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2008年4月30日 (水)

日記

わが町田島地区(昭和電線の跡地)にどんどん高層マンションが建てられている。これで地域が活性化すと考えるのはむりだ。彼らは地域の自治会に参加をしないと言う。これではますます地域のコミュニティ性が失われていく。地域福祉の時代といっても、共に生きているという感覚がかんじられない社会が、高層マンションによって生み出されている。川崎でも低所得者の多い田島地区では、コミュニティの必要が叫ばれているのに、逆な方向に進んでいる。市は高層マンションによって税の収入が増えるが、そのお金は福祉政策にはまわされない。都会化することは、隣人との付き合いが失われる社会でもある。経済によって左右される福祉政策に歯止めをうつ理論が必要なのだ。こまったときにこそ、福祉の仕事が大切なのだ。パイ論理が崩れたとき、福祉政策が打ち切られる。これはいまの高齢者医療問題とも関係している。高層マンションは、昔の長屋の形態ではない。横の繋がりを切り捨てた建物である。地域の活性化には、この長屋形式の社会を復活す必要があるのではなかろうか。お互いを助け合う精神がもてる街づくりがいまも求められている。
このところ身体の調子が芳しくない。疲れる。気分が乗らない。これは抗癌剤の影響なのだろう。声の練習をしてみたが、喉が痛くあまり声をあげられなかった。やはり、自分は末期癌なのかと思わざるを得ない気持になる。でも人々の幸せを求めて闘って生きていたい。

2008年4月29日 (火)

日記

人権問題で、おかしな話がある。妹の後見人になった。そうすると、妹の選挙権が剥奪された。国民としての権利がうしなわれる。こんなおかしな話があってよいのか。障害者自立支援法によって、福祉がズタズタにされた。後期高齢者医療制度で国民は怒っているが、障害者自立法案に対して怒りがそれほとないのが不思議だ。この二つの法案の全廃を目指していまこそ立ち上がるべきだと思う。これは小泉政権の時に無理やりに決められた制度である。
国民は自分の問題に関係してくると、怒りを覚えるが、それ以外だとほとんど無関心なのだ。これは国民性の問題なのかもしれない。この次は憲法九条の問題が始まる。日本人は、本当の世界の平和を願う国民に成長してもらいたい。一人の命は、地球の重さより尊いと言う言葉がある。このいのちの大切さをどう子供達に伝えていけばよいのか難しい。インターネットなどで、人と人との会話が少なくなってきている。やはりいのちの大切さは、人と人との身近な会話から生まれてくるものなのだろう。メールなどで人との繋がりを持つのではなく、生身な人間同士の会話を持つことが、人の心を豊かにしてくれるものだ。そういう意味では、詩の朗読は、もっと洗練されて行かねばならない。人の心に届く声を持つことだ。詩語りを通じていのちについて語ってゆきたい。

2008年4月28日 (月)

日記

民主、大差で勝利と朝日新聞朝刊に一面に書かれてある。国民を無視した政治に、国民は怒りの声をあげたまでのことだ。
昨日、詩集『生命の尊厳』10冊見本が届く。残りは五月の初めごろに出来上がる。川崎詩人会で、福田美鈴さんと丸山あつしさんに買っていただく。感謝。100冊を売り上げないと、詩集の印刷代できない。生活が苦しいが、詩人として生きて行くためにはやもうえないことだ。以前カンパしていただいた方々のみに謹呈をする。
民族を超えて共にいきることが大切である。中国や韓国ともっと文化交流をして同じ人間として尊敬しあうことの中で、政治を考えていくことが大切なのである。大切なのは相手を尊敬すると言うことだ。人権の第一歩がなにより求められる。

2008年4月27日 (日)

日記

野球で、楽天が勝つと気分がよくなる。それに対して巨人はなんなのだろう。大枚な金をだして契約した選手はつかいものにならない。野球は九人でする野球である。九人の力が一つになってこそ勝つ試合ができる。
昨日の聖火リレーは、本当にアホらしかった。それに対して善光寺では、チベットで亡くなった人たちの追悼法要を行った。聖火という言葉は、日本だけしか使っていない。普通はたいまつである。そいて聖火リレーで走った人のコメントでまともな話をしたのが有森さんであった。共に生きることの姿勢がほとんど感じられないイベントであった。
ここ数日私の身体の調子が悪い。これはどこを向いても明るい話題がないせいだろう。
大阪の児童文学館に廃止案が持ち上がっている。文化を守ることがいのちの大切さを教える最大の場でもあるのに、府の財政改革だけで消えてゆくなら悲しいことだ。
天童大人氏から6月12日広尾のギャラリー華でライブを行わないかとの誘いを受けた。有難いことである。いのちの語りが出来る場所があれば何処でも行いたい。問題はお客が来てくれるかどうかだが、良い語りを行っていけばきっとお客も増えてくると信じて行っていたいものだ。今日は川崎詩人会の例会日である。

2008年4月26日 (土)

日記

午前中に病院から帰宅する。
いま福祉が大きな曲がり角に差し掛かっている。それは地域社会福祉つくりをおこなっていかねばならないからだ。しかし、それにしても国民感情が高まっていかない。国家は地方に対して心ある態様をしないからである。夕張市の問題にしてなんらの救済措置をおこなわない。それに老人問題や医療問題と重なって夕張市に住む人たちはまるで地獄におとされているかのようだ。そいて心のケアが遅れている。この心のケアは地域社会福祉の問題である。わたしも詩人として参加できる心のケアを行えるばしょかないものかとあたっているがどこにもない常態である。
詩語りライブでも一人でもおおくの客がきてくだることが、末期癌治療には最大の免疫力をつける効果を生むのだが、詩人達は自分の為に利益と繋がらないと参加してくれないものだ。そのことがとても悲しい。
福祉とは、共に生きることが基本姿勢なのだ。ともにいきるとは、自分だけがよければよいという生き方をどこかで捨てる必要がある。いまの経済優先社会ではなかなかできないことだ。天童大人氏の声のイベント企画は、まさに共に生きる姿勢である。彼にはほとんど利益のないことを画廊の協力を得て行っている。そして、そこに私も参加できる。そして詩人たちや一般のお客が参加していただければ、詩人の声も社会的にも認められてゆく。そのためにもい天童氏は頑張っている。私に出来ることは、語りを通じて人に感動を与えられる仕事をするしかない。魂の言葉を声に載せるために常に精進していくしかない。それからこれからは、地域福祉のことも考えて生きていたい。
受贈書籍 高橋馨詩的作品集『残月記余録』(草原舎)・渋谷聡詩集『蓑』(近代文芸社)

2008年4月25日 (金)

