失業者が増える。雇用対策が思うようにいっていない。かつての世界恐慌(1927年)を思わせる。日本は世界恐慌で満州事変へと発展していった。資本主義は株で同じ経験をするとは、歴史から何も学ばなかったようだ。金の力は、人間の知性を狂わせてしまうものだ。パンセのその一では、幾何学の精神と繊細の精神の違いをのべているが、欲望の問題になるとどちらの精神も役にたたない。
欲望は人が生きるためには必要なものだ。その欲望はあくまで適度の欲望でなければならない。精神的な欲望であれ、物質てきな欲望であれあくまで適度が求められる。
政治家の欲望は、国民の幸せをもとめる欲望だけが求められている。いま政権云々で、国民の生活をないがしろになっている。国民という名を利用した権力争いは、国民からの政治不信をまねくだけだ。そのためにも早く国会を解散して、国民の真意を問うべきだ。

2009年3月10日 (火)

日記

引越しの時に買った中古の洗濯機が動かなくなってしまった。ヨドバシカメラに買い行ったが高いものが主流に置いてある。一番安い洗濯機でも二万円はする。清水の舞台から飛び降りる思いで購入する。給付金を先払いして買った気分だ。
CD「つきマガジンで落語がある。昭和の名人の1に古今亭志ん朝である。定価が四九〇円。丸善書店で買う。凄い落語だ。いまもし生きていたら、どんな落語を聴かせていただろうか。詩の朗読も芸の領域まで高まらなくては、聴き手は増えてはこないだろう。今の詩人の中で朗読が芸であるという意識をもっている人がいないのは残念なことだ。『詩人の聲』のイベントが五〇〇回を越せば、今までの詩人が考えていた朗読への認識も変わってくるかもしれない。この変化がでてくれば、天童大人企画の意図が達成したことになる。これにはひとえに天童氏の努力の賜物である。一回一回の積み重ねが大きな意味を持つようになってくる。詩人たちもCDやDVDを製作して社会に向けて広めていく努力も大切なことだと思う。
昨日の韓国との野球を見ていて一点を取りに行く姿勢が原監督から感じられなかった。勝つことの執念は韓国側のチームの方が上であった。

2009年3月 9日 (月)

日記

民主党も、小沢さんが退陣して新しい党を作ることが国民の信頼を得ることだと思う。私も小沢さんが好きになれないでいた。自民党の流れを汲む人達ではなく、国民のことを願う本当の民主党を期待したいものだ。金権問題で国民からの政治不信だけは避けたいものだ。政治に対して国民は常に身近な問題としていたいものだ。
昨日石川町の元町を歩いたが、テレビで紹介した猫には逢うことができなかった。最近一眼カメラをもって写真を撮り始めている。撮影の対象は、野良猫と人間の顔であるが、まだ一枚も人の顔を映してはいない。なかなか人の顔を映したいという人物に出会っていない。野良猫の対策は地域猫の社会を作ることだと思う。市町村がお金を出して猫と人間の共存社会をつくることが必要である。避妊手術をした野良猫には全国共通の首輪をつければよいのではなかろうか。野良猫を減らすには仔猫を捨てないことだ。今の法律では猫を駆除できない。せめてそのことが私の心を癒してくれる。犬と違って群れになって人を襲う心配がないからだ。それに狂犬病もしんぱいがない。でも野良犬の駆除だけは中止をしてもらいたいものだ。今はペットを捨てる人が多いことが問題である。犬の問題というより、人間の犬に対する問題の方が大きい。

2009年3月 8日 (日)

日記

生活困窮者が増えている。年金で生活の出来ない人たちが多くいる。そして失業者の増加によって生活保護を求めている。大手企業では、これから正社員まで解雇が始まるという。経済対策は、いくら行なっても追いつけない。よほどの思い切った対策を打ち出さないとどうにもならなくなってくる。
テレビ番組でフイリッピンの貧しい人達の生活が映しだされている。そして他の番組では贅沢のグルメの番組が放映されている。この格差の映像は異常な感覚を覚える。テレビ番組をもう少し考えて放映をしてもらしたいものだ。
複雑系の行く先は、論語的な世界に辿り着くように感じられる。信頼と親近感、思いやりが複雑な社会では必要とされている。グローバル化された資本主義社会では、孔子がいう『恕』が求められている。辞典で【恕」】とは(おもいやり。同情心。「忠恕」「仁恕」)と書かれている。
『操車場』の発送も終わり『嶺』の版下も印刷所に入れた。
横浜の中華街に、漢方の霊芝と朝鮮人参・その他を買いにいく。

