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2009年1月31日 (土)

日記

次々大手の会社が首切りを断行してくる。どこもかしこも赤字である。坂井のぶこさんの同業の会社の人達が解雇になったと昨日話した。会社は、解雇をするのが一番手っ取り早いのだろう。それでは会社の社会的責任問題はどうなのか。非正規雇用の人たちは、普段から安い賃金で働かされている。会社が大儲けしても彼らは決まった安い賃金しかもらえない。ボーナスも支給されてこない。これではめちゃくちゃな話だ。
長谷川忍さんの原稿が届いた。短い詩であるがなかなか良い作品である。嬉しい限りだ。それに対して私は詩が書けなかった。詩集を上梓時期は。なかなか作品が書けないものだ。井原修さんの22号の原稿が届く。彼の古書店の経営が心配だ。生活が苦しい私は何もしてやれない、心苦しい。参加費が払えなくても良いからと電話で言ってやるしかなかった。
今月通販生活で腰の痛みに良いといわれる座椅子を購入した。確かに腰の痛みを緩和してくれる。一時間ほど座っていられる。その後はしばらく床に横たわっている生活だ。一月も今日で終わった。生きられていることに感謝。

2009年1月30日 (金)

日記

今の不況は一国の問題で片付く問題ではない。それなのに11年度の消費税にこだわる麻生首相や自民党の態度に国民感情からあまりにもかけ離れた態度の唖然としてしまう。世界的な資本主義の構造改革が行なわれない限り、そう簡単にはこの不況問題は解決されないだろう。
演芸関係はこれから入場者が減っていくだろう。映画も劇場の料金を安くしなければ人もこなくなる。そのためにまず減税をもとめられる。文化や食料には基本的に税をかけないことが大切なのだ。不景気な世の中だからこそ、文化が必要なのだ。この問題は何処の政党も扱わない。活が苦しいのだから、せめて心ぐらいあたたかくいたいものだ。
今日『詩人の聲』が三百回を迎える。わたしは腰が悪く聴きにはいけない。天童大人氏のなみなみならぬ努力に頭が下がる。毎日新聞にも詩人の聲が記載されたとある。少しづつ世の中に浸透していくのだろう。そのためには、もっと詩人の聲を磨かねばならない。量より質が求められていく。わたしは画廊の暖かい協力が一番の貢献なのではないかと思う。詩も絵も一つの文化なのだ。いまこれからの時代は一緒になって手をつないでいくしかない。いま詩も絵もばらばらな状態である。お互いに歩み寄って日本の文化を広げる必要性が求められている。

2009年1月29日 (木)

日記

朝腰が痛む。床からなかなか立ち上がれなかった。
鈴木良一さんより詩の原稿がはいる。とても良い作品である。良い作品は、人に生きる勇気を与えてくれる。
川崎詩人会発行の「新しい風」増刊号の発送を終える。
ホームレスで亡くなるのは病気が52パーセントで、自殺が17パーセントだそうだ。かれらはほとんど病院にはいかない。最後まで無理をして亡くなってゆく。緒方洪庵は任術を大切にして、貧乏人からは金銭をうけとらなかった。いま任術を大切にする医師など見当たらない。病院の規模が大きいほど任術からほど遠い。人のいのちは地球より重いといわれながら、軽んじられている。資本主義社会では、すべて自己責任で済まされてしまう。
詩の世界でも、文化の面でも庶民からも省みられていない。泉谷栄さんの手紙にも弘前では詩に関するコーナーがどこにもないと書かれてある。東京でも、詩誌を扱う書店などほとんどない。もしあってもほとんど見向きもされないのが現状だ。詩語りのDVDなど詩人にすら感心がない。最初から相手にされていない世界である。戦後の詩人たちが活字中心の甘んじてきたためなのだ。今でも活字でしか詩の伝達方法がないと思い込んでいる。詩を朗読する詩人ですら、他者の朗読には無関心である。とても悲しいことである。

2009年1月28日 (水)

日記

尾崎寿一郎さんより原稿がはいる。逸見猶吉論の続きである。操車場にこのような論文を載せてもらえるのはありがたいことだ。腰の痛みに耐えて版下作りに励まなければいけない。
夜中激しい鬱に襲われる。不安の恐怖に駆られて朝まで眠れなかった。
川崎詩人会発行の『新しい風』の増刊号が丸山さんから送られてくる。
いつもの語りに稽古に使っていた公園にホームレスが住み着いた。失業していくあてのない人なのだろうか。大変な世の中になってきている。寒い冬空のしたで生きることはつらいものだ。多分このような状況を見たために鬱に襲われたのかもしれない。いまのホームレスの人達は、自らもとめてホームレスになったのではない。企業の身勝手な結果に生まれた現象なのだ。このような世の中の仕組みをなんとかして変えていかなければならない。この前の猫の事故死とおなじぐらい悲しい。
坂井のぶこさんが、胃がいたむという。心配だ。キャベジンを買って彼女に飲ませる。彼女を助けてあげたい。そのためには詩語りの仕事が入ってくることが一番よいのだが、こう不景気だと身動きがとれない。いまは耐えて生きるしかなさそうだ。春になったらどこかの温泉でも行きたいものだ。

