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2007年11月30日 (金)

日記

名古屋ライブの時に聴きに来てくださった里中智沙さんよりお手紙を頂いた。その中で『やはり「雨ニモ負ケズ」と「永訣の朝」の二重奏はすばらしいですね!お二人のつくりあげた芸術品と思います。田川さんの語られた中原中也は、全くはじめての田川さんの声と語りによって余分なものが洗い落とさた源・中原中也という感じがしました。宮澤賢治も金子みすゞも優等生的な朗読すると、偽善的にきこえましが、田川さんと坂井さんは、それぞれ詩の原点、というか“素”の部分へ降りていって、そこから声を発していられる・・・と思いました。最後に語られた即興だったでしょうか?オカリナ演奏のときの語り・・・とてもよかったです。ふっと緩んでいた心に、どんと入ってきました。』と書かれてあった。嬉しい便りである。お客の人数は少なかったが、そのようなことは問題ではない。大切なのは一人ひとりの詩語りの声が本当に届いたかでどうきあである。時野慶子さんも須藤美智子さんも、詩の大切な心をお客に届けてくれた。そのことが名古屋ライブでの大きな成果であった。ライブではお客さまのあたたかい心ずかいが勇気を与えてくれる。

2007年11月29日 (木)

日記

来週に胃カメラとCTの検査を行うことを決める。それから今後の治療方針を決めていくことになる。
知り合いの娘さんが腰の骨に癌が転移したという。腰の骨に癌が転移すると激しい痛みに襲われる。癌の痛みと闘う日々は言葉では表現できない辛さがある。いまのところ私は、この痛みが抑えられているから、ある意味で元気に過ごしていられる。末期癌であるにかかわらず、こうして詩語りの仕事をこなしてこられたことは幸いであった。それは癌に負けてたまるかという強い意志が働いていたことも、癌の進展を塞いでいたのかもしれない。少しでも気力が負けてしまうと、癌はこの時とばかり勢いをますものである。自分が同様に生きていくかを明確にして強い意志をもたないと、癌に負けてしまう。癌とうまく共存するにも、それなりの強い意志を持っていなけばならない。末期癌と宣告されて十年以上も生きている人は、それなりの意思の強い人であったと思う。日々をいいかげんにすごさない生き方が長生きさせるコツなのかもしれない。泉谷栄さんから、胃にやしさしい食料が送られてくる。ありがたい。彼も病で大変なのだ。お互いにいつか死ぬのだから、人間らしく生きていたいものだ。

操車場の原稿の締め切りが今月末までです。必ず原稿をお送りください。発表できない人は、連絡をしてください。

2007年11月28日 (水)

日記

川崎臨海地区に森をつくりたいと考えていたら、宮脇昭さんが扇島に森を作っていた。むかし扇島に海水浴に行ったことがある。ここは日本鋼管が埋め立てて作ったところだ。浜川崎の近くから船に乗って夏は海水浴にいけたものだ。その扇島が森になっている。私はまだ見たことがないのだが、一度機会があったら見たいものだ。
宮脇昭著『緑環境と植生学』と『シュミットヒューゼン・植生地理学・宮脇昭訳』を手に入れる。川崎富士見図書館には宮脇昭の寄贈した図書がある。
詩語りも、宮脇昭さんのように根本的なところから捉えていかないと根が張らないで終わってしまう。目先の朗読ではなく、日本の伝統に載った方法を身に付けなければならない。今の詩人達にそのことをいくら言っても理解してくれない。義太夫を知らない人が多い。日本人の声を取り戻すことが詩語りの道でもある。日本人そのものの声に詩を載せて語ることが、人の心を本当に癒せる世界へと導くものである。その世界を作るのが私に残された人生の仕事だと思う。それにしても詩語りの出前があれば助かるのだが。

2007年11月27日 (火)

