日記
癌になったら、癌と共存した生き方がよい。それはお互いに干渉しあわない生き方を求めることだと思う。何も気にせず普段の生活を続けることだ。しかし無理をした生き方」だけは止めるべきである。無理をしない。癌であってもくよくよしない。癌に感謝して生きることだ。相手を褒めてやれば、癌もその気になって身体に悪い影響を与えはしない。そう思うことによって日々楽しく生きること。そのことが癌に罹ったら生き方の秘訣だと思う。
末期癌といわれて、毎月詩語りを行なってここまで生きてこられた。不思議な気がする。
昨日詩が書けた。無の中で生きる詩である。つまりいのちそのもののあり方を詩にしたまでである。これからの詩語りは『いのち』そのものを語り始めてゆきたいと思っている。聴き手と語り手が一つになった世界で語ってゆきたい。
癌はまったく個人差があるので、癌の治療は人には進められない。ただこうした生き方は語ってゆきたい。末期癌でも、生に怯えることなく生きる方法を見つけたひとが寿命で死ねる。だから死に怯える必要はどこにもない。生き抜くヒントは「のほほーん」と生きることなのかもしれない。
グルジアの問題は私には良く解らない。民族の独立は民族にとっての念願であろう。チベットも独立を求めている。民族は他の民族によって自由を奪われてはならない。そのことだけが大切なことである。相手を認め合った本当の自由を求めてお互いに手を結んで未来に生き抜く方法が見出させばよいのだが。
今の若者達は夏目漱石や芥川龍之介もしなない人が増えている。グロバル化の波によって人々は過去の歴史を忘れていく。なにか可笑しな現象だと思う。八月十五日は終戦記念日だ。どうしたらこの戦争体験を次の世代に伝えていけるのだろうか。暑い夏はまだ続く。
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