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2008年9月30日 (火)

日記

昨日は十月下旬の寒さだった。急に温度が10度も下がると身体的にもつらい。台風で台湾では大きな被害がでた。今日で九月も終わる。
天童大人氏の企画で自作詩を語ることを始めて二年半を過ぎた。新座で語りを行なってから、何かが変わった気がする。それはやっと自作詩語りに自信を持つことができるようになってきたことだ。宮澤賢治の『永訣の朝』を語るときのイメージがやっと自作詩にも適応できるようになったということだ。これは十一月のライブで新たな語り方を披露することができると思う。一回一回の自作詩語りの積み重ねがやっと報われるようになってきたということだ。そして日々の精進があってこそ、夢がかなえられてゆくものである。
身体と霊魂が融合した語りこそ、私が目差している世界である。これは宇宙全体が拡大してゆくと同じ状態で聲の力が拡大している。それは死という世界を明確に自分のものとして、そこから出発することが出来た人間にしかできない世界でもある。宇宙の真理を自分のものとする闘いでもある。詩人の聲とはそのような聲を持つために詩人として生まれてきたことを自覚しなけばならない。今の詩人の中でそのようなことを理解しているのは、私と天童大人氏しかいないのではないだろうか。このことを明確に実践してゆくことが今の詩人の聲の力に影響を与えていく必要がある。詩人たちに期待することではなく、今の自分を宇宙の中心に位置づけていくことだと思う。そういう気持にやっとなれた。これから本当のいのちを語れる詩人になれるのだ。生と死が一つになれる世界でもある。これは末期癌になってやっと手に入れた世界でもある。でも日々の中で身体と闘い続けていることはそれなりにしんどいことでもある。このしんどさが私に勇気を与えてもくれている。生きられていることに感謝しなければならない。


天童 大人 プロデュース 
プロジェクト La Voix des poètes (詩人の聲)
-―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー
 十月の予定 女性詩人特集
第256回10月7日(火) Star Poets Gallery 山崎佳代子(セルビア)
第257回10月9日(木) Star Poets Gallery 中村恵美
第258回10月14日(火) Star Poets Gallery 原田道子
第259回10月15日(水) ギャルリー東京ユマニテ
白石かずこ
第260回10月16日(木) ギャルリー東京ユマニテ  稲葉真弓

第261回10月17日(金) ギャルリー東京ユマニテ  小池昌代
第262回10月20日(月) ギャルリー東京ユマニテ  野木京子
第263回10月21日(火) ギャルリー東京ユマニテ  有働薫
第264回10月22日(水) ギャルリー東京ユマニテ 
山口真理子
第265回10月23日(木) ギャルリー東京ユマニテ  峰岸了子
第266回10月24日(金) ギャルリー東京ユマニテ 
紫圭子
第267回10月27日(月) ギャラリー華 河野聡子
第268回10月28日(火) ギャラリー華 水嶋きょうこ
第269回10月29日(水) ギャルリー東京ユマニテ  薦田愛
第270回10月30日(木) ギャルリー東京ユマニテ 
イチェル・ルヴィッキー(USA)

10月は私と坂井のぶこの『詩人の聲』のライブはありません。
10月20日 森田直子個展会場 アートギャラリー銀座にて
11月29日(土) ギャラリー華での予定です。会場が狭いので予約はお早めに。

2008年9月29日 (月)

日記

横須賀に原子力空母が配置された。それは許されざることなのだが、この話の先にもう一つの話がある。それは国道357号線の延長計画である。横須賀市と横浜を結ぶ道路計画だ。二十年前の凍結された計画が、原子力空母の引き換えに国が実現へ動きだしたのだ。横須賀側には干潟がある。その干潟に大きな悪影響を与える。ガソリン税が国の自然を破壊するために使われることは断じて許してはならない。自然が壊れることは、人類の破滅に繋がる。東京湾にはかつて多くの干潟があった。いまはそのほとんどが消え去っている。横浜国道事務所は、計画の段階で干潟を把握していないと、弁明しているが、そんなはずはない。干潟にはイシガレイ、ハゼ、ヒラメなどの稚魚がいる。自民党の政策はこの国を破壊するための政党でしかなかった。国民はいつも騙されつづけてきたのだ。経済優先も大切であるが、そのまえに自然の豊かさを忘れた経済優先は避けるべきである。川崎と羽田を結ぶ道路計画もこの国道357線の延長にある。もうよけいな道路など国民は望んではいないのだ。
天童大人氏から電話で十一月二十九日広尾のギャラリー華での詩語りの日程が決まった。十一月は、「詩人の聲」は三回しか行なわれない。その一回に繰り込まれたことはとても有難いことだ。会場は狭いが、いのちの語りを行なうには狭さなどは関係がない。
昨日ちあきなおみの歌を聞いてすごした。なかなかいい。たまにはこのような日があってもよい。気侭にいきるのも免疫力を高める役割をはたすものだ。

2008年9月28日 (日)