2009年3月 7日 (土)

日記

『操車場22号』今日一回目の発送をおこなう。
今の世の中には信頼感が薄れている。信頼感は社会的な財産である。都市型の社会は地域的にみて横の繋がりが薄い。向う三軒両隣の顔すら知らないのが普通になっている。私も町内会にはいっていない。というのは、末期がんである私は町内会の仕事を手伝うのは無理だからである。姥が森で私が末期癌患者であることは誰も知らない。町内会の役員は順番になっている。いま町内会で知り合いは犬を飼っている人達の顔ぐらいだ。子犬を通じて時々会話を行なう程度である。勤めている人が私は詩を書いています、などど同僚に話すことはしないだろう。癌と詩人を並べるのは変なのだが、私は癌患者であって詩もかいている人間だから述べたまでのことである。ブログに載せるのなら言ってもいいではないかと思う人がいるかもしれない。ブログを読む人の中に私と同じ境遇の人がいるからだ。癌と向き合って生きていくことは、他の癌患者に参考になるからと思ってあえてブログを通じて日記を発表している。
今は三人に一人は癌にかかる恐れがあるといわれている。癌患者であって誰にも相談できないひとが多くいるはずだ。私も多くの闘病記を読んで生きる勇気を頂いた。私と同じように末期癌で手術を拒否している人達が多くいるはずだと思う。そのような人達と手をつないで生きていたいと願っている。どう日常生活を送っているのか、それを報告することもそれなりに意義があることである。ブログが多くの人たちに読まれる。私は、いまこうして生き抜いているということを書くには詩人としての責任でもあると思っている。
今の私は末期癌になって多くの尊いものにめぐり合った。癌に感謝している。癌はつらいが、そのことによって得たことが大きい。そのことがありがたいとおもって日々生命(いのち)に感謝している。そしてそのことを書いた詩を語りを通じて行なえることが今の私に生きる力を与えてくれている。

2009年3月 6日 (金)

日記

小沢さんの問題は、アメリカの臭いがする。第七艦隊だけでといったことと関係があるように思える。これはあくまで素人考えだが。いまの日本には天皇制とアメリカ権力の下で国民は縛られているように思えてならない。平和憲法もある意味ではまがいものである。まがいものであっても、戦争の放棄は守らねばならない。平和を守るということは、なかなかやっかいなことでもある。
毎日語りの稽古をしていると、そのときの身体の状態が良く解る。ここ数日胃の調子がわるい。そうするとやはり、聲に艶がなくなってくる。身体の状態が悪い中で行なうことによって、どんなときにでも対処できる方法を見つけることが出来る。私の場合、身体の状態が悪い時の方が多い。その中で行なっているから、ライブの時でもなんとか行なっていける。
昨日の野球でイチローがまったく打てなかったのは、スランプなのかどうなのか。あれだけの野球人でも、やはり人間である。人間であるから野球を観ていて面白いのだ。でも彼の凄いところは、それでも最善をつくして野球と取り組んでいることだ。一流の条件は、つねに努力と最善の選択をして生きていることである。

2009年3月 5日 (木)

日記

政治の世界は一歩先が闇の世界である。日本の政治は変わっていくことがないのかもしれない。
『詩と思想・三月号』が送られてくる。四月二六日のイベントの広告が掲載されてある。一回分は無料である。少しでも朗読のイメージがいい方向に広がっていけばありがたい。朗読の輪を広げるには、広告が大切なのだと思う。
高層マンションの中の庭の公園は、人工的な自然環境だ。虫がつかない樹木を植えて、雑草が生えないようにしている。あくまで清潔で見た目に快いものが作られてゆく。人は自然といいながら、本当の自然を遠ざけている。紐をつけて飼え犬は受け入れても野良猫は排除する傾向がある。夕日を見ながら、一匹の野良猫を見るのも素敵だと思う。
浜川崎駅に十日ぶりにりゅうがいた。元気である。心配はまったくない。一・二匹の猫が改札口近くにいると、乗客の心もなごむと思うのだが、JRでは嫌うのだ。仕事で疲れて帰ってくるお客にとっては、猫とあうことで心が和むとおもうのだが。人によっては猫を嫌いなひともいることは確かであるが・・・。

