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2008年7月31日 (木)

日記

今月もなんとか無事に過ごせた。口内炎は相変わらず。口の中が違和感を覚える。そのために大声を出すことが思い切できない。
昨日の世界フライ級ボクシングは見応えがあった。やはりひたむきな練習量が最後にはものをいった。詩人の声もボクシングと同じだ。声を鍛え、自分と闘う気持のない詩人は朗読などしないほうが良い。
次の詩集『生命の歓び』の語りテキストを作成する。作品はまだ半分ほどしか出来ていないが、八月にこれを語ってみたいと思っている。
鈴木良一さんの作品が送られてきた。ありがたい。操車場も15号になる。

2008年7月30日 (水)

日記

癌患者にとって大切なことは夢を叶える生き方をすることだ。それは普通と人の倍の努力が必要となる。それは一人だけで出来るものではない。多くの人達の人明かりがあって可能になってゆく。詩語りは個人的に努力しても、聴きにきてくれるお客が存在しなければ、その努力は泡のように消えてゆく。人と人との係わりの中で夢は叶えられてゆくものだ。
精神的・肉体的なギリギリなところで癌患者は闘ってゆかねばならない。表面的に大丈夫そうに見えても、それはあくまで表面的なことだけである。いま私は喉をいため、口内炎で苦しんでいる。大きく口を開けると、口蓋が痛む。それに口の中に違和感がある。昨日声を出そうと思って公園で稽古をしてみたが、声がほとんど出ない。八月五日のライブまでになんとかなるのだろうか。ライブの前に咳き込んで酷い状態で何度もライブを行なった経験がある。いざ、舞台に立つと不思議にいままで声が出た。舞台に立つと不思議な状態になる。声の神様がきっとなんとかしてくれるだろう。
操車場の原稿が全部そろった。八月三日まで製本にこぎ着けそうだ。操車場は「定期購読」をお願いしています。物価高で送料費がでてこないのです。年12冊で購読料5000円です。詩誌の交換も控えさせていただきます。収入のない私にとって生活そのものがギリギリに追い込められています。是非一人でも多くの購読者を求めています。

2008年7月29日 (火)

日記

朝比奈隆指揮のべートーヴェン交響曲全集・新日本フィルを聴くと、1+1が2である。という演奏がなぜか新鮮に感じる。このなんでもないことが今の若い世代の指揮者にはできない。解説書には『べートーヴェンの音楽にこめられているヒューマニズムの再現と、彼に対する絶対的な畏敬の念である。』と書かれてある。昨夜は蒸し暑くて眠れないので第九を聴いて過ごした。ものごとを真正面から受け止めてそれと闘う姿勢はいまこの時代に求められている。『詩人の声』もまたそうあるべきだと思う。まずちゃんと声を鍛え、その上で丁寧に作品を航空自衛隊が撤退することになった。これは当然なことだ。
昨日の突然の局地的豪雨で増水し死者がでた。いままでこのようなことはなかった。余りにも異常気象だ。地球環境がますます悪化している証拠だ。北京でのオリンピックは排気ガスでとても人間の住めるところではなさそうだ。オリンピックは中止すべきではなかったのか。あれから四川省はどうなっているのだろうか。中国はあらゆる情報を封じようとしている。
私の次の詩語りライブは九月二四日(水)。場所は京橋の東京ユマニテで行なう。私は勘違いをしていた。新宿の『絵夢』だと思っていた。天童大人氏に確認をした。新しい作品と『未来への旅』を語る予定だ。詩人の声253回とは驚くべき回数だ。いま詩人たちは声の自己の改革を求められている。自分の声と真剣に闘っていける詩人だけが『詩人の声』に生き残れる。男性の詩人たちよ、女性詩人たちに負けないように声を鍛えていこう。ここ風邪を引いて声の稽古ができなかったが、そろそろまた始めなければならない。八月五日(火)に横浜の杉田で詩語りライブの予定が入っているからだ。詩語りを通じて私は末期癌と闘い生き抜くことを目指している。

2008年7月28日 (月)

日記

中島みち著『奇跡のごとく』(文藝春秋)のはじめにの中で次のような文章がある。
『楽な代替療法や民間療法にのめりこみ、あげくの果てに、あれよあれよと拡がるがん病巣が身と心をさいなむ苦しみに耐えきれずに正統的ながん医療の場に戻り、最初に受けるはずであった手術より遙かに侵襲(治療のためにほどこした技術にともなう、患者の身体への損傷)の大きな手術や様々の治療を次々とうけたものの、すべては後手後手となって、死んでいかれた。』
私は手術を拒否して、抗癌剤の治療のみを受けて一年四ヶ月も生きている。最初は末期癌のⅤだと言われ、手術は不可能だといわれた。その後膵臓の部分の癌細胞が消えたので手術した方が良いといわれたが、私は拒否をして詩語りに身体をかけてここまで生き抜いてきた。Ⅴは癌診断にはないという人もいる。しかし私は念を押して聴き返したが、あなたのは間違えなくⅤだといわれた。
細胞診断 Class判定によれば、Ⅰ・Ⅱを陰性、Ⅲ・Ⅲa・Ⅲbを偽陽性、Ⅳ・Ⅴを陽性と読み換えることが可能であるとしている。
西洋医学の大切さはもっともなことだが、東洋医学を莫迦にしたような発言はいかがなものかと思う。癌は原因は習慣病とも言われている。だから個人個人の症状がことなり、治療方法もまた異なる。人の身体は手術しないようにできている。とくに末期癌になって手術しても、次から次へと再発してくる。一種のモグラ叩きに終わる。そこには人の人格など無視されがちだ。人間は部分と闘って生きているのではなく、身体全体として闘って生きている。人にはそのひとの寿命がある。治療だけで人生を終わらしたくはない。あくまで自分の行ないたいことをして生きていたいものだ。長く生きても自分の人生を送れなかったら何の意味もない。最後まで人間らしく生きたいものだ。
癌である場合、どんな治療も試みてもよいのではなかろうか。楽な代替治療云々などといわれてはたまったものではない。確かに西洋医学の成長は目覚しい。しかし、現にその西洋医学でもまだ癌の治療の決定打がない。中島みちは「患者よ、がんと闘おう」と副題があるが、私に言わせれば「癌と仲良く手をつないで生きよう」と言い換えたい。私は西洋医学と東洋医学を受け入れながら癌の治療に当たっていきいている。東洋医学といっても、私の場合、勝手な漢方治療を行っているだけだ。安い漢方の材料を買い込んでそれを混ぜ合わせて飲んでいるだけだ。あとは詩語りに打ち込むことによって免疫力を高めているだけだ。癌の手術をすれば、体力も落ち、詩語りが出来なくなる。大声をだすことは胃癌にとって良いことでもある。
『癌さんよ、ありがとう』という気持で生きていたいものだ。癌になって大きな宝を神様から貰ってような気がする。

2008年7月27日 (日)