日記

癌になって生活保護のことで共産党の議員に相談したことがある。しかし、その後一度もどうなっているのかを訊ねたりはしてこない。本当に困っている人間に対して冷たいものだ。我が家の前の孤独死した人も、誰にも相手にされずに亡くなっていった。社会福祉の人も人手不足でこちらから相談に行かねば何も手を貸手はくれない。そう意味では昔の長屋生活は良かったともいえる。皆が助け合って生きていた。この長屋的社会をどうしたら取り戻せるのだろうか。老人介護の問題にしても、認知症に人達にたいしても近所で助け合うことができたら、世の中ももっと明るくなるのではなかろうか。今の都市生活では、他人に対して関心な生活環境である。高齢化してゆく時代の中では、農村的な生活環境が良いはずだ。都市化の中でどうしたらこの農村的な生活環境を取り入れることができるのだろうか。いろいろと考え込んでしまう。
横浜でジムをひらいているカシアス内藤も末期癌である。末期癌の顔はいい顔をしておる人が多い。本当に生き抜こうとする魂が顔に乗り移っているからだ。かつて田端の近くで喫茶店を開いていたとき、帝拳シムの若い人がお客にきてくれていた。ボクシングを観るのは楽しいものだった。羽黒洞の木村東介さんも若いときにジムを開いたことがあった。部屋に東介氏の色紙が飾っている。『真実 純粋 素朴 原始 稚拙は美の神々』と書かれている。湯島の羽黒洞でよく中華蕎麦をご馳走になった思い出がある。ここで長谷川利行の絵を見てもらい勉強させてもらった。私の絵の原点は長谷川利行である。
詩誌受贈 『阿字126号』 泉谷栄さんの文章で小笠原眞さんが医師であることを始めて知った。

2008年9月27日 (土)

日記

加古三枝子著『人生を駆けぬけて』(音楽之友社)を読む。この本は癌で亡くなった小泉文夫氏のことを綴ったものである。彼は膵臓癌であった。小泉さんのお陰で世界の民族音楽をいっぱい知った。時々民族音楽をCDで聴いている。
北岡淳子さんからカンパを頂いた。本当に有難い。来月の医療費代が助かる。多くの人明かりによって今の私は支えられている。早く人に恩返しのできる語り手になりたいものだ。深みのある聲と温みのある聲、そして聲の生命力に満ちた聲を作らなければならない。末期癌と宣告されてからの詩語りのDVDの記録を見ていると、間違いなく成長しているのが解る。それとともに作品も成長している。
治療費を稼ぐために、DVDを発売している。出来ればカンパのつもりで買っていただけるとありがたい。一番新しいのが先日行なった『生命の歓び』である。頒価2200円(送料込)です。この生命の歓びは来年上梓する予定の作品である。
今月は語りの稼ぎでコピー機(一万八千円)を購入できた。これでDVDへの印刷も可能になった。
新座で転んでしまったので、手や足の痛みを感じる。銭湯に行くにも辛い。操車場の原稿をパソコンに打つのもしんどい。

2008年9月26日 (金)

日記

昨日の詩語りは、これからの語りに大きな意味を与えてくれた。それは自作詩語りに大きいな反応を感じた。宮澤賢治の「永訣の朝」の語りは、お客に感動を与えることができた。語り手にとってお客の反応が一番気になることだ。自作詩語りに自信を持つことができた。これからの自作詩語りがたのしくなったきた。心にゆとりが生まれてきた。森田進さんお奥さんや、松村彦三郎さんの奥さんも見えていた。森田直子さんの個展が十月二十日から銀座のアートギャラリーでおこなわれる。そのパーティーで詩語りができる。
帰りに新座駅で転んでしまい、腕や腰を痛めた。倒れても誰も助けてはくれない。三味線が壊れないでほっとした。もう一人で三味線をもって出かけることはできそうにもない。三味線は今の私の身体には重すぎる。
昨夜家の前の人が亡くなっていた。亡くなって数日経っていたが、誰も気付かなかった。警察がきて発見された。町内会に入っていないので、誰との付き合いもなかった。老人の孤独死が増えている。もしいま相棒がいなかったら、私もその危険性がある。
抗癌剤のせいか舌が痛む。たぶん口内炎であろう。食事もおもうようにとれない。

2008年9月25日 (木)

日記

やっと自分らしい詩語りができるようになった。昨日野間明子さんや山口真理子さんが聴きにきてくれた。感謝の気持で一杯だ。それに天童さんの知り合いの方までも聴きにこられた。今月は、坂井のぶと私の詩語りは、『詩人の聲』のなかで詩人の聲の存在感を証明したものではなかったかと思う。そして昨日は『いのちと自然』をテーマにした語りができた。もっと工夫をこらして人に聴いてもらえる語りを目差して精進していくことだ。私の語りも途中で坂井のぶこさんが入ってくれるお陰で一時間近くの語りをこなせる。昨日も語りながら身体がいくぶんふらついてしまった。
今日は新座公民館で詩語りの仕事がある。ここでは、宮澤賢治と中原中也を語る予定である。語りの仕事がいくらかでもあれば、治療代にまわせる。
横須賀に原子力空母が今日入港する。川崎の空を戦闘機が飛ぶ音がする。平和憲法を守ることが大切である。それ以外にいま私達はアメリカに抵抗する術がない。平和を愛することこそこれからの日本が求めていく必要がある。そのことが世界への貢献に繋がる。自民党の馬鹿騒ぎには辟易する。そして民主党の大袋を広げた政策にもまったく信用がならない。だから私達は命と自然を守る運動を展開してゆきたい。自分に出来ることを一つ一つ積み上げていくことだと思う。嫌なものははっきりと嫌だというべきだ。
昨夜は興奮していたせいか、あまり眠れなかった。四時には起きてビデオテープをDVDにコピーをした。DVDの印刷ができないので、コピー機を新たに購入しなければならない。詩語りの仕事がもっとあればコピー機を買うにも気軽に買えるのだが。

2008年9月24日 (水)