日記

昨日、詩語りライブを行った。あいにく雨になってしまった。お客はたった一人であった。癌の宣告をうけて丁度一年目の日であったのに。とても寂しい感じがした。坂井さんも私もいままでない良いライブができた。お客が来てもこなくてもライブは続けてゆきたい。
沢木耕太郎著に『オリンピア』と言う本がある。これはベルリンオリンピックのことが書かれてある。オリンピックの選手は、自分のために行うというよち国家に利用されてしまう。今度の聖火リレーを見ていると、こんなことならやらないほうが良いと思える。今度の長野リレーでも、大変なお金が注ぎ込まれるのだろう。あれだけの警備費は税金でまかなわれるのだろう。ますますオリンピックに興味が薄らいでゆく。
小熊秀雄賞に詩集を送っても、一度もそれついたのか、その後どうなったのかも連絡がなかった。昨日天童さんから小熊賞のことを聴かなかったら忘れていた。家に帰りインターネットをあけて調べてみた。そうしたら最後の選考まで残っていたのだ。工藤正廣さんが私の詩集をおしてくれていた。これで二度まで最後の選考まで残った。選考委員の辻井喬の推薦がやはり
この賞の決め手になるのかもしれない。
現代詩には、もうあきあきした。日本詩人クラブ賞にも疑問を感じる。詩人たちは本当の魂の詩を書くことを忘れている。ただ詩のことだけが問われている。そこに何が描かれているかなど問題ではない。とても悲しいことだ。

2008年4月24日 (木)

日記

(天童大人氏のブログより)
24日(木)、末期癌の詩人 田川紀久雄、「La Voix des poètes(詩人の聲)」に8回目の参加。坂井のぶこと共に、京橋・ギャルリー東京ユマニテの内の宙に、三味線の音と共に、自作詩を解き放つ!!!

昨日坂井のぶこと病院にいく。白血球の数が減っていて、それで痛みがでたとのこと。やはりあなたのことが心配だ。私も血圧計で計ったら下の方が60以下であった。わたしも白血球が減っているようだ。疲れたり食べられなかったりここ一週間している。病院の待合室で横田さん夫婦に出会う。

ベンサムの言葉で「最大多数の最大幸福」というのがある。これは今の民主主義の基本理念になっている。ベンサムは良寛さんの生きた時代と重なる人である。この最大多数の最大幸福ということばをうまく利用しているのが政治家達である。多数決によってすべてを決めてしまう。弱い立場の人たちを無視していく。しかしベンサムは「人間は一人以上にも一人以下にも数えられてはならない」とも言っている。一人の幸福が得られない社会は多数の幸福などもないということだ。
古本屋でJ・スタロバンスキー著『モンテーニュは動く」を買う。
受贈詩誌 『はたかの街37号』『柵257号』

2008年4月23日 (水)

日記

昨日の朝日新聞に記事で池上彰の「新聞ななめ読み」で後期高齢者医療に解りやすく解説している。『えっ、年金の少ない人からは天引きできない? そういう人には自分で保険料を払ってもらおう。払わない人からは保険証を取り上げよう。「自己責任」だ。』と書かれている。この最悪の制度を決めたのは小泉政権の時である。いまなお小泉さんに国民の人気が高い。いったい国民は何を考えているのかわからない。「改革」という言葉に騙されていることに気づかないのだろうか。改革すれば世の中が良くなると幻想してしまったのか。国民切捨ての政治が改革といえるのだろうか。この制度はお年寄りには病院にいくなという制度なのだ。この制度を全廃するように戦ってゆく以外には、国民は安心して夜も眠れない。
ここ数日身体の調子が良くない。胃が重苦しく感じられてならない。食事もそれほど食べたくない。そいてここ数日あなたも身体の調子が悪い。今日病院に行かねばならない。二人して病気になったら、これからどう生活をしていけばよいのかわからなくなってしまう。何とかして私も生活費を稼がねばならない。今できることは詩語りと講演(いのちについて)しかない。諦めずに前向きで生きていくしかない。

田川紀久雄詩語りライブ
2008年4月24日(木) 京橋・東京ユマニテ 7時より

2008年4月22日 (火)

日記

生きていくには、絶対に夢を捨てないで生きてゆくことである。その夢が叶うとか叶わないとかの問題ではない。私の詩語りも、ここまでやってこられたのも夢を捨てないで生きてきたからだ。なかなか理解されることは難しい。それはいたし方がない。
現代人は、無名の人を軽蔑することが多い。でも本当はこの無名の中にこそ、人間として素晴らしき人たちがいるにだ。日本の社会で詩語りは、招かれることはない。日本人のほとんどに人が詩の朗読すら一度も聞いたことがない。確かに詩人達の努力が足りないことも原因の一つである。普通の人たちは、面白いかどうかで判断する。そこに何が語られているかということなんど問うこともない。
今の時代は、人を思いやる心が育たない。学校教育や、会社などは、ひたすら成績だけを上げることが目標にされている。人を押しのけてでも勝ち取ることを求められる。資本主義的な制度が悪いというのではない。大切なのは人の心がのんびり生きてゆく精神が失われてしまっていることだ。人間とは一体何なのかを問うことすら問わなくなりつつある。何処から来て、何処へ行こうとしているのか。
無理をして生きることによって、ストレスがたまり癌になってしまう。末期癌になって私は無理をしない生き方を選んだ。そのことによっていのちの大切さを身に染みて感じられる。いのちはいろんな世界によって守られてきたのだ。そんないろんないのちを見つめて生きることも素晴らしい。人は一人で生きているのではない。みんなに助けられていきているのだ。
イラクに自衛隊は500億の金を使った。そのお金の一部でもイラクの子供達の医療費にまわせばどんなに多くのいのちがたすけられたか。アメリカの要請によって送り出した自衛隊派遣はなんであったのだろう。今では自衛隊がおこなった水道や道路が使い物にならなくなっている。国民の税金がいかに活かされないで使われていくのが残念でならない。社会福祉はどんどん予算が削られている。障害者自立法案を早く撤回してゆきたいものだ。弱い立場の人を虐めてそれで日本が成り立ってゆくのだろうか。本当の福祉国家を目指してゆきたいものだ。そのためにも無駄な税金は使わないことだ。

2008年4月21日 (月)