日記

昨日、水道橋にある「f分の1画廊」に行く。丸田記久子さんの版画展を見る。以前新座のときのライブでお世話になった。画廊の舘野さんからカンパを頂く。それから矢来町に行く。島村洋二郎展をアユミ画廊で見る。洋二郎の自画像は素晴らしい。久しぶりに島村直子さんともお話をする。偶然に真神博さんにお会いする。彼も病にかかっている。心臓が苦しくなってこまると言う。それに事業もいき詰まっている。詩誌の発行も大変。みんな大変な思い出生きている。土曜美術社の高木社長ともあう。三人そろって写真を撮る。
八月一日から銭湯がまた値上がりをすうる。430円から450円になる。川崎臨海地区の銭湯は、貧しき人々が行くところである。いろんな物価が値上がりしている。そのうえ銭湯まで値上がりでは貧しきものは生きていけない。夏の暑さ普段の季節より入浴も多い。私もこれでは週に二回ほどしか行けなくなる。生活保護が受けられない以上、貧しくても勝つまでは負けられませんの生き方しかなさそうだ。嫌な言葉を思い出したものだ。医療費を払うと生活費がゼロなのだ。どうして生きていけばよいのだろう。
国会も早く開催すべきなのに、自民党は何も動こうとはしない。後期老齢者保険は廃止にすべきだ。国民の生活を莫迦にした制度があまりにも多すぎる。認知症の介護も認認介護の時代になっている。国はそれに対して打つ手がない。金のかかることには無関心なのだ。これでは政府としての役目が何も果たせない。政府としての存在価値がないのだ。困ったものだ。老人になる前に死ねということでしかない。
癌にかかっている私は「死」と「生」についてもっと語るべきなのだ。死への豊かさも忘れてはならない。決して死は不幸な出来事ではない。死をまっとうする生き方こそ大切なのだ。
生活に負けずに生きていくしかない。私よりもっと不幸な人達がこの世には多いの。そのことを忘れずに生きていることだ。日々のいのちの大切さを噛みしめながら。
詩集受贈『平出鏡子詩集・おんぼろ路』(新風舎)

2008年7月26日 (土)

日記

午前中に退院する。昨日は抗癌剤の治療とCTの検査を行なった。点滴は夕方の七時前に終わった。
川崎の「平和無防備都市条例案」は多数反対で否決された。私も署名に参加したが、見ていて署名運動が消極的に思われた。説明がほとんどなされないで署名をお願い済ますではほとんどの人は署名などしない。運動事態が消極的であったと思う。それにしても賛成は一票とは情けないね。反対が61とは驚きだ。戦争をしらない世代の市会議員ではどうにもならない。私の最初の思い出が川崎に落とされた空襲爆弾の記憶なのである。そのときは昭和電線前にいた。だから絶対に戦争は二度とさせてはならない。今これからの福祉を守る運動と戦争反対の運動は続けてゆきたい。そして癌とともに楽しく生きる運動も個人的に行なってゆきたい。
病院で薬が一つ手渡されていなかった。朝そのに気づいたが、退院する時間まで出せないとのことであった。うがい薬なので街で買って使ってもらいたいとの看護婦からの話で終わった。私もうかつだった。でもこれが大切な飲み薬であったらどうなるのだと言いたい。病院側のもういちどの点検が必要ではあるまいか。相手は病人なのだそのことをわすれてはならない。
鶴見和子さんの癌で亡くなったときの記録を自費出版される。自費出版なので入手は困難なのだろう。だれか手にいれる方法を知っている方がいたら教えていただきたい。

2008年7月25日 (金)

日記

今日また一日入院日である。
『いのち』とはなんであろう。それはまさに今生きている自分自身のことである。おまえ本当に生きているのかと問われたら、何人の人が自分の人生に満足しているのだろうか。いのちとは、ほんらい今の満足している姿をいうのではなかろうか。
私は末期癌を宣告されたと時、それを素直に受け入れた。そしてそのことによってもっと前向きになって生きることができると思った。それは詩語りをもっと本気になって行なって生きたいと心の中から叫ぶ声が聴こえてきた。そして、それをそれなりに実践して生きてきた。いのちとは、自分が自分らしく生きられることを命というのではなかろうか。だから末期癌なんか少しも怖いと思ったことがない。人間はいつの日にか誰だって死ぬのだから、別に末期癌だからといってそれほど騒ぐこともないのではと思った。素直に今の状態を受け入れて生きていくしかない。お客はそれほど集まらないが、相棒と一緒に行なえることは今生きている上に大きな生き甲斐を与えてくれるものである。身体はそれほど無理はできない。普段は本を読んだりして身体を無理に動かさないようにしている。ここ二週間喉の痛みで稽古が出来ないのが辛い。自分の声の力を磨くことによって、自分が今生きていることの実感を感じる。これはまさにいのちの鼓動なのだ。生きる歓びを人に伝える唯一の私の方法なのだ。詩人の朗読会は、仲間しか集まらない。これにはまいっている。何とかして見知らぬ人まで招き入れたいものだと思う。それにはもっともっと声の力を身に付けるしかないのだろう。喉の痛みと咳が止まらないでいる今の自分がもどかしく感じる。
今日小川英晴氏のライブを聴きにいけないのが残念だ。彼は予約を70人以上集めたという。ある意味ではうらやましい。これだけの人が私のライブにも集まれば医療費が賄えるのにと思う。でも彼は彼であり、私は私なのだ。
今日から矢来町で島村洋二郎展が行なわれる。飯田の井原修さんの近所に洋二郎は住んでいた。その近くに坂井信夫さんも疎開していたという。そしてこの度の展覧会の案内状は私の詩集を作ってくれる保坂成夫さんの所だ。そして水野さんが島村直子さんとの縁続きだと言う。不思議な繋がりである。漉林書房と深い関係のある人達である。

2008年7月24日 (木)

日記

岩手で地震があった。震度6強である。夜中部屋が揺れるので飛び起きた。仏壇の鉦がなるのだ。また誰かが亡くなったのかと思った。咳は相変わらず止まらない。そして今朝は眼が腫れている。
野間明子さんから詩の原稿が送られてくる。野間さんの世界は私にはよく解らないが、読んでいて楽しいものだ。彼女は相変わらず扁桃腺で苦しんでいるようだ。『操車場』の人達は次々と病人になっている。これは私のせいではない。個々に身体に気をつけてもらうしかない。世の中の不景気と、夏の異常な暑さが原因なのかもしれない。物を書く人間は、書くことがなくなってからが本当の勝負なのだ。そこが才能があるのかないのかを試されている時なのである。気分で書けないようでは、人に感動を与える作品jは生まれはこない。ものを書いていくということはいかに大変なのか。そのことを知って作品と向き合うことだと思う。
昨日は下痢をした。それほど食べ物を食べていないのに。夏の暑さに胃もまいってしまったのかもしれない。相棒も相変わらず咳がひどい。二人して咳のオンパレードだ。免疫力の本を読んでいると、まるで禅問答のような気がしてくる。免疫力を高めるには無の心になること以外にはないのかも知れない。そして宇宙の気を自分のものにしていくことである。病気の現場だけを観るのではなく、人間全体を見ていかないと癌は治らない。癌は本当に厄介なものだ。それと仲良く生きているのもある意味ではしんどい。ほんとうはしんどいと思ってはいけないのだろうが、しんどいものはしんどい。それを素直に受け入れて生きているしかない。