日記

日帰りの旅は、やはり末期癌者にはきつかった。身体の調子がおかしい。肩や腰のあたりが傷む。でもこの旅から学ぶものが大きかった。それは、いかに人に聴かせる技術を身に付けてゆくべきかという問題を課せられたからである。これから仕事を取るにも、やはりお客様にある程度の満足を与えられる語りを行う必要があるからだ。癒すという言葉も、満足度で計られるからだ。聴いて本当の良かったという世界をきずかなければ、詩の朗読の世界は社会に受け入れられることはない。現在の詩人達のレベルの朗読では、聴き手が逃げていく。なぜ朗読をおこなうかという問いが感じられない。それは人の心を豊かにすることも一つの役割である。今の詩人達の詩では、本当に人の心を癒せるものが存在しているのだろうかと疑いたくなる。
竹本素京さんがなくなった。むかし錦糸町のシアターXに結城座を観にいった。そのとき素京さんの語りを聞いた。カセットで何度も聴いていた。九十三歳でなくなったが、結城座の公演が終了まで亡くなったことは伏されていた。糸操りの最後の太夫である。義太夫の心を詩語りに生かしてゆきたいものだ。語りの本質は情である。情をどのように語りかけてゆくか、確かに現代社会では難しいが、それをやっていかなければ、ますます人の心は荒んでゆく。末期癌である私が詩語りを通じてどこまで行えるかわからないが、死ぬまで闘って生きてゆきたいものだ。これからも皆様の温かいご支援をお願いいたします。
詩誌『黒豹・116号』『hotel18号』『すてむ39号』有難うございます。

2007年11月26日 (月)

日記

昨夜遅く帰宅をする。新幹線が超満員であった。身体が疲れた。朝起きようと思ったのだが、なかなか起き上がれなかった。
時野慶子さん須藤美智子さんには心より感謝。それに鋼管病院の看護婦のUさんが来てくれた。本当に来てくれるなんで驚いてしまった。名古屋まで聴きにきてくれる価値があったのだろうか。人に感動を与えられる芸をもっと身に着けて行かなければならない。多くの人に感動を与えられるのは、芸の力しかないはずだ。そう思うもっともっと精進をしていくことである。詩の朗読は、まだ日本の生活には根付いていない。本当に詩の語りは人に癒しを与えるものだと言うことをこれからも行い続くけ生きていたい。そう意味で、この名古屋の経験は私のこれからの人生に大きなプラスをもたらしてくれるだろう。ここではオカリナの音にあわせて即興の語りを行えた。これからも音楽とあわせて即興詩も取り入れた詩語りを生み出してゆきたい。

2007年11月25日 (日)

日記

今日は名古屋ライブの日である。いい語りを行うことが私の仕事なのだ。人前で尼崎安四の詩を語れることは、これからの私の仕事の一つに取り入れてゆきたい。ある意味の哲学的な詩は、日本人には珍しい。それでいて人の心をうつ詩である。もっと多くの人たちに尼崎安四の詩を知ってもらいたいものだ。今回は村上昭夫・尼崎安四・中原中也・宮澤賢治などを語る予定であるが、時野さんたちとの打ち合わせでどうなるか解らない。どれだけ時間が与えられているのかが問題である。
詩を通して人々といろんな関係を結び合って生きていたいものだ。宮脇昭さんのように三千万本の木を植えたひとのように、もっともっと詩語りの仕事を増やしてゆきたいものだ。人に心のぬくもりを与えられる仕事をしていたい。生きていることは哀しみがあるが、生きていられることは素晴らしいことなのだ。生命の尊さを自分なりに掴んでゆきたい。

2007年11月24日 (土)

日記

洞口依子著『子宮会議』(小学館)を読む。癌の闘病記を読むことによって、やはり自分も頑張って生きねばならないという思いに駆られる。これからも詩語りの仕事が入ってくるのだろうかという不安を感じながらいま生きている。詩人では、朗読で生活を出来る人は誰もいない。だからこその夢に向かって生きていたいのだ。
詩語りも自然体で行う方法を自分なりに習得しつつある。それは、無の思想を自分のものにすることによって可能なのだ。自分が無の境地にいられるから、相手の気持ちを理解することができる。相手の気持ちの中で自分が生きる道を見出せる。そのことが語りには大切なのだ。始めからこうして語るのだということではなく、声を発しながらお客との中で語りの世界を構築することができれば最高の語りができるのだろう。無はすべてを受け入れる器なのだ。
詩誌『叢生』が送られてくる。島田陽子さんからお見舞金を頂く。医療費の支払いで詩誌を送るのが困難な状態である。発行部数も少ないので、読みたい方は出来れば年間購読をしてもらえたら有難い。