2009年1月27日 (火)

日記

仕事の解雇で自殺者が急増している。なかなか生活保護が受けられない。人によって不器用な人がいる。役所に行っても強くいえないと親身になって話を受け入れてくれない。世の中は押しの強い人が有利に働いている。これは詩壇とどこか似ている。
大塚欽一さんから丁寧な葉書が届いた。詩集を心して拝読させていただきました、書かれてある。彼は医師である。やはりいのちについてきちんと見つめている。
野間明子さんから校正ゲラの中に手紙が入っていた。その中で、「老健施設も初冬以降、ぐっと収容者が減り、職員も一人、二人とやめガラガラだそうです。」と書かれてある。職員の仕事がきつく辞めていくのだろうか。厚生省のきめの細かい政策が求められている。
携帯電話をなくしたので、月980円でお互いに掛け合っても通話料が無料の携帯を買う。今までの電話料より安くてすみそうだ。
浜川崎に屋台が出ていて猫が駅に近づけないようにしてある。テキヤのおにいさんにどいてもらいたいものだ。駅前の自転車には注意しても屋台には直接にJRの人は言わない。弱い立場の人には直ぐ注意するのに・・・。

2009年1月26日 (月)

日記

先夜腰の筋肉体操をほんの少しやっただけで、朝立ち上がることができない。腰の痛みを治すには、腰に筋肉をつける以外にはないと思って始めようとしたのだが、無理なようだ。なさけない。
昼間は腰が痛いので、湯たんぽを入れて床に入っていることが多い。怠惰な生活である。寒さのためにか何もしたくない気分である。詩集を上梓していらい鬱的な状態が続いている。
昨夜の相撲に麻生首相がわざわざくる必要もないのに、人気取りにでむいてくるなど最低の行動だ。国民生活が困っているという時期にだ。こんな首相だから山形県の知事選挙に負けるのだ。自民党は間違いなく崩壊している。
昨夜、子供達に『いのち』についての授業をしている夢をみた。まず子供達に、「いのち」とな何ですかと質問をする。子供達はあれこれと答える。教える立場の私が、子供らからいろんなことを教わる。私は最後に「いまこの瞬間をいきていることがいのとそのものなのですよ」と話す。そして「いま生きている歓びを大切にしていくことが、人を愛することに繋がってゆくのです」夢って不思議な現象だ。子供達と話あっていることがとても楽しかった。これが夢でなく、眼が醒めてから実際の出来事ならと思った。

2009年1月25日 (日)

日記

癌患者であるためなのか、この度の詩集にはほとんど反応がなかった。百冊ほど謹呈したが返事を頂いた方はほんの数人でしかなかった。私は作品として読んで欲しかった。作品の質と返事とは何の関係もないのだが、やはり淋しいものだ。
人間にとっての悪は、無関心でいることではなかろうか。すべてに感心を持つことは不可能である。せめて身のまわりについては感心を深めた生き方をしたいものだ。歳をとって病をわずらっていると、気が弱くなる。もっと自分の作品には自信を持って生きていれば良いのだ。山本陽子さんも、私の作品は100年後にわかってもらえるかもしれないと言っていた。宮澤賢治や中原中也さんも、生きている間は社会から相手にされなかった。この度の『生命の歓び』は私にとっての最高作だと思う。
旧暦だと今日が大晦日である。嫌な気分も今日で終わりたい。風気味で外で語りの稽古を中止している。「未来への旅」を全編を通じて語りの稽古を始めたいものでだ。つねに自分自身との闘いしか今という時はないのだ。愚痴をいっても、そこからは何も生まれてはこない。嫌なことはすぐ忘れることにつきる。明日は旧暦で元旦なのだ。

2009年1月24日 (土)

日記

消費税問題で自民党は無駄な論争に時間を潰してしまった。そのような時間があるのなら、もっと雇用の問題を真剣になって話し合わないのだろうか。11年度まで回復がどうのこうのというより、いま実際どのようにしたら国民生活がたすかるのかを具体的に検討をしてもらいたい。そして一人でも多くの人が雇用につけるような対策を打ち出してもらいたい。
井原修さんより青汁を頂く。彼の古書店も大変だ。名古屋の問屋が潰れたという。でも四月には文集が上梓される。これは新聞社が出してくれるそうだ。
坂井信夫さんの原稿が入る。操車場は順調に発行ができそうだ。私の腰の痛みは相変わらずである。

2009年1月23日 (金)

