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2007年10月31日 (水)

日記

自然食品に野菜は美味しい。肉ジャガを作って食べたが、ジャガイモの本当に美味しく感じられた。生活費が月に三万円しか使えないのだが、癌である私にはなるべく自然食品をとるようにしている。そうすると生活費が倍近くかかる。生活はまさに破綻寸前である。切りつめられるものは、切りつめて生きていくしかない。それにしても詩集やDVDが売れれば助かるのだが。そして詩語りの出前があれば、それなりに生きていける。
末期癌になって半年が過ぎた。自分でも不思議な気持ちである。自分の身体がどうなっているのかさっぱり解らない。医師からの説明はまったくない。抗癌剤の副作用で身体のだるさが感じられる。
操車6号の締め切りが今日である。あと一人の原稿がまだない。

2007年10月30日 (火)

日記

私の友達に穂谷君という人がいる。彼は長野の「ほおずき書籍」に勤めている。その出版社から矢沢宰詩集『光る砂漠』が上梓された。(定価・本体2000円)送ってきてくれた。これが現代詩とは違うが、詩の形を借りた魂の詩である。

小道がみえる

小道がみえる
白い橋もみえる
みんな
思い出の風景だ
然し私がいない
私は何処へ行ったのだ?
そして私の愛は    (絶筆)

かつて矢沢宰の詩集が話題になった。またこういう形で本が出版されることは良いことだ。彼は昭和19年に生まれ、昭和41年3月、21歳で永眠。
昨日川崎のブック・オフで癌に関する書籍10数冊買う。その中にポスピタスに関する本が2冊あった。ポスピタスに個室は一日1300円ほどかかる。とても私のような低所得者にはポスピタスには永遠に入居できないだろう。ということは、もっと世の中で詩語りの仕事を続けれと神様が言っているのかもしれない。人間として最期まで闘って生きたい。その証として詩語りライブがある。柏崎で行ったライブDVDを多くの人に見ていただきたいものだ。撮影は元HNKのカメラマンの高橋章さんである。私の個展風景も録画されてある。
欲しい方は本体2200円送料は無料。治療費に当てるので出来るだけ買っていただいている。詩語りライブの出前行っています。料金は相談の上決めさせてもらいま。また癌関係の仕事の場合は交通費のみで出前いたします。そのときはミニ講演もおこないます。

2007年10月29日 (月)

日記

昨日、神田古本市に行く。癌にかんする本を探しに行ったが収穫ゼロである。柳澤桂子さんの本二冊買い求める。「意識の進化とDA」「いのちの日記」
午後の5時半より川崎詩人会に出席。「いま生きるについて」を話す。帰宅11時頃。朝起きると非常に疲れているのを感じる。肩が痛い。
詩誌・操車場の締め切りが31日まで。参加したい方は、31日まで原稿が届くようにお願いします。それ以後は次号にまわします。

2007年10月28日 (日)

日記

札幌のKさんから詩集『生命の旅』の注文があった。それも四冊である。彼はガンにかかっている友達に読んでもらいためにとの手紙があった。私も詩人というより、同じ癌患者に読んでもらいたい詩集である。
癌になって、本当うに生きよとする人は、癌にかかる前からそれなりの生き方をしていた人である。急に癌になったから、自分はこういきるのだという思考はなかなか生まれてこない。ローマは一日にしてならず、という諺があるように、こつこつ努力している人が、癌にかかったとき、突然活き活きと輝く人生を送ることが出来る。
詩語りライブも人が来るとか来ないとかの問題ではなく、自分に負けたくないから仕事が入ればばどんどん行ってゆきたい。客が一人でも来ていただければ、どんな場所でもゆきたい。後どれだけ生きられるか解らないのだから、つねに全力で生き抜いていたい。語りができれば身体も活き活きとしてくる。語りは免疫力を高めてくれる。科学的治療より効果があると思う。癌は自分の細胞の一部なのだ。この細胞とうまく折り合いながら生きていくしかない。そのうち癌細胞も諦めて消滅するかもしれない。末期癌だからと言って人生を諦めてはならない。最後まで闘う姿勢が癌を撲滅する有効な手段だと思う。

2007年10月27日 (土)