2008年7月23日 (水)

日記

風邪で喉が相変わらず痛む。いつもの風邪とは違う。もう一週間も喉の痛みが続いている。冷房のせいなのかもしれない。といいて冷房をとめては夜は眠れない。川崎の外の空気は石油に匂いがする。それに蒸し暑い。八月五日のライブまでは何としてでも直しておきたい。私の相棒は空気の良いところに住みたいという。部屋の下の住人は朝から喘息で咳をしている。
無差別殺人が起こる。身勝手男のために殺された人はあまりにも気の毒だ。人の生命の重さは自分より重い。簡単に人を殺してしまう。相手の人生を思いやる想像力があまりにも欠如している。本が読まれなくなっている。そのことも大きな原因なのかもしれない。それにしても今の文藝はすこしも魅力がない。過去の世界文学を読むことが良いのではなかろうか。集英社から出ている『世界の文学』を古本屋で少しづつ集めている。いつの日にかゆっくりと文学に浸った時間を作りたいと思っているからだ。
昨日若林さんからコーヒーの粉が送られてきた。それにDVDの購入もあった。詩誌『光芒』のあとがきを見て田川さんのことではないかと思って送られてきたのだ。彼女は『各駅停車』という詩誌を発行している。なかなかユニークな詩人なのだ。人に読ませる文章が書ける人だ。いまの詩人の文章は自分勝手で読者意識に欠けている。朗読にしたって声を鍛えていない。生の声で朗読の現場に立ってしまう。そしてその後の弁解があきれることが多い。詩人は生の声の方がいいのよ。鍛えた声ではみんな同じに聴こえてしまうわ。などと平気で言うのだ。声を発することの意味が何一つとてわかっていないのだ。特に女性詩人がこのようなことを言うのが多い。「私の声にのって皆さんと声の旅をしましょう」などといってもらいたくはないものだ。声は声に始まって声に終わる。しかし本物の声は声が終わったところからもう一度声の旅が始まるのだ。そのような声にはまったに出会うことがない。今日の朝日新聞の「音楽展望」(吉田秀和)がブレンデルの引退のなかでも同じことがピアノの音について述べている。心に残る音は、努力と才能が生み出すものだ。かつてのリヒテルすら毎日六時間もピアノの練習をしていたという。才能のない私ができることはひたすら稽古に励むことだけだ。稽古もしない詩人の声に引き連れることはない。もし褒めた人がいるとしたらお友達にお世辞を言われただけのことなのだ。
早く風邪を治してまた稽古に励みたいものだ。
詩誌受贈『各駅停車・24号』『柵・260号』
詩集受贈 中正敏詩集『いのちの籠・2』

2008年7月22日 (火)

日記

風邪を引いてしまった。夜中は激しい咳に悩まされる。喉が痛む。今年の夏の暑さは異常だ。冷房をすれば、身体に悪い。といって冷房をしないと夜は眠れない。私の相棒も同じ症状だ。二人して咳に悩まされている。彼女は今日仕事に出れそうもない。彼女はパートなので一日休むと収入に大きな開きがでる。
生活保護申請は45%だという。私が生活保護の申請に行っても相手にしてもらえない。川崎市でも最初から人数が決まっていて誰もが受けられないようになっているとしか思えない。今のところ友人のカンパなどで生活の足しにしている。彼女の収入十万円程度では、医療費を払ってそして日々の生活をしてゆくには無理なのだ。一年あまりで預金をほとんど使い果たしている。これから先が不安でならない。貧しさもここまでくると笑って生きていくしかない。癌と闘いに、詩語りの精進に生きている。誰にもまけない魂の声を掴みたいと思って生きている。ライブでお客様が一人でも多く来てくれることが生活の足しになる。といって詩の朗読には、ほとんどお客が集まらない。当分苦しい生活の中で本物の詩人に成長してゆくことだ。
中国ではいたるところで暴動が起きている。これで本当にオリンピックが出来るのだろうか。私はオリンピックは見ないようにしたい。

2008年7月21日 (月)

日記

いま紙が豊かに使われているのは、外国からの木材の輸入によってである。そのためおおくの森林が伐採されている。環境破壊の原因を作ってもいる。豊かさが地球を滅ぼす。環境を取り戻すためには貧しさに耐える精神が必要になってくる。ルソーによれば、貧しさは子供の頃に教えるものだ。しかしいまの日本人は子供の贅沢三昧をさせてしまっている。子供も大人も、なんでも自由にてに入ると思い込んでしまっている。そのため自由にならなくなると精神が切れて犯罪を犯すようになる。癌が増えたのも贅沢三昧の生活になれてしまったお陰である。癌になっていろいろと気づくことがある。医療費を払うので生活が逼迫している。贅沢などできない生活に追い込まれている。物が欲しくならなくなる。そうすると心が自由になる。いま私は貧乏を楽しんで生きている。本当に癌になってよかった。環境を守る一つの生き方ができるからだ。本を読むにしても百円の本を月に五冊程度買えばそれ十分だ。私の仲間で古本屋をやっている人がいるが、彼は本を買いに来る人がいないと言う。いまこそ本当に勉強しようと思えばそれほどお金がなくても勉強できる。先日ある古本屋で岩波書店発行の資本論全四巻が千円で売られていた。今の人は哲学書すら読まなくなってしまったのだろうか。
物価が上昇しているにもかかわらず、街を歩けば物の豊かさに驚く。そして若者達は自由気侭に青春を謳歌している。この物価の上昇に国民は黙っている。先日の魚民のデモぐらいだ。それもたった一日の出来事だ。そしていま赤字覚悟魚場に出かける。国は何ら対策を示さない。
詩人の朗読も、心の叫びを感じさせる人がいない。物を豊かに買うかのような気持で朗読の場に臨んでいる。魂の声は、真に真剣に生きている人でしか出来ない。そして日々の研鑽に身を追い込んでいかねば出来るものではない。声の存在は、生易しいものではない。先日CDで『スラム』という映画を見た。日本のオープンマイクのようなものだが、声に生きている熱を感じさせないものはやはり聴くに与えしないものだ。
末期癌でも魂の叫び声をあげて生きていられる。身体の辛さを越えて声を出して生きていたい。

2008年7月20日 (日)

