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2008年11月30日 (日)

日記

昨日無事に詩語りライブを行なうことができた。操車場の同人から野間明子さんと長谷川忍さんが来てくださった。本当に有難い。それに坂井のぶこさんのお母さんまで来て頂いた。語りはやればやるほど難しいものだ。これで良いということのない世界だからだ。終わってから天童大人さんと生ビールを飲んだ。たぶん天童さんとは今年これでお会いすのが最後になるかもしれない。いろいろお世話になった。感謝の気持で一杯である。この『詩人の聲』も来年の一月には300回を迎えるという。それにしてもなぜ詩の朗読が社会になかなか受け入れられないのだろうか。それは本気になって聲をだしている人が少ないからだ。この企画で参加している詩人も他人の朗読にまったく興味がないようにしか思えない。競争意識がほとんど感じられない。いい意味での競争意識をもつことは大切なことなのである。今年のライブは昨日で終わった。末期癌と闘いながらよくここまでやってこられたことが不思議だ。いまこの闘いの記録を残すことが大切であるように思える。来年は天童大人氏の即興朗唱を記録に残したいものだ。『詩人の聲』でほんとうに記録に残しておきたい人が見当たらないものだ。

2008年11月29日 (土)

日記

党首会談を聞いていると、ますます政治不信になる。しかし、国民はつねに厳しい視線を政治に向けていないと、政治の堕落に歯止めが出来なくなってしまう。国民の怒りが政治家にとって一番の薬になる。
unicefから振込み用紙が定期的に送られてくる。しかし、いまの生活費ではカンパができない。月八万円では光熱費やもろもろの払えば生活費(食事代)もほとんど残らない。それに月々にかかる医療費などをあわせると、毎月赤字である。詩誌の同人が増えてくれることがいま唯一の助けになるのだが。そしてライブにお客様が来ていただければいくらかでも生活費の足しになる。鈴木良一さんから詩の作品が送られてくる。家のことを書いている大きなテーマになっている。みんなが自分のテーマを持って闘っている。
今日は二か月ぶりのライブの日である。いのちの言葉をどのように聴き手に伝えていけるか楽しみだ。昨日公園で稽古をしていたら、肩の筋肉に痛みが走った。足腰の痛みに、肩の痛みが加わったら大変だ。一瞬不安がよぎった。
いま『いのちについて』のエッセイを書き続けている。三回分まで書いたが、うまくまとまっていない。書き続けていく中で、いのちのテーマが明確になってくるものと思う。午前中はパソコンに向かって頑張るしかない。なんとしても一冊になる本の分量を書き上げたいものだ。努力を怠ることなく生き続けることだ。

2008年11月28日 (金)

日記

テロが起きた。しかしテロを排除することだけでは解決しない。排除というよりアメリカにとっては駆逐・駆除するという言葉の意味がある。虫けらをあつかうような言葉である。永遠に平行線をたどればここには対話もうまれてこない。このたびのインドでのテロの背景がまだわからない。テロそのものは許されるべきものではない。しかし、なぜテロが起きたのかを詳しく分析していくことが必要である。アフガンでもテロが起きた。ただ憎しみあうだけでは何も解決はしない。いまのテロに対するアメリカ的な対応には疑問を感じる。人類はだれでもが平和を望んでいる。そして幸せを求めて生きている。いのちの大切さを根本的に考えていく必要がある。問答無用の制裁には、解決の糸口がない。お前の考え方は甘いと言われても、一人ひとりのいのちの大切さだけはつねに考えていなければいけない。生まれてきた人には親もいれば家族もあるだろう。一人のいのちの周りには多くのいのちとの関わりがある。
今の日本でも何の憎しみもない人が、無残にも殺される事件が頻繁に起きている。環境の悪化にも原因があるだろう。そして今の教育にも大きな問題がある。虐めはますます増えている。インターネットによる虐めなどは現代社会の象徴でもあろう。私のメールにもエッチなメールがどんjどん入りこんでくる。これを排除するにはどうしたらよいのだろう。インターネットの厳しい制限を求めていく必要がある。犯罪に対して社会の規制が遅れている。時代にあわない法律がありすぎる。自動車の轢き逃げ事件にしても、刑があまりにも軽すぎる。殺された人達の家族の意見が無視されている。
いま解雇が一万に近い数字になっている。雇用対策が遅れている。これでは健康保険が払えない人が増えるのは当たり前だ。病院での未払いの問題が大きく取り扱われているが、その背景をもっと考慮していかねばならない。何と言っても政府の対応があまりにもいい加減である。一日では早い解散を求めたいものだ。国民の審判を仰ぐ必要がある。麻生首相の態度には、自分のことしか考えていない。権力の座を一日でも長く握っていたいという願望だけの政治家である。なさけないとしかいいようがない。

2008年11月27日 (木)

日記

地域包括支援センターについて知らない人が多い。
新聞の記事から引用すると『介護保険法にもとづき、2006年度から市区町村に設置。虐待防止・早期発見、介護予防にあたる「高齢者の駆け込み寺」。対処の難しい事例を支援したり、生活相談にのったりもする。約3900ヵ所にあり、厚生省は中学校区を目安に約5千ヵ所まで増す考えだ。』(朝日新聞・「認知症と向き合う・1」11月25日夕刊より)
福祉事務所に相談にいっても、玄関払いされることが多い。この地域包括支援センターのことなどおしえてはくれない。老人が困っている場合ここに電話をすれば医師をつれて訪問してくれる。福祉事務所は、病院に行って認知症の認定をうけてこなければ何にしてはくれない。役所は冷たい。国家公務員は、本当に国民のためになかなか動かないものだ。いまなお役人根性が蔓延している。
いま世の中は貧しい人達にとって生きづらい。まず地域で孤立しないことが大切である。しかし、今の世の中の仕組みは孤立になりやすい仕組みである。お互いに情報の交換とそれを受け入れるシステム作りが求められている。気軽に何でも相談できる場所が必要である。インターネットは便利であるようだが、そこには人の顔が見えないところがある。それにお年寄りにはインターネットが使えない人が多い。行政はきめ細かい政策が求められている。お年寄りが安心して生きられる世の中を作ることを求めていかねばならない。詩人たちよ、もっといのちについて歌っていく必要がある。大衆の心に届く歌を。

天童尾大人氏のブログより

29日(土)、詩人 田川紀久雄 第273回プロジェクト「La voix des poètes(詩人の聲)」に、12回目の参加!
ゲストは詩人 坂井のぶこ。広尾の宙に自作詩を解き放つ!!!