2007年11月23日 (金)

日記

DVDで小津安二郎監督の『お茶漬けの味』を観る。なんでもない世界を描いているが密度が濃い作品だ。懐かしい顔ぶれに堪能する。
昨日Eさんが大腸がんの初期で手術をしたとの連絡があった。肝臓にもあるそうだ。いろんなことを考えて、昨夜なかなか寝付かれなかった。癌はこれから二人に一人が罹る病気になっていく。昔より医療がよくなったといっても、決定的な治療方法がまだ見出せない病気なのだから、やはり癌の宣告を受けることは辛いものだ。私も精神的に抗癌剤治療ではまいっている。先が見えない治療はやはり生きていて不安である。

2007年11月22日 (木)

日記

DVDバレエ・カンパニーを観る。本当に良い映画だった。
昨日から下痢が続いている。身体の調子もいまいちだ。名古屋ライブがもうすぐなのに、頑張って生きなければならない。いい語りをしたいものだ。そのためにも語りの思想をはやく作りあげねばならない。情熱をもって打ち込んでいける体制作りが必要なのだ。
無という思想はいつごとから生まれたのだろうか。仏教では、何ものにも囚われないものが無の捉え方であった。それが時代とともに無の中にいろいろなものが取り込まれてきてしまった。昨日この無というものをもっと深く知りたいと思って、中村元選集第14巻『原始仏教の成立』(春秋者)を古本屋で2000円で購入する。癌との闘いの中で、自分の思想を生み出してゆきたいものだ。最期まで努力を続けていくしかない。勉強をするにもお金がかかるものだ。私の詩集が少しでも売れるといいのだが・・・。

2007年11月21日 (水)

日記

三遊亭円楽が胃癌の手術を行う。初期癌とのこと。退院後やりたいことは何一つないとのこと。七十四歳の人の言葉としては余りにも寂しい話だ。
乙洋匤著『乙武レポート』(講談社)を読む。
一篇詩を書き上げる。

無の声

無という深い愛
そこから発する声が
尊い声の色なのだ
無は汚れを知らない
無は何ものにもとらわれない自由な世界
また無は何ものも求めたりはしない
ひたすら生命の声を届けようとするだけ
私は歓びの声を感じる
私自身も愛に包まれてゆく
無の中に拡がってゆく深い色が
宇宙の中で甦る
そこには生も死もない
永遠の平和がもたされて
無という深い愛が満ち溢れている

2007年11月20日 (火)

日記

環境問題が取りざたされているが、私達には何が出来るのだろうか。夏になれば、暑いといってクラーを入れ、冬になれば寒いからといって暖房を入れる。もし出来るとしたら無駄なものを買わないことぐらいではなかろうか。夜寒いときは湯たんぽを入れて寝ることにしている。暖房器具を使用するより電気代が節約できる。南極も北極もあと数百年で氷が溶けてしまうかもしれない。地球は人間だけのためにあるものではない。しかしアメリカや中国は経済成長のために環境問題に積極的ではない。未来のために取り返しのつかないことになる。いや我々の日本も、消費生活に溺れていては未来の自然を取り戻すことに遅れをとってしまう。植物や動物達の視線で物事を考える知識も必要である。犬や猫が保険所につかまると一週間後に処分されてしまう。これは人間の身勝手な考え方である。狭いアパートでは犬・猫は飼うことが出来ない。どうしたら犬・猫が死から救うことができるのか。里親になることが一番良いのだが、それが出来ない私は、猫をみつけてはエサを与えたりしている。生命の大切さを云々されているが、どうしたら彼らを救い出せるのか、人間の知恵はこのような世界には有効な方法が見出せないでいる。哀しいことだ。
今日は一日入院日である。

2007年11月19日 (月)

