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2007年8月31日 (金)

日記

詩誌操車場4号原稿締め切り。5号の〆切りは9月30日です。皆様の寄稿をお待ちしております。詳細は、漉林書房まで。
10月の巡回朗読会の日程が決まりました。10月24日(水)。ストライプハウスギャラリーで行います。詩語りの世界・田川紀久雄と坂井のぶこ。
宮澤賢治の世界は四次元の世界である。それは心を癒す世界でもある。末期癌にとって、この四次元の世界に触れることは、治癒力を高めてくれるからだ。声を発し、複式呼吸をするとによって、癌の進行性が止められるのではなかろうか。宇宙との心の会話が病を癒してくれる。末期癌になって、ますます詩語りが冴えてきています。温もりのある声と、魂の声が人の心に響き渡ると信じています。

2007年8月30日 (木)

日記

今地球は病んでいる。個人だけの問題だけではない。いまこそ宮澤賢治が言うように世界全体が幸せにならないと、本当の個人の幸せはなくなる。環境問題をみれば、地球が危機的状況であることが誰にでもわかる。農業の問題でもアメリカは農家に援助金を出している。アメリカ政府のゴリ押しでアメリカからいろんなものが入り込んでくる。いま真剣に日本の農家を援助していかないと、日本の農家は駄目になる。原発もいらない国づくりを目指していくことが大切である。アメリカはこれから何千の原発を作っていく。恐ろしい話だ。
癌に負けない生き方を追求してゆきたい。そのためには気力を高めることだ。そして複式呼吸を。詩語りは、それを行うのに最適な方法の一つである。

2007年8月29日 (水)

日記

午前11時に病院から帰宅する。病院での読書
柳田邦夫著「犠牲」
長岡輝子著「老いてなお、こころ楽しく美しく
司馬遼太郎著「街道をゆく四十一 北のまほろば」
長谷川忍氏より操車場の原稿が届く。
『嶺』27号の校正を行う。
夕方川崎にでて夕食のおかずの仕入れを行う。あまり食欲がないので、何をかってよいのか戸惑う。
鈴木良一さより詩誌「野の草など16号」が届く。手紙で新潟日報が「ライブと絵画展」を取り上げてくれるとのこと。うれしい限りである。

2007年8月28日 (火)

日記

今日一日入院の日だ。一週間あっと経ってしまう。本当に生きていく難しさを感じる。人生で一生懸命生きればよいというものでもない。どう人生を受け止めて生きていくかが大切なことだと思う。
詩を書くにしても、最初は自分の為に書いているが、結果的に見て個の存在を超えていかなければ作品として定着しない。詩を書く人は、それなりの詩の勉強もしなければならない。そして人より貪欲な生き方を求められる。自分勝手な詩では読者はついていけない。詩人のために詩を書くのではないが、そこにはやはりこれが詩であるというものが存在しなければ、いくら書いても無意味になる。
詩を書くことは簡単だが、それがほんとうに詩であるかどうかは難しい。詩というものはそんなに生易しいものではない。

2007年8月27日 (月)

日記

横浜詩人会の朗読会で、30分ほど語らせていただいた。その後二次会まで付き合った。楽しい一日を過ごせた。真剣に語ることによって、朗読が成長していくものだ。末期癌になって語りの何ものかを掴んだような気がする。60代の芸では、まだまだ子供なのだ。もっともっと成長していかなければならない。しかし、いつまで生きられるのか。少しでも多くのライブを行いたい。そして人の心を掴む語りをやりたい。この次はなかの芸能小劇場でもライブだ。宮澤賢治の「小岩井農場」を久しぶりに語る。

2007年8月26日 (日)

日記

今日は、川崎詩人会の朗読と横浜詩人会の朗読がある。どちらにも参加。横浜詩人会はゲスト出演である。これが最後であるという気持ちで一回一回に真剣に語ってゆきたい。そしてお客を大切にした語りをしたい。詩人は、お客のことを忘れて朗読をするから、聞き手が退屈するのだ。
朝日新聞の朝刊に、がんの患部狙い撃ちの記事が載っている。放射線治療の新機器「トモセラピー」。一台5億円。東京では江戸川病院にいしかない。国が支援して多くの病院に早く備えてもらいたいものだ。私の末期癌の治療にとっても、今の病院には放射線治療の機械が備わっていない。まだまだ癌対策では、不備が多い。いつまで続くのかわからない抗癌剤の治療は不安である。