12回目の公演を迎える詩人 田川紀久雄。
胃癌の末期癌を宣告されて、1年5ヵ月の身で有りながら、詩誌「操車場」を刊行し続け、聲を出し続けている詩人 田川紀久雄。
されど未だ報われる事無く、未だ志、天に届かず!!!
さて今回はどんな聲を聴かせてくれるのか、乞う ご期待!!!

ギャラリー華 ℡03-3442-4584 午後7時開演

2008年11月26日 (水)

日記

景気の悪化で環境問題も減速していくだろう。環境問題を真剣に考えている国は世界でもほんの一部にかすぎない。公園の緑園化をすすめたいものだ。私が語りの稽古をしている場所は鋼管通五丁目緑園公園である。百五十坪ほどの小さな公園であるが樹木がそれなりにあって気持のよい場所である。珍しい小鳥も飛んでくる。毎日多くのスズメが餌をあさっている。時たまキツツキを見ることもある。この公園は市営バスのJEFバス停の横にある。産業道路側にあるので、人もあまり立ち寄らない。語りの稽古には良いところである。かつてここにはホームレスの人達が住んでいた。川崎もホームレス対策で公園から姿を消していった。富士見公園もいまはホームレスの人達がいなくなった。ホームレスのきめ細かい対策がなされないまた公園に戻ってくる。これから失業者が増えてくる。福祉対策がきちんとなされないと世の中の不安を煽ることになりかねない。臨海工業地帯にこそ文化の拠点を作らなければならない。しかし、川崎市では、何らの手を打つことはしていない。南高の跡地は、森に囲まれた文化センターを作ってもらいたいものだ。
昔の浜川崎周辺は沼池が沢山あった。時代の変化の中で今は沼池が一つも残されていない。今は高層マンションがどんどん建てられている。私の部屋からも自然の風景を見ることが遮られてしまった。風の流れも変わった。いま夜空には木星と金星が見られる。でもすぐ金星はビルの影に隠れてしまう。オリオン座が冬の空には美しく見える。

2008年11月25日 (火)

日記

日本はどんどん環境対策が遅れてきている。原発が止まったおかげでCO2が増えたと政府はのうがきをいっている。本来は原発を廃止し、その上でCO2の削減を考えるのが道筋なのである。
玉浦裕教授がアブダビ郊外で開発中の太陽光集光熱発電の実験プラントが完成するという記事が朝日新聞に載っている。二兆億円をばら撒く予算があるのなら、環境問題にもそのお金の一部を投入してもらいたいものだ。自然を守る運動が未来の日本を作る。しかし森は伐られ、山はどんどん削られているのが現状だ。
いまの日本は未来の夢を持つことができない。国民が安心して生きられる設計図が存在しない。消費税を上げるにしても、食料品には税を掛けないでもらいたいものだ。年金もない私にはこう物価が上がってしまっては生きていくのが大変である。切りつめて生きるにも切りつめるものがない。昨日はまるで真冬並みの寒さであった。小さな電気ストーブしかないので蒲団にもぐって過ごしていた。寒いと精神的もまいるものだ。北海道に住んでいる人達は大変だろうと思う。
詩集『生命の歓び』の版下作成する。来年には印刷所にまわしたいものだ。予約出版で何冊ぐらい売れるのかわからないが、この詩集だけは本当に出したい。いままで書いてきた中で最高の詩集であると思う。そして語りの夢をつないでゆきたいものだ。

2008年11月24日 (月)

日記

凶悪な事件の背景には、人間の孤独が事件への足がかりになっている。誰にも理解されないとか、友達が一人もいないなど。それは今の社会が極度の孤独を生み出しているともいえる。他者との交際が昔からくらべると下手になっている。それはインターネットの普及などにも由るところがるだろう。ベルジャーエフに『孤独と愛と社会』という本がある。人はいろんなよって孤独が癒されるが、究極にはわれがわれに出会わないことにはどうにもならない。芸術も文化も本質的には人の孤独を救い上げることは完全にはできない。ここに我という大きな問題が横たわっているからだ。
柳田邦男著『かけがえのない日々』という本がある。いろんな人物を紹介しながら人と人との絆を紹介している。ぬくもりのある本である。いのちの尊さを知ることが人を人らしくしていくものである。このいのちの尊さを忘れさすものが孤独であるとしたら、それは本当の孤独ではなく、独りよがりの孤独でしかない。次官殺した男が出頭したが、本当に身勝手な事件である。といってやはり今の社会が生み出している人間像でもある。経済が冷え込んでいるいま大量な解雇が増えている。歪んだ社会がこのような人達を生み出してもいるのが現実である。未来への夢がずたずたに切れ裂かれてゆく世の中でもある。
政治は社会を変える力を失っている。無能な麻生政権が日本の未来を阻んでいるからだ。老後・年金・医療の問題の何一つとて解決の糸口すら見つからない。不安が募るばかりだ。
いま詩人たちは、人に対して温もりのある語りをしてゆきたいものだ。小さな人への思いがせめて今を生かしてくれる原動力になるいことを祈りながら聲をだしていくことだと思う。聲を出すことは一つの愛の証でありたい。

2008年11月23日 (日)