日記

富家孝著『お医者さんの危ないホンネ』(講談社)を読む。
昨日木枯らし一番吹く。もう冬がやってくるという実感を覚える。弘前では雪だとか。栄さんも大変だろう。鬱の人には寒さが応えるものだ。朝起きるのがつらなかった。
索通信の校正ゲラを送る。朝のNHKのテレビ連続ドラマ「ちりとてちん」が面白い。落語も詩語りも、お客様に聴かせることは同じだ。まず聴かせる技術を身につけて
、それから個性を作り上げていかねばならない。あくまでも自然体で語れることを目指して精進するしかない。一にも二にも努力以外にない。死ぬまで努力の世界が芸の世界なのだ。楽しく思って生きることだ。最期まで楽しく生きたいものだ人に感動をわけてあげられる世界を持つことが人生の目的でありたい。

2007年11月18日 (日)

日記

詩誌『木偶・71号』に中で、沢本岸雄氏の作品が良かった。彼は行方不明になっていたと「あとがき」に書かれてある。そして木偶に43年振りに戻ってきたとある。詩は素朴なものほどいいものがある。
索通信2の仕事が入る。医療代に助かる。
治療代のために詩集『生命の旅』の購入をお願いしています。
名古屋ライブもあと一週間だ。一番心の深いところから声を発したいと思っているが、なかなか旨くできないでいる。ただ稽古しかないのだろうか。ここ一ヶ月ばかりそのことを考え続けてきた。
横浜の中華街に漢方の材料を買いに行く。抗癌剤に負けない体力作りが必要なのだ。末期癌といわれ、6ヶ月も生き続けてこられたのも、漢方の効果があったためだと思う。それと詩語りに前向きに取り組んでいることも、生きることのバネになっている。抗癌剤で身体を悪くした人が多い。私の知り合いでも抗癌剤で苦しんでいる人がいる。見ていても辛い。

2007年11月17日 (土)

日記

久和ひとみ著『絶筆』子宮がん闘病116日の日記(小学館)を読む。最後の一ヶ月で急に悪化するなんて、本当に癌は恐ろしいものだ。これは医師の怠慢の結果である。私も検査の結果(来週CTや胃カメラその他の検査の予定)で胃を切らねばならないかもしれない。医師によれば切れる情態なら切り取るべきだという。私はどうすればよいのか迷うばかりだ。出来ればこのまま漢方と抗癌剤で完治したいと思っているのだが、そう甘くはないのだろう。手術した人が、再発して死ぬ率が多い。完全に癌を取り除くことは解らない。CTの撮影でも5ミリ以下の癌は画面に写らないと言われている。確かに以前より癌は縮まっている可能性がある。そこで思い切って切ってしまうことがよいのかどうか私には判断がつかない。検査が出てから医師と話し合って、これからの治療を決めてゆきたいとのことだ。やはり寒い日が続くと気分がどうしても落ち込んでしまう。あれこれ考えてもどうにもならないのだが・・・。
操車場7号の原稿が入ってくる。井原修さんと高橋馨さんの版下作る。
詩誌『岩礁133号』『笛242号』が送られてくる。笛の同人で詩の朗読の上手な人が多い。井崎外枝子・徳沢愛子・砂川公子さんたちは朗読に熱心である。金沢の詩誌である。

2007年11月16日 (金)

日記

神谷美恵子著『本、そして人』を読む。
夜中下痢がつづく。朝気持ちが悪い。昨夜豚肉を食べたのがいけなかったのだろうか。うつらうつら寝ながらも嫌な夢を見ていた。癌の場合身体の調子がいいと思っていても、急に様態が変わることが多い。日々身体に気をつけていないとどうなるのか解らない。身体の調子が悪くなると、気分が鬱になる。
詩誌『山形詩人』が送られてくる。

2007年11月15日 (木)