日記

昨日の朝日新聞の夕刊に寄席の記事がある。その中で若手落語のことが記されてある。評論家の大田博が、「裏・研精会」について愛情があるが厳しいことまで言っている。詩の朗読も誰かが愛情を持って厳しい批判がなされないと、朗読は少しも良くならないのではなかろうか。朗読をしても、自分の声を録音すう詩人などほとんどいない。やりっぱなしが多い。批判すると、詩人は芸人ではないのだから、あくまで素人ぽく行っていいのだと開き直る詩人が圧倒的に多い。大田博のように、厳しい批判と愛情をもった指導できる評論家が詩の朗読の世界でも必要なのだ。詩の朗読は、何処へ向かってこれから進んでいくのだろうか。もっと真剣に考える時期にさしかかっているのではなかろうか。
浜岡原発停止認めずの判決がでた。地震大国の国に本当に原発は必要なのだろうか。未来のためにも原発は必要でないはずだ。もっと安全な形で電力をまかなうことを考えていくことが大切のことである。柏崎地震の教訓が少しもいかされていなくぃ判決であった。

2007年10月26日 (金)

日記

詩誌「操車場」の原稿の締め切りは今月末日です。1号から5号まで品切れになりました。読みたい方は、年間購読をお勧めいたします。年間5000円です。
詩集『生命の旅』発売中。一般の方は買ってくれるが、詩人からの注文はほとんどない。詩人は、交換が前提だから詩集を買う習慣がない。末期癌である私は、詩集を売るしか生活がなりたたない。そして次の詩集を上梓するためにも、謹呈は無理である。
池山吉彬さんから、詩集の感想文を頂きました。「詩集を読みました。そして、そのひどく透きとおった詩句と、詩集をつつむ不思議な明るさに驚いたのです。」と書かれてある。池山吉彬さんからカンパまで頂き恐縮しております。
坂井さんと私の収入を合わせても10万そこそこです。医療費や生活費などでとても生活が出来ない状態です。詩語りライブが入ると何とか生きていられる状態です。末期癌であるからこそ、本当の魂の叫びを発して生きていたいのです。闘いが私の人生でもあるのです。末期癌には負けない生き方を追求していければと思っています。

2007年10月25日 (木)

日記

昨日ライブを行った。『生命の旅』の前半を語る。坂井のぶこさんは詩集『今女』から語った。声が少しづつ戻ってきている。全身全霊を込めて語ることが、今の私に求められている。末期癌でもこれだけのことは出来るということを証明してゆきたい。舞台は神聖なところだ。だから手を抜いてはならない。帰宅したときは、確かに疲れはでている。それは私個人の問題である。今の詩人たちの朗読を聴いている限り、気迫が伝わってこない。巡回朗読会も、少し方向を変えていかないと、人は集まらないだろう。そいてレベルアップをしていかないとならない。しかし、そのような方向を取れる詩人が果たして存在しているのだろうか。末期癌である私は、もう他の詩人達の朗読のことをかまっていられない。ひたすら精進をしていく以外にない。お客の為に自己との闘いがあるのみだ。
次回の朗読会は2008年1月21日(月)である。そのときは『生命の旅』の出版記念ライブである。

2007年10月24日 (水)

日記

11時に病院から帰宅する。病院で柳田邦男著『ガン回廊の炎』を読みはじめる。病室でS氏にあう。彼は血の塊を吐いて入院したのだが、医師は、なんでもありませんと言うだけで、詳しいことを教えてくれにと溢していた。確かにこの病院では医師からの説明が少なすぎる。そのところのケアが不足している。彼の話を親身になって効いていたら看護婦から注意をされた。話したいならディルームに行きなさいと。
柳田邦男の本の中に『末期癌とは、余命3ケ月以内で、治療不能であり、転移をもつ進行癌で、肉体的にならびに精神的な苦痛が伴うものである。』と別の著書からの引用があった。では私の末期癌はなんなんだろうか。六ヶ月も過ぎてもぴんぴんに生きている。先日のMRIの検査の結果も私から質問しなければ話はなかった。その結果は腰の骨には癌細胞が転移していないとのことである。ほっと安心した。
今日は夕方7時からライブがある。少しは身体が
疲れているが、頑張って行うだけだ。来てくださる方のためにも。