2007年8月25日 (土)

日記

詩の朗読で、詩人たちは自分達はプロではないのだから、そのままの声で朗読をすればよいという。そして自分の詩を朗読するのだから、一番理解しているのが自分だという。一番理解しているから良い朗読が出来るものではない。プロ云々するまえに、まず努力をすることだ。詩人の朗読から、努力した形跡を感じさせる詩人などほとんどいない。末期癌になって本当の朗読とは何かを深く考えるようになった。声を通して活字の内奥を抉りだしていく行為が朗読なのだ。うわっらの活字だけを追ってもなにもならない。そのな朗読を聴いていればただ退屈するだけだ。

2007年8月24日 (金)

日記

歯の治療を行う。語りをやるにはどうしても治療しておかねばならない。治療が長期になる。
胃の調子が相変わらず悪い。中野絵手紙の会から電話。準備ができたとのこと。松尾ちゑ子さんにはいろいろお世話になる。こころより感謝。なかの芸能小劇場で公演ができることがなによりうれしい。私達が最初に宮澤賢治の世界を行ったところだ。それも劇場企画であった。人に感動を与えられる仕事をしたい。
柏崎の絵の個展のポスターが出来上がってくる。柴野さんにも感謝。みんな人明かりで私は生きている。詩や詩語りが世の中に役立つことを求めて生きていたい。

2007年8月23日 (木)

日記

安部首相は「福祉の責任」をうたっているが、かれは参議院選挙の敗北の責任すらとれないでいる。弱いものは勝手に死ねといっているようだ。こんな首相に国を任せることなどできない。お坊ちゃん首相は弱い立場の人を理解する能力に欠けている。これは小泉純一郎と同じだ。
抗癌剤の副作用で胸が痛みだした。やはり薬は怖いものである。

2007年8月22日 (水)

日記

午前中に退院をする。部屋に戻ると蒸し風呂状態だ。クーラーを入れて、語りの稽古に公園まで行く。一回でも多く稽古することによって、少しづつ前に進んでいける。亀のように休まず進んでいければ詩語りの世界も見えてくるだろう。操車場の原稿のエッセーも書き終わった。そろそろ原稿が集まってくるだろう。原稿が着くのが楽しみだ。どんな作風があつまるのか・・・。
抗癌剤のせいだろうか、何べんも便がでてしょうがない。あいかわらず、食事が美味しく感じられない。
次の日曜日は語語りができる。有難い。『見果てぬ夢』を語る。何度も人前で語ってゆきたい作品である。

2007年8月21日 (火)

日記

今日一日入院。点滴のとき、注射針に入れ方が下手なので二三回刺される。抗癌剤の治療なのに点滴漏れがありそうな気がする。先週は腕はやや腫れてしまった。新米の看護婦が抗癌剤の点滴を行うのは怖い話だ。新米の看護婦さん早くプロになってください。

2007年8月20日 (月)

日記

闘病記に関する本が少ない。あったとしても知名人が大手から出版した本ぐらいして手に入らない。詩人が書いた闘病記も見たことがない。末期の病人がどう生きたらよいのか、その手がかりになる本が欲しいものだ。私の場合末期癌といっても、週に一回一日入院をするだけだから、普段は自分のしたいことだけをやって生きている。詩の仕事はお金にならないので治療代が稼げないのが残念である。しかし詩語りの出前は、いくらかお金になる。いま詩語りの仕事を増やしていかないとこれからの治療代にこと欠くことになる。だから入院をしない限り、詩語りの稽古の時間を多くしてゆきたい。同情だけでは仕事が舞い込んではこない。自己との闘いが私の闘病記である。
昨日帝京と佐賀北との試合をテレビで観戦していた。凄い試合であった。彼らはまさに自己とのギリギリの闘いをおこなっていたのだ。自分に闘いきった人だけが生き残れる。これは癌の患者にも言えることだと思う。