日記

フランスで相次ぐウラン漏れの事故があった。危険度の高い事故ほど情報公開が遅れる。これはどこの国でも同じだ。人間の本能として隠したがるものだからだ。だから原子力発電は安全だとはいえないのだ。天然ウラン約74キロをふくむ廃液がタンクからあふれた。そして地表や周辺の川に流れ出た。(朝日新聞の記事を参考)フランスでは電力はすべて原子力発電なのだ。この事故によって原子力施設の存在が揺らぎはじめた。癌を患っている人間にとって核の恐ろしさは普通の人の数倍も敏感になるものだ。
日本では町田の里山に開発計画がある。球丘陵は本当に沢山の自然がまだ残っている。東京でも貴重な地域である。日本は大手不動産によってどれだけ自然が壊されてきたか。またこの自然を切り崩して住宅をたてる計画なのだ。京王電鉄は何を考えているのだろう。いま自然環境が問題視されている中で、自然を破壊することは許されないはずだ。今の日本は何のモラルもなければ未来のビジョンも打ちたてられない。中国や韓国を批判している場合ではない。
昨日いつも行く公園で蝉の鳴き声を始めて聞いた。公園に樹木が多いことはそれだけでも人間の心を慰めてくれる。子供達の犯罪行為があまりにも多くなっている。平気で親を殺すことができるなんてとても信じられない。いままでの教育がどこかであやまっていたのだ。大分の教育の現場を見れば最初から学校の先生など信じられない。私も先生には酷いめに合っている。学校の先生だけは信じないできたものだ。詩の世界に入ってみるとい詩人といわれる人達に先生になっている人が余りにも多すぎることに驚きを感じた。詩人の生き方とは何なのだろう。

2008年7月19日 (土)

日記

午前中に退院する。O医師から胃カメラの写真を見てももらう。いくらかの説明を受ける。しかしCTのフィルムは見せて頂けなかった。そのうちまたDTを撮ってみることにしたいとのこと。医師は患者の部分をみていては末期癌者には意味がないことを痛感する。ただよ気に良い医師だけでは、もう医師としては勤まらない時代になっている。心のケアが出来ない医師は現代の病気を治すことができない。癌は医師が治す病気というより、患者自身に治させるように仕向けていくことが大切なのである。患者が前向きの姿勢で病魔と闘っているのなら、それに尽力を添えることである。ホロトロピックのように、癌に効くといわれる治療をどんどんアドバイスできる病院が必要になってくる。保険料のかさばらない治療はいくらでもある。東洋で言う未病対策が必要なのである。患者が入院したときぐらい、その患者の身体に触ることが大切なのだ。身体に手を当てながら生きる勇気を与えられる言葉が言える医師は優れた医師と言える。現代医療ではますます、患者に言葉を書けることが少なくなってきている。ナース室に医師がきてもパソコンばかりいじっていて、患者のいる病室にはこようとはしない。これでは患者が不満になるのはあたりまえ。患者が医師になにをいっているのか一度聞いてみることだ。看護婦さんの優しさより医師のやさしを患者は期待している。そのことがなぜ医師には解らないでいるのだろう。
声を出して生きる勇気をあたえられる治療を無料(ボランティ)で行なってみたい。思い切って声を出すことによって免疫力がついてゆきます。その場合詩の言葉を通じて行なうのが一番良いのですが、大切なのは自分の心にあった詩を選んで声を出すことです。そのときもできるだけ大声で行なうことです。医師から見放されても、癌では死なないものです。生きるという勇気をもつことがその人の寿命まで生かさせてくれます。といいえあまり頑張る必要はいらないのです。あくまでも自然体が大事なのです。できたら自分で詩を書いてみて声を出して読んでみることです。そのうち私と一緒に行なえ場所を見つけてやってゆきたいと思っています。癌は医師が治す病というより自分の力で治せる病なのです。そのためにはいろんなものを利用することです。西洋医学も東洋医学も受け入れていくことです。あきらめないでゆっくりと生きることが大切なだけです。

2008年7月18日 (金)

日記

昨夜は熱帯夜でほとんど眠れなかった。クラーで喉を痛めてしまったようだ。一晩中咳をしていた。
今日はまた一日入院の日である。いつまでこの治療が続くのだろうか。昨日エッセイ『詩人の声』を書くことが出来た。
二十四年前夏の甲子園で優勝した取手二の投手であった石田文樹さんが直腸癌で亡くなった。決勝でLP学園を破った。彼はまだ四十一歳の若さであった。
そして今日にニュースは野茂投手が引退した。十九年間も投げ続けてきた。アマチュアの球団にも力をいれ、野球の貢献に尽力してきた。ごくろうさんといってあげたい。
私がスポーツで努力してきたのは剣道ぐらいだ。身体が弱かった私は剣道をすることによっていくらか丈夫になった。しかし、癌になってしまった今は木刀を振り回すことができない。今の日本の野球やオリンピックのスポーツにはまったく興味がわかない。オリンピックは取りやめにすればよいと思っている。人権問題が解決されないでオリンピックを開催することには疑問が感じる。テレビ番組を見ても観たいと思うものがほとんどない。くだらない番組ばかりだ。いつも見慣れた顔しか画面には写っていない。これも放送局とプロダクションの癒着だ。いま自分の眼を鍛えることが、この時代を生きている証に繋がる。
私にとって末期癌者としての眼ができつつある。癌になって悪いことばかりではない。それなりに楽しく生きていけることもある。自分の眼をもっと研ぎすまさなくてはならない。一日一日を大切にして生きていくことだ。身体はしんどいが心は楽しい。末期癌者は、手術をしてはならない。再発してモグラたたきのような手術をしていけば、癌でなくなるのではなく手術の結果身体が弱って亡くなるだけだ。西洋医学は、人を殺す治療である。といってすべてが悪いのではない。そこを見極めて生きることが大切なのである。

2008年7月17日 (木)

日記

穂谷尚敏氏から本とカンパを頂く。本は『ステージ4宣告されて』と『信濃路の山頭火』である。末期癌になって手術をするとは何事だと言いたい。手術をすれば当然転移現象が起きる。どこの医師もすぐ手術だとわめきたてる。そうしないとあなたはすぐにでも死んでしまうという雰囲気で患者を脅すのである。人間の身体は手術するようには出来ていない。そのままの身体で治すように出来ているのだ。西洋医学では末期癌は治らない。自己の生命力だけが癌と向き合えるものである。日々癌と向き合って生きていくのはとてもしんどいことである。ちょっとしたことでも疲れやすい。それにいつも身体のどこかが調子が悪く感じてしまう。クラーをちょこっと入れただけでも私は風邪をひいてしまった。今朝喉が痛む。これから熱帯夜が続く。自然の涼しい場所で生活をしたいものだ。最高の贅沢だろう。この夏は猛暑が続きそうだ。地球の温暖化はますます広がってゆく。
インドで毛沢東派がテロ行為を行なっている。ネパールではチベット民族を迫害している。ネパールの毛沢東派はとても信じられない。本当の平和がネパールに訪れるのはいつの日になるのだろうか。
役者や歌手の人達が癌に犯されている報道が目立つ。癌対策がまだまだ不自由分だ。国家の全力をあげて癌対策と取り組む必要があるのに、すこしも対策が打ち出されてこない。西洋医学だけでは癌は本当には治らない。人間全体を考える医療を取り組む必要がある。末期癌になって、何処にも心の問題を相談するところがない。精神的なケアがなされていないのだ。これから癌は二人に一人はかかる。地域的に癌を支える場所を設定してもらいたいものだ。一人で癌を引き受けてしまうと、精神的にもまいってしまう。それを少しでも解放したいと思って私は詩語りライブと取り組んできたのだ。これからは末期癌ンについてもっと語ってゆくことが大切なのだろう。

2008年7月16日 (水)