末期癌日記

詩人だから、人に感動する言葉を伝えたい。そのためには、もっともっと苦しみぬいて言葉を吐き出すしかないのだろう。感動は人に生きる勇気をあたえる妙薬なのだ。
今週の二十四日に詩語りライブがある。丁度末期癌と宣告されて一年目の日である。いのちの声を張り上げたい。この語りの夢が今の私の生きる原動力になっていたのだ。だから、末期癌といわれても、不思議な力によってここまで生きてこられた。そして、世の中にもっと生きる勇気を与えられるパワーを身につけてゆきたい。私の仕事は、これから始まるんだ。ライブに応援してくれるお客の力が今の私の生きる勇気に繋がっている。そして今月に詩集『生命の尊厳』が出来上がってくる。私を応援してくださった人たちに送りたい。それから印刷費を稼ぐためにも百冊は売り上げたい。
詩人だから、言葉を通じて生きる勇気を与えられる人間に成長してゆきたいものだ。末期癌になって『いのちの尊さ』を実感することができた。このいのちの言葉を詩語りを通じて多くの人たちに広めていける仕事をしてゆきたい。交通費さえ頂ければ、どこでも出前ライブをいたします。そしていのちの言葉を伝えることの出来る詩人たちと組んで仕事をしてみたい。

2008年4月20日 (日)

末期癌日記

鎌田實著『なげださない』(集英社)を購入。
人は本当のとこは弱いものだ。特に一人でいる時は悲しくて辛いことがある。だから人の言う字は人と人とが寄り添った形が人という文字ができたのである。癌である場合、特に同じ患者同士が話し合うことで生きる勇気がわいてくることが多い。しかし、病院でみていると、どうも引きこもりがちな患者が多い。私は平気で末期癌で治療していますという。そこから相手を安心させて話に入ってゆく。看護婦さんたを見ていると、がん患者に対する心のケアが足りないように思う。ただ、看護婦の仕事をしているにしか過ぎない。看護婦の仕事の密度を高める研修をしていないのだろうか。心のケアは、勉強だけではできないものだ。つねに思いやる気持が働いていないと出来ない。
今の街の総合病院では、いろんな面でクオリティ・オブ・ライフができていない。あくまで患者と医師そして看護婦の関係でしかない。それ以上の人間性がうまれてこない。複数の患者がいるが、それは複数ではなく一人ひとりの人間から成り立っている世界であることをわすれてはならない。
昨日あなたの誕生祝いをした。川崎に出て三月うさぎレストランに入った。牛肉の赤ワイン煮を食べた。それから民族衣装をプレゼントする。ライブで使うためである。生きていられることは素晴らしいことなんだ。ただ生きている。そのなんでもない人生が本当に素晴らしいのだ。そいて人と人との絆を大切にして生きることだと思う。

2008年4月19日 (土)

末期癌日記

午前中に病院から帰宅する。昨日抗癌剤治療と平行してCTの検査もおこなった。医師はパソコンの情報を見るだけで、患者を見ない。入院しているのだぁら「どうかい、変わってはいないかい」などと一言でも言葉をかけるのが治療というものではなかろうか。柳田邦男氏などは、このことを何十年前から言っているのに医師の態度はかわらない。
癌でも愚痴っている患者は、どんどん痩せていく。前向きに生きていないと末期癌は、癌と共存して生きてはいけない。医学の現場だけだと、癌が少しでも小さくなれば手術のことしか考えていない。共存していくことの治療方法など何ひとつ教えてはくれない。自分が癌のことを勉強していかないと大変なことになってしまう。自分のいのちは自分だけのものである。現代医学だけでその人のいのちを縛ってしまうのはいかがなものなのかとおもわざるを得ない。何もすることない人にとっては、やはり愚痴をこぼして生きるしかないにか。看護という面から、いろんなアプローチがあってもよいのではなかろうか。
例えば死ぬまでプルーストの「失われた時を求めて」の全巻を読むことも一つの方法だと思う。途中で終わってもいいじゃないか。生きている時間の密度が濃厚であれば、生きていた意味が明確になる。そのことは死に対して安らぎを与える結果になると思う。多くの末期癌者との対話も必要である。病院内で患者同士の真剣な話し合える場がうまれると良いのだが。そこにケースワーカとか詩人などが参加して話し合えると、いき方の質も変わってくるのではなかろうか。そのような世の中になっていければよいのだ


産経新聞 2008.4.18 21:31 (インターネットより)
聖火ランナー思い様々 有森さん「それでも私は走る」
(2/2ページ)
その上で「騒動は走者や選手には厳しいかもしれない。でも、チベット問題に多くの人が興味を持ち、人々が平和を願う声をつなげていけるなら、このリレーはすばらしいことだ。私は世界の平和を願って走りたい。ただ、中国の聖火警備隊はいらない。五輪は開催国のものではなく、すべての人の平和の祭典だ。中国のものと考えているなら、その考えは間違っている」と訴えた。

2008年4月18日 (金)

日記

クオリティ・オブ・ライフを略してQOLと呼ぶ。この言葉が医学会に導入されたのが1980年の初めである。日本語で言うと「生き方や生活の質」ということになる。しかし病院の対応を見ていると、まだまだこの思想が活かされていない。病院の掲示板には、患者に対して良いことをいっているが、医師たちの心は、まだまだ改善されていない。表面的には、一応愛想が良いが、患者に対して病状や心のケアについて不足がちである。
医療費をますます国民に負担を強いてくる世の中になりつつある。四苦とは生・老・病・死である。これは避けられない生まれたものの運命である。その老・病に対していたわる精神を失っては、国民は安心して生きていけなくなる。
今日は一日入院である。腕の紫色はまだ消えないでいる。注射を打たれるのいが怖い。抗癌剤の注射は、もしもれたりしたら大変なことになる。この不安を何とかしてもらいたい。そのためには看護婦の技術をもってあげなければならない。入院していても医師の往診はない。患者にとって一番欲しいのは、医師からの励ましの言葉なのだ。そして本当のことを言ってもらいたい。
今日も生きられたことに感謝して生きることが大切である。生きていてありがとうと天に向けて叫ぼう。そして生きる質を高めることを考えて生きよう。そうすれば癌と共存して生きていける。癌であることによって、多くのことを学びとって生きられる。そのことに生きる誇りを持って生活ができる。
自衛隊イラク派遣差止めの集団訴訟判決がなされた。「憲法第九条一項に違反する活動を含んでいる」との判断が示された。これは大きな意味を持つ。だれもが違法だと知りながらも、政府の見解に押し切られてきてしまった。国民はこれからも正しいことに向かって闘う姿勢を持ち続けることが大切である。この判断は、癌の治療にも有効だ。人のいのちの大切さに祈りを・・・。

2008年4月17日 (木)