2007年8月19日 (日)

日記

末期癌になったらどう残りの人生を生きるかが真剣に問われる。その生き方で死の恐怖から逃れるものである。なぜ私は詩を書き、詩語りに執着するのだろう。それは自分自身でありたいからだ。自己に徹した生き方をしたい。ただそれだけである。あいまいな自己でこの世を終わりたくはないからだ。死を見つめた人間の強さはそこにある。やりたいことだけを行う。それでよいのではなかろうか。それが生命の尊厳につながるものだと思う。嫌なことは絶対しない。つねに納得のした生き方を求めて日々を生きるしかない。

2007年8月18日 (土)

日記

死を宣告されたとき、人は本当に行きたいと願うものだ。死刑囚と無期懲役と人間では、その日の生き方がまったく違うと聞く。人間として死刑囚は生きているが、無期懲役の人は、生きる目的を失ってただ生きているに過ぎないという。人間として本当の幸せは、ただ生きているだけでは味わえないものなのだろうか。
末期癌になって一日一日を大切にして生きている。そして世の中のすべてのものが愛おしく思えてならない。地球の温暖化によって海の温度もあがっている。漁民達の生活も脅かされている。もう物質的な豊かさだけをもとめる生活から、抜け出し自然と共に生きる生き方を取り入れていかないと、この地球に人間が住めなくなってしまう。高級マンションが売れる世の中はやはり異常な世界だ。

2007年8月17日 (金)

日記

詩誌の参加は、原則的には自己負担である。身銭を切って参加するのが詩誌の基本姿勢である。中には身銭を切って無料参加の詩誌もあるが、発行者は、大変な思いで行っている。私の知り合いの詩人が、無料参加の詩誌を発行しているが、彼の内情は一千万ほど借金を背負っている。同人詩誌でも発行者が多くの金銭を負担している場合が多い。本当に読みたいと思える詩誌を作ることが発行者の責任である。操車場はそのような詩誌を目指してゆきたい。

2007年8月16日 (木)

日記

末期癌を宣告されて入院したとき、世の中がこんなに美しいものかと初めて実感した。すべてが美しく感じる。不思議な感覚である。「生命への旅」の詩集第1章は生命の旅だち・第二章が生命の尊厳となる。第三章はまだ未定。詩を書き、詩語りを行い続けることが今の私の仕事なのだ。多くの人たちの「人明かりの」輪を作ってゆきたい。その発信場は、詩誌・操車場である。会員を募集中です。

2007年8月15日 (水)

日記

一日入院が終わった。11時頃に帰宅する。新田次郎の「アラスカ物語」を読みきる。治療費37000円。つぎの支払いが心配だ。
私の癌は胃の細胞の中に深く食い込んでいるので手術もそう簡単には出来ないとこことだ。いつまでこの抗癌剤治療を続けていくのだろう。身体が薬づけになってしまうのではなかろうか。しかし、今のところこれしか治療方法がなくればいたし方がない。
九月に向けて詩語りの稽古をしなければならないのに、こう暑くては野外ではできない。はやkす涼しくならないだろうか。

2007年8月14日 (火)

日記

今日は、抗癌剤の治療のため一日入院だ。抗癌剤に副作用があるが、それに耐える体力をつけることが今の私の仕事fだ。『免疫力』(野本亀久雄著)という本の中に「ガン患者も実をいえばガンそのもので命を奪われるよりも、抗ガン剤やその他の治療、ガンによる生体防御力の低下によって日和見感染で亡くなることが多い。」と書かれてある。食事があまり取れないことは、身体の抵抗力もなくなることだと思う。抵抗力もなくなれば、抗癌剤の副作用が身体に影響を与えることは確かなことだ。いまそれほど食べられないが、食べられそうなものは何でも買って食べるようにしている。そのために食事代がいつもの生活の倍かかっている。ガンになるまえまで一日1000円で生活をまかなっていたが、今は2000円はかかっている。詩集やDVDが売れないとこれ以上生活を維持してゆくことが難しい。
そして詩語りの仕事が入ることを期待している。宮澤賢治を中心にした語りを行っています。たとえば「銀河鉄道の夜+青森挽歌」などを語っています。誰にも、真似のできない世界です。くずれ三味線詩語りの世界です。日本中何処にでも出前をいたしております。いまで行ったところは、北海道大学、日大、恵泉女子大、そのた全国各地で行ってきました。9月はなかの芸能小劇場や新潟の柏崎市(越後タイムス社主催)が予定されています。