日記

詩の朗読を聴いて、意味がわからないという人がいる。詩を聞く場合、感じる心が大切なのではなかろうか。現代人は、自分で物事を想像する力が失せているのではなかろうか。これもテレビのくだらない番組をみる習慣がついた人に多い現象と思われる。クラシック音楽を最初に聴いたときは何がなんだか解らなかったが、聴くうちにその音楽のイメージを掴むことができるようになった。そのような経験を積んで音楽を聴く楽しみを私は身につけてきた。またそのようなお客の批判も私には大切なのだ。どうしたら詩を聞かせることができるのかを、深く考えさせられるからだ。詩によっては解りやすい詩もあるし、難解な詩もある。それを旨く構成しながら演奏することも大切なことだろう。どうしたら、聴いてもらえるか考えることは必要なことでもある。それともっと詩を読み込んで何度も稽古を積み重ねることだと思う。これで終わりということはない。芸の世界は、無限に深いものだ。まるで地獄に世界を歩いているような時もある。しかし、お客様に受け入れられたときは、本当にうれしいものだ。つねに精進しながら生きていくしかない。末期癌でいつ死ぬか解らないが、死ぬ瞬間まで詩語りを深めてゆきたいと願うだけだ。

2007年11月14日 (水)

日記

10時30分に病院から帰宅する。病院で神谷美恵子著『人間を見つめて』を読む。病院だと読書しかないので助かる。家にかえれば語りの稽古や、その他の雑用に追われ、読書する時間があまりない。努力しない人は人生から何も価値を見い出すことができない。豊かさに満たされると人は馬鹿になるしかない。つまり人類の滅亡である。
操車場6号50部追加印刷を行う。これは名古屋で来たお客に配る分である。
わたしの詩語りが本当にお客に聴いていただける価値があるのだろうか。癌だから呼んでいただけるのでは困る。詩語りとしての価値があってこそ、呼ばれたいと思う。そのために日々の精進なのだから。人にあれこれと物事を教えられる人間
ではないから、せめて詩語りで世の中に貢献してゆきたいと願っているだけだ。生きていられることの素晴らしさを噛みしめながら生き抜きていたいものだ。

2007年11月13日 (火)

日記

昨日、補給支援法案が衆院委で可決。日本人は本当に馬鹿になった。アメリカの言うなりに生きねばならないのか。これが衆議院でも通過すれば憲法9条に問題に繋がっていく。本当の平和を願うなら、人道的な道で貢献を続けるべきだ。医療・生活の面で苦しんでいるくの人たちを救うことが必要なのだ。武力では世界の平和は取り戻せない。ひたすら愛を求めていく姿勢が日本のとる立場ではなかろうか。末期癌になってもっとも大切なものは人の愛であることを痛感した。愛を通した生き方こそ、人間が生きる意味があるのだ。人類は無限ではない。いつの日にか人類は滅びるといわれている。その日まで理想の世界を作れるのだろうか。それに向かって生きることが人類の目標であるはずだ。そろそろアメリカばなれしていく時期がきているのではなかろうか。農業に力を入れなければ、日本は滅びていく。美味しい野菜を食べたいものだ。そして美味しい魚も食べたい。安全でだれでもが安心して食べられるものを目指して農業を発展させてゆきたい。
今日は、これから抗癌剤治療のために一日入院だ。

2007年11月12日 (月)

日記

人は何によって生かされているのだろうか。今の大人たちは簡単に切れてしまう。ちょっとした注意でさえ、暴力的になる。あやまることを忘れてしまった。それだけ現代社会は、生きていくのに窮屈な世の中になってしまったのだろうか。人の立場を思う心が希薄である。病院に入院していても、あまりにも自分勝手な人が多い。どうしたら、もっと人間らしく生きられる世の中を作ることができるのだろう。政治も教育も堕落している。相手を思う心があまり感じられない。テレビを見てもろくな番組ばかりだ。これではテレビなど見たくなくなる。大切なものを隠してしまう傾向がある。詩人達をみていても、生きてゆく情熱を感じられる人が少なくなってきている。惰性で詩誌と関わっている人が多い。世の中には苦しんでいる人が多い。中也の詩の一節ではないが「奉仕の気持ちになることが」その心を忘れてしまっている。人はひとりで生きているのではない。大勢の人の中で生きていることを忘れてはならない。詩を通じて大勢の人の中で生きることをつねに捜し求めて生きていたいものだ。

2007年11月11日 (日)