日記

昨夜は、ほとんど眠れなかった。生活費がもう僅かしかない。切りつめても入ってくるお金が以上、どうすることもできない。詩集やDVDを売ってなんとか生活を立て直したのだが、まったく売れない。明日また入院日だ、三万円近くも病院に支払わねばならない。医療費が高すぎる。国民保険があるから、まだ安いのだろうが、貧乏人には辛いことなのだ。
抗癌剤治療は、本当に癌に効いているのだろうか。何処まで抗癌剤が開発されているのか。生きていてつねに不安でならない。
詩語りの仕事が欲しくても、どこからも問い合わせが入らない。末期癌者を招くことにどこもビビッているのだろう。いつ死ぬかわからない人間を招くことはしたくないらしい。そう簡単に末期癌だからといって死ぬことはないのだ。人は一人でいきられない。お互いに助け合って生きていくことが大切なのだ。今月に詩集が出来上がる。嬉しいが、詩語りの仕事が入らないと売れない。いろんなことを考えて眠れなかった。

2008年4月16日 (水)

日記

堀本氏より詩誌・操車場にカンパを頂いた。有難い。物価の沸騰で生活が苦しい。有機野菜も買えなくなってしまった。政府は、物価高の対策はなにも行わない。まだガソリンを上げることしか考えていない。老人医療の問題は、小泉政権の時に決められたものである。国民は熱狂的に小泉政権を応援した。障害者自立法案も最悪な法律なのだ。国民も思いやりのある気持が欠けていたのだ。人間は、わが身に降りかかってこないと反対しないものなのだ。人間の根底はつねにエゴが存在している。庶民とはそのようなものなのだ。その心理を利用して政権を握るのが政治家なのだろう。改革という言葉に、騙されてしまっていたのだ。国家の赤字は、時間をかけて緩やかにおこなうべきなのだ。
それから、憲法九条に対する考えもしっかりしていく必要がある。平和憲法を守ることだと思う。戦争で死ぬのは多くの子供達である。アメリカはベトナム・アフガニスタン・イラクと軍事産業のために戦争を引き起こしただけなのだ。彼らは土足で他の国に上がりこんで、平気で人殺しを行ってきただけだ。日本政府はなぜ、アメリカの後押しをしなければならないのか不思議でならない。いのちの尊さが疎かにかんじられるのも、いまの紛争にたいする考え方が真剣に考えていないからだろう。戦争とはどのようなことなのか、今の若者達は知らない。まるでゲーム感覚でしか受け止めていないのだ。人殺しのゲームを開発してきたのも、団塊の世代の人たちである。戦後の貧しさの中で育ってきた人たちが、ガムシャラニ経済の発展に貢献してきた。何にか虚しさを感じてしまう。
それから今どんどん原発を推進しようとする政府のあり方にはもうついていけない。核の廃棄物の処分が難しい。地震国なのに、埋まれば安全と言う安易な考えは、そら恐ろしい。平和憲法とを守ることと、原発反対をして行かなければならない。それがいのちの尊さを守ることでもある。
私の詩語りも、癒し系ではなく、闘う詩j語りを目指さなければならない。声の力を付けていかねばならない。しかし、体力は以前より落ちている。声の力もまだ戻っていない。末期癌者は、自分と闘って生きてゆくしかない。

本日で詩人の肉聲とコトバとを聴く!Poetry Voice Circuit」は200回です。天童大人氏の努力に感謝したします。そして200回おめでとうございます。

2008年4月15日 (火)

日記

抗癌剤の治療でうつ薬の名は
1、セロトーン注 
2、タキソール注射液
3、デカドロン注射液
4、大塚糖液
5、フィシザルツーPL スタンダブル
6、ボララミン注射液
7、ラクチック注射液
その前に血液検査で、血が六本程度抜かれる。そして心電図、レントゲンを四枚撮られる。
絵門ゆう子著『がんと一緒にゆっくりと』(新潮社)は、面白く読めた。「使っていたホルモン剤の薬が効かなくなってきたため、平成十五年三月三日より、週に一回の点滴による抗がん剤(タキソール)の治療を始める。」と書かれてある。いのちと闘う姿は、壮絶だ。ただ生きていたいという願い。この世に生きているということの素晴らしさを、私も強く感じて生きている。このいのちの尊さをまぜ、人々は忘れているのだろうか。欲に駆られた人間は、人の心が解らなくなってしまう。毎日意味のない殺人事件が報道されている。相手の気持を思う心を失ったら、それは人間ではなく獣でしかない。
大木重雄さんから、励ましの手紙と、詩誌・操車場のカンパを頂いた。大木さんも大変な思いで生きている。頭が下がる。いろんな人から応援をしていただいている。操車場も、質を高めるために、原稿の依頼をしてゆきたい。原稿依頼は無料参加である。いのちにあるテーマを書いていただける人を探していく必要がある。温みのある詩誌を創りあげてゆきたい。

『生きているからこそ』(日本標準)の中で絵門ゆう子さんは、「抗がん剤(タキソール)の週に一回の点滴を二年続けてきたが、先月、いよいよ耐性がでてきて効かなくなったということがわかった。』とあるのを読んで、抗がん剤もある時期をすぎると効かなくなって行く。人によってその時期は異なるかもしれないが、私の抗癌剤の治療はいつまでもつのだろうか。やはり抗癌剤の治療だけでは不安を感じてしまう。絵門ゆう子著『がんでも私は不思議に元気』を読むとやはり辛い。
受贈詩誌 『えこし通信・10+4』

2008年4月14日 (月)

日記

山本萠さんより、癌に対するアドバイスを頂いた。いろんな人たちの励ましが生きる勇気を与えてくれるものだ。これからお世話になっている人たちに何かの形で恩返しをしたいものだ。といっても貧乏人の私には、すぐには恩返しができない。でも何らかの形で人のために役立つ生き方をしてゆきたいものだ。
お年寄り年金から強制的に天引きする医療制度は最悪なものだ。今の政治化には、思いやりの精神がまったく感じられない。言葉だけの生活者の目線と言いながら、行っているのは貧しきものは死ねということいでしかない。私など年金などない人たちはどうすればよいのだろう。といって今のところ生活保護も受けられないでいる。末期癌になっては、まともな仕事ができない。のんびりと生きることが生きる目的になっている。そのことによって生きることの尊さを学びとっている。ストレスを発する生き方が癌にとっては良くない。傍からみれば、贅沢病に見えるだろうが、精神的には生きていくことが辛くてならない。生死をつねに感じて生きねばならない。
健康食品という名のものには、高価なものが多い。藁もすがる思い出いきている人たちに対して健康と言う名で騙す商売は良くない。ほとんどのもは健康に効かないものが多い。健康というものは、その人の生き方の中にちゃんとあるものだ。それを見つけられるひとが健康なのだろう。経済社会は人の心を騙す社会でもある。心豊かな人生を歩むことが人生の目的ではなかろうか。人の役に立つことを一つでも多くおこなえる人間に成長してゆきたいものだ。