2007年8月13日 (月)

日記

頭を坊主にする。暑さもあるが、抗癌剤の影響で脱毛してくる。そのようなことで髪を気にするより、坊主にすることによって髪のことを考えないですむ。
治療費のことでこの日記に書いたが、見知らぬOさんからメールがあった。治療費が払えなくなったという。。人生は諦めないで、医療を続けてもらいたい。生活保護を受けられれば、医療費は無料になるはずだ。ただ、なかなか生活保護を役所は受け入れてくれない。粘り強く交渉してみることが必要である。そして自分のやりたいことがあったら、真一文字に突き進むことだ。私は詩語りの本質を見極めたいと思って賢明に稽古に励んでいる。そして一回でもライブが多く出来ることを求めて生きている。そして三部作の詩集を完成することが今の私の目標である。詩集を出版することは、生活保護を受けたら出来なくなる。本当に自分がしたいことが規制されて自由に生きられなくなる。いま生活保護を受けないで生きるために、ライブ活動に道を見出そうとしているところだ。そのためには、人を感動させるものが出来ないことには話しにならない。中途半端な生き方では、その道は見出せない。だからこの末期癌になったことで、残りの人生を真剣に生きていける。そのこおtに感謝している。頑張って生きていこうななどと思っていない。自分なりの自然体でそれをやり抜きたいだけだ。

2007年8月12日 (日)

日記

預金が底をついてきた。抗癌剤治療を一回行うたびに4万円近くかかる。月に三回おこなう。それに胃カメラやCTなどを行うと月15万円はかかる。健康保険の3%である。抗癌剤を二つ使用すると20万はかかるそうだ。普通の生活者では支払えない。これが一ヶ月なら我慢できるが、何ヶ月何年も続けば、お手上げだ。
操車場のプリンターのトナー代や送料その他の雑費も馬鹿にならない。Oさんは病気なのにカンパをいただき有難うございました。
「見果てぬ夢」のライブDVDを買っていただければ助かります。本体2200円です。末期癌になってますます冴える詩語りの世界。まさに壮絶なる闘いだ。ぜひライブに来れなった方には購入をお勧めいたします。これからは破れかぶれで生きていくしかなさそうだ。癌になってますます生きる勇気が湧いてr来た。人生は今という時との闘いである。
巡回朗読会が100回を迎えました。まずはおめでとう。
ある詩誌の後記には、「退屈の最たるものは詩の朗読である」
と述べている。頭からそう思い込んでいるだけだ。彼は一回も巡回朗読会に顔を見せたことがない。朗読に命をかけている私にとって、このような発言は見逃すわけには行かない。確かにほとんどの詩人の朗読はつまらないが、それが詩人のすべてではない。肉声に賭けている詩人達がいることを知ってもらいたいだけだ。

2007年8月11日 (土)

日記

末期癌になって本当にしたいことは何かがはっきり見えたことは、生きる目標が明確になったということでも有難いものである。人は、お前何がやりたいのだと、問われても答えられない人が多い。今を生きるとは、そのやりたかったことを真剣になって行うことである。人生で長生きすることは人生の目標ではないはずだ。生きた以上自分だけが出来るものを見出すことがその人が生きたという証である。
末期癌でありながら、それほど癌にとらわれて生きてはいない。胃の痛みが襲うときや食事が摂れないときなど、オレは癌なのだと思うだけのことだ。でもこれからの治療費のことを思うと心が痛い。詩集やDVDが売れると助かるのだが。それにライブの仕事がもっともっと欲しい。健康食品を買うと普通の生活の倍はかかる。生きて生きて詩語りを真剣に見つめ深めてゆきたい。
操車場の会員募っています。私と一緒に詩を発表しませんか。