2007年10月23日 (火)

日記

明日ストライプハウスギャラリーで詩語りがあります。
7時開場 7時30分開演
出演 田川紀久雄 坂井のぶこ
ご来場をお待ちしております。
新刊の詩集『生命の旅』も販売いたします。


今日一日入院である。あっというまに一週間が来てしまう。いろんなことを考えて眠れない日もある。この癌を治すには生命のエネルギーを高めていく生き方しかない。言葉で言うのは容易いが、実際日々の中で実践していくことはなかなか難しいことだ。つねに目の前にはっきりした目標がないとなかなかエネルギーを高めることができない。そういう意味でも詩語りが出来ることは、末期癌にとっては生きる目標にもなる。しかしお客が集まらないときは、やはり悲しくなる。それに治療費も稼がなければならない。今の私は人の心にすがって生きているようなものだ。だからこそ、納得のいく語りを行いたいと願っている。またそのために日々努力をして来ている。

2007年10月22日 (月)

日記

土曜日に出歩いたので、疲れが出て昨日は一日寝転んで過ごした。坂井さんは風邪を引いて寝込んでいる。お互いが無気力状態。Tさんから電話が入ったが、思うように対話が出来なかった。
田中国男さんから、詩誌「はだしの街」が送られてくる。『見果てぬ夢』の広告が大きく入れてあった。感謝。いま私に出来ることは自作詩の語りを深く掘り下げていくことしかない。本当に人の心の底に届く語りを行いたい。語りで大切なことは気迫である。気迫は即生命力でもあるからだ。11月25日に向けて精進をしていかねばならない。

2007年10月21日 (日)

日記

昨日画家の木下晋さんの家を越後タイムス社の柴野さんと訪ねる。遅れてビデオカメラマンの高橋章氏がくる。柏崎ライブのDVDを持ってくる。来年柏崎で木下晋さんの個展をおこなう打ち合わせである。
柏崎にはもう原発はいらない。アメリカで核実験がおlこなわれて、その周辺の人たちが癌になって死んでいっても、その因果関係を認めようとはしない。民主主義国家でありながら、人間の尊厳を守ろうとしない。怖い話である。
ライブの映像を見る。編集に疑問があるが、なかなかの出来栄えである。治療費のためにのDVDを2200円で発売いたします。注文をいただければお送りします。

2007年10月20日 (土)

日記

詩集は、読者の心に届くものを作れば、それなりに売れるものだと思う。詩集は売れないものだと決めつけることはしない方がよい。『生命の旅・第一章生命の旅立ち』を上梓した。次の詩集『生命の旅・第二章生命の尊厳』の作品が八割まで出来上がっている。来年の春には出版したいと考えている。医療費でお金がかかるので、贈呈はできない。詩集を売って次の本をつくるしかない。この度は柏崎で行った絵の個展で絵が売れたので詩集が出来た。詩集『見果てぬ旅』はイベント会場で50冊以上売れた。詩集の発行部数は少ないのだから、それなりに努力をしていけば売れるものだ。私の友人の詩人も、詩集を謹呈しない主義でいる。本当にお世話になった方のみに送る。大切なのは、読んで耐えられる詩集を書くことだ。人の心に響く詩集を書くこと以外にない。現代詩は、読者がいないと言われている。それは読み手に向かって書いていないからである。そんな詩集などいくら書いても誰も読まない。詩の語りをやっていて、何が大切かというとお客様の心である。来てくれた方への感謝の念で懸命に語ることだ。聞き手がいるから語りができる。それと同じように読み手がいるから本を出版する。
詩集『見果てぬ夢』『生命の旅』各頒価2200円。送料無料。部数に限りがありますので、お早めに申し込みください。

2007年10月19日 (金)