2008年4月13日 (日)

 日記

今から千年まえに、編者の丹波康頼が『医心方』を出した。その第一巻には次のようなこと書かれてある。槇佐知子著『医心方の世界』(人文書院)から引用して見よう。
「医師は治療にのぞんで精神を統一し、欲得を捨て、慈悲の誓願うぃたて、魂あるものすべての病苦を除くことを心がじぇよ。敷いを求める者に対しては、その身の貴賎や貧富、年齢を問わず、怨敵であろうと親しい者、善人であろうと、また田舎者と都会人、智者と愚者などあらゆる差別を捨て去り、すべての人に親心で臨むべきである。右顧左眄せず、前後を見ず、日や方位、吉凶にとらわれたり、わが身を惜しんではならない。患者の苦しみをわがことのように思いやり、僻地であろうと、昼夜、寒暑、飢渇、疲労ももの9ともせずただ一心に救を赴くべきである。愚者を往診したとき、は、どんなすばらしい邸宅でもキョロキョロしてはならない。どんなおいしい御馳走や音楽でもてなしてくれても、たのしむのは恥ずべきである。多語、談笑、けんかをせず、道を説いたり是非を論じたり、名声を望んだり、他の医師をそしったり、自慢してはならない。自分を天下無双と思うのは、医師の膏肓(命取り)である。」「・・・医師は自分がすぐれていることを徳意がったり、財物を得ることに専念してはならない。生命の貴さは人も畜生も同じであるから、みだりに殺生してはいけない」と書かれてある。
日本最初の医学書は、なんと素朴で解りやすい言葉で書かれてある。この書物が984年に著わさているとは驚くべきことである。
厚生省の幹部たちや、今の西洋医学を学ぶ人たちがこの『医心方』を一度でも読んだことがあるんだろうか。老後になれば、負担金が増えたり、認知症になっても、どこの施設にもはいれない多く人たちがいる。七十歳を過ぎた夫婦には片方が認知症になったら面倒はなかなか見ることが難しい。それなのに施設にも入れないでいる人があまりにも多すぎる。自殺や殺人が起こることがある。ますますこの国は酷くなりつつある。貧富の差がますます広がってゆくだけだ。収入のない私にも介護保険の支払いは待ってくれない。貧しきものたちは少しの支払いも大変なのである。それに物価も軒並みにあがってしまっている。金曜日の入院代も三万円近くもとられる。これからどう生きて行けばよいのだろう。これで自己治癒力を付けろと言われても、そう簡単にはいかない。生きてゆく不安が積み重なってゆく現在の心はつらいものだ。

詩集『生命の尊厳』(生命の旅)が五月に出来上がってきます。謹呈は出来ませんので、買って頂ければ助かります。頒価2200円(送料無料)で予約販売しております。売り上げなければ印刷所に支払いができなくなります。詩語りと詩集を上梓することが、今の私の生命を力づけてくれています。最期まで末期癌と闘い抜いてゆきたいと願っています。
注文先 川崎市川崎区鋼管通3-7-8 2F 漉林書房まで

2008年4月12日 (土)

日記

午前中に病院から退院する。注射針を4回も打ち直しをおこなう。腕が紫状態である。
癌で医療を全否定する自然治療のはなしも怖いものである。自然治療は、あくまで末期癌と言われた時、それ以外のない方法としてとるべきである。それまでは、西洋医学とあわせて東洋医学をとりいれていけばよい。わたしの通っている病院では東洋医学を取り入れていないので、医師にだまって漢方を
取り入れて自分の治療に当たっている。その漢方も横浜中華街でかった漢方薬品をてんこ盛りして飲んでいるだけだ。いちよう癌に効く薬膳をいれている。例えば、アガルクス、ヤマブシダケ・レイシ、田七人参、朝鮮人参、トウキ、カンゾウ、ベニバナ、ナツメ、クコなどを入れて飲むだけである。分量もいい加減である。健康薬品はインチキが多くて高い。その人にあうものかも解らない。貧乏人であるから、自分流に行っているだけだ。漢方だけで癌は完治するとは思えない。だから癌と共存していく生き方がよいのである。人はそれぞれの生き方がある。癌患者もそれぞれの治療がある。これだという方法はまだ存在しない。癌になって解ったことは、人は個人個人まったく異なって生き方をしているということだ。癌細胞をみても個人個人の反応はことなる。だから治療が難しいのだろう。癌は不思議な病でもある。大切なのは生きる勇気と周囲の暖かい持てなしである。その暖かいもてなしの為にも、人の励ましになれる生き方を模索し続けて生きていたい。末期癌者には生きるそのことが、人に生きてゆく励ましに繋がっていくものだとおもう。大切なのは今日を生き抜くということである。だから今日も精一杯生きていこう。
詩誌受贈 『叢生155号』

2008年4月11日 (金)

日記

今日は一日入院である。いつまで抗癌剤の治療を続ければよいのだろうか。長期抗癌剤の治療を続ければ、癌細胞も強く成長していく。これではイタチゴッコである。そして最後には身体がまいってしまう。いまどれだけ、抗癌剤有効なのか誰にもわからない。三大治療しか行わない病院は、抗癌剤の治療方法しかないのだろう。抗癌剤では癌は治らないといわれている。末期癌と宣告された以上、それほど副作用がない私は今のところ続けるしかない。患者自身が判断して決めればというが、それほど知識のない患者のには、そう簡単に決めにくい問題だ。そのことが日々のストレスに繋がってゆく。免疫力を高める工夫はそれなりに行っているが、それもいつまで続くのか本当のところ自分でもわからない。つねに、生きる希望を見つけていく以外にはそれを乗り越えられない。
癌は完全には治らない。だから癌と共存していく生き方の中で、自分を見つけて生きている。昨日『生命の旅・第二章』の版下を印刷にいれた。詩集を上梓していくことは、私の最大の仕事なのだ。そして、それを語れることが生きる希望につながる。
多くの人たちと癌について語れる場所がないものなのだろうか。これほど癌患者がいるのに・・・。こうして日記をつけてゆくことも生きる張り合いに
なっている。ブログを通じて見知らぬ人たちが覗いてくれている。時々癌についてのアドバイスもメールにはいってくる。もっともっとブログを通じて癌を通じていろんなことを語ってゆきたいものだ。見てくださっている人たちに感謝をいたします。ありがとう。

2008年4月10日 (木)