日記

昨日胸が苦しくなり一日中寝て過ごした。少しでも動くと息が切れて苦しくなる。今年の夏はいつもの年より暑くなりそうだ。病人にとっては辛い季節になる。語りの稽古もこの暑さでは思うように出来ない。
漁民の一日休業が昨日行なわれた。農林省ぼ若林大臣は、全くの無能だ。それ上の無能者が福田総理だ。防衛費や皇室の予算をいくらか削れば2兆億円は簡単に浮くはずだ。国民の苦しみをただじっと見ているだけではますます政治不信になっていく。予算がないという理由をつけて政府は何ら対策をたてない。本当に国民のために行なおうと思えば、いくらでも可能性はあるものだ。国土省の天下りで税金を勝手に使われているのは許せない。天下りで談合を行なっている法人はすぐに廃止しすべきだ。
CDで新しいHybrid SACDはいままでのCDとは音が違う。材質も液晶パネル用のもので作っているらしい。まるで生の音を聴いているような感じがする。中古店で輸入盤を買うと千円以下で買える。これなら月に一枚程度は買えそうだ。それんじしてももう少し良いスピカーを買いたいものだ。中学生時代からクラシックを聴き、名曲喫茶店まで開いた私は、死ぬ前に優れた音で音楽を楽しみたいものだ。末期癌にとって音楽療法は免疫力を高めてくれる。Hybrid SACDで聴くと指揮者の音作りが良く解る。しかし熱のない指揮では聴いていてもつまらない。やはり人間の生きる強さと熱が込められていないと聴くにあたえしない。美しいだけでは物足りない。ほんものの音楽を聴きたいものだ。そのような気持が詩語りにも役立つ。心臓が確かに弱ってきている。その中で声を持続していくことは、そうとうの努力をしていかなくてはならない。その努力を支えてくれるのがライブに足を運んでくれるお客様なのだ。しかし、それにしても聴きに来てくれる人は数人いるかいないかなのだ。とても寂しい。
詩人達よもっと人の声を聴くことだ。そして他者の声から詩人の声を学んでいかなくては声が成長していかない。そして朗読をしない詩人たちも、声を出している詩人たちを応援すべきだ。詩そのものの文化が低すぎる。また朗読する詩人たちももっと多くの詩人の声を聴きに出かけることだ。『詩人の声』行なっている詩人たちも自分の声ぐらい録音して勉強すべきだ。

2008年7月15日 (火)

日記

西洋医学はどうしても目先の問題だけを対処する。末期癌の場合は、全体を考えて治療していかないと病気はよくならない。日本の病院にもホロトロビック医療を行なう病院が数箇所ある。人間が人間として生きて死んでゆく中で、これからの医療は人間の全体を考える医療でなければならなくなる。しかし、いまの国民保険制度では、人間の全体の治療をゆるされない。認知症や、脳卒中などは、治療の切捨てが始まっている。つまり病院の盥回し現象がおきる。
今の福祉政策がどんどんなし崩しにされてゆく。これでは福田内閣の支持率が低下するのもあたりまえだ。今日の朝日新聞には低迷24%とある。この現象を生み出した張本人の小泉元首相には、国民の批判がほとんど向けられていない。改革という名の許で、国民生活を脅かしているのだ。国会議員を減らすことが必要である。この改革には誰も手をつけようとしない。国民のことを真剣に考えて行動している議員は何人いるのだろうか。この国のことを思うと安心して末期癌者は死ねない。人間として闘いぬく生き方こそ癌患者の姿でありたい。そのことによって、癌の治療にも効果がうまれる。
九月のライブは二四日ギャラリー絵夢で行なわれることが決まる。

2008年7月14日 (月)

日記

昨日、横浜中華街にいく。漢方を買いに出かけた。身体に免疫力をつけて、魂の叫びの語りを行ないたいからだ。
昨夜も、あまり眠れなかった。
東海道線の中で美しい光景にであった。それは知的障害者をボランティアの人が自分の子供のように愛情を注ぎ付き添っている姿をみた。まるで親子だ。障害者はダウン症である。大声を出している。それを包み込むように抱いている。まるで神の姿を見ているようであった。その電車の中でその場だけが輝いていた。生きているということは、一対一の真剣勝負なのいだ。人間同士が触れ合うということの原点を見た。
障害者や認知症そして癌患者は、社会が支えあって生きていかねばならない。そのような世の中がくることを願う。しかしこの物価高の影響で福祉政策が置いておきぼりにされかねない。個人だけが苦しむ世の中は、やはり間違っている。
ネパールでもいま犯罪が増えている。以前より社会が良くなったというが、庶民の暮らしはまだよくはなっていない。日本も治安がますます悪くなっている。日本の場合は政治的というより個人のモラルの低下が原因だ。社会と共に生きるという精神が失われかけている。末期癌者が命を賭けて詩人の声を出してゆくことが今の私の仕事なのだ。詩人の声で人に生きる勇気と生きていることの感動を伝えてゆきたいものだ。

2008年7月13日 (日)

日記

昨日は一睡もできなかった。夜中中音楽を聴いて過ごしてしまった。それにしても寝苦しい夜であった。眠れないのは抗癌剤のせいなのだろうか。ブレンデル(ピアノ)の演奏でベートーベンの33の変奏曲は素晴らしい演奏だ。このCDは『ライブ1968-2001』の二枚組み収められている。
新聞の記事で『政府は北京で15、16両日に8年ぶりに開催される「日中人権対話」で、ハンセン病患者を入国禁止とする北京五輪組織委員会の出入国指針について見直すよう中国側に要請する方針を決めた。中国は五輪期間中に限らず、ハンセン病患者の入国を原則拒否しているが、日本は「医学的な根拠がない」と主張する。政府筋が12日、明らかにした。』とある。中国はチベット人問題でも、ハンセン病患者の入国拒否も人権に対して無理解である。このような問題が解決されない以上、中国は開けた国家には永久にならないだろう。
先日のライブである人に案内状を送ったら、父親が具合が悪いので家からでられませんとの返事がきた。しかし前日のライブ(野村喜和夫)がやっている時には来ていたのだ。現代詩手帖派の人間には詩人は媚びる体質が今でもある。こんな詩人がいるから詩人は世の中から莫迦にされるのだ。人間は正直に生きるべきだ。
今の図書館は、貸し出しの多い本しか置いていない。図書館の本当の機能をはたしていない。これでは私などいっても借りたい本が見つからないのも当然だ。哀しいことだ。世の中は本当に狂っている。
ガソリンの値上げで、人々の財布の紐がきつくなってきている。消費が落ち込めば、会社が潰れるところも出てくる。つまり失業者が増える。アメリカではガソリンを一三〇円で売っている。日本では一八〇円だ。政府はなんら物価高に対して手を打つことをしない。国民はますます苦しくなるだけだ。私も自然食品の野菜は、買えなくなってしまった。収入のない私にとっては辛い。
鈴木東海子さんからのカンパで、昨日の病院代を払えることが出きた。人の心の温かさを身に染みるこのごろだ。一日でも多く生きたい。そして人明かりになれる仕事をしたいものだ。私の生活援助は詩語りライブに来てくれることが最大の力になる。だからこそ元気な声をだして人明かりの語りに懸命に努めていける。