日記

操車場の6号が出来上がる。70人ほどに送る。あと50冊作らねばならない。それは11月25日に名古屋で来たお客に渡したいからだ。
ガンになったとたんに詩誌が送られてこなくなった。操車場は読みたい人が読んでいただければそれで十分だ。中山建夫さんが『水鏡』を送ってくる。「特集・追悼・篠木 建」である。彼は2007年8月1日にガンで亡くなる。生前彼にはガンであることを知らされていなかった。詩人にとってやはりガンの告知は大切だと思う。私は医師から「お前は末期癌だ」といわれた時は、ショックを受けたが、言われたことによって残りの人生を真剣に生きたいと痛感した。やりたいことだけをやるという生き方を目指した。そして詩語りに打ち込んで生きる生き方をしている。詩を通じて人明かりの仕事をしたい。そういう思い出今は生きている。もしガンの宣告を受けなかったら、いつものようにのんびりと生きていたのだろう。そして苦しい思いをして死んでいくだけだったろう。そう思えば詩人にとってガンの宣告は大切なのである。ガンによって生かされる。だからガンよありがとうと言いたい。人は何かに生かされて生きているものだ。その何かが歯はっきり末期癌の宣告によって、私は本当に生かされたといえる。抗癌剤の影響で肩や背中がいくらか痛みが出てきている。でもまだ元気に詩語りの精進を続けられている。

2007年11月10日 (土)

日記

昨日から激しい鬱に落ち込む。校正ゲラが郵便配達でなくなっていたのだ。操車場の製本がなかなかできない。末期癌者には一日がいかに大切なのか。三日も四日も、校正ゲラが届かないことは鬱の原因にもなる。普通の人には一日はたいした時間ではないかも知れないが、癌患者には一日という日がなにより大切なのだ。それに一ヶ月の生活費がもう切れてしまった。こうなると本も読むのも苦痛になってくる。それに一日で三キロも痩せてしまった。天気も悪い。名古屋ライブがあるのだから、気を高めなければならない。この鬱も抗癌剤治療のせいなのかも知れない。ときどき倦怠感が押し寄せてくる。いつどの時点で抗癌剤治療をやめればよいのか、素人の私にはわからない。ある意味で西洋医学も信じていきたい。抗癌剤治療では癌が治ることはない。しかし、癌を抑える力はいまのところ私には有効に働いていると思える。ある意味の倦怠感はやもえないのかもしれない。

2007年11月 9日 (金)

日記

名古屋公演の案内状が届く。
日時 11月25日(日) 17時ー18時30分
場所 jonetsuYoga(じょうねつヨーガ) 名古屋市東区一社スタジオ
店員 40名
参加費 3500円
予約・お問い合わせ 052-784-8800 ボイスセラピー 時野慶子・須藤美智子まで

病気になったとき。悲しみの詩が多いが、私は歓びの詩を書いてゆきたい。いのちの尊さを見つめながら生きていたい。末期癌になってしまったのだから悲しみをうたうより、生きている喜びを詩でうたいたいものだ。そうしなければ生きてはいけない。楽しく末期がんと付き合っていきたいものだ。
名古屋公演では、村上昭夫・尼崎安四・中原中也・宮澤賢治・金子みすゞなどを語る予定である。

2007年11月 8日 (木)

日記

操車場6号の印刷製本が来週になります。17日頃には書き手に渡せると思います。読みたい方は年間購読か、漉林書房にお申し込みください。
人間らしく生きるということはどのようなことなのだろうか。それは目的を持って生きるということではなかろうか。作品も、それなりのテーマを決めて書く人と、その時の気分で書く人では自ずから異なってくる。詩の技術も、これだという方法論もない。固有の世界を見つけ、それを自分なりに表現する方法を見出せば、それが技術として身につくはずだ。
操車場にガンの人が一人でも多く参加してくれたら有難いのだが、なかなかいないものだ。人明かりになるということは、どのようなことなのか私はそれを追及してゆきたい。難しい問題だが、ただ人に優しいということではない。もっと深いところから人明かりを生み出すことを考えねばならない。そう意味では、末期癌になったことは大きな意味に繋がっている。死を見つめることも、それは概念的ではなく、実態として受け入れていく意外には生きていけない。そのことは人生にとって大きなプラスになった。それは確かに辛いことではあるが、その中でしか生きられないのも末期癌のなせる技であろう。それに感謝の気持ちで生きていくことだと思っている。