2009年3月 4日 (水)

日記

泉谷栄さんから林檎ジュースが送られてくる。いつも気を使っていただき感謝、感謝の気の知で一杯である。紫圭子さんからも詩集の代金が送られてきた。詩人たちの聲を聞きに出かけたいが、まだ腰の心配と、入場料を払うお金がないのだ。貧乏はつらいものだ。昨夜は関東にも雪が降った。ホームレスの人達はこの寒さで辛い思いをしているだろう。
先日私が語りの稽古をする公園にホームレスの人の荷物が木の下においてある。それを市の公園課の人が来て、足でそれを踏みつけていた。手で取って何があるのか調べるべきだ。一様他人の持ち物だ。役人根性むき出しの対応である。人の痛みがわからない役人はすぐさま首にすべきだ。
詩人にも人の心がわからない人が多い。詩を書く前に人間であることを忘れてはならない。権威的な詩人は、どうにもならない。詩人のボスといわれる人の中には、人の痛みがわからない人が多くいる。哀しいことだ。詩は、初めは自分の心を慰めるために書かれるものである。それから一歩一歩進歩していく、詩の深さを増したものを書いてゆく。詩は、その人の旅の報告書でもある気がする。人に感動を与えられる詩を書くには、それなりの努力が求められる。それも作為的であってはならない。あくまでも自然体で書くことである。
操車場の印刷と製本は七日頃になりそうだ。

2009年3月 3日 (火)

日記

人にとって大切なのは、自分の意見をはっきりと述べることである。普通の人は、多数の意見にのまれてゆく。このたびの給付金もんだいでも、もらう、もらわないの問題で麻生首相は最後まで迷ったあげく、党内の意見に折れてしまった。阿川弘之著『井上成美』を読むと、井上の態度がなかなか面白い。最後まで自分を押しとうす態度は感心するものがある。
民主党の小沢さんに言葉には、あまりにも説明不足がある。小沢さんという人間には信じられないものを感じてしまう。国民は、誰を信じてよいのか解らない。小粒の政治家ばかりでは、日本は良くならない。今の政治状態は、戦前の時に似通ったものである。いま国民は、自分の眼でものを見て、自分の言葉で言うことを積んでいくことが求められている。嫌なものは、はっきりと嫌だというべきである。
電気代・ガス代・水道代・電話代・インターネット代が、やっと支払うことが出来た。月に二万円ちかくかかる。生活していくことはやはり大変なことなのだと痛感してしまった。坂井さんと私の預金通帳も零になったゆく。詩語りの仕事が欲しいものだ。

2009年3月 2日 (月)

日記

昨日テレビでETV特集で『ひとりと一匹』を見る。多摩川でのホームレスと猫との物語だ。今アルミ缶が一キロが三十円まで値が下がってしまった。この不況は猫の生活まで脅かしている。猫も犬も我々の家族なのである。地球にすむ生き物はみんな家族なのである。野良猫や犬たちは、何万匹と処分されている。犬が猫を助けているシーンを見ると、心が打たれる。生き物同士の優しさがいまもっとも求められている。横浜でのナイフで見知らぬ人を刺しに逃亡する事件がおきた。今の人間の社会は何かが狂っている。人に対する優しさが欠けている。
私も多くの人たちから助けてもらって生きている。人明かりの生き方を求めているのだが、なかなかそれが実行できないでいる。せめて癌で悩んでいる人達の役にたつ仕事をしたいものだ。詩語りを通じてなんとかしたいと思っている。悩んでいる人達と共に語りあいたいものだ。このところ数日胃が痛む。不安だ。癌の苦しみを知った人が人への思いやりを込めて語れるものがある。末期癌で手術を拒否して生きている私には、癌患者のつらさが良く解る。だから生きる歓びを求めて生きているのだ。『未来への旅』(三部作)の詩集は、癌患者がどうして生きてゆくかを書いてきたものである。いま『詩人の聲』のライブでそれを語っている。

 天童 大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバとを聴く! 
プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)