2008年7月12日 (土)

日記

午前中に病院から退院する。看護婦から医師にCTや胃カメラの結果報告をしてもらうように頼んだ。やはりちゃんとした報告がないのは心配だ。
レバノンで昨日(十一日)与野党の妥協を図って挙国一致内閣の組閣が発表した。いからか前進した。世界各国がほんとうの平和を目指して前進してきたいものだ。
日本では何処もかしこも癒着(教員の試験の口利き)でどうにもならない。それに弱いもの虐めがあいかわらず横行している。いくら倫理観といっても、今の教育制度ではどうにもならない。
鯨問題ではなぜ、日本人は鯨を多く食べるようになったのは、日本文化だけの問題ではない。戦後の食糧難からである。一頭をとれば沢山の肉や脂が取れるからだ。外国では油を取って肉類は全部捨て去っていた。マッカサー・ラインの設定が解除されてからは、日本が世界でも最大の捕獲量となっていった。私個人的な考えでは、鯨をとらなくてもいいような気がする。
退院しが、急に暑さが増してきた。部屋にいても暑い。身体に気をつけながら生きていくしかない。無理をせず、のんびりと生きていたい。

2008年7月11日 (金)

日記

今日は一日入院日である。いつまで続くのか解らない抗癌剤の治療だ。精神的にきつい。
今日は世界人口デイーである。いま世界の人口は六十億を超えている。二〇五〇年にはやく100億近い人口になる。CO2の問題も、理想的には削減ができないだろう。そして食料の問題も危機的状況に追い込まれかねない。いまの豊かな生活をむさぼっていては日本は滅びてしまうだろう。福祉政策の問題を本当に真剣になって国民全体で考えてゆかねばならない。今年の税入も予想をはるかに下回る。そうすればますます福祉政策は縮小されていくだろう。
先日の出版記念ライブのDVDを制作している。一年過ぎてやっと元の声に戻ってきた。そして語りにゆとりも出てきた。これから語りも楽しくなってゆく。身体に気をつけてゆけばそれなりの詩語りができる。メモリーが一つ一つと増えてゆく。これからも『生命の旅』を語り続けてゆきたいものだ。

2008年7月10日 (木)

日記

昨日見知らぬお客様が六人も来てくれた。そして思わぬ人まで見えた。そのひとは鈴木東海子さんである。そしてカンパ代まで頂いてしまった。これで今月の医療費はまかなえる。ありがたい。自分としても今までない最高の語りが出来たと思う。操車場からは坂井信夫さん、野間明子さんが見えてくれた。それに身体の悪い小川英晴さん、それにワシオトヒシコさんも見えてくれた。次の詩語りライブは九月二十九日(月)ギャラリー絵夢で行なう予定である。
サミットは終わった。いったい何が決まったというのだ。貧しい国を置き去りにした先進国の勝手な話し合い。各国の思惑で先が見えないサミットであった。生活がますます苦しくなっていく。今日本の政治家がどれだけ国民のために働けるかが問われている。軍事費の削減でいくらでも福祉政策が可能になる。だれも軍事費のことはいわない。無駄な戦車。無駄な戦闘機、いくらでも削減ができる。老人福祉のために無駄な軍事費を福祉に投入してもらいたいものだ。
今日は飯田橋まで高橋彰さんの個展を見に行く。
詩集受贈 呉美代詩集『大樹よ』

2008年7月 9日 (水)

日記

堀本恭三さんから手紙とカンパを頂いた。手紙の文面に七十三歳の人が私と同じように胃の末期癌である。その人は自分の意思で抗癌剤の治療をやめた。そして一年過ぎても元気で生きていることが書かれている。癌には個人差が多様なので勧められないともかかれている。
赤萩栄一著『がんの治療をやめるとき』(保険同人社)のは、抗癌剤を中止して二年すぎてから癌が急に大きくなってきたことが書かれてある。
抗癌剤を中止することはまるで博打をおこなうようなものなのだろうか。私も、身体が耐えられなくなったらやめるつもりだ。
末期雄癌を宣告されて一年三ヵ月を過ぎた。これが抗癌剤の効き目でこうして生きていられるのか、それとも自分自身の生命力がここまで生かさせてくれてきたのか、本当のところ何も解らない。歩くのが辛いのは、抗癌剤のせいなのかそれとも背骨の歪みからくるせいなのかそれもわからない。何も解らないで私はこうして生きて詩語りライブを行い続けている。
ライブを行なうことで大切なことは、お客が来る来ないを気にすることより、今まで精進してきたものを全力でお客様に披露することである。たった一人のお客でも心をこめて語ることである。この詩の世界では、良い語りを行い続けてゆけばお客が増えていくという保証はどこにもない。でも今の私には詩語りが生きているうちに一度でも多くできることが有難い。今日はライブの日だ。『生命の尊厳』を思い切って語ろう。新宿では昔歩行者天国のとき、路上ライブをずいぶんとやってきた。新宿で行なうことは数十年ぶりである。
新国立劇場の芸術監督問題で揺れている。任期が三年では短すぎる。せめて五年間は必要に思える。運営財団は、もっと監督の自由に任せておくべきだ。
いま私の生活は、人のカンパなどで何とか治療費をまかなっている。情けない話だ。そのためにも詩語りで恩返しをしたいと思っているが、それも出来ないでいる。もっと詩語りの出前の仕事が欲しいものだ。いろんな人達に助けてもらって生きている。いまは、それを素直に受け入れて生きていく以外にはないのだ。

2008年7月 8日 (火)

日記

車谷長吉著『世界一周恐怖航海記』(文藝春秋)を読む。高橋順子さんはよく車谷さんと結婚したものだ。男と女の世界は解らないものだ。高橋順子さんとは一度あっている。大西さんに紹介された。神保町の裏通にある地下の喫茶店(ペコ)で。そのころまだ高橋さんは青土社の社員であった。作家になるには世捨て人になるしかない。詩人もそうだと思う。私もほとんど会社務めをしたことがない。車谷さんのように板前の経験はある。仕事らしい仕事をしたことがない。若い頃は、いつもこんなことをやっていて良いのかと自問自答して過ごしていた。といって詩人になろうと思ってもいなかった。といって絵描きにもなりたいとも思わなかった。絵を本格的描き始めたのが宇野マサシにあってからである。足立にいたころ彼は毎日のように私の所に来ていた。そして浅草に飲みにでかけたものだ。金もないのによく飲みにでかけたものだ。金がないから飲めたのかもしれない。矢野文夫さんにも長谷川利行のいきつけの浅草を案内してもらった。何か懐かしい。昨日テレビで『あんどうーなつ』を観たからかもしれない。この物語は浅草の下町の和菓子屋の物語だ。
浅草は小さい頃からよく親に連れられて行ったものだ。浅草に親戚があったせいもある。エノケンの芝居も観た。瓢箪池でも遊んだ記憶がある。
いま末期癌になって、思うことは生きて語りを行いつづけたいということだ。下手な芸でも日々精進をしていれば、それなりの味が出てくるものだ。幼いとき病弱であった私は、言葉も上手く話せなかった。人前で自由に話せることが夢だった。その夢がいまはそれなりに出来るようになってきている。生きることは苦しみである。その苦しみと向き合ってきたのがこの詩語りである。浅草で多くの芝居を見て歓びを知った。そして私も人前で、人に感動を伝えてみたいと無意識に思っていた。芝居でなく、詩語りに打ち込んだのは、一人で出来るからだ。この夢を末期癌になって、より深めた境地で語りができるように努めたいと今は思っている。そして末期癌でも生きようとすれば、それなりに人生の歓びを見出せる。困難の状況に合うことによって、より人間になってゆく。そして人明かりの人生を見出してゆきたいものだ。
明日は新宿のギャラリー絵夢でライブを行ないます。一人でも多く方に聴いてもらいたいものです。