日記

禅とはなにか。それは自分と向き合うことでもあり、自分の内なる仏に出会えることでもあるのではなかろうか。座っても禅、立っていても禅。生活そのものが禅なのかもしれない。だから禅寺に行って、禅を無理にして行なう必要もない。
部屋が本で一杯なので整理をしている。謹呈される本をそのままにしておくとすぐに身の回りが本だらけになってしまう。一般の家をみていると殆ど本がない。生活するに最低限度のものしか置いていない。詩集を上梓すると、本の置き場に困る。さっさと謹呈していくしかない。といって詩集はまず売れない。大手の出版社で詩集を出せば百万を越える。普通の生活者では、そう簡単に本の出版などできない。詩人でない人からみれば、詩人は金持ちのように思われる。出版した本がまったく評価されない時は辛いものを感じる。詩人にとって詩集を上梓することは大切なことなのである。なにしろ詩そのものが、自分の一部なのだから。自分の子供のように大切に育てていく必要がある。詩集を語ることは、自分の子供の成長のように愛情をこめて語っていく。その繰り返しによって、また自分の詩集から学ぶことも出来る。出しっぱなしで終わることがない。詩人の一人でも多く、詩集を語ることを開始しるべきだと思う。詩を語ることも禅なのである。

2009年1月22日 (木)

日記

浜川崎の猫が、車に轢かれて一匹死んだ。私たちは朝太郎と呼んでいた可愛い猫であった。車は轢き殺したまま逃げ去っていった。餌を食べに来る途中であった。

猫は車にはねられて死んだ
いつも缶詰を与えていた猫
人類の文明の生んだ便利な乗り物によって
とても悲しい
人の死よりも悲しかった
文明の発達によって大切な友を失った

医師で詩人である小笠原眞さんよりカンパと励ましの手紙をいただいた。とてもありがたい。やはり励ましの言葉と温かい感想文をいただくと嬉しいものだ。私はなかなか手紙をかけないでいる。でも良い詩集は操車場に広告を載せている。それがせめて私ができることだ。このところ机に向かってパソコンを打つのもしんどい。もっともっと優しい心を持たなくてはならない。人明かりによって私はいま生かされている。
朝日新聞の窓の記事で「国立公園が危うい」が掲載された。自然保護監官は全国に262人がいる。その補佐役として「アクティブ・レンジャー」が05年に生まれ、全国に80人がいる。現在九州には9人がいる。そのうち5人は大学院終了者である。その人達が予算がないために首が切られるという。環境省の予算がないという。給付金などいらないから、このようなところに回してもらいたいものだ。このひとたちは止めさせられたら次の仕事がないという。
日本はいかに貧しい国なのか。自然を守る人達が最低の条件の中におかれている。現代文明と自然環境を守る人達のことを思うと怒りが収まらない。次の詩集は、いのちの美しさをテーマにして書いてゆきたい。癌でいつ死ぬか解らない私のとって最後のテーマをじっくりを書いてゆきたい。

2009年1月21日 (水)

日記

今日はCTの検査日である。
泉谷栄さんと堀本恭三さんから温かいお手紙とカンパをいただいた。ありがたい、これでCT代の支払いの一部に使わせて頂く。
高橋馨さんと野間明子さんから操車場の原稿が届く。野間さんからはイベントの時の感想が書かれてある。いつも正直に書かれていて参考になる。
日本経済はなに一つ具体案が示されないでいる。ただアメリカの動向を見守っているにか過ぎない。オバマ大統領が誕生したことはそれなりの意味がある。ただ期待しているだけでは、この日本の不況は救われない。オバマ政権の前におこなったイスラエルの軍事行動は何であったのだろう。
こう寒いと生きる気力が失われる。腰の痛みにも寒さは天敵である。
北海等に住んでいるKさん身体に気をつけてください。あせらずに自分なりの生き方で過ごしてください。

2009年1月20日 (火)

日記

坂井のぶこ『詩人の聲」に操車場からは、長谷川忍さんが聴きに来ていただいた。「浜川崎日記」より10篇を語る。努力してもお客は来ない。北海道新聞社の人が取材に来ていた。天童大人氏に私の新しい詩集を渡す。
レイチュル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を読む。
失業者がどんどん増えている。新橋の地下道をあるいていたらお年寄りのホームレスがいる。社会からはみ出されていく。見ているのも悲しいが、それに対して何も出来ない自分がとても悲しい。歩くにも私は腰が痛んでいる。困ったものだ。
知り合いの詩人のMさんの奥さんが、子宮癌で危ない状態だという。その奥さんも詩人である。若いとき感性の鋭い優れた詩を書いていた。電話でTさんから聴いたのだが、とても辛い話だ。
新聞の朝刊にガザの写真が載っている。瓦礫の街、たきぎを拾う女性の姿が写っている。この写真をみるのも辛く悲しい。
詩人である私は、人々の愛をうたいつづけるしかない。小さな愛でもいつしか大きな輪に繋がって行けば、この悲しみもいつ日にか薄らいでいくだろう。

2009年1月19日 (月)

