日記
中島みち著『奇跡のごとく』(文藝春秋)のはじめにの中で次のような文章がある。
『楽な代替療法や民間療法にのめりこみ、あげくの果てに、あれよあれよと拡がるがん病巣が身と心をさいなむ苦しみに耐えきれずに正統的ながん医療の場に戻り、最初に受けるはずであった手術より遙かに侵襲(治療のためにほどこした技術にともなう、患者の身体への損傷)の大きな手術や様々の治療を次々とうけたものの、すべては後手後手となって、死んでいかれた。』
私は手術を拒否して、抗癌剤の治療のみを受けて一年四ヶ月も生きている。最初は末期癌のⅤだと言われ、手術は不可能だといわれた。その後膵臓の部分の癌細胞が消えたので手術した方が良いといわれたが、私は拒否をして詩語りに身体をかけてここまで生き抜いてきた。Ⅴは癌診断にはないという人もいる。しかし私は念を押して聴き返したが、あなたのは間違えなくⅤだといわれた。
細胞診断 Class判定によれば、Ⅰ・Ⅱを陰性、Ⅲ・Ⅲa・Ⅲbを偽陽性、Ⅳ・Ⅴを陽性と読み換えることが可能であるとしている。
西洋医学の大切さはもっともなことだが、東洋医学を莫迦にしたような発言はいかがなものかと思う。癌は原因は習慣病とも言われている。だから個人個人の症状がことなり、治療方法もまた異なる。人の身体は手術しないようにできている。とくに末期癌になって手術しても、次から次へと再発してくる。一種のモグラ叩きに終わる。そこには人の人格など無視されがちだ。人間は部分と闘って生きているのではなく、身体全体として闘って生きている。人にはそのひとの寿命がある。治療だけで人生を終わらしたくはない。あくまで自分の行ないたいことをして生きていたいものだ。長く生きても自分の人生を送れなかったら何の意味もない。最後まで人間らしく生きたいものだ。
癌である場合、どんな治療も試みてもよいのではなかろうか。楽な代替治療云々などといわれてはたまったものではない。確かに西洋医学の成長は目覚しい。しかし、現にその西洋医学でもまだ癌の治療の決定打がない。中島みちは「患者よ、がんと闘おう」と副題があるが、私に言わせれば「癌と仲良く手をつないで生きよう」と言い換えたい。私は西洋医学と東洋医学を受け入れながら癌の治療に当たっていきいている。東洋医学といっても、私の場合、勝手な漢方治療を行っているだけだ。安い漢方の材料を買い込んでそれを混ぜ合わせて飲んでいるだけだ。あとは詩語りに打ち込むことによって免疫力を高めているだけだ。癌の手術をすれば、体力も落ち、詩語りが出来なくなる。大声をだすことは胃癌にとって良いことでもある。
『癌さんよ、ありがとう』という気持で生きていたいものだ。癌になって大きな宝を神様から貰ってような気がする。


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