日記

今日、東京ユマニテで詩語りがある。多くの人達に私のいのちの語りを聴いてもらいたいものだ。死から生を見つめた詩は、この世の中でそれほど多くは書かれていないはずだ。未完の詩集『生命の歓び』を語れることはありがたい。これも天童大人氏のお陰である。末期癌と宣告されたことは、私にとってそれほど不幸なことではない。詩人としてこのような作品が書けたことが嬉しい。そう意味では末期癌になって感謝している。末期癌と宣告された人でなければわからない世界がある。精神的にとても辛いものがある。その辛い世界が私を生かしてくれている。少しでもいい語りをしたい。そしてこれからスケールの大きな語りをしたいという願いがある。そのためには、毎日の精進がそれなりの肉聲を保たせてくれている。口内炎で口の中に違和感を感じているが、その違和感を克服してなんとか聲の力を出してゆきたい。
抗癌剤の治療も十七サークルを終えている。五十回以上も治療を行っているこおtになる。抗癌剤が本当に効いているのだろうかという不安もある。またどこまでこの治療を続けなければならないのか、という不安もある。その不安を克服してくれているのが、詩語りの道に自分の人生を賭けている今の私の心が、今日も語りをさせてくれる原動力になっていることだろう。そして人明かりの人生をもとめてこれからも生きてゆきたい。多くの苦しんでいる人たちに一つの道しるべになる語りをこれからも続けていたい。

京橋・東京ユマニテ 会場六時より
             開演六時半
皆様のご来場をお待ちしております。

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2008年9月23日 (火)

日記

今日は秋のお彼岸である。墓まいりをしたいと思っても、お墓が遠くにあるので、この身体ではいけない。せめておはぎでも買って仏壇に供えよう。母も父も妹も私もみんな癌になってしまった。
田中眞由美さんから、葉書で新座の語りの連絡が届いた。九月二十五日十一時半から行なう。新座で詩語りを行なうのは久振りである。宮澤賢治・中原中也などを語ってもらいたいとのことだ。そして、明日は自作詩の新作ばかりを東京ユマニテで行なう。
五浦に行ってみたい。坂上田村麿が創建した神社(花園神社)がある。坂井のぶこさんがぜひ行ってみたいというので、身体の調子をみて行く予定をしている。私は温泉と、美味しい魚を食べたいだけだ。お金のゆとりがあれば、旅をしたいものだが、生活がぎりぎりなので何処にもいけないでいる。語りでお金を稼ぎたいものだ。
自民党の総裁もきまった。消費税は、あげてもいたし方がないと思う。でも食料品には消費税をかけないでもらいたい。政治家は選挙の近くになるといいことばかり言うが、実際に政権をとると、国民の期待をすぐ裏切ってしまう。
アフリカなどは、医療施設がほとんど整っていない国が多い。国際的な貢献も求められている。国民は、自分のことばかりを考えてはならない。みんなの幸福があって、本当の幸福がつかめる。浜川崎の猫に缶詰めの餌を与えにいったら、身体で歓びを表現してくれた。それを観てこころから私自身も歓びを感じる。人の役にたつ語りを早く始めたいものだ。いのちそのものだけを語りつづけたい。

2008年9月22日 (月)

日記

昨夜は豪雨であった。眠れない夜が続いている。
マルテの手記の訳で、椅子に腰掛けるのとき、「坐る」と訳しているが「座る」の方がよいのではなかろうか。坐は畳などにすわるときには坐であるが、椅子などは座であると思う。訳にときどき気になる字が出てくる。
嫌な事件が多い。子供が殺される事件だ。福岡と千葉での事件もそうだ。世の中が狂ってしまったのかと思わざるをえない。そして政治への不信が国民の間に広がっている。選挙のときだけ、あまい言葉を使って、国民を欺いていく。永田町には、タヌキがでるという。動物のタヌキの方が人間よりかわいものだ。
詩の語りもスケールの大きいな世界を作ってゆきたい。そのためにはもっと聲の力が欲しいものだ。そしてドラマチックに朗読を構成してゆきたいものだ。人の心をうつ語りを目差して精進していたい。
詩は暗い世界を書くのではなく、明るい世界を求めて作品を書いてゆくことが大切である。
詩誌受贈 『グッヒォー・50号』

2008年9月21日 (日)

日記

アメリカ経済は最悪である。そして中国の食品は誰も買わなくなる。そしていまの日本も食品の偽装で、日本品と名をうったものすら危ない。何を信じて生きていけばよいのか、不安が募るばかりだ。
荒川区が「動物に餌を与える行為を禁じ、違反した場合罰金を科す環境条例をまとめた」という記事が新聞に載っていた。その中に野良犬や、野良猫も対象に入っている。いま私達は浜川崎駅の野良猫に毎日餌を与えてきている。もし川崎市にもこのような」条例ができたら大変だ。この野良猫や野良犬は、保健所で毎月数百匹も殺処分という名で殺されている。この原因は人間の身勝手な行為にある。生きものは、みんな生きる権利がある。人間中心の生命論には、つねに反対してゆきたいものだ。みんなで知恵を絞って野良猫や野良犬を救済することを考えてゆきたい。そのためには、もっと里親制度の普及である。そして地域の中での共同で野良猫の世話をすることだと思う。
小笠原眞さんから詩の作品を送ってもらった。彼の作品は心が和む。いまの私には心がすくわれる作品だ。現代詩がつまらない中でこのような作品があることにほっとする。
高橋秀明さんの詩集の名を『影ノ歌』と記入してしまったが『歌ノ影』であると、ある人からメールで注意された。表紙の横書き文字はふつう横から読む。それを逆から読ませるところにこのい詩集のヒントがあるのかもしれない。注意されることは有難いことだ。
眠れないのでサン・サーンスのピアノ協奏曲を聴いた。

2008年9月20日 (土)