日記

今日は坂井のぶこのライブの日である。
自・民党大会は、自分たちの政権への願望だけの大会にかすぎない。何一つとて問題点が話しあわれないままに終わる。国民は置いてきぼりにされるだけ。
昨日ユニクロに下着を買いに行ったが、お客は二・三割いつもの祭日より少なめであった。やはり不況の波は広がっている。
詩集を上梓した後は、なかなか詩が書けないものである。書きたいテーマははっきりしているのだが、最初の言葉がかけないでいる。一行さえ書ければ詩がうまれてくるのに、その一行がどうしても成立してこない。これは詩人にとっては辛いことでもある。普通の詩人たちより書くペースが早かった。それなのにここに来て迷ってしまっている。それは今の社会情勢のせいによるのかもしれない。不況と戦争が身の回りで起こっている。それと個の問題が、うまく溶け込んでいけないでいるからだ。詩人は個人だけの問題では生きていけない。つねに時代と向き合っていなければならない。一字も不況や戦争のことが書けなくても行間にはその緊迫感がうまれてくる。つねに弱い立場の人たちへの思いがあってこそ詩が生まれてくるものだ。詩とは愛そのものでなければならない。

2009年1月18日 (日)

日記

社会の環境によって鬱になる人が多いだろう。どこを振り向いても好転する可能性が見られない。アメリカではオバマ政権に移る。しかし本当のところすぐに社会が良くなるというものでもないだろう。人間が作ったこのような不景気な世の中は、人間の手で治せるものでもある。人間の可能性を信じて生きていくしかない。
明日坂井のぶこさんのライブがギャルリー東京ユマニテでおこなわれる。一人でも多くの来客をお願いしたいものだ。詩人の聲はお客によって成長していくものだ。
いまこれを書きながらもとても腰が痛む。寒いと特に腰が痛む。
平安朝時代には、日記をつけるのは朝であった。彼らの生活はそれなりに忙しかった。日々の記録をつける事が大切なことでもあった。私は別に多忙な生活を送っていないが、朝に日記をつくる習慣になっているだけだ。日記をつけ終わると、今日はこれから頑張っていきるぞという勇気が湧いてくる。なにもしないでだらだらとしていると一日が気持悪く感じられる。だからこうして思いつくまま書いていると自分と向き合えてそれなりの充実感を持つことが出来る。
昨夜はなかなか眠れないのでバッハの無伴奏チェロ曲を聴いた。

2009年1月17日 (土)

日記

浜川崎にも職を失った人達の姿が目立つようになってきた。国の対策がほとんどなされていない気がする。猫の姿がまた見えなくなった。
動物はいかに人に生きる勇気を与えてくれているか。一度は猫を飼ってみたいものだ。でもいつ死ぬかわからない私には、猫を飼う資格がない。
詩集を頂いてもほとんどお礼の手紙を書かない。自分が詩集を上梓したから、謹呈した人からお手紙を期待するのが無理な話だ。それでも津坂治男さんからの葉書は嬉しかった。
昨夜魂の聲の夢をみた。黒人がうたう聲に心がうたれた夢をみていた。小さな聲であったが心に響いてくる聲には涙が出てきた。私も人の心に響く聲を出したいものだ。いま丁寧に語る稽古を始めている。一つ一つの言葉に魂を籠めながら語る。そして言葉への祈りを意識しながら語る。この方法を一年ほど稽古をすれば身につくかもしれない。聲が成長していかなければお客は増えない。つねに自分自身との闘いを要求されている。いま書き続けている『未来への旅』は深い境地から聲を発していかねばならない。四冊上梓した。これからゆっくりとこの四冊を語ってゆきたい。『詩人の聲』でこの四冊を語らせてもらった。この経験を生かしてさらにもっと上の世界を求めて行きたいものだ。今年の目標は魂の聲を発することができるように生きることである。日々の精進こそ明日の道が開かれてゆく。

2009年1月16日 (金)

日記

日本人の医師桑山紀彦さんがガザに入った。胸を熱くする報道だ。戦争はどちら側にも責任がある。一日も早く停戦がおこなわれることを願う。
詩でも、いまこのような暗い時代には、上手い詩はそれほど世みたいとは思わない。心の底から生まれてくる温かい作品を読みたいものだ。多くの人たちが心の病に苦しんでいる。なかなか助けてやることが出来ないが、心の支えになれる詩は書けるはずだ。いま詩人の仕事は大事な時期を迎えている。心を癒す詩を否定する詩人がいるが、心を癒す詩を書ける詩人は、それなりの苦悩と困難を生き抜いてきた人なのだ。誰でもが書けるものではない。ただ言葉尻だけで書いても、それは人の心には伝わらない。私だってこの度『生命の歓び』を上梓したのも、末期癌の恐怖と苦しみを経験したから書けたものである。いのちについて書くのは。そう簡単に書けるものではない。そしてそれを語るにも、それなりの自己との闘いがある。語るためにはそれなりの稽古に打ち込んできた。人様に聴いていただきたいという熱い気持があるからだ。観客はほとんどいなかったが、ビデオで先日のライブの記録は残された。それを昨日DVD化にした。見たい方は注文していただければ詩集と共に3000円でおわけします。注文先は漉林書房までです。DVDのみの場合は送料込みで2200円です。

2009年1月15日 (木)