日記

名古屋で11月25日にライブが決まる。詩がどこまで人の心を癒すことができるのか。社会に向けての発信である。企画は時野慶子さん須藤道子さんである。。末期癌である私も、詩を通じて人の心をいやせる世界を築きたいと思って行動をしている。詩人同士の馴れ合いの世界は反吐がでそうだ。一人一人の心に溶け込む詩の運動が大切なのである。この企画はホスピスを目指して行動をしている彼女達と、私がめざしているターミナル・ケアを詩の中でどう生かしていけるのかを問いかけの試みでもある。これは現代詩の中でも画期的な試みの一つである。社団法人になった日本詩人クラブでは社会的にといいながら、その社会的な試みが見えてこない。詩人が本当に社会的に貢献することを詩人達はほとんど考えていない。ひたすら同人詩誌の交換や詩集の謹呈で終わっている。これは悲しい出来事なのだ。自己が無になって社会参加してゆきたいものだ。それは声を発することが最大の効果ではないのだろうか。詩の言葉は、人に生きる勇気を与えてくれるものだ。隣人に生きた言葉を伝えてゆきたい。

2007年10月18日 (木)

日記

田圃は、ダムの役割をしていた。だんだん田圃も減りつつある。セメントでつくられたダムは本来必要のないものが多い。無駄な金(税金)をよくもここまで注ぎ込んできたものだ。田圃が減れば、山も荒れてくる。日本の川はどこもかしこもダムが作られている。先日いった奥多摩にも白丸ダムがあったが、水が汚れていた。川の風景も損なわれている。それに杉林の山では、山に水がたまらず、すぐに川に流れ込む。それは死んだでもある。動物も生きづらいであろう。まだ多摩川のアユがうられているのを見たことがない。自然を守ることは、自然を生かすことにある。そのことによっても、人間がもっと活性化してゆくのではなかろうか。自然力が衰えると、人間の生命力も衰えていく。そして人間は病にかかりやすくなる。癌もその一旦なのかもしれない。癌も豊かな自然の中で生活すうと直る可能性もあるという。自然も人間の身体の一部なのかもしれない。癌細胞はその人の身体の一部と同じように。細胞を活性化すれば、癌細胞は死滅していく。生きる意志を強くもつ人は抗癌剤も効き易くなる。そのためにも、今の壊れかけている自然を本来の自然に取り戻す運動がたいせつなのである。癌とは自分だけの闘いではなく、自然との闘いでもある。

2007年10月17日 (水)

日記

正午に帰宅。MRの検査を行う。
加藤康一著『岳史とい、生命のあるかぎり』(講談社)を読む。
柳田邦男著『明日に刻む闘い』(文藝春秋)を読む。第二部「宣告を超えて」が参考にな
る。そのなかの断章・異郷の地で」がいい。末期癌について書かれている。それど最期まで「人間の尊厳」についてものべられている。抗癌剤については「抗ガン剤というもの、独立して働いているものではなく、ガンに対する人体の生理的拮抗の一部として効いているのだと考えなければならなくなる。」私もそのような考え方だ。しかし今の抗癌剤はどこまで進歩しているのか、それをしりたいものだ。医師からはなにも説明はされていない。知りたいことがほとんど解らないで入院している。多分医師も抗癌剤についてそれほど解っていないのかもしれない。これしか治療方法がないから、という考え方なのかもしれない。つまり、末期癌とはそのようなものだということなのだろう。私は詩人なんだから心から末期癌と闘う方法を模索していく意外にない。
点滴のとき、いつも二三度注射針をするが、一度でなんとかならないものか。最近注射するのが怖くなりつつある。

2007年10月16日 (火)

日記

はっきりとものが言えない風潮があるような気がする。詩人は言いたいことを自由に言うのが信条である。これは小泉政権から、特に世の中に蔓延してきている。弱い立場の人は、上司やその他の人から言われれば、黙って聞いているしかない。パワハラ自殺が労災認定された記事が今日の朝日新聞に記載されている。
ゴア氏のノーベル平和賞の意味は大きい。今すぐの行動をと呼びかけている。確かにすぐ行動しなければ北極や南極の氷が数十年で解けてしまう。ペンギンや白熊たちの数が激減している。中国やアメリカの自国の経済の成長率のために積極的に環境問題を取り組むことを避けている。また原発の問題もこれから大変になる。アメリカではこれから原発を何百と作っていくという。日本も地震国である。本当に安全なのだろうか。柏崎原発でその安全性は否定されたはずなのに・・・。もっと安全な方法で発電の問題を追求していかなくてはいけない。いやないものがあまりにも我々の生活環境を脅かしている。
今日はこれから一日入院である。