日記

午前中に病院から帰宅する。台風が思いのほか風もなく通過した。でもまた台風が発生している。点滴で針の入れ方が悪く六時間以上も身動きが取れなかった。読書もほとんどでず。今朝五時からディールーム室で詩を一篇書き上げる。詩かどうか疑問がのこるが。
『索通信4』と『嶺29』が今日坂井信夫さんへ送る予定。
桝井厚生大臣は、一生懸命に仕事をやっている。大臣の中では一番評価してよい存在だ。末期医療対策でもそれなりの政策を取り入れてくれた。それにしても医師たちはモルヒネ治療にはまだ理解していない医師があまりにも多すぎる。医師よもっと勉強をしてもらいたい。でも大臣はあと四日しかない。最悪の大臣は大田農林大臣であった。これは福田首相の責任問題でもある。次の総選挙では自民党は苦しい立場に立たされることだろう。それはいままでいい加減にやってきたツケがきただけの話である。それと小泉改革の批判も当然ある。国民の痛みを思わない政治には、もう国民はうんざりしている。
このところ癌で亡くなる人が多い。みんないい人がとくに癌になっているような気がしてならない。なんだか寂しい感じがする。
詩誌受贈 『柵・262号』

天童大人氏のブログから勝手に転用させていただきました。
24日(水)、末期癌の詩人 田川紀久雄第254回プロジェクト、「La Voix des poètes(詩人の聲)」に11回目の参加。パートナー 坂井のぶこと共に、京橋・ギャルリー東京ユマニテの内の宙に、自作詩を解き放つ!!!
既に11回目。聲に関心のある詩人は一度、是非、聞いてもらい田川紀久雄の聲を!!!
末期癌を宣告されてから1年を超えた。これも聲を出しているからだ!
「聲ノ力」を解らせる出来事だ。

2008年9月19日 (金)

日記

今日一日入院日である。台風が明日は東京に来るらしい。
『詩人の聲』のエッセイを書いた。聲についてできるだけ書いてゆきたいものだ。なぜ詩人たちは朗読に関するエッセイを書かないのだろうか。そして不思議なのは、聲の録音をまったく録る気がないことだ。自分の聲を聴いて反省をしない。つまり朗読に関して前向きな詩人がいないということになる。
大学などで詩人の朗読といえば、著名な詩人の朗読と名をうって行う。著名な詩人の朗読ほど退屈なものはないのだ。朗読者を選ぶにも、自ら聲の詩人を見出していく気持など持っていないのだ。安易な方法で朗読のイベントを行っているにか過ぎない。詩人たちは、なぜ自分の耳で朗読を聴こうとしないのか。先入観なしで詩人の聲に耳を傾けることが大切なのである。
十月と十一月は画廊の都合で、私達の詩語りの予定はない。その間は、次の語りの目標に向けて精進しているだけだ。私の身体がどうなって行くのかいくらか不安はあるが。来年からは、『自然といのち』のテーマで詩語りを試みてゆきたいと考えている。詩をもっと沢山書きたいと思うのだが、なかなか作品は生まれてこないものだ。昨夜もほとんど眠れないで作品のことを考えていたのだが。
先日古本屋で『リルケ全集7』(以文社)を五百円で買った。まったくの新本なのだ。この中には『マルテの手記』が入っている。塚越敏訳なので今日は病院で読んでみようと思っている。病院では本を読むしか時間をつぶす方法がない。

2008年9月18日 (木)

日記

総選挙が十月二十六日に決まりそうだ。二代政党的選挙は、小さな政党にとっては不利になる。私はいままで社民党を応援をしてきた。民(たみ)という名をつく政党が三つもある。ほんとうに民の為に働いている政党はどこなのだろうか。社民党は組織つくりが下手である。いまの世の中は労働組合が解体してしまって、社民党に票をいれる人が少なくなってきている。本当に憲法第九条を守れる政党に票をいれたいものだ。
世界ではいま水不足にある。この日本だって水不足になりつつある。地中海では水が不足しているという。とても信じられないことが世の中では起きている。真水を作る技術は、日本は優れている。この技術を世界のために果たしていくことも大切ではなかろうか。アメリカのいいなりの世界平和ではなく、日本独自の国際的な平和運動に取り組まなければならない。今の政党をみていると、この期待は薄い。とても哀しいことだ。
操車場の年間購読者に紫圭子さんがなってくれた。ありがたい。彼女はいま身内の介護に当たっている。大変であるが、『詩人の聲』に出きるだけ参加して、聲の力をもっと付けてもらいたいものだ。自作詩を一時間朗読する機会は、詩人たちにはほとんどない。天童大人氏の企画の『詩人の聲』は、今までなかった試みである。一人でも多くの詩人が本気になって挑戦してみることが、今の詩の世界を変えていくことになる。

2008年9月17日 (水)

日記

昨日坂井のぶこさんの詩語りがおこなわれた。天童大人氏企画の『詩人の聲』で一つの成果をみる。聲とテキストが融合して素晴らしい語りになった。ただ残念なことは、お客が零であったということだ。ビデオを撮ってあるにで、見たい方は注文していただければお送りいたします。定価2200円。渋谷駅前の喫茶店で天童大人氏と、詩人の聲について話あう。
今の日本で真剣になって詩の聲をあげている人は何人いるのだろうか。『詩人の聲』企画の中でも、本気になって行なっている詩人は少ない。時代が闇の世界に入ろうとしているとき、詩人は聲を持って立ち上がっていかねばならない。本物の詩人の聲を持つものこそ、時代を切り開いていける詩人になれる。活字だけに頼っていては、詩は死になるだけだ。時代は活字を超えた魂の聲を求めている。そのことをひしひしと身に感じなくてはならない。詩人にとって知名度など虚しいものだ。本物の詩人を目指して生きることこそ大切なことである。
私達は、つねに魂の叫びをお客に届けられる詩語りを行なってゆきたい。

2008年9月16日 (火)