日記

困難な状況の中で生きて、いのちの歓びをうたい続けても、無名な詩人にはだれもが見向きしてはくれない。でもそのことぐらいでは負けない。人生の歓びは、自分に勝つところにあるからだ。歯を食いしばっても自分の夢を追い求めて生きていたい。最近、詩語りで、心技体を求めて生きねばならないことに痛感している。なぜ語りを始めたかの原点に立ち返ってみる。
人の心は他の生き物の存在を認めていることによって、心は慰められているものだ。そして自然を愛する心が失われた時人類は滅びてゆく。最大の悪は戦争だ。戦争はあらゆる生き物を殺し、自然を破壊する。そこいには憎しみしか残らない。ガザ地区では千人の死者がでたという。その中でも子供達の死者があまりにも多すぎる。アメリカは見てみぬ振りを続けている。日本政府ももっと平和への道に働きかけるべきだ。金だけを出すのが日本の政治であってはならない。本当の平和を見出す努力が日本政府には感じられない。それはまた我々日本人としての個の問題でもある。いのちの歓びをうたい詩人としtrは、絶対戦争を許してはならない。できることはひたすらどんないのちも尊いことを訴えつづけていくことしかいまはできない。平和を守ることが詩人の仕事でもある。
詩誌受贈 『詩遊・21号』

2009年1月14日 (水)

日記

前に宇田禮さんから戦時中に飯田の街に古本屋が一軒もみあたらなかったという。井原修さんから、その件についての回答があった。
「飯田市箕瀬町という旧市街地に大竹書店という小さな店がありました。戦前はこの一軒のみで昨年なくなった作家の林俊さんなど御常連でした。手台一つの棚四台ほど雑本ばかりでした。」と書かれている。
いま古本屋さんは大変である。ブック・オフの進出によって街の古本屋さんは客の減少に悩んでいる。川崎の近代書房さんも昨年は赤字であったという。今は、小説も売れなくなっている。詩と同じ扱いだ。ほとんど百円コーナーに並べられてある。携帯電話機が読書を妨げている。電車やバスの中では、大人も若者もメールを打つ光景ばかりだ。本など読んでいる姿がみることが少なくなっている。便利であることは、文化を堕落させる。若者達よ携帯電話機を捨てて街をあるけといいたい。かれらは街の風景すらみていないのだろう。喫茶店に入ってもアベックは話し合わないで携帯電話気に夢中になっている。会話がほとんどないのだ。なさけない光景である。
昨夜は「聖母マリアの夕べの祈り」をガーディナー指揮で聴いた。オリジナル楽器の演奏はこの曲の深みを感じさせてくれる。

2009年1月13日 (火)

日記

福祉医療に携わっている人達を見ると頭が下がる思いがする。献身的な介護である。なぜ政府は、国民に対して献身的な存在を示さないのか。麻生首相テレビ番組でも、相手の意見に耳をかさない自己弁明ばかりである。まるきし謙虚さがない。これでは国民の支持率がさがるのは当たり前だ。
これから私も仕事をしていかないと生活が出来ない。といって不況の世の中では、腰が悪くそのうえ末期癌である私にどのような仕事があるのだろう。詩集の出版や、詩語りの出前しかない。といっていまはどちらも行き詰っている。「詩人の聲」を聴きにいきたくてもお金がない。それに腰がいたくてはむりがきかない。なさけない状態だ。
朝寒くてなかなか起き上がれない。雪国の人達は大変な思いをしているのだと痛感する。私も雪国で生まれたから、寒さの辛さはそれなりにわかる。昔の農家ではトイレが牛小屋のはずれにあった。夜中トイレにいくにもつらかった思い出がある。最近トイレも近くなった。夜中何度も起きてしまう。テレビでも尿漏れのコマーシャルが流れている。歳をとれば誰でも尿が近くになるものだ。生きていることは大変なことだ。でもその大変なことに生きる歓びを見出して生きていくしかない。

2009年1月12日 (月)

日記

伯母が六日に亡くなった。近所に住んでいたのに知らずにいた。九十三歳である。これで父の兄弟はだれもいなくなった。坊主は金を取ることだけだ。生きている人間に対して何もしない。非労働者は町に溢れているのに、何一つ行動を起こさない。私も何とかして人の役に立つ生き方をしてゆきたい。その前に腰の痛みを何とかしたいものだ。
麻生首相の支持率が下がる一方だ。国民のことより政権にしがみつく姿は醜いものだ。いまこそ大きな改革が必要な時なのに、何もできない。このままだと日本は滅びていくだけだ。いまこそ一人の人間として愛の精神をもって生き抜いていくことが求められている。つらし時代だからこそ強く生きていたいものだ。
詩集の発送を行なう。お世話になった方々に送った。ここまで生きてこられたのも多くの人達の助けがあったからだ。
昨夜、浜川崎に猫がいた。三匹のうちの一匹だ。お腹が空いていたのだろう。ギャーギャーと大聲でないたりした。野生に戻っている。人に怯えているのだ。野良猫の生涯は厳しいいものだと思う。猫は人の心を癒す生き物である。

2009年1月11日 (日)