日記

詩人たちは誰のために詩を書いているのだろうか。一般の人達に詩を読ませると、何を書いているのか解らないと答える人が圧倒的に多い。詩人はだれのためいも書いていないのではないかと思わせる。ただただ自己の為にだけ書いているような気がする。
いま詩にとって大切なことは誰にでも解りやすく表現することではなかろうか。解りやすいということは、何を書きたいかを明瞭にしていく作業でもあるからだ。医療の現場でも医師から患者に説明する場合、ほとんど患者に医師の言葉が伝わっていないことが多い。つまり医師が患者に伝えたと思った言葉が伝わっていないことに気付かないでいる。そのことが今の医療現場では大きな問題になっている。詩人も医師と同じように、ある意味で専門馬鹿になっているのではないか。難解な言葉で表現することが詩だと思っていたら、読者はだれもいなくなるのは当然だ。解りやすい表現とは、本当に書いておきたいテーマをもった人が出来るものである。解りやすい詩だからといってその詩が優れているとはいえない。解りやすいだけでは表現にもなっていないことが多い。
いのちを伝える方法は、つねに相手の身になって語ることである。その心がまた詩を語るときに役立つのである。愛情をこめて語る。そこが出来るか出来ないかで、人に伝わる感動が違ってくる。相手がわからなかったら、解るまで説明する心が大切なのである。人に対して優しい心を持つことがいまの人にはなかなか出来にくくなっている。そのことから改善してゆくことがいのちの大切さを伝える方法にもつながってゆく。
詩誌受贈 『山形詩人・63号』『柵・264号』『岩礁・137号』

2008年11月22日 (土)

日記

「いのちの授業」の山田泉さんが21日に49歳で亡くなった。乳癌で8年生きた。自分の癌のことを語り続けていた。私も、もっと自分の末期癌のことを語ることが必要なんかもしれない。癌を通じてどう生きるかがやはり大切なことなのだ。癌で亡くなった身内のひとは、もう癌のことは聞きたくないという人が多い。たしかに癌のことは思い出したくはないのだろう。でも癌になった人たちにはどう生きるかのヒントを学びたいと思っている。癌と宣告された人は、やはり死の不安は消え去らない。その不安を取り除くのがいのちの授業ではなかろうか。そして子供達に生きることの尊さをも伝える役目もあるはずだ。詩語りを通じて子供達に語ってゆきたいものだ。
いま世の中はいろんな凶悪な事件が多すぎる。予期できないことばかりだ。そして他者のいのちの重さを考えることがなくなっている。いのちの尊さを一番軽んじているのが戦争である。憎しみもない人を殺す。戦争という名ですべてが正当化される。こんな馬鹿なことが許されるなんて絶対に許してはならない。アメリカの軍事作戦には日本は参加すべきではない。ミサイルの海上実験で60億をつぎ込むなんて、それも失敗するミサイルをアメリカと共同作戦を行なうなんて。世界の経済が落ち込んでいるさなかになんと馬鹿げたことを行なうのか信じられない話だ。
いま安楽死は認められていないが、安楽死を希望するひとは、家族も身よりもない人が多いということだ。安楽死を認める条件は余命六ヶ月以内という条件がある。現在緩和ケアも進んでいる。癌になってもそれほど苦しまずに亡くなられる。モルヒネ投与で痛みを抑えられるが、日本ではまだそれほど浸透していないという話だ。もっと緩和ケアのできる病院が増えることを願う。いまの時代どうしたらいのちの尊さをつたえられるのか難しいことでもある。小さなことを積み重ねていくしかない。

2008年11月21日 (金)

日記

聲の力は以前と比べて落ちている。腹の底からの唸る聲がだせなくなった。そのかわりに温みのある聲で詩が語れるようになった。しかし、私はどうしても腹の底から唸る聲をだしたい。語りが人の心に届くのは、日々の精進しかない。精進したから語りが上手になるという保証はどこにもない。日々努力してしか生まれてこないのが芸の世界でもある。それは味というものは、日々の精進がなくては生まれてこないものでもある。いまの詩人たちの朗読には味が出せる詩人が皆無である。朗読することだけで精一杯なのである。人の心に届けようとするゆとりさえ感じない。寂しいものだ。
池山吉彬さんから詩の作品がとどいた。優れた作品でとても嬉しい。それから野間明子さんからもエッセイの原稿が届いた。それに鈴木良一さんも参加する予定である。19号はいい詩誌になりそうだ。
村上龍氏300万以下の所得の人に10万円の給付金をという案はなかなかユニークである。しかし現実的には政府は行なわないだろう。本当に困っている人を救済するならそのぐらい思い切った政策を行なってもらいたいものだ。
詩誌受贈 『現代詩図鑑』2008年秋号

2008年11月20日 (木)

日記

横浜市の緑新税にアンケートで市民が五割以上と反対した。でもおかしな話だ。八月には市民は七割が賛成していた。山を買い取り緑を増やす運動は未来のためにも必要なことだ。野放しにすると、どんどん開発されて緑の山がなくなってゆく。高層マンション建設の為に山は削られ緑が失われていく。高層マンションは美しくない。町並みは低い建物がよい。世界遺産を見ても美しい街には、一つも高層マンションなど存在しない。山や小川など再生していかねば、子供達の心は豊かさを失うだけだ。テレビゲームで一日を過ごす子供達を見ていると寒気がする。今の子供たちは木に一度も登った経験がない子が多い。親達はまず危ないから木に登ることに反対するだろう。いま自然を大切にする運動が盛んになってきている。無農野菜の販売で地域を活性化する動きもある。健康であることが、医療費の負担を軽くする。癌にもかかりにくい身体作りが大切になっている。
ヘンデルの合奏協奏曲集作品6を聴く。協奏曲の第10番が良かった。カール・リヒター指揮ミュヘン・バッハ管弦楽団で聴いた。

2008年11月19日 (水)