2007年8月10日 (金)

日記

先日のライブのDVDが出来上がってきた。カメラマンは元NHKの高橋章氏である。やく一時間にまとめてくれた。これを売って医療代にしていかないと生活が苦しくなる。柏崎のライブではこのDVDの売り上げはチャリティにしたい。
DVDは2200円です。田川紀久雄詩集「見果てぬ夢」ストライプハウスギャラリーでこの詩集を初めて語らしていただきました。私にとって思い出深いライブです。それに末期癌であったのに、よくここまでやったという思いもあります。これからいろんな場所でこの「見果てぬ夢」を語ってゆきます。

2007年8月 9日 (木)

日記

DVD「風の絨毯」を見る。音楽がとても良かった。
外来で診察を受ける。CTの結果まだ手術できる段階でないとのこと。これからも抗癌剤の治療を続けていく。いまのところ抗癌剤は確かに私の癌に効き目がある。それは確かなことだ。希望を持って生きることだ。病院の帰りに川崎に出て、癌に関する本を買う。今読んでいる「がんでも私は不思議に元気」(絵門ゆう子著)が私の考え方に一番近い。ホスピスの考え方も頷ける。癌の治療は日々進歩しているが、人間の心は本質的には変わらないものだ。その変わらない問題を詩人の眼で見つめ、それを書いてゆきたい。

2007年8月 8日 (水)

日記

末期癌者にとって何を夢見て生きていけばよいのだろう。そんような本が見当たらない。私は今日一日を精一杯生きられればそれで良いと思う。一日一日を大切にして積み上げて行ければ最高の人生を遅れるのではないか。といっても末期癌は、つねに日々の生活を脅かしている。不安の中でいきているのも事実である。そこには何か生きる目的を持っていないと精神的にも前向きになかなかなれない。私は詩語りを行い続けたいという熱い情熱を持っていきている。そして詩の三部作を完成することへの夢がある。癌になったことで、それを普段の人生観よりつよく感じて生きていられる。癌は私の友達なのかもしれない。お互いに共有しあいながら生きられたら有難いものだ。

2007年8月 7日 (火)

日記

昨日首相が「原爆症基準見直す」と述べたが、その財源はアメリカにも請求すべきだ。戦争で原爆を投下することは、どんな言い訳をしても許せない行為なのだからだ。
「続・医者が末期がん患者になってわかったこと」を読む。介護はぽんとうに大変だ。ひとは何処までひとを愛せるのだろうか。
8月は詩を書かないで自己をひたすらみつめていたい。それから「生命の旅Ⅱ」を書き始めたい。そして9月にむけて語りの稽古にも打ち込んでゆきたい。腹の底からいまひとつ声が出ない。そこをどうしていくかが問題だ。

2007年8月 6日 (月)

日記

本格的な夏がやってきた。昨日は横浜へいって疲れた。無理をしないで体力の保存につとめる必要がある。人前では元気に振舞うが、そのぶん疲れがたまる。横浜の中華街は人がおもったより少なかった。中国食品の風評被害が出ているのかもしれない。漢方をいくらか仕入れる。
操車場の発送を行う。詩誌との交換は最小限にとどめる。それよりいま私を応援してくれる人たちに送りたい。

2007年8月 5日 (日)

日記

詩誌・操車場製本が出来上がる。
夏の花展・ギャラリー喫茶 ラバン・アジルまで絵を持っていく。横浜市磯子杉田まで。(会期7月29日~8月18日まで)
相変わらず胃の調子が悪い。多分抗癌剤の副作用によるものだろう。やはり癌であることは辛いものだ。
「医師が末期がん患者になってわかったこと」岩田隆信著を読む。自分の病状がすべて解ることも辛いものだ。彼が生きていて支えになるのはやはり最後は家族である。私は子供達に末期癌であることを教えていない。私にとって家族は何であるのだろう。私の心のよりどころは、やはり詩を書くことと、詩語りを行えることである。そのために日々を生き抜いている。そういういみでも操車場3号が出来上がったことはうれしい。まさに生きている証になるのだ。私と一緒に詩をかきませんか。会員募っております。