日記

末期癌でもこうして元気で生きる姿勢を伝えることが私の仕事である。だからこそ詩語りでよりよい世界を作ってゆきたい。温みのあるあたたかい語りの世界を目指して精進することだ。先日のライブで案内を百通ほど送ったが見えたひとはたったの四人である。その中の二人は坂井さんのお母さんとその友達である。私は負けたくない。たった一人でも真剣になって語ってゆく。つねに全身全霊の語りを行なう。私の語りを聴きたいという人たちがいれば何処にでも出前をしていく。今はまだそれだけの体力は残っている。
残りの詩集が今日届く。20号の操車場も残部は二部しかない。詩集はなんとか売って次の詩集の資金にしたいものだ。生活費はできるだけ切りつめて生きていくしかない。冬の寒さも、心の熱で生き抜いていくつもりだ。暖房も電気ストーブ一つである。ここ数日本当に寒さが身にしみる。
不景気のせいか夜空が美しい。月がとても美しい。十五夜は明日だが、こんな美しい月はいままで見たことがない。銭湯に行く途中の夜空を見上げるのが楽しみだ。寒さに負けずに生きていこう。

2009年1月10日 (土)

日記

新聞を見ても読む記事が見当たらない。テレビも相変わらず馬鹿げたものしかない。
先日のライブをビデオで確認する。以前より聴きやすくなっている。それほど悪いできではなかった。人の意見もありがたいが、最後は自分で確認することが大切なのである。
昨日は東京にも雪が降ったと報道された。旧暦の十二月十四日であった。赤穂の討ち入りの日である。東映映画の赤穂浪士を見た。
寒いと起きるのもしんどいものだ。ホームレスの人達のことを思うと辛いなんていえない。これからも仕事を失っていく人が増えていくだろう。今の国会では何も解決の見通しが見えてこない。不景気が増すごとに犯罪が増えてくる。
また浜川崎の猫が見えなくなった。猫がいないと淋しいものだ。猫は辛い心を癒してくれる生き物だ。
寝る時腰が痛くなかなか寝付けない。今日坂井さんから抱き枕を買ってきてもらう。朝は右手が痺れて感覚がまったくない。そして胸がやや痛みを感じる。このところまったく本を読む気がしないでいる。詩も一篇も書けない。今年は本を読むより、自分と向き合った生き方をしてゆきたい。それから部屋の整理をしていかなければならない。

2009年1月 9日 (金)

日記

五十年振りに川崎大師に行った。昔の面影は何もなかった。戦後川崎大師で、蝋石で境内の石に絵を描いて遊んだ。そのころ東門前に住んでいた。川崎大師小学校に半年ほど通った。産業道路が近くにあった。ジープに乗ったアメリカの兵士を見かけたものだ。
大師の商店街は寺山修司の世界を思わせる光景であった。異様な店があり、屋台で酒を飲んでいる人達がいる。古い時代の名残を感じさせられた。
詩集が三十部出来上がってきた。残りは一週間後になる予定。予約された方に送る準備をする。
病院では、肺が硬くなっているといわれる。二十一日にCTを行なう。なぜ肺が硬くなったのか解らない。便が真っ黒だと言ったら、もしかしたら血液がどこから流れているのかもしれないといわれる。
天童大人氏から、普通のように朗読をしたらと言われたが、肺活量が普通の半分以下では無理だ。複式呼吸で語るようにしか出来ない。息を吐きながら語るようにしか聲がだせないのだ。詩人の中で単なる朗読ではなく、詩語りがあっても良いと思っている。末期癌で語るのは、それなりに辛いものがある。それを日々の稽古によってクリアして語りに取り組んでいる。詩語りをもっと味のある語りを生み出していくことだと思っている。いま精一杯生きる。そのことが私に課せられた運命なのだ。

2009年1月 8日 (木)

日記

昨日無事に詩語りができた。癌の宣告以来はじめて私ひとりで一時間語ることができた。いま私は一所懸命になって語ることしかできない。客の入りが少ない。もっともっと深く語ることを行なえと神様がいっているのだろう。三味線の演奏もこれで終わるかもしれない。私の身体では三味線を持ち歩くことができない。坂井さんも膝の痛みで階段を三味線をもって歩くのは辛そうである。肉聲を深めていく以外にはいまはどうすることもできない。操車場からは野間明子さんが聴きにきてくれた。いつもありがたい。深く感謝する。
新宿の街も人がいつもの年寄り少ない。不景気の波が押し寄せている。これからますます景気が悪化していく。良い仕事をしていく以外にこの時代を乗り切ることができない。
今日は病院の検査日である。自分の身体がどこに向かっているのか解らない。不安でもあるがこの不安に耐えて生きていくしかない。

2009年1月 7日 (水)