2007年11月 7日 (水)

日記「

午前11時に病院から帰宅する。一日入院であった。
神谷美恵子著『生きがいについて』コレクションを読む。(みすず書房)
船瀬俊透著『宣告1』(花伝社)を読む。」
この世は何も信じられない。小沢代表、辞任の撤回は茶版劇だ。政治に期待する心がますます薄れていくだけだ。食品の安全性も信じられない。自然食品もどれだけ安全なのか解らない。私のように治療代もままならない人間には自然食品など手が出ない。スーパーで売られている食品は、添加物で食べられるものではない。微量な添加物でも数十年食べ続けていれば、いつかは癌に犯される。そのときは安全であっても長い年月をみれば危険である。原発も同じことが言える。せめて詩を通じて人明かりの世界を作ってゆきたいものだ。詩壇からはそのよな期待は無理だ。所詮芸術は孤独な闘いである。一人の内部の世界から生み出されてゆくものだから。自分と闘う心の中からしか人明かりは生まれてこない。
神谷美智子さんの
『生きがいについて』のエッセイの最後に「11に現世へももどりかた」が書かれている。その最後のところに「病めるひとたちの問題は人間みんなの問題なのである。であるから私たちは、このひとたちひとりひとりとともに、たえずあらたに光を求めつづけるのみだ。」と書かれている。このような言葉をよむことで人への信頼をとり戻れる。いやな世の中だが、光を求めて生き続けることは大切なことである、またそれが人間としての義務ではないのだろうか。

2007年11月 6日 (火)

日記

人は不幸に陥ったとき、未来に向けて大きく花を咲かす人もいる。それは偶然ではなく、幼年時代にその芽があることが多い。
末期癌の場合、生きがいをもとめるのは家族的な愛がもっとも多い。なんでもよいから生きがいを求めて生きられれば、末期癌になっても耐えて生きられるものだ。
詩の朗読は、社会的に見てもほとんど公認されていない。日本には吟遊詩人など存在してこなかった。戦後はますます活字主義に陥り、声を発することを避けてきた。書かれた詩だけが、詩と思い込んでいる。詩は喜びや、悲しみを伝えるのは最適な方法である。そしてそれを声に出して読むことによって、その効果はますます大きく広がってゆくはず。それが現在、詩の朗読には、聞き手が存在しなくなっている。詩を聞かせる技術を詩人は持っていないのだ。人に感動を与えるということを忘れている。これでは、詩が読まれないのは当たり前だ。巡回朗読の中から、一人でもよいから吟遊詩人が生まれることを期待したいものだ。朗読はどこても気軽に行えるのだ。末期癌になって詩語りの重要性がますます肌で感じるようになった。見果てぬ夢に向かって生きていたいものだ。

2007年11月 5日 (月)

日記

昨日から手の痺れが感じられる。これは前々からであったが、今朝は人差し指が痛みだした。やはりこれも抗癌剤の影響だろうか。癌と共存しながら旨く生きていくしかない。
飯島直樹著『ガンに生かされて』(新潮社)を読む。まさにガンは人を生かしてくれるものでもある。しかし、本当に生かされる人は少ないことも事実だ。昨日本屋で『神谷美恵子コレクション』1・2・5を購入する。魂の深いところから発する言葉を聴きたい。心のい深いところから、人に何かを伝えてゆきたいものだ。
昨夜は、死体をみる夢にうなされた。今自分のガンはどうなっているのか。これから何処へいくのか、さっぱり解らない。

2007年11月 4日 (日)