日記

経済が日々に悪化している。政府はその対応についていけないでいる。一日も早い解散が望ましい。政治の賭けひきをしている場合ではない。
これからどの企業も生き残りに必死である。自分だけの利益を考える企業は淘汰されていくだろう。国民のことを考える企業だけが生き残れる社会を創りたいものだ。
抗癌剤の治療を中止した私は、これからどうしてよいのか解らない。何もしないでいるということも不安がある。といって西洋医学ではいまの末期癌を治すことができない。ここ公園では稽古ができないでいる。そのことも気分的に滅入ってしまう。安心して稽古ができる場所が欲しいものだ。来週二十九日(土)広尾のギャラリー華でライブがある。いのちの籠もった語りをしたい。
死について考える場合、物体としての死についてはあまり考えたくない。あくまで魂としてのありようを考えていたいものだ。細胞の死が魂の死に至るとは考えたくはない。魂の在りようとして仏のいのちが生まれてくる。それは一つの道に通じている。そこに永遠という言葉が生まれてくるものだと思う。つまり生きているときの心の豊かさを求めていたい。
老眼鏡が合わなくなって本を読むのがしんどい。2・0だろ字が霞んでしまい、2・5だと眼が痛む。長く活字を見ていられない。百円の老眼鏡では本を読むのが不便である。音楽を聴いて過ごす時間が増えている。

2008年11月18日 (火)

日記

落ち葉が散る季節になってきた。都会ではただ履いて捨てるだけであるが、この落ち葉を堆肥にできないものなのだろうか。私の住んでいるところには田畑が一つもない。町おこしに田畑をつくり、堆肥を作り美味しい野菜を作って、街の人達に売れば、町おこしにもつながる。商店街は日々に悪化している。まるきし元気がない。小さな森を創り、小さな田畑を増やしていく世界を作ることが必要である。いま八百屋でうられている野菜には、まるで味というものが感じられない。土が農薬で犯されていて、本当の栄養分がないのだ。大量生産、大量消費の世界では、無駄なものばかりが生産されてゆく。都市のゴミ捨て場には、贅沢な食品が捨てられている。それをカラスが狙って降りてくる。
最近通信販売で自然食品を買い始めている。少量を買うのですべてが無駄にならない。それに支払いも月末でよいので助かる。生野菜は、何とも言われぬ味がする。ほんとうに野菜の味がする。この当たり前のことが感じられない食事はやはり身体にも悪影響しているのだろう。これからは癌は自分で治す気持で生きていけば、本当に癌は消えてゆくものだと思う。お金がなくても無駄をしない生活を行なえばなんとかやっていけるのではなかろうか。これから農家のひとたちとの交流も作って行きたいものだ。

2008年11月17日 (月)

日記

日本の政治が駄目なのは、国民が政治家を信じていないということだ。国民のことより、権力に凝り固まった体制があるからだ。政治と国民が一体にならなければ、福祉国家は生まれない。雇用保険国庫補助が切り捨てられる可能性がでてきた。国民を無視した政策である。生活保護はハードルが高くしている。それより生活保護者を減らすことに役所は懸命になっている。安心して暮らせる生活は程遠い。いま生活費がゼロになってしまったので、冷蔵庫にある残り物で暮らしている。
インドネシアで大地震が発生した。まだ詳細はわからないが、大変なことだ。僅かでもカンパをしたいものだ。
昨日エリザベス女王杯をみていたら、武豊が落馬してしまった。5番の馬は一着でゴールにはいっている。不思議な光景を見た。救急車は見えていたが武豊は大丈夫であったのであろうか心配だ。
浅田真央の演技がずいぶん変わった。大人の演技になってきた。これから先が楽しみだ。
東京国際女子マラソンが今回で終わった。来年からは横浜で開催されるという。それにしても渋井陽子は38キロで減速してしまった。これは彼女の走り方に問題が隠されているのかもしれない。勝負の厳しさを目の当たりに見た思いがした。
今日は坂井のぶこさんが病院で検査がある。いろいろと心配が多い。
詩誌受贈 『戦争期の詩人たち〈Ⅰ〉 鈴木良一』

2008年11月16日 (日)

日記

詩集『生命の歓び』が書き終わった。八十三ページほどの詩集になる。あとはお金をどうして捻出するかが問題である。この詩集は癌患者を勇気付けられる詩集となるだろう。しかし、詩壇からは無視されるだろう。いまの詩壇にはいのちそのものを書ける詩人がほとんどいない。詩を書くことは上手くても、詩の魂を書けることは別なことなのである。詩の魂が書ける詩人であり続けたい。そしてその言葉を大勢の人前で語ってゆきたいものだ。そのためにも身体を気をつけて生きていかねばならない。
G20金融サミットが始まったが、日本は金をだしても発言力は低い。ブッシュ大統領がいるかぎり、この会議はうまくいかないだろう。ブッシュ大統領はいま世界がどうなっているのか認識力があまりない。世界経済がますます寒くなってゆく。
麻生首相は、日本経済の建て直しは無理である。一日も早く解散して総選挙をおこなうことだ。そこで新しい政権が思い切った政策を打ち出すことが大切なのである。麻生首相は解散の時期を誤ってしまった。
病院の看護婦をみていると、ちゃんと仕事をしているのだが、それは与えられた仕事をこなしているにしか見えない。独創的な看護婦は見当たらないものだ。もう一歩踏み込んだ看護をしてもらいたいものだ。これは患者との対話に問題がある。心がこもっていない対話があまりにも多すぎる。やはり忙しいために心にゆとりがないのかも知れない。
伊達公子さんは凄い。16年ぶりに優勝してしまった。日本のテニス会は底が浅いのだ。それに大相撲もお客に入りがあまりにも悪すぎる。いろんな問題がありすぎるのだ。

2008年11月15日 (土)

