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2008年1月17日 (木)

日記

詩のテーマで絶望を自慢する世代がかつてあった。しかし、絶望からは何も生まれてはこない。いま末期癌である私は、できるだけこのようなテーマの文から離れていたい。絶望からでも美しい世界を描けるものである。それは魂の美しさである。それは絶望から一歩揚棄したこと意味する世界でもある。人はいつまでも絶望に止まっては生きていけないものだ。私が絶望を受け入れる時は、その絶望から人の為に生きたいという願いが生まれる時だ。絶望を通して人に優しくなれる。そういう意味では絶望を味わことも大切である。しかしその絶望を人に強制する考え方には反対したい。癌と共に生きるためには、嫌なことをしないことが大切である。明るく笑える人は、癌も治る可能性を秘めた人でもある。普通末期癌を宣告された時は、絶望の苦しみを味わうといわれるが、私には絶望を意識したことはない。いやこの末期癌には負けたくはないと思った。それはなかの芸能小劇場での絵手紙の会企画の仕事が入っていたこともある。癌にかかっている場合ではない。なんとしても詩語りを行うのだという強い気持ちが湧いていた。そして次に新潟県柏崎で鈴木良一さんがライブを設定してくれた。詩語りを通じて生きていたいという気持ちが末期癌といわれてもそれほど落ち込むことなく今まで生きてこられたのだと思う。本当の絶望には神が宿るのではなかろうか。だから絶望も生きてゆくうえに大きな価値をうむ要因になったりする。
久しぶりに、ミケランジュリのピアノを聴いた。美しい音だ。この世にこのような音があるのだろうかと思わせてくれる。ショパン・ラベルの曲を聴きながら心が洗われた。芸術家ならやはり人の魂を揺さぶる世界を目指して生きることが大切なのである。一篇の詩を書くにも人に対する優しさと、自分自身に対する厳しさがなけれならない。ライブまでもうすぐだ。今日は午前中に歯科に行く。明日は一日入院だ。

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