―肉聲の復権を目指す、「目の言葉」から「耳のコトバ」へー  
           
  3

第310回3月5日(木) Star Poets Gallery 村山精二(初)
第311回3月6日(金) Star Poets Gallery 森川雅美(2)
第312回3月11日(水) ギャルリー東京ユマニテ 叶 美紗子(初)
第313回3月12日(木) ギャルリー東京ユマニテ 紫圭子(3)
第314回3月17日(火) ギャルリー東京ユマニテ 伊藤比呂美(6)
第315回3月18日(水) ギャルリー東京ユマニテ 中本道代(2)
第316回 3月19日(木) ギャルリー東京ユマニテ 浜江順子(5)
第317回3月24日(火) ギャルリー東京ユマニテ 天童大人(11) 
第318回3月25日(水) ギャルリー東京ユマニテ 白石かずこ(14)
第319回3月26日(木) ギャラリー華 塚越祐佳(初)   
第320回3月27日(金) ギャラリー華 竹内美智代(初)

4月

第321回4月7日(火) Star Poets Gallery 河野聡子(5)
第322回4月8日(水) ギャルリー東京ユマニテ 酒井忠康(初)

第333回4月9日(木) ギャルリー東京ユマニテ 天沢退二郎(3)
第334回4月15日(水)
ギャルリー東京ユマニテ 田川紀久雄(14)

第335回4月16日(水) ギャルリー東京ユマニテ 薦田愛(18)
第336回4月17日(木) ギャラリー華 島木綿子(3)
第337回4月22日(水) ギャルリー東京ユマニテ 平田俊子(3)
第338回4月23日(木) ギャルリー東京ユマニテ 中村恵美(14)
第339回4月24日(金) ギャラリー華 有働薫(9)

ギャルリー東京ユマニテ(京橋), Star Poets Gallery (渋谷), ギャラリー華(広尾)
公演時間 は開場:18:30 開演:19:00
入場料   予約 大人2,500円 当日 大人2,800円 大学生1,500円 (学生証呈示)
高校生 500円(学生証呈示) 
小・中学生 無料(保護者同伴)

*御予約は直接、各ギャラリーか北十字舎へお電話かFaxでお申し込み下さい。

参加画廊:
ギャルリー東京ユマニテ(京橋)104-0031中央区京橋2-8-18昭和ビルB1
Tel 03-3562-1305 Fax 03-3562-1306 E-mail:humanite@js8.so-net.ne.jp
URL://www.kgs-tokyo.jp/humanite.html

Star Poets Gallery(渋谷)154-0004 世田谷区太子堂1-1-13,佐々木ビル2F-D
Tel &Fax03-3422-3049 E-mail:planet@star-poets.com
E-mail:collect@star-poets.com URL: http:www.star-poets.com/

ギャラリー華(広尾)106-0047港区南麻布5-1-5
Tel &Fax 03-3442-4584 E-mail:gallery-hana@nifty.com
URL:http//homepage2.nifty.com/gallery-hana/

参加希望のお問合せ,その他:北十字舎
171-0031 東京都豊島区目白3-6-5
℡ 03-5982-1834 Fax 03-5982-1797

2009年3月 1日 (日)

日記

映画の『おくりびと』が話題になっている。末期癌である私にとって死を意味することばのは精神的に不安を感じてしまうのだ。だから「おくりびと」の話題はテレビでも見ないようにしている。また映画も見たいとは思わない。昨日テレビで「交渉人」をみたら、夜中、不安にかられて胸が苦しくなった。米倉涼子は、昔より演技がうまくなっているが、もう一歩何かが足りない。女優として何かが足りないのだ。
昨日の夕方、浜川崎に「らん」がいた。いつもなら直ぐ逃げるのに、お腹が空いていたせいか近寄ってきて甘えている様子を見せた。もう一匹の「りゅう」がこのところ姿を見せていない。
昨日の夜急にお腹が痛み出した。不安にかられたがしばらくして収まった。ほっとしたが朝はまだお腹の調子が悪い。胃の調子が悪いと、胸が苦しくなる。この不安感と闘う日々はやはり辛いものを感じる。今日から三月だ。また桜をどこかへ見に行きたいものだ。自然の美しさの中にいると、心が慰められる。
大庭利雄著『終わりの蜜月』を読み始める。作家の大庭みな子さんの介護日誌である。

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