2007年10月15日 (月)

日記

詩集『生命の旅・第一章』が出来上がってきた。前作の『見果てぬ夢』より詩集としては上であると思う。この詩集を売って治療費を捻出しなければならない。これからの私は、詩語りや詩集を売って生きていくしかない。それに『生命についての』講演もできたら行いたいものだ。詩は詩人のためにあるものではない。一番弱い立場の人へのためにあるものだと思う。心をケアをする仕事が詩人の仕事なのだ。それを具体的に行っていくにはどうしたらよいのか。それは自分の病気と向き合えながら真剣に問い詰めてゆきたい。抗癌剤でいろんな表情が出始めてきている。何処まで抗癌剤の治療を続けるのか。これからどう生きていけばよいのか。やりことはいっぱいある。一人ひとりの人間と付き合いながら、答えが得られてゆくのだろう。詩誌・操車場もこれから変わってゆかねばならない。詩人たちとの交流を断ち切って、自由に自然体として生きてゆきたい。そしてどんどん仕事をしてゆきたい。基本的の仕事は出前詩語りが中心となってゆくだろう。

2007年10月14日 (日)

日記

アメリカの圧力で日本の食生活が脅かされている。このままいけば日本の農家は農業を辞めざるを得なくなる。野菜の種なども、ほとんどが外国ものである。食べ物の安全性が脅かされているのだ。それに遺伝子組み換えの食べ物がどんどん日本に入ってきている。安保条約の影で、日本の食べ物の自給自足を放棄してしまった。これは国の大きな責任である。農薬付けの食べ物しか食べられない。自然食品や健康食品は、馬鹿高い値が付けられて売られている。これでは病気になる確率が高くなるのも当たり前だ。
日本の医療ではキュア(医学的治療)とケア(心の癒し)とが分離されていて、本当の意味でのケアが見落とされている。癌の早期発見で癌の死亡率が減ってきているが、末期癌者の死亡は少しも減ってはいない。末期癌者には、ケアを中心とした医療体制を作り上げていく必要がある。詩を通してこのケアに参加することも可能ではなかろうか。これからこの問題を深めてゆきたい。現代詩は、この問題を放棄しているところに最大の欠陥がある。誰も読まない詩を書いて満足している詩人が多すぎる。その挙句の果ては、賞を狙うだけの詩人になってしまう。賞をとった作品も、それほど読むに与えしないものが多い。悲しい限りだ。

2007年10月13日 (土)

日記

心の底から楽しく詩を語ってみたい。精・技・体が備わっていないと、何をやってもうまくいかないものだ。先日のボクシングは、あまりにも見るに耐えないものであった。スポーツだから勝てばなんでもやっても良いのだという発想はスポーツの人気をおとさせてしまう。
語りでもそうだが、語る前の姿勢が語ることより大切なことである。いま『生命の旅』の稽古にはいっているが、そこのところを意識して語りに深みをつけてゆきたい。それもあくまで自然体として語れることである。私は芸の力として人に感動を伝えたいと望んでいる。そのためにはひたすら日々の研鑽しかない。一日を大切に生きていくこともその道を切り開いてくれる大きな要因につながる。つねに謙虚な気持ちで人前に立って生きていくことだ。

2007年10月12日 (金)

日記

昨夜時野慶子さんより電話があった。彼女は詩を通じてホスピタスを試みている。須藤美智子さんと一緒に行っている。いちど彼女らの現場を見たいと思っていた。名古屋で一緒に朗読をやりませんかとの話であった。何年前に岐阜で一緒に朗読を行ったことがある。人明かり、詩明かりを目指して朗読(語り)に打ち込んでいる詩人は彼女らと私達意外にいないように思える。
先日K病院の看護婦さんと話し合った。彼女は真面目で自然や、看護婦のあり方を追求している。つねに「生きる」ことの問いを続けていられる。できれば、もっと自然体で生きることが大切のように思えた。肩の力を抜いて、空気のように生きることも看護婦には必要ではなかろうか。本当のやさしさとは何であるのだろうか。そのためには心の輝きを深めるしかないだろう。