2008年7月 7日 (月)

日記

昨日の日米の会談はなんなのだろうか。福田首相の太鼓持ち。太鼓持ちならそれなりの芸ができるのに、何にもできない素寒貧。アメリカには何も言えない悲しきピエロ。千歳空港をすべての飛行機を停めて着陸する。まるで悪の皇帝さながらだ。
昨日川崎に出かけようとしたが、足が動けない。腰や膝の痛みで参ってしまった。表面的には丈夫そうな身体なのだが、中身はボロボロなのだ。
私の詩は一口で言うとどのようなものなのか。それは「生き様を表現してきた」というしかない。それは普通の詩人からみると野暮ったい世界であろう。私に言わせれば生き様のない人間が詩を書いて何の意味があろうかと言いたい。石川啄木、中原中也、宮澤賢治など生き様を表現してきた詩人達だ。いま詩の世界でもこの生き様を表現できる詩人が少なくなってきている。ほどんの詩人がサラリーマンなのだ。そして学校の先生が多い。本来の詩人の姿から懸け離れた存在なのだ。本物の詩人がいないから魂の声が出せないでいる。詩人の声とは何か、もと詩人達は考えるべきだ。そうしなければいくら詩人の声といっても中身がないものである。
高橋彰さんから、木下晋さんの大学での授業のDVDが送られてきた。ハンセン病の桜井哲夫さんを招いての授業である。その中でNHKのアナウンサーが詩の朗読をおこなっている。アナウンサーは詩の言葉を正確に伝える仕事である。正確に伝えるだけなら活字の方がよい。つまりテキストをコピーして聴き手に渡せばよいのだ。詩の朗読でテキストを見ながら聴く人がいるが、あれはこまる。声に集中して詩人の声を聴くべきである。アナウンサーの詩の朗読は、朗読ではないのだ。別な名で言ってもらいたい。たとえば詩を読む。詩を読むのは朗読とは違う。アナウンサーは原稿を正確に読むのが仕事である。つまり原稿を読む人である。それ以上でもなければそれ以下でもない。読むことのプロなのである。詩人の声という以上、そこには詩人の魂の叫びが聴こえてこなければならない。しかし実際そのような詩人などほとんどいないのが現状だ。哀しい限りである。中原中也の低音の声で叫んだ「詩人の声」が残っていないのが残念でならない。

2008年7月 6日 (日)

日記

東城百合子著『自然療法』の中で、胃腸で病最も効果の良いものとして「日光浴と大声を」あげることが記されている。詩の語りで大声をあげるこは、癌にとってはよいことなのである。
それにしても詩人たちの声は小さい。なぜ声がでないのか。そして自分勝手な屁理屈をのべて自己の朗読を正当化する。朗読の良し悪しは、お客様が決めることである。批判される前に自己弁解をしてしまう。『詩人の声』の参加者で、自己弁解をするような詩人ではこまる。詩人同士がもっと朗読に対して謙虚に話し合うべき時期がきているのではなかろうか。お金を取る朗読は、芸でなければならない。見知らぬ人達にも感動を与えるという意識を持つべきである。付き合いで来てもらっているからいい加減な朗読になるのだ。もっと自己に厳しい人間になってもらいたいものだ。
昨日サミットの3000人の反対デモがあった。確かにこのサミットは官僚的である。大国主義であり、土地や金を持たない人間にとっては不利なことばかりだ。日本の農業政策はアメリカによって金縛りになっている。種の特許で自由に農業が出来ないようになっている。いつまで日本はアメリカの植民地なのだろう。基地の問題にしても地域の住民は大きな被害を受けている。それをただお金だけで解決しようとする日本政府のいい加減な態度にも腹立たしく感じる。
韓国では、牛肉問題から反政権へと流れが動いている。国民のデモが国の政策を動かす。それにしても日本人は大人しい。いや政治に無関心な人が多すぎる。民主主義を守るためには、国民の意識が変わらないといけない。そして小さな民主主義から世界的な民主主義への運動が大切なのである。日本の政治はあまりにも官僚的である。このシステムを破壊しなければならない。そうしないと福祉国家は生まれてこない。
詩では人の愛を語り続けてゆきたいものだ。
昼間の温度が30度を越えるようになった。身体に気をつけて生きていかねばならない。詩を通じて人間を語る会を作りたい。大きな眼を開いて生きてゆきたい。そのためにももっと勉強をしなければならない。

2008年7月 5日 (土)

日記

身体がだるく感じられたが昨日、ワシオトシヒコさんのライブを聴きに出かけた。お客の入る前に、 病院へ行くことを勧めた。しかし、彼は痛みがない今は、行く気がないという。出来る仕事をこなして生きていたいという。そこでもし癌の場合、手術を受けないことなどを話した。ライブが終わって天童大人、小川英晴、ワシオトシヒコさんらと、喫茶店でビールを飲む。久しぶりに喫茶店「らんぶる」に入った。人とあって話し合うと身体にも良いみたいだ。帰ってきて身体の疲れはかんじたが、気分は爽快であった。ワシオトシヒコさんの朗読は、学校の先生のような授業であった。天童大人氏が、会場に遅れてきたのは、このイベントが始まってから初めてだそうだ。詩人達の顔が見られなかった。もっと積極的に詩人の声を聴きに来るようでなければ、詩人の声はよくならない。厳しい批判や、あたたかい応援が詩人の声を伸ばしていく原動力にもなる。詩を書いて詩誌に作品を発表するだけが、詩人ではない。家に閉じこもっている詩人たちよ、眼を覚まして街にでようではないか。

2008年7月 4日 (金)

日記

今年も山形の佐野カオリさんからさくらんぼうが送られてきた。まさか今年も美味しいさくらんぼが食べられるとは思っていなかった。生きているといいことが沢山あるものだ。
中国ではチベットという文字が書かれた出版物が営業停止になっている。じわじわと弾圧が続いている。中国共産党の末期的表情だ。この国には本当の個人の自由の幸せがない。といって全体の幸せもない国だ。
刑務所が老人で一杯だ。彼らは出所しても行き場がないのだ。福祉政策が遅れているのだ。弱者対策に日本政府は目をつぶっている。見て観ぬ振りをしているとしか思えない。老人介護の問題にしても、役所に行っても知らぬ顔をされてしまう。なんとか地域福祉の活性化が図れないものか。我が田島地区にも大型マンションが次々と立てられている。その一画に福祉の拠点がつくられないのだろうか。川崎市が力を貸して立ち上げられないものなのだろうか。地域の人達が知恵を出し合って助け合う運動に発展してゆきたいものだ。
ここ数日貧血で苦しんでいる。今日ワシオトシヒコさんのライブにゆきたがったが、ちょっと無理なような気がする。それに天気も悪い。身体が思うようにならないのはつらいことだ。私の相棒も身体の調子がわるい。もうすぐライブがあるというのに、何とかして身体の復調を計りたいものだ。