日記

午前中に病院を退院をする。抗癌剤の治療を一旦中止する。詩語りを続けて生きていたいからである。来月からは外来で見てもらう。胃カメラやCTなどの検査を通ける。これからは自分自身との闘いが始まる。漢方や自然食品を採りながら免疫力を付けていくしかない。それでも医療費をいれても五万円以上はかかるであろう。病院で足田輝一著『雑木林の博物誌』(新潮選書)を読みきる。
高橋章さんからDVDと手紙をいただいた。NHKでの仲間のひとである。十月に松坂屋銀座七階で岡元宗司水彩画展を行なった。彼は二年前に膵臓癌の告知されて、手術も抗癌剤も拒否してこられた。それがつい最近なくなった。その彼の様子を描いたDVDが送られてきたのだ。
我が友である堀本恭三さんからいつものように温かい手紙といつものようにカンパが贈られてくる。こころから感謝。かれも生活が大変の中でのカンパは心が痛む思いがする。大切に使わせてもらわなくてはならない。浜川崎の猫の増えた。五匹になっている。餌の争いが大変になってきている。
『詩人の聲』にエッセイを紫圭子さんにお願いする。聲の力を持っている詩人でないと、説得力がない。何人操車場にエッセイを送ってくる詩人がいるだろうか楽しみだ。

2008年11月14日 (金)

日記

レイチェルから引用する。
「モナーク蝶の一生は、数か月という単位ではかられます。私たち自身の場合、それはべつの尺度ではかられ、私たちはその長さを知り得ません。しかし、考え方はおなじです。はかることのできない一生を終えることも自然であり、けっして不幸なことではありません。」なんという美しい言葉だろう。
昨日は身体がつらく寝て過ごしてしまった。今日は最後の抗癌剤治療で一日入院する。
国民保険が高すぎる。病院の入院費を払えない人が増えている。それは失業や、物価高で生活が困窮していれば、医療費が払えなくなる。社会の制度を変えていかない以上、医療費の未納者が増えていくだろう。私も預金も財布のなかみももう空っぽである。これからの生活が不安でならない。生活保護の審査のハードルを高くつくってしまったので、なかなか生活保護を受けられなくなっている。国は本当の貧しい人たちには、あたたかい保護がない。年収何千万円も貰っている人にも定額寄付金を出すのだから奇妙な話だ。本当の意味での経済対策は、何一つとて行なわれていない。小林多喜二の「蟹工船」が五十万部売れるのも解る。
猫や犬が年間四十三万匹も処分される。この処分を中止をできないであろうか。生き物のいのちは計り知れないものがある。人のいのちと同じ重さなのである。国が二兆円をばら撒くお金で、動物の避妊手術を無料化して、保健所で処分をやめ、自然に戻すことにすればよいと思う。そうすれば自然に調和が取れてくると思える。老人ホームでも犬猫を飼って老人のケアに当てれば役立つはずだ。生き物を可愛がることによってボケの対策にもつながる。

2008年11月13日 (木)

日記

定額給付金は酷いものだ。国の責任を放棄したかたちで成立してしまった。高所得者に給付する必要は全くない。公明党のいつものバラまき政策がこのような奇怪なものを生み出してしまった。
世界各地で紛争がおきている。その煽りで多くの人たちが生命を失い、そして難民になってゆく。大国は武器をその紛争国に売り渡して、莫大な利益を得ている。武器売り渡しの禁止を国連を通じて出来ないものなのか。麻薬と武器の撲滅はこれからの世界を救うためには必要なことである。
これからの日本の企業は福祉に関わる事業を拡大していくことが求められている。福祉と事業が成り立つ政策を国も後押しすべきである。二兆円の給付金を、そのような所に使った方が国の発展に繋がるはずだ。日本の中小企業には優れた技術をたくさんもっている。それを生かす道を国は援助していくことが景気対策にもなる。そして文化交流にも援助を増やしてもらいたいものだ。
泉谷栄さんから、リンゴジュースやその他のものを送ってきてくれた。ありがたい。彼も胃に癌の種が三つもあると手紙には書かれていた。いろんな病気してきた栄さんも、癌との闘いが始まっているのだ。いくら小さいからと言って癌には油断が禁物である。彼からの多くの励ましと応援には感謝しても仕切れないものがある。心から彼の身体のことを祈るしかいまの私には出来ない。
夜中寝ていても、心臓がいくらか痛む。抗癌剤のせいであろう。明日最後の抗癌剤の治療がある。レイチェル・カーソンも晩年には心臓の痛みを訴えていた。彼女の生涯の本を読み終わる。私も最後まで詩語りの世界と闘っていたいものだ。昨日寒い中で稽古をしたが、聲があまり出なかった。聲の力が衰えていくことが一番の不安だ。多くの人に感動を与えられる語りを行ないたいものだ。

2008年11月12日 (水)

日記

田母神前空幕長の参考人招致で自論を述べたが、あまりにも時代錯誤である。こんな人を任命していた総理にも責任はある。この人は人の痛みがわからない。麻生首相は早く総理の座から降りることである。国民の審判をうけないまま総理の座に居座ることは民主主義に反することである。
昨日の筑紫哲也さんの追悼番組で、井上陽水の歌がとても良かった。筑紫さんは小細胞癌に犯されて亡くなったのである。小細胞癌は怖い病だ。
妹にカーデガンを送る。見舞いにも行けない。自分の身体が情けない。早く歩ける状態になりたい。
福祉の問題は地域福祉の充実こそが大切なのである。医療の地域医療にお金をかけるべきである。皆が助け合って生きていく世の中を作らなければならない。財源の確保がこれから難しくなってくる。お金のかからない福祉を目差すべきであろう。麻生総理が三年ほどで景気回復を云々しているが、この世界的な金融危機では十年は景気が戻ってこないだろう。バラマキ政策はやめて、一番弱いところに支援することが大切である。中小業企業にまず支援をしていくべきだ。そのことによって強い日本の産業を生み出していくことである。世界に誇れる技術こそが必要なのである。
昨日買った天津焼き甘栗の賞味の日付が消されてあった。日付が消えているもの売ることがおかしい。いま食料の不信が高まっている。厳しい視線が必要だ。
物事に対しての信頼がかけたら、世の中はお終りになっていく。人の心が寒くなる季節を向かえてしまったのだろうか。だからこそ、助け合う精神を高めていくことが求められている。