日記

日本はこれか何処へ向かってゆくのだろうか。麻生政権では、もうどうにもならない。年越し派遣村をイベントにしてはならないという記事が朝日新聞の朝刊に掲載されてある。これは誰も好んで派遣村を作ったわけではない。このような派遣村ができたことによって、救われた人達は多いはずだ。大手の首切りが始まった時点で国は対策を採るべきであった。経営者たちは、株主の利益しか考えていない。人のいのちなど、単なるものとしか考えていない。これほどいのちの重さを軽んじた話はない。
だれもが精一杯生きていたいと願う。仕事をして家族をやしない未来への夢がもてる社会こそ大切なのである。それをつくるのが国の責任である。給付金など欲しくはない。一番困窮している人達にこそ早く給付金を出すべきだ。国民すべてに出すのは無駄なことだ。思いやりのある政治を国民は期待している。
今日私のライブがある。生きている歓びを味わいたい。聲の力は衰えているが精一杯生きられることの幸せを感じたい。いのちとはそのようなものなのだ。限られたいのちの中で精一杯生きられる。それが癌を払いのける力になる。そのような姿を見せられることが、今の時代には必要なのだ。自分の置かれた環境に負けないで生きていたいものだ。それは一人でできるものではない。多くの人の人明かりに支えられてできることである。

2009年1月 6日 (火)

日記

ハマス側もイスラエルも戦争していては何も解決しない。武器で平和は永遠に訪れることがない。これでまた原油の値上がりが始まったそうだ。平和を勝ち取ることは一人ひとりの心から平和を願う心があって可能なのである。欲をすて、みんなが幸せになることを祈るしかない。
仕事をしていない私でもこの不景気の重さに精神的に追い詰められる。坂井さんが勤めているところもヒマになりつつある。彼女も派遣労働者なのだ。派遣労働者は物と同じ扱いしかされない。ヒマになれば、使い捨てになる。何一つ保証がない。安心して働ける場を作り出さねばならない。自己責任という言葉ではもう解決しない問題である。生活保護を私が求めても、相手にされない。つまり玄関払いされる。書類すらもらえない。国民年金も貰うことができない。詩人は社会的に無用な存在なのかもしれない。でも、この世に存在した生命にとって、無用な存在などなに一つないはずだ。詩人の仕事は、生命の根源を携わっている仕事をしている。その誇りだけは失いたくはない。宗教とおなじように、人の愛にむけてつねに問いかけをしている。誰の力を借りずに、孤独で闘っている。そのような生き方が無用な人間として扱われてよいものなのだろうか。私は詩人という仕事を誇りに思って生きている。明日、詩語りライブがある。いのちについて語ることが出来る。末期癌でも生きていく歓びに出会うことが出来る。いまの私はこの末期癌を愛おしく思っている。『生命の歓び』を語れる。それは生きる勇気を私に与えられている。詩を通して人に生きる力を与えてゆきたい。聴き手はそれほどいないかもしれない。大切なのは、聲の力を持って生きる歓びを発信していけることだ。たった一人になっても諦めないで、聲の力を信じて生き抜くちからこそが詩人の生き方でもある。腰の痛みと腕の痛みがあるが、それに負けないで語りたい。

2009年1月 5日 (月)

日記

須賀敦子さんの本に『地図のない道』というのがある。その中に「ゲットの広場」がある。いまイスラエルはガザに地上部隊を送り込んだ。戦車の中には女性兵士の姿もある。昔自分たちがされたことをガザ地区で行なっている。アメリカはイスラエルを応援している。これではなかなか平和への道がひらけない。イスラエルの民衆の80パーセントがこの侵略に賛成しているという。わたしは到底このイスラエルの人達の心を理解することが出来ない。ただただ悲しいだけだ。できることは小さな聲だけれどもガザへの地上侵攻には反対の聲をあげ続けていたい。
スパーマーケットに行っても人の姿がまばらである。この先の日本経済がどうなってゆくのか不安にかられる。消費資本主義社会が崩壊した気になる。社会保障の問題がどこまで解決されるのか。住みよい社会作りはどうしていけばよいのか。そして詩人たちはどのような行動をとっていけばよいのか。
昨夜浜川崎に行ったら、いつもの猫が一匹いた。なにかに怯えている気配であった。一週間ぶりにあえた。そして缶詰を与えることができた。夢中で食べている様子を見て安心した。

2009年1月 4日 (日)

日記

正月も終わった。非正規労働者たちはこれからどうなってゆくのだろうか。待ったなしの問題である。明日からの国会で政権争いに終始するのなら、国民を裏切る政治でしかない。人間らしい生き方を求めて努力していく社会を作りたいものだ。
詩人である私は、人の心に安らぎを与える仕事をしてゆきたい。詩人は心の医師である。そのことを忘れてはならない。詩人である当人が病んでいてはどうにもならない。いまこそ病んでいる人達のお手伝いをしなくてはならない。
操車場は七日ごろに発送が出来そうだ。正月で普通郵便が届かない。メール便は届くのに。郵便局の相変わらずの体制が郵便局離れを引き起こしている。国民のために仕事をしてもらいたい。民間業者は日曜日だって配達をしている。郵便局も民間になったはずなのに。
坂井さんは一日から三日まで仕事に出かけた。今日が今年はじめての休日。一日をのんびりと過ごしたい。私もなんとか収入のある仕事をしたい。でも腰の痛みでいまはどうにもならない。精神的にもきつい。次の詩集を一冊でも多く売っていくしかない。