2007年10月11日 (木)

日記

抗癌剤の治療で手の痺れや、腰の痛みがでてきた。つぎの治療のときMRの検査をおこなう。
操車場の会員の方にできれば、原稿はフロッピーで送っていただきたい。長くパソコンを打つと手の痺れで指に感覚がなくなってしまう。出来るだけパソコンの使用をやめようと思っている。このブログだけは続けて行きたい。
来週には詩集『生命の旅』が出来上がってくる。出版ライブは来年に行いたい。それまで完璧に作品を読み込んでライブに望みたい。次の『生命の旅』(第二章生命の尊厳)の詩が書けでいる。自然をもっと見つめながらスケールの大きな作品を書きたいものだ。自殺が増えている。本との命の尊さとは何なのだろうか。大量生産のよる食物公害。公害問題。教育問題。どれととっても未解決な問題だ、この地球に安心して住めない私達は不幸な世界に生きているとしか言いようがない。それを跳ね返す力が個人の内部にある。それをもっと引き出して生きていくしかない。癌との闘いもその一つである。自作詩を自由に語れることを目指して生きてゆきたい。そしていろんな場所で語ってゆきたい。

2007年10月10日 (水)

日記

一日入院で柳澤桂子著『母なる大地』(新潮社刊)を読む。ビオトープの入門書でもある。それと高宮有介著『がんの痛みを癒す」(小学館)を読む。これは緩和ケアの話の本である。時間のあるかたにはどちらも読むことをお勧めする。
手の痺れや腰のみたみなどが出てきたことを医師につたえる。次の水曜日にMRの検査をすることが決まる。腰の痛みなどは腰の骨に転移すると起こる。一応調べていたほうが気分的にも楽になれる。
友達から次のような手紙をもらった。「東儀という雅楽器を演奏する奴が20代のときに、肢に癌が発見され、切断という診断を告げられて、彼はそれから自分が本当に心底から楽しめることだけに集中していたら、病巣が消滅してしまったそうだ。」
どんな病気になろうとも、諦めないで生きることに懸命であれば、病気を超えて生かしてくるるものだ。

2007年10月 9日 (火)

末期癌日記

日曜日の奥多摩(鳩ノ巣)へ散歩に行った。山をみると杉だけの山ばかりだ。この自然環境は、私の身体と同じように末期的表情だ。山にはいろんな木が植えられているのが散歩者にはよい環境なのだ。これでは杉花粉で、花粉症にかかる人が多いのはあたりまえだ。土壌にとっても良くない。これでは崖崩れがおきて当然。吊り橋を見ようとおもったのに、崖崩れで通行止めであった。白丸の近くにカフィがある。その店によって蕎麦をたべようとおもって入ったが、客のもてなしがわ悪い。杖をついて腰も悪いわたしに、立ってテーブルがあくまで待っていてくださいという感じだ。数分待っていたが、立っているのも辛くなり店を出てしまった。人へのもてなしができない店員の教育はどうなっているのだろうか。せめてイスを持ってきてお座りくださいとの一言ぐらいあってもいいのではなかろうか。末期癌者は気が短くなっているのだ。怒りをわすれたら人生も終わりだ。もっともっとこの日本のあらゆることに怒りをぶつけていきたいものだ。そして、人への思いやりを忘れず人明かりになれる人になりたい。
今日は一日入院である。明日のブログは午後に書くことになる。

2007年10月 8日 (月)

末期癌日記

村上春樹の翻訳した小説の中に「生きること」という作品がある。作者はグレイス・ベイリーである。アメリカでは貧しい人たちは、医療を受けずに、死をむかえていきている姿が描かれている。それも淡々としてかかれている。死に掛けている人が友達に電話をかける。すると相手も「私も死にかけているのよ」という。そういう物語である。
柳澤桂子さんの著書に『われわれはなぜしぬのか』とうのがある。そのあとがきに「私あっちは、死を運命づけられてこの世に生まれた。しかし、その死を刑罰として受けとめるのではなく、永遠のい解放といsて、安らぎの訪れとして受け入れることができるはずである。また、死の運命を背負わされた囚人として生きるのではなく、誇りち」希望をもって自分にあたえられた時間を燃焼し尽くすこともできるはずである。」と書かれている。末期癌になったら、この自分の命を燃焼しきることが癌と共に生きる意味も生まれてくる。そして、末期癌になったことを感謝すれば、その人の生命はつねに永遠の中で生きていられる。