2008年11月11日 (火)

日記

世界中が失業者を生み出している。大企業の倒産。下請け業者の悲劇が始まっている。金融危機の恐ろしさが猛威を振るい始めた。麻生首相の支持率は低下する一方である。遊説は茶番劇にすぎない。
癌患者にとって一番大切なのが、医師の優しさではなかろうか。丁寧な病名の説明が求められている。しかし、癌の場合本当のことが隠されたまま話されているような気がしてならない。筑紫哲也さんの初期肺癌という名は、疑問が感じられる。初期でどうしてこんなに早く亡くなってしまったのだろう。その説明が報道されない。緒方拳さんでもあれだけ生きられたのに。私の癌もいまどうなっているのか、少しも説明がない。あと一回で抗癌剤の治療を中止する。この先どう治療していくのかなんら方針が示されない。今の私はこれ以上抗癌剤を続ければ、身体がぼろぼろになってしまう。癌お恐ろしさは、どう治療をしたら治るのかというメドがないことだ。つねに不安を抱えながら日々を生きることはしんどいことである。これもストレスの原因になる。だから自分が癌であることを忘れることしか治療方法がないのだろう。好きなことを行なっていきるしかない。お金があったら旅をしたいものだ。

2008年11月10日 (月)

日記

高橋馨さんから図書カードを貰った。丸善書店で池田晶子著『人生は愉快だ』(毎日新聞社)を購入した。彼女の名前を知らなかった。新聞の広告で知って買った。死から人生を見つめる。これは私もいま書いているテーマと重なる。彼女は解りやすい言葉で知を見つめている。だれでもがわかる言葉を捜しながら書くことは哲学には必要なことだと思う。
古書店で仁部富之助著『野の鳥の生態(全五巻)』(大修館書店)を1500円で購入する。
昨日シュジュウガラを見る。川崎にも飛んできている。公園に少しでも樹木を植えて野鳥を増やすことが大切なことだと思う。小鳥を見ていると心が癒される。
昨日の原監督の采配は信じられない。越智投手をなぜ早く交代しなかったのか不思議でならない。日本シリーズが終わった。原監督は監督として二流である。巨人ファンの夢を裏切った。野球がますますつまらなくなった。
これからの私の仕事は「いのち」の伝道をしていくことだ。そして来年は『いのちの庭』の小冊子を作ることである。写真を入れて美しい本にしたい。漉林書房の再出発である。お金をかけないで創りたい。収入がないので、売れる原稿を書きたいものだ。そのためにも、もともっと勉強をしなければならない。末期癌であることが、作品を書かせる原動力になっている。人生をもっと前向きに考えてゆきたい。

2008年11月 9日 (日)

日記

中国冷凍野菜の偽装が相次いで起こっている。日本人の心も地におちてきたものだ。まっとうな日本人が少なくなってきている。頑固な人もいなくなった。本当に日本を良くしようとする人が見当たらない。最悪な人物は麻生総理であろう。政治家としては三流である。庶民の気持が全くわからない。庶民の暮らしを経験したことのない人間は政治家にはむかわない。
世の中がますます悪くなってきている。保険料の支払いの通知がきているが、払えないでいる。生活保護はあいかわらず受けられないでいる。収入のない私がよくも抗癌剤の治療を一年半以上も続けられてきたものだ。百万円以上を病院につぎ込んでいる。詩語りの仕事がこのところ入らない。いのちと引き換えにこの語りに打ち込んで生きているのに、なさけない話だ。末期癌と闘って生きていることは、どんなにつらいことか。でも私は最後まで希望を持って生きていたい。そして生きる歓びを感じて生きていたい。そこからうまれてくる聲を大切に育ててゆきたいだけだ。
操車場にも参加者が増えるとよいのだが、相変わらず参加者はふえない。
いまの私は毎日公園で語りの稽古に励むしかない。報われなくても、自分の生き方に納得していれば、それほど悲しまなくてもすむ。見果てぬ夢を追い続けることが人生というものだ。誰にも負けない情熱を持って生きること。そして人には優しく付き合うこと。末期癌でもこういう人もいたのだと後でわかってもらえればそれでよい。だから詩を書きライブを行なっているのだ。そいて『いのち』についてのエッセイも書き始めている。いま『詩人の聲』と『いのち』についての二つのエッセイを平行して書き続けてゆきたい。
詩集『生命の歓び』はあと一篇かければ終わる。80ページほどの詩集になる予定だ。来年には上梓したい。お金がないので予約出版のかたちになる。頒価2200円である。よくここまで書いてきたものだと思う。書くことによって未来のテーマが浮かんでくる。まだまだ書かねばならない。書くことは生きることだ。いのちを削りながらでも書き続けてゆきたい。そして最後までいのちの聲を叫び続けていたい。

2008年11月 8日 (土)