2009年1月 3日 (土)

日記

街は静かである。不景気の波が押し寄せてきている。それでも福袋の行列ができる。日比谷公園のテント村が厚労省の講堂に移動ができた。日比谷公園に住んでいる動物達は驚いたことだろう。また静かな公園に戻ってほっとしたことだろう。目の前の帝国ホテルは満室だという。貧富の差がはっきりした世の中になった。
詩人は世の中で少数である。そして朗読する詩人はその中でもほんと僅かしかいない。それを聴きたいとおもう人はその中のほんの一部である。友人ですら聴きにこないのが現実である。どうすればよいのか。今の時代にあうテーマをうたいあげる必要もある、そしてそれを聲の力を持ってうたい上げていくことだ。この不況の世の中に必要とされる詩人に成長していくことだ。いきる勇気を与えられる詩人になることだ。中途半端な詩人などだれもが求めていない。趣味的で朗読をやっている詩人の聲は所詮なんでもないものなのだ。闘う意思のある詩人がこの時代に要求されている。
昨日産業道路の脇のゴミ場に猫がうずくまっていた。缶詰の餌を与えるともくもくと食べはじめた。七日のライブにむけて稽古に励む。自分の夢にむけて懸命で生き抜くことが今年の目標だ。自分に勝つものだけが、夢をもつ資格がある。末期癌よありがとうといいたい。あなたは私をほんとうに活かしてくれる。

2009年1月 2日 (金)

日記

イスラエル軍のガザへの行動派許されるべきものではない。逃げ場を失った人達に攻撃をするなど、それに2009年1月1日にも空爆をおこなっている。
浜川崎に猫の姿が見えない。昼間駅までいってみると、リストラされた人がいつも猫のいる場所に寝転んでいた。浜川崎は無人駅なので、安心して寝転んでいられる。猫のことも心配であるが、リストラされて寝転んでいる人も心配だ。
今年はお正月気分にはなれない。正月料理も作らなかった。いつもと変わらない生活である。
薦田愛さんより、ローヤルゼリーを頂く。腰の痛みにも効くそうだ。さっそく飲んでみた。
昨夜もあまり眠れなかった。リヒテルの平均律を聴きながら夜を過ごした。リヒテルの音は厳しい音色である。その厳しさが胸を打つ。今年も多くのクラッシックを聴いていたいものだ。それにしても、もう少し良い音の出るスピーカーが欲しいものだ。
詩誌受贈 『侃侃・13号』『ありばば雑記帖10』

2009年1月 1日 (木)

日記

末期癌になって今年の四月二十五日で満二年になる。そして三年目に入る。今年も無事で生きられることを願う。三年間は無理をしない生き方をしてゆきたい。そしてすべての人達が少しでも幸せになれることをひたすら願うだけだ。
今年の目標は一回でも多くの詩語りを行なえることを目指して生きてゆきたい。目標を持って生きることが一番の免疫力をつけることにつながる。
今月中には新しい詩集が出来上がる。前に向かって生きることだ。今年も多くの人たちに助けられて生きていくことになる。人明かりになれる人間になってゆきたい。すこしでも人の役立つ生き方を模索しながら生きていくしかない。自分にへこたれないで頑張ってことしも生きていこう。

天童 大人 プロデュース 
プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)
―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー 

1月    
第282回1月6日(火) ギャラリー絵夢 田中健太郎(8)

第283回1月7日(水)
ギャラリー絵夢 田川紀久雄

第284回1月8日(木) ギャラリー絵夢  河野聡子(5)
第285回1月9日(金) ギャラリー絵夢  三井喬子(2)
第286回1月10日(土) ギャラリー絵夢 有働薫(7)
第287回1月11日(日) ギャラリー絵夢 白石かずこ(13)
第288回1月12日(月) ギャラリー絵夢 薦田愛(18)
第289回1月13日(火) ギャラリー絵夢 中原道夫(2)
第290回1月14日(水) ギャラリー絵夢 天沢退二郎(2)
第291回1月15日(木)Star Poets Gallery 辰巳泰子(初)
第292回1月16日(金)ギャルリー東京ユマニテ 紫圭子(2)
第293回1月17日(土)Star Poets Gallery 浜江順子(4)

第294回1月19日(月)
ギャルリー東京ユマニテ 坂井のぶこ(4)

第295回1月21日(水) ギャルリー東京ユマニテ 田中庸介(7)
第296回1月22日(木) ギャルリー東京ユマニテ 山口真理子(12)
第297回1月23日(金) ギャルリー東京ユマニテ中村恵美(13)
第298回1月26日(月) ギャルリー東京ユマニテ 稲葉真弓(8)
第299回1月27日(火) ギャルリー東京ユマニテ 八木幹夫(初)
第300回1月30日(金) ギャルリー東京ユマニテ 小川英晴(6)

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