日記
病院から9時半に戻る。
病院で堀田善衛著『方丈記私記』を読む。「諸行無常とは、かかる冷静にして明確な認識のことを言う」と書かれてある。無常という甘い言葉に騙されてはならないということだ。
いま私はJANIS JOPINNのCDを聴いてこれを書いている。久しぶりに聴いている。
病院でのお話。隣の患者が2センチほどの腫瘍がある、と医師いわれる。すぐとったほうがよい。そのためには焼いてしまう方法がある。この患者は数週間前に同じ治療をしたばかりだ。そのときはこれで万全だと言われた。それがCTを撮ったら新たに見付かったということだ。患者は焼いてしまっても身体には関係ありませんかと訪ねる。医師はそれは焼いてしまうのだから、そこのところの細胞は死ぬことになる。前と同じとはうえない、とここと。患者は手術の返答に困っていた。医師は来週中には行いたいのだがと強く要求する。私は横で聞いていて、不愉快な感じをいだいた。二つの方法がある。採ることと、そのままにしておくことだ。そのままにしておく場合は、私のように今生きている目的を持っている場合だ。自分の仕事を優先させる立場にいること。そして採る場合は、西洋医学を信用して一日も長く安していきたいという願いがある場合だ。そのためには、もっと医師からのあたたかいアドバイスが必要だ。手術を行う場合。患者の人格を知って発言すべきだと思う。私は医師ではないので、黙って聴いていた。
いろんな文献を調べてみると、手術をしないで、自力で直そうと思う人の方が、生きているときの時間が長いとの報告がある。癌の場合原発がどこにあるのか解らない以上手術はしないほうがよいと思う。そして癌細胞が残る危険性のある手術は、手術をしないですむのならしない方がよいにきまっている。看護婦室のまえに患者にアドバイスの用紙が貼ってあったが、患者はなかなか読まないものだ。これは入院するときにプリントして渡したほうが良いと思う。患者からなかなか医師や病院にたいしては言いにくいものだ。昨日も今日も一度も医師は現れなかった。今まえのCTの結果もわからじまい。それにいつもレントゲンの撮影は三枚なんだが昨日は四枚撮られた。一枚は大腸あたりである。なにも説明がないことは不安を募らせるだけだ。
看護婦さんが、ライブよかっわと言われた時、嬉しかった。
コメント