日記

午前中に病院から退院をする。
筑紫哲也氏が肺癌で亡くなる。初期は肺癌だといっていたのに。病闘543日であった。全身に癌が転移していたのだ。73歳。ゴルフの名誉会長である島田幸作氏が膵頭部癌で64歳で亡くなる。64歳とは若い死だ。石川遼のV達成の生みの親でもある。
私も末期癌と宣告されてから550日を過ぎている。それなのに生き続けられている。不思議な気持にかられたりする。癌の宣告を受ければ、だれでも生きたいと強く望むものである。その強く臨む焦りが癌にも影響を与える。癌は、西洋医学では根本から治せないのではなかろうか。ただ摘出するだけの方法しかない。個々に問題があるように思える。自然とは、自然のままがよいという。手をくわえない。ありのままの姿が自然を回復させる。人の手によって自然を回復することは逆に、自然の破壊に繋がる。癌もこの自然と同じように、自己の免疫力で治すものである。その後は天に任せるしかない。死ぬことの意識より、生きている歓びを見出すことに費やすことこそ、癌の最適な治療方法なのである。抗癌剤の治療もあと一回で終わることにする。後は自分なりに楽しく生きていたい。月に数度の検査は必要とするが、基本的にはどう生きるかは自分が決めていくしかない。
野間さんの旦那さんから竹書房『実録・奇襲真珠湾』の漫画本が贈られてくる。作画は高橋晴雅氏である。坂井のぶこの祖父も航空隊学校の校長であった。これも不思議な縁かもしれない。
受贈詩誌『櫻尺・33号』

天童大人氏のブログ『天童大人(Tendo Taijinn) 詩人・朗唱家・字家』より引用させてもらいます。

プロジェクト「La Voix des poètes(詩人の聲)」に参加詩人の皆さんへ!!! 詩誌「操車場」の詩人、田川紀久雄さんが、参加詩人の聲についてのエセイを募集しております。枚数は5枚程度、掲載料は無料で・・・。

 参加詩人は、自分の聲についての考察をより深める為にも、是非、この機会に、奮ってご参加下さい。

文字に記す事によって、より客観的に自分の聲、他人の聲についての考へる事が出来、より聲の力、聲の質について、考える良い機会ですよ。
詳しくは漉林書房通信(ろくりんしょぼうつうしん)のブログを御覧下さい。

2008年11月 7日 (金)

日記

今日は一日入院日である。CTの検査もある。保坂成夫さんから、「新活性水素くん」が送られてきた。ただ水道水に入れるだけで水素が増えるという。これを信じて使ってみる。なんでも身体良いとおもうものは受け入れていくだけだ。
小泉政権のときイラクへの派兵はいったい何であったのだろうか。オバマ氏はイラクからの撤退を行なう。つまりイラク攻撃は誤りであったと。しかし日本の首相たちは、ひたすらイラクのこだわり続くけてきた。国民の税金をつぎ込んで自衛隊を派遣したのだ。いまなおその反省もない日本政府。日本の外交はブッシュ政権のおもいのまま操られてきた感じだ。これからは・日本独自の外交を模索していかなければならないだろう。日本の自然を取り戻して、福祉国家をどうしたら生み出せるか真剣になって考える時代に来ている。バラマキ政策は、国民のためにならない。2兆億円は、医療と福祉の建て直しにまわすべきだと思う。日本をますます悪くしていく。
事故米の風評被害で企業は倒産においこまれている。農林水産省の責任は、取らずに終わってしまうのだろうか。時の流れの中でどんどん忘れかけているのではなかろうか。つねに怒りをもって生きていることが今は必要な時代である。大量生産・大量消費の時代は終わった。しかし、これからどのような生き方が可能かという点では、何も解らない。人間はこの地球上で最強の欲望主義者である。地球からもう人間は必要がないといわれている。地球に優しい環境を作るのは、企業的な欲望は捨てていかなければならないだろう。未来に繋ぐ新しい思想が生まれてこない。これからどう生きていけばよいのか一人ひとりが考えていくしかない。厳しい時代を迎えている。そのためには皆が助け合って生きていくことが大切である。

2008年11月 6日 (木)

日記

能楽・歌舞伎・人形浄瑠璃文楽がユネスコの無形文化遺産に登録された。文化遺産の中にパンソリ詠唱が入っている。聲のもつ文化が評価されていくことは大切なことである。それに対して詩の朗読は惨憺たる状況だ。詩の朗読に対して先人たちは、あまりにもいい加減でありすぎた。そして戦争協力の名の許に朗読が行なわれ不幸な時期もあった。そしていまなお詩人の朗読は聲にたいする認識が浅すぎる。
オバマ氏が大統領選に勝利した。黒人大統領は、アメリカにとって大きな人種に対する転換点である。白人とか黒人を越えて一人の人間として評価されたことは素晴らしいことだ。麻生総理は選挙を行なわずにここまで来たことは大きな誤りであった。権力に執着する政治家は国民にとっても不幸なことである。
物価が高騰している。それなのに国民の収入はそのまま維持されている。そして企業の倒産が次からつぎへと起こる。すこしも良くならない国民の生活を早くなんとかしてもらいたいものだ。今の私は何にも買えない状況に追い込まれている。生きていくのが精一杯である。未来を考えると何らいいことがない。でも人明かりだけは失いたくはない。なんとかして来年はいのちと自然についての語りを増やしてゆきたい。もっともっと文章をかかねばならない。そして聲を追求していく日々を大切に維持してゆきたい。

2008年11月 5日 (水)

日記

朝、腰の痛みを感じなかなか起き上がれなかった。最近の医学では、腰の痛みは精神的なストレスからくると報告されている。二行歩行が腰の痛みの原因ではないといわれている。これは脳へつたわる痛みを調べると腰の痛みの原因が解るそうだ。
今日操車場18号を送れる。

操車場18号・目次
詩作品
渇きと眠り・9・・・坂井信夫
白夜・・・長谷川 忍
今夜も眠れない・他三篇・・・田川紀久雄
俳句
母追慕の句・・・井原 修
エッセイ
新・裏町文庫閑話・・・井原 修
二つのベルクソン論、読書案内風に・・・高橋 馨
田川紀久雄『生命の尊厳』出版記念朗読会を聞く・・・鈴木東海子
詩人の聲・・・田川紀久雄
浜川崎のぎゃあていず・・・坂井のぶこ
末期癌日記・十月・・・田川紀久雄