2007年10月 7日 (日)

末期癌日記

癌の生存率が発表されたが、末期癌については何ひとつ書かれていない。末期がんの五年後の生存などゼロに近いからであろう。でも末期癌と診断されて何十年と生き続けている人がいる。いや末期癌がいつの間にか消えてしまった人もいる。だから末期癌だからといって絶望することはない。今日一日を生きること。その続きが明日も生きていられることに繋がる。そして生きる目標を持つことによって、末期癌を克服することも可能なのだ。医学的には助からないと言われても、人の生命はそう簡単には死なない。生命力を高めることが今日という日を生かしてくれる。そのことの積み重ねしか末期癌者にはない。生きる希望を捨てにうことだ。どんな小さな希望だって、ないよりましだ。『生命の旅』という詩集がもうすぐ上梓される。末期癌と向き合いながら生きる姿勢を詩にしたものだ。これは三部作の第二部の第一章である。第一ぶが『見果てぬ夢』である。これは好評発売中である。頒価2200円。この詩集をいろんな場所で語ってゆきたい。それが私の夢である。そしてこの語ることの中で末期癌と闘って生きていたい。

2007年10月 6日 (土)

日記

本を読んでいても、途中で嫌になるものもある。また途中でやめられず徹夜しても読みたい本もある。この差はどこにあるのだろう。詩でも同じことがいえる。それは書き手の情熱の差であるかもしれない。この場合情熱とは人生に対する情熱も含まれている。それはまた、詩の朗読に対しても言える。末期癌の治療の対策がないいま、生きることの情熱だけが、一日でも長く生きられる秘訣なのだ。ただ生きたいだけではなく、どう生きるかという大きなテーマを持っていることが、その人の寿命を長引かしてくれる。いま、末期癌とどう生きるかを多くの人の前で語りたい。そしてそれを実践してゆきたい。詩人でも末期癌者はいるはずだ。その人たちと手を結んでゆきたい。そして詩を通じて人明かりの世界を構築したいものだ。

2007年10月 5日 (金)

日記

最近新聞でも癌の記事が多く扱われている。国立癌センターの外来では一日の二千人も並ぶという。そして空ベットもなkなかない。末期癌の私など入院することなどできないだろう。癌もお金がなければ安心して病院に入院すうこともできない。医療費が高すぎる。私のように収入のない人間は、早く死ねといわれている気がしてならない。しかし、そう簡単には死にたくない。遣り残している仕事がある。末期癌でも諦めたらだめだということ。生きようとする強い意志をもてばそれなりに生きられる。そのことを実践して生きてゆきたい。そして詩語りを通じて,癌患者にも生きる希望を与えてゆきたい。10月のイベントは24日(水)ストライプハウスギャラリーで行う。聴きに来ていただいた方には操車場5号をプレゼントする。やたらに詩誌との交換はしたくはない。詩人達は、それほど詩誌の中身を読んでくれない。詩人が社会に向きえて生きることを本当に追求している詩人があまりにも少なすぎる。詩人クラブの法人化しても、詩人そのものの体質がかわらなければ、お先は暗い。知名度を求める組織には、人のために生きる人など育成ができないのではなかろうか。この前の詩人クラブの例会での朗読も、私の方から言わなければ、朗読をさせてもらえなかっただろう。組織とはそういうものだのだろうか。聞いていても何の反応もなかった。寂しいものだ。