日記

大型台風が九州に向かってきている。台湾では大きな被害が出たという。海の温度がまだ高いのでこれから台風は勢力を拡大していく。今年は雨の被害が多すぎる。稲の収穫にも大きな被害が出るかもしれない。
政治家は、この国民の不安をよそ事のように、権力争いに奔走している。なさけない話だ。米の自由化は、小泉政権のときに決められたのだ。改革という名のもとにすすめられた政策である。郵便だった、民間企業は祭日も配達している。国民の為に努力をすべきである。もう一度郵政は国が管轄すべきであると思う。自由化になってゆけば、このお金は外国に流れていってしまう。いまの郵便局は、なんだか国民を無視したところのように思われてならない。国民の心から、郵便局が離れていっている。
ここ数日胃の調子が悪い。胸のしたあたりが重苦しい。そして下痢ぎみである。食欲も湧いてこない。公園で聲をだしてみたが、もう一つ思うように聲がでない。
今日は坂井のぶこのライブだ。一人でも多くのお客が来てくれることを期待したい。

2008年9月15日 (月)

日記

マリヤ・カラスの聲をDVDで観る。感情の入れ方が素晴らしい。詩の朗読を行なう人には必見である。テキストと聲が一致した世界こそ、人に感動を与えることができる。テキストを読むだけなら、誰にでも出来ることだ。朗読者である以上、テキストにいのちを吹き込むことぐらい出来ないとなさけない。そのためにはひたすら精進しかない。
九月二十四日は、新作の語るよていだ。それもすべていのちをテーマにした世界である。死とは何かを、解き明かす作品でもある。これは末期癌者にとって大切なテーマである。いま、私は『生命の歓び』という詩集の上梓に向けて書き進んでいる。それをいま語ってみたいのだ。どうしても語りたい世界である。私だけしか出来ない世界を編み出してゆくことがいま、私の生き甲斐でもある。そして、できるだけ多くの人たちに聴いてもらいたい。天童大人氏が企画している『詩人の聲』の中で、それが語れることはとても有難い。一人でもよいから私の聲を聞きたい人が来ていただければうれしいものだ。いま男性の詩人の朗読が低迷している中で、ひたすら努力をしてゆきたいものだ。朗読にとって大切なのは、テキストが優れていることと、それに見合う聲が出せるかである。その攻めぎ合いが聴き手をわくわくさせるものである。末期癌者がどこまで可能なのかそれは自分にとっても一つの楽しみでもある。

2008年9月14日 (日)

日記

癌患者がグループ・セラピーを行なうと、何もしない人の倍の寿命が伸びるといわれている。人と話し合い、苦しみや悲しみも分かち合えることは心や体にもとても良いことなのだ。それなのに、今の日本ではあまり行なわれていないような気がする。私もそのような会があったら出かけてみたいと思っているのだが、見当たらないでいる。できれば地域の中にそのようなグループ・セラピーが生まれることが望ましいのだが。生きる張り合いが癌を抑制するのだろう。
私の癌日記を癌の人に読ませたら、癌についての話や癌のことすら聴くのは嫌だと言う人がいる。その気持がわかるが、自分の中に閉じ籠もっては、なかなか癌は治りにくいものになってしまう。身体と心が開かれることが生きるうえで大切なことなのである。一人で考えこむことは病気を誘発することにもなりかねない。毎日楽しく生きることが、癌の免疫力を高める秘訣なのである。

坂井のぶこの語りが九月十六日にある。
場所・Star Poets Gaiiery
    世田谷区太子堂1-1-13 佐々木ビル2F
    電話03-3422-3049
    渋谷駅南口バス21・22・23番のり場
    三宿(みしゅく)下車二分
    有明戦記全編を語る。
皆様のご来場をお待ちしております。

2008年9月13日 (土)

日記

午前中に退院をする。
高橋和巳著『心地よさの発見』(三五館)を半分読む。健康とは何かを追求した書物である。あるいみでの生命論でもある。西洋医学的な見地から健康を見るのではなく、東洋的な考え方から健康を捉える。西洋は、つねに肉体と精神を二つのものとして捉えてしまう。それに対して東洋は忍耐と精神が一つのものであるという考えかたを健康を観る。改めて健康というものを考えさせられる本である。
来週CT検査の予約ととる。O先生は来週休みだという。すべて他の先生に言ってあるから心配しなくてもよいとのことだ。
帰宅すると『嶺』の最終校了ケラが送られてきていた。
今朝詩を一篇書き上げる。生命とは何かを掘り下げる作業は、なかなか難しいものだ。でもこれを書かせてくれるよういん私が末期癌であることによってである。どういう意味では末期癌に感謝しなければならない。詩人として生きていたことにやっと意味を見出してきている。自己救済から始まった旅はやっと、未来への生命の旅へ変わってきた。そしてその未来の旅の詩を多くの人の前で語ってゆきたい。そのためにも、癌を治療する努力をしていかねばならない。生命力をもっとたぎらせることだ。肉体がある間は、この未来の旅の詩が語られるのだ。語れる一蹴を大切にして生きていくこだ。過去でもなく、未来でもなく現在の中に未来の旅がある。

2008年9月12日 (金)

日記

今日一日入院日である。身体的に疲れを感じる。抗癌剤の新薬を認定するひとは二人しかいないという。新薬のの認定するひとはアメリカでは2000人だが、日本では200人である。その中で抗癌剤についてはたったの二人だ。医療に対する考え方がまったく違う。末期癌の場合癌の進行を止めるには、抗癌剤しかない。毛は抜けるし、口の中は口内炎にかかる。生きていることが本当にしんどい。外面的にみれば、健康の人と少しもかわらない。ほんとうにやっかいな病気だ。
事故米が、病院や特養ホームに流通していたとは驚きだ。農林水産省の責任も重いはずだ。役人と業者の癒着以外のなにものでもない。自民党の時代は終わったようだ。といって民主党も信じられない。予算の金がどこからでるのか不明が多すぎる。つねに馬鹿をみるのが国民なのである。
パソコンの修理が終わる。四万円近くかかる。生きていると金があまりにもかかる。どうしたら収入の道が開けるのか。詩語りの出前だけが、今のところの収入なのに、その仕事もなかなか入らない。何とかして世の中にうってでたいものだ。

