日記
詩人とは、どのような人をいうのだろう。詩だけ書いて生計をたてている人は日本ではいない。詩的な人は、確かにこの世に存在している。詩を書くとか、書かないとかの事柄ではない。しかし、詩人というからには、やはり詩を書く人のことを言うらしい。
詩人としてのイメージを的確に表現した詩人がいる。それは山本陽子である。
よき・の・し
あらゆる建築をうちこわし、
いかなることばを
あとにのこすな<、
すべてをもえつき、
もやしつくせ、
全けき白さをひっさらって
死のとりでをひとこえ
よきをひだにふくみのみ
さまざまなる夜をはらめ、
と彼女は書いている。しかし、山本陽子の詩を理解する詩人はほんの数人しかいない。しじんとは世に認められることを超越している。ただ生を燃え尽き果てることだけがその人の人生なのだ。
私の詩語りを聴いた人は少ない。それは仕方ないことだ。詩人の声を求めて旅をしているのだから。世間は山本陽子の詩も、私の詩語りも評価しないだろう。そのような狭い世界では生きていないからだ。ひたすら魂が燃え尽き果てるのを待っているだけだ。それは宮澤賢治の童話の「よたかの星」の世界にも近い。燃えて燃えて燃え尽きは果てる生き方が本来の詩人の姿なのである。それは山本陽子の詩もさることながら、彼女の絵の世界でも、まさしく燃え尽き果てている。詩人で田端あきらこという人がいた。彼女の詩や絵の世界をはるかに超えて存在者が山本陽子なのだ。H賞詩人やなになに賞をとった詩人の中には、そのような詩人はいない。本当の詩人は、透明人間のように、普通の人たちには見えないのだ。
山本陽子の絵を一点持っている。部屋の真ん中に飾ってある。その横に私の絵もある。
柏崎で昨年個展を行った。越後タイムス社の企画である。これは柏崎ライブのDVDに納められてある。それも元NHKカメラマンの高橋章さんが撮影をしてもらった。
次の詩集を上梓したい。そのためにも絵が売れることが一番よいのだが、誰か私の絵を購入してくださる方はいないものか・・・。今日は一日入院である。一回入院する度に三万円近く出費する。収入のほとんどない私はこれからどう生きていけばよいのだろう。そんなことを思っていたら、坂井信夫さんから詩誌『嶺』の仕事を頂いた。本当に有難い。いつも大変なときに坂井信夫さんに助けてもらっている。
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