日記

プロは、あらゆる努力をして試合に望む。試合はその日の運もあるだろう。そして最大の敵は自分自身であろう。そして、自分との闘いに勝つか負けるかだけのことだ。プロの試合はいつ見ても心がどきどきしてくる。
詩の言葉は、病める人の心にどれだけ届くのか。
詩人の声は、どれだけ病める人のこころを癒すことができるのだろうか。
こびた声で朗読を行うのをみていると腹がたつ。私は本当の癒しを求めて、闘いに続けていたい。つまり魂の叫びが、人の心を癒すのではないかと思っている。相手を癒すというより、自己との闘いが聞くものの心を惹き付けると思うからだ。
末期癌になって、ほんものの癒しを求めている。そこには妥協のない戦いがあるからだ。詩人の朗読もプロ意識を持たなければ、人の心を惹き付けることができない。それは旨く語るというより、魂の叫びを声を発することができるかどうかではなかろうか。心の一番深いところから声をいかに発していけるかが問題なのだ。
抗癌剤の治療で、食事がまずく感じる。何を食べても美味しく感じられない。せめて詩人の魂からの声が聴くことができたら、少しは癒されるのだが・・・。
生きていられる間は、ひたすら魂の声を求めて闘い続けていたい。そして出前の仕事は
入れば最高の幸せを感じるのだが。

2007年11月 3日 (土)

日記

詩誌の交換を減らしたら、送られて詩詩が少なくなった。本当に読みたい人に送るのが本筋である。しかし、詩誌の場合送られてくるから、こちらも送るといった安易な方法で詩誌の交換が行われているのではなかろうか。人に読んでもらいたい詩誌作りをいつも目指してきた。それは『漉林』を見れば解るはずだ。書き手一人ひとりがどのように詩誌と関わりあっているか、その濃密度の高い詩誌ほど、いい詩誌作りになっている。何を求めて詩を書き、何を求めて生きているのか。常に問い続ける姿勢が大切である。
私の詩集の三部作の中で最後の『未来への旅』はファンタチックな作品をつくりたいと考えている。しかし、まだ二部作の途中である
。『生命の旅』の第二章・生命の尊厳を書いているところだ。詩集をつくるにも金がいる。次の詩集を作るためには、『見果てぬ夢』『生命の旅・第一章』を売らねばならない。それとも何かの賞にでも入って金を得るしかない。しかし、私の詩はいままで賞とは無縁であった。賞をもらうために詩を書いているのではないから、それはいたし方がないだろうと思う。それより、現実問題は、これから治療費をどう支払っていくのかが問題だ。詩語りの出前があればと思うだけだ。どこかで尼崎安四の詩を語りを行いたいものだ。

2007年11月 2日 (金)

日記

詩誌の同人は、ただ参加しているばそれでよいと言うものではない。書くことの責任と、詩誌に参加することの厳しさと優しさを持たねばならない。ただの愛好家的な詩誌ならいざ知らず、私の求めている詩誌は、人に優しさを当てるものでなくてはならない。そのためには、自分が厳しい姿勢をもつべきだと思う。
いま、詩語りを行っているのも、日々それなりの稽古を積み重ねなけば出来ない。抗癌剤で身体もだるい。それでも雨のときも二時間ほど声を出して稽古に励む。その後はしばらく床に入ってしまうが・・・。
昨日歯医者に行ったが、8000円も取られた。次回は銀歯いれるから15000円ほどかかるといわれた。語りを行うために歯の治療も大切なことである。それにしてもお金がかかりすぎる。私の預金通帳も底がつきそうだ。これからどうやって生活を維持していくのか不安でならない。つまらないことを考えて、昨夜はほとんど眠れなかった。

2007年11月 1日 (木)

日記

この度の詩集が本当に良いのかどうか知りたいものだ。中村不二夫さんからは、高見順の『死の淵より』をさらに越えた。との手紙を頂いた。数人の人からも同じような手紙をいただいた。私としては高見順の詩は素晴らしいものだと思っている。死に対する視点の違いだと思う。死を見つめながら、この世の美しさを追求してゆきたい。
昨日「無の中で」という詩を書いた。無の中で神や仏と出遭う。その世界を書いてみたかった。キリストとか仏陀という個人的な名ではなく、大きな宇宙の中で神を見出したい。
中原中也も今年100年生誕記念の行事が各地で行われているが、私のところには話がこない。中也の詩語りはそれなりに聴かせる自信を持っている。CDも出している。昨日から尼崎安四の詩の語りの稽古を再会した。質の高い詩の朗読をしてゆきたい。そのことが人の心を癒す世界でもあるからだ。本物の詩の語りをしたい。私もこれから本物の詩を書いてゆきたい。末期癌になった人間として、本当に人生と闘い続けたい

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