2008年9月11日 (木)

日記

高橋馨さんからカンパをいただいた。パソコンの修理代にまわせる。ほんとうに助かる。
森永かず子さんから詩誌『水盤』が送られてきた。彼女のエッセイ『平均律』は興味深く読ませていただいた。
詩人たちの朗読を聴いていて、不思議に感じることがある。何を人に伝えたいのか良くわからない。ただ詩集を読んでいますということで終わっていることが多い。詩集そのものを読んでいますのなら、詩集そのものを読んだ方が楽しい。活字で味わえないものが、そこに提出されない以上、朗読は少しも面白く感じられない。詩集を越えるには、何度も練習を積み重ねて、詩集から自由になることである。そこまでいって初めて、人に聴いてもらえるものが生まれてくる。練習をかさねれば、聲にも力が付いてくる。人に聞かせる聲ができるというものだ。
今の私は、癌との闘いの中で、聲の力を維持することに精一杯である。その努力が、癌と仲良く共存させてくれているのだ。朗読を通じて癌と闘う仲間をあつめたいものだ。でもなかなかそのような詩人がいない。仲間を作って生きることは、生きる勇気に繋がっていくものである。癌を通じて仲間を募って活動をしている人達もいるはずだ。私も頑張って癌で苦しんでいる人達に生きる勇気を与えたいものだ。ボロボロになって最期まで闘って生き抜くことだ。その過程を詩に表現してゆきたい。
詩誌受贈 『水盤・4号』
詩誌受贈 高橋秀明詩集『歌ノ影』(響文社)

2008年9月10日 (水)

日記

やっと秋らしくなってきた。語りの稽古もやりやすくなった。沖縄・石西礁湖のサンゴが五年間で七割が消えたとの記事が新聞に載っていた。温暖化によって生態系が崩れている。秋らしくなったと喜んではいられない。
三笠フーズの百人のパートや社員が解雇される。仕事が無くなることは辛い話だ。トップの責任は重い。いつも一番弱い立場の人間にサイナンが起きる。日本人のモラルがあまりにも低下している。人間らしく生きる生き方が難しくなってきている。いまの不景気を政治で早く解決してもらいたいものだ。自民党の中の権力闘争は、傍からみていても醜い。党の利益を求めているにか過ぎない。国民にことなどまったく考慮していないといわざるを言えない。
詩誌・操車場の評判が良い。ありがたいことだ。人に心をうつ作品を提出することが書くものの責任である。小笠原眞詩集『極楽とんぼのバラード』が送られてきた。なかなか楽しい詩集である。読んでいて心が浮き浮きしてきた。
受贈詩集 小笠原眞詩集『極楽とんぼのバラード』(ふらんす堂)

2008年9月 9日 (火)

日記

石垣島ライブ『白百合クラブ』をDVDで観る。芸能の原点を感じた。自分たちが楽しみ、お客さまにもその歓びを伝える。五十八周年記念ライブ。年齢は七十歳以上の人達。民謡あり歌謡あり、オバサンたちの奇妙な踊りもある。見ていて心が和む。不思議な世界だ。
戦争で一番得をするのが、軍事産業だ。ブッシュ政権は、この軍事産業によって支えられている政権なのだ。日本は平和憲法を守ることが世界にとっても大切な役目を背負っている。政権交代などと、うつつを抜かしている場合ではない。政治家の茶番劇など見たくもない。
癌患者に生きることを素直に見つめる詩語りを行ないたいものだ。坂井のぶこが、自然についいて語り、私がいのちそのものを語る世界を作りあげてゆきたい。来年から活動を始めてゆきたいと思っている。
妹の入っている施設から電話がある。妹は進行がん手術をしなければならない。そしてやはり人口肛門をしなければならない。そうすると施設にいられなくなるおそれがある。私のところに来ても、今の状態では妹の面倒など見れない。自分が生きているのに精一杯なのだ。どうしてよいのやら、そんなことを考えていたら、昨夜は一睡も出来なかった。
パスコンの修理をヨドバシカメラに持ってゆく。いくらお金がかかるのか。昨日堀本恭三さんからいつものようにカンパを頂く。本当に有難いものだ。いまカンパによって、支えられている。早く人に恩返しをできる仕事をしたいものだ。

2008年9月 8日 (月)

日記

昨日、紫圭子さんの朗読を聴きに新宿まで出かける。ビデオを撮らせてもらう。名古屋でお世話になった恩返しが少しできた。浪漫亭で打ち上げを行なう。帰りは新幹線の改札口まで見送る。朗読について真剣に話し合える人に出会いたいものだ。彼女の声は、『詩人の声』の中でもベスト5の中に入るだろう。でも朗読についてはまだいろんな問題を抱えている。この会にもっと参加してゆけば、彼女の朗読も変わってゆくことと思う。初めて一時間以上聲を出すことを体験したことは大きなことだ。詩人が一時間以上聲を出すことなどめったにない。聲と朗読を鍛えるには最適な場所である。
臨時国会冒頭解散への新聞記事。国民にとって決めてもらわなければならない法案が山積みされているのに、それを行なわず選挙に突入するきなのだろうか。国民を無視した政治がいつまで続くのだろう。国民を思う政治家がいなくなった。せめて詩人たちは、人の心を癒せる朗読を行いたいものだ。そのためには人一倍の努力が必要なのである。努力のないところには、人に媚びたものしか生まれない。今月の二四日は私のライブがある。いのちそのものを語れるライブを行ないたいものだ。