日記

最近新聞でも癌の記事が多く扱われている。国立癌センターの外来では一日の二千人も並ぶという。そして空ベットもなkなかない。末期癌の私など入院することなどできないだろう。癌もお金がなければ安心して病院に入院すうこともできない。医療費が高すぎる。私のように収入のない人間は、早く死ねといわれている気がしてならない。しかし、そう簡単には死にたくない。遣り残している仕事がある。末期癌でも諦めたらだめだということ。生きようとする強い意志をもてばそれなりに生きられる。そのことを実践して生きてゆきたい。そして詩語りを通じて,癌患者にも生きる希望を与えてゆきたい。10月のイベントは24日(水)ストライプハウスギャラリーで行う。聴きに来ていただいた方には操車場5号をプレゼントする。やたらに詩誌との交換はしたくはない。詩人達は、それほど詩誌の中身を読んでくれない。詩人が社会に向きえて生きることを本当に追求している詩人があまりにも少なすぎる。詩人クラブの法人化しても、詩人そのものの体質がかわらなければ、お先は暗い。知名度を求める組織には、人のために生きる人など育成ができないのではなかろうか。この前の詩人クラブの例会での朗読も、私の方から言わなければ、朗読をさせてもらえなかっただろう。組織とはそういうものだのだろうか。聞いていても何の反応もなかった。寂しいものだ。

2007年10月 4日 (木)

日記

詩誌・操車場5号出来上がりました。部数に制限ありますにで読みたい方は500円同封で申し込みください。今回は絵手紙の会の絵もカラーで掲載してあります。今回から末期癌日記・田川紀久雄が掲載してあります。次号操車場の〆切りは10月31日までです。会員になって作品を発表されたい方は、操車場編集部にお申し込みください。
このところ腰の痛みがでてきた。これは癌のためではなかろうか。昨日もCTの台の乗って寝て瞬間腰の痛み一瞬うめいてしまった。語りの稽古のときも立って声をあげているとやはり腰の痛みを感じる。
昨日岩牡蠣を買って食べた。臭みもなく食べやすかった。値段もおもったより安い。追分の市場に魚屋がある。そこの魚はスーパーのとは全然味が違う。昔の魚屋さんである。大型の店舗より昔ながらの市場の中の個人店舗が買い物をしても楽しい。商店街を活性化するには、美味しい食べ物を並べることだ。追分市場の近くに追分饅頭の店もある。そこの饅頭は大きくて美味しい。時々買って二人でお茶をのみながら食べている。

2007年10月 3日 (水)

日記

ヤクルトと楽天を応援していたが、昨夜ヤクルトは負け巨人が勝ってしまった。ヤクルトの古田さんが引退してしうと、寂しいものだ。
詩誌・操車場の製本を行う。午後からCTの検査がある。

2007年10月 2日 (火)

日記

口内炎で舌の色が変色してしまった。それに歯の治療で食べ物があまり食べられない。先日、学園の先生から、「田川さんは、いつまでいきられるのいですか」と質問を受けた。失礼な質問だ。それは妹の問題で言ったことだろう。末期癌者は、それほど長く生きられないという考え方が一般的であるからだ。寿命がつきれば死ぬだけだ。それまでは生きていられると答えるしかなかった。自然食品を食べ始めると、生活費が予想をこえる。ほとんど収入のない私は、添加物の一杯入った安いものを食べろというのか。スーパーで売っている野菜には、農家の人の顔が見えない。魚も漁師の顔が見えない。顔がみないなものは、食べたくない。巨大産業の作った食品は、癌患者を作るだけだ。街で自然食品を使った食堂に入れば馬鹿高い値段がついている。健康食品で、人の財布から金を盗みとる商法はやめてもらいたいものだ。貧しい人でも自然食品が食べられる世の中を目指して生きてゆきたい。

2007年10月 1日 (月)

日記

今月で末期癌を宣告されて6ヶ月になる。よくここまで生きてこられたと思う。それは詩語りに自分の人生を賭けてきたからであろう。生きる希望を強く抱くことによって、癌に負けない体力ができるのではなかろうか。これも私の詩語りを応援していただいた人たちのお陰である。そして操車場も5号の発行が間近だ。無理をしない生き方がこれから大切だと思う。今月の末には詩集も出来上がってくるだろう。一日一日を大切にして生きていれば、癌を越えて生きられると思う。
昨日無農薬野菜でスープを作った。なんとスープの味が美味しかったことか。この中にいくらかの薬膳をいれた。身体に良い。巨大産業に操られた食料品は、毒の塊である。養殖の魚も、安全な食べものとはいえない。これではますます癌が増えていく。自然とともに生きる生き方を求めていく意外にない。

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