日記

昨日は、ファドの魂『永遠のアマリア・ロドリゲス』のCDを聴いてすごした。声に魂を入れると言うことはどのようなことなのか。そして語りにどうしたら魂の声が生まれてくるのだろうかと考えた。わたしの相棒は「それは間が大切なのよ」と言う。音楽でも美術でも文学でも、感動を得たいから、それらの世界に近づくのだ。感動を得ることがなくなったらその世界から遠去るしかないのだろう。最近詩そのものがつまらなくなってきている。感動を味わうことが出来なくなってきている。何かが信じられないのだ。
私にとって生きる歓びは、美しいもの見たり、音楽を聴いて慰められたり、詩を読んでほっとする時間をもつことであった。そのことの為に私はいままで生きてきたような感じがする。それなのに、私の詩語りは猫がギャーギャー鳴くような語りしかできていない。といって慰めだけの詩は書きたくはない。感動は、慰めだけでは味わえないものだ。そこには強く生きたいという願いが秘めていなければならない。それと時代を見る眼も大切である。
いまこの地球の環境破壊は、一国だけの問題ではない。自分の国の経済だけを望んでいる国は、滅びてゆくだろう。そして戦争の好きな国も滅びるしかない。日本は中国やアメリカに厳しい批判ができない国家である。こんなことで環境問題を押し勧めていけるのだろうか。昨日の国会で党首討論でも福田首相の泣き節がでてしまった。まさに指導力の欠如でしかない。国民のことを考えていない証拠だ。福祉問題を最悪にしてしまった自民党、それを阻止できなかった野党。いまの政治は何処へいくのだろうか。物価高にたいしても、政治は何も解決しようとしない。見てみぬ振りをしているだけだ。農業問題でもしかりである。国民は生きてゆく力は失せていってしまう。医療の問題にしても、ひたすら国民に負担を負いかぶせるだけだ。米軍基地の予算をもっと減らせることが出来ないのか。
今は癒しも大切だが、生きる勇気を与えられる詩人になってゆきたいものだ。
操車場11号は品切れです。読みたい方は予約購読をなさってください。
受贈詩集 冨上芳秀詩集『言霊料理』

2008年4月 9日 (水)

日記

昨日の春の嵐は凄かった。風車が折れてしまう。東京の桜もこれで終わった。
癌のことを調べれば調べるほど解らなくなってくる。いろんな意見があってどれを信じてよいのか迷ってしまう。ということは、癌は個人個人によって異なるということだ。自分は自分のだけの癌であって、他の人の癌とは違う。そう思って治療していく意外にはなさそうだ。癌を無理にして闘うと、かえって癌が反発して増殖をする。手術をみているとそのことが良くわかる。何でもかんでも切り取ってしまえばよいというものではないらしい。癌を騙しだましながら生きていくことも必要なのである。今なお現代医学では、癌に対してはお手上げ状態である。癌は風邪と同じではないかと思うときもある。無理して風邪は治すものではない。熱をだして自然に治ってゆくものだ。やたらに薬を飲んで抑える必要はないものである。自然治癒で治る病である。
癌と共にいきるということは、朝起きたら「今日一日楽しく生きましょう」と自分自身にいうことが大切なのである。楽しく生きれば癌の方も、無理して身体を破壊しようとは思わなくなるのではなかろうか。なにしろ相手は、悪性新生物なのだから、煽てながら治していく以外にはなさそうだ。医師にとっても患者を煽てながら、話しかけてゆくことが大切なのだ。それなのに医師たちは、患者の気持を理解しない。患者の身体に聴診器を当てようとしない。患者を励まして対話をすることが、癌患者には必要なのだ。江戸時代の医療のはなしにも、患者の気持を考えて治療すべきだと書かれている。患者の気持になれる医師はなかないないものだ。癌患者には、優しさと励ましが最大の治療ではなかろうか。
私は、癌と通じて優しさと励ましあい方を学びとっている。人を思いやる気持が生きる力にもなってゆく。
操車場12号に、詩人の声③で(野間明子)について書いてみた。女性詩人で声について書いてみたい詩人はなかなかいないものだ。
詩誌受贈『BLACKPAN・93号』

天童 大人 プロデュース
詩人の肉聲とコトバとを聴く! Poetry Voice Circuit 
―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー 
4 月
第197回4月10日(木) ギャルリー東京ユマニテ   浜江 順子
第198回4月11日(金) ギャルリー東京ユマニテ   有働 薫
第199回4月15日(火) Star Poets Gallery      河野聡子
第200回4月16日(水) ギャルリー東京ユマニテ    薦田愛
第201回 以降、La Voix des poètes (詩人の聲) と名称を変更。

La Voix des poètes (詩人の聲) ―「目の言葉」から「耳のコトバ」へー

第201回4月17日(木)ギャルリー東京ユマニテ    福田純子
第202回4月18日(金)ギャルリー東京ユマニテ    白鳥信也
第203回4月22日(火)ギャルリー東京ユマニテ    小池昌代
第204回4月23日(水)ギャルリー東京ユマニテ    田中庸介

第205回4月24日(木)ギャルリー
東京ユマニテ
田川紀久雄 &坂井のぶこ
(田川紀久雄末期癌宣告一周年記念ライブ)


第206回4月25日(金)ギャルリー東京ユマニテ    中村恵美
第207回4月28日(月)ギャルリー東京ユマニテ    池澤夏樹

2008年4月 8日 (火)

日記

末期癌や転移した癌は本当に完治するのだろうか。完治するという考え方より、進行させない治療方法を選ぶべきなのではなかろうか。完治したほうがそれは良いのだが、完治を気にするより、癌と共存した生き方の方が、無理をしない生き方ではなかろうか。癌の三大治療で治るのは初期の段階だけではなかろうか。つまり」健康保険が適用される医療とは、治る可能性のある段階である。それ以上の治療は、無理をきたしかえっていのちを縮める結果になる。癌の初期以外で手術をすれな、再発する可能性が多い。
私は病院で何度も完全に取り除きましたからもう大丈夫です、と言う言葉を医師から聴いたが、その後再発して再入院した患者を何度も見かけている。私が手術を拒否した理由の一つには、末期癌の場合、どんな治療しても完治する可能性が少ないからだ。手術をしたぶんリスクが大きいということだ。癌と共に生きることを選んだのは正解だと思っている。癌を見つめて生きていると、とても面白いことを発見するものだ。楽しんで生きていれば、癌もじぶんと同じように楽しんでいのではないかと思う。楽しいから癌細胞も進行することを忘れてしまっているのかもしれない。このままの方が癌にとっても居心地がいいはずだ。だから、いまの私はそれなりに元気で生きていられるのだと思う。
癌と共に生きるには、人生を謳歌していきることだ。そう割り切れた人が、癌にと共に長く生きられるコツなのである。といっても、癌である以上、完全には割り切れることではない。そこが癌とともに生きる難しさでもある。
聖火がパリでも妨害される。パリ市市舎は「パリは世界中の人権を守る」との横断幕が市によって掲げられた。(朝日新聞朝より)
さすがにパリだ。100人以上の僧侶たちは中国政府によって殺されている。一人のいのちは地球の重さより重いという言葉を忘れてはならない。癌患者である私は、人のいのちの尊さを身に染みて感じ取っている。新聞で訳のわからない殺人事件が毎日報道されている。とても悲しいことだ。豊かになった日本人は、ひとのいのちの尊さを忘れかけている。思いやる気持を持たせる政治を期待したいが、それも不可能に近い政治的状況だ。街には美しい花々が咲いている。花は美しいものだ。