2007年8月 4日 (土)

日記

新潟県で風評被害が発生している。原発の事後で旅館にキャンセルが殺到している。この原因は原発の放射能漏れの東電の話が信用できないからだ。人体にはなんら心配ありませんといつも同じ説明である。もしかりに人体に影響がありますと言ったら原発は二度と動かなくなるからだ。自民党が信じられないのと同じように東電の説明も信じられない。事実柏崎原発に勤めている人の中で癌になっていく人が多いと聴く。これから環境破壊や、放射能漏れで癌にかかる人が増えるだろう。
今の病院はガン患者に対してこころのケアが足りない。あまりのも医師や看護婦が仕事に追われて患者に対して心のケアができないでいる。ガン患者は生きていることに不安なのだ。医療のあり方が変わらない以上、ガン患者は暗闇の中で生きるしかない。
操車場の印刷を始めるが、校正ゲラが戻ってこないひとがいる。製本の完成は来週になるだろう。一人で手作りで時間がかる。プリンターの性能の良いのに取り替えたいのだがカネがない。
身体は相変わらず下痢が続いている。食事も食べたいものがない。テレビの料理番組をみていても虚しい。昔は板前もしたことがあるのに・・・。

2007年8月 3日 (金)

日記

詩の朗読は、読めばよいとうのではない。いかに生きた言葉として相手に伝えるかが大切である。そのためにはそれなりの努力をしなければならない。ある意味では死にもの狂いの稽古をしなければならないだろう。それでも相手に詩の言葉を伝えるには難しい。詩人の朗読で、そこまでやって本番にのぞむ詩人はいない。末期癌になって、言葉の深さをどのように表現したらよいのか考えるようになった。つまり詩明かりを求めた語りを行いたい。毎日が辛いいきかたしか出来ないが、そのことが人生を深めていってくれるのだろう。だから末期癌を恨むのではなく、そのことによって自分が人間として進歩しているのだと思えばそれなりに生きている意味がある。

2007年8月 2日 (木)

日記

作家の阿久悠さんが尿管癌のため死去。享年70歳。
下痢はあいかわらず続く。最近毎日毎日が不安を感じる。食事が思うようにとれないことにも原因はあるのだろう。
詩誌・操車場3号の原稿を締め切る。会員に方で送ってこない人もいるが、掲載しないときは連絡をしていただきたいものだ。校正の終わったところから印刷にかかる。次号の〆切りは9月1日である。操車場に参加されたい方は、会員になってください。負担金5000円です。あと何回発行できるか解らないが、全力を尽くして作って行きたい。
詩集「生命の旅Ⅰ」10月に発行したいが、まだ金銭のめどがたたない。詩集「見果てぬ夢」があと80冊を売れないと発行は無理だ。これは読んで損をしない詩集だ。お申し込みは田川まで、頒価2200円 

2007年8月 1日 (水)

日記

今日CTの検査を行う。来週この結果が判明する。
第二次大戦と原発は似通っている。絶対安全だと言って建設した原発が、地震でこれは想定外だ。なんてまったく責任逃れの言い訳しかできない。だれもが責任を取れない。放射漏れでは、人体に影響がないといっているが、本当に信用できない。大本営の発表と同じだ。安部政権では年金ではどこか嘘をついている。いまの政治は嘘だらけだ。きょう国民保険支払いの案内が来たが以前の支払いの3倍になっている。めちゃくちゃな話だ。生活が出来ない状態に追い込まれている。生活保護もうけられに今、これからどうしたらよいのかわからない。CTの検査だけでも10600円とられる。収入のない私は生きていくのが辛い。癌もどうなっているのか。まるで暗闇の状態である。

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