2008年9月 7日 (日)

日記

福田首相は、国民の為に何もしないで、自民党政権を維持するために止めただけのことだ。これほど国民を馬鹿にした政治家はいないだろう。自民党をここまで追い込んだの最大の原因は、小泉首相の強引な改革であった。それなのに、国民は今だなお小泉前首相の人気が高いのは不思議だ。国民も目を開いて政治に感心を持ってもらいたいものだ。
戦争の正当化で「人道的武力介入」もいつもきな臭い。どこか嘘がある。インド洋の石油給油問題も、おかしな話だ。もうアメリカの言いなりの政策とおさらばすべきだ。
政治を変えるには国民の下からの力が大切なのである。しかし、戦後から今だ
本当の国民の聲が立ち上がってきていない。
今日の朝日新聞九月五日の「声」の蘭に次のような記事が載っている。ポスピス医療を目指している山崎章郎さんからの投書である。
誤解に基づくモルヒネ発言「民主党の山崎賢次国対委員長が8月31日、政府・与党の総合経済対策について「選挙目当てのばらまきだ。がん患者にモルヒネを打つような話で一時的にはいい気持ちになるが、長期的に見ると体をむしばむ」と批判した一部のメディアで報じられた。とある。末期癌者の痛みはモルヒネが必要である。モルヒネは身体の悪影響を与えることなく、患者の痛みを抑えられるものである。山崎賢次の全くの癌に対しする無知には驚く。WHO方式は、癌性疼痛には世界的標準的な治療方法である。
民主党にこのような人がいるから、いまいち民主党が信じられないのだ。山崎さんは緩和ケアとポスピスは違うことも言っている。最後のいのちの問題を見つめるのがポスピスの仕事であると。

2008年9月 6日 (土)

日記

午前中の退院をする。O先生きょうは愛想がとても良かった。入院部屋が割合空きベッドが目だった。CT検査も入院中に行なっていただくように要請をする。
夜眠れないので、CDで「ノートルダムの神秘」オルランド・コンソートとマラーの第五番を佐渡裕指揮で聴く。五番は小林研一郎指揮の方が私には良いと思う。小林研一郎の指揮が考え込んでしまうところが面白い。
病院で一篇の詩を書きあげる。末期癌=死のイメージが強いので、死から見つめた生をかいてみたかった。うまくかけたかどうか解らない。このようなテーマは詩としては向かないものである。どうしても説明的になる傾向があるからだ。でも私しか書かけないテーマでもある。
家にもどったら索通信の校了のゲラが届いていた。赤字ゲラがとうとう見つからない。あのとき、パソコンが故障し、プリンターまで壊れてしまい、気が動揺していたためであろう。それに16号の詩語りで前にも誤字がある。お金がなくなると、気分もおもくるしくなるものだ。
テレビでみた抗癌剤の治療と、病院おこなっている治療は、八十%同じだと思う。前向きに生きていくことしか今の私にはとる道がない。のんびりと生きていこう。

2008年9月 5日 (金)

日記

今日は一日入院である。
昨夜テレビで胃癌と抗癌剤を放映していたが、何一つわからないままであった。どれだけ胃癌に抗癌剤が有効なのかということに何ら答えがない。末期癌で手術をしない患者にとって、いつまで抗癌剤の治療を続け、どれだけ癌にたいして有効なのかをしりたい。TS‐1+シスプラチンを勧めているが、これも担当医の医師が決めてゆく。私は、医師の方針にそって治療を続けているにかすぎない。点滴をするにも、いま腕に注射針をなんども射さないとうまくいかないのだ。血管が見えにくくなっている。
自然を守る運動が、政治の圧力でなかなか進まない。川崎から羽田まで、道路の建設の予定がある。野鳥の会では羽田に干潟をつくる運動をしている。私が小さいときは羽田はほとんど干潟であった。塩浜からアサリをとりに行ったものだ。でもいまの塩浜は工場だけしかない。京浜急行も小島新田までしかはしっていない。小学生のころ潮干狩りをした頃が懐かしい。
数日前にわが家のまえでキジバトが巣立ちをした。それを見ていると、こころから言葉ではいえない感動が伝わってきた。生きることそのものの感動なのだ。その反面に猫が車に轢かれてそのまま道路に横たわっているを見た。これは見るのが辛い。生と死を素直に見つめてゆくことの中でいのちの大切さが見えてくるものだ。〈死〉にルビーをつければ〈いのち〉ということになる。〈し〉ではない。あくまで死もいのちの一部なのである。死はいのちの終焉では決してない。いのちの不思議さを詩語りで語ってゆきたいものだ。

2008年9月 4日 (木)

日記

昨日操車場16号を八十程の人に送った。製本に一日費やした。一人でなにもかも行なうのは身体的にひんどいものがある。でも毎月発行できるのはありがたい。生きていられる証拠なのだから。今月の詩誌の発行は、大きな赤字になってしまった。パソコンの修理がいつできるのか。なんとかしてお金を捻出しなければならない。
今月は、『詩人の声』がある。稽古を続けていく以外には、よりよいものができない。つねに精進しかない。詩人たちは私の声を聴いて、どうしたらそのような声がだせるのかと問う人が多いが、答えは単純なことである。日々の精進しかない。そして夢を持ちつづけていく生き方をすることだ。日々真剣に生きていられるかが、人に感動を分かち合えるかどうかの分水嶺なのだ。感動を生むことは、生易しいもとではない。オリンピックの選手を見ても解ることだ。メダルを獲ったひとたちは、ひたすら自分との闘いに勝ち抜いた人なのだ。辛い生き方だからこそ、生きる勇気と希望がもてる。
私の詩を載せてみる。操車場16号より。