2008年4月 7日 (月)

日記

今日、詩誌「操車場11号」の印刷・製本を行う。毎月発行できることは、やはり嬉しいことだ。俺はまだ生きているんだぞ、という一つのメッセージでもいある。今回はじめて詩を書くことができなかった。詩を書くエネルギーが少しづつ消えていっているようにも思える。
癌とは、何だろうというテーマがいまの私には興味がある。そして癌を通じて生きることとは何かを書きてゆきた。だから、詩を書きたいという思いより強くなってきている。もっともっと生きることに貪欲になってゆきたい。人生がそのものが詩でありたい。それはなんて素晴らしいことか。活字だけの詩から、人生そのものの詩に変わっていくことが大切なのだ。それには、生きることの必死な問いがあって初めて可能になるのではなかろうか。だからだれもが、本当の詩人なれるわけではない。活字だけの詩人は、人生でいえば、青年期なのである。本当の詩がうまれるのは、壮年期からであろう。詩語りも、これからが楽しくなってくるだろう。
私は、末期癌と友達になって、心が豊かになってきている。もし、末期癌の宣告を受けなかったら、私の人生は本当の詩人にはなれなかっただろう。病院に毎週一回入院することによって、医療が見え初めてきている。西洋医学の病院は、患者に対して優しさが乏しい。医師は、患者を物としてしか扱っていない。一人の人間がそこにいるということを忘れている。患者は、病気と闘っているが、その前に日々生きている人間がいるということを忘れてはならない。
癌を治したいと言う気持は強くあるが、無理してまで癌を治したいとは思わない。無理をすれば、かならず癌は復活してくるものなのだ。癌と闘うということは、前の人生とあり方を変えていくことが必要なのだ。もっといのちの大切さを受け入れていくことだ。すねての生物のいのちと連帯してゆくこと。そのことによって癌と共に生きゆけるにだろう。人生を楽しみながら生きていたいものだ。生まれてここまで生きてこられたことに有難うといえる自分を作り上げたい。それが末期癌と闘う生き方のなのだろう。

2008年4月 6日 (日)

日記

癌になってその上で生きることへの問いを書いた詩人が何人いるのだろうか。高見順の『死の淵』があるが、それは、死にゆく人間の哀愁をえがいたもにでしかない。私のように、末期癌になっても生き抜いてみせるぞという詩集は、ほとんど見当たらない。いま私には本当に詩や日記を書いていくことが必要なのだ。しかし、次の詩のテーマが『生命の歓び』である。なかなか描くことが難しい。次の詩集が完成するまで、一年以上かかるかもしれない。今回の操車場11号には、詩が書けなかった。
多くの癌に関する本を読むことによって、生きる勇気を貰っている。亡くなっていった多くの癌患者の日記には、やはり心が打たれる。そして癌と真剣に取り組む医師たちの生き方にも、勇気付けられる。今の病院では、心のケアがたりない。聴診器で身体に当てる医師は少ない。入院しても顔もみせずにいる医師すらいる。「どうだ・・・・」なんて気軽に話しかける」医師はいない。患者にとってなによりもの救いは、医師とのやさしい対話なのである。それがなされない病院にはやはり問題がある。
いまの私は、誰にも相談できない。相談にのってくれる人がいないのだ。自分で学び、自分で一つ一つ判断して生きている。このようなとき同じ癌仲間が欲しいものだ。これからどうすればよいのか解らないでいる。ただ、ひたすら詩語りに情熱をかけて生きていく中で自己治癒力を高めて、癌を撲滅していく以外にはない。この一人で闘う生き方の記録も、多くの癌患者に役立つかもしれない。最近少しづつブログを見る人が増えてきている。それによっても、生きる勇気を与えてくれるものいだ。小さな励みが、やはり大切なのである。癌はどのように治っていくのか、誰にも解らない、いや末期癌とうまく共存していければ、何十年と生きられる。だから、末期癌でどのような状況になっても諦めてはならない。この諦めないで生きることが、癌細胞を抑えてくれる。そして、日々一つでもよいから楽しいことを見つけて生きていくしかない。病院のベッドで縛り付けられて死んでいくより、一日でも多く人間として活動して生きていたいものだ。そのことに手を貸してくれる病院が少なすぎる。また私のような超貧乏人が、ケアををしてくれる病院があるのだろうか。いろんな問題を自分なりにどう解決していったらよいのか迷い続けている。
いろんなことを話しながらいつの日にかそのような詩語りライブを始めてゆきたい。いまはまだもっといろんなことに悩んで生きていくしかなさそうだ。

2008年4月 5日 (土)

日記

癌とは、なんだろう。解らないことが多すぎる。末期癌と宣告され、医師の治療を拒否した人が生き延びている。西洋医学では解明されていないことが余りにも多すぎる。
私は、医師からあなたの癌はⅤの段階ですよ、と医師手帖お見せながら言われた。でも実際には、癌はⅣまでの段階しかないのだ。レントゲンで見れば胃は真っ白に映し出されていた。あなたは末期がんですから手術はできません。そういわれても私はそれほど驚かなかった。まるで医師は私を脅しているかのようにもみえた。でもそのお陰で、こんな癌に負けてたまるものかと、一瞬に思った。だから末期癌といわれても、それほど恐ろしい病だと感じなかった。逆にそういわれたことによって、私は強く生きられると思ったほどだ。
帯津三敬病院でも、末期癌の人が良くなったと思ったら、一ヶ月後に亡くなることもある。癌は、本当に恐ろしい病であることには間違いない。亡くなることが大きな問題ではなく、生きている時、自分らしい時間を持てたことが大切なことである。亡くなってゆく人たちは、活かされてきたことを感謝して亡くなってゆく。それはなんと豊かな心であろうか。
癌になって多くの人たちに支えられて私は生きている。だからどんな時も愚痴ってはならないのだと思うようになってきた。精一杯生きることが私のこれからの仕事なのだ。この前のライブをCD化している。20年前に語ったときより、声に感情が入っている。やはり癌になったことによって、声に変化が出ているのだと感じられた。声の質をもっともっと深めてゆきたいものだ。聴いてくださる方に心の愛をプレゼントしたいものだ。生きていることはやはり素晴らしいことなのだ。癌など怖れることはない。どんな癌の人も、その人なりに活かされている。末期癌だといわれても、どんな人よりも歓びを感じながら生きている。癌が、私を活かしてくれているのだ。そう思って日々を生きていくしかない。