2008年7月 3日 (木)

日記

ある詩人が私の生き方について「ジタバタするこの詩人は嫌いだ」と述べた。別にジタバタなどしてはいない。末期癌にとっては生きようとする生命力が免疫力をたかめるのだ。末期癌の日々はつらいものがある。いま私は口内炎と貧血で苦しんでいる。そして詩を通じて詩明かりの世界を作ってゆきたいと願っている。前向きに生きようとする生き方がジタバタ云々という詩人は、まったく人間そのものが解らない人だ。人間として生きていないからこのようなろくでもないことをいうのだろう。こんな詩人が沢山いるから世の中から詩人は評価されないのだ。末期癌者が真剣に生きようとしているのに、このような馬鹿な言い方はゆるせないものを感じる。操車場14号発送を行なう。
山崎榮治詩集を二百円で買った。素晴らしい詩集だ。
次のようなし詩があった。

力つきて

すべては死のこっちがわ
こっちがわで言われることば
死をのり越えることばではない
死のむこうがわから帰ってくることばでもない

詩の言葉は美しいものだ。いや日本語そのものが美しいのだ。

瀬戸内海の要港、鞆の浦が埋立られようとしている。そして橋を架ける。この弓なりの風景を壊すつもりだ。本当はそれほど交通渋滞がないにもかかわらず、交通の便をよくするためだという。こんなところに無駄な予算を注ぎ込む必要はまったくない。交通省は日本の美しい風景をどれだけ壊してきたことか。
「四季 日本」という美しい日本の風景の写真集がおくられて来た。カメラマンは新井翠翹氏である。
詩誌受贈『光芒・61号』

2008年7月 2日 (水)

日記

玉蜀黍のバイオエタノルーを車一台に満タンにすると、人一年分の食費料に匹敵するという。いま食料危機に世界中がさらされている。あらゆるものが値上がりをしている。アメリカ寄りの食料政策であった。そのために日本の農業を真剣に考えてこなかった国策のあり方がこれから問われていかねばならない。田畑や自然をどんどん破壊して農業が立ち行かなくさせてしまった。無駄なダムを国はまだ作り続けようとしている。淀川ダムもいくら反対しても作られてしまう。自然で安心して食べられることが生きる基本である。いまマグロにも添加物が含まれる。天然マグロなどと書かれたものをみると驚きを覚える。魚類はすべて天然ものであったと思っていたのに・・・とても悲しいことだ。
川崎の介護殺人で九十四際の被告に執行猶予が決まった。この事件は私の住んでいる鋼管通三丁目で起きた事件だ。地域福祉をすすめていかないとこの問題は解決されない。
いま毎日飲まされている薬で身体がダメになっていくのではなかろうか。病院に通うということは、身体をダメにするために治療しているような気がする。抗癌剤の治療はとくにそのように思えてならない。といってこの治療を中止したら、末期癌はどうなるのだろうかという不安が残る。抗癌剤の治療は高額なのである。薬品メーカーは、患者が死ぬまで飲ませるように仕組んでいるような気がしてくる。病院と薬品メーカーの癒着があるはずだ。なぜ医師は、この辺で治療は中止にしておきましょうといわないのだろうか。病院に通いつづける以上医師はなんらかの治療を続けなければならないものと思っている。ここにも国民保険の問題がある。東洋医学を自分なりに学ぶしかない。自然と共に生きる生き方こそがいま大切なのである。それによって農業政策も転換されていくはずだ。無収入の私にとってこんなに物価の高騰では生活ができなくなる。本当に人を感動させられる詩語りになることだ。そのためにはこの苦しみの中から本物の声を作り上げるしかない。

2008年7月 1日 (火)

日記

昨日坂井のぶこの胃カメラの結果を聞きに日本鋼管病院にいく。ピロリ菌がいるということであった。癌でなくてよかった。
私は朝から激しい下痢である。体温も血圧も低すぎる。
操車場14号は五日頃に製本を完了したい。私の末期癌日記が好評だ。そのうちこれを手作りで本にしたいと思っている。病院代を稼ぐためには何でもしていかないと治療ができなくなる。七月からはいろんな物価の値上がりが続く。弱者はますます生きずらい日本になってくる。CO2の大増税の波が近づいてきている。それでもCO2は減らないだろう。根本的な解決策がないからだ。
抗癌剤が本当に私の身体には効いているのだろうか。薬品メーカーのためにただ治療をつづけているような気がしなくもない。癌に効く薬は、また癌にとって大きな副作用があるということだ。副作用によって癌に負けてしまうことだってある。医師のちゃんとした説明が欲しいものだ。
詩集受贈 齋藤なつみ詩集『私のいた場所』(砂子屋書房)

天童 大人 プロデュース
La Voix des poètes (詩人の聲) と第201回以降名称変更。
 ―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー

七月の予定
第221回7月4日(金)  ギャラリー絵夢  ワシオ・トシヒコ
第222回7月5日(土)  ギャラリー絵夢  薦田 愛
第223回7月8日(火)  ギャラリー絵夢  野村喜和夫

第224回7月9日(水) ギャラリー絵夢
田川紀久雄詩集『生命の尊厳』出版記念ライブ
田川紀久雄&坂井のぶこ


第225回7月10日(木) ギャルリー東京ユマニテ  平田俊子  
第226回7月12日(土) ギャラリー絵夢 山口真理子
第227回7月15日(火) ギャラリー絵夢  稲葉真弓
第228回7月16日(水) ギャルリー東京ユマニテ   木村透子 
第229回7月17日(木) Star Poets Gallery  峰岸了子
第230回7月18日(金) Star Poets Gallery  小池昌代
第231回7月19日(土) Star Poets Gallery   河野聡子
第232回7月24日(木) ギャルリー東京ユマニテ 中原道夫
第233回7月25日(金) ギヤルリー東京ユマニテ 小川英晴
第234回7月28日(月) ギャラリー華   田中健太郎
第235回7月29日(火) ギャラリー華  島木綿子  
   
ギヤラリー絵夢(新宿)の公演時間は 開場:18:00, 開演:18:30
ギャルリー東京ユマニテ(京橋)の公演時間は 開場:18:30, 開演:19:00
Star Poets Gallery (渋谷)の公演時間は 開場:18:30, 開演:19:00
ギャラリー華(広尾)の公演時間は 開場:18:30開演:19:00

入場料   予約 大人2,500円 学生1,500円(学生証呈示)  
       当日 大人2,800円 学生1,800円 (学生証呈示)

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