勇気ある祈り  田川紀久雄

勇気を与えられる人になりたい
そのためには
つねに私に苦難を与えてください
苦難との闘いを生き抜くことで
人に勇気を与えられる人明かりが生まれる

病(末期癌)は私の心を
鍛冶屋が製鉄を叩くように
力強いものにしてくれる

時に悲しく辛いこともある
自分に負けてしまいたくなることもある
でもその心も大切に育ててゆきたい

アウシュビッツの中でも
生きる希望を持ち続けていた人がいる
この世の不幸な人達のために祈りを捧げていた
死は怖いものではなかった
生きること
そして生きる歓びを祈らずにはいられない
その心こそ人のいのちでもある
小さな窓から光は差し込んでくる
小鳥の囀りさえ聴こえてくる

いま私がこうして生きていられるのは
彼等の祈りが私を活かしてくれているから
苦しみや哀しみから

生きる勇気を見出してゆける
聲をたてて笑い会う
友といのちを抱きしめ合い
心の中に温かく明るい光が差し込んでくる
苦しんでいる人の前で
道化のように微笑みを浮かべて
あなたを見つめたい
そして死の苦しみや哀しみが
あなたの生の意味の謎を解き明かしてくれる
熱い涙が
人々の幸せを祈って輝くのを見る
自分のために泣いているのではなかった
病を通じて
大きな豊かな輪が拡がってゆく
その中心に
光り輝く渦を見る

勇気を与えられる人になりたい
私はいまこうして生きている
死の恐怖を越えて
新しい
涙を通して生まれてくる
苦しみこそ私の祈ろう
光り輝く太陽を見つめながら

2008年9月 3日 (水)

日記

私専用のパソコンがまた壊れてしまった。もう直すお金がない。パソコンは便利であるが、故障するとどうにもならない。できたらパソコンは使用したくはないが、仕事上どうしょうもない。印刷もなんども失敗をしてしまった。トナー代も馬鹿にならない。詩誌か参加者が増えてくれる以外、金銭の解決のメドがたたない。
相変わらず歩くとき腰や足の痛みを感じる。
暑さがまた戻ってきた。寝苦しい夜が続きそうだ。今日は操車場の製本に取り掛かれる。

操車場16号

■詩作品
渇きと眠り  坂井信夫
逸話      長谷川 忍
無があるから  田川紀久雄
■エッセイ
新・裏町文庫閑話  井原 修
ゲシタルト心理学との距離  高橋 馨
生き物の賑わい・ナツノミドリ 坂井のぶこ
女性詩人の朗読 田川紀久雄

末期癌日記八月 田川紀久雄
定価500円

2008年9月 2日 (火)

日記

福田首相辞任。全くの無責任である。国民の生活が大変な時期に、辞任するなんて政治家のとる行動ではない。これで国会が開くのが遅れるのではなかろうか。早く経済を立ち直らせていかねばならないのに。
プリンターが故障してしまった。修理には三週間ほどかかるという。これでは仕事ができないので、新しいプリンターを購入する。生活が苦しい中での三万円ちかくの出費は痛い。病院の一日の入院日と同じだ。いま修理代はおもったより高いのだ。変な時代だ。
詩誌を維持するにもお金がおもったよりかかるものだ。これはどこの発行者も同じこだと思う。ある詩誌の発行者は、もう三百万円もつぎ込んでしまったと、私に語ったことがある。だから参加はいい加減な作品を発表してはならない。

2008年9月 1日 (月)

日記

昨日は、気持ちよく語りができた。会場まで行くのに歩くのがしんどかった。でも「いのち」そのものの詩を語ることができて、これからの詩語りの方向が見えてきた。会場では多くの知人たちに会えた。私の身体や声を聴いて、元気でよかった。あなたらあと十年は生きていられるよ、といってくれたが、身体はしんどいのだ。外面的には癌の辛さは人には理解できない。でもいろいろといってもらえるのは有難いものだ。これは生きていられる証拠なのだ。
九月の二十五日に新座で詩語りの仕事が入った。このときは私が一人で行くことのなった。坂井さんは仕事で昼間は休めないからだ。歩くのに大丈夫なのだろうか、とちょっと不安でもあるが。
今日からは九月だ新しい気持で生きていきたい。操車場の印刷を始める。


  天童 大人 プロデュース 
 La Voix des poètes (詩人の聲)
-―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー

 
            9月

第242回9月1日(月) ギャラリー絵夢 有働薫
第243回9月2日(火) ギャルリー東京ユマニテ 建畠晢
第244回9月3日(水) ギャルリー東京ユマニテ 山口真理子
第245回9月5日(金) Star Poets Gallery 四元康祐(ドイツ)
第246回9月6日(土) ギャラリー絵夢 浜江順子
第247回9月7日(日) ギャラリー絵夢紫圭子
第248回9月8日(月) ギャルリー東京ユマニテ 伊藤比呂 美(USA)
第249回9月9日(火) Star Poets Gallery  武藤ゆかり
第250回9月11日(木) Star Poets Gallery 薦田愛
第251回9月16日(火) Star Poets Gallery
 坂井のぶこ

第252回9月17日(水) ギャルリー東京ユマニテ 福田純子
第252回9月18日(木) ギャラリー華  岩切正一郎
第253回9月24日(水) ギャルリー東京ユマニテ
 田川紀久雄&坂井のぶこ

第254回9月30日(火) ギャルリー東京ユマニテ  天澤退二郎

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