操車場は予約購読制です。読みたい方は年間購読をお願いいたします。
『詩人の聲』に参加している詩人の原稿を募っています。テーマは「自作詩の朗読について」です。参加は無料です。原稿五枚程度。問い合わせは漉林書房・操車場係りまで。
また、操車場の同人を募っています。参加費5000円。毎月作品を書かれる方のみです。

2008年11月 4日 (火)

日記

来日中のダライ・ラマが中国との対話路線の失敗について語った。中国のチベット政策は誤りである。いまチベット自治区はいまどのようになっているのだろうか。中国も失業者が増えているという。世界がアメリカの金融問題で瀕死の状態に追い込まれている。アメリカ的な経済政策は、もう終焉を迎えるべきである。大量生産・大量消費の時代はおわらなければならない。アフリカの食料危機は増すばかりだ。今日アメリカの大統領選挙が行なわれる。でも政権が変わってもアメリカの体質はそれほど変わらないと思う。
暮れになって企業の倒産が増えていく。ボーナスも給料ももらえなくなった人達は、生きた心地がしないだろう。弱い立場の人達を支援するネットワークは必要だ。テレビをみていると、くだらない番組ばかりであきれる。いまの若者達はテレビを観ないのもわかる。生きていくための必要な情報がテレビでは得られない。観ればみるほど馬鹿になる仕組みがテレビである。
今月の生活費があと二万円しかない。心が寂しくなる。収入のない私はこれからどうしたらよいのか解らない。明日には操車場の18号の発送ができる。相変わらず歩くのに辛い思いをしている。

2008年11月 3日 (月)

日記

シューベルトのピアノソナタで、なかなか納得する演奏に出会えない。いまのところブレンデルの演奏を聴いている。シューベルトのピアノ演奏は本当に難しいと思う。
これからの時代は個人の欲望を抑える時代が来ている。そして自然の回復に努めていく生き方が求められている。治山ダムの撤去の試みが始まろうとしている。川を遮断するダムではますます自然が壊されていく。魚も上流まで遡ることができない。水上町でダムの撤去を目差す運動がはじまっている。うまくいくとよいのだが。自然が蘇れば、人の心も変わってくるはずだ。自然と遊ぶ環境がない都市の子供達には自然がないよりも大切なのである。自然の歓びをしらない人は、やはり心が貧しくなっている。都会はただお金を使う場所しかない。お金がなくても豊かに生きられる場所が欲しいものだ。
今日と明日にかけて操車場の印刷と製本を行なう。詩人の朗読論をこれから増やしていきたいと思っている。いま『詩人の聲』に参加している人も、ほとんど朗読についてエッセイを書いていない。自分の朗読をみつめない以上、朗読も進歩してはいかない。詩人の朗読を聴く人たちは少ない。だからこそ良い朗読を作り上げる試みをしていくべきだ。もっと謙虚になって人の話も聴くことだ。言い訳の朗読論は必要がない。温みのある語りを私は追及してゆきたい。人の心に響く語りを目差してこれからも精進をしていく。それしかない。

2008年11月 2日 (日)

日記

妹の手術で腸を開いてみたのだが、癒着がひどいので、そのまま閉じてしまったとのこと。このようなことは始めからわかっていたことなのに、なぜ手術をしたのか疑問だ。以前も同じことがあったのに。今の自分が同じ病でいるのがもどかしく感じられる。妹の為に何一つしてやれないのが悔しい。
詩人たちの朗読で、天童氏と私の聲について、ほかの詩人jたちには理解できないものなのかもしれない。天童氏は聲そのものに重点をおいている。私は語りのための聲の力に重点をおいている。聲そのものでも、全く異なったものである。彼は朗唱の道を極めているのだろう。そして私は語りの道を極めている。他の詩人たちは、単なる朗読を選んでいる。つまりテキストを読むことで精一杯なのだ。聲のちからまでのゆとりがもてない。やはり自分の場所を作って闘う姿勢がないとちょっと『詩人の聲』は難しい。
昨日、クライバー指揮のベートーヴェンの第五番と七番を聴く。やはり凄い。全身全霊の演奏だ。最近このような演奏は聴けなくなっている。クライバー指揮のベートーヴェン交響曲全集がないのが残念である。四番も六番凄い演奏である。詩の語りもこのように全身全霊で行なうことが感動を作り上げていくものだと痛感する。そのためにはテキストの読み込みが大切になってくる。ダンボール箱にまだ五百枚ほどCDがしまってある。それを少しづつ聴きたいものだ。

2008年11月 1日 (土)

日記

午前中に病院を退院をする。歩くことがしんどいことを医師に説明する。やはり19サークルも抗癌剤の治療を続けていてはやはり無理なのかもしれないという。あと二回抗癌剤治療をおこなっていったん中止にしてはとのはなしであった。私もその方がよいと判断をする。あとは自力で生きるしかない。
六ヶ所村再処理工場での原発のゴミ処理に問題が発生している。それは高レベル放射性廃棄物のガラス固体化のケースに漏れが生じている。放射の強さが半減すには200万年以上のかかる。そしてこの処理の監視も永久に観察すうrことはない。一定の期間しか観察をしないという。こんないい加減な体制でほんとうに原発がまもれるのだろうか。これほど人のいのちを馬鹿にした話はない。
自立支援法で一割負担は違法の運動が展開されている。小泉内閣であっさりと国会を通過してしまった。この障害者自立法案は、元に戻すことがいま求められている。政権を代えてなんとかしてほしいものの一つである。
レイチュルの本を200ページまで読む。彼女も女性であることで不遇な待遇にあってしまった。でもその困難を乗り越えて生きている姿には感動を覚える。

天童大人 プロデュース 

プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)
―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー 

二〇〇八年十一月
第271回11月20日(木) Star Poets Gallery  
白石かずこ
第272回11月28日(金) ギャラリー華  武藤ゆかり

第273回11月29日(土) ギャラリー華
田川紀久雄&坂井のぶこ

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