2008年4月 4日 (金)

日記

ウラジーミル・ソフロニツキーのピアノを聴くといつも緊張をする。昨夜も、ショパンの曲を聴いた。その音の中に、ちゃんと時代が映し出されている。そしてかれの哲学までが聴き終えてくる。このようなピアニストは、ほとんどいない。
詩語りにも、声にどのようにしたら、自分の生き方を声に乗せていけるのだろうかと考える。それは、ただ日々の稽古の積み重ねの中で生まれてくるもの
なのだろう。考えていただけでは何も生まれてはこない。生き続けていられる限りこの努力を続けていたい。努力を続けていられば、私の末期癌もそれほど怖いもにおではなくなる。生きる努力を積み重ねることが、癌の最大の治療ではないのか。癌が治るとか治らないとかの問題を越えた生き方が出来るかどうかだ。どうせ人はいつか死ぬもだ。だから死ぬことをそれほど心配する必要もない。いつ死ぬかわからない生き方が大切なのだが、末期癌と宣告されてしまった以上、ある程度の覚悟をして生きるしかない。それでもできるだけ癌のことを忘れる生き方をしたい。どんな状態になっても諦めないで生きようとする気持が大切なのだと思う。人が癌で死ぬのではない。あくまでも寿命なのだ。寿命をまっとうする生き方だ人間の生き方ではなかろうか。寿と言う言葉は、めでたいことという意味もある。まさに祝う言葉である。そうであるならば、死ぬことはおめでたいことばである。寿命をまっとうしたのだから。完全に人生を燃焼することが寿命なのだ。
詩集『生命の旅・第二章』の最終の校正を行う。来週には印刷所に入れられる。
詩誌受贈『黒豹117号』

2008年4月 3日 (木)

日記

癌患者にといって、最も大切なテーマは、ただ生きることである。生きることに意味がある。それは健康な時の気持とはまったく異なった状態であるからだ。末期癌である私は、いつどこへ癌が転移するのかという不安の中で生き続けねばならないからだ。一日でも長く生きられることは、他の癌患者にも勇気付けられる。生きることは確かにシンドイ。でも活かされている自分を見ると、それはなんと素晴らしいことかという実感がある。
昨日も音楽を聴くことが出来た。そして本も読めた。そして語りの稽古も出来た。生きていられる時間がどんなに豊かであるかを思い知らされる。癌患者の人たちとこの喜びをわかち合って生きたいものだ。いのちの尊さとは、生きる歓びにある。そのことを今の若い人たちにも伝えたいものだ。だからこそ、死も素直に受け入れつ心をもつことも必要なのだ。
詩語りで、力強く声を出すのも、生きる歓びを伝いたいからだ。そしてこれからもより良い詩語りを行いたいと願って生きている。そのことが私の生きている意味で、大切なことなのだ。これは私の人生の授業であるのかもしれない。ああ、いろんな場所で詩語りを行いたい。大泉の古書店からは、何の連絡もない。詩の朗読は社会から見放されているのだろうか。今まで詩人達の朗読があまりにもひどかったからだろう。私の仕事は詩人の声を伝えることでもある。
天童大人氏がいうように、「目の言葉」から「耳のコトバ」へである。そこで大切なのは、いかに魂の声を発するかである。生きている喜びを感じながらこの仕事に打ち込んで生きていたい。

2008年4月 2日 (水)

日記

花粉症で鼻詰まりがひどい。夜中に何度も起きて鼻をかむしまつだ。寝たのかどうなのかわからない。
詩作品でも、その人の人柄や生き方が感じられない作品は読んでいて疲れる。文学の究極の世界はそこをどう描いていくかにかかっているのではないか。小説でもストリーは面白くても、主人公の人間性がそれほど描かれていない作品が多すぎる。まるでテレビゲーム感覚である。その点、夏目漱石は凄い作家だ。小説の名前を挙げただけで主人公の像が浮かんでくる。現代は、一人の人間を描きことがいかに困難なのだろうか。個人の生き方が見えてこないのだ。個人が巨大な社会の中に埋没してしまっている。いや個人が社会に飼いならされている。個人が社会と向き合っても、どうしょうもないのだという諦めが強い。政治家にとっては都合の良い国民になってしまっている。個人がすぐに切れるのは、やはりこの人間性が気迫になっているからだろう。
詩の朗読でも、この人間性が聴いていてあまり感じられない。作品を一生懸命に朗読していますという光景が多い。詩人の声が聴こえてこないのだ。
癌にかかってから、いのちの声が聴きたくなっている。いのちの声をどう発せればよいのか。どうしたらいのちの詩を書いていくるのか。そのことばかり最近は考えている。生きることの素晴らしさをどうしたら人に伝えていけるのだろう。
受贈詩誌『ガニメデ42号』

2008年4月 1日 (火)

日記

胃の調子が悪い。やはり気になる。ここ数日それほど食事もとれていない。このところ外出が多かったので疲れがでたのかもしれない。胃癌の調子が良いと思っていても、突然様態が変わるのが癌の特徴なのかもしれない。癌は自己治癒で治る病なのだ。それを信じて生きていくしかない。
身体の調子が悪いとつまらないことを考えてしまう。楽しいことを考えて生きよう。この世は美しい。この美しい光によって人は活かされている。生きる意味は、この美しさの中で人と人とが仲良く生きることだ。人は独りで生きているのではなく、みんなの暖かいに勇気を貰って活かされている。生きていられることに心より感謝して生きることだ。
今日から四月だ。物価が上がる。政治の機能がまったく果たしていない。国民にみんな皺寄せ押し付けてしまう。国民の為と言いながら、行っているのは政権争いだけの茶番劇だ。美浜原発直下に活断層があるという。日本には原発は必要ない。原発のために国の予算がら膨大な金が流れている。そのお金で別の技術が開発できるのに。環境問題といいながら、政府は本腰で対策を打ち出さないでいる。命の尊さを真剣に考えていくことがたいせつなのだ。生きている喜びを感じられる世の中を目指して生きていたい。

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